カテゴリー: 読書

郵便局があぶない

郵貯ローラー作戦
2000年4月以降2001年にかけて、1990~91年に契約した10年満期の定額貯金が満期を迎える。当時は金利は最高で6.33%、年利にして約8.65%が設定されていた。預入額を、90年1月まで500万円から700万円に、91年11月にはさらに1000万円までつり上げたという理由があって、この時期が集中満期になった。その額106兆円。256兆円という郵便貯金全体からしても約4割に達する額だ。それが満期に際してどう動くか。より正確に言えば、できるかぎり動かさないように画策するのが、郵貯の2000年問題なのだ。

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その問題に加担したのは僕ですw 6.x%で複利でまわって、6M into 10Yrsのプロテクティブ・アメリカンスワプション付。最高金利6.33%をとらえられては、いないと思うが、6.x%だった記憶はある。子供の頃から天才だったのですねぇ。株やドル・外貨という選択肢を知った上で、90年に6%FixedのJPYに”投資”していたとしたらマジで天才だが、当時としては、市場性のある金融商品は知らなかっただけというのが現実だ。


実録ラスプーチン 8/8~暗殺計画と不死身伝説

ラゾヴェール博士はゴム手袋をはめて、青酸カリの結晶を入念にすりつぶして粉末にした。彼はそれを気前よくケーキに振りかけた。彼はまた0.3gを数滴の水に溶かし、2個のワイングラスに注いだ。致死量は0.04gだ。ラスプーチンは髪や髭をきれいに洗って櫛でなでつけ、染み一つないブルーのブラウスを着ていた。彼は長老に毒のついていないビスケットを差し出した。最初、毒入りケーキを勧めた時、ラスプーチンはいらないと言った。さらにどうぞと言うと、彼はそのうち2切れを食べた。青酸カリは苦いアーモンドのような香りがするが、彼は何も言わなかった。しばらくして彼は喉が渇いたのでお茶を所望した。ユスーポフはワインを勧めた。クリミアの一族の領地で取れるユスーポフ・ワインである。だが、ラスプーチンはマディラ酒のほうが良いと言った。ユスーポフがこの男のことをよく研究しておいたならそれがわかっていたはずだ。彼は何も添加物のないワインのグラスを勧めようとして、それを落とし、別の毒入りグラスを渡した。彼は飲んだ。何も起こらなかった。ラスプーチンは「のどがちくちくする」と文句を言っただけだった。ラスプーチンは黒壇の飾り箪笥の小抽斗を開けたり閉めたりして面白そうに遊んだ。いつ彼が倒れるかと待ち構えていたユスーポフは、イリーナがそろそろ来るかもしれないので調べてくると言い訳して地下室から姿を消した。仲間の陰謀者たちは、階段の一番上にたむろして、「ヤンキー・ドゥードゥルドゥー・ダンディー」のレコードを何度もかけなおした。彼らは姿を見られてはならなかった。もしラスプーチンが国会演説で激しく自分を非難したプリシュケヴィチを見かけたなら、ただちに何が起ころうとしているか悟ったであろう。ラゾヴェールは、彼自身の弁によれば、毒物が効かなかったことにすっかりイライラして気が遠くなり、雪の庭に出てやっと生気を取り戻した。警保局長ヴァシリーエフは、ラゾヴェールが良心の呵責に耐えかねて、青酸カリの代わりにソーダかマグネシアを使ったと断言している。解剖の結果、毒物が発見されなかったことに対するもう一つの説明は、インチキ薬品製造業者が、軍部の医療隊に純正薬品でなく偽者を納入していたというものである。第3の、ユスーポフ好みの理由が、この邪悪な男は悪魔の力に守られていたのだという。


実録ラスプーチン 7/8~疑惑

ラスプーチン一派で、次にスパイだと疑われたのはアンドロニコフ公だったのはいたしかたない。彼は派手な生活を送り、愛人達に莫大な金を使っていた。「彼の使った金額は、およその額さえ推定できなかった」と彼の執事キルテルは後に証言している。「私の妻が1日おきに、ロシア・アジア銀行から1000ルーブルずつ彼に届けていた。妻はお金を小切手で受け取っていた。彼はアパート代として月額600ルーブル払っていた。客達が、朝食、昼食、夕食に来ない日はなかった。客達は集団で来て、主人が家にいようがいまいが気にしなかった。オフラーナは、これらの費用はすべて、ドイツ軍の金でまかなわれているという報告を受け取っていた。翌年、ラスプーチン問題調査委員会が公を取り調べたとき、反逆罪の証拠は見つからなかった。委員会は、彼はあまりにも軽はずみで、妄想に取り付かれていたので、徹底した反逆者に離れなかったのだという判断に納得した。彼には何の政治的理想もなく、ラスプーチンと同様に、彼の政治家に対する意見は自分との個人的な利害関係に基づいていた。


実録ラスプーチン 6/8~女性遍歴

ラスプーチンのお持ち物
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ラスプーチンは、ステファニヤ・セメノーヴナ・ドルゴルカヤ公女と過ごした。これは危険な情事だった。彼女は皇帝の侍従の妻だったからである。ラスプーチンはその他、政治家の愛人たちとも密通していた。彼はレイカルト夫人の訪問を受けた。彼女は夫の仕事上の問題にラスプーチンの調停を頼みに来たのだった。彼は夫人にキスしてくれと言ったが、彼女は拒否して帰ってしまった。だが、彼は欲求不満を長引かせることはなかった。その夜は彼は若い未亡人で、上院議員ヴァシーリー・ニコラヴィチ・マモントフの愛人だったナジェージダ・イヴァーノヴナ・ヴォスコボイニコワと楽しく過ごした。このようなラスプーチンの動きは新聞にはまったく載らなかった。


実録ラスプーチン 5/8~女帝アレクサンドラ

皇帝のラスプーチンへの寵愛はじきに回復した。1915年1月2日、ヴィルボワがペトログラードにいる父に会いに行くために乗った列車が脱線した。彼女は自己で壊れたラジエーターのパイプに両足に挟まれて動けなくなり、顔には重い鉄製のクロス梁が落ちてきた。足と脊椎に重傷をおって病院に運ばれた時には意識がなかった。ラスプーチンは病院に駆けつけ「アニューシュカ、聞こえるかな?」 「グリゴーリー!グリゴーリー!」と彼女は叫んだ。皇帝の宮内官房長アレクサンドル・モソロフによれば「ラスプーチンはよろめきながら部屋を出たところで失神して倒れた。気がついたときには全力を使い果たした感じで汗びっしょりだった」 モソロフは長老の信奉者ではなかったので、彼の威力を誇張するはずはない。ラスプーチンの介入がアンナの生命を救ったかどうかは難しいところだが、少なくとも、患者の意識を取り戻させた


