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ギリシア神話 神々と英雄に出会う17/17 ~トロイア伝説

巨大な木馬の話はイリアスではなくオデュッセイアに現れる。木馬の経略に関する逸話はオデュッセイアでも間接的かつ部分的に披露されるに過ぎない。木馬をめぐるエピソードの全容がどこで直接的に詳述されたかというと、すでに散逸していて今はもう読むことができない二篇の叙事詩で語られていた。すなわち木馬の考案と建造は「小イリアス」で奇襲攻撃の遂行は「イリオスの陥落」で伝えられていたのである。これらの作品は「叙事詩の環」に属している。叙事詩の環とは、いくつかの伝説圏に属する叙事詩グループの総称である。複数の伝説圏のうちで最も代表的なものがトロイア圏であり、トロイア圏の叙事詩の環には6篇の叙事詩が含まれ、それらはトロイア戦争に関する一連のさまざまな伝説を扱っていた。またオイディプスの物語のようにテーバイを舞台とするいくつかの伝説を題材とした叙事詩はテーバイ圏の叙事詩の環を構成していた。トロイア伝説の全体像は、トロイア圏の叙事詩の環の6篇の叙事詩に「イリアス」と「オデュッセイア」を加えた合計8篇の作品によって明らかになる。そのうち現在でも残っているのは「イリアス」と「オデュッセイア」だけであるが、二大叙事詩篇で扱われるのはトロイア伝説の一部分にすぎない。伝説中の人物の相関関係や錯綜した膨大な逸話が逐一詳述されるようなことはなく、物語は聴衆や読者が伝説の全貌を了解しているという前提で語られる。したがって伝説の全容を熟知していた古代人とは異なり、現代に生きる私たちには、ホメロスの二大叙事詩からただちにすべてを理解するのは難しい。そこでトロイア戦争の前史と攻防戦の戦後史の細部を補い、伝説の全貌を知る上で貴重な情報源になるのが叙事詩の環である。トロイア圏の叙事詩の環を年代順に並べると、キュプリア、アイティオピス、小イリアス、イリオスの陥落、帰国物語、テレゴニアとなる。イリアスで語られる事件は、最初から二番目、つまり「キュプリア」の内容の次に起こり、オデュッセイアで展開される出来事は、最後から二番目、「テレゴニア」の内容の前に起こる。
叙事詩の環の劈頭を飾るキュプリアでは、戦争前史から遠征隊のトロイアでの布陣までが語られる。トロイア王時パリスがヘレネを連れ去ったためスパルタ王メネラオスは妻の奪還を目指し、兄のミュケナイ王アガメムノンを総帥として遠征軍を結成する。次にイリアスではトロイア戦争を扱い、遠征10年目の50日ほどの間のさまざまな出来事を、アキレウスの怒りを主題に描く。トロイアの守り手ヘクトルの葬儀の場面で「イリアス」は終わる。その後、「アイティオピス」が戦地でのさらなる攻防を語る。この題名はエチオピア(ギリシア語でアイティオピア)の王メムノンが援軍としてトロイアに駆けつけたことに由来する。この作品ではアキレウスの死も語られ、彼の葬礼やその遺品をめぐる内紛なども記されていた。これに続く小イリアスはこの内紛の悲劇的な結末を伝えると共に、アテナ女神の支持による木馬の建造を語る。これに続いてイリオスの陥落が木馬による奇襲攻撃とトロイアの滅亡を伝える。イリオスはトロイアの別名である。帰国物語は、遠征軍の故郷への旅をつあえているが帰還は困難なものになる。オデュッセイアの主人公オデュッセウスも苦難に満ちた漂流を余儀なくされる。テレゴニアは、オデュッセウスと女神キルケの間に生まれた息子テレゴノスに由来する。この叙事詩ではテレゴノスが誤って父を殺害する経緯が語られていた。
では最後だから重要な創世記の系図を載せておこう。
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おおきなかぶ、むずかしいアボカド

村上春樹初挑戦、といってもエッセイなのですが・・・
小説を書くときには、小説家は頭の中にたくさんの抽斗を必要とします。小説を書き終えると、結局は使わずに終わった抽斗がいくつも出てくるし、そのうちのいくつかはエッセイの材料として使えそうだな、とうことにもなるわけです。僕は本職が小説家であって、エッセイは基本的に「ビール会社が作るウーロン茶」みたいなものだと考えています。
随所に、「くだらねぇこと書いてるなぁ、すいませんねぇ」みたいな表現が出てくる。
マニュアル・シフトの運転が上手な女性は魅力的に見えます。きちんとした目的と明瞭な視野をもって、自立的な人生を生きている人のように見える
アメリカの新聞を読んでいたら、こんなひとこま漫画があった。お母さんが新聞を広げて二人の男の子に言う。「新聞によれば郵便局は、土曜の配達を止めるんだって。」一人の男の子は「ん、郵便ってなに?」、もう一人は「ん、新聞ってなに?」とたずねる。どちらもコンピュータで脇目もふらず、You Tubeやメールをチェックしている。
新聞休刊日、僕はいくつかの国で暮らして新聞を読んできたけど、新聞が休みを取るなんて話は耳にしたことがない。毎日出すから日刊紙なので一日でも休んだら意味がない。「お互いときどき交代で休みを取りましょうや」というのなら百歩譲ってありかもしれないと思う。でも全国の新聞が同じ日に、横並びで揃って新聞を出さないのは、いくらなんでもひどい。
休みの取り方もしかりだよ。交代で休めば良いのに、全員で休む文化なのですよ。休んだら意味がない例として心臓を挙げてましたが、テレビでも良いじゃないですか? 休みなんで、全チャンネル砂嵐なんてことありませんよね?
太宰治は好きですか。若き日の三島は、ことあるごとに悪口を言っていた。友人達は面白がって、ある日、三島を太宰のところに連れて行った。三島の回想によれば、彼はその一世を風靡した人気作家に向かって「僕は太宰さんの文学はきらいです」と言った。すると太宰は誰にともなく「そんなこと言ったって、こうして来ているんだから、やっぱりすきなんだよな」と言ったという。「今では自分も同じ目にあうようになった」と書いている。
太宰の勝ち。全共闘と三島由紀夫の動画はまさにこれだね。
全共闘A「さっき三島先生が、三島さんが…、あのー、ここで先生という言葉を思わず使ってしまったのですが、それは問題あるわけで…」
煙草を吸いながら三島が苦笑しているのが面白い動画だ。

日本の今昔物語にも大きな蕪の話があります。今は昔、今日から東国へ向かう男があった。突然激しい性欲に襲われ、近くに蕪畑があったので、そこに入って大きな蕪をひっこ抜き、穴を開けてその蕪とナイスな感じで交わった。翌朝、畑の持ち主の娘がやってきて、放り出された蕪を見つけた。「あら、なんでしょう、穴なんか開いちゃってて」とか言いながら、それを食べてしまった。すると数ヶ月してお腹がぽっこりと膨らんできた。両親は「なんというふしだらなことを」と怒るんだけど娘には身に覚えがない。生まれてきたのは美しい赤ん坊だったので「ま、いいか」と可愛がって育てた。やがて東国で出征した男が京に帰る道すがら、自分が5年前に犯した蕪が、不思議な経緯をたどって当家の娘を妊娠させ、子供が生まれたことを知った。二人は結婚し、末永く幸せに暮らしました。
なんすか?これ初耳ですけど。しょうもねぇ話だなぁ。
書店の小説コーナーに行くと「男性作家」の棚と「女性作家」の棚が分かれていることが多い。外国の書店で著書男女別に書棚が分かれているということはまずない。女性作家と男性作家の本を切り離すことによって、女性が女性作家を好んで読み、男性が男性作家を好んで読むという傾向がますます助長されるかもしれないし、それはあまり健全なことではないですよね。
僕の小説の読者は昔から一貫して、だいたい男女半々です。そして女性読者にはきれいな方が多いです。いや、ほんとに。
↑ これうまいな。商売人だねぇ春樹先生は。

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【ガラでもねぇこと特集】
2012.03.07: タイ旅行 9/11~ディスコ
2011.09.28: ダイヤモンドの話4/5 ~研磨とカット
2011.07.04: お料理シリーズ 朝のホットケーキ
2011.05.25: 自炊日記
2010.12.09: マカオのカジノ王ホー氏、白トリュフを2800万円で落札
2010.07.21: 日本帰国 第二幕 関西突入
2010.03.09: プーケット旅行 ~体験ダイビングに挑戦しました
2009.05.25: 珍しく女の子口説いてますね ~BBQ  
2009.04.13: Sentosaに行ってきました 
2008.12.30: 夜空の下のプール in 真冬 
2008.10.02: DBSからのプレゼント




ギリシア神話 神々と英雄に出会う16/17 ~占星術

星や星座で私たちに最も馴染みが深いのは、なんといっても星占いである。昨今の特に女性向けの雑誌で星占いの欄のないものを探すのは難しい。星の運行と個人の運命を結びつける占星術はもともとメソポタミアで、特にバビロニアで発達した。占星術の知識がギリシアに流入したのは、前6世紀後半、ギリシア世界がポリス(都市国家)の形成に向かっていた頃のことである。前5世紀頃には星占いの流行はほとんど見られなかった。占星術や星の神話への関心が高まったのはヘレニズム時代に入ってからのことである。
きょえー、メソポタミアの時代から占いあったんだと。知らなかったよー。古代のおける占星術はマジナイではなく、軍事戦略とまで言い切ったのに、おまじないもあったみたいだねぇ。こりゃ失礼。
ブームの原因の一つは、アレクサンドロス王亡き後、ギリシア世界が拡大してオリエントとの交流がふたたび活発化したことに求められるであろう。ヘレニズム期は不安の時代とも呼ばれる。ポリスの民主的な政治体制が崩壊し、政治情勢や社会が大きく変化した結果、人々がポリスという共同体の運命よりも個人の運命への関心を強めたことも星占いが隆盛になった一因であった。星座の物語が発達したのも星占いの流行とほぼ同じ頃である。アラトス(前315頃~前240/39)という詩人の「パイノメナ」(前270年)である。英語のphenomenon「現象、事象」に複数形に当たる語で、「天界現象」あるいは「星辰譜」と和訳される。「パイノメナ」は通俗的とはいえ、天文学の分野で現存する最古の文献であり、天体に関する知識や星と星座にまつわる多くの神話を含んでいた。
天球には黄道帯と呼ばれる太陽の通り道がある。星占いでは黄道帯が12等分され、各部分に一つずつ星座が配置されている。12宮が考案されたのは今から3000年ほど前で、その頃には、昼と夜の長さが同じになる春分点が牡羊座の位置にあったため、牡羊座が第一宮とされた。牡羊座と結びついているのは最古の伝説の一つアルゴ船の物語である。この伝説を題材とする詩で現存するのは、ロドスのアポロニオスというヘレニズム時代の詩人「アルゴナウティカ」である。人類最初の巨大船アルゴ号による英雄イアソンの物語を語る。
牡牛座:ゼウスがエウロペをみそめ、牡牛の姿に変身して彼女に接近したという神話、ヘラクレスの7番目の功業、クレタ島の牛と結びつける説もある。
双子座:最も有力視されているのはカストルとポリュデウケスという双子で、双子座にはカストルという2等星とポルックスという1等星が含まれる。日本では「ぎんぼし」「きんぼし」と呼ばれている。カストルは馬を飼いならすのが得意で、ポリュデウケスはボクシングの名手であった。
新約聖書がギリシア語でかかれたように、ギリシア語とキリスト教には深いつながりがある。それを端的に告げるのが、初期キリスト教のシンボルマークの魚である。ガリラヤの漁師であったペテロが第一の弟子として「人間を漁る漁師」と呼ばれ、聖体拝領の原型とされる「パンと魚の奇跡」の逸話が四福音書のすべてに収録されているなど、キリスト教の魚に因縁浅からぬものがあるが、魚はなぜ初期キリスト教のロゴになったのだろうか。それは魚を意味するギリシア語のichthysのつづりと関係する。「神の子イエス・キリスト救世主」をギリシア語でいうとIesous Christos theou hyios soterとなる。Iesousは人名でイエスのこと、Christosは形容詞で「聖なるものとして油を塗られたを」意味するが、固有名詞としてキリストを指すようになった。theouは神の、hyiosは息子、soterは救世主でこの頭文字をつなぐとichthysになる。(hyiosのhはギリシア語では独立した文字ではなく、有気を示す記号で表されるためyが頭文字になる)。このことから魚が初期キリスト教の象徴になったのである。
星座よりも見つけやすい天の川は英語でmilky way、あるいはgalaxyと呼ばれる。galaxyの語源は乳を意味するギリシア語のgalaである。女神ヘラは連れてこられた赤ん坊に乳を含ませていたが、この乳児が仇敵のヘラクレスとわかるとあわてて彼をふりはらった。すると女神の乳汁が空一面に飛び散り、それが天の川になったという。







金融史がわかれば世界がわかる 6/6~アメリカの努力

IMF体制は金ドル本位制とも呼ばれる。世界の金準備の大半が米国によって保有され、米国のみが通貨と金との兌換を認めていたために、1トロイオンス=35ドルとなったのである。世界各国がこの体制の下で目指した目的は、為替の安定であり、国際決済システムの再建であり、また国への融資制度の確立であった。為替レートの設定方法は、ドルに対して各国がそれぞれ平価を決定することになった。日々の為替レート変動幅は平価の上下1%以内と規定され、事実上の固定相場がしかれたのである。日本は固定相場制の下で1ドル=360円という相場が長く続いたがそれは1949年に設定されたものであり、この固定レートも各国のファンダメンタルズが不均衡となった場合には切り下げ調整が可能とされたがその定義は不明確であった。1949年には衰退の一途を辿る英国がポンド切下げに追い込まれている。だが1960年代になり米国経済に矛盾が露呈し始めると、米国が金1トロイオンス=35ドルの平価を保つ力を維持できるのかどうか国際経済は不安に感じ始める。そしてその不安は1971年のニクソン大統領による金兌換の停止宣言によって現実のものとなったのである。
米国の金保有高が減少しても対外債務がそれに見合う水準であれば海外勢はドルの金への交換価値を確認することができる。だが現実には米国の対外流動性は大幅に金準備を超えていた。つまり米国の国際収支赤字こそが国際流動性の供給源となっている限り、そのシステムの下ではいずれは米国の対外債務が金準備を凌駕するというブレトンウッズ体制の脆弱性が浮き彫りにされたのであった。こうした弱点を補強するために編み出されたのが金プール制や金の二重価格制度、そしてSDR(Special Drawing Right特別引出権)で、金プール制は1961年に欧米7カ国が金を拠出して「金の市場介入」を行って金価格の高騰を押さえ込もうとした制度である。だがフランスの脱退や英国ポンドの更なる切り下げによって金上昇には抑えが効かなくなった。介入の限界である。そこで1968年には通貨当局での金・ドル平価と、民間が自由市場で売買する金・ドルレートを分離する金の二重価格制度を採用することとなった。SDRは1969年にIMFに導入された制度であり、ドルを保管する準備通貨としての位置を与えられた。各国のIMFの出資額に応じて配分され、現在に至るまで準備資産ではあるがそれが国際金融の舞台で大活躍したとはいいがたい。1971年8月15日に米国ニクソン大統領はドルの金兌換停止を発表する。このニクソン・ショックでドルは金から解放されたことを意味する。これは今日に至るまで継続する変動相場制度への幕開けでもあった。
双子の赤字構造はドルの下落圧力として解釈されることが多く、外国為替市場では定期的にドル暴落説が唱えられる。実際には1985年のプラザ合意により主要国の合意の下での不均衡是正の措置としてドルの大幅な切り下げが変動相場制の下で行われた。だが為替市場においてはそうした意見とは反対にドルは安定推移するあるいは反転すると考える意見も少なくない。欧州やアジア、中近東の諸国にとっても1980年代以降の米国が魅力ある投資対象となった事実は過小評価すべきではない。経常赤字、貿易赤字を抱える米国に対する不信感よりもそうした赤字を抱えながらも高い成長を続ける米国経済を信任する考え方には根強いものがあった。米国経済への信任とは1970~80年年代のインフレを克服し、企業の生産性を高め、また資本市場の効率化を図ってきた米国の努力を素直に評価したものである。また節度ある金融政策を徹底して追及し実践してきたFRBのボルカー、グリーンスパン両議長への厚い信頼感も大きく寄与しているということもできるだろう。それが理屈から見ればいかにも暴落しそうなドルが今日まで何とか支えられていることの理由でもある。
デリバティブズは金融派生商品と呼ばれる商品群である。だが、実務的に見ればそれを「商品」と呼ぶのは正しくない。先物やスワップ、オプション、そしてそれらをたように組み合わせた複合的な金融ツールは、商品ではなく「金融技術」として理解する必要がある
1980年代のレーガン政権は「強いドル」と米国の復活を唱えた。さらに金融技術をバックとした強烈の資本市場の構築で、米国は海外資本の取り込みを始めた。その結果として、一時は衰えかけた金融力をみごとに復活させたのである。その背景には先物、スワップ、オプションといった先端技術を駆使して資本市場を整備した先見の明がある。デリバティブズは、米国復活の大きな鍵を握っていたのである。だがその無理なドル高政策は、1985年9月22日のプラザ合意によって修正を余儀なくされた。当時円は対ドルで240円近辺であったが、同年末には200円を割り込むほどの急激な為替調整が起こったのである。にもかかわらず世界各国による対米投資は継続されたのである。その背景には米ドルおよび米ドル建て資本市場でも運用メニューやヘッジ機能の豊富さ、つまり米国の金融力への高い評価があったことも忘れてはならないだろう。デリバティブズの開発・普及は米国への資金流入が止まらぬような機能を果たしただけでなく、米国以外の資金調達者が世界の市場でドル建ての資本を調達することを促した
従来ユーロ債券市場はその起源からもわかる通りユーロドル建ての取引が大半を占め、残りをドイツ・マルク、円、スイス・フラン、ECUなどがシェアを分け合っていた。しかし1999年の新通貨導入以降、ユーロ建ての債券発行が急増し、2002年にはドルガ9850億ドル、ユーロが8063億ドルと拮抗する至り、2003年には逆転、2004年にはその差を広げつつある。欧州市場だからユーロ建てが増えるのは当然と考えるのはやや短絡的ではないだろうか。アジアでの円建て資本取引がそれほど活況ではないことをみれば、通貨選択は地域における突出した経済力によるものではないことが伺えよう。経済と金融との間には深い関係があるが決して同義ではないのである。
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金融史がわかれば世界がわかる 5/6~FRB設立時代

英国マーチャントバンクが国際貿易や戦費増大に悩む政府と表裏一体となって成長してきたのと比較すると、米国金融資本は国内の鉄道や石油、軍事産業など国家インフラ事業とともに巨大化していったのが特徴である。1893年から金の流出や国内不況で財政危機に見舞われた連邦政府を、JPモルガンがロスチャイルドとともに救った話は有名である。米国の金融資本を代表するロックフェラーとJPモルガンは、どのようにその金融力を蓄積していったのだろうか。
ロックフェラーは1870年にスタンダード石油を興したロックフェラー兄弟が同業者とトラストを組んで価格を操ったり鉄道を支配したりして富を蓄積、現在のシティ・グループの前身であるファースト・ナショナル・シティ銀行との関係も深かったが、ロックフェラーの銀行と言えばチェース・マンハッタン銀行である。それに比べるとJPモルガンはまさに金融資本である。1861年のジョン・ピアモント・モルガンが設立したJPモルガン商会を出発点として、電気事業、塩・タバコ事業などを支配し、鉄鋼経営に乗り出し米国基幹産業を支配下におさめて君臨したのである。JPモルガンは20世紀に入ると鉄鋼業界の統一を狙うことになる。当時「鉄鋼王」として名高かったカーネギーから英国の総生産量をも上回るといわれる規模を誇ったカーネギー製鉄を買収し、JPモルガンは1901年にUSスティールを創設したのである。これは鉄のトラストとも呼ばれた。
米国連邦準備制度理事会はFRB(Federal Reserve Board)の日本語訳である。他の国中央銀行との呼び名が違うのは、まさに米国が連邦制度を採用しているからに他ならないが、それゆえ他国と違って中央銀行制度を取り入れるのに手間取ったともいえよう。米国では1791年に紙幣の発行や通商規制などの権限をもつ「第一合衆国銀行」が創設された。これは財務長官ハミルトンが連邦憲法を拡大解釈して設立した中央銀行であるが、すでに州立銀行を擁していた州政府の猛反発により、1811年には解散することになった。そして1816年に「第二合衆国銀行」が20%の政府出資で設立された。この銀行には20年間の特許が賦与され。連邦政府の預金を無利息で預かるという特権を与えられていた。また中央銀行の機能として、インフレ期待に応えて紙幣を増発するという州立銀行の経営を抑圧しようとしたが、この引き締め政策は企業家からは反発を買い、また州政府も州立銀行の利害を代表して反対したため、特許の切れる1836年に、政府預金を引き揚げて州立銀行に配分し、解散した。州立銀行は企業家たちの期待に応えて紙幣を濫造することになり、インフレが激化し、経済恐慌が発生するまでに至ったのである。金融制度に関して連邦政府が州政府の抵抗を跳ね返すのは1862年の法貨法において、不換紙幣であるGreen Backを発行する権限を得てのことである。その背景には南北戦争における戦費調達の目的があった。当時、金を離れて財務省を信用するしかないという通貨制度を経験したことになる。現代の感覚では一国の下では政府や中央銀行の信用が最も高く、一般企業の信用力はそれに勝るものではないというのが通念となっているが、これは歴史的にそうであるといえるものではない。現代でも、国の信用力よりも高い評価を得ている企業もある。
アジアでも国よりも信用力の高い企業が現在もあるね。
不兌換紙幣は1879年に、兌換が再開されたが、一挙に金本位制を築くものではなかった。シャーマン銀購入法が制定され、米国政府は毎月一定量の銀を買い上げることになったのである。海外からは米国は負債返済の軽減化のために金銀複本位を継続させてドルの減価を狙っているのではないかと警戒されていた。その後1900年になってようやく金本位を確立したのであったが日本は、1897年に金本位制に移行していた。
1900年の金本位制は金1トロイオンス=20.67ドルとの公式な金兌換を表明したものであるが、金の保有量に対する銀行券の発券を管理する機能が無く、米国はしばしば金融パニックに襲われていた。とくに1907年に発生した大不況は、経済環境に柔軟に対応できる中央銀行の機能の必要性が叫ばれ、連邦準備法の制定につながったのである。英仏の中央銀行が戦争遂行んための戦費調達を目的として創設されたのに対して、米国ではむしろ金本位制の下での通貨供給の効率的な機能を求めて設立されたのであった。米国の制度で混同しやすいのは、FRBとNY連銀であろう。もともと銀行機能を持つのは地区連銀であり、その中でも重要な役割を演じているのがNY連銀である。NY連銀を含む、12の地区連銀を監督するFRBを中央銀行とするアイデアに落ち着いたのであった。
日本銀行が株式会社であり、その株式が店頭市場で取引されているのはよく知られているが、米国の中央銀行システムも同様に会社形態をとっている。地区連銀の株主はその地区のメンバー銀行である。ただし地区連銀の株式を売買することは認められておらず、また株式を保有しているといってもそれは地区連銀の経営権を意味するものではない。こうした連銀システムの創設にあたって、ユダヤ系金融機関が深く関与していたと言われることがある。欧米に散らばるユダヤ系金融資本が連銀設立の際に出資し、いまなおその影響力を保っているという情報も散乱しているが、NY連銀設立時の出資記録を見てもそのような事実は無い
日銀は株じゃなくて優先出資証券ね。議決権が無ければそんなものは株とは言わん。
ポンドとドルの為替相場のことをケーブルと呼ぶ。ポンドとドルの取引が大西洋にしかれた海底回線(ケーブル)を使って英米間で取引を行っていたことに由来する。
へーへー。今誰もケーブルなんて言わないか?
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金融史がわかれば世界がわかる 4/6~ポンドからドルへ

世界の経済体制を支える金本位制にヒビが入り始めたのは1914年に始まる第一次世界大戦の前後である。戦争によって金の輸送が不可能となり、各国の金準備の貯蓄傾向がいっそう強まったことから、通貨と金との連結性が薄れがちになった。戦争当時、基軸通貨国の英国の金準備は意外に低水準で、フランスはその4倍、米国はその10倍以上の金を保有していたといわれている。大戦が終わってまず米国が1919年に金本位制に復帰し、英国はやや遅れて1925年に金本位制に戻ったが、その姿は大戦以前とはやや異なる様相を呈していた。戦争で疲弊した英国経済にとって、戦前と同じレートでの金本位制の復帰は致命的だったのである。英国の輸出産業である繊維や石炭などの業界は、そのレートでは競争力が無いのは明らかだった。英国企業がこうした環境に対応すべく賃下げに次ぐ賃下げを行ったため、ついには炭鉱労働者を中心とした「ゼネスト」に直面することになる。英国の金本位制復帰の裏には英国のポンドのプライドを賭けたレート設定に隠れて、2つの出来事が発生していた。一つは英国中銀で通貨を金に兌換することができなくなったことである。対外的にはポンドは金に兌換されたが、国内ではその兌換性が失われてしまった。もう一つ特筆すべきことは、英国がその金準備を補強するため米国連銀やモルガン商会に協力を仰がざるを得なかったという、米国の存在感の増大である。それは英国から米国への国際経済の舞台における主役交代の時代がまもなく到来することを告げる序曲でもあった。
1929年米国で発生した大恐慌が経済的な打撃として降りかかり、1931年には英国は金本位制から離脱を余儀なくされた。英国の経常収支の黒字が縮小する中でフランス保有のポンドの金兌換要求はやまず、ポンドは急落した。まだ金兌換を行っていたドルを買って、米国から金を入手しようとしたのである。米国は金本位制を放棄することはしなかったが、結局1933年に金を海外へ輸出することを禁止した。世界のマネー体制は大きく揺らぐことになった。現在のようにペーパーマネーに絶大なる信頼を置くという発想はまだなかった。
 フランスを中心とする国々は「金ブロック」を形成して、金本位制の維持を試みようとした。そのグループには、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、スイス、イタリアが含まれている。だが、金本位制への復帰に消極的な英国をはじめ、米国もフランスなどの立場には同調せず、結局この金ブロックも崩壊することとなる。各国は自国通貨切り下げ競争に走り始めた。米英仏の三国は通貨協定を結んで為替相場が無秩序化することを避けようとした。1936年に締結されたこの協定では、米英はフラン切り下げ調整を歓迎すること、競争的な平価の切り下げは行わないこと、貿易制限措置の緩和を求めることなどを取り決めている。こうした協定の背景には自国の為替レートを切下げて経済を回復させようとする、いわば近隣窮乏策による自国経済の救済という目論見が、いたる所で噴出していたことが挙げられるだろう。現在でも日本含むアジア諸国の自国レート安による経済成長が欧米の非難を浴びることが多くなっている。為替調整問題は国際金融における永遠の課題である。この通貨協定は1934年に米国が設定した金1トロイオンス=35ドルという金準備法を拠り所としていた。唯一、金との兌換性を保持した米国ドルが、欧州各国の通貨制度の安定性を目的する協定を可能にしたものだといえよう。そしてこの通貨協定こそが混迷する国際金融を再建するIMF体制につながっていく。IMFは1944年に開かれたブレトン・ウッズ会議においてであるが、それまでの間、世界の金融は全面的な変動相場制となった。
ドル(Dollar)も語源を辿れば、南ドイツ産の「ヨアヒムターラー」と呼ばれる銀貨だといわれている。「ターラー」は谷を表す言葉だが、銀が谷間から産出されたことから銀を指す言葉として用いられるようになった。その大型銀貨を模倣して作ったのがスペイン・ドル(銀貨)である。スペイン・ドルとはスペイン本国の通貨ではなく中南米で鋳造された銀貨のことでとくにメキシコで鋳造されたものがメキシコドルと呼ばれていた。これはペソとも呼ばれていたがその呼称(Peso)と銀(Silver)との頭文字の組み合わせが現在の$マークの起源であるとされている。
米国も英国と同じように金を正貨として流通させるように貨幣鋳造法を改正したり銀行紙幣を発行したが、なかなか通貨制度が整備されなかった。その背景には、連邦・州政府の確執と南北戦争などの国内政治要因が挙げられる。連邦政府は中央銀行的な発想の元で州法銀行券ではなく連邦政府銀行券を流通させようとしたが、州政府の強い抵抗にあって挫折したのである。また南北戦争時には、連邦政府の金の兌換を中止して国法に基づく銀行券(Green Back)を発行し、激しいインフレを引き起こすなかで、徐々に州政府の銀行券を駆使していった。そうした激しい国内での金融権力争いを通じて、漸く通貨制度が収斂していく。だが驚くべきことに金本位制導入にあっても米国の中央銀行はまだ存在していなかったのである。英国中銀が創設されたのは1694年、フランス中銀は1800年、そして日本銀行の設立は1882年である。現在では世界経済と国際金融の要を演じる米国FRBの設立は1913年まで待たねばならなかった。
【戦争・内戦・紛争】
2011.12.26: 宋姉妹 中国を支配した華麗なる一族2/2 ~三姉妹の勃興
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2011.03.24: ガンダム1年戦争 ~新兵器 3/4
2010.07.16: ドイツの傑作兵器・駄作兵器
2010.05.26: インド対パキスタン
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2009.06.05: 現代ドイツ史入門
2009.05.05: 民族浄化を裁く ~ボスニア
2009.01.05: ユーゴスラヴィア現代史
2008.10.21: 東インド会社とアジアの海2
2008.10.20: 東インド会社とアジアの海



ギリシア神話 神々と英雄に出会う15/17 ~星空

おどろおどろしい怪物を扱った前章とはうって変わり、この章ではロマンティックな星空を眺めることにしよう。夜空に目を凝らす前に、ギリシア人にとって星座がどんな意味を持っていたか少し考えてみたい。羅針盤も海図もまだなかった時代、海の民ギリシア人が地中海やエーゲ海を渡る時に頼みの綱としたのは昼間ならば点在する島々や太陽の位置であったが、夜ともなれば星のほかには目印は何もなかった。星と密接に結びついていたのは航海だけではない。農業もまたたく星がなければ立ち行かなかった。私たちは日常生活の中でカレンダーや精密な機械時計をごく当たり前のものとして使っているので、その計り知れない恩恵に改めて感謝することなど滅多にない。水や砂を利用した素朴な時計はあったものの、時を知る主な手がかりは太陽と月と星であった。農耕に従事していたギリシア人にとって、とりわけ星と星座が農作業の時期を告げる大事な目安であった。「仕事と日」は、まじめに働くことの大切さをヘシオドスが弟に説いた教訓詩であると同時に、有益な農事暦をふくむ実用書でもあった。「昴の昇る頃に刈り入れをし、昴の沈む頃に耕云を始めよ」というように農作業に最も適した時期は常に星との関係で告げられる。


そう、今までこれを書いたことがなかったので、本の写しではあるが抜粋してみた。占い、星占い、占星術とは本来、軍事目的のカレンダーの開発であったはずだ。国民の将来を”占う”農業政策や軍事政策に利用された天文学の起源であり、どうでもいい個人の将来を、あたりさわりなく語るものではない。私たち現代人は、精度の高いカレンダーと時計が前提になって行動しているが、占星術師は正確な暦や時刻を知るために空を眺めていたのであって、それがあたかも不確実な将来を予言するかのように一般人には思えたのだろう。逆に言えば、昔の星占いは現代よりも、もっと正確だったのだろう。ま、その時代に、彼氏とどうなる?とかいう生死にかかわらない問題を”占う”人はいなかったと思うが。


