公共心と解雇規制
不正に社会保障給付を受け取ることへの罪悪感が小さい社会では失業保険が充実せず、解雇規制が強いそうだ。発覚しなければ政府の給付を不正に受け取っても良いと考える人の比率が高い国ほど、失業給付の水準が低く、解雇規制の程度が高いことをOECD諸国のデータを使って実証している。道徳観が高いのは北欧諸国で、低いのはフランスやギリシャなどの地中海沿岸諸国であった。ちなみに日本は、OECD諸国の真ん中くらいになる。
俺も低いだろうな。「俺がもらう立場にないとしても、代わりにてめーが俺の払った税金を取り返してこい。」
つまり、伝統的経済学が念頭に置いてきた極端に利己的な人々を前提とすれば労働市場の規制が強くなるという皮肉な結果が得られるのだ。失業は多くの人にとって最大の所得リスクである。失業リスクに備えるための公的政策は失業保険制度である。
そうか、俺の考え方は伝統的経済学の念頭に置かれている考えなんだ!
何を持って貧困とするか?
2009年10月、厚生労働省は日本の相対的貧困率を公式な統計として初めて発表した。2006年において、15.7%という数字はOECDの中でも高水準である。日本で高いのは相対的貧困率であって、絶対的貧困率ではない。相対的貧困率は所得の順位が50%の人の所得の半分以下の人の人数比である。日本では比較的低位から中位の人の所得が高いので50%目の人の所得(中位所得)は高めに出る。もし、真ん中の所得階級の人の半分の所得がないと強いストレスを感じて貧しいと思う人が多ければ、相対的貧困率の指標は意味がある。
俺、この相対貧困率嫌いね。低所得者層、つまり相対貧困者だが、7人に一人が当てはまるその小さな社会では、「人の所得を必要以上に気にして、無駄に不満を感じる」傾向が強い。特に日本の給与所得者は、低所得者でなくても所得差を気にする傾向がある。1000万以上もらっている奴がそれ以上もらっている奴をネタに不満を感じるという現象だ。いずれの相対貧困者も存在するし、彼らが不満そしてストレスを抱いていることも知っている。だが、彼らに革命は起こせない。貧困で生命の維持に危機を感じているわけではなく、なんとなく自分より恵まれている人を見て妬み、そしてその原因を自らの中に認めず、会社や社会のせいにしている典型的な民だからだ。そんな連中の「不満やストレス」など、国家として気にするべき指標ではないのは明らかだ。
管理職の責任と長時間労働
日本の会社でホワイトカラーが長時間労働になる一つの理由は、無駄な長時間の会議が多すぎることだろう。職場で会議をすることのメリットは、職場全員で情報を共有することができて生産性を高めることができるからである。しかし、多くの会議は、参加者にほとんど関係のないように思えることまで、報告されることもある。これは会議で報告して全員の了承を得たという担当者の責任逃れや実績作りが原因ではないだろうか。
そうか。会議の目的は、全会一致と責任逃れか。それ納得だな。
最低賃金引き上げは所得格差を縮小するか?
最も被害を受けるのは生産性の低い人 貧困解消の手段として多くの人が考えるのが最低賃金の引き上げである。産業、職種にかかわりなく適用される地域別最低賃金は09年の時点で、最も低い沖縄629円から東京の791円までの間で分布しており、全国平均は713円である。そもそも最低賃金引き上げは、本当に貧困解消策として有効なのだろうか?
 実は、最低賃金引き上げで被害を受けるのは、新規学卒者、子育てを終えて労働市場に再参入しようとしている既婚女性、低学歴層といった、現時点で生産性が低い人たちだ。彼らの就業機会が失われると、仕事しながら技術や勤労習慣が身につけることもできなくなる。
最低賃金は既に高いんだよね。例えば、スーパーのレジ打ちのように参入障壁が低い仕事でも713円もらえるわけだ。一日8時間週休二日で働いて、月約12万円。年収140万円の給料取りとなる。では一方、その10倍の所得をもらっている人の仕事を聞いてみよう。それは任天堂でソフトの開発責任者をしているかもしれないし、商社でオイルのトレーディングをしているかもしれないし、銀行で大手企業のファイナンスを提案しているかもしれない。いずれにしても、一朝一夕に誰でもできる仕事ではないのは明らかで、それができる人とあらばレジ打ちができる人の1%にも満たないだろう。
かなり大雑把な仮定で計算するが、GDP比で民間最終消費支出が約59%、そして総固定資本形成が21%だから、消費にまつわるレジ打ちに値する富が59%、総資本形成=投資に値する富が21%と仮定し、それができる人の比率を仮に100:1とした場合、59を100で分配するのに対し、21を1で分配するから所得格差は35倍程度になってもおかしくない。それが10倍しかない方がむしろ不自然だとは思わないか?
誰が税を負担しているか
価格の表示方法や自動支払いか否かによって、私たちが価格に対する行動を変えるということが事実であれば、伝統的な経済学の前提は大きく崩れてしまう。最も大きな影響を受けるのは、税に関する議論であり、それを考慮した分野が行動財政学と呼ばれている。誰が本当に税を負担しているかということで議論になる税の種類に、社会保険料の労働者負担と事業主負担がある。伝統的な経済学では、事業主負担の社会保険料であれ、手取り賃金を引き下げるという意味では同じなので、第一義的な負担者がどちらかであるかということと、実質的な負担者が誰であるかということは無関係だと考えてきた。ところが、経済学者以外には、直接税や社会保険料を負担するということと実質的にそれらを負担することは同じだと考えられている。「A事業の費用は、事業主負担分の社会保険料から支出されているから、その使い道は、事業主の便益になるようにすべきだ。」という趣旨の意見が財界から出されたり、「社会保険料の労働者負担を減らして事業主負担を増やすべきだ」という意見が労働側から出たりする。また厚生労働省も公的年金の収益率を計算する際、労働者の保険料負担支払い額の計算には労働者負担分しか考慮に入れない。
表面上、誰が税を払うかで行動が変わってくるのだとすれば、政府は目立たない税を選ぶことになるだろう。所得税や消費税は目に見えやすい課税だ。所得税はサラリーマンであれば源泉徴収票を見た時に分かるし、自営業であれば申告する際に分かる。消費税は買い物するたびにわかる。ところが法人税や事業主負担の社会保険料は源泉徴収票にも書かれていないし、商品の値札にも書かれていない。つまり国民の多くには、目に見えない税金だ。そういう税金に税源がシフトしていく可能性がある。ところが単に目立たない税が、実質的には貧困者により多く負担される税になってしまうかもしれない。逆に、事業主負担の税金が正社員の賃金引き下げに転嫁できないのであれば、そのコストを非正社員や消費者が支払っているかもしれない。私たちは「目立つ」負担にだけ注意するのではなく、本当の負担に注意して税、公共料金や社会保障制度を考えていく必要がある。
所得税率が累進で高いのはよくある話だが、配当課税、株式譲渡益課税、為替・デリバティブの譲渡益は雑所得扱いで総合課税と結局直接的に金を受け取ろうと思うと、課税される包囲網ができあがっているのが日本の税法だ。
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