自分のアタマで考えよう 4/4 ~ターゲットを絞り込む、選択と集中

婚活女子の2つの判断基準
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多くの婚活女子は切羽詰っているので、「顔も身長も収入も性格も家も財産も将来性も…」と多くの基準に固執したりはしません。そんなことをしていたらおいしい餌はすぐに他の魚に奪われてしまいます。目の前にいい餌が現れたらすぐさまそれをモノにできるように、彼女らは「重視すべき判断基準」をふたつにまで絞り込み、そのふたつの基準だけで即座に判断ができるように身構えています。そのふたつの基準とは、たとえば「経済力」と「相性」です。もし経済力もあり、相性も良い男性が現れたら、彼女らは「即ゲット!」するでしょう。でも実際にはこのボックスに入る人は多くありません。だからこそ多くの女性が熱心に婚活しているのです。経済力は低いけれど、性格やライフスタイルなど相性が合う人は「とりあえずキープ」といったところでしょう。結婚するかどうかにかかわらず、一生友達でいたいと思うタイプでもあります。では、「経済力は高いけれどいまひとつセンスやテンポが会わない人」に出会った場合、女性はどういう判断をするのでしょうか?先ほどと同じように「一長一短だから、とりあえずキープ!」でしょうか?実は違うのです。彼女らはこのタイプの人に対しては、「つきあいながら考える」という対応をします。ひとつの基準を充たし、もう一つの基準は充たしていないという点では先ほどと同じなのに、なぜ対応方法が違うのでしょう?
こう書くと「結局、女にとっては金がすべてなんだな」と悪態をつく男性も出てきそうですが、そうではありません。経済力は「相手に求める条件」ですから、女性側ではコントロール不可能ですが、「相性」は女性側が歩み寄ることにより合わせることが可能です。このため「相性は悪いが経済力がある」候補者の方が「相性が良いが経済力は無い」候補者より、「相性もよく経済力もある」に移動できる可能性が高いのです。つまり彼女らは、「経済力よりは相性の方が、自分の努力で改善できる余地が大きい」という合理的な判断をしているわけです。なお経済力も無く相性も合わなければ、即座に「圏外」ボックスに入れられるのはみなさんもよくご存知の通りです。


実録ラスプーチン 4/8~第一次大戦とロマノフ王朝

1913年ロマノフ王朝成立300年記念祭
経済の好況は続いていたが、この国は不機嫌で、同時に野蛮で、むら気だった。心なき破壊者が当時評判の画家イリヤ・レーピンの傑作「イヴァン雷帝」を引き裂いた。
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あるジャーナリストに寄れば、これといった目だった動きはなかったが「価値観の喪失、教育の荒廃、道徳観の完全に欠如した時代」の徴候はあった。小説家アレクセイ・トルストイはこう書いている。「何百万ルーブルものカネが、まるで天から降ってくると思っているかのようだった。人々は、音楽、半裸の女性、シャンペン漬けになっていた。賭博クラブ、連れ込み宿、劇場、映画館、遊園地などが雨後の竹の子のように出現した。」
ロマノフ一族は恋の火遊びが好きだった。皇帝のいとこのアンドレイ大公は、ニコライの昔の愛人で、バレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤと同棲していた。
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実録ラスプーチン 3/8~女を懐柔する方法

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皇太子アレクセイの出血はなぜ止まったか?
ラスプーチンは1907年にも何度か宮殿を非公式に訪問し、皇帝を「お父さん」(パチューシュカ)、アレクサンドラを「お母さん」(マトーシュカ)と呼んだ。そして皇帝夫妻を抱きしめ、ロシア風に三回のキスをした。宮廷内には、「夫妻をだまそうとする貴族や名士たちがうようよいた」ので、ニコライもアレクサンドラもこういう「真のロシア人」にすっかり感激し、子供達にまで彼を自慢げに紹介したのはうなずける。その年の秋、ラスプーチンの訪問が、たまたま皇太子の出血発作に重なったことがあった。彼が少年のベッドのそばに行くと、間もなく回復の兆しが見えた。「分かっているのは、グリゴーリーが子供の様子を注意深く見て祈った後、出血が止まったことだけだ」と皇室担当課長スピリドーヴィチは報告している。皇太子が出血がひどくて床についているとき、彼が枕元に呼ばれた。皇太子は血管が丈夫じゃなくてね、遺伝的な病気なんだ。ラスプーチンがそばに行くと、子供は急に笑い出した。すると、ラスプーチンも笑った。彼が患者の足に手を触れると、出血はぴたりと止まった
皇太子の侍医たちはこの出来事と、その後のアレクセイの回復の理由を説明することができなかった。だが、失血と疲労で自然に血圧が下がると、出血が止まることがあるのを知っている専門医もいた。これは危機が最高潮に達した時に自然に起こるもので、直ちに回復の兆候が見られるという。当時の医学では、こうした場合のことが知られていなかったが、血友病患者がたびたび出血を繰り返しながらも、生き延びて成人する可能性はあったのである。ラスプーチンの到着が、そうした自然な自己回復のはじまりと偶然に一致していたかもしれない。ストレスが出血を加速することも、一役買っていた可能性はある。ラスプーチンはストレスに苦しんでいる人たちに親身になれる天性の持ち主だった。彼の自信はすぐに感じ取ってもらえた。彼には洞察力や、病気を治したり、予言する能力を神から賜物として賦与されていると人々に思わせるようなカリスマ性があり、彼がそばにいてくれるだけで人々の心を和らげた。ヒステリー衝や吐き気を伴う偏頭痛その他の聖人の思い頭痛を治したという記述もいくつか残っている。


自分のアタマで考えよう 3/4 ~多様性を認めない日本の国民性

あらゆる可能性を考えると出てくる「格安生活圏構想」
ところで、「1人当たりの支給額を減らす」方法として、今は各種手当ての打ち切りなど支給額をカットすることばかりが検討されていますが、実は、「生活に必要な額を安くする」という方法もあるはずです。生活に必要な金額は、居住地域や形態によって大きく異なります。寒冷地では暖房費や衣服費がかさむし、家賃の高い都市部は地方より住居費がかかります。医療費に関しても、病気の予防にかかる費用のほうが、悪化してから手術や透析など大掛かりな治療をするより圧倒的に安くて済みます。さまざまな工夫により、同じ快適さの生活をするにしても必要な生活費を下げることは可能ではないでしょうか? この観点から、ちきりんは2008年に「日本にも格安生活圏をつくったらいいんじゃないかな?」というブログエントリを書いています。というのも、日本の街はどこもかしこもハイスペックで素晴らしく住みやすいけれど、それにかかる費用、つまり、基礎生活費が高すぎると感じるからです。多額の敷金礼金や保証金がかかる賃貸住宅、基本料金だけでも数千円ずつ必要な光熱費、無料のはずなのに教材費や給食費、修学旅行費など多額のお金が必要な義務教育、高額のメンテ費用をかけて一年中掘り返され、キレイに整備された道路…。この国は「健康で文化的な最低限の生活を営むための生活費」が高すぎると思いませんか?
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ちきりんは、スーパーマーケットで売られているイチゴのパッケージを見るたびに溜息が出ます。イチゴがみんな同じ方向に並んでいるからです。誰がイチゴをひとつずつ並べているのか知りませんが、その手間代はイチゴ代金に含まれています。そしてその手間代を払える人しかイチゴが食べられないのです!(こんなふうに並んだイチゴしか見つけられない国は、他にありません) などという例は卑近すぎるとしても、海外の大都市の多くには、家賃から物価までバカ高い高級住宅地がある一方、格安に生活できるエリアが都市部近郊に存在します。そういった地域では、1か月分の家賃が払えない人でも部屋が借りられるよう、週ごとに契約できる安アパートが集まっていたり、屋台で格安な食事ができます。ミネラルウォーターのボトルもビジネス街の半額だったりします。また塾に通ったり習い事をする子供も少なく、「お金が無いから子供が産めない」という話にもならないため、少子化も進みません。こういった地域を“スラム”とか”貧困地区”と呼ぶ人もいますが、今の日本のあまりに高品質で維持費の高い住環境を考えると、むしろそういった地域を「格安生活圏」として認知し、その存在を認めていくのも一つの方法ではないかと考えています。
こう書くとすぐに「格差の固定化を認めるのか?」などの反論を受けるのですが、現実に格差があるのに全員に同じレベルの家賃や光熱費を払わせるから、お金がなくてアパートを追い出されたり、電気を止められる人が出てきているのではないでしょうか?「たまに停電するけれど、電気代の基本料金はゼロ」というような「サービスレベルは高くないけれど、格安に暮らせる地域」があれば、今より楽に暮らせる人は確実に増えると思います。