昔はカレンダーや機械仕掛けの時計だけではなく、望遠鏡ももちろんなかった。肉眼だけなので、認識できる星の数はたかが知れているだろうと考えがちであるが、古代ギリシアでもすでに1000個以上もの星が認識されていたのである。慢性的に目を酷使している現代人よりも古代人の方が視力が遥かによかったのかもしれない。当時は星の観察を妨げる余計な光源もなかったのではあるが。太陽系の惑星と神話の結びつきは、古代ギリシアで知られていた惑星は、5つであり、ホルストの管弦楽組曲「惑星」を楽章の順に、「火星、戦争をもたらす者」、軍神アレス、「金星、平和をもたらす者」、美と愛欲のアプロディテ、「水星、翼のある使者」、ヘルメス、「木星、快楽をもたらす者」、ゼウス、「土星、老いをもたらす者」、クロノスである。太陽系最大の惑星である木星にはゼウス、それについで大きい土星にはゼウスの父であるクロノスが与えられ、クロノスはラテン語でサトゥルヌスと同一視された。英語のSaturdayの語源はサトゥルヌスの英語系Saturnである。また第6楽章「天王星、魔術師」、ウラノス、第7楽章「海王星、神秘主義者」、海神ポセイドンである。天王星が発見されたのは1781年、海王星は1848年、星にギリシア神話の神の名を採用するのは古代の慣習であったが、近代に入ってからもやはり踏襲されたのである。ホルストがこの曲に取りに組んでいたのは1914年から16年のことであり、冥王星の発見は1930年のことであるから組曲にその楽曲がないのは当然である。そこでハレ管弦楽団のケント・ナガノの依頼で作曲家コリン・マシューズが「冥王星、再生をもたらす者」プルト、プルトはハデスのラテン語系に由来する。ホルストの「惑星」にない楽章はもう一つある。地球である。青い惑星に与えられている神話的名称は、ガイア(大地)である。太古原始のカオスから突如として生じ、神々と万物を生み出した母なるガイア、それが地球である。






金融史がわかれば世界がわかる 3/6~基軸通貨ポンドの誕生

17世紀以降の植民地を相手とする貿易において、英国の主要な輸出品は毛織物であったがインドなどの東方地域では毛織物は風土に馴染まず、結果的に英国は毛織物の輸出を諦め、金や銀と引き換えに香辛料や綿製品を輸入する貿易構造に移っていくことになる。一方でインド製綿製品が国内繊維産業を揺さぶることになり、伝統ある毛織物業、絹織物業が痛手を受けて仕事がなくなってしまったからである。英国内でインド製に負けない綿製品を製造する試みが始まり、これが産業革命の呼び水となったといえるだろう。その結果18世紀末には英国製の綿製品はインド製に追いつき、追い越すこととなる。そして英国の米国からの綿花輸入、英国からアフリカへの綿製品輸出、アフリカから米国への奴隷輸出という三角貿易が構築され、一方でインドの綿工業は急速に没落していくことになった。英国の綿製品輸出はその後20世紀前半まで100年以上にわたって世界の中心に座すことになる。20世紀初頭において世界の主要国の貿易に占める綿製品など繊維製品は約20%を占めており、そのなかでも英国のシェアはほぼ半分近いという圧倒的な規模を誇っていた。貿易量でトップの位置を占める原材料も英国が綿製品の製造に用いるために輸入する綿花の割合が大きく、これらがすべてポンド建てで取引されるのだから、ポンドが基軸通貨として君臨していたのも頷ける。
>食うために働く必要の無い私が、なぜ糸を紡ぐのか、と聞かれるかもしれない。あなたの懐に入ってくるすべての貨幣の跡を
>たどられるがいい。そうすれば、私の言うことが真実なのを実感されるだろう。何人も紡がねばならない。
by マハトマ・ガンディー うーんさすがやねぇ・・・正しいねぇ。
国内での決済であれば国内銀行同士の預金の振り替えなどで完結するが貿易の場合は、決済通貨が当事者国の通貨でなければその通貨が流通する第三国が関与することになる。たとえば、スペインの業者がドイツの企業から工作機械を輸入するとしよう。機械はドイツからスペインに運ばれる。一方、資金の決済としては金銀の地金であればスペインからドイツに貴金属が移動すればよい。だが欧州で発展した為替手形の仕組みは煩わしい貴金属の運搬を必要としなかった。ドイツ企業はスペイン企業に対し、取引銀行の信用状を発行してもらうよう依頼するのである。ドイツ企業は受け取った信用状に船荷証券と輸出手形を添えて自分の取引銀行に買い取ってもらう。これでドイツ企業は機械輸出の資金を回収できたことになる。そのドイツの銀行は買い取った手形を英国の銀行に引き受けてもらう。その手形は満期になるとスペインの銀行によって支払われるが、それは最終的には機械を輸入したスペイン企業に呈示され、輸入代金として決済される。このプロセスにおいて第三国である英国の金融機関が仲介することによって、その間のファイナンスが行われていることになる。これがポンドと英国金融機関の役割であり、簡単に他国の通貨や他国の金融機関が大体できぬ機能であった。
英国金融の始祖「マーチャントバンク」
英国で活躍したマーチャントバンクといえば、ロスチャイルド家とベアリング家が双璧である。ロスチャイルド家は18世紀ドイツのフランクフルトから始まる。古銭商から身をおこしたマイヤー・アムシェルがその家紋であった赤い盾を意味する「ロスチャイルド」商会を創立。だが本格的なロスチャイルドの国際金融ビジネスへの登場はその息子たちが活躍する19世紀であった。マイヤーは5人の息子達をフランクフルト、ウィーン、ロンドン、パリ、ナポリに「国際分散投資」するという手を打った。ワーテルローの戦いで英国ロスチャイルド家が一稼ぎしたのも有名な話だ。政府よりも先に英国ウェリントン将軍の勝利を知ったネイサンは、まず国債市場で売りに出る。ナポレオン優勢との前評判で神経質になっていた市場はネイサンが英国敗北の情報を得たものと考えて狼狽売りに出た。そこでネイサンは買い戻しに入り、巨額の益を得たという話である。
投資一族って何ですか? って聞いてくる読者が居る。こういう意味なのだよ。わかるかね? 5人の子供たちを北京、上海、ジャカルタ、ニューヨーク、ロンドンに国際分散投資するという手を打った。あるものはコモディティ、あるものはプライベートエクイティ、あるものはカジノ経営まで幅広くカバーし、その全てを横断的に、この俺が、デリバティブが、突き刺して見ているのだ。
ともあれマーチャントバンクは、英国が築き上げた世界最大の貿易構造と世界最古の財政システム、および世界最強の海外投資戦略にぴたりと寄り添う形で発展し、20世紀半ばまで英国の金融力をさせえたのである。米国や大陸の外資系資本が支配する現在にあっても、またユーロという新しい通貨圏の外にあっても、英国の金融力は至るところで発揮されている。
【金融・通貨制度】
2011.06.16: 巨大穀物商社 アメリカ食糧戦略のかげに 1/4
2010.07.12: 資本主義はお嫌いですか ~貧しい国々が豊かな国々に貸している
2010.06.02: 数学を使わないデリバティブ講座 ~測度変換
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2007.12.19: 円保有のリスクって? イギリスで学者街道を進む後輩より







金融史がわかれば世界がわかる 2/6~大航海時代と貿易

英国の経済発展の特徴は、貿易と共に金融の覇権を確立したことにあった。世界を股にかけて稼ぎまくった金融覇権の創始者は、後述するロンドンにおけるマーチャントバンカーであった。金融の覇権を握るためには富が蓄積されることが必要である。その富が、交易によるものであることはいうまでもない。近代のお金は、モノ作りでなくモノの大量な販売や価格差を利用した流通メカニズムによって蓄積されていったのである。すなわち、欧州を拠点とするアジアやアメリカ大陸との貿易構造こそが英国の富の源泉となっていく。英国は、産業革命の発生した最初の国であり、それが世界に君臨することになった大きな要因であるという捉え方が一般的に定着している。だが、英国が18~19世紀に国際政治経済社会での挑戦者として様々な強国をノックアウトしえたのは、そうした「モノ作り革命」が直接的な要因なのではない。むしろ、その前に起きた「モノ売買の商業革命」の貢献度を忘れるわけにはいかない。英国の商業革命とは、インドやアメリカなど植民地を巻き込んだ世界的な貿易の発展による貿易量の急増や取引商品の多様化を指す。
貿易と金融とはきわめて重要な関係にある。モノを売った人が、それを現金として手に入れるまでの間、銀行などからお金を借りるのは、金融取引の一つである。国内取引に比べて貿易取引においては、その期間も長くなり、金額も大きくなる。さらに何といっても国をまたぐという物理的な距離がある。こうした金融を可能にするにはさまざまなノウハウが必要となるが貿易量の拡大によって英国はこうした金融業の地位を不動のものにした。
欧州各国の植民地政策は、スペインやポルトガルの両国が大航海時代を通じて世界地図を押し広げて行ったところから始まる。英国も1600年に東インド会社を設立し、喜望峰からマゼラン海峡まで、インドを中心とした貿易を独占していた。だが、英国はそれに満足せず、当時の強国オランダの海運・貿易での覇権を打倒しようと航海条例でオランダの中継貿易を阻止、結局3度にわたる英蘭戦争でオランダの衰退を決定的にした。さらに英仏7年戦争やスペイン継承戦争の勝利で先進諸国の植民地を獲得しつつ、アメリカを中心とする貿易体制を確立し、挑戦者から世界に冠たる大国に変身していったのである。戦費の調達はどの国でも悩みの種であったが、英国は17世紀末には国債発行制度が導入され、それを引き受ける中央銀行が設立されていた。これは英国の財政革命と呼ばれる。こうした財政の安定化こそが、さまざまな戦争の継続を可能にし、強力な海軍を支えることになったのである。軍事力と金融には密接な関係があった。
銀貨や金貨と並んで紙幣は経済社会でどういう役割を果たしていただろうか。紙幣はまず政府が借金をするための証書として登場する。英国で1694年に世界で初めて設立された中央銀行の最初の仕事は、国に対する貸付であったが、国は中銀から受け取った銀行券で戦争遂行に必要な物資を購入したため、その銀行券が貨幣として流通を始めることになった。中銀の発行する紙幣が、金との兌換を裏づけにして流動性を増し、紙幣の流通市場を形作るというシステムがすでに英国で生まれていたのである。
民間の銀行が発行する銀行券は、ジョン・ローがフランス王室の庇護の下でジェネラール銀行を設立して銀行券を発行したことで有名である。土地を担保とする紙幣を導入するという画期的なアイデアを説いてまわり、この銀行券は大量に発行され、広域に流通し、フランス経済に活況をもたらしたかにみえたが、1710年にはすでにその実態を伴わない紙幣に対しての信用は崩れだすと元には戻らない。
英国ではすでに中央銀行制度ができあがっており、銀行券も広く市中に浸透していた。それだけでなく東インド会社の社債や、南海会社の株式が活発に売買されるなど銀貨や金貨とは異なる金融手段も登場しているのが注目される。だが、18世紀末には国内外の政治的不安などを背景に紙幣を金に換金する動きが高まったため、英国は一時的に紙幣と金貨の兌換を停止することになる。その結果、金との連結性が失われて、紙幣残高は急増しインフレ率が急上昇したため、紙幣価値は下落した。英国はこうした観点からも金の役割を再度重視せざるを得なくなった。英国政府ならびに英国中銀は金が交換価値の尺度であり、貨幣価値の拠り所であることを再確認することになったのである。1816年、英国は貨幣法成立によって世界で最初に金本位制を導入し、1ポンドに相当する新しい金貨を鋳造するとともに、1821年には金と交換できることを記した兌換紙幣を発行することになった。現在流通しているポンド札には「この紙幣の所持人にはXXポンド支払うことを約束する」という英国中銀総裁の文言が刻まれている。現代となってはほとんど意味がないが、その文言を削除しないところに英国の伝統的な通貨制度に対する思い入れを見るようである。

金融史がわかれば世界がわかる―「金融力」とは何か (ちくま新書)
金融史がわかれば世界がわかる―「金融力」とは何か (ちくま新書) 倉都 康行

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【資源獲得競争】
2011.11.16|コカインの次は金-コロンビアのゲリラ
2011.09.26: ダイヤモンドの話2/5 ~持つべき者
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2011.04.06: 石油戦略と暗殺の政治学
2010.12.02: 田中角栄 人を動かすスピーチ術
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2010.06.01: インド対パキスタン ~インドの核開発
2010.03.02: テロ・マネー ~血に染まったダイヤモンド
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2008.11.11: ユダヤが解ると世界が見えてくる
2008.04.29: 世界の食糧自給率



金融史がわかれば世界がわかる 1/6~銀本位制から金本位制

倉都さん好きなんで、これも金融機関にお勤めの方には、推薦図書です。前に読んだ「国家と金融」が面白かったのでまた買ってみました。
金融力とは何か
「経済力」は一般的に用いられる用語であるが、金融力という言葉はあまり用いられない。経済と金融とは明らかに異なる分野(密接な関係にあるが)であって経済力という概念があるのなら金融力という捉え方もできるはずだ。たとえば、日本には経済力はあるが金融力は乏しい、ということができそうだ。一方、現代の米国は、経済力も金融力も世界一だといえば、誰もが納得するだろう。
 金融力とは、保有資産の金額で決まるものではない。国債の発行高や株式の時価総額といった規模で測れるものでもない。もちろん基軸通貨であるかないかは大きな要因であるが、基軸通貨ではないユーロの金融力は徐々にではあるものの、着実に強化されているとみることができる。現代世界の金融力とは、金融政策への信頼性、民間金融機関の経営力の強さ、市場構造の効率性、金融理論の浸透度、新技術や新商品の開発力、会計や税制などのインフラの強さ、お金の運用力、金融情報提供・分析力など、さまざまに組み合わされる構成要素が、総合的な目で評価されるものだと考えることができる。
倉都先生、金融力の定量的な規定は難しいとお考えですか? 上記のものが一つの数値になって現れることを私はよく知っていますよ。
株式の流動性です。つまり、売買代金を見てください。国家の総和が金融力の定量化現象です。いかがですか?
英国の通貨単位であるポンドは、正式にはポンド・スターリング(Pound Sterling)と呼ばれ、スターリングとは純銀のことであって、ポンドの語源は古代ローマの重さの表示である。直訳すれば純銀の重さとなる。金融の世界はポンドを£という記号で表示することが多いが、それはラテン語でpoundを表す”libra”の頭文字であるLを象ったものである。これが英国通貨の単位になったのは古代ローマで1ポンドの重量の銀から240個の銀貨を作った故事に由来するといわれている。
銀貨の歴史は相当に古く、メソポタミアやエジプトの時代にまで遡る必要があるからだ。紀元前30世紀頃には銀の価値は、金より大きく上回っていたとされる。金が砂金などの状態で存在するのに対して、銀は鉱石の中から取り出す必要があり、精錬法がない時代には銀の価値が高かったのである。それが次第に逆転していくのは精錬法の発達に加えて銀鉱山の発見などによって産出量が増加したことが背景にある。銀を銀貨として利用頻度を高めたのはローマ帝国であり、そこでは金貨や銀貨、青銅貨が鋳造された。だが10世紀前後には商取引の活性化で少額貨幣への需要が高まり、銀貨の中でもとくにペニー銀貨と呼ばれるコインの流通が普及する。
銀はアジアから胡椒や絹、綿製品などを輸入する欧州諸国にとっては決定的に重要な存在になった。大規模な交易が始まった15世紀以降、欧州はその見返りに東方へ輸出するものがあまりなかったからである。こうして銀の採掘や精錬が急ピッチで進められる中で、銀の取り扱いに目をつけたのが、南ドイツのフッガー家であった。これはユダヤ系商人が国際金融の場で活躍することになる初期の例である。フッガー家は銀取引で莫大な利益を上げ、地方の諸侯だけでなくローマ帝国の皇帝やローマ教皇にも融資を行うといった金融業を開始する。当時、ローマ教皇は自身の資金調達のために免罪符を販売したことは有名だが、それはフッガー家からの借り入れの返済に充てられたという。またローマ皇帝の選挙の際に、選挙民を買収する資金としてフッガー家から借り入れをしたという記録もある。マルティン・ルターが行う宗教改革の裏側には、こうした銀を取り巻く金融ビジネスがあった。
だが世界の貿易決済の硬貨として君臨したその銀も、17世紀後半から徐々に通貨として金とのバランスが崩れ始める。当時の欧州諸国での通貨体制は、金と銀が並存する金銀複本位制となっており、政府はその比率をどう調整するかは常に頭の痛い問題であった。中世を通じては1:12で安定したといわれる金と銀の価値比率が、銀の大量産出による価格革命によって大きく揺らぎ始めたことへの対応は、かなり難しい課題であった。当時は銀貨が中心的な存在であったため、銀の価値が下落することが問題であった。英国は1ポンド金貨の価値を下げて銀貨を安定化させるために、あの万有引力の発見者であるニュートンの知恵を借りることとなった。ニュートンは類稀なる数学者として、また最後の魔術師(ケインズ)と呼ばれた錬金術師としても有名であるが、英国の造幣局長官としての顔をもっている
マジかよ・・・、ニュートンも株で損したみたいな逸話は知っていたが・・・
ニュートンは1717年にギニー金貨の交換比率を21枚の銀貨とすべしと切り下げを提案した。この平価は1931年に英国が金本位制を離脱するまで200年以上にわたって続くことになった。これを金と銀の比率に直すと1:15.21となる。

【金と金融の意義】
2011.09.30: 幻の米金貨ダブルイーグルめぐる裁判
2011.03.04: マルサの女 名シーン名台詞特集 2/3
2010.11.26: 初等ヤクザの犯罪学教室 ~銀行強盗成功のための傾向と対策
2010.09.28: 世界四大宗教の経済学 ~キリスト教とお金
2010.08.16: 株メール Q2.企業業績とは何か?
2010.07.09: 資本主義はお嫌いですか ~大ペテン師 ジョン・ロウ
2010.02.09: デリバティブ理論講座のお題
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2009.10.22: お金と人の行動の法則
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2008.10.10: あなたが信じているのはお金だけなの?





ギリシア神話 神々と英雄に出会う14/17 ~怪物の系譜

ケンタウロス、ハリーポッターシリーズとは大違いで、ギリシアの半人半馬の種族は野蛮で攻撃的、加えて好色で、酒に酔うと手がつけられないほど凶暴になる。ケンタウロス族は粗野で野卑な性格であるが、聡明なケイロンや善良なポロスのような例外もいた。
スピンクス、女性の顔とライオンの胴体と鳥の翼を持つ。オイディプスによって倒される。オイディプスは脹れる(oidein)と足(pous)に由来しし脹れ足を意味する。テーバイの王ライオスは、子をもうけてはならないという神託にもかかわらず、妻イオカステとの間に息子を得た。産まれた赤子は足にピンで傷をつけられて山中に捨てられたが、この腫れ足の子は拾われ、コリントスの王の子として育てられた。オイディプスはこの事実を知らずに成長したが、ある日コリントスの王の実の息子ではないと友人から告げられた。彼は衝撃を受け、神託をを求めてデルポイに向かう。だが、アポロン神から告げられた託宣は「父を殺し、母と結ばれるであろう」というさらにショッキングなものであった。そこで彼は神託の実現を恐れて、コリントスには戻らずに漂泊の旅を続けた。オイディプスがある狭い三叉路にさしかかったとき、すれ違いざまに口論になり、相手を誤って殺害してしまう。その人こそ、ほかならぬ事実の父親ライオスであったが、この恐るべき事実はずっと後になってから判明する。オイディプスがテーバイまでやってくると、スピンクスが彼に謎かけを挑んだ。スピンクスはこの町の人々に謎をかけ、正解できない者をむさぼり食う怪物であった。「一つの声を持ち、朝は4本足、昼は二本足、夜は3本足のものは何かというものであった。オイディプスはこの謎に対して無言で自分自身を指差して答えた。怪物は崖から身を投げた。スピンクスを成敗した者が先王の后と結婚してテーバイの王位を継ぐことになっていた。この布告に従ってオイディプスは真実を知らないまま、自分の母親と結婚した。その後何年も経ってから、飢饉がテーバイの国を襲い、その原因を究明するうちに、オイディプス自身にすら隠されていた運命的な恐るべき秘密が白日のもとにさらされた。このとき彼は自らの手で両眼を潰し、杖の助けを借りながら諸国を放浪する身となったのである。
>また来ました。父親殺し。
セイレンとハルピュイア、人間と鳥のハイブリッド。「オデュッセイア第12歌」で船乗り達はセイレンの甘美な歌声に魅了されて船の操縦を誤り、難破の憂き目に会う。「アルゴナウティカ」、ウェルギリウス「アエネイス第3歌」にハルピュイアは登場し、鉤爪で乙女の顔をした鳥、この世で最も恐ろしい怪物とも描写している。アルゴナウティカ第2歌ではアルゴ号の遠征隊と盲目の預言者で王でもあったピネウスとの出会いを描く。ピネウスが食事に手をつけようとすると、どこからともなく飛んできて、嘴で食べ物を横取りし、後にはすさまじい悪臭を残していくのであった。しかしアルゴ船の冒険に加わっていたボレアスたち(北風の擬人化)がこの猛禽たちを追い払った。
エキドナとデュポン エキドナの上半身は美しい女性であるが、下半身は巨大な蛇である。エキドナは数々の畸形の怪物たちをこの世に生み出している。デュポンはゼウスの最後の敵として戦って敗れた超巨大怪物である。「神統記」はこれ以上奇怪なものはおそらくないだろうといわんばかりに、テュポンの描写に力を注ぐ。その肩からは黒い舌をちらつかせる蛇が100匹もついた首が伸び、その眼は爛々と炎を放つ。姿以上におぞましいのはその声である・・・
怪物の意味
怪物の闘争は例外なく、オリュンポスの神々や英雄たちの勝利に終わる。怪物の惨敗という頻繁に繰り返されるパターンにはどんなメッセージがこめられているのであろうか。オリュンポスという権力、つまりギリシア神話における秩序維持の側に立つ者は、たとえ異型であろうとも優遇される。逆に言うと怪物とは体制に与しない者に与えられた名称であり、それゆえにこそ怪物には、正常から逸脱した特異な容貌という負の烙印が押されるのである。次に怪物の系譜をたどるとポントス(海)に連なるものが多いことに気づく。エキドナもポントスの子孫である。海を支配する神ポセイドンは常に神罰として海から怪物を出現させる。海は今でも決して侮ることのできない恐ろしさを秘めている。ましてや航海術や造船技術が未発達だった時代には、人々の心に想像を絶するほどの大きな恐怖をもたらしたことであろう。さらに怪物たちは太古の世界の生成過程の初期に出現したという特徴がある。なかでも海の末裔の怪物は原初の世界の混沌や無秩序の名残であるといえるだろう。一方、怪物に退治する英雄は野蛮と未開に対置される文明と文化のシンボルである。怪物たちの棲息地に目を向けるとほとんどのものはギリシアの中心ではなく遠く離れた場所に住んでいる。理想像としての人間を怪物や野獣と対比して考えた。対ペルシア戦での勝利のあとには、非ギリシア人への意識が強まり、その対比において、人間の概念がギリシア人に狭められていく傾向があった。
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下山事件 最後の証言 2/2 ~国鉄利権とフィクサー

矢板玄
昭和電工に入社し、昭和10年頃に陸軍の電機技師として中国大陸に渡り、満州鉄道の開発に従事。後に児玉誉士夫の誘いを受けて軍属となり「矢板機関」を組織。上海、香港、南方戦線における物資調達に奔走した。昭和15年には支那事変における功績により、弱冠25歳で勲六等瑞宝章を受章。翌年帰国し、「聖戦技術協会アジア産業」(後の亜細亜産業)を設立した。戦後はGHQ顧問として民生に参画。後に三菱化成重役顧問。
矢板機関は児玉誉士夫が後見人となって設立したと聞いているが。
「児玉誉士夫? 冗談言うなよ。あの頃、児玉は、親父の仲間じゃ一番下っ端だったんだ。俺の後見人は、三浦義一。知ってるか? それに東条英機だ。だいたい児玉は日本人じゃない。」
親父(矢板玄蕃)と三浦義一が、大蔵省の迫水と組んで金銀運営会というのをやっていたんだ。その事務所がライカビルの4階にあった。戦時中に国が国民から指輪やネックレスなんかの貴金属を供出させたのは知ってるだろう。それを潰して金の延べ棒にして全部打ちに集まってくるわけさ。」
その金やダイヤモンドは何に使ったのか?
「金は戦時中は物資調達だ。ダイヤ以外は俺達の小遣いだよ。ダイヤは別にしてとっていた。あれは粉にして大砲の砲身の中を磨くんで貴重だったんだよ。ところがいきなり終戦で親父のところに山ほどダイヤが残っちまった。どうしようかと思っているところに今度は児玉誉士夫が大陸からごっそりダイヤとプラチナをもってかえってきた。そのダイヤを朝日新聞の飛行機で運ばせたと自慢していた。ある日、いきなり自分でトラックを運転してきて、これを隠しといてくれってプラチナを何本かとダイヤを一袋置いていった。残りはGHQと辻嘉六に渡すとか言ってたな。それでそのダイヤとうちのとを混ぜちゃったんだよ。一時は井鉢に三杯くらいはあったんじゃないか」
なぜダイヤを混ぜたのか?
「そのほうが都合が良かったんだ。どうせ最後には国に返すか、アメリカに取られるかだろう。だから一度混ぜて、いいのと悪いのを分けて、悪いほうをウィロビーに持って行った。いいのはとっておいて黒磯(栃木県黒磯市)の山の中に埋めたんだ。後でそれを児玉と山分けにした」
鹿地亘事件とキャノン
キャノン機関を有名にした一つの事件がある。昭和26年11月25日夕刻、藤沢市鵠沼で一人の日本人が数人のGHQ関係者に拉致された。男はそのまま車で東京に移送され、本郷の岩崎別邸に監禁。その後11月29日に川崎市丸子の東川クラブ(東京銀行の施設、戦後GHQが接収)に身柄を移され、さらに茅ヶ崎のC31号館、渋谷区猿楽町のUS660号館などを転々としながらおよそ1年を囚われの身として過ごすことになる。男の名は鹿地亘、当時48歳。一般にはプロレタリア文学の作家として知られ、戦時中は共産党の思想家として治安維持法違反で服役。その後、上海に渡り内山完造、魯迅などと交流した。また近年はCIC(対敵諜報部隊)の機密文書により、戦時中から大陸でアメリカ当局に協力し、OSS(米戦略情報局)に雇われていたことが明らかになった。(春名幹男著『秘密のファイル』)
 いわゆる「鹿地亘事件」である。後に事件はキャノン中佐の横浜の自宅のハウスボーイだった山田善二郎の証言により明らかになり、政界を巻き込む騒動となった。主謀者はキャノン中佐とビクター・松井准尉を含むキャノン機関のメンバーで、当時ソビエトに太いパイプを持っていた鹿地をダブル・エージェント(二重スパイ)に仕立てることが目的だった。キャノン中佐は、謎の多い人物だった。本名はジャック・C・キャノン。1914年、ドイツ系移民の子としてテキサス州に生まれた。父親は保険の外交員だった。
対ソ戦時下の国鉄輸送
国鉄利権 「戦後、国鉄の民営化という話を耳にしたことなかったかな・・・」「まあ、そういう議論はいつの世にもあったよ。造船業界や亜細亜産業でもよくそんなことを話してた。田中清玄とか四元義隆なんかは民営化論者だったね・・・」
四元義隆、1908年鹿児島県生まれ、東大法学部卒。学生右翼組織「七生社」を経て「金鶏学院」に入り、昭和7年2月9日の「血盟団事件」に参画した。海烈号事件の三上卓らが犬養首相を暗殺した「5・15事件」が起きている。吉田茂から細川護煕に至る戦後の歴代の首相、政権に絶大な影響力を誇った人物だ。
 四元が寵愛した政治家の一人に、中曽根康弘元首相がいる。ロッキード事件で中曽根の関与が取り沙汰された時、稲葉修法相に圧力をかけてもみ消したことを自ら認めている。国鉄が民営化されてJRに生まれ変わったのは、その中曽根が首相を務めた昭和62年のことだった。
【フィクサー・陰の存在】
2011.12.08: 京都の影の権力者たち
2011.06.28: 青雲の大和 ~鎌足の謀略 2/3
2011.01.06: イトマン・住銀事件 ~主役のお二人
2010.10.15: 道路の権力2
2010.07.27: 闇権力の執行人 ~逮捕と疑惑闇権力の執行人 ~逮捕と疑惑 
2010.04.08: 野中広務 差別と権力 ~伝説の男
2010.03.03: テロ・マネー ~暗躍する死の商人
2010.01.26: 黒幕―昭和闇の支配者
2009.03.23: 闇将軍
2008.07.08: Richest Hedge Fund Managers



下山事件 最後の証言 1/2 ~国鉄合理化

事件の概要は下記に載っているのでご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
あの事件をやったのはね、もしかしたら兄さん(柴田宏ゆたか)かもしれない・・・
亜細亜産業、祖父が戦時中から戦後まで勤めていた貿易会社だ。本社は日本橋室町の通称「ライカビル」の中にあった。業務内容は生前の祖父の言葉を信じるならば「パルプ産業、もしくは貿易業」ということになる。また戦後はGHQ(連合軍総司令部)に家具や文具、日用雑貨なども納入していた。
国鉄合理化に伴う10万人規模の人員整理 リストラ計画
本社側が”整理断行”と出て、熱海の国労大会では”ストを含む実力行使”と強い宣言が発せられても、いまだに実行行為にはいらない慎重な労組の態度に、本社側が労使の立場をこえて親愛感を現したかったのだともいわれている。国鉄の人間関係をながめると幹部といっても出発点では地位の上下もなく、同じ作業衣をきて機関車のハンドルを握り、あるいは駅の改札に一緒に立ち、帳簿をつけた人たちである。いわゆる同じカマの飯を食い、喜怒哀楽をともにした仲間だった。労組と左派と民主化同盟に二分していても、もとの職場では同じ技術屋であり、事務屋で肩を並べた人たちである。下山総裁に限らず有資格の幹部たちは、国鉄にはいったときは全国各地で1年生として現場からたたきあげられ、育てられた人たちとは死ぬまでつきあうという気風ができていた。いわゆる”国鉄一家”の風は、民主化の時代の波をこえ、労使という対立関係をこえて、この危険をはらんだ時期にも、その底に流れていたのである。
現場近くの末広旅館で下山総裁らしき人物が休息したという証言がある。人相、服装がよく似ているというわけで、自殺説をとる人はこの証言を根拠にしている。しかし私は、おそらくこの末広旅館の下山氏は替え玉だと思う。旅館の人も総裁その人を知っているわけではない。この事件は右翼、あるいはアメリカが共産党弾圧の口実を作るためにやったのだという説もある。しかし赤色テロの謀略でこそあれ、アメリカがこのような事件を起こす必要はどこにもなかった。私は下山総裁の死は徒死ではなかったと思う。事件を契機に国鉄大整理も進行、無事終了した。その意味ではこの年は日本の経済が立ち直る契機をつかんだエポックメイキングな年でもあったからだ。
GHQオーストラリア軍のルー・キャメロンという軍人は「ユタカはスパイだった。ショーデン(昭和電工)で汚職事件があっただろう。それを解決したのがユタカだよ。彼はアメリカのGHQの将校とも友達でね。G2(参謀第二部)のウィロビーとも付き合っていた。ユタカは大物だったんだ」
三鷹事件の起きた7月15日は下山事件からちょうど10日後だった。母が事故現場を見に行った16日に、吉田茂首相は事故を「一部の労組であり共産主義者の扇動によるもの」とする声明を発表。検察当局は共産党員による犯行と断定し、「電車往来危険転覆致死」の罪状で党員など10名を逮捕した。これを機に共産党は急激に求心力を失い、ほぼ無抵抗のままに7月21日の9万4300人あまりの大量解雇を受け入れることになる。さらに追い討ちをかけるように、福島県内で松川事件が起こる。機関士など3名が死亡する惨事となった。これも福島県警により「労組左派による犯行」と断定され、東芝松川工場の組合員など20名が逮捕起訴された。(後に全員無罪)

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【国家権力による搾取】
2012.01.10: 競争と公平感 市場経済の本当のメリット 3/3 ~規制と経済効果
2011.10.12: 日本中枢の崩壊 1/2 東電
2011.08.05: 金賢姫全告白 いま、女として2/6 ~今、君が嘘をついた
2010.10.14: 道路の権力1
2010.08.24: 中国の家計に約117兆円の隠れ収入、GDPの3割
2010.07.05: 警視庁ウラ金担当
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2008.09.24: 俺の欲しいもの
2008.09.23: 被支配階級の特権
2008.07.18: Olympic記念通貨に見る投資可能性




