幻の「金日成亡命計画」
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中国軍出兵に際して最大の困難は、林虎が指摘したように中国軍の装備が旧式化していることであり、対米戦争を遂行するために不可欠な空軍力の欠如だった。1950年当時の米国と中国の国力を比較すると、


鉄鋼生産量 米国8772万トン、中国60万トン
工農業総生産高 米国2800億ドル、中国100億ドル
象とアリほどの違いがある。毛沢東はそれを承知の上で参戦を決めた。その代わり毛沢東は参戦を勧めたスターリンに対して、大量の武器の援助やソ連空軍の支援などを要請したが、スターリンからの援助は微々たるもので、毛沢東の要求に十分にこたえるものではなかった。スターリンは中国の参戦によって「朝鮮半島の共産主義化」という大儀よりも、中国と米国の両国を消耗させることのほうを望んだのである。そのために溺愛していた金日成の北朝鮮を”生贄”としたのだ。中国の参戦を契機に、スターリンは北朝鮮向けの軍事支援をほとんどストップさせたのである。
スターリンは中国軍の参戦という目的を果たしたことで、ソ連が受ける負担を最小限度にしようと考えたのだ。スターリンは中国への軍事援助について、無償から借款にし、ソ連空軍の出動は早くとも「約2ヵ月半後」とした。ソ連からの軍事援助が「借款」になるということと、中国軍が出動してから2ヵ月半の間、ソ連空軍の支援が望めないということは、毛沢東ら中国指導部にとって、極めて重要なことだった。もし中国がソ連の武器を購入することとなれば中国は支払期日の延期しなければならなくもなる。さらにソ連空軍が2ヵ月半後も出動しないのならば、志願軍全体の作戦、戦略にも大きな影響が出てくる。
それではなぜ毛沢東は参戦を決断したのか-中国社会科学院研究員で、中ソ(露)問題専門の沈志華氏は、その著「中ソ同盟と朝鮮戦争の研究」で次のように分析している。中国が参戦しなければ、
1.他の社会主義国から「中国」という国家が認知されない。
2.北朝鮮が負ければ、朝鮮半島は「米帝国主義」の占領下に入り、中国は米国軍と国境を接して対峙する。そうなれば中国は「侵略」の危険性にさらされる。
3.さらにもし中国が参戦しなければソ連軍が「北朝鮮支援」の名目で中国の東北部に軍を派遣し、そのまま居据わることになる。
毛沢東がスターリンとの交渉で最も難航したのが東北地区の権益についてだった。中ソとも譲れない点だったがようやくその権益をソ連から奪うべく条約を結んだ。だが、今回の朝鮮戦争で、スターリンはすきあらば再び、東北地区を奪取しようと考えているとみた。
生贄にされた毛沢東と金日成
いよいよ中国軍が参戦する。国連軍の仁川上陸作戦後、劣勢を強いられ続けた北朝鮮軍だが、中国軍の参戦により、事態は劇的に変化していく。中国人民志願軍は10月19日、鴨緑江を渡り、北朝鮮領内に入った。10月25日、初の戦闘が発生した。「山が動いた」 これは10月25日、北朝鮮領内の韓国軍が初めて中国軍第40軍と遭遇した際に発した言葉だ。それは大在の中国軍兵士が出動して、韓国軍を包囲し、殲滅的な被害を与えた。一方、数日後には米軍の第1騎兵師団が鴨緑江に近い清川江を渡って雲山に入った。ところが、雲山に潜んでいた多数の中国兵が接近した米軍を取り囲み、11月3日早暁、一斉に攻撃を仕掛けた。このときもある米軍将校が同じように「山が動いた」と語ったと米軍戦史に記されている。鉦や太鼓、ラッパ、チャルメラという鳴り物を使って、音で威嚇し、手榴弾を投げて敵を蹴散らし、いよいよという場面では解放軍兵士が退去して突撃する。機関銃で殺されても殺されても、その死体を踏み越えて向ってくる中国軍の攻撃に米軍は日本のカミカゼ以上の恐怖心を抱いたという
スターリンは米軍や国連軍が再び北朝鮮領内に入る危険を避けたかった。とはいえ、戦争が継続していれば、ソ連の利益になる。交渉が難航してもそれはソ連のためになるということである。この戦争は米国を牽制し、欧州で軍事行動を取れないようにして、同時に米国経済を疲弊させ、トルーマン政権を政治的に追いつめるためのものだ。さらにソ連のために米国の軍事技術と組織情報を入手する極めてよい機会だった。ところがスターリンは1953年3月5日、急死する。死因は脳内出血だったおいうが「側近による毒殺説」がいまも囁かれ続けている。それはともかく、スターリンの死が、朝鮮半島の和平をもたらしたのは事実である。スターリン死後まもなく、双方は捕虜の問題でも歩み寄り、4月11日、傷病捕虜交換に関する協定が調印され、交換は5月3日に終了した
前線の中朝両軍にとって兵器や食糧など物資が豊富な米軍に対抗するにはソ連空軍の出動は絶対に必要な条件だった。しかし、スターリンは「空軍は中国国境の鴨緑江を越えない」として、事実上の「出動拒否」を中朝両国に突きつけたのだ。その理由は「ソ連が戦闘に参加すれば、米ソ両国間の戦争になり、第3次世界大戦に発展しかねない」というものだった。スターリンは中国を米国寄りにさせないために、台湾侵攻と朝鮮半島を両天秤にかけて、後者を選んだのである。「朝鮮戦争はスターリンが台湾の蒋介石政権を存続させるために起こした戦争であった。スターリンは蒋介石政権を存続させることによって、毛沢東と米国の接近を阻害する要因を永遠に残そうと考えたのだ」 ということになる。それはスターリンにとって、蒋介石に対する最後の、そして最大の「贈り物」となったのである。朝鮮戦争の終結後、中ソ関係は決裂し、激しい非難の応酬が繰り広げられたが、その遠因は朝鮮戦争におけるスターリンと毛沢東の関係の中に芽生えていたのである。
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