実録ラスプーチン 2/8~怪物が登場した時代背景

ラスプーチンは、まるで中世の昔からぬっと現れたかのように、ぼろをまとい、薄汚れた姿で、得体の知れないことをつぶやきながらサンクト・ペテルブルクにやってきた。何年も放浪生活を送ってきた人間であることは一目見て明らかだった。彼は食べ物でいっぱいに膨らんでいるように見える乞食ポケット付の灰色の安物外套を着ていた。ズボンはぼろぼろ、尻の部分は「ほころびかかった古いハンモックのようだった」とイリオドルは書いている。ズボンの下から見える黒いタールを塗った農民ようのブーツはやがて、彼の誘惑道具の1つとなり、上流社会の婦人たちを抱擁した時に、そのスカートに記念の徴の黒い染みを残した。居酒屋の給士のように無造作に中わけしたボサボサの汚い髪は、もつれた長い髭と絡み合って、まるで青白い顔に黒羊の皮を貼り付けたかのようだった。青い唇の上下には口髭が「2本の使い古したブラシのように」突き出していた。もじゃもじゃの眉毛の下のくぼんだ目は青みがかった灰色で、怒ると目つきが鋭くなる。丸っこい爪は汚れていて、手はあばただらけだった。彼の身体は「なんとも言えない不快な匂い」を発散していた。


実録ラスプーチン 1/8~貴族社会の中の農夫

キモ面対決、さすがの私もコイツにだけは負けた。
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※プーチン大統領とラスプーチンは一切関係がありません。
ロシア皇帝(ツァーリ)一家と親密だった聖者グリゴーリー・ラスプーチンは、1916年にサンクト・ペテルブルクのある宮殿の地下室で殺害された。大勢いた彼の敵にとって、彼は邪悪の権化だった。殺されたのは彼が宮廷の影の実力者で、その悪影響が帝政の崩壊につながるとみなされていたからである。それから数週間のうちに300年続いたロマノフ王朝は消滅し、それとともに帝政下の生活様式も一掃された。ラスプーチンの全盛時代には、彼のことを公に取り沙汰することは検閲によって禁じられていたが、新聞の編集者たちは、ラスプーチンのことを書けば確実に販売部数が伸びたから、高い罰金を喜んで払った。彼の死後、著名政治家、法衣を剥がされた聖職者、秘密警察の役人、女性信奉者など、彼を知っていた人たちが書いた回想録はちょっとしたブームになった。彼を殺害したユスーポフ公は、事件の詳細を描いたベストセラー本と、ラスプーチンの映画を製作したハリウッドのプロディーサーを名誉毀損で訴えたことで、ボリシェヴィキに没収された財産の一部をとり戻すことができた。彼が死んだ地下室は観光名所にもなっている。


債権回収の実務

債権者取消権とはなにか これは詐害行為取消権とも呼ばれます。この権利は、債務者がした財産の処分行為が債権者を害する結果となる場合、債権者がその行為を取り消すことができるものです。取り消しがあると債務者の責任財産から逸出していったため、債権者がこれに強制執行をかけられなくなったものを、強制執行の対象とすることができるようになる、という効果があります。


別海から来た女 木嶋佳苗悪魔祓いの百日裁判

「友人も少ないほうだったし、キャピキャピとはしゃぐタイプではありません。成績は普通でした。あの頃から太っていました。美人ではなかったし、女性としての魅力は感じませんでした。ただ、どこか色っぽい感じはしました。育ちがいいせいなのか、仕草や物腰が上品で、大人びて見えるんです。周囲は酪農家の息子や娘ばかりというなかにあって、彼女は司法書士事務所の娘ですからね。クラスの中でピアノが上手に弾けるのもキジカナだけでした。


消費者金融誰もが驚く裏オモテ

カネを借りる理由とは 国民生活センターがまとめた調査結果(97年度データ)、多重債務に陥った理由のトップは
生活費を借りたため 25.8%
遊興費(パチンコ、ギャンブル、遊ぶための費用等) 17.1%
悪徳商法により商品・サービスを契約させられたため 15.8%
ぜいたく品、生活必需品以外の購入のため 12.9%
事業資金を借りたため 10.1%
前回、91年度データをまとめた時にはバブルの影響を引きずっていたせいか、
ぜいたく品、生活必需品以外の購入のため 16.0%
生活費 9.1%
悪徳商法 6.6%
遊興費 4.9%
とかなり様変わりしている。
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負け組の資金使途、金欠の言い訳か・・・。


世界の歴史 ギリシアとローマ 2/2~グラディエーター・リターンズ

スキピオ・アフリカヌスの力によってイベリア半島は前206年に完全にローマの手に帰した。スキピオが翌年ローマに帰ってカルタゴ攻撃を申し入れた時、元老院はいつもの慎重さからそれに反対した。国庫の窮乏は甚だしいし、イタリアの端にはまだハンニバルが機会を狙っているのである。ところがスキピオは民衆の間にカルタゴ討伐論を盛り上がらせ、ついに遠征の司令官となった。上陸後カルタゴはいったん降伏を認めた。しかしこの期に及んで召還されたハンニバルが1万5千の老兵を連れて到着した時、カルタゴの主戦派と前202年ザマの会戦となった。ハンニバルは多数の像を並べたが、この武器もローマ軍の研究と対策によって全然役に立たなかった。優勢なローマ側の騎兵が敵の騎兵を蹴散らした後、敵陣の背後から包囲したので勝敗が決まった。ハンニバルがかつてカンネーでローマ軍を全滅させた時の作戦を用いてスキピオは大勝したのだ。
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世界の歴史 ギリシアとローマ 1/2~マケドニア王

アテネ民主政治の仕組み
古代民主政治の基本的な原理は、市民の間に治める者と治められる者との差別をなくすることにあった。つまり職業的官僚を認めないのである。そのために役人の任期を限定する必要があり、それは1年で重任再任を禁止した。もっとも10人の将軍のように経験を必要とした重い役は何度でも重任を認め、事実ペリクレスは15年間連年この役についていた。また財産によって就任資格が決められることもこの原理に反するので、本来国家の最高官職たる9人のアルコンの役も前457年にソロンの制度での第三級の市民にまで開放された。第4級の市民は法制上は除外されたが、実際には財産による資格はあまり重視されなくなったらしい。もっとも高級財務官は第一級の市民に限られたが、これは公金横領とか収賄とかいつの世にも役人につきものの過ちが当時も少なくなかったことを物語っている。