ギリシア神話 神々と英雄に出会う13/17 ~怪物老現学

ギリシア神話の怪物は、ほぼ3つのタイプに分けられる。巨体タイプ、器官の欠損/過剰タイプ、そして異種混合のハイブリッド・タイプである。ギリシア神話における最も代表的な巨体型は、ギガス、キュクロプス、ヘカトンケイルである。ギガス(Gigas)は、クロノスが父のウラノスを去勢した時、その生殖器から流れ出た血のしずくをガイアが受け止めて生んだ巨人族である。英語のgiant(巨人、大男)は、ギリシア語の形容詞のgigasの語幹gigant-にさかのぼる。巨人族は戦いを好む傲岸不遜な無法者で、オリュンポスの神々による神界制覇を妨害する敵対者である。巨人族との戦い(ギガントマキア)はティタン神族との争い(ティタノマキア)としばしば混同されるが、両者は別物である。ゼウスがティタン神族を破って奈落の底に幽閉したとき、ガイアがギガスたちを奮起させて支配者に反乱を起こさせようとしたことからオリュンポス神族と巨人族の戦いが始まった。この戦いでオリュンポス神族に勝利をもたらしたのは、意外なことにヘラクレスである。この剛勇の登場には、一つの予言が関係している。その予言は、巨人族は神々の力だけでは滅ぼされず、人間の力を借りなければ征服されないというものであった。この予言を知っていたガイアは先手を打ち、巨人族をあらゆる敵から守る魔法の薬草を生じさせた。しかし、ゼウスは太陽と月と曙に出現を禁じて、その薬草の育成を妨げ、それを摘み取ってしまう。そしてアテナを通してヘラクレスを呼び寄せ、ガイアの企みを阻止した。巨人族との激しい戦闘は、ヘラクレスが放った矢によって終止符を打たれる。
器官の欠損/過剰タイプでも尺度の基準を通常形態におくことが暗黙の前提になっている。とはいえ、バリエーションの点ではギリシア神話は中世や近世のヨーロッパほど豊富ではない。中世以降にはあらん限りの想像力を駆使した奇抜で不思議な生き物たちが跳梁跋扈する。器官欠損タイプの最も代表的なものは、目が一つしかないキュクロプスである。キュクロプスは巨人でもあるので巨体タイプとの混合型である。ヘシオドス『神統記』に登場する3人のキュクロプスたちは父ウラノスによって地下に幽閉されたが後にゼウスによって解放され感謝のしるしとしてこのオリュンポスの最高神に雷のパワーを授けた。「オデュッセイア第9歌」にも登場するが「神統記」とは系譜が異なり、海神ポセイドンの息子である。ポリュペモスという名の一つ目巨人は礼儀作法とは無縁な、粗野で残忍な怪物であった。
 グライアイは3人の老婆たちで3人合わせても目が一つと歯が一本しかなく、その共有している一眼一歯を交代で使うのである。グライアイはゴルゴン退治の冒険談に登場する。ゴルゴンとグライアイは同じ両親から生まれ、ペルセウスはゴルゴンのところに行くために、彼女達の目と歯を取り上げ、ゴルゴンの居場所を教えなければそれらを返さないと恫喝することによって、冒険の目的地がどこにあるかを聞き出した。グライアイは危害を加えるような破壊的な怪物ではなく、むしろ同情を誘う。器官過剰タイプは欠損タイプより頻繁に登場する。腕が100本あるヘカトンケイル、体中に目が100個ついているアルゴス、複数の頭がついているヒュドラ、ケルベロス、ゲリュオン
ハイブリッド・タイプにはキマイラ、頭がライオン、胴体がヤギ、尻尾が蛇で口からは火を吹き出す。(ベレロポンに倒される)
ミノタウロス、頭部だけが牛で首からは下は人間。ミノス王の妻パシパエの子。(テセウスに倒される)
メドゥサ、ゴルゴン三姉妹のうち、二人は不死であったが、メドゥサだけは死すべき運命のみ。(ペルセウスに倒される)
オウィディウスの「変身物語第4巻」によると、メドゥサはとりわけ髪の麗しさがきわだつ美女であったが、アテナ女神の神殿で海神ポセイドンと交わったため、この不敬な行為への罰として、女神はメデゥサの頭髪を醜い蛇に変えたという。ペルセウスは蛇髪の怪女を討ち取ると宣言したものの、その居場所さえわからない。グライアイから場所を聞き出し、次に別のところに行って妖精たちから翼のついたサンダルとかぶると姿の見えなくなる魔法の帽子、そしてゴルゴンの首を入れる袋を借り受けた。また、ヘルメスからは、金剛の鎌を授けられた。ペルセウスは有翼のサンダルで一足飛びに西の果てに到着すると眠っているメドゥサの姿を盾に映し出し、直視しないように目をそむけながらその首を鎌で掻き切ると袋につめて即座に逃げ去った。他の二人のゴルゴンが緊急事態に気づいてすぐにペルセウスを追いかけたが、魔法の帽子をかぶった彼の姿は誰にも見えない。こうしてペルセウスは難なくメメドゥサを討ち取った。ペルセウスは母親ダナエのところに戻り、母を苦しめてきたアクリシオス王にメドゥサの首を示すと、王はたちまち不動の石と化した。邪悪な王への復讐を遂げたペルセウスは、援助を与えてくれた女神アテナに感謝のしるしとしてメドゥサの首を贈ったのである。アテナはアイギスという山羊皮のケープのようなものをいつもまとっているが、これをペルセウスからの贈り物で飾り、常にゴルゴンの首を身につけている。この蛇髪女の頭部はゴルゴネイオンと呼ばれ、古代から頻繁に形象化された。魔除けとして、盾や武器、あるいは屋根瓦、印章などを飾り、実生活でもゴルゴネイオンには恐るべき魔力があると信じられた。一方、メドゥサのほうは英雄ペルセウスに頭を切り落とされた時、すでにポセイドンの子を宿していた。そして刎ねられた喉元から、有翼の馬ペガソスとクリュサオルが生まれた。クリュサオルは「黄金の剣を持つ者」を意味し、自身はこれといった特徴を持つ怪物ではなかったが、三頭三身のゲリュオンを生んだ。


同和中毒都市

2002年3月末をもって1966年以来33年続いた国の同和対策事業特別法体制が終焉した。特別法体制とは「同和問題の解決は国民的課題であり、国の責務である」と位置づけ、国が予算をつけて地方自治体に同和地区の住環境整備事業や、教育の機会均等をはかるための奨学金事業など、部落問題(同和問題)解決のための取り組みを集中的に推進させてきた体制のことである。
隣保館職員の受難
京都市内の同和地区内にある隣保館近くの路上でHは隣保館長と職員に殴りかかった。職員は大腿部打撲などで全治三週間のケガをおった。Hは事件を起こした同和地区内の改良住宅に住んでいる。地区内には違法駐車が耐えない。たんなる違法駐車というものではなく、市道上に住民が柵かタイヤを置き、あたかも自分が専有する駐車場であることを主張するかのような状況が、長期に渡ってつくられている。Hは母親に買ってもらった黒のフェアレディZをいつもそこに止めていたが、柵やタイヤで仕切ることをしていなかったため、見知らぬ白い車が駐車してあった。Hは隣保館に飛び込み「ワシの車停める場所に他の車が停まっている。はよどけさせ」と命じて、車の持ち主を調べさせて移動させるのはHだけでなく、ここの住民が当然のようにやっていることだった。「本来の職務ではないが、これまでの慣例で住民サービスとしてやっているもの」(隣保館長の供述)
奨学金、一人毎月34万円の例も
同和地区の高校生・大学生を対象とする京都市同和奨学金制度は1961年にはじまり、69年以降2/3を国庫補助が出るようになり拡充されてきた。国の方針転換を受けて83年からは給付制から貸与制になり、88年からは所得制限も導入されている。ただしこれと同時に市では「就学奨励金」という所得制限の無い独自の制度を新設、事実上、地区の全高校生・大学生を対象とした奨学金制度を継続した。同和奨励金はいずれも無利息貸与である。1995年市議会で共産党議員から同和奨学金の返還状況を追及されて、薦田守弘副市長はこう答えた。「同和奨学金を自分で返済している人はいない。市が全て立替支給しているのは良い制度とは言えないが、就職後も何十年にわたって同和奨学金を受けたと言われ続けることがいいことなのかと思う」
公金を支出した部落開放同盟による温泉旅行、特定住民のみを対象にした市主催の温泉・慰安旅行。同和地区内の自治会の主催する学習会を名目とした旅行に対しても京都市は助成金を出しているのだ。
関西の同和行政事情 おおざっぱに京都市、神戸市、大阪市を比較
もっとも問題なく同和対策事業終結を達成したのは神戸市。1980年代から改良住宅家賃適正化(値上げ)を期に、全開連は補助金や減税などの特権的な事業・制度をみずから次々に返上していった。大阪市では02年度の実質的な同和対策予算は3億円の増額、30年間に返済されるあてもないまま担保も取らずに70億円以上の闇融資してきた同和系民間病院の存在、約7ヘクタールに及ぶ塩漬け土地など深刻な未解決・未整理問題が多い。
公営住宅法の改正により1998年から全国の公営住宅家賃は入居世帯の収入と住宅の広さ、利便性によって定める。いわゆる応能応益制度が導入されているが京都市内の改良住宅に限り、氏の判断でその適用から除外している。収入に関わりなく安いところで4100円(30㎡)、最高レベルでも22000円(65㎡)という水準で維持されたままだ。
同和地区産業融資制度とは、担保も保証人もいらない、最高450万円、返済期間7年、金利は一般特別融資4%に対し2.7%。資金自体は金融機関が出すが返済が滞った場合、京都信用保証協会が代位弁済し京都市がその2割を保証協会に損失補てんする仕組みだ。融資資格は同和地区内の業者で同一事業を6ヶ月以上継続して、過去に延滞・代位弁済がなく、生活保護、雇用保険失業手当の給付を受けていないことなどである。この制度を融資資格のない暴力団組員らが同和地区に住民票を移動し、実態のない家屋解体業者などになりすまして最高額450万円を騙し取っていた。
服部本人は自分が実際には解体業をやっていないことなどわからないはずはなかったと主張している。
「パッと見ても(自分の風体は)ズブの素人には見えへんやろうしね、そんなん貸してくれへんやろうと思ってました。指も二本ないし、書類書くのにも隠しようがないし・・・」

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【差別被差別構造】
2012.01.27: 話題の大阪の地域別所得は
2011.07.15: 松本復興相、宮城県の村井知事を叱責
2011.04.22: 美智子さまと皇族たち1/4 ~天皇制と皇室
2011.02.28: アジア発展の構図 ~ASEANの発展 3/4
2010.09.27: 世界四大宗教の経済学 ~ユダヤ批判
2010.08.10: 母と差別
2010.04.02: 野中広務 差別と権力 ~被差別の成立
2009.07.15: 無差別な世界に思える国際都市
2008.01.09: どうでも良い芸能ネタも外人相手だと



ギリシア神話 神々と英雄に出会う12/17 ~ヘラクレス

オリュンピア競技会は剛勇ヘラクレスの12功業の一つに端を発する。12功業とはヘラクレスが従兄弟のエウリュステウス王からの命令でなし遂げた12の難題である。そのうち一つがオリュンピア競技会の設立と関連している。アウゲイアスはオリュンピアを含むエリス地方の伝説的な王で非常に多くの牛を飼っており、その数は3000頭ともいう。その牛舎は一度も掃除されたことがなく、家畜小屋には牛の糞が山のように積もって悪臭に満ちていた。ヘラクレスに与えられた課題はこの不潔な牛小屋を掃除することであったが、彼は瞬時にそれを終えた。近くに流れる2つの川の流れを変え、水力を利用して家畜の糞尿を一気に小屋の外に流し出したのであった。アウゲイアスはヘラクラスと約束を交わしていた。小屋を一日で掃除すれば家畜の1割を謝礼として渡す。ところが実際にその仕事が完遂されると、王はヘラクレスに約束の報酬を与えなかったばかりではなく、彼をエリス地方から追い出してしまった。ヘラクレスはこの約束不履行に対する報復を忘れなかった。後に軍勢を集めてアウゲイアス王に攻撃をしかけ、激しい攻防の末、ヘラクレスは王を打ち破った。そして勝利を授けてくれたゼウスへの感謝をこめて、オリュンピアの森を切り開き、祭壇を築いて競技会を設けたのだと伝えられている。
 ヘラクレスの父はゼウス、母はアルクメネという名の人間の女性である。彼女にはアンピトリュオンという婚約者がいたが、彼が留守の間にゼウスが婚約者の姿をとって彼女に近づき、思いを遂げた。翌日、婚約者のアンピトリュオンを戻り、結果的にアルクメネは双子を出産した。一人はゼウスの子ヘラクレス、そしてもう一人は婚約者イピクレスであったが、似ても似つかぬ双子であった。ヘラクレスが誕生する直前に、ゼウスは迂闊にも「将来アルゴスの王となる子がまもなく生まれる」と宣言してしまった。これを聞いたヘラの心は穏やかではない。そこでヘラはアルクメネの子ヘラクレスの誕生をわざと遅らせ、その一方で、ヘラクレスの従兄弟にあたるエウリュステウスを未熟児のまま先に生まれさせた。ヘラのこのような策略によってアルゴスの王位はヘラクレスから奪われ、従兄弟のエウリュステウスに移った。
12功業とエウリュステウス
ヘラクレスはヘラの嫉妬のせいで一時的に狂い、我が子を火の中に投じた。正気に戻ると、彼は自分の侵した罪を悟り、殺人の罪を償うためにアポロンの神託を伺った。すると「従兄弟のアルゴス王エウリュステウスに12年間使え、王が命じる仕事を成し遂げなければならない」と告げられた。エウリュステウスの命を受けて行われた課題、それがヘラクレスの12功業である。エウリュステウスは卑劣で臆病な王であった。そんな人物に奴隷のように仕えるのは屈辱的なことであるが、神託は「無理難題を終えたあかつきには、父子が約束される」とも告げた。ヘラクレスは幼少時に祖父の名を受け継ぎ、アルカイオスと呼ばれていた。しかし、ヘラの課す厳しい試練をくぐりぬけたならば、「ヘラの栄光」を意味するヘラクレスという名が与えられるだろうとも、神託は告げた。
ヘラクレスはヘラの名前だったのか・・・、おおーーー・・・
ネメア(谷)のライオン退治
レルネ(沼)のヒュドラ退治
ケルネイアの黄金の角を持つ鹿の生け捕り
エリュマントス(山)の野猪の生け捕り
アウゲイアス王の家畜小屋の掃除
スティンパロス(湖)の人食い鳥の群れの退治
クレタ島の牡牛の退治
トラキア地方、ディオメデスの人食い馬の退治
アマゾン族のヒッポリュテの帯
オケアノス(大洋)の彼方、下流恩の牛の捕獲
ヘスペリスの園の黄金の林檎
ケルベロスの生け捕り
ふぅ、確かに受難の人生だねぇ。書くだけでも量あるワイ。
クイズです。ヘラクレスのゼウスの血量は何%あるでしょう?
ペルセウスがゼウスの1×9
ペラクレスはゼウスの1×4×12のクロス??
オリュンポス12神の時代の流行はクロノスの2×2のクロスw
ついでウラノスの2×3のクロスも多いですね。
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なぜ「粗食」が体にいいのか

一日何品目食べればいいのか - 健康には関係ありません!
患者さんのうち4割か5割の方がこうした質問します。「じゃ、七味唐辛子でもかけてくださいよ、7つ増えるから」と笑ってごまかしてしまうんです。これはそのくらいどうでもいいことなんです。食生活の本を10冊読んだ人はそのうち一つを信じて突っ走ります。30冊の本を読むと、だいたいノイローゼになります。本と本の間の矛盾に気づくのです。100冊も読むと何も食べられなくなります。
うちのオヤジも同じ宗教だわ。「一日30種類」。だから聞いてやったんだよ、「30種類ってどう数えるんだ? カレーは一品料理だから一種なの? ルーには何十というスパイスが入ってると思うが、それをバラバラにして食べたらカウントして、ルーだと一種なのか? 数え方もわからんのに30種類とは、なかなか面白い信念だな。」
健康法もそうだけど、妊婦のやっちゃいけないことも宗教くさい。100冊読んだら、死ぬしかなくなるというくらい何をやってもダメと書いてあるよ。(笑
わかめは髪にいい、レバーは貧血に効く こんな錯覚を信じるな
お母さんの授乳教室で「おっぱいをよく出すためには牛乳を飲んでください」と平気で言っているところがあります。牛乳を飲んで、それがそのまま胸から出てきたら、母乳でなくて牛乳ですよ。飲んだ牛乳がそのまま胸に回って出てくるわけではありませんよね。たとえば、ご飯には、おっぱいをつくる成分があるわけですよ。体の中でさまざまな食べ物を消化し、おっぱいをつくるのであって、牛乳を飲めばそのまま出てくるわけではないのです。それなのに、そういう錯覚がじつに多いんですね。
ははは、あるある。健康オタクって、偏狭な知識で独自の信仰心を持った人に見えるんだけど俺だけかな?
欧米型の食生活が理想だという錯覚
この勘違いを生んだ日本の栄養学というのは明治時代にドイツから学んだのが始まりです。その頃は衛生学と呼んでいたのですが、ドイツの考えが基本になっていました。ドイツという国は緯度でいうと北海道よりももう少し北にあります。北海道は梅雨がなく寒い。だから植物は育ちにくい。ドイツもこの北海道のような環境なんですね。ドイツあたりは寒くて雨が少ないですから、パンで腹いっぱいにするほど小麦が育たなかったんです。しかも小麦というのは畑で作りますから、米と違って毎年同じようなペースで収穫できないんです。一度、小麦をつくるとその分、土地がやせてしまうからですね。一方米の場合は土地の生産力が落ちないんです。水田というのは世界最高の食糧生産システムと言われています。小麦が不足するドイツの人たちは、秋になると大量の豚を殺して保存し、冬にそれを食べて過ごしてきたわけです。なぜ豚は殺すのに牛や馬は殺さないのかというと、豚は人と同じものを食べ、牛や馬は草を食べさせておけば良いからです。
ドイツやフランスの食生活をわかりやすく表しているのは、ミレーの「落穂拾い」という絵です。あの絵を見て豊かだというイメージはわかないですよ。ヨーロッパでも南のイタリア、スペイン、ポルトガルになると植物が育ち易いですから、パスタやパエリヤのような植物性の食べ物が多くなってきます。一般的に寒い地方ほど動物性食品が多くなります。
パン、砂糖、酒・・・ご飯を食べない人ほど「工業製品」を口にする!
肉や果物、野菜、海藻などの生ものを除けば、日常口にする食べ物のほとんどすべてが、工場で作られるということです。ご飯が減った分、増えた食品、パン、砂糖、油、アルコール、果物、牛乳や乳製品、そして肉や肉の加工品。この中で果物と肉を除けばすべて工場で作られたものばかりなんです。牛乳もどこかの裏庭から牛のおっぱいを搾って、それを直接飲んでいるわけではありません。生乳を原料にして工場で作るんです。ハムソーセージも同様です。工場で作られるわけですから当然、化学物質だって増えてくるということになります。
土産土法 野菜を食べない「アラブの砂漠民」が元気な理由
その土地で、その季節にとれるものを食べるという意味です。お金もかかりません。イヌイットの人たちは肉だけの食生活で何千年、何万年と生きているんですから、それがあの地方で生活する人にとってバランスのとれた食生活なんだということです。
パンにバター、 カタカナ食を食べると油が欲しくなる。
パンを食べる時、一緒に何を食べるか考えてみてください。ハムエッグ、コーヒー、サラダ、ドレッシング、カタカナの食品しか出てこないんです。
安い魚を養殖しようという人はいない。だから体に良いのです。
安い魚を食べていれば薬漬けの魚を食べる心配がない。いわし、サバ、秋刀魚など青身の魚になってくるのではないでしょうか。

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ギリシア神話 神々と英雄に出会う11/17 ~オリュンピア競技場

オリュンピアのゼウス神殿
オリュンピアはペロポンネソス半島の北西のイオニア海に面したエリス地方というところにある。アテネとスパルタが覇権を争ったペロポンネソス戦争はよく知られているので、ペロポンネソスと聞くとただちにスパルタという都市名が連想される。スパルタはペロポンネソス半島の南部に位置するラコニア地方にある。一方オリュンピアのほうはラコニア地方の北西に位置するエリス地方にあり、ギリシアの最高神の聖地であった。ゼウスを祭る壮麗な神殿が聖書にオリュンピアに建てられたのは前470年から前456年頃のことで、往時には36本もの巨大な大理石の柱で支えられた壮大な建物であったが、現在ではその地に残る遺構からかつての威容のほどを想像するしかない。ゼウス神殿には、ゼウス像が本尊として安置されていた。高さが12メートル以上もあったこの神像は、古代世界の七不思議の一つと見なされている。その制作者ペイディアス(前490/85年頃-前430頃)は、アテナイのパルテノン神殿のアテナ女神像を制作し、その後、前438年以降にオリュンピアに移ってゼウス神殿のための礼拝用の像を作ったという。パルテノン神殿のアテナ像もオリュンピアのゼウス像も黄金と象牙でできていたが、残念ながら2体ともオリジナルは失われてしまっている。
オリンピックの起源の神話
 ピサの町の王オイノマオスには、ヒッポダメイアという娘がいた。しかし王は娘を嫁にやりたがらなかった。娘を溺愛していたためとも、娘の夫となる人物に殺されるという予言を恐れたためとも伝えられる。娘に求婚者が現れると、オイノマオス王は戦車競争を求婚者の要求するのであるが、それは一風変わった命がけのレースであった。まず、求婚者は王女ヒッポダメイアを戦車に載せると、王よりも一足先に出発する。次に王のほうはその後、ゼウスに生贄を捧げ、おもむろに武装し、求婚者よりもずっと遅れてスタートを切る。先に出発した求婚者は、そのまま王に追いつかれずに目的地のコリントスまで無事にたどり着くならば、王女との結婚が許される。けれども途中で王女の父親に追いつかれると、その求婚者はこの戦車競走に敗れたことになり、情け容赦なく生命を奪われるのであった。後から出発するという不利な条件にもかかわらず、オイノマオス王は常に余裕たっぷりに途中で求婚者に追いついた。なぜなら王は戦の神アレスの子で、特別速い戦車と駿馬を父親から授かっていたからである。
 12-3人の求婚者がこの残忍なレースで命を落とした頃、ペロプスという若者がピサにやって来た。ペロプスはタンタロスの息子である。非道な父親は息子を料理して神々の食卓に供したが、神々の特別なはからないによってペロプスは蘇ったのである。彼は南ギリシアの大半の治める王になり、ペロプスの統治が及んだ大きな半島は、ペロポンネソスと呼ばれるようになった。ペロプスがヒッポダメイアとの結婚を求めて、果敢にもオイノマオス王との戦車競走に挑んだのである。王女ヒッポダメイアは美貌の青年ペロプスに恋心を抱き、この若者と結婚したいと願った。そこで王女は父オイノマオスの御者を説き伏せて、王の戦車の車輪を止めておく青銅のくさびを蠟の釘に取り替えさせた。蠟は熱で溶けてしまうため、走行中に戦車の車輪が外れる危険が十分に予測される。御者のミュルティロスは、王への密かな裏切りを王女に承諾した。御者が王女を慕っていたためとも、あるいは、勝利のあかつきには王国を半分与えるとペロプスが御者を買収したためとも言われる。いずれにせよ、御者ミュルティロスの反逆行為によって、王の戦車の車輪はレースなかばで壊れる。オイノマオス王は御者に欺かれたことに気づき、彼を呪いながらなくなった。王が亡くなると、その例を慰めるために葬礼競技会を開くのが古代ギリシアの慣習であった。
古代オリンピックの開始は前776年にさかのぼるが、これはあくまで記録に残っているものにすぎず、それ以前から記録にはない非公式な競技会が行われていたようである。前9世紀頃のエリス地方の王イピトスが内戦を憂慮してデルポイの信託を伺い、競技会を再開して停戦せよと告げられてオリンピックが復活したという言い伝えもある。ある伝説によるとペロプスが創設した競技会はいったんすたれ、その後、名高い英雄ヘラクレスが再興したという。ヘラクレスがオリュンピアにゼウスの聖域を開き、ペロプスの墓のかたわらに二柱ずつの神々の祭壇を6個築いて運動競技会を創設したと伝える。


告白 元大和銀行NY支店2/2 ~トレーディング

私は1997年大和銀行ニューヨーク支店に入行、1980年頃より有価証券投資を任され、82年には1000万ドルの変動金利債の枠も与えられました。83年に5万ドルの損失を出し、それを補填するため、米国債の無断取引を行い、さらに損失が膨らみました。84年には大和銀行の資金5万ドルを自分名義の別の銀行の口座に移しました。86年にはニューヨーク支店がミッドタウンに移転し、同時に大蔵省およびニューヨーク州銀行局よりダウンタウンで証券カストディ業務を行う許可を取得しました。89年に合計25億ドルのポジションをもって3億5千万ドルの損をしました。また88年に52万ドルの資金を私が支配力を持つ他人名義の口座に送金し、証券、先物、不動産投資に流用しました。
米国で証券の取引決済と現物の保管を取り扱ういわゆるカストディ業務を本格的に行っていたのは大和ニューヨーク支店と東銀信託のみであったので、必然的に私の管理するコストディ係はニューヨーク支店の一大収益源になった。この倉庫を改造したダウンタウンオフィスにほぼ全ての銀行機能が完備されていた。証券投資売買業務、管理記帳事務、証券保管事務、証券取引決済事務、送金事務、リコンサイル(照合)事務が全て私の管理下にあった。証券カストディは大きく分けて3つ、証券保管、取引決済、利金取立であるがニューヨーク支店とオフィスが分かれていることもあって送金事務も独自に行っていた。送金が自由自在にできるということは銀行の資金を自由自在に動かせるということでその気になれば一夜で銀行を破綻させることも可能だ。
俺の苦手なバックオフィス、金融界の流通業ですね。そう、おっしゃるとおり、超重要。
1銭の金も出さず円換算で1500億円の国債を買うということは常識では想像もつかないが、業者が購入資金を貸してくれるのである。業者にとっての与信リスクは損失が生じた場合、当方に損失の支払い能力があるかどうかで、当然彼らは大和銀行bの信用で、これを判断している。この取引をアメリカではレポと呼び、日本では現先に類似する。
一般に投資とは元本リスクを最小限に抑え、より高い運用益を得ることが目的であり、預金、債券運用、配当金目的の株式長期投資が主なものである。それに対し、投機とは対象物の将来価値を独自の知識、分析力をもって予想し、売買益を目的として資金を投じる行為であり、一般の株式売買が一番わかりやすい例だ。最後に賭博は勝率が5割以下の遊びであり、目的はあくまで娯楽である。
これが井口君の投資・投機・賭博の定義らしい。マルキールも「ウォール街のランダムウォーク」で同じようなことを書いていて、数学者とは思えない発言だったがのぅ。
俺の定義を対抗して書こう。
投資とはリスクプレミアムをもらう行為投機とはリスクプレミアムを払う行為賭博とは、不確定な将来を予想して金品を争う行為全般を指す。ただ、株のリスクプレミアム、期待成長率とリスクを規定するのは難しいが、一般にリスク回避的な傾向が示せればそれは投資とみなすしかないだろう。
現物と先物で合計1億ドルの枠があった。ところが大和の損切りルールは累積損が100万ドルになれば取引停止という非常識なものであった。1日の動きが2%にも及ぶ日がある相場で半期1%の損失リミットを設け、支店の業務として認めている自体、どれだけ本部が長期国債相場の潜在リスクを理解していなかったかを如実に物語っている。
単に30年債やっちゃいけなかっただけなんじゃないの? 潜在リスクじゃなくて、表面化しているリスクとして、毎日のVolatilityだけでも30年債で1%で済むってことはないでしょうよ。
1989年の終わりごろ、キャンターの画面に500本(5億ドル)のBIDが入った。普段キャンターの画面に入る気配は50本までであるが、異常なBIDに相場はざわめき、当然「誰の気配だ」という疑問がウォール街の電話線を走った。これが当時、ボンドの最大手であったゴールドマン・サックスとかであれば巨大な買いが入ったと見て相場は暴騰するところであるが、それが日本の中堅証券である勧角証券(NKK)だと分かった。NKKの500本をブラフと見て勇敢な投機家が300本も売りつけた。数分後200本売りのせして崩しにかかった。それに勢いを得て他のトレーダーが便乗し5/32ほどくずれたが、NKKはまた500本のBIDを入れた。足元に火がついたが如く空売り玉を買い戻しに入った。NKKの背後の正体が分からない限りたとえブラフであろうがあまりにも危険と見たのだろう。NKKは、数ヵ月後高値で3000本をつかまされた後、相場は暴落し、巨額の損失をこうむったようであった。NKKのバックには日本生命がいたというウワサも流れたが、真相はわからずじまいであった。
1990年頃から空前の対米投資熱に狂った日本勢が皆一様に大怪我をして引き上げだしたが、性懲りも無く米国債トレーディング業務を続けているのは大和のみであった。。私は米業者間で不死身のトレーダーとして知られ、業者からの接待の勧誘は後を絶たなかった。私は信条として業者の接待は一切受けないことにしていた。彼らにとっては極めて不思議な存在であったろう。チーフトレーダーのくせにカストディ係のマネージャーもしている。どちらかといえばその方が主でトレーディングは従というのは常識では考えられないことだ。夕食に誘っても夜は8時まで事務をしている。そのくせ日中はウォール街の誰よりもボンドの売買をしている。ところが給料は固定給でウォール街の相場の1/5程度しかもらってない。3倍の給料で打診しても断ってくる。
ハハハ。不思議の国日本。教えてあげよう。コーポレートガバナンス・相互チェックの機能という発想が日本には無い。武士道に基づく性善説、つまり奉公の精神で会社のために尽くすという信頼関係で成り立っているからだ。
94年、下落を続けている米国債相場でキダーピーボディ証券で損失を隠匿するための架空利益操作が発覚、10月には唯一日本人プレーヤーであった東京証券が債券運用部長による無断取引で320億円の巨額損失を計上して退場した。カリフォルニア州オレンジ郡の巨額損失2000億円が表面化した。不動産抵当証券のデリバティブがらみで多額の短期米国債が投げ売られ、我々の穂湯言うしていた短期国債の大きく下落した。ところがこの下落による損失を中和するため売却した長期先物が逆に上昇し、損失は中和されるどころか倍増した。
しかしさ・・・10年以上やってて、こういう損自慢しかないのはなんでなんだろう? 普通、損したり得したりじゃないのかね?
【G7 金利・国債系】
2011.10.31: 日本国債CDSが急落
2011.10.03: 日本国債5年CDS 1.3% vs 日本国債5年モノ0.35%
2011.09.09: スイスフランの介入劇
2011.07.07: モルガンS、米インフレ期待めぐるトレーディングで損失
2011.04.18: 米国債券投資戦略のすべて3/3 ~パススルー証券
2010.02.04: 日本最大の投信「グロソブ」4兆円割れ
2009.12.01: 金利系投資からの撤退 
2009.08.05: 金利をSalesに教える
2009.06.17: 暗算でやる金利計算@街頭インタビュー
2009.01.15: 株投資家から見たインフレ連動債TIPS
2008.12.25: さようならUS Strips
2007.12.17: 債券市場参加者の世界観 ~ 儲け=売値ー買値では無い  
2007.12.12: 債券税制 ~これを知った上で買えるか?毎月分配