リスクをヘッジできない本当の理由

ブラックマンデー以降の主な金融危機
1987年10月 ブラックマンデー、米国株式市場が1日で22.6%の大幅安、米国のインフレ懸念、双子の赤字に対する警戒感、そこに西ドイツが短期金利を高めに誘導したため、市場が日米欧の金融協調体制のほころびと解釈し、売りが殺到した。
1980年代末~90年初頭 米国S&L危機 貯蓄金融機関(S&L)は不動産投資の失敗で88年頃から倒産が急増した。89年に救済法案が可決、747社を整理し、処理損失額は4500億ドル、公的資金投入額は1200億円を超えた。景気減速でFRBは89~92年に利下げを行った。
1994年末~95年 メキシコ通貨危機 メキシコの累積貿易赤字や社会不安を背景に短期資本の海外逃避が加速し、通貨ペソの切り下げと変動相場制への以降を迫られた。米国とIMFの緊急融資で危機は沈静化した。中南米やアジア、欧州の一部にも通貨不安が飛び火した。
1998年9月 LTCM崩壊 ロシアの対外債務支払い凍結をきっかけに質への逃避が発生。損失は46億ドル。欧米の金融機関が合計36億ドルの救済資金を拠出。FRBも金融緩和で対応した。
2000~01年 米国ITバブル崩壊 IT投資や新規上場ブームが米国の金融引き締めなどをきっかけに崩壊した。米国同時多発テロも重なり、ナスダック総合株価指数は2000年の春のピークから1/4以下に急落。
サブプライム問題をあわせるとこの20年間で少なくとも6回もの金融危機に遭遇してきたことになる。
マイケル・J・モーブッシンによれば、ミューチュアル・ファンドの中でもっとも注目を集めた連勝記録の持ち主は、レッグ・メイソンのビル・ミラーといわれている。ミューチュアルファンドが勝つという意味は市場の平均利回りを上回ることなのだが、彼のバリュー・トラスト・ファンドは2005年までに15年連続でS&P500の利回りを上回った。過去40年の期間で、これほど長期にわたり市場平均利回りを上回った運用ができたファンドはないという。


アメリカの軍事力 2/2 ~情報戦

米、英、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドが共同で運用してきた全世界通信傍受・解析ネットワーク「エシェロン」に関して、フランスを中心とする欧州諸国は1990年代の末になって突然に、それが企業や個人の通信まで傍受し、エシェロン加盟国以外の国の経済活動に損害を与え、個人のプライバシーを侵害していると問題にした。しかし、エシェロンの存在は昔から知られている。それを今になって問題にするのは、その情報収集分析活動が与える影響の大きさについて無関心であったことに他ならない。日本にいたっては三沢基地における受信施設の設置を長年にわたって許してきたし、エシェロンの存在を問題にせず今でも許している。その理由の一つには冷戦の時代、元来、対ソ通信傍受システムとして発足したエシェロンを既成事実とし、間接的には自分も情報提供を受けられるか利益になるとして、その存在を許してきた点があるだろう。
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アメリカの軍事力 1/2 ~新兵器

冷戦の終結とソ連の崩壊により米国に敵対できる勢力は消滅し、当分の間は出現する可能性がない一方で、世界はなお不安定であり、規模の差はあれ、局地戦が多発するようになると予想された。1991年の湾岸戦争の経験が大きな影響を与えていたのはいうまでもない。ここから米国防総省は冷戦後の米軍の規模として、湾岸戦争に相当する大規模な地域紛争がほぼ同時に2箇所で発生してもそれに対応できるものとして、陸軍現役10個師団、空母12隻、空軍の現役戦闘航空団13個などの戦力構成目標値を決定している。
21世紀の米国家安全保障に関する調査委員会、1999年9月「新しい世界の到来」において、2025年までの世界に予想される傾向が14項目にわたって挙げられている。


危機の政治学

カリスマ的独裁者の死を契機に改革を求めるドミノ現象が及び、「空っぽの鍋は戦車より強い」(ヤコブレフ)という大変動が近い将来に起こってもなんら不思議ではない。ソ連・東欧の激変は地理的に離れた日本にとっては、対岸の火災かもしれない。しかし、北京・平壌が改革のドミノ現象の終点となったときは、その火の粉は当然難民流出、亡命騒ぎ、在留邦人保護などの重大事態となって日本に降りかかってくるだろう。
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シンガポール「多人種主義の社会学」 団地社会のエスニシティ

シンガポールはリークアンユー率いるPAP(People’s Action Party=人民行動党)政権が、1959年の部分自治政府の成立以来、マレーシア連邦への参加と分離を経て1965年のシンガポール共和国成立後、現在に至るまで50年以上にわたって一元的支配を貫徹していることで知られる。一元的支配の貫徹は、住民一人一人の多様な日常生活を標準化するという形で結実し、その細部にまで入り込んでいる。このことを端的に示すのが公共住宅団地で、人口の82%がHDB(Housing and Development Board=住宅開発庁)という政府機関の下にある団地に居住している。シンガポールは「総団地化」を実現した団地社会であると言える。


国際法入門 2/2 ~国家間共有

外交関係
外交関係は中世ヨーロッパに成立し、1648年のウェストファリア講和会議以降一般化したが慣習法によって規律されてきた。今日では1961年にウィーン外交関係条約が採択され、日本を含む181カ国が批准している。
外交使節の種類は次の2つに分類される。第1は、特別外交使節であり、特定の任務のために臨時に接受国に派遣される。特別外交使節には、国王や大統領などの国家元首、首相などの行政府の長、外務大臣など、中央の政府機関に属する者が任命される場合もある。第2は常駐外交使節であり、接受国に常置される。外交使節団は外交官の身分を持つ、大使などの長と外交職員のほか、事務職員と技術職員、薬務職員から構成される。


国際法入門 1/2 ~国家の狭間

国際法については古くから法ではないとする法的性質否定説があり、プーフェンドルフ、オースチン、ラッソン、ツォルンといった人達が知られているが、今日でもそのように主張する人は決して少なくない。彼等の主張はおおむね「法は違反者に対して権力による効果的な罰則が加えられなければならないが、国際法にはそのような上位の権力も効果的な制裁も存在しない、国際法は特に力のある大国によってしばしば無視され、違反状態は放置される。」というものである。国際法学者の反論は「国内法であっても独裁制のもとなどで、権力者は法を無視し、それに対して強制力が加えられない場合があるから、法的性質を否定するのはおかしい」という主張もある。


地獄の季節

北須磨団地には、川崎重工だけでも100所帯はおるし、神戸製鋼系がいちばん多いんかな。ここらは、みんな労働組合関係の人間ばっかりや。1坪3500円で労働金庫が神戸市から買い取ったところでな。うちは300万ぐらいで買うたんやったかな。北須磨団地はただ単に種種雑多な人々が住んでいるだけの街というわけではなかった。労働運動に根ざしてひとつの思想に貫かれた人々が中心をなしている街なのである。団地の中には「東大通り」「灘高通り」と呼ばれる街路があり、エリート意識の強さを示している。