告白 元大和銀行NY支店1/2 ~米国の公務員

毎日、午前9時に私と末森、高杉の3人が普段着で高級マンションに入っていく。ドアマンが怪訝な顔をするのも当然だ。セントラルパークの東側はマンハッタンでも最も高級なマンション街であり、中でもこのマンションは超一流なので、住人も出入りする人の不審な挙動にはきわめて敏感である。
今日は1989年の取引の入力作業を行った。とにかく膨大な量だ。それもそのはず、当時の大和の米国債(TB)の取引量は世界一であった。邦銀間でも二番目に多かった日債銀の20倍もあったのだ。合計27億ドルの売りポジションは巨額の含み損になっていた。数時間で1ポイント上昇、2700万ドルの損失だ。数時間でニューヨーク支店の1年分の収益が目の前で一瞬にして消える。中でも最も値動きの激しい30年債が、下がるほうにはっていた。
連邦捜査局(FBI)のバッジを見せ「私たちはあなたが大和銀行の頭取に出した手紙を見ました。あなたが11億ドルの売却損を隠していたこと、1989年に大損したこと・・・」
最初に気づいたのはFBIだったんだ・・・。
1980年代、邦銀は急速な国際化を強いられ、米国の法律など考えず大蔵の保護の下新業務に邁進していった。その過程で、ケイマン島のペーパーカンパニーに損失を飛ばしたり、帳簿の粉飾、損益の操作、当局への虚偽報告等の不正を一切していないという邦銀があるだろうか。特に舞台が米国の場合、日本で単なる規則違反でも米国では刑事犯罪になりうる。文化の違い、こういう事情でやむを得ず、と言った言い訳は米国司法当局には通用しない。
連結決算が義務付けられていなかっただけの話で、粉飾は日本でも刑事罰だと思うが? また言い訳も通用しないと思うぞ。
アメリカという法治国家は憲法で全ての国民が自由、平等に幸福を追求する権利を保障している。国民構成が多種民族により成ることも一大要因であるが、基本的に国民は自分の権利を守ってくれるのは法律のみであると認知している。ゆえに米国には日本の50倍以上の弁護士が民事、家庭、犯罪の分野で活躍している。
同一民族間の「あ、うん」の呼吸は、通じないわなぁ。他民族は問題あるが、同一民族国家であっても、法治国家にして阿吽の呼吸が存在すると本音と建前というダブルスタンダードと曖昧さが生まれ、これまた難しい”問題”を引き起こす要因となる。
ファイグルは今回の大和事件で自分以上に連邦検察局検事正のマリー・ジョー・ホワイト女史に一旗上げさせようとしている。前任者のルードフ・ジュリアニ氏はドレクセル・バーナム社をインサイダー取引の容疑で倒産に追い込み、ジャンク債の王者マイケル・ミルケンを投獄した。1988年、6億ドルの罰金を徴収して一層有名となり、現在ニューヨークの市長となっている。
ゆく先は監獄局のメトロポリタン・コレクショナル・センター(MCC)という一時拘置所である。米国では犯罪を連邦犯罪と州犯罪に区別し、連邦犯罪は主として麻薬密輸売買・暴力団組織・テロそして連邦政府機関の監督下にある金融機関における犯罪等があり、MCCは連邦犯罪容疑者のみが収容されている。
毎日検察局で、明晰な頭脳を売り物にした優秀な検事と会話をした後、MCCに戻り、ラテンキングたちのレベルに頭を切り替える。彼らの会話は1/3がスペイン語で、英語といっても普通の英語ではない。ニューヨークで全ての意味で底辺に属する人々の英語である。会話の中でもっとも頻繁に出てくる表現が「ゲッタファッカタヒア」(馬鹿野郎)だ。オオカミ君に至っては文章の終わりに必ずこの文句が続く。この点、アラブ人のアブ・マズーク博士は別格である。アメリカで修士課程と博士課程を終え95年、パレスチナより戻ってきたところをJFKで逮捕された。彼はイスラム過激派ハマスの政治部門の首領で、イスラエルより引渡しの要請が来ている。故ラビン首相が直接出した要請で彼を連続自爆テロの黒幕だと見ているらしい。
悪かったなぁ、俺も常に語尾に、「バカ、テメー」がついてるって言われたことあるよ。シングリッシュで言うところの”アクチュアリー”みたいな感じで頻繁に挿入され、文頭・文末には特に顕著に現れる傾向がある。日本で全ての意味で底辺に属する人々の日本語である。
「コラ井口、てめー、何バカにしてんだよ、殺すぞテメーコノヤロー」というような感じで使います。
【本当にあった?怖い話】
2011.11.04: 「少年A」 この子を生んで 2/2~子供の怖さ
2011.09.12: シグルイ 山口貴由1/2 ~駿河城御前試合
2011.07.21: 死刑囚 最後の一時間 1/2 ~死刑の実態
2010.12.20: 快楽殺人の心理
2010.04.26: あなたの知らない精子競争 ~精子の数の決定要因
2010.03.19: 実在上のヤンデレとその発生起源 ヤンデレの研究
2010.02.03: 彼氏を不安にさせる行動パターン
2009.10.16: 華麗なる投資一族 明るい家族計画
2009.07.23: タイ旅行 スローライフと?な習慣


憂鬱でなければ仕事じゃない

一般的に起業家というのは自己顕示欲の塊のように思われています。組織を引っ張っていくには、自己顕示欲は時として邪魔になることに気づかされます。うまくいっている時は、自分ではなく、社員みんなが頑張ったのだと言い、悪い時は自分の責任だという。
また先行きの見えない世界では誰でも何とでも好きなことが言えます。ネット業界は評論家のような人も多いですが、彼らが何かを変えられるわけではありません。楽な仕事がそれほどの価値を生み出す訳ではない。信念や執着心が大きな価値を生むのです。先が見えず不安で憂鬱な日々を乗り越えて前に進む人にだけ、新しい価値ある何かを生み出すことができるのです。
若いビジネスマンの間では、名刺の果たす役割が縮小していると思う。昔のように名刺に書かれた連絡先をアドレス帳に書き写すこともなくなった。名刺はその人の分身であり、大事なものだから、丁寧にあつかいなさい。頂いた名刺は対面している間、テーブルの上に置いておきなさい。若いビジネスマンでも名刺交換の時、非常に恐縮しながら低い位置に差し出す人がたまに居る。相手が見城さんのような人であれば、そのほうが良いでしょう。でも僕に対してやっても、感心はしません。型にはまったつまらないやつだなと思ってしまうかもしれません。
わかるな。そう、私も若い世代なのでしょうか。「お世話になっております」も、「いや初めてなんだけど」とちょっとムカつくくらいだよ。
都内にいくつか、よく利用するホテルがある。それらのホテルでホテルマンたちは何くれとなく、僕に話しかけてくる。一番多いのは天気の話。
「今日は風が強いですね」「やっと暖かくなりましたね」 このように話しかけられると僕はいつも心の中でこうつぶやく。
「それがどうした」そんなことは周知の事実ではないか。いかなる人が発したものであれ、表面的な心の無い言葉に、僕は苛立ちを覚える
ははは、これもわかるな。俺の場合、それで苛立つというのならば、その苛立ちを覚える相手が私の実の父だよ。私は、苛立ちは覚えず、あきれるばかりなのだが、自分が金出して教育してやった息子と、ホテルマンと客でも交わすような、”表面的”な会話をしようとする神経が理解できない。
まだ互いをよく知らない人間とカラオケに行くなど愚の骨頂だ。聴きたくも無い歌を歌い合い、お決まりの拍手をし合ってどうなるというのだろう? また食事の後の定番として、銀座の高級クラブに行く人も多いが、これも「もったいないな」と僕は思う。食事をしながら話をし、せっかく心が通い始めたのに、そのあと、なぜ通じ合った気を隣のホステスに向け、そがなかればならないのか?
なぜ大学4年生になると就職活動をしなければならないのだろう?銀行で支店長になるまで何年もかかるのはどうしてなのか? そのような常識の弱点を突き、そこを突破すると、成功はとてつもなく大きくなります。僕が26歳で上場した時、それまで20代で上場した人は居ませんでした。その頃はもうネットバブルがはじけそうになっていました。少しでも上場が遅れていれば、大きな資金調達はできない。もたもたしてはいられなかったのです。僕は焦りに近いものを感じながらも、客観的に状況を見極め、冷静にことを運んでいました。
俺の売りサイン:IPOが増えている。
これの理由を説明してくれて、かつ実証実例を挙げてくれてありがとうございます。
僕のように若くして起業する人間は、金持ちになることも一つの動機になることは否定できません。でもこういうと傲慢に聞こえるかもしれませんが実際金を持つと、金などどうでも良くなるものなのです。確かに以前には買えなかったものが買えるようになりますが、そんなことはすぐに飽きてしまう。
金のことで批判され、陰口を叩かれ、妬まれ、揚げ足をとられ、でたらめな話にも慣れました。そんな仕事におけるたくさんの憂鬱を乗り越えてこられたのは、それをはるかに上回る希望を持っていたからです。

憂鬱でなければ、仕事じゃない 憂鬱でなければ、仕事じゃない
見城 徹 藤田 晋

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【楽しいオフィス】
2010.12.24: 最強ヘッジファンド LTCMの興亡 ~天才たちの奇行
2010.10.18: 三田氏を斬る ~今回は同意、でも笑える
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ギリシア神話 神々と英雄に出会う10/17 ~オリンピック

近代オリンピックがフランスの貴族ピエール・ド・クーベルタン男爵(1863年-1937年)の提言によって始まったことはよく知られている。古代にオリンピック大会が行われていた場所は、地震や度重なる川の氾濫のために厚い泥に埋もれ、1400年もの間忘れ去られていた。近代の第一回オリンピック大会がギリシアの首都アテネで開催されたのは1896年のことである。近代大会の主眼である世界平和を尊重する精神も、4年毎の開催という慣例も、古代のオリンピックに習ったものである。オリンピックと平和の結合は、古代以来の伝統なのである。古代オリンピックの会期中には、たとえ戦争中でも一時的に停戦するという取り決めが守られた。
 まず、オリンピック(Olympic)という英単語は、古代に競技会が行われていたオリュンピア(Olympia)という地名から派生した。オリュンピアと神々の住む聖なる山オリュンポスと音が似ているので混同されがちであるが、両者はまったく別である。ペロポンネソス半島の北西部にあるオリュンピアで初めて運動競技会が行われたのは、前776年のことと伝えられる。そして最後の大会となった第293回大会が開催されたのは後393年であったからこの行事は実に1169年間もの長い年月にわたって継続したことになる。これほど長い歴史を誇る競技会が終焉したのは、最後の大会の前年つまり後392年に、ローマ皇帝テオドシウスがキリスト教をローマの国教と定めたためであった。それによって、キリスト教以外の宗教の行事が全面的に禁止されることになったのである。
 近代五輪の主眼は、各国の政治的対立や選手達の宗教的相違を乗り越えて、スポーツそのものを競いあうことに置かれている。それと対照的に、古代の大会は最高神ゼウスに捧げられた宗教的な行事だった。近代オリンピックは開催都市は大会ごとに変わるが、古代には、4年に一度の競技会は必ずゼウスの聖地オリュンピアで行われ、その時期もほぼ決まって同じであった。夏至の後の2回目もしくは3回目の満月の日がその中日にあたるとき、つまり8月中旬から9月中旬の間のことで、真夏の炎天下である。ギリシアの夏の暑さは格別なので、なぜこんな灼熱のさなかにスポーツに専念したのか不思議に思われるが、その理由はこの時期が農閑期であったことと関係する。収穫が終わり、次の作業までほっと一息ついて、人々が旅に出られるのはこの時期なのである。古代の観客達がオリュンピアを訪れる目的はスポーツ観戦だけではない。ゼウスの聖域を参拝するための巡礼でもあった。
 開催期間は現代では2週間程度だが、古代の初期はわずかに1日だけであった。(後には5日間にのびた) 第13回大会まで行われていた唯一の競技は短距離競争であった。オリュンピアの競技場のトラックを走る競争ではその距離は1スタディオンであった。スタディオン(stadion)という距離単位は、観客席を備えた運動競技場という意味での現代のスタジアム(stadium)の語源になった。1スタディオンの正確な長さは時代や地域によって一定ではないが、だいたい180m~192.2mで、歩幅の600倍にあたる。この距離をヘラクレスはひと息で駆け抜けたという言い伝えが残っている。その後、スタディオンを往復するディアウロスや、24倍の距離を走るドリコスと呼ばれるレースなども競技種目に加えられるようになった。禁止事項は咬むことと目に指を突っ込むことだけという乱暴な格闘技も古代にはあった。パンクラティオンと呼ばれたこの種目はときには死者も出るほど荒々しいものでそれだけに人気も高かった。
> 近代、UFCとなって復活しましたが、現在のUFCはキンテキが反則でしたね。パンクラスは・・・まぁ、そういうルールじゃないっすね・・・
戦車競争にも現代の常識との相違が見られる。汗と涙を流して過酷な練習に耐えたスポーツマンにこそ栄誉が授けられるべきだとわたしたちは思うが、古代の戦車競争の優勝の栄冠は危険と背中合わせに戦車を操縦する御者にではなく、戦車と馬の所有者だけに授けられたのであった。
> グラディエーターみたいなヤツなのかなぁ? だったら見たいねぇ。
Gladiator12553c.jpg
古代大会は原則として、裸で競技に望むことになっていた。全裸のアスリートの姿はおもに陶器画に描かれているにすぎず、文献記録によると、選手は下半身をおおう下着だけは身につけていたようである。理由はいくつか推測されている。真夏の暑さもその一つだろう。だがギリシア人は鍛えられた肉体と日焼けした肌を誇り、身体をおおうのは野蛮人の好みとみなして、それとは対比的に自分達の優れた身体を誇示しようとしたという説明はなかなか説得的である。オリンピックの出場資格に触れておくと古代の競技者は男性だけであった。ヘライアという女子専用の別の競技会も催された。古代オリンピックでは出場は勿論のこと、観戦さえも禁じられていた。女性は競技への出場こそ許されていなかったものの優勝はできた。戦車競争の栄冠は御者ではなく、馬と戦車のオーナーに与えられたからである。スパルタ王の娘キュニスカは戦車競争で優勝して「私は、すべてのギリシア人の中で、冠をいただく最初の女である」という碑文を残した。


東電OL殺人事件 2/2 ~容疑者と現場

私はリラが警察の仲介でつとめたと証言した銀座の十里という焼肉店を訪ねた。昭和通りに近いビルの中にあるその店を訪ねて、私は二つの奇妙な事実に驚かされた。一つはそのビルの持ち主でもあり、当該の焼肉店の経営者でもある会社が、トルコ風呂のはしりをつくった東京温泉だということがわかったことである。もう一つは、そのビルの地下に東電不動産管理という東京電力の子会社が入っていたことである。1951年、銀座・松坂屋裏んいマッサージ嬢を配した一大ヘルスセンターの東京温泉を開業した許斐氏利が、戦時中、許斐機関と呼ばれる特務機関を率いて、アヘン工作などに深くかかわっていたことは知る人ぞ知る話である。その許斐一族が経営する焼肉店で不法滞在のネパール人が警察の仲介で働き、しかもそのビル内には殺された泰子がつとめていた東電の子会社が入っている。東京温泉が古くから風俗営業の看板をかけている以上、警察とのつながりは相当に深いはずだった。
事件当時空き地だった喜寿荘のすぐ裏手の土地はかなり大きな6階建てのマンションが建ち、入居を待つばかりとなっていた。このマンションは渋谷に本部を置く巨大パチンコチェーン店従業員社宅になるという。喜寿荘に隣接したスタンド形式のソバ屋は洒落た洋風居酒屋にかわり、井の頭線神泉駅の踏み切りをはさんで現場と反対側にあった戦前の花街の名残をとどめた検番の古びた建物は潰されていた。跡地には7階建ての分譲マンションが急ピッチで工事中だった。やはり踏み切りの反対側にあり、泰子がよく100円玉を千円札に、千円札を一万円札に「逆両替」したコンビニは、店を閉め改装工事に入っていた。泰子が人生で最後の客を取ったクリスタルはいかにも若者受けしそうなファッション感覚溢れた付近のラブホテルとは違い、ラブホテルというよりは連れ込み旅館といった方がぴったりきそうな、くすんだ建物だった。料金も休憩2時間で3000円と周囲のラブホテルに比べ、かなりの安値だった。クリスタルはすでに閉じられ、新しいラブホテルの建設が始まっていた。
渋谷のラブホ街はすごいよね。あんなに広い範囲、全部ラブホなのに金曜の夜は全部満室になるからね。恐ろしき人間の発情。安いホテルもあったねぇ。かなり市場原理が綺麗に働いていて、当時の俺でも、「ぇっ?」というくらい狭くて古い感じだったね。
被疑者ゴビンダが現場となった喜寿荘101号室の鍵を3月10日まで所持していることがわかったこと、被害者の女生と顔見知りで、事件前年の平成八年暮に被害者の女性とセックスしたことが被疑者の同居人のネパール人の証言からわかったこと、現場の便器内から発見されたコンドーム内の残留精液の血液型が被疑者と同じB型でDNAの型も一致することなど、被疑者を犯人とするのに合理的だった。
マハラジャからの帰り円山町のラブホテル街の道路に立っていました。彼女は私に会釈をして「セックスしませんか。1回5000円です」といってきました。ホテル代がないといったら彼女は「どこでも構わない」といいました。そこで私の部屋に行きました。粕谷ビルの401号室です。部屋にはドルガとリラが居ました。ドルガは彼女を見ると「この人とは前に何度もセックスしたことがある」といいました。ドルガが関係したことがあるというので私は先にやってくださいとドルガにすすめました。しかしドルガはリラに「お前が先にやれ」といったのでリラ、ドルガ、私の順でセックスしました。
ゴビンダは空室となっていて喜寿荘101号の鍵を丸井健から借りていた。ゴビンダが渡邊泰子と3度目の遭遇をしたのはそんな状況下だった。「1万円でお釣りをもらおうと思いましたが、渡邊さんがお釣りはないといったので、小銭で払いました。4500円くらいでした。」
渡辺さんはそれでOKしたのか?
「次に清算してくれればいいから、といってそれで許してくれました。」
この証言、本当かな? かなり厳しい人のように思えるがなぁ。どこでとかうるさくないのは理解できるが金額に対する妥協はありえんと思うがね。検察もこの点は裁判でついたようだな。なるほど。
弁護団の主張
第一に、101号室に捨てられていたコンドーム内の精液は被告人のものである可能性が強いことは弁護人も争いませんが、被害者の殺害とは何の関係も無い時に被告人が捨てたものであり、精子の状況は、被告人の供述に合致するが明らかです。第二に、被害者が所有していたショルダーバッグから検出されたB型の血液物質は裁判上の鑑定と呼べるようなものでなく、現場には被告人以外のものであることが明らかなB型の陰毛などがあり、B型であるから被告人のものであるとは言えない。第三に101号室のカギは唯一の根拠とも言える丸井供述が信用できないものであること。第四に、動機で金に困っていて401号室の賃料を支払いができない状態であったという点も、被告人はお金に困っていませんでした。第五に、被告人が犯行時間に間に合ったかどうかという問題も、検察官自身が唯一の目撃証人である杉田供述を信用していないこと。第六に被告人の事件発覚前後の言動もなんら不自然ではないし、特に口裏を合わせにいたっては、検察側が作り出した虚構であります。

東電OL殺人事件 (新潮文庫) 東電OL殺人事件 (新潮文庫)
佐野 眞一

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【昔の思い出】
2011.06.15: 名作ドラマ 高校教師
2010.08.12: アルツと私 ~病魔の果てに辿り着いたところ
2010.02.15: 通信隊 それは陸のOff-Shore
2010.01.06: ミゼラブルキヨシ
2009.10.28: 女の好みも時と共に成長する
2009.04.08: 試験の評価がスペシャリストを殺す
2009.02.13: 女系家族の掟
2009.02.06: 博打における女性誘致
2008.08.07: 子供のための動物園だよね
2008.08.06: 老後もアマくない日本の現実
2008.08.05: 一族の素敵な仲間たち






東電OL殺人事件 1/2 ~その人

「東電OL殺人事件」が起きた時、世間は発情といってもいいほどの過剰な反応を示した。昼は美人エリートOL、夜は売春婦。マスコミは彼女が被害者であることをそっちのけに、昼と夜の二つの顔の落差に照準を当てたストーリー作りに狂奔していった。
迷宮のような円山町の路地
渋谷駅から道玄坂をまっすぐ登り、ほぼ上りきったところで右に曲がる。そこが円山町の入り口である。都内有数のこのラブホテル街は、渋谷ホテル旅館組合という団体によって統括されている。その組合員の一人によれば、円山町のホテルの回転率は平日で三回転、土日で、5、6回転、平均すると1日4,5回転だという。円山町のラブホテルの部屋数は一軒あたり約20室といわれるから、この町のラブホテルを利用するカップルは一日平均5000組、人数にすると10000人にものぼる。
若いカップルが発散するフェロモンでむせ返った円山のラブホテル街は、「廉恥心」の三文字がみごとなほど欠如した街である。ここにはアジア人売春婦が跋扈する新宿の大久保通りのような暗さはまったくない。迷路のように入り組んだラブホテル街を抜けたところに井の頭線の神泉駅がある。踏切を越え5メートルほど行った右側の木造モルタルの古ぼけたアパートが彼女が殺害された現場である。現場をすぎてまっすぐ進むと、淫風漂う街並みとはうってかわった広壮な住宅街に突き当る。都内でも屈指の高級住宅地といわれる松涛は円山のラブホテル街とまさに隣接しており、そのあまりの落差の激しさに一瞬軽いめまいを覚える。都知事公館や松涛美術館が落ち着いたたたずまいをみせるその街の一画に、かつて鍋島藩の庭園の一部だった鍋島松涛公園という小さな公園がある。
確かに、渋谷駅から東大までの間は、歩くと面白い。松涛とラブホテル・風俗街が隣り合い、109、センター街まで続いているからねぇ。今日はどこで足を止めようか、と彼女も考えながら歩いていたに違いない。事件が起きたのは1997年だから、俺はもしかしたら彼女と一度くらいは遭遇していたかもしれない。
一度近くのホテルでトラブルを起こして彼女が裸で外へ飛び出してきたことがあった。しばらくして会社のワープロで「申し訳ありませんでした」というお詫びの文書を打って、近くのホテルに配ったんだ。そういう点は素直で律儀だったよ。それにしても彼女は偉いよ。雨の日も風の日も毎晩この街に立つんだからな。宮沢賢治だよ。それにどんなことがあっても必ず終電で帰る気力を残しているんだからね。稼いだらすぐパッパと使うプロには絶対真似できないことだよ。
 彼女の律儀さは、二年間「客」としてつきあった50代の男が貸してくれたクリスマスカードやバースデイカードからも伝わってきた。自分の姓をわざわざ旧字で書き、文章もきちんとした楷書で書かれていた。いま私の手元に、その客がカードと一緒に貸してくれた彼女のあられもない姿を映した数葉のカラー写真がある。しかし「客」自身がベッドの上で撮影したその猟奇的な写真よりは、カードから聞こえてくる軽やかなメロディーのほうが、崩壊する自分を必死で食い止めようとする彼女の哀切な内面が、ずっと切実に伝わってくるように思える。彼女は自分の方から客に電話をかけるとき、必ずコレクトコールでかけてきた。客がその理由を聞くと彼女は「不在の場合、留守番電話になるので10円損する」と顔色一つ変えずに答えた。ホテルで彼女が飲む3本の缶ビールはたいていの場合、彼女が道玄坂近くの酒屋で買ってきた。彼女はその領収書を必ず客に渡してその分の金をきっちり請求した。
終電で帰る=時間の管理、細かいところもきっちり=お金の管理。確かにねぇ、その筋の女性は、だいたい時間も守れなく、金にもだらしない民族だよ。Orchard Towerの女子トイレは外から見えるようになっていて、そのような人たちの巣窟で、5-6人集団で居るとちょっと怖い感じすらある。普通の女の子が利用する雰囲気ではない。
彼女は電気新聞などの業界紙の切り抜きを東京電力のネームの入った大型の紙袋にいれ、客の自宅に定期的に送ってきた。客がフリーでコンピュータ業界の広報関係の仕事をやっていることを知ったためだった。広報関係の仕事の少しでも役に立てばという親切心から出た行動ではなかったかという。彼女とは2年間つきあいましたが、その間、宝石が欲しい、毛皮が欲しいというおねだりの類は一切ありませんでした。逆に気をきかせてのことなのかセンター街にあった「村さ来」の領収書を何枚かまとめて1本にしたものを月に一度、もってきてくれました。自営業だから節税対策が大変でしょうっていってね。金額は24,000円くらいで偶然なのか、僕が彼女に払う1回分の料金とほとんど同じでした。彼女は客とホテルに入ると必ず3本のビールを流し込んだ。その際1本は決まってアルコール度数の高いビールを選んだ。いかにも経済学部の出身者らしいその計量感覚は彼女を堕落の道に突き落とすためのイニシエーションの最後の一押しだったかもしれない。
堕落によるものなのかねぇ? 堕落というには文章の中身が矛盾しているではないか。私とは絶対相性が良い女性なのは間違いない。そのような女性を失ってしまったのは残念でならない。
泰子が異常なまでに父親を尊敬していた。
お父様は東大を出て東京電力につとめているとのことで、父をものすごく尊敬している、父は東京電力の部下にもすごく慕われている、何を聞いてもわからないことはない、といってました。理科系の問題でわからないところはお父様に聞いていたそうです。彼女は本当にお父様のことが好きなんだなあと思う反面、ちょっとファザコンなのでは、とも思いました。おそらく父親も泰子のことを溺愛し、名門女子高に泰子を合格させるため、手取り足取り受験の指導をしていたのだろう。泰子がガリガリに痩せていくのは、その父親が闘病から死にいたるまでの頃だった。
ある年の年賀状には「経済の論文が載りました」、「春からシンクタンクに出向して経済の勉強しています」「部下が出来て責任重大です」「仕事が忙しく、自分の時間がなくなりそうです」最後にもらった年賀状には「まるでサラリーマンのような毎日です」
泰子は月曜から金曜の9時から5時まで勤務するハンコでついたような毎日がまるでサラリーマンのようだといいたかったのだろうか。それとも昼は東電で頭脳を売り、夜は円山町で肉体売る生活がまるでサラリーマンのようだといいたかったのだろうか。
確かに論文・シンクタンクって時代は普通の”サラリーマン”の仕事じゃなさそうだね。
1980年に慶応の経済学部を金時計組に近い成績で卒業した泰子は、父親の部下だった人物の口ぞえで東京電力に入社した。配属されたのは企画部調査課だった。やすこはそれから13年後の1993年、経済調査室の副長という管理職に抜擢されるが、いずれの職場も通産省や資源エネルギー庁との情報交換や、経済動向などの分析が主な仕事だった。
うーん、バリバリのエリート街道、才媛ですなぁ。実に惜しい人材を失った。残念でならない。
【メンヘラ・破壊的な女】
2011.08.09: 金賢姫全告白 いま、女として4/6 ~軍事訓練
2011.06.08: 歴史を騒がせた悪女たち5/7 ~ロシアより愛を込めて
2011.03.11: 永田洋子追悼記念 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
2010.10.28: 破壊工作 金賢姫Forcus
2010.03.18: 海外のヤンデレ ヤンデレの研究 
2009.08.31: Madoff’s Other Secret 愛、金、バーニー そして わ・た・し
2009.07.06: 職業Investment Banker? 男と女のM&Aで100mil
2009.05.08: 私はカネ目当てじゃない ~怒りの代償
2008.05.08: サロメ



ギリシア神話 神々と英雄に出会う9/17 ~死後の世界

ハデス
ホメロスでは、ほとんどの人々が死後に赴く場所はハデスであった。ハデスとはどんな場所なのか。日本では死者は死後7日目に三途の川を渡るといわれる。ギリシア神話にも彼岸と此岸と分ける水の流れがあり、ステュクスという川がハデスをとりまいて流れていると想像された。古代の墓の調査からは、埋葬された者の口にはしばしばコインが入っていることが判明している。貨幣を口に含ませる習慣は、冥界を流れるアケロン川を渡す際に使者が渡し賃として1オボロスを払わねばならないという俗信に基づくと推測される。三途の川の渡し舟に一文銭がいるという仏教の言い伝えと同じである。この渡し賃は冥土の川の渡し守のカロンに支払われるといわれるが、カロンの名はホメロスにもヘシオドスにも一度も登場しない。
 三途の川のほとりには、死者の衣を剥ぎ取る脱衣婆とそれを木の枝にかける懸衣翁が待ち構えているという。ハデスの入り口にもやはり残忍な番犬が待ち構えていた。三つの頭と蛇の尾を持つケルベロスという猛犬である。ハデスの館に入ってくる者にはじゃれついて歓迎するが、そこから出ようとする者を見つけると一人残らず捕らえて放さず、情け容赦なく食い尽くすという。
オデュッセウスは、戦場で命を落として今はハデスにいるアキレウスの亡霊に出会う。アキレウスは「なんの感覚も無い骸、果敢なくなった人間の幻にすぎぬ者たちの住む場所」に何のためにやって来たのかと、涙を流しながら尋ねる。オデュッセウスはその質問に答えた後、こう述べる。「おぬしより仕合せな者はいなかった。われらアルゴス勢はみな、おぬしを神同様に崇めていたし、この冥府に在って、死者の間に君臨し権勢を誇っているではないか。死んだとて決して嘆くことはないぞ」
だが、アキレウスの返答は、オデュッセウスの予想に反したものだった。
「勇名高きオデュッセウスよ、私の死に気休めをいうのはやめてくれ。世を去った死人全員の王となって君臨するよりも、むしろ地上にあって、どこかの、土地の割当ても受けられず、資産も乏しい男にでも雇われて仕えたい気持ちだ。」
最上位の地位にあろうとも泉下にあっては意味がない、最下位の身分に転落しようとも地上にあるだけでもまだ幸福なのだという死生観がここには認められる。
生を慈しむ思いはオデュッセウス自身の選択にも表れている。オデュッセウスは9日間海上を漂い、女神カリュプソの島にたどり着く。女神は彼を愛し、七年も彼を島に引き止め、その間たえず、自分の夫になってくれるなら不死の身にしてやると彼に言い続けた。しかしオデュッセウスの望郷の念は強く、女神と寝床を分かち合いながらも、食卓では一線を画するのであった。(神の食べ物を食べると地上には戻れない)
やることはやったんだね? ま、そうだよな。俺もそうする。不死ってことはもうちょっと後でやっても結果変わらないからなぁ。老いすぎると捨てられちゃうかもしれないが。ぉっ、いたいた・・・
曙の女神エオスは、美貌のトロイア王子ティトノスを愛し、彼に永遠の命を授けたいと願った。そこでゼウスに願い出ると、その願いは聞き届けられた。しかし美形の王子といえども、さすがに年をとるとその魅力も色褪せていく。やがて曙の女神は恋人を遠ざけるようになり、ついには女神の館の一室に閉じ込めてしまう。やがてティトノスは声だけの存在となり、最後にはセミと化したという。やはり不死は不老とワンセットでなければ意味がないというこということなのだろう。
死すべき人間を父とするアキレウスは、死の定めを逃れられない運命であった。そこで母なる女神は幼いアキレウスを毎晩、冥界のステュクスの流れに浸し、その身体を不老不死に改造しようと試みた。だがある日それが夫のペレウスに露顕し、夫婦仲に亀裂が生じて別居に至ったという。そしてテティスが握っていた部分がステュクスの水に浸らなかったため、そこだけがアキレウスの唯一の弱点となり、後年、いわゆるアキレス腱に矢が命中して彼は命を落とした。
アキレウスって書かれたらわからなかったよ・・・。そうかそうか、この話か。


ザ・ゴール 企業の究極の目的とは何か

一言で言うとボトルネックの話。まー、そんなの今更書いてもしょうがないので、本題とはまったく別のもっとしょうもない部分にフォーカスすることにしよう。
ベアリントンに移ってきて以来、ジュリーはあまり元気が無い。話題が町の話になると彼女はいつも不平不満を言い、私がこの町を弁護するのだ。私はベアリントンで生まれ育った。道は全部知っているし、いい店も知っている。いいバーも悪いバーも全部知っている。
文句を言う奥さんか、いや文句しか言わない奥さんね。アレックスはそんな奥さんに優しい。どうしてそうできるんだろう? ボトルネックよりそっちを教えて欲しいよ。「私、女性に無理強いするのが嫌いでしてねぇ・・・1ミリでも文句あるんだったらマンハッタンにでも住めば? ご自由にどうぞ」と俺なら言う・・・。
ジョナ:生産性とはいったい何なのかね
アレックス:私の会社の定義では・・・一定の計算方法があって、確か従業員一人当たりの付加価値イコール・・・
ジョナ:君の会社の定義がどうであれ、そんなのは本当の生産性なんかじゃない。計算方法がどうとかは少し忘れて君自身の言葉で君自身の経験で言ってくれ。生産的とはいったいどういう意味なんだね
アレックス:何かなし遂げることでも意味しているのでしょうか
ジョナ:その通り。でも、どういう観点でなし遂げたかどうかを測ったらいいと思うかね
アレックス:目標(ゴール)・・・でしょうか。
ジョナ:その通り。
ジョナ:アレックス、君はとても重要なことに気づいたね。目標を表す方法は一つだけではない。目標は同じでも、違う方法でこれを表すことができる。『金を儲ける』という言葉と同じことを意味する方法でね。
アレックス:目標は純利益を増やし、同時に投資収益率とキャッシュフローを増やすことだといえるわけですね。
ジョナ:お金を儲けるという目標を完璧な形で表すことができ、なおかつ工場を動かすための作業ルールの設定を可能にした指標だ。指標は3つあって、「スループット」、「在庫」、「作業経費」と呼ぶことにした。在庫とは完成品だけでなく、仕掛品や原材料、作りかけの部品も含まれる。スループットとは販売を通じて、お金を作り出す割合のことだ。
アレックス:生産を通じてではないのですか。
ジョナ:いや販売を通じてだ。在庫とは販売しようとする物を購入するために投資したすべてのお金のことだ。作業経費とは、在庫をスループットに変えるために費やすお金のことだ。
ジョナ:バランスの取れた工場に近づくほど倒産に近づく。生産能力を縮小する場合、たとえば人を解雇したら販売は増えるかね。在庫は減るかね。
アレックス:いいえ、日と減らしてできるのは経費削減です。つまり作業経費の削減しかできない。
ジョナ:アレックス、目標は作業経費の削減そのものではない。指標をどれか一つ改善することではないんだ。目標はスループットを増やしながら同時に作業経費と在庫を減らすことなんだ。
もしジュリーが戻ってこなかったらどうしようと、考えた。彼女がいなくなったらほかの女性と付き合うのだろうか。どこでそんな女性と知り合うのだろう。突然ベアリントンにあるホリディ・インのバーで見知らぬ女性にセクシーに迫る自分の姿が頭に浮かんだ。それが自分の運命なのか。そんなやり方、いまでも通用するのだろうか。誰か自分の知っている女性で付き合えそうな人がいてもよさそうなものだ。知っている女性で独身の人の名前を挙げてみた。考えられる女性を全部挙げるのにはそう時間はかからなかった。その中で気になる女性が一人いた。私は緊張した面持ちで番号を回した。「もしもし」彼女の父親だ。「ジェリーと話をしたいのですが」
すげー、結局、奥さんを思いつくんだ! あんた、一生、結婚してなちゃい! いいかね離婚男ならこう考える
もしジュリーが戻ってきてしまったらどうしようと考えた。彼女が来てしまったら、他の女性との関係はどうなるのだろうか。とりあえず、ジュリーはいないから、誰かに電話しよう。考えられる女性を全部挙げるのにそう時間はかからなかった。その中で気になる女性が一人いた。私は緊張した面持ちで番号を回した。「どーもー、おひさしぶりですぅー! ぇえ! もーぅ毎日超暇です。遊んでもらえませんかねぇ?」と言いながら、「今度遊んでください」というタイトルのメールの送信ボタンを押した。
古代ギリシアの時代から自然界のさまざまな物質の裏には元素という基本ユニットがあり、これが全ての物質を構成しているのだと人々は信じていました。ギリシアの時代の考え方は単純で、空気、土、水それから火。しかしその後土自体は基本元素でなく、多くの基本的な鉱物によって構成されていることが実証されました。空気も異なる複数の期待によって構成されていることが明らかにされました。ギリシア時代の仮説に終止符が打たれたのは18世紀になってからで、フランスの学者ラボアジエが火は物質でなくてプロセス、つまり酸素と結合するプロセスであることを明らかにしたのがきっかけです。その後も化学者たちが長い年月をかけて研究を重ねた結果、19世紀半ばまでに63の元素が確認されました。発見された元素をうまく分類する方法はないものかと試みましたが、どれも無益な努力におわりました。メンデレーエフは元素ごとの定量測定、温度や物質の形状、形態によって左右されることのない定量を用いることにしたのです。彼が用いた定量は原子量と呼ばれるもので各元素の原子の質量と一番軽い元素、水素の原子の重量の比率を表したものです。この比率を用いてメンデレーエフは各元素に特定の数値を割り当てて、識別することを可能にしたのです。メンデレーエフは元素を一列に並べず、7つおきの元素の化学特性が基本的に同じで、その反応度が増すことに気づいたのです。彼は元素を7列の表にまとめました。その結果、すべての元素は原子量順に表され、またそれぞれの列では化学特性が同じ元素がその反応度順に並んで表されたのです。メンデレーエフがこの表を作った時、実はまだ全ての元素が見つかっていたわけではないんです。この表にはいくつか抜けているところがあって、それを埋めようとまだ見つかっていない元素を逆に探すという作業始め、まだ発見されていない元素の質量や特性を予想したのです。

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ギリシア神話 神々と英雄に出会う8/17 ~終末論

ギリシア神話における死後の世界
貧富や貴賎にも、また生前の功徳や悪行にも関係なく、ほとんどすべての人のプシュケ(魂、PsychologyのPsych部分に相当)つまり魂は肉体を出た後ハデスの館に向かう。けれどもきわめて例外的であるが、人生の終末に、死の代わりにエリュシオンで永遠の生を授けられる者もいた。エリュシオンは雪も雨も降らず、嵐もない最高の楽園である。極楽系パラダイスはもう一つある。ヘシオドスはそれをマカロン・ネソイと呼び、やはり世界の遥か彼方に想定した。つらい涙も労働もなく、1年に3度も実りがもたらされ、あたたかい陽光がふりそそぎ、美しい花々が咲き乱れている。
>東南アジアのこと? 
キリスト教の終末論との違いを一瞥しておくと、ギリシア神話における死後のユートピアは、キリスト教の天国のように垂直方向に向かうのではなく、この世界の延長線上に水平方向に向かって想定された。またエリュシオンの至福の島も、存命中に善行を積んだ有徳の人のためのパラダイスではなく、婚姻関係によって神界に連なった者だけ約束される理想郷であり、永遠の安楽という特権を神から分与される場所なのである。
そこに道徳・倫理観の押し付けがないところが、「神話」であり、行動規範を定めるものだと「経典」になるのだろうな。
ギリシア神話で地獄に近いものとしてはタルタロスがあげられる。キリスト教では存命中に大罪を犯した人間が地獄で懲罰を科されるのに対して、ギリシア神話のタルタロスは、本来は罪人に暴力的な制裁を加える場ではなかったのである。神統記によると、宇宙は三層構造をなしていた。神々の住む天上と、人間の住む大地と、大地の奥底にあるタルタロスである。これら3つの場所は垂直的にとらえられていた。天から地上までの距離、大地とタルタロスまでの距離は「青銅の鉄床が9日9夜落ち続けて10日目に届く」だけ離れていた。タルタロスは陰湿な奈落の底であり、そのまわりには青銅の垣根がめぐらされている。ここに最初に閉じ込められたのは、オリュンポス神族と戦って敗北を喫したティタン神族であった。タルタロスは本来単なる隔離場所に過ぎなかった。ホメロスとヘシオドスにおけるタルタロスは暴力的な制裁の場ではなく、ましてや使者が生前の悪行を償う地獄ではなかった。しかし後代になるとタルタロスは大罪人が死後に厳罰を科せられる仕置き場に変貌していた。
終末論の変容
死生観の変化に伴って終末論も変容するが、その変容もピンダロスには反映されている。ホメロスの世界の人々は、光溢れる地上での生を、この世の苦痛や苦悩も含めて深く愛した。けれども時代が下るとともに、生を全面的に肯定する姿勢に翳りが見え始めた。ピンダロスは「ピュティア祝勝歌」第8歌に次の一節を残した。人間は影の見る夢にすぎない、だが、神の授ける光が射せば、人の世は輝き、甘美な人生が訪れる。生はつかのまの幻影のようなものであって、無条件に喜ばしきものではない。ピンダロスのライバルとされる抒情詩人バッキュリデスは、ヘラクレスが冥界でメレアグロスの亡霊と出会う神話的場面を描いた。ヘラクレスは「人の身に最善は生まれぬこと、陽の光を目にせぬこと」と口にする。この箴言めいた言い回しにはヘロドトスと会い通じるペシミズムが影を落としている。ペシミズムの度合いはソポクレスに比べるとまだそれほど深くない。悲劇詩人ソポクレス「コロノスのオイディプス」(前401年)になると生に対する悲壮感はさらに深まる。生まれて来ないのが何よりもましだ。が、この世に出てきてしまった以上はもとのところになるべく早く帰ったほうがそれについでずっとましだ。
 人生観に正反対と言ってよいほど大きな相違が生じた原因は何だったのだろうか。それは、時代状況の推移とともに古代ギリシアの政治・経済・社会などが変貌をとげたことと決して無縁ではなかったであろう。


野村證券スキャンダルの検証 2/2 ~相場操縦

1990年代、アメリカの大投機時代を代表する二人の人物がいた。アイバンボウスキーとマイケル・ミルケンだが、彼らはウォール街の錬金術師といわれた。そのボウスキーがインサイダー取引の罪でSECに摘発され1億ドルの罰金を払わされた上、3年の実刑に処せられたのは1986年のことであった。ウォール街を震撼させたこの事件はさらに拡大し投資銀行の幹部たちを巻き添えにしたが、ついに、ジャンクボンドの帝王マイケルミルケンに波及し、6億ドルの罰金と10年の体刑に処せられて、ミルケンが刑務所送りとなったのは1990年のことであった。ミルケンが所属していたドレクセル・バーナム・ランベールは倒産し、バベルの塔はあっけなく崩れ去ってしまったが狂乱の80年代を象徴する事件であった。
1989年4月~11月にかけて稲川会の石井会長が野村證券と日興証券を通して、東急電鉄株を2240万株も買い集め、さらに他人名義で140万株、計2380万株を買い占めたことが明らかになっている。北祥産業(千代田区、庄司宗信社長)は、事実上石井前会長がオーナーで東京佐川急便とも関係がある不動産業の会社だ。小谷光浩被告が、巨額脱税で逮捕された竹井博友から1000億近くの返済を迫られた時、蛇の目ミシンに対して、暗に暴力団の後ろ盾があることを示唆した時に利用した会社としても知られている。  石井会長は茨城県のゴルフ場岩間カントリークラブのゴルフ場会員資格保証金預り証というほとんど無価値の紙切れを発行している。なぜ紙切れかと言えば、もともと岩間カントリークラブは会員制のゴルフ場ではないからである。ところがこの紙切れと担保に、東京佐川急便80億円、青木建設50億円、間組24億円、平成ファイナンス(野村証券子会社)24億円、グリーンサービス(日興証券子会社)20億円、ケー・エス・ジー(光進関連会社)70億円、仕手筋の安達グループ関連と誠備グループ関連などからの資金合わせて384億円の資金が提供されているのである。
これまで裁判所の判例として現れている株価操縦(相場操縦)は3件しかない。証券取引法125条の相場操縦とは、株式市場などの有歌証券市場での売買取引を誘引する目的で、その有価証券の売買が非常に盛んに行われているように誤解させ、またその相場を変動させるための売買取引、またはその委託、受託を行うことである。 いくら世間的に見て相場操縦とわかっていても、”有価証券市場における有価証券の売買を誘引する目的”さらに”その有価証券売買取引が繁盛していると誤解させ又その相場を変動させるべきもの”があると立証されなければならない。
協同飼料事件、副社長と経理部長らが資金調達の方法を考えた。まず株主割当の増資を行って、その後に時価発行することにした。だが、この2つの資金調達をクリアーするためには日程に合わせて協同飼料の株価をうまく操縦してつり上げる必要があった。そこで株主割当増資に関係する売買取引が増資の権利落ちとなる前後に株価操縦することになったのである。当然、協同飼料側の人間だけでは実行できることではないので、N証券、D証券の支店長その他計5人と共同謀議を行ったわけである。株式買い上げ資金は主として協同飼料が出すことになり、614万9千株をN証券、D証券が継続買いに入り、10万4千株の仮装売買などを行って株価変動のための取引を行い170円台の株価は256円となり権利落ち株価は220円にすることができた。次に時価発行公募価格を有利にするため、株価の維持を計り、86万6千株を買ったというものである。
東京証券金融事件、丸茂工業は買い占めた(1978年)大阪二部上場の日本鍛工の株式の大半を親会社に当たる大同特殊鋼に売り渡した。残りの株式は、東京証券金融会社の社長であるAと相談した結果、Aから投資家のTに売ることになった。AはTに対して、”これからも買占めは続けるので、日本鍛工は上がるはずだし、万が一下がった場合には、売った値段で買い戻すから心配ない”と補償したのである。だが、実際には買い占めるはずの丸茂工業側が約束を反故にしたため、日本鍛工株は下げ一方となった。大切な顧客の信用を失っては商売に差し支えると考えたAは日本鍛工株の株価操縦をすることを思いついたのである。かねてつきあいのあるY証券コミッションセールスマンSに相談を持ちかけ、X証券に事情を話して、1980年388万株の仮装売買を行い、一般投資家から見ると人気がさかんなように見せかけようとしたのである。この事件が発覚して東京地裁は、1981年にAは懲役2年、Sに1年の刑を課している。
91年7月2日夕刊・読売新聞は次のような記事を掲載している。
広域暴力団稲川会の東京急行電鉄株大量買いにからみ、野村證券が平成元年10月東京と大阪で法人、個人の大口投資家を集めた講演会を開き「東急株は現在2000円前後だが明日から急騰する。12月には5000円を突破する」と煽っていたことがわかった。講演会とセットにされているのが「ポートフォリオウィークリィ」発行されたのは10月15日ごろ、それには東急電鉄株を含めて、東急グループがどんなに有望であるかを並べ立てている。もう一つ忘れてはならないのが、大蔵省と裏取引があったと思わせるように、東急電鉄の推奨のすぐ下に”JR株式、91年度から売却へ”という記事を掲載し、私鉄株を東急電鉄主導で上げていき、JRの高値上場への布石を敷いているのである。東急電鉄株の株価操縦は、単に稲川会がからんだだけの株価操縦事件ではなく、JRを高値で上場して、一般投資家からNTT同様虎の子をむしりとり、同時に暴力団を使って東急グループを買い占めようとした策謀だと考えられるわけである。
野村證券は、日本橋本社ビルに近い東急日本橋店(旧白木屋)の土地が欲しかった。仲介役になったのが元三井信託銀行の中島健社長だったが、東急の横田二郎社長はこれを断ったという。そこで野村は暴力団稲川会の石井会長に話を通じた。暴力団の前会長が東急側に直接話をつなぐわけにはいかないので、最初から東急株買占めについては一口乗っていた横井英樹が仲に入った。インテリジェントビルを建て、名称は東急ビルとして実際は野村不動産が取り仕切るという話だった。この話を押し進めるための無言の圧力として稲川会石井進前会長が発行済みか部数の3%をもって圧力をかけるという図式ではなかったか。
大蔵省の”野村切り “ 証券スキャンダルの表面化の背後には大蔵省の国の資金調達戦略の転換が絡んでいる。
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野村證券スキャンダルの検証 1/2 ~損失補てん

1990年3月の証券13社の連結決算で、野村證券が5千億円を超える利益を挙げた時も、野村の5千億円の利益のうち1000億は証券事故の処理に使われているとささやかれていた。
うーん、変な文章だな。利益から事故処理に使うんでなくて、経費に事故処理をねじ込んで利益は減るんじゃないの?
30%ルール、株式の各銘柄ごとに1ヶ月間で特定証券会社の買いのシェアが30%を超えてはならないとするもので1980年4月に導入されたルールである。あまりにも野村の力が巨大になりすぎ、”野村證券霞ヶ関出張所”と揶揄されている大蔵省の手に負えなくなってきたのがきっかけとも言われる。
証券会社を監督する大蔵省証券局はもちろん、損失補填が商習慣として行われていることを承知していた。知っていたからこそ、1989年には損失補てんをやめるように、との通達を出し、「損失補てん」の温床と言われる「営業特金」を90年までに整理せよと通達を出していたのである。
通達を出し、・・・通達を出していたのである。うーん、この文章の書き方がなぁ、この本のレベルを推察するに十分なヒントだな・・・。
田淵社長は1991年6月27日の野村證券株主総会の席上で、問題の大口投資家に対する損失補てんは「大蔵省了解のもとで行われた」と発言した
田原総一郎はこう述べている。「『野村を叩け』という声が大蔵省内部で出始めてどんどん高まった」
証券取引審議会は、大蔵省の意向で、銀行、証券の垣根を取り払う、という方向でまとめようと図ったのだが、銀行が証券業界に進出すれば証券会社は不利になると、証券界のリーダー企業・野村證券が寝たふりを決め込んでしまったのだ。「田淵社長が『出るところへ出て決めよう』といったというので、大蔵省側はカンカンに怒った。出るところとは国会のことで、つまり、野村国会議員たちに十分鼻薬を効かせてあるので、国会でならば大蔵官僚たちの野望を打ち砕いてやるということなのですよ。」
野村スキャンダルが発表された20日の前日には、証券取引審議会の報告が出され、ここでは銀行と証券業界が、子会社方式で、相互参入する方式を提唱している。
バブルを育み、証券スキャンダルを育んだ土壌は「中曽根民活」である。「NTT株売却」作戦は、大蔵・野村共同作戦であり、両者共謀で国家的株価操縦が展開され、一般投資家が株式市場に動員され犠牲の羊に供された。その延長線上にJR株問題がひかえている。
共謀だってよ。発行会社が一円でも多く集めようとするのは当然。それに野村も協力するのも自然。それが共謀ねぇ。
補填先リスト
1990年7月29日付、4大証券は196法人、3個人、1283億円を発表、中堅13社(386件、437億円)。
株式市場が暴落を始めたのは、1990年1月のことであって、公表されたリストは3ヵ月後の1990年3月までに損失補填した客のリストで、むしろ未発表の1990年4月から1991年3月までの分が補填した額も件数も本当に大であろう。
日立、松下、新日鉄以下一部上場のトップ企業がずらりを顔を出している。公表前に「企業もモラルを正せ」と言っていた経団連も発表後にはクシュンと音なしになってしまった。経団連12名の副会長出身企業のうち5つの企業がリストに顔を並べていたからだ。次に目立ったのが公共団体だ。なかでも厚生年金事業団は補填金額が45億円と大規模である。大蔵省証券局長だった板野常和が天下って会長となっている日本化薬が500万円の損失補填を受けていることに世間はあきれさせられた。

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ギリシア神話 神々と英雄に出会う7/17 ~鋼鉄の女たち

アルテミス
大女神の特性の一つである「野獣の女主人」を継承した鳥獣の守護神であり、同時に森や野原をかけめぐって狩猟をする女神でもある。もともとは多産や子どもの守り神で子を産む女性の神話は本来すべてアルテミスの神話であったとさえ言われる。性愛をめぐる立場ではアプロディテと対極に位置するが、畏怖すべき女神であるという点では官能の女神にまさるとも劣らない。「アルテミスの矢に射られる」という言い回しは女性の原因不明の突然死の比喩的表現であり、死をもたらす一面がアルテミスにあったことを暗示する。ニオベの物語では、ニオベは多くの子宝に恵まれたことを自慢し、アルテミスとアポロンの二柱の神しか産まなかったレトより自分の方が子どもの数で勝っていると豪語した。するとただちにアルテミスとアポロンの矢がニオベの子どもたちに次々と襲いかかり一人残らず奪い去った。ニオベは悲嘆のあまり、涙を流し続ける石になったという。
アテナ
アテナイの守護神の地位をめぐる海の神ポセイドンとの覇権争いの物語において、住民に最も有益と思う贈物をすることになったとき、アテナはオリーブの木を人々に送った。ポセイドンは海の神にふさわしく、三又の鉾で地面を突いて海水を湧き出させた。あるいは馬の神でもあることから馬を出現させ、調教の技を人間に授けたとも伝えられる。この勝負では結局、オリーブの木を出現させたアテナに軍配があがった。なぜオリーブがそんなに尊重されたのかわたしたちには理解しがたい。だが、その理由は、オリーブが現実世界での経済的価値に求められる。今と同じように古代にもオリーブの実は食用に供され、その油は調理にも薬用にも用いられた。油は昔は灯りをともすために欠かせないものでもあった。それ以上にアテナイの経済を支える重要な輸出品でもあったのである。
アテナイ(Athenai)という都市名は女神の名称アテナ(Athena)の複数形であるため、英語のAthensにも複数形であることを示す-sがついている。この女神を祀る神殿は、アテナが処女(parthenos)であるがゆえに、パルテノン(Parthenon)と呼ばれる
アテナは戦いの神でもあり、英雄ベレロポンのキマイラ退治やペルセウスのメドゥサ殺害を援助したのはアテナであり、剛勇ヘラクレスの華々しい成功の陰にも常にアテナがいた。
パリスの審判
ヘラとアプロディテとアテナが争ったエピソードはパリスの審判と呼ばれ、トロイア戦争の伝説の発端となった有名な話である。中心人物は別名アレクサンドロスとも呼ばれるトロイア王子パリスで、審判でパリスが主審をつとめたのは一種の美人コンテストであった。ことの発端はトロイア戦争の英雄アキレウスの両親の結婚式にさかのぼる。ゼウスは女神テティスを追い求めていたが、テティスは自分の育ての親であるヘラをはばかってゼウスを拒んだ。ゼウスが彼女を断念したのはテティスから生まれる息子はその父親を凌ぐだろうという予言のせいであった。ゼウスは人間のペレウスという人間の男に彼女を嫁がせることにした。すべての神々がペレウスとテティスの結婚式を盛大に祝う中、ただ一人だけ華燭の宴に招かれなかった女神がいた。その名はエリス「争い」である。争いを引き起こす女神エリスは名前の通りトラブルメーカーであるから、招待されようとされまいといずれにせよ、問題を起こしたに違いないが、エリスはこれを恨み、「最も美しい女へ」と書かれた黄金の林檎を祝宴の真っ只中に投げ込んだ。この林檎をめぐって、ヘラとアプロディテとアテナは自分のものだと主張して譲らない。困り果てたゼウスは争点となっている林檎の所有を決めるためにその判定を羊飼いのパリスに委ねた。パリスはトロイア王プリアモスと王妃へ壁の子であるが、生まれて間もなく捨てられた。女神たちはそれぞれ自分に栄冠を与えるなら贈物を授けようとパリスに申し出た。ヘラは全世界を支配する王の権力を、アテナは戦争での勝利を、アプロディテは絶世の美女との結婚を彼に約束した。そしてパリスが選んだのは、世界一美しい女性ヘレネとの結婚であった。しかし彼女はすでにスパルタの王メネラオスの妻であったためにギリシアとトロイアの戦いの幕が切って落とされることになる。
女性が、「自分が一番可愛い」と思いたいのも、今も昔も変わらないと。可愛いと思いたいのよ。それが嘘でも良いんだわ。思うだけだからな。こういう記述はギリシア神話に無いのかなぁ、本当は自分が一番だと思っているくせに、他の女を褒める”嘘”をつきまくる。あの白々しさは、本当にサムイ。


油田爆破

ベンジャミン・フランクリンはこんなことをいってなかったか? 革命は”われわれの”革命というように、一人称で言う時は常に合法だ。”彼らの”革命というように三人称で言う時のみ非合法なのだ
フランクリンは、こうも言ってなかったか? この世では死と税金を除けば確実と言えることは何もない
> お洒落なやり取りですね。
> ベンジャミン・フランクリンはこうも言ってなかったか? ガンマ無き者デリバティブに非ず うーん、なんか今一つセンスが感じられない。
ナゴルノ・カラバフの住民は、投票によって独立を宣言し、その一方でアゼルバイジャンとアルメニアが領有権を争っている。アゼルバイジャンが軍に最新装備を供給できるお金を手に入れたら、地域紛争が一気に爆発するでしょうね。それだけでも両国にとって厄介なのにすぐ南にイランがあるから、もっとすごい爆発になるかもしれない。イランといえばナゴルノ・カラバフのことがなくても海上の石油掘削装置やカスピ海のチョウザメとキャビアのことで、アゼルバイジャンと永年つかみあいの喧嘩をしている。ソ連が睨みをきかせていた頃は、ソ連の共和国がそういうものを好き放題奪っていたものよ。しかも、こういう問題は一つ一つ独立していなくて重なり合っているの。
> アゼルバイジャンも大変だね。イランとロシアに挟まれてる。
> アルメニアとアルバニアがいつも混乱してしまうな。アルメニアがアゼルバイジャンの横で美人が多いと言われる方。ホッジャのアルバニアがユーゴの下。
大規模の油田は4箇所ある。アゼリ、チラグ、グナシリ、アゼルバイジャン。掘削費用を分担しているアゼルバイジャンと西欧の国際企業家連合は油井の独占権は国際法によって守られていると考えている。でも、その主張の根拠は漁業権で定められた境界線にすぎないので、イランとロシアは該当しないと強硬につっぱねている。これまでのところ、この問題はもっぱら外交手段のみの応酬だったけれど。
ライカというのは、ロシア・オプ・センターが使用する監視衛星だ。ソ連が人工衛星に乗せて宇宙に送り込んだ犬-ライカ犬にちなんで命名された。ワシントンDC上空の静止軌道にあり、アメリカ、全ヨーロッパ、アジアの一部の信号を傍受できる。
衛星の正しい使い方
× テレビ、天気予報。
◎ 諜報活動。

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2008.12.08: アラブとイスラエル―パレスチナ問題の構図


ギリシア神話 神々と英雄に出会う6/17 ~女神

女神たち
ヘラ
ゼウスの妃ヘラ、ヘラの名は明らかにインド=ヨーロッパ語系統には属さない。この語族の来襲以前から先住民の信仰を集めていた大女神がヘラの前身である。ヘラが前ギリシア的な独立した女神であったことは、考古学的に実証されているばかりではなく、歴史家のヘロドトスも「ヘラはギリシア北部の土着民ペラスゴイからギリシア人に受け継がれた神である」と言明している。ゼウスをもたらしたインド=ヨーロッパ語族は、先住民の信仰対象を自分たちの最高神の配偶者や子に移すという習合方法によって宗教的支配を図った。しかしゼウスは主権を完全に掌握したわけではなく、過去の信仰の根強さや宗教的融合の不完全さは神話に影を落とすことになった。実際は、ヘラは婚姻と結婚生活の守護神であるが、神話上のゼウスとヘラは円満な夫婦ではなく、たえず口論を繰り返している。歴史的な観点から見ると、ゼウスとヘラの不和の神話には征服民族と土着民の宗教的軋轢が反映されていると解釈するのが自然だろう。神話世界では卓越した大女神の古い記憶はほとんど失われている。ゼウスとヘラの聖婚の神話は前13世紀頃には成立していたと推測され、最高神の妃という従属的な役割へのヘラの転落はすでにその頃始まっていたと思われる。ヘラは夫ゼウスの愛人やその子どもたちを迫害する意地悪な女神に格下げされ、その執拗なまでの嫉妬深さを物語る逸話には事欠かない。
3000年前から、嫁ってお荷物だったのですね。
アプロディテ
ギリシアの女神たちには先住民族の大女神の痕跡が多かれ少なかれ認められるが、アプロディテについては、むしろオリエントからの影響のほうが大きいといわなければならない。この女神の支配領域は、性的欲望とそれを誘発する美に関連している。その根本には多産や豊穣など、大女神に直接連なる職掌もあるが、アプロディテの場合には近東、特にメソポタミアの女神との類似性が顕著でシュメルの女神イナンナやアッカドの女神イシュタルのギリシア的形態であるとさえいわれる。アプロディテの力の前には、最高神ですら屈服せざるを得ない。戦場から夫の注意をそらすために、ヘラはアプロディテから魔法の力を持つ帯を借りて身につける。するといつもなら他の女にしか目が向かない恐妻家のゼウスが、このときばかりはめずらしいことにヘラに欲望を抱き、戦争のことなどすっかり忘れて妻と甘いひと時を楽しもうとする。しかも、こんな山の上では周囲から丸見えだからとヘラが人目をはばかるのに対して、ゼウスは雲でおおってしまえばなんでもない、オリュンポスの館に戻るには及ばないとまで言い出す始末。官能をつかさどる女神の威力はかくも驚異的である。
これも昔からですね。女神たちはこの事実を知っているから男としては厳しいところです。有害図書指定ジョージ秋山のラブリン・モンローにて「男の人って可哀そう。一生、性欲の奴隷ですものね。」というような台詞があったのを思い出しました。
アプロディテの恋人たち
羊飼いのアンキセス その子どもがウェルギリウスの『アエネイス』の主人公のアエネアス。アエネアスはトロイアの英雄。
アドニス キュプロスの王女ミュラは実の父親に恋心を抱き、その感情を恥じるあまり死を選ぼうとした。しかしミュラの乳母は一計を案じ、実の娘だという事実が露顕しないように巧みに仕組んでミュラを父親の寝室に送り出した。だが逢瀬を重ねるうちにとうとう恐るべき事実が発覚し、父は娘を殺そうとする。ミュラは逃亡し、神に祈り、生も死も拒んだところ、その体は没薬(ミュラ)の木に変身した。この木の裂け目から生まれたのがアドニスである。
官能の女神の強い力を断固として拒否する女神もいる。処女神のアルテミスとアテナ、そしてヘスティアである。性的欲望を喚起するアプロディテと貞潔を尊ぶアルテミスの拮抗をみごとに象徴するのはパイドラの恋物語である。パイドラはアテナイの英雄テセウスの後妻で、古典期の悲劇詩人エウリピデスの『ヒッポリュトス』(前428年)に登場する。舞台で繰り広げられるのはあくまでも人間達のドラマであるが、その背後には神々が厳然と存在する。テセウスは先妻との間にヒッポリュトスという息子がいた。彼は狩猟に明け暮れ、純潔の女神アルテミスだけをひたすら崇拝していた。この青年の眼中には女性など一切なく、愛と官能の女神アプロディテを毛嫌いして敬意を払わない。神威をないがしろにされたアプロディテは、異性愛を拒否するこの不敬な若者に憤慨し、彼を罰するために彼の義母に激しい恋心を吹き込んだ。パイドラはヒッポリュトスに思いをつのらせ、自らの恋を恥じ、思いつめる。パイドラの乳母がその思慕の念をヒッポリュトスに伝える。ところがこの潔癖な青年には義母の懸想は邪悪な忌むべきものと映る。愛を拒まれたパイドラは恥ずかしさのあまり、首を吊って自害する。けれどもそのとき意趣返しにパイドラは、ヒッポリュトスが自分を辱めようとしたという、嘘を伝える書置きを夫に残した。テセウスは亡くなった妻の言葉を鵜呑みにして、即座に息子を館から追放するとともに、呪いをかけた。ヒッポリュトスは海から突如として現れた怪物に襲われる。戦車から落ち、馬に引きずられた青年はこうして短い生涯を終えたのである。