株主総会

小説なのだが、株主を軽んじている日本の経営陣の典型な部分を取り出してみた。
「議長交代だ!動議だから先だ!」 男は相手の反応を待たず一気にたたみかけた。
「交代の必要等はまったくないと考えております。しかしながら株主様から決を採るようにとのご発言がございましたので、議事進行に関する動議かと思われます。したがいまして、さっそく決を採りたく存じます」 議長役の蒔山の言葉にはさすがに少し苛立たしげな調子が混じっている。
「議長交代の動議に賛成します。私が議長をします。私が議長をすることに反対の方はいらっしゃいませんね。私は自分の株のほか、江戸銀行その他5社、総計1500万株の株式にかかる議決権について委任されております」
前列の席を占めている社員株主がいっせいに各田の方を見た。しかし、誰も声を出さない。ひな壇に並んだ20人ほどの取締役や監査役も押し黙ったままだ。
議長を交代いたしました。私から動議として株主のための経費節減と、現在の取締役の任務違背に鑑みまして今回は選任の数を4名とすることをご提案申し上げます。」


北朝鮮に備える軍事学 3/3~アメリカと自衛隊

軍事行動に無人偵察機は不可欠
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防衛庁が検討している機種は、イラクやアフガンなどで大活躍の「グローバルホーク」もしくは「プレデター」だ。グローバル・セキュリティによれば米国防総省調達価格がグローバルホークで約4800万ドル、プレデターで450万ドル。同じ無人偵察機でも機能がかなり違う。グローバルホークはターボファン機で、全長13.5m、ペイロード1t。巡航速度時速600km強、巡行高度は最高2万m、航続時間は最大で35時間、航続距離は最大で約22000kmである。それに対しプレデターはプロペラ機で全長約8m、ペイロードは約350kg、巡航速度は時速約130km、巡行高度は最高8000m、航続時間は最大で20時間、行動半径約740kmである。


北朝鮮に備える軍事学 2/3~アメリカの情報収集能力

日本にいる工作員は多くはない
朝鮮有事といっても、日本への脅威として考えられるのはテロかミサイルということになる。北朝鮮には潜水艇・潜水艇を運用しており、これらが海自や海上保安庁の警備を掻い潜って日本沿岸まで極秘に潜入することは可能だ。とはいえ、現実問題として何隻もの潜水艦が警備を突破するなどということはまず考えられない。半島で交戦中にそんなに潜水艦を何隻も日本に派遣することもあるまい。となると潜水艦1隻で運べる人数は多くても数十人だ。それだけの人数で映画の様にいきなりコマンドゥ部隊として暴れまくるなどということもありそうにない。かねて日本に潜入し日本社会に溶け込んで暮らしているスリーパーが、それほどの破壊工作に参加できるほど訓練されているか はなはだ疑問だ。概して1人の工作員が様々な任務をあれもこれも任されている。ということはつまりはそれほど多くの工作員がそもそも日本にはいないということなのかもしれない。しばしば週刊誌などでは「日本には北朝鮮の工作員が1000人単位で潜伏している!」などということが書かれるが、まったく根拠のない話である。


北朝鮮に備える軍事学 1/3~お粗末な北

ノドン迎撃は現時点では難しい
北朝鮮が合理的な理由で日本に核攻撃を仕掛けてくる可能性はゼロ%だが、いわゆる捨て身の戦術で暴走した場合を想定してみよう。攻撃側として軍事的にもっとも容易なのは、大型爆撃機に搭載して投下するという方法だが、これも可能性としてはゼロ%だ。航空自衛隊の防空体制を突破して北朝鮮空軍機が日本本土上空に侵入するということは、彼我の戦力比から言っても絶対にありえない。そこで弾道ミサイルで打ち込む方法が考えられる。北朝鮮は既に日本のほぼ全域を射程に収める弾道ミサイル「ノドン」を実戦配備している。日本の防衛庁は現在、ノドンの攻撃を想定したミサイル防衛(MD)システムの導入に邁進しているが、近い将来までを考えてもその制度はノドンを確実に打ち落とせるレベルには程遠い。したがって、ノドンに核弾頭が搭載されれば、これは非常な脅威となる。ただし、現時点で北朝鮮はノドンの弾頭に搭載できるほどの核爆弾の小型化に成功していない。ノドンの弾頭に搭載できる最大積載重量(ペイロードという)は、推定で700kg~1tとみられている。だが900kg以上の重量を積めば推定1300kmとされるノドンの射程(これも確認された情報ではない)は極端に落ちる。現実的なところを言えば、ノドンに搭載して日本を攻撃することを考えた場合、核爆弾の重量は重くとも700kg以下程度に抑えたいところだ。


人名の世界地図 2/2~民族を示す名前

ケルト的な名前
Neilは「勝利者」または「戦士」を意味するアイルランド・ゲール語だ。「二アールの子孫」という姓は後に英語化してO’Neil、スコットランドでもMcNeil、デーン人を通じて北欧へも伝わり、Nielsen、Nilsonともなった。Donaldは「世界」と「支配者」を意味するケルト語に由来する。Kevinは「愛された、愛らしい」「端正に生まれついた」というアイルランド・ゲール名に行き着く。Kellyはおそらく戦いを意味するゲール語その他、Alan、Douglas、Kenneth、Guinnesなどがケルト的な語感を残す名前で、Ryan、Conner、Craigeなど姓から転用された名前も多い。
ミッキー・マウスとウォルト・ディズニー


人名の世界地図 1/2~名前の基本

かつてユダヤ人たちは姓を持つことを禁じられていた。しかしある時代、ドイツの「話のわかる」領主が、ユダヤ人に姓を「売る」こともあった。だが、それでも、すぐにユダヤ人だとわかるようにと、植物、金属名しか使わせなかったのだ。リリエンタール(百合の谷)、ゴールドスタイン(金の石)とは、そうした名前だったのである。その昔、中国には名前を呼ばれると禍いがふりかかると信じた人たちがいた。またプン(みつばち)、クン(エビ)のように、愛称で呼び合い、友達の本名を知らないタイの子供達もいる。
民族名がすぐにわかる姓


人民元・ドル・円 5/5~ドル帝国とエネルギー

85年プラザ合意でアメリカがドル安政策を取ると、ドル安が止まらない。このときベーカー財務長官は87年2月、パリのルーブル宮殿で開かれた先進7カ国蔵相会議(イタリアはボイコット)でドルと円、マルク、フラン、ポンドなど主要国通貨と会合時のレートを基準にした「参考相場圏」を設定し、各国がドル買い介入のほかに財政金融政策で強調する合意をいったんは取り付けたが、効果は一時的で、10月にはブラックマンデーが起きた。それでも、基軸通貨ドルへの世界の信頼は衰えなかったのである。アメリカ人ばかりではない。世界の生産者、消費者と投資家がドルを選ぶからである。


人民元・ドル・円 4/5~矛盾する中国の市場経済

中国株式会社幻想
上場企業の大半は国が保有する株式の3割前後を市場に放出する。国有企業とは本来は党・政府官僚の利権・経済統制の手段であると同時に、従業員とその家族や地域共同体の生活単位だった。上場すれば一般株主の利益を考慮しなければならない。企業家精神が必要だが、そうはいかない。92年から93年にかけて、株式市場制度をひとまず整えた。株式は所有主大別に分類した。一般投資家向けに公募される「A株」、外国人投資家向けに国内または海外で公募する株式で国内市場に上場するのを「B株」、香港市場上場を「H株」、ニューヨーク市場上場を「N株」、ロンドン市場を「L株」、シンガポール上場を「S株」と呼ぶ。これら上場、流通する株式のほかに、政府や政府機関が保有する「国有株」、国有企業と国有企業関連企業が持ち合う「法人株」の2種類の株式に分類した。国有株と法人株は株式市場で売買しない「非流通株」である。
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人民元・ドル・円 3/5~共産支配体制