競争と公平感 市場経済の本当のメリット 3/3 ~規制と経済効果

公共心と解雇規制
不正に社会保障給付を受け取ることへの罪悪感が小さい社会では失業保険が充実せず、解雇規制が強いそうだ。発覚しなければ政府の給付を不正に受け取っても良いと考える人の比率が高い国ほど、失業給付の水準が低く、解雇規制の程度が高いことをOECD諸国のデータを使って実証している。道徳観が高いのは北欧諸国で、低いのはフランスやギリシャなどの地中海沿岸諸国であった。ちなみに日本は、OECD諸国の真ん中くらいになる。
俺も低いだろうな。「俺がもらう立場にないとしても、代わりにてめーが俺の払った税金を取り返してこい。」
つまり、伝統的経済学が念頭に置いてきた極端に利己的な人々を前提とすれば労働市場の規制が強くなるという皮肉な結果が得られるのだ。失業は多くの人にとって最大の所得リスクである。失業リスクに備えるための公的政策は失業保険制度である。
そうか、俺の考え方は伝統的経済学の念頭に置かれている考えなんだ!
何を持って貧困とするか?
2009年10月、厚生労働省は日本の相対的貧困率を公式な統計として初めて発表した。2006年において、15.7%という数字はOECDの中でも高水準である。日本で高いのは相対的貧困率であって、絶対的貧困率ではない。相対的貧困率は所得の順位が50%の人の所得の半分以下の人の人数比である。日本では比較的低位から中位の人の所得が高いので50%目の人の所得(中位所得)は高めに出る。もし、真ん中の所得階級の人の半分の所得がないと強いストレスを感じて貧しいと思う人が多ければ、相対的貧困率の指標は意味がある。
俺、この相対貧困率嫌いね。低所得者層、つまり相対貧困者だが、7人に一人が当てはまるその小さな社会では、「人の所得を必要以上に気にして、無駄に不満を感じる」傾向が強い。特に日本の給与所得者は、低所得者でなくても所得差を気にする傾向がある。1000万以上もらっている奴がそれ以上もらっている奴をネタに不満を感じるという現象だ。いずれの相対貧困者も存在するし、彼らが不満そしてストレスを抱いていることも知っている。だが、彼らに革命は起こせない。貧困で生命の維持に危機を感じているわけではなく、なんとなく自分より恵まれている人を見て妬み、そしてその原因を自らの中に認めず、会社や社会のせいにしている典型的な民だからだ。そんな連中の「不満やストレス」など、国家として気にするべき指標ではないのは明らかだ。
管理職の責任と長時間労働
日本の会社でホワイトカラーが長時間労働になる一つの理由は、無駄な長時間の会議が多すぎることだろう。職場で会議をすることのメリットは、職場全員で情報を共有することができて生産性を高めることができるからである。しかし、多くの会議は、参加者にほとんど関係のないように思えることまで、報告されることもある。これは会議で報告して全員の了承を得たという担当者の責任逃れや実績作りが原因ではないだろうか。
そうか。会議の目的は、全会一致と責任逃れか。それ納得だな。
最低賃金引き上げは所得格差を縮小するか?
最も被害を受けるのは生産性の低い人 貧困解消の手段として多くの人が考えるのが最低賃金の引き上げである。産業、職種にかかわりなく適用される地域別最低賃金は09年の時点で、最も低い沖縄629円から東京の791円までの間で分布しており、全国平均は713円である。そもそも最低賃金引き上げは、本当に貧困解消策として有効なのだろうか?
 実は、最低賃金引き上げで被害を受けるのは、新規学卒者、子育てを終えて労働市場に再参入しようとしている既婚女性、低学歴層といった、現時点で生産性が低い人たちだ。彼らの就業機会が失われると、仕事しながら技術や勤労習慣が身につけることもできなくなる。
最低賃金は既に高いんだよね。例えば、スーパーのレジ打ちのように参入障壁が低い仕事でも713円もらえるわけだ。一日8時間週休二日で働いて、月約12万円。年収140万円の給料取りとなる。では一方、その10倍の所得をもらっている人の仕事を聞いてみよう。それは任天堂でソフトの開発責任者をしているかもしれないし、商社でオイルのトレーディングをしているかもしれないし、銀行で大手企業のファイナンスを提案しているかもしれない。いずれにしても、一朝一夕に誰でもできる仕事ではないのは明らかで、それができる人とあらばレジ打ちができる人の1%にも満たないだろう。
かなり大雑把な仮定で計算するが、GDP比で民間最終消費支出が約59%、そして総固定資本形成が21%だから、消費にまつわるレジ打ちに値する富が59%、総資本形成=投資に値する富が21%と仮定し、それができる人の比率を仮に100:1とした場合、59を100で分配するのに対し、21を1で分配するから所得格差は35倍程度になってもおかしくない。それが10倍しかない方がむしろ不自然だとは思わないか?
誰が税を負担しているか
価格の表示方法や自動支払いか否かによって、私たちが価格に対する行動を変えるということが事実であれば、伝統的な経済学の前提は大きく崩れてしまう。最も大きな影響を受けるのは、税に関する議論であり、それを考慮した分野が行動財政学と呼ばれている。誰が本当に税を負担しているかということで議論になる税の種類に、社会保険料の労働者負担と事業主負担がある。伝統的な経済学では、事業主負担の社会保険料であれ、手取り賃金を引き下げるという意味では同じなので、第一義的な負担者がどちらかであるかということと、実質的な負担者が誰であるかということは無関係だと考えてきた。ところが、経済学者以外には、直接税や社会保険料を負担するということと実質的にそれらを負担することは同じだと考えられている。「A事業の費用は、事業主負担分の社会保険料から支出されているから、その使い道は、事業主の便益になるようにすべきだ。」という趣旨の意見が財界から出されたり、「社会保険料の労働者負担を減らして事業主負担を増やすべきだ」という意見が労働側から出たりする。また厚生労働省も公的年金の収益率を計算する際、労働者の保険料負担支払い額の計算には労働者負担分しか考慮に入れない。
表面上、誰が税を払うかで行動が変わってくるのだとすれば、政府は目立たない税を選ぶことになるだろう。所得税や消費税は目に見えやすい課税だ。所得税はサラリーマンであれば源泉徴収票を見た時に分かるし、自営業であれば申告する際に分かる。消費税は買い物するたびにわかる。ところが法人税や事業主負担の社会保険料は源泉徴収票にも書かれていないし、商品の値札にも書かれていない。つまり国民の多くには、目に見えない税金だ。そういう税金に税源がシフトしていく可能性がある。ところが単に目立たない税が、実質的には貧困者により多く負担される税になってしまうかもしれない。逆に、事業主負担の税金が正社員の賃金引き下げに転嫁できないのであれば、そのコストを非正社員や消費者が支払っているかもしれない。私たちは「目立つ」負担にだけ注意するのではなく、本当の負担に注意して税、公共料金や社会保障制度を考えていく必要がある。
所得税率が累進で高いのはよくある話だが、配当課税、株式譲渡益課税、為替・デリバティブの譲渡益は雑所得扱いで総合課税と結局直接的に金を受け取ろうと思うと、課税される包囲網ができあがっているのが日本の税法だ。
【国家権力による搾取】
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2010.10.14: 道路の権力1
2010.08.24: 中国の家計に約117兆円の隠れ収入、GDPの3割
2010.07.05: 警視庁ウラ金担当
2010.05.20: 秘録 華人財閥 ~独占権、その大いなる可能性
2009.08.14: インド独立史 ~東インド会社時代
2009.01.07: ユーゴスラヴィア現代史 ~国家崩壊への道
2008.09.24: 俺の欲しいもの
2008.09.23: 被支配階級の特権
2008.07.18: Olympic記念通貨に見る投資可能性



競争と公平感 市場経済の本当のメリット 2/3 ~素質

薬指が長いと証券トレーダーに向いている
薬指は人差し指に比べてどの程度長い? 10%以上長いと証券トレーダーに向いているかもしれない。指の長さの比は男性ホルモンであるテストステロンの量と相関があることが知られている。一流のサッカー選手、オーケストラの演奏者、大相撲などにも薬指の長い傾向がある。瞬間的な判断力を必要とする職種では、テストステロンの量が重要な資質として機能するようだ。竹内久美子のエッセイの中に、女性は薬指の長さをみるという表現があった。彼女の解釈は、男性ホルモンの多さと生殖能力の高さには関係があるというものだ。それだけではなく経済力の大きさの指標になっているのかもしれない。
ドキッとして今、薬指と人差し指、比較しただろ?
出生時体重が10%重いと所得を1%高めている
カリフォルニア大学ロサンゼルス校のブラック教授らはノルウェイの双子同士での出生時体重の違いがIQ、教育、所得などに影響を与えることを明らかにしている。彼らの推定によれば、出生時体重が10%と重いと所得を1%高めているというのだ。日本では出生時体重の低下が続いてきた。この傾向は若い女性の間のやせ願望が大きな要因になっている。また、若い男性の失業率が高いと出生時体重が下がる傾向もある。母親のストレスが影響するのかもしれない。2006年に厚生労働省は「妊産婦のための食生活指針」(健やか親子21推進検討会報告書を策定し、妊娠中は過度に栄養制限を行わないで適切な栄養を摂取することを推奨したのだ。ところがまだまだ多くの産婦人科で、体重抑制指導がなされているのではないだろうか。
やる気や協調性、リーダーシップといった非認知能力が社会で成功する上で重要な要因・所得にプラスの影響を与えることが確認されている。非認知能力の一つに時間割引率がある。将来のことをどの程度割り引いて考えるかという程度を表す。高いと将来のことをあまり重視しないことを意味する。低いと将来のリターンを重視することになり、教育や訓練を受けて生涯所得が高くなることが予想される。
 時間割引率は生まれつき決まっているものなのだろうか。子供に対する利他的動機をもった親が将来子供の直面する経済環境に最も適した時間割引率と余暇選好を形成するように努めることをモデル化することで、産業革命を描写した研究がある。このモデルの前提となっているのは、親の教育の酔って子供の時間割引率が変わるというものである。親の貯蓄行動が子供の教育や貯蓄に影響を与えていることを示した研究もある。
子供の時間割引率か。それを変える方法はわからないが、測定は意識していればすぐにわかるな。「ご飯」と要求してくるまでの朝起きてから時間、長いほど低い。おもちゃの要求頻度、そしてその後保持し続けるおもちゃの数、それから実際の遊んでいる時間。金(小遣い)の使い方を見ていてもわかる。おっと次項にもっとわかりやすい事例が紹介されているではないか。早速見てみることにしよう。
夏休みの宿題はもう済ませた?
子供の頃、夏休みの宿題を夏休み最後の日に必死になって仕上げた記憶を持っている人は多いだろう。ダイエットしようと思っていてついつい食べ過ぎてダイエットに失敗した経験を持っている人もいるのではないか。カードを使って買い物しすぎて多額のカードローンを抱え込んでしまう人もいる。年金未加入問題も、多くの未加入である若者は、老後の年金よりも現在の消費を重視して年金保険料を支払わないという選択をしている。後で後悔することはよくあることだ。ところが伝統的な経済学では後悔しない人間を前提にしてきた。経済学では、このような人々の行動を時間整合的と呼ぶ。後悔する人が少なくないにもかかわらず、伝統的な経済学では後悔しない人を前提にしてきたのはなぜだろう。たしかに宿題をきちんと提出できない人は、まともな経済生活ができず、市場競争で淘汰されてしまい、影響力を持つのは後悔しないような経済行動する人だけになる、というのが標準的な考え方だ。実際、社会には合理的で後悔しない人にとっては、いわばおせっかいとも言えるような規制に満ち溢れている。代表的な例は、強制加入の公的年金制度である。後悔するような非常に人間的なタイプの人を経済モデルで分析する分野が最近急速に発展してきており、行動経済学と呼ばれている。
 タバコを吸う人の多くはギャンブルもやるし酒もやる。特にもともと後回し鼓動を取るタイプの人は中毒材から抜け出すことが難しい。
投資一族の血を受け継ぐものは、その資質として、夏休みの宿題を最終日にということは絶対にない。7月の最終週、すなわち夏休み開始一週間で子供が言った。
子供「宿題は全部終わった。後は日記だけだ。」
父 「ふふ、一週間か。俺もそうだった。一週間もあれば無理なく宿題を終わらせることができる。宿題を終えるためにかかった時間は同じだが、終わった時期が俺と違う。俺は夏休みが始まる頃には、既に宿題は終わっていた。夏休みの宿題は終業式に配られたのか?」
子供「いや、一週間くらい前に配られた。」
父 「そうであろう。俺の時代もそうだった。俺は、配られたその日にスタートを切っている。配られたということはもう始めて良いということだ。一週間前に配られたのなら、夏休みが始まる頃にはちょうど終わる。俺とおまえは、同じ時間をかけているゆえ、能力は変わらない。だが結果・宿題を終わらせる速度は違うのだ。」
食い過ぎも起こりえない。欲のコントロールの根源は、幼少時の食欲のコントロールから。過食は投資家として資質がないとみなす。さすればタバコの吸い方も変わってくる。惰性で一日一箱とか絶対にない。45分で切れるニコチンの毒を2時間耐え、禁断症状でまくりの状態で吸う一本は格別にうまい。このマゾヒズムを理解できないのなら、投資一族としてタバコは吸うべきではない。この節度を持ってギャンブルを嗜好として楽しむ分には、大いに推奨する。ギャンブルの極みであるデリバティブの世界まで、お前がたどり着くことを俺は待っているぞ。
【愚民の欲】
2011.11.30: 利休にたずねよ3/4 ~茶の湯の極意
2011.10.13: 日本中枢の崩壊 2/2 霞が関
2011.07.22: 死刑囚 最後の一時間 2/2 ~死刑囚
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2010.11.25: 初等ヤクザの犯罪学教室 ~割に合わない犯罪
2009.12.29: 何のために生きるのか?ふと考えるときがある
2009.05.07: 幸福感と欲の関係



競争と公平感 市場経済の本当のメリット 1/3 ~日本人と競争

もしあなたが漁師だったら
サラリーマンのように毎日8時間漁に出かけるような仕事の仕方をするだろうか。漁師の仕事はきつくて、どの働き方の漁師も一週間の労働時間は40時間だとしよう。毎日の天候がランダムに変化しているとしよう。この時、毎日8時間タイプ、目標漁獲高タイプ、大量時集中タイプのどの漁師が、一週間での漁獲高が一番多くなるだろうか。答えは大漁の時に集中して働くタイプである。なぜなら一週間で働く労働時間が決まっているのだから、最も魚が獲れる時間に集中的に働いた方が、魚が獲れない時間に長く、魚が獲れる時間に短く働くより、より多くの魚が獲れるからだ。若手芸能人や歌手が売れっ子になると、ほとんど寝る間もないほど働き続けるのも同じ理屈だ。人気がいつまで続くかわからない以上、仕事の依頼がある時は睡眠時間を削ってでもできるかぎり引き受けて人気がなくなった時に十分休めばいいのだ
一日の目標金額を決めて仕事をすると、お金を貯められないだけでなく、大損してしまうことになりかねない。ギャンブルで毎回の損益を絶対にマイナスにしないように、決めているとしよう。競馬の最終レースまでの間に負けが込んでいたら最終レースで大穴を狙いに行ってしまうかもしれない。パチンコで三時間やって負けていた場合も、大当たりを狙ってもう一時間挑戦してしまうかもしれない。どちらもとても危険な行動だ。毎日の目標額を決めて行動するという「計画的な態度」が悲惨な結果をもたらしかねないのだ。
競争嫌いの日本人
貧富の格差が生じるとしても、自由な市場経済で多くの人々はより良くなる という考え方にあなたは賛成するだろうか。主要国の中で日本の市場経済への信頼は最も低く49%しかこの考え方に賛成していない。これに対してアメリカでは70%の人が賛成している。では自由な市場経済に信頼を置かない日本人は、市場ではなく、政府の役割を重視しているのだろうか。同じ調査では「自立できない非常に貧しい人たちの面倒をみるのは国の責任である」という考え方に賛成するか否かを尋ねている。日本ではこの考え方に賛成しているのは59%である。実はこの数字も国際的には際立って低い。ほとんどの国が80%以上の人が貧しい人の面倒をみるのは国の責任だと考えている。つまり日本人は自由な市場経済のもとで豊かになったとしても格差がつくことを嫌い、そもそも市場で格差がつかないようにすることが大事だと考えているようだ。
民主党、社会民主党、国民新党の三党は、2009年8月30日の第45回衆議院選挙での自公連立政権からの政権交代を受け、連立政権を樹立することになった。そのための三党合意文書の冒頭には、「小泉内閣が主導した競争至上主義の経済政策をはじめとした相次ぐ自公政権の失政によって、国民生活、地域経済は疲弊し、雇用不安が増大し、社会保障・教育のセーフティネットはほころびを露呈している。」という文章がある。
人生の成功に重要なのは勤勉よりも運やコネ という考え方が不況で強まったのは事実だろう。運・不運による所得の差を小さくするものは民間の保険、家族の助け合い、そして税や社会保障による再分配制度である。こうした政府による所得再分配政策や雇用創出政策は、市場機能に制限を加えて行うものではない。しかし現実には市場主義そのものに問題があり、市場に対する様々な規制を加えていくべきだという議論になった。最低賃金の引き上げや製造業派遣労働の禁止が2009年の民主党の選挙公約にあげられたのは、そうした反市場主義的な考え方を反映している。規制を強化すると規制で守れた人のなかでの格差が小さくなり、そのなかでの運・不運の要素は小さくなるが、規制の枠に入れなかった人たちとの格差は拡大する。規制に枠に入れるかどうか、という運・不運の要素が大きくなってくるのである。最低賃金の引き上げによって、運よく職を得られた人は高い賃金が得られ、働いている人の間での格差が縮小する。しかし、最低賃金の引き上げは、仕事に就けない人を増加させるため、失業者と就業者の間の格差は大きくなり、それこそ運不運の差を拡大してしまうのである。

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ギリシア神話 神々と英雄に出会う5/17 ~キリスト教

洪水伝説
パンドラ神話の後日談としてデウカリオンとピュラが登場する。デウカリオンはプロメテウスの息子でパンドラとエピメテウスの娘ピュラと結婚していた。ゼウスが邪悪な人類を滅ぼすために大洪水を引き起こそうとした時、デウカリオンとピュラは先見の明のあるプロメテウスの忠告に従って、あらかじめ箱舟を作った。9日間にわたって大雨が降り続いた後にやっと水が引き、難を逃れたこの夫婦が箱舟から出てみると、地上には誰ひとりいなかった。二人がゼウスに感謝の犠牲を捧げると、神は彼らの望みをすべて叶えてやろうと約束した。そこで彼らがこの世に人間が満ち溢れることを願うと、ゼウスは母の骨を肩越しに投げよと告げた。彼らは母の骨とは大地の石のことであると悟り、デウカリオンが石を後ろに投げると石は男になり、ピュラが肩越しに投げた石は女になった。この物語は民衆(laos)の起源を石(laas)とするものでたぶんに語呂合わせの要素を含んでいる。ギリシア人は自分達はデウカリオンとピュラの末裔であるという自己認識を抱いていた。彼らはヘレネス(Hellenes)と自称したが、ヘレネスという名はデウカリオンとピュラの息子ヘレン(Hellen)に由来する。
激似だ・・・
旧約聖書のノアの物語、「創世記」によると神ヤハウェは人類を滅ぼそうとしたが、義なる人であるノアにだけ箱舟の建造を命じた。彼は家族とあらゆる種類の動物をつがいで箱舟に乗りこませた。40日間も大雨が続いた後、150日目に放ったカラスとハトが戻り、さらに7日後に放ったハトはオリーブの葉をくわえて箱舟に帰ってきた。また7日後にハトを放ったが、それが戻らなかったため、ようやくノアは箱舟の外に出て神に供物を捧げた。ノアの物語の他にも、オリエントには洪水伝説がいくつもあった。前3000年紀のメソポタミア南部のシュメル人の神話では、「永遠の生命」を意味するジウスドラが知恵の神から洪水の予告を受け、船に乗り込んで助かっている。ジウスドラは太陽神に感謝の供物を捧げ、永遠の生命を授かった。やはりメソポタミア南部、前2000年紀にいたアッカド人の神話「アトラ・ハシス」でも人口増加を憂慮する神々が洪水による人類滅亡を企てる。しかし知恵の神エンキに造船を命じられたアトラ・ハシスだけが船に動物たちを乗せて難を逃れた。大洪水のモチーフは古代オリエント文学で最も有名な『ギルガメシュ叙事詩』にも見出される。シュメル人の古い伝承を基にして前2000年紀にバビロニア人がまとめたもので、アッカド語やヒッタイト語、フリ語などの版も存在する。主人公であるギルガメッシュは死を恐れ、永遠の生命を獲得した人物に会うために苦難に満ちた旅を続け、最後にようやくウトナピシュティムのもとにたどり着く。ウトナプシュティムは知恵の神エアの指示で船を作って洪水を逃れた人物である。彼はノアと同じように箱舟の中にすべての種類の動物を積み込み、やはり何度か鳥を飛ばして水の引き具合を確かめる。最後にカラスを放ったところ、それが戻ってこなかったので、ウトナプシュティムは箱舟から出て神々に祈りを捧げ、永遠の生命を与えられた。
 神々の王権継承神話がメソポタミアの影響下で成立したことや、年間降水量が少ないギリシアの気象条件などを勘案すると、このデウカリオンの洪水伝説もオリエントに端を発するという主張は十分に首肯できる。
ギリシア文化を築いた人々は、もとからギリシアの地に住んでいたわけではなかった。ギリシア語はインド=ヨーロッパ語族と総称される言語グループに属する。この語族の祖先の詳細は明らかではないが、彼らは前4000年紀以降、気象条件の変化や人口変動などに促されて黒海周辺から南下し始めた。その一派が前2000年紀あたりから三度にわたってエーゲ海地域に押し寄せてきたが、そこにはすでに、ギリシア語とは異なる言語を持つ先住民が居住していて、生と死をつかさどる大女神を信仰の中心に添えていた。では征服された先住民族の崇拝対象は異民族の侵略によって完全に一掃されたのだろうか。たしかに、最終的にインド=ヨーロッパ語族の信仰が優勢になり、男性神を頂点とする家父長制的な宗教体系が確立されたが、原住民の信仰対象は形を変えながらも、オリュンポスの女神たちに受け継がれた。
言語系統について・・・インターネットで調べてみると・・・、どうも納得いかない”系統だて”です。三大語族は、「インド・ヨーロッパ語族,セム語族,ウラル語族など」と書いてありますが、英語、ラテン語、ヘブライ語などはこれらに網羅されているようであるが、中国語や日本語、アジアの言語は含まれていない。語族という分類法で見ると、日本語族となっている。これ、言語学の本を読まないとわからないが、それぞれの国の愛国心が邪魔をして、主観的な起源説を唱えると喧嘩になるから、分類がうまく進まないのかね?





宋姉妹 中国を支配した華麗なる一族2/2 ~三姉妹の勃興

1927年4月5日、モスクワでは国共合作を推進してきたスターリンが3000人の代議員を前に誇らしげに演説した。「蒋介石は規律に服している。右派が我々にとって役に立たなくなった時には、それを追い出そう。現在我々は右派を必要としている。彼らは帝国主義に対して軍隊を指導し、号令する役に立つ人たちである。そのうえ彼らは金持ちの商人とも連絡があるから彼らから金を作ることもできる。そこで彼らは最後まで利用されてそれからレモンのように絞られて投げ捨てられるべきである。」レモンのように投げ捨てられるのは誰か? その答えが明らかになる瞬間が近づいてきた。
4月12日、上海に突如現れた兵士達が共産党や労働者の組織に襲いかかった。蒋介石が武漢政府への服従のポーズをかなぐり捨て、反共クーデターに踏み切ったのである。不意をつかれた左派勢力は壊滅的な打撃を受けた。
4月18日、蒋介石は南京で国民政府の樹立を宣言した。中国に対するソビエトや共産党の影響力の拡大を懸念していた列強は、蒋介石の権力奪取を歓迎した。
7月14日慶齢はこう声明した。
すべての革命は社会の基本的変革をもってその基礎としなければならない。そうでなければそれは革命ではなく単なる政権の交代に過ぎない。いま、制作は時代の要請に応じて改変すべきだという人がいる。この主張にはいくらかの理はあるが、その変化は逆方向であってはならない。革命政党が革命性を喪失し、革命の旗を掲げながら本来それを変革することを党の基礎としてきた社会制度を擁護する機関としまうような変化であってはならない。孫文博士の政策は明確である。もし党のある指導者達が一貫してそれを実行しないのであれば彼らはもはや孫文博士の真の後継者ではなく党派もはや革命のための党ではなく、軍閥の手に握られた単なる道具であり、圧迫のための代理人であり、現在の奴隷制度に取り付いた太った寄生虫にすぎない中国において革命は不可避である。私の胸のうちには革命に対する絶望は無い。私はただ、かつて革命を指導した人々のあるものが迷って道を誤ったことを嘆くだけである。」
それは蒋介石に対する絶縁状であった。そしてそれは同時に靄齢、孔祥熙、子文、美齢ら蒋介石の側に立つことを選んだ宗一族の人々に対する決別の辞でもあった。
美齢の結婚 蒋介石
二人の結婚をおしすすめたのは靄齢であった。靄齢は蒋介石にこう語った。「あなたはいまや重要人物になりつつある。だがその地位はもろい。上りつめるのも沈むのも同じようにあっけないものなのだ。共産党の陰謀があなたを狙っている。いずれあなたは権力を奪われてしまうだろう。だが私はあなたに協力したい。子文を通じて上海の銀行家たちから資金を引き出し、あなたに提供しよう。武器を買うための金も援助しよう。」
蒋介石が愛したもう一人の女性、陳潔如によれば、この会談ののち蒋介石は彼女にこういったという。「5年間だけ身をひいて私と宋美齢を結婚させてくれ。そうすれば北伐を継続する助力を得ることもできるし、武漢政府から脱して独立できるのだ。これは政略結婚に過ぎない」。潔如はこの懇願を受け入れアメリカに渡った。しかしその後、蒋介石からの音信はぷっつりと途絶えたのだった。
1929年、ソ連から中国革命に対する支援の可能性が絶たれ、モスクワにとどまる意味はなかった。5月ベルリンで声明を発表した。「私は帰国する。しかしその目的は孫博士の遺体を彼が埋葬することを望んでいた紫金山に移す式典に出席するためである。孫博士の基本原則に完全に一致するまで、私は党のいかなる仕事にも、直接的にも間接的にも参加することはできない」子良はこの声明が蒋介石の逆鱗に触れることを恐れ、慶齢に声明の発表を思い止まるよう懇願した。しかし、慶齢はこう答えたという。
「宋家は中国のためにあるのであって、中国が宋家のためにあるのではない。」
わーぉぅ! こういう発想のある女性がいるというのが生きる希望になるな。いつかこんな人と出会えるのではないかという幻想がまた始まる・・・
美齢は慶齢に国民党中央執行委員会への出席を求めた。蒋介石は孫文夫人宋慶齢を国民政府に引き入れることをなおも断念していなかったのである。しかし慶齢はこの申し出を拒否した。
「反革命的国民党指導者の性格が今日ほど恥知らずなものとして明らかになったことはない。国民革命を裏切ったことで、彼らは帝国主義者の道具に堕落した。しかし中国の民衆は抑圧を恐れることなく、偽りに満ちたプロパガンダに惑わされず、ひたすら革命の側に立って戦うだろう。テロリズムは血塗られた反動に打ち勝とうとする我々に決意をさらに確固たるものにするだけだろう。」
1988年 蒋経国が世を去った。国民政府総統には副総統の李登輝が昇格した。しかし蒋経国は国民党主席については後継の規定も設けず、副主席も置いていなかった。その真意は今も明らかでない。そして対立はこの国民党主席の座を巡って怒ったのである。李登輝は蒋介石らとともに台湾に移ってきた「外省人」ではなく、台湾出身の「本省人」だった。国民政府の台湾移転以来、実権を握ってきたのは大陸出身の外省人たちだった。約60万人の軍人を含め、200万人といわれる外省人を中心に国民党は大陸反攻、中国大陸統一と故郷帰還への思いを抱き続けてきたのである。後継問題は宋美齢か蒋経国かといった王朝内の争いではなかった。それは国民党の存在意義そのものにかかわる争いだった。美麗を中心とする外省人保守派は李登輝選出回避の働きかけをしたといわれている。しかし1988年1月27日、国民党中央常務委員会は台湾出身の李登輝を国民党主席代行に選出したのである。台湾ではこの政治的攻防を「宮廷クーデターの失敗」、「小さな無血革命」とも呼んだ。台湾政治はすでに新しい時代へと踏み出していた。台湾国内やアメリカからの民主化要求の強い圧力もあり、野党民主党の結成を容認したり、1987年には1949年以来続いた戒厳令を解除するなど民主化に先鞭をつけていた。
【戦争・内戦・紛争】
2011.10.26: インドネシア 多民族国家という宿命 2/3~紛争の火種
2011.08.22: 実録アヘン戦争 4/4 ~そして戦争へ
2011.03.24: ガンダム1年戦争 ~新兵器 3/4
2010.07.16: ドイツの傑作兵器・駄作兵器
2010.05.26: インド対パキスタン
2010.03.16: イランの核問題
2009.06.05: 現代ドイツ史入門
2009.05.05: 民族浄化を裁く ~ボスニア
2009.01.05: ユーゴスラヴィア現代史
2008.10.21: 東インド会社とアジアの海2
2008.10.20: 東インド会社とアジアの海






宋姉妹 中国を支配した華麗なる一族1/2 ~宋家創世記

宋家三姉妹は、靄齢(アイレイ)、慶齢(ケイレイ)、美齢(ビレイ)という日本語読みに何の意味があるのかわからないが便宜的に日本人はそう呼んでいるようだ。1897年に3人目の美齢が生まれたが、それから半世紀、中国の激動を生き抜いた3人の姉妹はその際立った個性によって人々に記憶されることになる。「昔、中国に三人の姉妹がいた。ひとりは金を愛し、ひとりは権力を愛し、ひとりは中国を愛した・・・」
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姉妹の父、宋耀如(Song Yaoru)
1863年、海南島の商人の家に生まれた。一族の多くはアメリカに渡り、東海岸の都市の片隅で中国産の品々を商う華僑となっていた。耀如も9歳の時アメリカに渡って中国産の茶と絹の商取引の複雑な実務を3年間、13歳の頃、耀如はボストン港から南部に向かって脱走、船員に捕らえられるが、船長のチャールズ・ジョーンズの計らいでキリスト教の教えを受けた。1886年、耀如は上海に帰国し、南メソジスト教会の牧師として伝道に努めた。三男三女に恵まれ、このころから伝道よりも企業経営に傾いていった。製粉・製麺工場に投資、聖書の印刷・出版で成功を収め、財閥への道を駆け上がっていく。幼い姉妹たちの前に父と同年配の男が現れた。男は中国の現状を憂い変革の必要性を熱っぽく説いた。宋家を中国の政治と革命のるつぼに引き込むことになる男孫文である。
宋家の子供たちは全員アメリカに留学していた。ある日、教授が靄齢を呼び止め、君も立派なアメリカ市民になったと彼女をほめた。すると靄齢はクラスメイトの面前で、「私はアメリカ人ではなく中国人であり、それを誇りに思っている」と激しい口調で反論した。3人の中でも慶齢はつねに中国の政治情勢に関心を寄せていた。父の手紙は最新の中国の動きを伝え、彼女は早くから孫文の思想や中国革命の前途に思いをめぐらせてえいた。1911年10月の辛亥革命の成功を知らせる手紙を受け取った時、慶齢は椅子に上って壁にかけてあった清朝の龍の国旗を引き剥がし、父が送ってくれた共和国の新しい五色の旗を掲げた。驚いて見守るクラスメートたちの前で、龍の旗を踏みつけると彼女は叫んだ。
「龍よ去れ、共和国旗を掲げよ!」
かっこいいねー。「龍よ去れ、共和国旗を掲げよ」なんて台詞言える女・・・現実世界で、見たことないなぁ。俺は非現実の世界に逃避している?ちなみにやぶられて踏みつけられた龍の国旗と彼女が掲げた共和国旗。いやー、いずれも現在の中国と違いまちゅね。俺が生きている間に少なくとも1回は中国の国旗が変わることになるだろうと予言する。
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1912年1月、孫文は南京で中華民国の臨時大統領に就任した。三世紀にわたった清朝の支配はここに終止符を打たれた。アジアで最初の共和国が誕生したのである。孫文が掲げる三民主義とは、満州異民族支配の妥当を目指す「民族」、君主制を妥当した民主制を目指す「民主」、富の公平な分配を目指す「民」からなっていた。盛大な歓呼の声で迎えられる孫文のかたわらには宋耀如と靄齢の姿もあった。靄齢は父の勧めで孫文の秘書となっていた。
慶齢の結婚 孫文49歳、慶齢22歳
「恋愛ではありませんでした。遠くからの英雄崇拝でした。彼のために働いたのはロマンティックな娘の考えでした。でもそれは良い考えでした。私は中国を救うのを助けたかったのです。孫博士はそれができるただ一人の人でした。」
靄齢の結婚 孔祥熙は孔子直系の子孫を名乗る財閥の御曹司。
【アジア・中国文化・思想圏】
2011.08.11: 金賢姫全告白 いま、女として6/6 ~中国とマカオの思い出
2011.01.21: 項羽と劉邦 ~軍神の伝説
2010.02.19: マラッカ(マレーシア)旅行 ~KL、マラッカ観光編
2009.07.22: タイ旅行 農業と宗教vs金融と資本主義
2009.07.21: タイ旅行 究極の製造業である農業
2009.07.08: 世界一レベルの低いDerivatives Investorが生まれた理由
2009.07.07: 世界一レベルの低いDerivatives Investor
2008.05.13: 語録 ~中国のお友達