外資を含め大半の企業内には共産党委員会が設置されている。国有企業では、経営側として、工場長-党書記-工会(労働組合)主席-副工場長-財務・技術等の責任者という流れと、もうひとつ党書記-工場長-工会主席-党事務局主任という2つの流れがある。いわば一企業二制度である。党書記と党委員会は人事権を掌握している。人事権を握るのが企業の最高権力者だという日本企業の常識からすれば、企業の最高経営責任者は党書記である。企業は経済単位ばかりでなく、共産党による支配の単位でもある。
市場経済では通常、中央銀行が必要なお札を発行し、商業銀行が金の流れを仲介して信用を供与することにより、貸し出しと預金の連鎖が生まれ、金が経済社会全体に回る仕組みになっている。中国の社会主義者は当初この商業銀行部門を省き、中央銀行である人民銀行がカネに関するすべてを取り仕切ることにした。預金・貸し出しと財政は統合され、カネは人民銀行から流れ出て経済社会に行き渡らせ、余剰分はすべて人民銀行の預金となって還流する仕組みになった。当時の中国人民銀行の金融政策は要するに貸出量に応じて人民元の発行量を調整する、そしてインフレを抑制するというシンプルなマネーサプライ・コントロール理論に基づいていた。


未来の働き方を考えよう 1/4~育児と仕事

「家庭と仕事の両立」は男女共通の課題へ
「妻が香港ですごくいい仕事をオファーされたんだ。だから自分も退職してついていくことにした。ボクが現地で仕事を見つけるまでは、子育てを担当するつもり」などと言うカップルに、外資系企業では普通に出会います。彼らは順番にキャリアチャンスを譲り合い支えあっているのです。私は全く同じことがそのうち日本人夫婦にも起こるだろうと考えています。これまでほとんどの男性は、「出産・育児のために自分の働き方を変える」という検討自体をしてきませんでした。そういう判断を迫られるのは99%女性側だったのです。

{ちきりんに反対}
私はちきりんのブログを大体は読んでいるくらい「ちきりんのファン」なのですがねぇ、ちょっと素直に賛同しかねます。日本も変わるかもしれないけど、世界で最も遅い部類で変わると予想するね。社会制度・インフラ、男女間差別・給料格差だけの問題じゃない根深い問題だと思う。私の周りのレベルが低いだけかもしれないけども、日本の女性から、家事とか細かいことできますアピールはあるものの、いかに自分の仕事が魅力的で面白いか、というアツい演説? 聞かないなぁ・・・。極めて稚拙な”起業妄想”くらい聞いたことあるけど、「その規模で、個人事業主じゃなくて会社にしたのはなぜ?」と聞いても答えられないくらいの稚拙さねw 俺は規模や事業内容をバカにしてるんじゃないぞ。このくらいの勢いがあれば、笑顔で聞くよ。
2008.05.12 夢をアツク語る女 ←残念ながら中国人


人民元・ドル・円 2/5~中国統一から

共産党による通貨統合
抗日戦争勝利後、開放された地区の各地方政府はそれぞれ通貨統合の作業を始めていた。解放区ごとに発券銀行を設立して辺幣を発行していたので、解放区の数が増えてくると、同じ地域で複数の辺幣と国民党の法幣が輻輳、入り乱れて流通する事態になり、まず地域ごとに再編・統合する必要が生じた。そこで共産党は拡大した解放区ごとに辺幣を一つに絞り、すべてのローカル通貨を回収した。しかし、その作業が終わる頃、46年7月に国民党・共産党の全面内戦に突入して通貨統合は中断した。48年8月19日に国民政府は法幣に代わって「金元券」発行に踏み切った。いわゆうデノミを断行した。1金元券は実に300万法幣元として法幣と交換し、1米ドルは4金元のレートに設定したが、効果は一月で消滅、悪性インフレはおさまらなかった。政権の堕落と共産軍の侵攻によるパニックのなかで金元券もまた紙くずと化した。統制を失い混乱の汚職・腐敗にまみれた国民党支配地域で民心は離反し、良識派は階級や身分を問わず、共産党主導の解放軍に傾いた。中国共産党は47年の夏には内戦の勝利を確信するようになった。人々は相手が持つローカル通貨を信用しないので、交易は大きく混乱し、通貨統合は緊急の課題になっていた。47年10月、共産党中央は華北に設置した財形事務所に「すみやかに発券銀行を統一せよ。統一銀行名は中国人民銀行とする」と指示した。48年12月1日、統合地域の発券銀行である華北銀行、北海銀行、西北農民銀行の三行を合併して石屋荘に中国人民銀行を設立した。設立宣言で人民銀行券の呼び方を「人民幣」とし、「人民幣をもって解放区の貨幣を統一し、同時に新中国の本位貨幣とする」とうたった。
人民幣でインフレ退治


人民元・ドル・円 1/5~中国建国まで

中国破綻論
現実の中国経済はまるで2つに仕切られた中華四川風の火鍋のようである。唐芥子の赤に染まる辣スープの部には膨大な余剰人員と赤字を抱えた国有企業、GDPの5割にも達するかもしれない巨額の不良債権問題を抱えた金融機関が、白いスープの部では外資や私営企業がひしめき、別々に煮えたぎる。高度成長を続けているのに、膨大な数の潜在失業者は減らず、貸し出しが増えるたびに新たに不良債権が発生する。一人当たりGDPは最も豊かな上海(2002年4911ドル)と農村部平均(299ドル)とでは16倍以上もある。平等を原則とする社会主義イデオロギーの看板の元に荒っぽい資本主義が幅を利かせる。金融当局を引き締めようとしても企業も銀行も言うこともきかない。人民と国家を指導するはずの共産党幹部が汚職・腐敗にまみれる。


悪の三国志 4/4 ~朝鮮戦争=スターリンの戦争

幻の「金日成亡命計画」
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中国軍出兵に際して最大の困難は、林虎が指摘したように中国軍の装備が旧式化していることであり、対米戦争を遂行するために不可欠な空軍力の欠如だった。1950年当時の米国と中国の国力を比較すると、


悪の三国志 3/4 ~東アジアのスターリンの傀儡

中国の中にあるソ連邦
毛沢東は1949年12月初めから、モスクワへの旅に出た。北京からシベリア鉄道での旅である。その途中、毛沢東一行は東北地方の拠点都市である遼寧省瀋陽市に立ち寄った。瀋陽は「東北王」といわれた高崗東北地区自治政府主席の本拠地だった。毛沢東らはそこで不思議な光景を目にする。中国のどこでも見られるはずの毛沢東の像や画がないのである。その代わりにスターリンの像や画が街のそこかしこに飾られていたり、立てられていたのである。スターリンの肖像画とともに多かったのは、何と高崗の像であった。「ここはどこの国だ」 毛沢東は思わずつぶやいた。不快な気持ちだった。高崗は毛沢東とは違いスターリンのお気に入りであったのだ。高崗は単身で「スターリンの代理人」としてのソ連高官と会っていたほどである。会議の内容は毛沢東ら中国共産党指導部の対ソ方針であり、党の内部情報あるいは対米方針であり、国共内戦に関する軍事作戦といった、いずれも当時の中国における最高機密情報といってよいだろう。いわば、高崗は中国共産党指導部内における「隠されたスターリンの代理人」「スターリンのスパイ」と言えるかもしれない。スターリンに会いに行くのに、スターリンのお気に入りである高崗を批判するわけには行かないだろう。当時東北における中国軍の最高責任者であった林虎将軍の2人は、のちに毛沢東の追い落としを図ったとして失脚する。高崗が粛清されたのはスターリンの死後だったこともあり、スターリンという重石がとれたことで毛沢東が意趣返しをしたとの見方もできよう。