ギリシア神話 神々と英雄に出会う4/17 ~起源説

前3000年紀から前500年頃の近東地域が古代オリエントと呼ばれている。この地域は現在わかっている限りでは人類最初の高度な文明の発祥の地であり、様々な神話が残されている。なかでもヒッタイト人のクマルビ神話はウラノスからクロノスを経てゼウスへと移り行くギリシアの王位簒奪神話と非常によく似ている。ヒッタイトは小アジアのアナトリア高原で前2000年紀に栄えた民族で、その言葉はインド=ヨーロッパ語族の中で最も古い言語である。ヒッタイトの神話は、現在のシリア北部にミタンニ王国を築いていたフリ人という民族の神話から多くの影響を受けた。クマルビ神話もヒッタイト語で伝わっているが、その昔はフリ人の神話であった。クマルビ神話と総称されるものは二種類の粘土板文書からなる。「天上の覇権」と「ウルリクムミの歌」という物語である。オリエントとギリシア神話には明白な共通点がある。戦いという暴力的な方法で前の世代から権力を奪う点だけではない。世代ごとにも対応関係が見出され、第一世代として対応するのはアヌとウラヌスで、どちらも「天」を意味する。次にクマルビとクロノスが対応する。クマルビがアヌの精液を飲み込んだように、クロノスも自分の子供たちを呑みこんだ。クマルビがアヌを去勢し、性器の一部から神が生まれるという点は、クロノスが鎌で切り取った父親ウラノスの陰部が海に落ちてアプロディテが誕生するのと酷似している。そしてヒッタイトの神話で最終的な勝利者になった天候神には、ゼウスが対応する。天候神と同じようにゼウスも雨を降らせ、雷を轟かせて天候を支配する神である。天候神もやはり新しく生まれたウルリクムミを破らなければならなかった。二つの地域で神話が似ている場合、独立発生説と伝播説がある。ギリシアと近東の間には非常に早い時期から交流があった。前14世紀から13世紀ごろに接触し、前850年もしくは前800年以降にも交流があった。神統記に記したヘシオドスが生きていたのはおそらく前750年ごろから前680年ごろであろうと推測される。ギリシアの王位簒奪神話がオリエントのそれと最も大きく異なるのはガイア(大地)が何度も現れる点にある。農耕民族であったギリシア人にとって、大地がきわめて大きな意味を担っていたからと思われる。
パンドラの箱
多くの予期せぬ問題を作り出すもの、あるいは、災いが生じないように封印しておくべきものというような意味で使われる。この成句は、人類最初の女性であるパンドラがふたを開いたために不幸が世界中に飛び散ったというギリシア神話にさかのぼる。しかし『神統記』は神々が女性を創造し、欺瞞に満ちた贈物として人間に与えたと述べるにとどまり、パンドラの名はこの作品では明示されていない。人類最初の女性にすべての(pantes)神々がさまざまな贈物(dora)を授けたので彼女がパンドラ(Pandora)と命名されたことや「パンドラの箱」の由来となったエピソードが披露されるのは同じ詩人の『仕事と日』である。ただしヘシオドスではパンドラが開封したのは甕であったが、オランダの人文学者エラスムスが「三千の格言」(1508年)で甕を箱に変えたことからこの成句が生まれた。「仕事と日」によると将来を見通す力のある賢いプロメテウスは「ゼウスの贈物を一切受け取ってはならない」とあらかじめ弟に忠告していた。しかし後知恵しか浮かばないエピメテウスはパンドラの美しさに幻惑され彼女を家に迎え入れた。家にはなぜか大きな甕があった。ある日パンドラがその甕のふたを開くと、甕に入っていたものがたちまち世界中に飛び散り、あわててふたを閉めると、甕の中に「希望」だけが残った。それまでは煩いも苦しい労働も病苦もなかったのに、人類の最初の女性の無思慮な行為のせいで、それ以降は無数の災厄がこの世に蔓延するようになったという。火に象徴される文明が人間にもたらす恩恵と、それに対して人間が支払わねばならない代償もここには示されている。
火から核エネルギーへ。時代は移り変われども、人間の欲はコントロールできる領域を少し越えた所で収束する傾向があるようだ。



報復相場

一応、読んでみたが・・・久しぶりにほとんど折り目なし(関心のページなし)の本だった。やっぱ、もらいものの本はダメだな。
短編小説の集まり、タイトルとそれに対する俺のまとめでも書いておくか。
報復相場 株の営業
女の兇器 保険金詐欺
年下の男 社内不倫の末
向日葵は咲いた 催眠術
死に際の顔 相続
乳色の闇 不正企業
海の見える風景 隣人問題
なんだかねぇ・・・、何が報復相場ってタイトルだけに・・・、株の話でもなければ企業小説としても弱い。
この作家の経歴を見ると・・・、組合の人間か。そうするとねぇ、多少美化が入っていたとしても企業経営者である社長自身が書いた本の方が面白いと思うわけ。なーんにも知らない組合の人間が、アウトサイダーな立場で、想像と妄想で、書くよりはさ。
しかもこの数、年間4冊以上書いてるんじゃないの? 尾上縫とか興味あるけど、このペースで書いてるってことは入念な取材の基に書かれたとは思えないな。東洋信金の前川朝美氏が書く「女帝」とかだったら買ってでも読んでみたいところだねぇ。この人の本は・・・、もらったら読むくらいだな。

報復相場 (角川文庫) 報復相場 (角川文庫)
清水 一行

角川書店 1987-10
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【フィクション系読み物】
2011.11.07: ノーベル文学賞:村上春樹氏は3番手
2011.09.13: シグルイ 山口貴由2/2 ~伊良子清玄
2011.07.05: 民宿雪国
2011.03.18: ガンダム1年戦争 ~国家体制 1/4
2010.08.23: 燃えよ剣
2010.03.12: 探偵ガリレオ 東野圭吾
2009.11.23: 沈まぬ太陽
2008.08.20: 久しぶりに小説を
2008.05.05: 懐かしの民明書房刊







ギリシア神話 神々と英雄に出会う3/17 ~世界の始まり

世界の始まりと人間の誕生
世界の始まりの神話としては、旧約聖書の「創世記」が名高い。キリスト教とユダヤ教の聖典である旧約聖書によれば、超越的な神ヤハウェの「光あれ」という言葉とともにこの世界が創造された。けれどもギリシアでは、世界は唯一絶対の神によって創造されたのではない。ギリシアには宇宙は世界の始まりい関する神話がいくつもあったが、ここでは最もよく知られているヘシオドスの『神統記』の系譜的な神話を取り上げることにしよう。
最初に「カオス」が生じ、次に「ガイア」と「タルタロス」と「エロス」が生じた。この世界は神によって創造されたのではなく、いつのことかはわからないが、あるとき突然生じたのである。ヘシオドスのというカオスとは、ちょうど欠伸をして大きく口を開けたときのような「巨大な裂け目」を意味する。カオスに続いて、ガイアと呼ばれる大地と大地の深奥にある奈落の底とも言うべきタルタロス、不死なる神々のなかでも最も美しいエロスである。カオスからまず「エレボス(闇)」と「ニュクス(夜)」が生じ、らにエレボスとニュクスの交わりから「アイテル(天空の上層)」と「ヘメラ(昼)」が生まれる。カオスから発生した3つのもののうち、実質的に生成に関与するのはガイアだけである。対照的にタルタロスとエロスのほうは生成をそのものを行うわけではない。一種の媒介のような役割を果し、神と人間の理性や思慮を意のままに操る強力な結合原理として作用する。時代が下がってからは無邪気な幼児の姿でイメージされるようになった。しかし神統記のエロスには擬人化の兆候すら認められない。エロス(Eros)は英語のeroticの語源であるため、もっぱら性愛の快楽に関するものであるかのように誤解されがちであるが、古代ギリシアのエロスはそのような狭い意味に閉じこめられてはいない。むしろ、生産や生殖を促す肯定的な強力な結合原理であり、輝く生命力の源のような抽象的な存在である。
第一世代ティタン神族
大地はまず自力で「ウラノス(天空)」と山々と「ポントス(海)」を生んだ。ガイアは生殖行為によって次々に神々を生み出していく。ガイアとウラノスの交わりから6柱の男性神と6柱の女性神が生まれた。この12柱の神々はティタン神族と呼ばれる。英語ではTitanとなり、巨大な怪力のという意味である。ティタン神族に続いて、キュクロプスとヘカトンケイルたちが生まれた。神格ではなくいずれも三人組の巨人たちである。キュクロは丸い、オプスは単数の目という意味でキュクロプスとは単眼巨人である。そしてヘカトンは100、ケイルは手を意味するので百手族である。しかし異型の子らであるこの二組の巨人たちは父親のウラノスに嫌われ、大地の下方に埋められてしまった
ガイアはウラノスのこのあまりにも無慈悲な仕打ちに怒り、復讐を計画した。鋼鉄の鎌を作り、12柱のティタン神族に向かって「誰かこの鎌で父親を襲うものはいないか」と呼びかけたのである。皆が押し黙り、名乗りを上げる者はいなかった。しかし、一番年下のクロノスだけが勇敢にもこの役目を引き受けようと立ち上がった。やがて夜になり、天空が大地を求めておおいかぶさったとき、母の傍らでひそかに待ち伏せていたクロノスは鋭い鎌で父親の陰部を切り取った。生殖器から滴り落ちた血を大地ガイアが受け止めた。やがて月が満ちると大地に落ちた血のしずくからは「エリニュス(復讐の女神)たち」と「ギガス」(巨人族)、「メリアイ」(トネリコの精)が生まれた。一方、クロノスが背後に投げ捨てたウラノスの生殖器は海に落ちて海面を漂い、その白い泡から美しい女神が生まれた。泡はギリシア語ではアプロス(Aphros)という。それゆえこの美しい女神はアプロディテと呼ばれた。
ギリシア神話の大テーマ 親子対決 早速来ましたね!息子による父親追放と無慈悲な父。これはギリシア神話のモチーフ。よくある展開だが、これを息子と読むというのはお洒落だろう? 世代交代、老いによる衰えへの恐れを表現しようとしているのだろうか。
クロノス(ラテン語でサトゥルヌス)は姉のレアと結婚して子供が生まれるたびに次々とわが子を呑み込んでいった。というのは両親のガイアとウラノスから一つの予言を聞いていたからである。それは彼が鎌で父を傷つけることによって権力を奪い取ったように、クロノス自身もわが子に滅ぼされるであろうという予言であった。レアは一計を案じ、赤ん坊をクレタ島の洞穴の中で出産すると、石を産着でくるみ、それを新生児だといつわって夫に差し出した。クロノスは策略に気付かないまますっかり安心していたがその間に赤ん坊のほうはすくすくと育っていた。この赤ん坊が後のギリシア神話の最高神となるゼウスである。父クロノスが嚥下していた兄と姉たちを策略を用いて吐き出させた。解放された兄と姉はゼウスへの感謝のしるしとして、弟のゼウスに雷を与えた。雷はゼウスの比類なき武器となり、天界の覇者としての権力の象徴にもなった。
ゼウス率いるオリュンポス神族は力を合わせてティタン神族と覇を競った。この戦闘はティタノマキアと呼ばれる。両者の激突は10年に及びながらもなお決着つかなかった。膠着状態を打破するためにゼウスは、ガイアの忠告に従って、百腕巨人のヘカトンケイルたちを大地の底から解放し、神々の食べ物であるアンブロシアを彼らに与えて力を回復させた。100本の手に大きな岩をつかんでティタン神族に投げつけた。ティタン神族をタルタロスに閉じ込め、ヘカトンケイルたちをその見張り番につけた。ティタノマキアに続いて怪物テュポン、ガイアがタルタロスと交わって生み出した凶暴な怪物であり、その肩には蛇の姿をした首が100もついており、燃える火を吐き、恐ろしい獣のような声を出す。ゼウスはテュポンをいち早く見つけると雷で攻撃した。そして死闘を繰り広げた挙句、その勝利を確かなものにした。
ギリシャ神話のモティーフは父と息子の対決。ウラノスがクロノスに、クロノスがゼウスに。どうだろう? 成長する息子に色々なことで追いつかれ、抜かれ、負けることは認めたくないか? 私の父は、認められないのだろう。よく「30年余計に生きているんだから」という枕詞とともに、合理的に説明できないような価値観を私に言うことがあるのが、その傾向として見られる。しかしだよ・・・、俺は息子に負けたいぞ。もちろん男としてショックだがな。
rao-final.jpg
ま、まさか…この俺が負けるのか…みたいな心理。だが、
「み・・・・・・見せてくれ」
「このラオウを倒した男の顔を」
「フ・・・フフ」
「見事だ 弟よ!!」
「わが生涯に一片の悔いなし!!」
って思わず笑っちゃうのよ。その気持が非常によくわかる。
映像がどうしても見つからないのだが、千代の富士 貴花田 覚えている人居ない? 貴花田に負けた時、千代が笑うんだわ。ちょっと泣ける映像だぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=90IdEuZvhJo&feature=mfu_in_order&list=UL
これの8:30前後、この動画だとよく映ってないんだよなぁ…関係ないけど6:20あたりのスーパーダイブ、マゲを落とした長髪貴花田はなかなか良い男ね。

十両の時代から、
http://www.youtube.com/watch?v=gURODdy7osQ
そして貴花田のお父様の貴乃花ともやってるんだからねぇ。千代は、ほとんど親父気分でしょう。


京都の影の権力者たち

これもちょっと今一つな内容だったのだが・・・
高僧 秘められた宗門パワー
家元 茶の湯に伝わる侘びの心と権威
花街衆 遊と美の世界の舞台裏
御所はん 菊の御紋の向こう側
室町の商人 生き残りをかける美の裏方
共産党 古都で育った革新の秘密
なんて目次だから、おもしろそうでしょう?
茶の門下生は圧倒的に女性が多いが、流儀の将来を担う「家元の内弟子」は伝統的な男社会。異例の女性内弟子の誕生だった。諏訪美佐子さん(32歳)は武者小路千家官休庵の門をくぐった。
「あう茶会で、何気なく渡された道具の重さに『修行に男女の隔てはない』と実感しました。流儀の頂点である家元のそばで勉強していることへの重い責任も感じます。でも、故郷では出合えない、本物の世界がここにある。今は経験を積み、視野を広げたい。結婚とか、将来のことは考えられません。」
諏訪先生、私から一言、一般に男の社会では、結婚とかいう法律上のイベントが、仕事、つまり自らの”道”に影響を及ぼすと考える人はいません
「ともすれば流儀を普及させるための『型』が偏重され、今の茶人は価値判断ができなくなりつつある」と千宗守家元は懸念し、「例えば、この茶碗。茶を立てる道具として、使い勝手が素晴らしい。高価でなくても、型にはまっていなくても、立派な茶道具になるのです。
Excuse me for going before you.(お先にちょうだい致します)
1993年裏千家茶道会館の茶室は全国の社中から集まった着物姿の門弟40人でひしめいていた。通のけいこ風景。だが日本語は一切禁止。講師7人はベテランぞろいだが、日本人は一人もいない。
花街とは、もとは遊女屋などが軒を並べた色街のことで、祇園、上七軒、先斗町、宮川町、祇園東の五花街がある。他の花街と違い、ここでは「芸者」ではなく「芸妓」「舞妓」が芸を披露する。綺麗どころがコピーを欲しがる名簿とは、市川団十郎演じる歌舞伎「助六」に出る「旦那衆」の出番表である。江戸時代から市川家とのつながりで、この歌舞伎には「吉原の旦那衆」役として約20人の今日の紳士たちが出演し、自慢の浄瑠璃(河東節)を聞かせる。
京都は花街で少しは損をしてきた部分もあるだろう。いわば”必要悪”として。花街は女性からの搾取の歴史を重ねてきたからね。愛らしいチョウのような芸舞妓に見せられ、遊びの達人たちが、スリリングな色事を楽しんだのが花街の歴史。娼婦もいた。そんな「色」」の部分が、ある意味では花街を支えてきた。花街は芸と色が車の両輪のようにして時代を走ってきた場所だった。一夜を共にするのではなく、客は芸舞妓の着替える衣ずれの音を聞いて京情緒を楽しんだが、1958年の売春防止法で座敷にふとんを備えることが禁止され、酔って眠った客に舞妓が優しく布団をかけてやる光景も今はない。色の部分は花街の表舞台から消え、陰画となった。しかし、色事の美学は今も厳然と残っている。日本人はまるで弁当を持参するように、どこにでも性を感じさせる産業を必要とする民族だからね。
千切屋の三家、「千治」「千總」「千吉」、千吉は資本金1億円、従業員109人の呉服製造卸会社。その三カ条
家業に専念せよ、使用人と一体になり店をもり立てよ、 あっあれ? 3つ目は?? って感じなのよ、この本・・・。んもぅ。
京都では共産党員の6,7割が民主青年同盟(民青)を経て入党する。民青はおおむね15-25歳を対象とし「共産党の導きを受ける」青年団体。かつて革新府政時代には一つの学校に同盟員が4,50人いた。
なつかしー、ミンセー。なんか怪しいんだよね、別に恨みはねぇけどさ。
全国の税務署がごった返す日が年に一度ある。3月12日。京都の中京税務署では、職員十数人が憂鬱そうな緊張気味の表情で待機していた。午後3時過ぎ、四条烏丸からデモ行進してきた約500人の業者が「集団申告」の長い列を作った。民商は商業サービス業では従業員4人以下、建設製造業では9人以下の、いわゆる零細企業が対象。会員の政党支持は自由だが、共産党は共闘して要求を実現する大衆組織と位置づける。集団申告も業者の利益を守る運動として支援している。
「自分がウソばかりいうのでスローガンに乗らない。物を買う時、裏から見るような気性でダメなところを見抜くから、自、社は受け入れない。京をリードする三者一僧(医、学、芸者と僧)なんて、政治家に操縦できる相手やないしね」
蜷川多選批判が集中した時、故大西良慶清水寺貫主に相談に行った。「長い」という批判には「ええものは長持ちするの」。「赤い」に対しては「赤かろうが白かろうが、ええもんはええ」。「高齢」批判には「だれでも年はいく」。「独裁」には「(知事がトップに立って権限をふるうことは)地方自治法に書いてある」。

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【フィクサー・陰の存在】
2011.06.28: 青雲の大和 ~鎌足の謀略 2/3
2011.01.06: イトマン・住銀事件 ~主役のお二人
2010.10.15: 道路の権力2
2010.07.27: 闇権力の執行人 ~逮捕と疑惑闇権力の執行人 ~逮捕と疑惑 
2010.04.08: 野中広務 差別と権力 ~伝説の男
2010.03.03: テロ・マネー ~暗躍する死の商人
2010.01.26: 黒幕―昭和闇の支配者
2009.03.23: 闇将軍
2008.07.08: Richest Hedge Fund Managers


ギリシア神話 神々と英雄に出会う2/17 ~伝承者

ギリシア神話の典拠
ギリシア神話を題材とする最も重要な詩歌はホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』である。この二篇の口承叙事詩はトロイア伝説を扱っている。ホメロスは前8世紀頃の盲目の詩人と伝えられ、『イリアス』と『オデュッセイア』が文字に記されたのは、前6世紀頃のことであろうと推測されている。
父と息子は、ここの事実を知り、二人で感嘆の「うーん」を発した。口承伝播から3000年の時を超えたギリシア神話、神話そのものが神なる存在だと思わないか?
第一章で扱う創世神話の典拠は、前8世紀から前7世紀にかけて生きていたと推測される詩人ヘシオドスの『神統記』である。彼の『仕事の日』という教訓叙事詩にも神話への言及が見出される。
神話とは言え、教訓叙事詩というところが宗教が香る。旧約聖書の創世記の成り立ちも比較してみたら面白いだろう。
オリュンポスの神々のさまざまな逸話は『ホメロス風賛歌』と総称される詩歌でも語られた。ホメロスの叙事詩と同じ韻律が用いられている。古代においてはホメロスがその作者と見なされたが、実際には現存する33篇の制作年代は前7世紀から前4世紀にわたっていて、作者が複数であることは明らかである。ギリシア神話は前7世紀から前6世紀に転換期を迎え、新しい文学ジャンルの台頭とともにさらなる変容をとげた。その背後には、富の増大や、植民活動の活発化、あるいは文字使用の普及など、政治・経済・社会・文化の大きな変化があった。ポリス(都市国家)という新たな政治形態の成立過程で、ステシコロス(前632頃-前556頃)やピンダロス(前518頃-前438頃)などの詩人たちが抒情詩という新しい表現スタイルに新しい時代精神を盛り込むために伝統的な神話に独自の改変を加えていった。前5世紀になるとアテナイで悲劇が最盛期を迎え、アイスキュロス(前525-前456)やソポクレス(前496-前406)、エウリピデス(前487-前406頃)などの悲劇詩人たちが神話の標準的な話形を確立した。ギリシア悲劇は数多く創作されたが、現存作品はサテュロス劇を含めて33篇だけで、そのうちの16篇の主題はトロイア伝説から採られている。この時期には散文でも神話が記録されるようになり、「歴史の父」ヘロドトス(前485-430)の『歴史』はギリシアやペルシア、エジプトの伝承を数多く採取している。前323年にアレクサンドロス大王が歿してヘレニズム時代に入ってからも、ギリシア神話はさらに変貌し続けた。アルゴ船の冒険談はホメロス以前から語り継がれていた古い伝説の一つであるが、この時代にロドスのアポロニオス(前295-215頃)がこれを『アルゴナウティカ』の主題として歌った。また誤ってアポロドロス(前180-110頃)に帰されているが、明らかにもっと後に編纂された『ギリシア神話』は、後代に神話伝説を伝える上で有益な典拠となった。以上の典拠はギリシア語で記されているが、後世への影響という点ではうしろ、ギリシア文化を継承しながらラテン語で詩作をしたローマの詩人たちの方が重要である。古典の神話が後世の西欧文化に浸透していくうえで、特にウェルギリウス(前70-19)の『アエネイス』とオウィディウス(前43-後17頃)の『変身物語』の影響力は圧倒的に大きかった。
神話の伝承者たち・・・。
オリュンポス12神
2.ヘラ(Hera) ローマでは、ユノ(Juno) 英語のJuneの語源。ゼウスの姉であり、妻。婚姻の守護神。
3.デメテル(Demeter) ローマでは、ケレス(Ceres) シリアル(Cereal)の語源。農耕や穀物を守護する女神。麦の穂がその表象。
4.ポセイドン(Poseidon) ラテン語ではネプトゥヌス(Neptunus)で英語ではNeptune。海・地震・馬の神。
クロノスとレアから生まれ、同じ両親からはヘスティアとハデスも生まれたが、彼らはオリュンポス12神には含まれない。なぜならヘスティアはかまどを守る女神として崇められ、どの家庭にもその座があったためである。ハデスは地下の冥界を領分にすることになったため、オリュンポスの住民からは除外される。以上の四柱の神々以外はすべてゼウスの子どもである。
正妻ヘラとの子ども
5.アレス(Ares) ラテン名マルス(Mars) 英語のMarchの語源。マルスの祭りが3月に行われたことに由来する。戦争の神。ローマ建国の祖である双子のロムルスとレムスの父として、ローマでは比較的重要な地位を得たが、ギリシャではあまり人気がなく、脇役にとどまる。
ヘラ以外の女神や女性とゼウスの子ども
6.アプロディテ(Aphrodite) ローマでは、ウェヌス(Venus) ホメロスではゼウスと女神ディオネの娘とされるが、海に投げられた男根の泡からという一風変わった誕生神話のほうが一般に流布している。
7.ヘパイストス(Hephaistos) ラテン名はウルカヌス(Vulcanus) volcanoの語源。妻のアプロディテをアレスに寝取られた鍛冶の神。ゼウスとヘラの子供という伝承もあるが、ゼウスに対抗してヘラが単独で産んだともいわれる。
8.アテナ(Athena) ラテン語でMinerva、戦闘女神、陶芸や機織りなどの工芸を庇護する神。オリーブの木とふくろう。
9.ディオニュソス(Dionysos) ラテン語で、バックス(Bacchus)。バッコス(Bacchos)の異名を持つ葡萄酒の神。王女セメレの子でゼウスの太腿から生まれた。図像では葡萄や木蔦、ヤギ、イルカ、ヘビなどがディオニュソスを表彰する。
10.アポロン(Apollon) ラテン語でアポロ(Apollo) レトの子 姉のアルテミスの助けを借りて直後に生まれた。若く清冽なイメージの青年神で、音楽や詩歌など芸術全般や理性、文化を守る神。太陽神ともみなされた。ダプネへの悲恋から月桂樹がアポロンの聖木。
11.アルテミス(Artemis) ローマではディアナ(Diana)。純潔を尊ぶ処女神、安産、狩猟の女神。古代の彫刻ではたいてい弓矢を手にしている。後世の絵画のディアナの額にはしばしば三日月が輝いている。
12.ヘルメス(Hermes) ラテン語でメルクリウス(Mercurius)、Mercury,Merchantと語源は同じで、商売の守護神でもある。天空を支える神アトラスの娘マイアの子。図像では旅行者を示す帽子とマントそして有翼のサンダルを身につけ、二匹の蛇の巻きついた特徴のある杖を手にしている。


利休にたずねよ4/4 ~結局女?

信長は、つい二年前、飄然と美濃から京にあらわれた。将軍足利義昭をかついで、意気揚々たる上洛であった。そのころの宗易はまだ信長をよく知らなかった。-どうせうつけと評判の田舎者。すぐに消えるであろう。高をくくっていた。しかし、信長には野分か竜巻のような勢いがあり、たちまちのうちに畿内を席捲して、三好三人衆を駆逐してしまった。宗易をはじめ、堺衆は阿波の三好一族とむすびつきが深かった。そのため、信長から譴責された。矢銭二万貫。三好三人衆を支援した償いとしてそれだけ払えというとてつもない要求が、堺の町に突きつけられたのである。しかも、町の警護に雇っていた傭兵達を解散させ、濠を埋め、柵を取り払え、との通達であった。会合衆のほとんどは銭を払うのに反対だった。宗易も反対した。しかし、抗っても、どうにもならなかった。減免を願って岐阜まで行った十人は、牢に入れられ、何人かは首だけになって堺に帰ってきた。これ以上もたもたしていると、町を焼かれてしまうだろう。
-なんと。命の根の太い男なのだろう。あらためて、そう驚かずにいられない。ただそこにそうして長くなっているだけなのに、自分一人が天地の王者でもあるように泰然としている。何かに対して畏れるということを、まるで知らぬげだ。若い頃はそれがとてつもない頼もしさに見えた。長年つれそった今は、いくばくかの傲慢さを感じている。天下広しといえど、利休ほどあふれるばかりの自信にみちた男はざらにいないだろう。宗恩は、傲慢な男がけっして嫌いではない。秀でた男とは、そうした生き物だと思う。おのが道をつらぬこうとすれば、男ははち切れんばかりの自負をもたなければならない。利休は飛びぬけてするどい審美眼と奇智をそなえ、茶の湯者として天下一の声望と富を得ている。すこし鼻がのびて天狗になるくらいはしかたない。ただ、できることなら、傲慢な中にも、妻をいつくしむ心ばせをもってほしい。もっとよく妻を見ていてほしい-。そう望むのは女として、いたって自然な情ではないか。
夫の与四郎は、宗易などと号して、茶の湯にうつつをぬかしている。夫には女が何人か居るが、ちかごろ熱をあげているのは、能楽の小鼓師の若後家である。名を宗恩という。三太夫が若死にしたのをいいことに、その女に家を持たせ、足繁く通っている。-女くらい。なんでもないと、自分に言い聞かせて、たえは褥から身をおこした。苗字を田中、屋号を千と称するこの家に嫁いで10年余り。家業の干し魚の商いも納屋貸し業もいたって順調で、暮らし向きになんの不自由もない。堺の大店の主人は、たいてい外に妾の一人や二人は囲っている。そのことに文句を言うつもりはない。-ただ・・・。あの夫は、愛し方が尋常ではない。いったん気に入ったとなったら道具でも女でも、骨の髄までとことんしゃぶり尽くすように愛でずにおかないのが、夫の性癖である。それが耐えられない
 たえは、目の端で、宗恩を観察した。どれくらい、夫にかまってもらっているのだろうか。框にすわった顔に、肌つやと張りがあった。金と力のある男に言い寄られ、求められていることが、自身となっているに違いない。夫の宗易は、あれでなかなか男前だし、甲斐性は人並み以上にある。-どうせわたしは・・・。夫に必要とされていない女だ。ひがむ気持ちが生まれて、たえは、ぎゅっと眼を閉じた。眼を開けるとおちょうが一緒だった。この女を見るのは何年ぶりだろう。白い肌にやはり面長で、どこか宗恩と似たところがある。夫はこういう狐みたいな顔の女が好みなのだ。だったら、なぜ丸側の私を嫁にしたのか
三好一族は、四国の阿波を地盤としているが、長慶はいま摂津越水城にいる。西国街道を押さえる重要な拠点で三好一族にとっては畿内をうかがう出城でもある。長慶はまだ19の若さながら、いま畿内で一番力のある男だ。元服してすぐ、室町幕府の管領をつとめる細川晴元の被官となったが、さきごろ将軍家領地代官職のことで、細川家と一悶着あった。長慶は2500の軍勢を率いて堂々と京に上った。驚いた細川晴元は、長慶の言いなりになった。度胸も知略もある男だ。紹鷗としては、できるだけ関係を深めておきたい。
長慶19歳ってことは1541年か。大分時代が戻ってきたな。
先だって紹鷗の屋敷に行ったとき、書院で茶杓を見せられた。「わしが削った。どうだ」 書院の茶の湯ならば、茶杓は象牙やべっこう、ときには金、銀をつかって豪奢に作る。ちかごろ隆盛の侘び茶人は質素な竹を好む。侘び茶をはじめた村田珠光は、節のない竹をつかって抹茶をすくう櫂先の幅が広い茶杓を削っている。紹鷗の茶杓は細めの櫂先から下端の切止ちかくまですっきり瀟洒に削っておきながら、下端のちかくに節が残してあった。わざとそこに節が来るように竹を切って、削ったのだ。洒落てはいるが、作為が感じられて嫌味だった。出来の良し悪しをたずねられた与四郎は、うなずかずに答えた。「悪くありません」 紹鷗が眉をひそめた。「ふん。おまえなら、もっとおもしろく出来るというのか」 与四郎は帰って茶杓の竹を選んだ。茶杓の真ん中よりわずかに上に節がくるように竹を切って、丹念に削った。その茶杓をもって、また紹鷗の屋敷を訪ねた。茶杓をみて紹鷗がうなった。しばらく声がなかった。珠光の時代には竹の節は醜い邪魔なものとして切り捨てられていた。紹鷗はそれを端ちかくにつかうことで侘びをかもしだした。与四郎は大胆にも節を真ん中よりすこし上にもってくることで、草庵風の侘びに毅然とした品格を与えた。
女はおもしろい。音曲に合わせて舞わせれば華やかだし、ともに閨に入れば悦楽の仙境に遊べる。しかし-。それだけのことだ。女は、美しい。美しいが、くだらぬ生き物でもある。街の娘にせよ遊び女にせよ、すこし付き合いが深くなるとたいていの女はこころの底が透けて見えてくる。噂好きで、嘘つきで、嫉妬深く、高慢で、計算高い上に、怒りっぽい。
えっっと・・・この作家は・・・男か。いやまぁ、当たらずとも遠からずだが、なんか女に恨みでもあるのかねぇ?
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利休にたずねよ3/4 ~茶の湯の極意