悪の三国志 2/4 ~追いつめられたスターリン

戦況は一瞬にして変化した。1950年9月15日、米軍を中心とする国連軍がソウルの西方約20kmに位置する海辺の街、仁川への上陸作戦を敢行したからだ。マッカーサー将軍が乗る指令船「マウント・マッキンレー」をはじめ、上陸作戦部隊は総計261隻。北朝鮮軍にソウルはおろか、朝鮮半島の90%の都市を占拠され、朝鮮半島南端の釜山にまで追い込まれ、日本に司令部を移すことも検討されていた国連軍にとって、起死回生をかけた乾坤一擲の大勝負だった。結果的に仁川上陸の奇襲作戦は国連軍の大勝利となった。背後から虚を衝かれた北朝鮮軍は、それまでの連戦の疲れと武器弾薬や食糧などの補給が途絶えていたこともあって敗走に次ぐ敗走を重ねる。戦況は大きく変化した。


悪の三国志 1/4 ~金日成は借モノの名前

悪ってまた随分なタイトルだが、彼等の年を確認しておこう。
スターリン(1878-1953)
毛沢東(1893-1976)
金日成(1912-1994)
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税金の論理 4/4 ~付加価値税としての日本の消費税

一国の税金は経済発展のレベルを制約条件として変化する。地租・関税から内国消費税へ、そして所得税へと変遷するのが一般化されたパターンである。しかしある経済発展のレベルに達すると経済的要因は制約条件でなくなる。つまりどの税金でも物理的に徴収可能となり、どのように税制をデザインするかに関し、自由度が増すことになる。経済発展が租税構造の生成にとっての制約でなくなると次に何が主な決定要因になるのであろうか。それは各々の国がもつ歴史・文化・社会的な背景が重要となる。換言すると国民の好みといった属性が支配的になってくる。OECDあるいはEUに加盟している先進諸国は今日、経済的にはどのようなタイプの税金でも実施できる段階に達しているはずである。ところが欧米先進諸国をみるとある一定ルールによって選好する税金のタイプがあることが判る。大ざっぱにいって、ラテン系諸国は間接税をアングロ・サクソン系諸国は直接税を好む傾向にある。いま歴史的に見ていずれが国税の50%以上を占めるかで2つのグループに分類すると次のようになる。
直接税を好む国 アメリカ、イギリス、北欧、ドイツ、オランダ
間接税を好む国 フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル
直接税は個人ならびに法人に対する所得税が中心である。所得税や個人や企業といった納税者が自己の所得を明確にし、税務当局に正直に申告し納税することを前提としている。このためには納税者は原則として、税務当局に所得獲得状況をつぶさに開示せねばならぬ。税負担を公平に課するためには、どの納税者も税務に関し、いわばプライバシーは存在しないことになる。一般的に云ってアングロ・サクソン系の国民は、このような直接税による納税方法のほうが公平で優れていると考えているようだ。所得隠し等の不正を許さないという姿勢に加え、累進税率のもつ公平間が大きな魅力となっていることは疑いない。これに対し、間接税を好むラテン系の国民性は、税務当局に懐具合までチェックされることを好まない。所得が消費される段階で税負担するほうが、より公平だと考えている。たとえばマフィアがアングラ・マネーで脱税を繰り返しながら蓄財しても、その金で高級車を買えば通常は間接税を支払わねばならない。把握の難しい所得を追いかけても、税務当局が100%を押えることは不可能だから支出する段階で課税する方向が公平だいう主張にも一理ある。


税金の論理 3/4 ~原始的な税制と先進的な税制

税金の移り変わり 土地と港
経済が未成熟な段階では、今日我々が所有している所得税、法人税あるいは付加価値税といった近代税制をすぐに施行することは不可能である。このことは今日のアジア、南米、アフリカの発展途上国を想起すれば明らかであろう。税制はその背後にある経済発展のレベルと密接不可分の関係にある。かかる視点から、税金の移り変わりつまり租税構造の発展パターンを一般化しようと試みるのは、学問的にも非常に興味深い研究テーマとなる。(この接近方法は一般に、tax structural developmentと呼ばれている) まず経済発展のごく初期の段階、まだ資本主義経済が萌芽的な時期において、政府はどのような税金で必要な財源を獲得できるのだろうか。


税金の論理 2/4 ~国税の力が強大=先進国

税制は、高度な経済社会と共にあるというのは実に体感に合う。日本で最も恐ろしい組織は、とにもかくにも国税!! あえてもう一個あげろと言われたら検察かな? というくらい国税は恐ろしい組織。一方の中国で人民に怖れられてる組織は、共産党と軍隊。中国だけでなくアジア各国でも、税務署の存在感はあまりない。国税局の存在感がある国家=先進国家と定義してもよいくらいだろう。

アル・カポネと金丸信
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アル・カポネは有名なシカゴ・ギャングのボスである。アメリカが禁酒法を実施していた頃で、カポネは密造酒取引の元締めとして不法に懐を肥やしていた。彼がこの酒類の密輸入により得た年間収入は1927年に1億5000万ドルに達して、当時、アメリカにおける個人所得の最高を記録していた。この額は自動車王H・フォードが最も高い所得を得た時期の金額より、実に3500万ドルも多かったと報告されている。アル・カポネの犯罪追及は難航したが、最後の決め手になったのが脱税である。脱税反として逮捕、そして有罪判決であった。1931年、シカゴの連邦裁判所はカポネを33万1000ドルの所得税脱税の罪で告訴し、懲役11年と5万ドルの罰金を言い渡した。これによりカポネも息の根を止められ、その犯罪に終止符を打つことになった。


税金の論理 1/4 ~税は取られるものではなく納めるもの

昨今、消費税増税が議論されていた中、97年の消費税増税後に、石弘光税調会長が税金をとる立場から最も民に嫌われる消費税をはじめ、税全般の必要性や制度の素晴らしさを語ってくれている。個人的には消費税増税賛成論者で、他の金融資産・金融所得課税が非課税化するならば、消費税は100%でもかまわないのだが、労働者諸君だけでなく、日本の資産家階級にとっても特にメリットがないから、もとい、金融所得課税の非課税化などの日本の隙の無い税制に穴をあける愚行を大蔵省が認めるわけ無いので、実現することは無いであろうw
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ソ連解体後 6/6~大国ロシアの弱点