「そのほう、なぜ、茶の湯を嫌っておる。悪いものではなかろう」
たずねられた黒田官兵衛は、すわりのよい大きな鼻と、ぎろりとした大きな目を秀吉に向けた。
「まず第一は、用心のことにございます。治乱見定め難き今の世におきまして、主客が無刀で狭い席に集まり坐るなど、不用心この上ないことです」
「第二は道具のことにございます。ただ茶を飲むばかりの椀や茶入に、千金の値を払うなど、笑止千万。一文でも余計な銭があれば蔵にたくわえ、有為の者を召抱える時こそ、惜しげなく使うべきでございます。」
「第三は時間にございます。ただ坐して書画を愛で、茶を喫するならばさほどの時間はいりますまい。二刻(4時間)の時間がありましたら、武を練ることも書を学ぶことも、いや、国家百年の経略を練ることもかないましょう。公家ならばともかく、武家がさような遊興に耽れば、いたずらに気がゆるみ、放蕩が習い性となりもうす。いつかは隣国が攻め込んでくること必定」
「わしが茶の湯を嗜むのは、お前のいうた害悪をさしひいても、なお余りある効用があるからだ。ここに茶道具と花がなかったら、周りの者はさだめし気を揉むことであろうな。官兵衛は、いったい何の用で召されたのか。三成あたりは、今頃たいそう気にしておるだろう。何の話をしていたのか、後で同朋衆にたずねるかもしれぬ。道具があって湯が沸いていれば茶の湯の話だ。信じる信じぬはさておいても、人の口には、わしがおまえに、茶の湯を教えていたと伝わる。密議を交わしていたと伝わるのと、どちらがよい
「侘びに身をやつすなどということは立派な家屋敷があっての愉しみ。いつも旅の空にある身には侘び茶がそら寒く感じられます」
宗二の言葉に利休のやわらかな目が、厳しく光った。
「旅で精進しているかと思えば、お前は、すっかり性根を腐らせてしまったようだな」
「いえ、腐らせてはおりませぬ。しかし、侘びの、寂びの、と優雅に唱えられるのは、家もあり、炉も釜もあっての話。すべてが借り物の身では、なんの感興もございません。」 利休がゆっくり首を振った。
「おまえがさように愚かな男だったとはしらなんだ。釜ひとつあれば山科のノ貫(ヘチカン)のように茶の湯はできる。それができぬのは、お前の心が練れておらぬからだ。一物持たずとも、胸中の覚悟と創意があれば、新しい茶の湯が愉しめる。なぜ、それをせぬのか」
わかるなぁ、俺も「地べたに這いつくばって残飯あさって生きていく覚悟できてるよ」って言ってるんだけど、
「そういう暮らし、したことないでしょう? アフリカの飢餓が遠すぎて想像できないように、あなたにとってそれが遠すぎるのではないですか?」
秀吉という男は、貪欲が着物を着て歩いているようなところがある。普通の人間は、骸骨が皮をまとった生き物だが、秀吉は違う。むさぼりのこころが皮をまとい、着物を着ている。だからこそ天下人になれたに違いないが、では、人として、こころの位がどれほどかといえば、けっして高いとはいえまい。欲深くむさぼりの過ぎる男は、たとえ位人臣を極め、天下を掌中にしていようとも、やはり下賤である。
茶室は横に長い平三畳。部材はばらばらにはずせる。黄金の柱を立て、黄金の敷居と鴨居をとりつけ、黄金の壁をはめこみ、黄金の天井をとりつけるだけで、どこでも簡単に組み立てることができる。畳は、どんな赤よりも赤い猩々緋の羅紗。そこにすえた台子皆具の茶道具も、すべて黄金でできている。正面の縁の口に立てた四枚の障子戸も、むろん骨まで黄金で、紙の代わりに薄い紗織りの絹がはってある。その紗もまた、とことんまで赤さをきわめた緋色に染められ、豊臣家の五七の桐紋が、目立たぬようほんのり淡く染め抜いてある。鮮烈な黄金と緋色-。その二つの色だけでできあがった茶の席なのである。ふだん、利休が好む侘びた風情とは対極にある座敷だが、これはこれで、黄金に映えた緋色が、えもいわれぬ静謐さを醸している。「いったいどれぐらいの金がつこうてあるのかな」近衛前久がたずねた。「無垢でございますので、風炉がいちばん重く、ざっと五貫目はございましょう。台子と道具一式にて十五貫目。茶室は、すべて金で作りますと重すぎて運べなくなりますので、檜の板の上に金の延べ板をはってございますが、それでも三貫目はつかっております」 平伏した利休が答えた。

利休にたずねよ
利休にたずねよ 山本 兼一

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利休にたずねよ2/4 ~価値の創生

道具立てをあらためて眺めて三成は首をひねった。
-この茶はあの男の創意か。
古いやり方の書院の茶の湯で、粗野な面桶をつかうなどは、考えられないことだ。足利家の将軍たちは唐ものをありがたがり、華やいだ飾りつけを好んだ。今は簡素な茶室で、鄙めいた道具をつかう侘び茶がもてはやされる。三成の茶も、大きく考えればそのなかにある。自分は利休の風下に立っているのではないか-。いや、ちがう。侘び茶は利休がはじめたわけではない。その前に堺の武野紹鷗ら、何人の茶人がいたと聞いている。利休という男は、まるで自分が茶の湯のすべてを創始したような顔をしているが、そもそもいったいなにを新しくあみ出したというのだ。
-あの男、茶の座敷を狭く暗くしおった。最初に四畳半の茶の席をつくったのは武野紹鷗だったという。四畳半なら十分な広さがある。利休が作る茶室ときたら、三畳、二畳、一畳半。なぜそんな狭い座敷を作るのか、まことに理解に苦しむ。
-広い。と利休の門人たちは賞賛する。天井を斜めにして網代を張り、床の柱を塗り籠めにして奥行きを出す。そんな工夫をいくつもかさねたせいで、たった一畳半の部屋が広く感じられるという。そんな茶の席にこそ、乾坤に対峙するほどの玄妙があるという。狭い部屋はせまいに決まっている。
「譴責するならやはり茶道具のことがよかろう。あの男の儲け方は、目に余る」 玄以がつぶやいた。
「住吉屋と万代(もず)屋が、しびれを切らしております。あの二人は役に立ちます」 茶碗を置いた久阿弥がつぶやいた。
秀吉には堺から呼び寄せた茶の湯者が8人いた。利休、今井宗久、津田宗久、山上宗二、重宗甫、それに住吉屋宗無、万代屋宗安、そして利休の子道安である。八人衆はそれぞれに茶の湯の興の深さをきそったが、利休のしつらえと手前はたしかに誰が見ても異彩をはなっている。 万代屋宗安などは、利休の娘を嫁にもらったにもかかわらず、岳父に敵愾心を燃やしているらしい。
「利を休めとの勅号をいただいておるくせに、道具を高直に商う咎はたしかに重うござる」 三成はつぶやいた。利休という法号は、秀吉が禁中で茶会を開いたとき、特別に正親町(おおぎまち)天皇からくだされたものである。そんな男だけに、扱いは甚だやっかいだ。
「わたしたちはヨウロッパで、大変素晴らしい聖堂や壁画を見てきました。ヴァチカン宮殿の荘厳さは、世界のなにものにも比しがたいと思います」
「まさに神の栄光を伝えるものだ」 ヴァリニャーノの目にシスティーナ礼拝堂に描かれたミケランジェロの壮大な壁画が浮かんだ。あれこそ人類にとって美の極致である。伊東マンショは、
「大阪で、関白殿の城を見て、正直なところ大きさに驚きました。あれならばヨウロッパの建築にひけをとりません。それに、この屋敷にしても、清潔なことはどうでしょう。ヨウロッパの壮大さにかなうはずはありませんが、この島国には優劣をこえた、まったく別の美学があるのではないでしょうか」
「たしかに関白殿の大阪の城は立派な建築だ。ただ、堅牢さはどうだろう。木の柱に土を塗っただけ城では、あまりに貧相ではないかね。これはもしもの話だが、大砲でも打ち込まれたらたちまち崩れてしまうだろう。日本人はなにごとにも度が過ぎているが、私が一番不思議に思うのは茶の湯においてだ。日本人の奇怪さ、珍妙さは茶の湯にもっともよくあらわれている。なぜ日本人はあんな狭苦しい部屋に集まり、ただもそもそと不味い飲み物を飲むのかね。がらくたに過ぎない土くれの焼き物を飽きもせず眺め、お互いに白々しく褒めあうのかね。あんな馬鹿馬鹿しい習慣が世界のどこを見まわしてもないことは、君たちもすでによく理解していることと思う」
「そなたなら、この茶入にいくら支払う」
「正直なところ高い値はつけかねます」
「利休。南蛮人には、大名物紹鷗茄子も形無しだな。」
「はい。この南蛮人は正直者でございましょう。これはただ土をこねて焼いたばかりのもの。それをありがたがるのは、愚か者の数寄者だけでございます。」
「似たような小壺であっても、一文の値打ちもない物も多いと聞きます。いったい何が違うのでしょうか」
茶を司る坊主は、ヨウロッパの宝石商が行うように、千個の類似品のなかからでも、たった一つの伝説の品を選び出す。老人の顔を、ヴァリニャーノはしげしげ見つめた。じつに、不敵な面構えをしている。
それは、わたしが決めることです。わたしの選んだ品に、伝説が生まれます
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利休にたずねよ1/4 ~秀吉のいちやもん

この本は利休切腹の日から時代を遡って書いています。
秀吉の使者がつたえた賜死の理由は二つあった。大徳寺山門に安置された利休の像が不敬であること。茶道具を法外な高値で売り、売僧となりはてていること。しかし、木像は山門重層部寄進の礼として大徳寺側が置いたものだし、茶道具のことなど言いがかりもはなはだしい。
 利休の寄進で山門を修築し、重層部に金毛閣ができたのは、一昨年の師走であった。寺側が寄進を謝して、閣内に利休の木像を安置したのは去年のことだと聞いている。それを今になって秀吉が怒っている。先日、聚楽第で秀吉に会ったとき、宗陳は秀吉に怒鳴りつけられた。
「わしは、しょっちゅうあの門を通る。利休の股の下をくぐれというのか」
秀吉の聚楽第には、広い敷地にいくつもの館があるが、池のほとりに建つこの館は三層で、いちばん上にのった摘星楼は、眺望のきく八畳の座敷である。そこに、金箔貼りの床の間がある。金色の壁に淡い墨で、霞の中に立つ富士の山が描いてある。絵師は狩野栄徳。右側だけすそをひろげた大きな富士は、はっとするほど高く、おぼろに霞んでいながら、悠然とすわっている。まことに風韻がよく、品格がある。座敷には三方に窓があり、外の光がよくはいるので、東雲か、あるいは黄昏の薄明かりにながめると、金になんともぬらりとした趣があって富士が浮かび立つ。ふりかえって、窓外の低い空に大きく輝く明星でも浮かんでいれば、まさに星を摘む気分である。天下広しといえども、坐して星を愛でる茶の席など、他にあるまい。利休でさえ、この趣向には感服した。四年前、ここをつくったとき、夜明けに来いと呼んでおいた。折りよく、東山の空が鴇色に染まり、金の床がえもいわれぬ光沢を見せた。
 あのときばかりは傲慢な利休が素直にひれ伏した。あの男は、あのときのほかは、冷ややかな眼でしか、わしを見たことがない。だいたいあの男は、目つきが剣呑で気に喰わぬ。首のかしげ方がさかしらで腹が立つ。黄金の茶室といい、赤楽の茶碗といい、わしが、いささかでも派手なしつらえや道具を愛でると、あの男の眉が、かすかに動く。そのときの顔つきの高慢なことといったら、わしは、生まれてきたことを後悔したほどだ。まこと、ぞっとするほど冷酷、冷徹な眼光で、このわしを見下しおる。「--下賎な好み。」 口にはせぬが、眼がそう語っている。ものごしは慇懃である。あの男、手をついて、頭だけは殊勝にさげておるゆえに、ことさら責めたてることもできぬ。されど、内心わしを侮蔑しておるのは明々白々。こころの根に秘めた驕慢が許しがたい。
「茶の湯はな、人の心を狂わせる魔性の遊芸よ。茶の湯に淫すると、人は我を忘れて、欲と見栄におぼれる。名物道具を手にした者は、奢りたかぶり、自分が偉くなったと勘違いしおる。それが名物の魔力よ。」
 話ながら、秀吉は口が酸っぱくなった。高値を惜しまず、天下の名物道具をいちばん狩り集めているのは、ほかの誰でもない秀吉自信である。金も銀も蔵にうなっている。兵や鉄砲、名刀、名馬、書画はもとより、美姫も官位も、みんな飽きるほど手に入れた。この聚楽第の壮麗さはいうまでもない。-このうえ、何を欲しがれというのだ。二年前、あまりにも金が余って飽きはててしまったので、金五千枚、銀三万枚を積み上げて公家や侍に配った。その日は痛快だったが、翌朝目覚めたときは砂を噛むような寂寥におそわれた。あんなことをするくらいならたとえ土くれでも、名物茶入を愛でていたほうが、よほどこころの養いになる。
「いうておくが、伝来の名物道具というのは、やはりよいものじゃ。手にした者が、こころを研ぎ澄ますならば、茶入の釉にさえ、宇宙深奥の景色を読み取ることができる。見る者に器量がなければ、ただの土くれよ。名物は持つ者を選ぶということだ。」
何か思い出さないか? そう、裸の王様だ。
「見る者に器量がなければ、ただの土くれよ。名物は持つ者を選ぶ」だって。利休は秀吉お抱えの天才詐欺師か。
忠興の父幽斎は、古今伝授はもとより、有職故実、能、音曲、料理など諸道に通じ、いずれも奥義をきわめている。利休とも親交は深いが、幽斎は幽斎なりの茶の湯の道を歩んでいる。
「おまえは、利休から何を学んだ」 
いきなり喉もとに短刀を突きつけられた気がした。
「さて、面妖なおたずね。むろん、茶の湯のこころでございます」 
とりあえず答えたが、そんな答えでよいはずがない。
「ちとはましなことを学んだかと思うたら、まこと、凡愚なせがれであった。ちかごろは知るも知らぬも茶の湯とて、侘びの数奇のふりばかりしたがって、困った世の中よ」 
立ち上がろうとする父を、忠興はにらみつけた。
「お待ちください。それがしが茶の湯を知らぬと仰せか」
「ならば、茶の湯のなにを知っておる」 
そう問われて、忠興は答えに窮した。
「おまえのはただの真似ごとだ。利休にそういわれたことはなかったか」
忠興は喉をつまらせた。たしかに利休にそう指摘されたことがあった-
「忠興殿の茶は、私の茶そのままですから、のちの世には伝わりますまい。数奇とは人と違うことをすること。古田殿などは、わたしの茶と随分違いますから、のちの世に残るでしょう」
新しい創意工夫ができないなら、せめて正当な継承者であろうと忠興は懸命に利休の茶の湯を模倣してきた。
「どんな道でも、上手のなすことを真似るのは、大事と存ずる」
幽斎が首をふった。
「ちがうな。お前は利休に目をくらまされておる。あの男はたしかにたいした男だが、だからといって、おまえが創意を怠ってよいはずがない
良いお父様ですね。大人になった息子への愛のある厳しさ、感じます。
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ギリシア神話 神々と英雄に出会う1/17 ~身のまわりのギリシア神話

ギリシア神話は意外なところでわたしたちの身のまわりに息づいている。例えば、晴れた夜空。見上げれば星座は神話の宝庫である。木星は太陽系の中で飛びぬけて大きい惑星である。古代の人々が木星に付けた名は最高神ゼウスであった。その英語ジュピター(Jupiter)は、ゼウスのローマでの名称ユッピテル(Juppiter)に由来する。木星以外の太陽系の惑星や個々の惑星の衛星も、そのほとんどすべてがギリシア神話から命名されている。ただ例外的に天王星(それ自体はウラヌス、ゼウスの祖父)の衛星の名称だけはシェイクスピアとポープの作品の登場人物に由来する。例えば天王星の最大の衛星はディスタニア。その次に大きい衛星はオベロンで、いずれもシェイクスピアの『夏の夜の夢』に登場する妖精の女王と追う名である。そのほかにも『ヴェニスの商人』のポーシャ、『ハムレット』のオフィーリア、『ロミオとジュリエット』のジュリエットなど、シェイクスピア劇でおなじみの名前の衛星によって天王星は取り巻かれている。ギリシア神話に起源を持つ名前が採用されたのは、後代に発見された天体だけではない。宇宙船や探査機で、人類初の有人月面着陸を果たした宇宙船アポロは、周知の通りギリシアの神アポロンにちなむ。金星の地図作成に関わった探査機パイオニア・ヴィーナス号は、金星の名であった美の女神アプロディテ(英語でヴィーナス)に由来する。1990年打ち上げ以来ずっと太陽を極軌道上から観測している探査機ユリシーズ(Ulysses)の名称は、オデュッセウスにさかのぼる。古代ギリシアの叙事詩『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスは、ラテン語で方言形のウリクセス(Ulixes)になり、ルネサンス時代になると人文主義者たちがもとのギリシア語に近いウリセス(Ulysses)に変え、さらに17世紀以降、英語に借用されてユリシーズになった。ウリセスと聞けば、昆虫マニアなら、オーストラリアやインドネシアに生息するオオルリアゲハ(学名パピリオ・ウリセス・ウリセス)を連想するだろう。あるいはユリシーズからは20世紀の代表的小説であるジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』(1922年)が想起されるかもしれない。
最初の名刺代わりにしては、いきなりハードなおたくパンチだが、天体、宇宙観測、そして昆虫と男のロマン目白押しだな。男同士の会話のお洒落なアクセサリーとしてギリシア神話を語りましょう。
哲学者プラトン(前427-前347)が音楽を教育課程に入れたように、古代ギリシア文化における音楽の比重は大きく、音楽関係の近代語にもギリシア神話や言葉に由来するものが多い。そもそも英語のmusicやドイツ語のMusikあるいはフランス語のmusiqueなど、近代ヨーロッパ諸語における音楽という言葉は、ギリシア神話の女神ムーサ(Mousa)に由来する。ムーサは九柱からなり、音楽だけではなく詩歌や舞踏、演劇、哲学、歴史、天文など芸術・学問全般をつかさどる女神たちである。そしてムーサの神殿を意味するギリシア語のmouseionがラテン語でmuseumとなり、さらにそれが近代の美術館、博物館になった。最古のオペラは、1594年初演のプロローグ付き一幕物の『ダフネ』である。カメラータに属するオッタヴィオ・リヌッチーニがその台本を書き、ヤコポ・ベーリが曲をつけた。『ダフネ』の基になったのは、ローマの詩人オウィディウス(前43-後17頃)の『変身物語』第一巻の中のエピソードである。ギリシア神話の神アポロンが河の神の娘ダプネに恋心を寄せたが、少女は神の求愛を斥けて懸命に逃げた。ついにダプネが父親の河の神に助けを求めると、彼女の体はたちまち月桂樹に変身した。この話は、多くの彫刻家や画家や詩人たちに芸術的霊感を吹き込んだ。
ほっほぅ、って話だよな。言語学、語源の話はけっこうおもしろいね。歴史と言語の関連を見るようで。
ギリシア神話とは一体何か。これまで多くの定義が提案されてきたが、万人が納得するような定義はまだない。古典学者のなかにはカークのように、「神話に関してすべてに妥当する定義、一枚板の理論、すべての問題と不確実性とに応えうる単一の名答などはあり得ない」と断言する人もいるくらいである。

ギリシア神話 -神々と英雄に出会う (中公新書 (1798))
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姑獲鳥(うぶめ)の夏 2/2 ~憑物

「年老いた子連れの母猿が濁流に呑まれたとしよう。泳げないほどの幼い小猿と泳げる小猿とを連れていた。どっちを助ける?」
「小さい方さ、大きいのは泳げるんだろう?」
「ところがね、母猿は迷わず大きい方を助けるんだよ。何故か。母猿にはもう生殖能力がない。小さい子猿は生殖能力を得るのに時間を要する。種を保存する上で、一番適切なのは大きい方の子猿なんだ。生物の母性とはそういうものだ。危険を冒して小さい猿を助けても自分を含めて生き残れるかどうかわからない。しかし大きい子猿ならその確率は格段に高い。個体の愛情は遺伝子の命令に勝てはしない。いや猿はそもそも人間の言うのところの愛情なんてものは持ち合わせていない。それが生物として当たり前のことなんだ。だが人間は違ってしまった。種を保存することが唯一無二の目的でなくなってしまったんだ。それを文化と呼ぶか、知性と呼ぶか、人間性と呼ぶか、それは勝手だが、とにかく万物の霊長の奢りは、もう一つの価値を構築してしまった。これが同じ方向を向いているうちはいい。しかしまったく逆の方向を向いた時、我々は戸惑ってしまう。そしてそのズレを埋めるために怪異は存在するのだ」
「久遠寺といえば、ご城下でこそ御殿医とかいって名家ぶっていたが、出身の村では所謂、村八分だったという。つき合うものも少なく、婚姻など絶対にしないから親戚もいない。その理由が憑物筋だ。」
「憑物筋とはいったい何なんだ?この辺で言うオサキが憑くとか狐が憑くのと同じなのか?」
「ちょっと違うかな。憑物筋は憑くんじゃなくて、憑かせる。つまり憑くものを使役する家系。”オサキ持ち”とか”飯綱使い”とかいう術者が、血統として受け継がれると考えればいい。この家系の人は、他人にモノを憑依させて不幸にしたりする訳だ。共同体の中では当然忌み嫌われる。婚姻したりすると筋の血統を受け継ぐことになるからこれは厳しい禁忌とされる。」
「そんな不条理なことが実際にある訳がない!いずれにしても旧幕時代の遺物だろう?まさに迷信だ!」
「関口君、残念だが君は認識不足だよ。憑物筋の習俗は今も根強く生きている。これを無視することはできない。憑物筋というのは民族社会におけるひとつの装置だ。共同体内に不可解な出来事が発生した場合、それを解決する手段として設定されている民族装置なんだ。鬼の出自が異常出産でならなければならなかったように、村内の不幸は憑物筋のせいでなくてはならないわけだ。僕はね、共同体に経済という新しい価値が導入されたことが要因となって発生した民族装置が憑物だと考えている。それまで”富”はイクォール収穫だったから、共同体はそれこそ良いも悪いもその名の通り運命共同体だったわけだ。しかし貨幣の流通が一般的になると、共同体内部の富の分配が均等でなくなる。つまり同じ身分の中で貧富の差が生じてしまう。するとその差をなくす装置が必要になる訳だ。そこで人々は大昔から連綿と伝えられて来た神憑りの方式をそっくり戴いて憑物というものを創り出した。受け入れがたい現実-非日常を理解するには格好のものだったんだ。」
「呪いというのは、この世に本当にあるものなのか?」
「呪いはあるぜ。しかも効く。呪いは祝いと同じことでもある。何の意味のない存在自体に意味を持たせ、価値を見出す言葉こそ呪術だ。プラスにする場合は祝うといい、マイナスにする場合は呪うという。呪いは言葉だ。文化だ。」
「文化論を聞きたいんじゃない。相手を呪い殺したり、不幸にしたりする所謂呪いが有効かどうか訊きたいんだ」
「少なくとも共通の言葉や文化を持つ集団の中では確実に有効だよ」
「超自然的な力が働くのか?」
「そんな馬鹿馬鹿しい力は働かないよ。呪いはいうなれば、”脳に仕掛ける時限装置”のようなものだ。まあ-解らんだろうな」
不倫は文化だ。って名台詞もありました。
座敷童子というのは家の盛衰、富の偏りを説明するという機能をもっている。これは実に憑物の持つ機能とまったく同じだ。ここで着目すべきなのは、座敷童子は家にいるときは気配だけで出ていくときに目撃されるという性質を持っていることだ。目撃譚の多くは家人以外の者によって語られ、それは家を出るとき、即ち家が滅びた時のものだ。つまりそもそも座敷童子は今まで栄えていた家- 多くは成り上がりの余所者なのだが - それらの没落した理由として語られてきたものなのだ。それが遡って、過去家が栄えた理由としても機能するようになる。今まで富を運んできたのは座敷童子というモノである、と考えた訳だ。その考え方が定着して初めて、今栄えているのは童子がいるからだ、という現在進行形の座敷童子が発生する。つまり座敷童子は本来出て行くことで憑物と同じ機能を果たす民族装置であったことが解る。
久遠寺家が憑物筋と考えられるようになった原因を考えていましょう。勿論陰陽道の丈夫という特殊な家系であったことの影響もある。だがそれ以上に富の偏りが大きな原因としてあったのではないかと僕は推測しています。民間伝承には異人殺しというモチーフがあります。訪れた余所者を殺し、財産を奪った結果家が栄える-しかしそのために代々祟りを受けるというものです。しかし、これは単なる誹謗中傷ではない。根も葉もない噂は伝承として定着しません。長い間語り継がれるには、共同体内部の論理に合致した説得力が必要なのです。
まさに宗教がそれだな。
地域の民族社会にはルールがある。呪いが成立するにも法則がある。民族社会では呪う方と呪われる方に、暗黙のうちに一種の契約が交わされている。呪術はその契約の上に成り立っているコミュニケーションの手段です。しかし、現代社会ではその契約の約款が失われてしまった。更に共同体の内部では呪いに対する救済措置もきちんと用意されている。努力した結果の成功も憑物の所為にされる代わりに、自分の失敗で破産しても座敷童子の所為にできる。都市にそんな救済措置はありません。あるのは自由・平等・民主主義の仮面を被った陰湿な差別主義だけです。現代の都市に持ち込まれた呪いは、単に悪口雑言罵詈讒謗、誹謗中傷の類と何ら変わらぬ機能しか持たないのです。
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姑獲鳥(うぶめ)の夏 1/2 ~出産

「もし二十ヶ月間も子供を身篭ったままの女性が居たとして、その腹部たるや普通の妊婦のおよそ倍はある。それでいて一向に産まれる気配もない。それが事実だとすればやはり尋常なことじゃないじゃあないか。不思議なことだとは思わないのかね。」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ、関口君」 京極堂はそういった。
「ふん、例えばそういった異常な状態を示す妊婦が居るとしようじゃないか。そういう状況なら普通は医者に診てもらうだろう。珍しい症状だから治療が済めば何らかの形で発表されるだろうが、それなら僕も知っているはずだ。しかし生憎僕は知らない。すると治療中の医者が君にだけ情報を漏らしたのだろうか。これも考え難い。患者の個人情報を赤の他人に教えることはないだろうし、医学の医の字も知らない君に相談するというのも非常識だ。万が一したとしても君が僕のところに来ることなんかないだろう。すると君の情報源は医者ではないということになる。ならば君はその妊婦か妊婦の家族から直接相談を受けたのだろうか。その場合はなんらかの事情で医者にかかれないとか今かかっている医師が信用できないとか、まあ事情は色々考えられるが、いずれも雑文書きに相談する内容ではない。君がこっそり嗅ぎ付けたなんてこともないだろう。するとそれは君だけが知っている事実ではなく、不特定多数の人間が知っている事実だと考えられるのが妥当だ。これはもう風聞というヤツに決まっている。それも医学的裏づけの一切ない俗で下世話な風聞だろう。その場合、たぶん君を含めたその風聞を知る人間は、皆一様に戯作者が書いた因縁話や怪談話のような尾鰭をつけて聞いているに決まっている。やれ祟りだの因果だの、いや最近ではそういったおろかな分野にまで化学をくっつける大馬鹿者がいて、心霊科学とかいう言葉まであるそうじゃないか。それはともかく君が僕のところにそんな話を持って来るということは、そういう下卑た噂話にもっともらしい裏づけができるような話をさせたかったからじゃないのか?どうせお得意のカストリ雑誌に猟奇趣味たっぷりに味付けした記事でも書くつもりなのだろうが、そう巧くはいかないよ」
こう言いたくなるような事象はインターネット上にもよくある。
宗教とは、脳が心を支配するべく作り出した神聖なる詭弁だからね
「心理学の方はどうなんだい?」
あれは文学の部類さ。共感できるもののみに有効なんだ。科学の生んだ文学だ。心理学は民俗学と比較すると面白い。心理学は個人個人の患者からサムプルを採って一応は一般的な法則を導きだろうとするんだろう? 民俗学は村やなんかの共同体から共通のサムプルを取って法則性を探る。しかし両方とも最終的には個人に還元されてしまう。文学的なんだな。」
ははは、心理学か。そんな感じだな。あれって学問なのか? とすら思うことがあるわ。
「気分がいいとか、気持ちがいいとかいうのは皆この麻薬の所為らしい。生きていくのに必要な行動は大体快楽を伴うじゃないか。阿片患者と同じように心はそれを求めるからね。動物なら生きているだけで恍惚感を持てたんだ。しかし社会が生まれ、言葉が生まれて、この脳の麻薬だけじゃ不足になって人は幸福を失った。そして怪異を手に入れた。更に失った幸福を求めて宗教が誕生した。代用麻薬だね。阿片だのモルヒネだのというのは代用の代用さ。宗教は麻薬だといった共産主義者がいたが、卓見だね。」
マルクスですね。
言葉というのはクセ者だ。共同幻想を生む。しかしこの共同幻想だって厳密に言えば共同であって同一ではない。仮想現実はあくまで個人のもので、本当の意味での共有はできない。これは宗教にも当てはまる。信者が独りもいない宗教人を何と呼ぶか知っているかい? 残念ながら現在ではこれを狂人と呼ぶ。信者あっての宗教さ。妄想が体系化して共同幻想が生まれて、始めて宗教足りえるのさ。でも仮令同じ宗門の人間であってもまったく同じ仮想現実体験を得ることなんざできない。しかし宗教というのはここのところが実に巧くできている。別々の体験をしているにも拘らずそれが同じだと思い込める仕組みになっている。だから同じ理屈で大勢の人々の心と脳の揉め事を収めることができる。救える訳だね。この仕組みに一役買っているのが言葉だ。
京極堂は”長すぎる妊娠”に就いての話をやっと始めたのである。
「武蔵坊弁慶かな。『義経記』の所伝によれば18箇月だし、御伽草子の『弁慶物語』だと驚いたことに3年3箇月、実に39箇月目に産まれて来たと記してある。髪の毛も歯も生え揃った”鬼子”であったそうだ。『慶長見聞集』に載っている大鳥一兵衛という暴れ者も、投獄された際に18箇月間胎内にいたと嘯いている。もっともこれは自己申告だからどうも怪しいがね。御伽草子の『伊吹童子』では33箇月目、『全太平記』では16個月目に産まれたとある。極悪人や豪傑の判を押されたそのときに、遡って過去ができたのだ。鬼は常に異常な出産によって産まれなければいけない。そういった強い民族社会の共通認識が過去にあった訳だ。特に我が日本ではかなり徹底していた。これは裏返せば、異常な出産によって生を受けたものは鬼になるという共通認識があったということでもある。だから実際の鬼や極悪人は異常な出産の出自を持たなければ説得力に欠ける。因果関係の逆転だ。鬼だと観測された時点で遡って、異常出産という過去が形成される訳だ。だからといって真実以上な出産で産まれた子供が鬼や悪人になる証拠には一つもならないがね。」
「本当に異常な出産だったにもかかわらず普通の人生を送った例はないのかい?」
「ない。なぜなら異常な出産でうまれた鬼子の将来は決まっているのだから、これは確実に殺された。」
「だって酒呑童子なんかは生き延びたんだろう?そんなに確実に殺したのなら鬼や悪人は産まれないことになる」
「だから酒呑童子なんかは鬼の烙印を押されたそのときに遡って過去が決まったっていったじゃないか。そのときは殺されずに捨てられたとかいう理由ができるのさ。もし隠れて生き延びた者で、普通の人生を送った者がいたとしたら、今度は遡って異常な出産の過去は消えてしまうんだ。」
出産体重4500g、産婦人科の新生児室にて、一際大きく黒い赤ちゃんがおぞましい声で泣き叫ぶ姿を見て、「これが本当に私の子供なのか?何か恐ろしいものを産んでしまった気がする。」とつぶやき、悪寒がしたという。数十年前の私の母である。

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