ロシアの資源の保有と生産で圧倒的優位に立つわけであるが、大きな難題を抱えていることもまた事実である。ロシアの原油及び天然ガス生産の大部分を担っている西シベリア(原油の75%、天然ガスの88%)はロシア経済の中心であるヨーロッパ部から非常に遠く、開発条件と自然環境は共に大変厳しい。そのため石油・ガスの開発・輸送コストが著しく高まるという難題があり、現実に生産が減少し始めている。とくに原油生産の落ち込みが大きく、全ロシア的問題になっている。炭田開発も同じような難局下にあり、資源埋蔵量はあっても、商業的生産が可能な炭田は限られている。ロシアには西シベリア意外にもかなり有力なウラル・ボルガ油田地帯があるが、その中心に位置するのがタタールスタンやバシキールスタンで、両国とも共和国宣言を行って半モスクワ色を強めているのである。ロシア政府は両国の石油生産と販売をよく管理できなくなってしまった。カフカーズ山脈北麓のダゲスタン、チェチェン、イングーシでも少量であるが原油を産出している。しかし、この原油についてもロシアは管理権を失っている。ロシアのもう一つの大きな弱点は農業生産にある。ロシア農業の生産性は旧ソ連の中でも低く、ロシアは15共和国の中で最大の食糧移入国であり、外国からも大量の食糧を輸入していたモスクワやサンクト・ペテルブルグのような大都市、シベリアの工業都市が北方に偏在しているため1年のうち半年は周辺農業に何も頼ることができないという難しさがある。旧ソ連において、主要農産物の一人当たり生産高が大きかったのはウクライナとモルドバで、穀物の単位面積当たり収穫量も高く、穀倉の名に恥じない。バルト三国は食肉、乳製品、ジャガイモの重要生産国で他の共和国への移出国であった。一方カザフスタンは穀物と畜産品、キルギスタンは羊毛、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタンおよびアゼルバイジャンは綿花栽培にかなり特化していた。

1993年発行の本、当時の資源価格ではこういう認識だったんですね。今じゃ中央アジアもカフカスもオイルと天然ガスのパイプラインが中国に向って走っているんだもんなぁ。


ソ連解体後 5/6~連邦解体を促進した「8月クーデター」

1991年を通じた政治的激変の最終結果として、ソ連共産党は解散、ソ連邦は解体し、独立国家共同体(CIS)が成立した(1991年12月21日)。ソ連邦を構成していた15の共和国はそれぞれ政治的独立を達成した。同年「八月政変」直後におけるバルト三国の完全独立によって、15共和国で構成されていたソ連邦は事実上解体していたわけであるが、その後ウクライナとベラルーシの独立宣言が相次ぎ、ゴルバチョフ・ソ連邦大統領の連邦維持を目指して捨て身の反撃にもかかわらず時代の趨勢となったディスインテグレーションの流れを止めることにできなかった。「八月政変」は、保守派が改革派を抑えるために行ったクーデターであったと一般的に評価されている。しかし保守派が改革に全面的に反対してわけではないし、かれらは連邦存続に自分達の存立基盤を見出そうとしていたからクーデターに訴えるだけの理由が無かったわけではない。保守派といわれるのは、軍部、内務省、国家保安委員会(KGB)、軍産複合体、それに長い間一党独裁政党としてそれを支配してきた古い意識と体質の共産党などであり、かれらは、エリツィン氏登場後1年間における連邦の弱体化、ロシア共和国をはじめとする共和国の権限強化に危機意識を深めていた。新条約によって、連邦は徴税権を失い、連邦の財政収入は各共和国が納める分担金に依存することになるが、連邦の力が急速に低下した状況下では、各共和国に分担金の支払いをどこまで強制できるのか非常に疑問視されたのである。クーデター計画そのものの粗末さと甘さによって、政敵であるエリツィン氏らに一撃も加えられないまま自滅してしまった。クーデターは連邦維持を狙った保守派の意に反して、連邦化遺体を促進すると言う逆の結果をもたらしたのである


ソ連解体後 4/6~軍需産業から民生重視への転換

ゴルバチョフ氏自身が、軍事支出はGNPの17-18%を占めると述べたことがあり、米国国防総省や中央情報局の専門家たちが長年に渡り発表してきた推定値が確認されたことになった。米国の一部では35%前後にも達すると非常に大きく見ていた。いずれにしても日本の軍事支出のGNPに占める比率が1%程度であるのと比べてはもちろん、米国の6%前後と比べても著しく高い。旧ソ連が米国と競って軍事力を拡張できたのは、1973年の第一次石油危機以後に生じた国際石油価格の高騰がソ連に漁夫の利を占めさせ、ブレジネフ政権が石油輸出で獲得した巨額の外貨を使って軍産複合体を強化することに成功したからである。旧ソ連は1970年代半ばに米国を凌いで世界最大の石油生産国に浮上し、石油輸出国としても世界最大のサウジアラビアに比肩するようになっていた。ブレジネフ政権がもし1970年後半から1980年代はじめにかけての石油高価格時代に米国との軍拡競争に走らず、アフガニスタンへの武力介入という大失敗を犯さず、石油輸出で取得した外貨を民生部門の育成に投入していたならば、その後のソ連経済の状況はよほど違っていただろう。


ソ連解体後 3/6~下落し続けるルーブルのレート

旧ソ連・CISの通貨ルーブルや東欧諸国の通貨は、米ドルをはじめとする基軸通貨との交換性が無く、交換性のある通貨がいわゆる「ハードカレンシー」と呼ばれるのに対して「ソフトカレンシー」と呼ばれている。ソフトカレンシーには外国通貨との交換性が無いわけでレートは自動的には決まらず、各国政府(中央銀行)が人為的に定めるところとなっている。何を基準にしてレートを定めるかという問題がまず発生するが、購買力平価説をはじめ色々な説がある。たとえば米国政府中央情報局(CIA)では、これまで長年にわたり、旧ソ連政府が毎年ルーブル建で公表するGNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)を、購買力平価に基づいて米ドルに換算し、公表していた。CIAはこのレートはあくまで計算単位であり、日常生活で使用されるものではない。旧ソ連ではゴスバンク(国立銀行=中央銀行)が、政府の委任を受け、各国通貨との為替レートを決定していた。


ソ連解体後 2/6~地下経済の実態

ゴルバチョフ時代になって進められた「グラースノチ」のおかげで、旧ソ連国内のマスメディアにおいても地下経済の実態とマフィアのかかわりあいが詳しく報道されるようになった。1991年「イズベスチヤ」紙のアンドレイ・イレッシュ社会部長が執筆した『ソ連にマフィアは存在するか』が公刊され、それによると地下経済は大きく以下の4つのカテゴリーに分類されるという。
第一は、荒稼ぎを狙った犯罪的商品の売買で、ごくありきたりの盗品売買から巨万の富を稼ぎ出すポルノ産業や麻薬ビジネスまで様々な種類がある。
第二は、非合法な商品生産とサービスの提供で、公的部門から盗み出した資材(食品、ガソリン、建設材料等々ときりがない)によるう商品生産や機械・機器によるサービス提供が行われている。
第三は、闇行為で、近年ますます大規模化している。
第四は、合法的に存在する地下経済、つまり、実際には生産していないのに、出荷したように見せかけて水増しすることによる不労所得の獲得である。


ソ連解体後 1/6~計画経済から市場経済へ

旧ソ連では、中央集権的な計画化経済のもとで小売価格は原則として全て国が定めた公定価格であった。食料品や家賃は非常に安価に、教育や医療は原則として無料、衣料品や耐久消費財は極めて高価に定められていた。社会主義の下で、富の分配の平等が公には掲げられていた。そして人々は、その理想は実は偽りで、共産党幹部をはじめとする一握りの特権グループに権力と富が集中する一方、働いても働かなくても同じ、という悪平等が支配していることを知り尽くしながらも「親方赤旗」の下での安逸の日々を送ってきた。