ケルト的な名前
Neilは「勝利者」または「戦士」を意味するアイルランド・ゲール語だ。「二アールの子孫」という姓は後に英語化してO’Neil、スコットランドでもMcNeil、デーン人を通じて北欧へも伝わり、Nielsen、Nilsonともなった。Donaldは「世界」と「支配者」を意味するケルト語に由来する。Kevinは「愛された、愛らしい」「端正に生まれついた」というアイルランド・ゲール名に行き着く。Kellyはおそらく戦いを意味するゲール語その他、Alan、Douglas、Kenneth、Guinnesなどがケルト的な語感を残す名前で、Ryan、Conner、Craigeなど姓から転用された名前も多い。
ミッキー・マウスとウォルト・ディズニー


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Mickeyはアイルランド、Donardはスコットランドと深い関係をもつ名前である。彼らを想像したウォルト・ディズニーの本名ウォルター・イライアス・ディズニー(Walter Elias Disney)はアイルランドで空前のジャガイモ飢饉が起こるほんの10年ほど前、アメリカへ移住した「先見の明」のある曽祖父を持っていたのである。しかしその祖父も生粋のアイルランド人ではなかったようである。ディズニーという姓はフランスのカドヴァドス県のイズグニー(イジーナの地所)出身という意味だからだ。
ユダヤ名
ユダヤという言葉から多くの人が思い起こすのは、ナチスの強制収容所だが、ユダヤ人に対する迫害の責任はヒトラー一人に帰することはできない。古代ローマに抵抗して紀元後70年に国を失って以来、世界各国へ移住していったユダヤ人は行く先々で迫害されてきたのだ。しかし特筆すべきことは、同じオリエント地方であってもフェニキア人、シュメール人、ヒッタイト人といった人々が国の滅亡とともに消滅していったのに対して、ユダヤ人だけは「ユダヤ民族」として存在し続けてきたことだ。ユダヤ人たちはローマ帝国に国を滅ぼされたにもかかわらず、2000年後にはついに祖国に帰還したという強力なアイデンティティを持ち続けてきた。ユダヤ人は自分達が神から選ばれた民族だという強い誇りを持っている。成文化されたユダヤ人の定義は「ユダヤ人の母親から生まれた者、ユダヤ教に改宗し他の宗教に帰依しない者」ということである。
ユダヤ人の原典は旧約聖書に記されている。エデンの園で神が土(アダマ)からつくったアダムと、アダムの肋骨からつくったエヴァが彼等の太祖である。そしてその後、神に選ばれ大洪水を逃れて生き残ることを許されたノアの子孫であるともいえよう。アブラハムの名はヘブライ語のアブ(父)とラハム(多数)で「多くの民の父」「国家の父」を意味する。イブラーヒーム(アブラハムのアラビア語名)はムハンマドの祖で、現在は激しい抗争を繰りかえりしているユダヤとイスラムだが、アブラハムまでは共通の祖先である。
ユダヤの定義に従うと、ユダヤ人であることは、もっぱら母親に重点がおかれているようにみえるが、生まれた子供は父親の姓をつぐことになっている。Friedman(平和の人)、Greenberg(緑の山の人)、Greenfield(緑の野原の人)、Hofmann(宮廷人)、Levy(ユダヤ教指導者補佐)、Nathan(彼は与える)、Roth(赤)、Rothchild(赤い盾)、Rubinstain(紅玉石)などがあり、姓にsternやsteinをつけることが多い。ゲットー(ユダヤ人居住区)のユダヤ人家屋に記された姓には、Rosental(薔薇の谷)、Liliental(百合の谷)、Blumental(花の谷)、Blumengarten(花園)、Apfelbaum(りんごの樹)、Birnbaum(梨の樹)、Goldsten(金石)、Silberstein(銀石)といったような見た目には優雅な姓もあったが、こうした名も実はユダヤ人たちに対する差別的な歴史によって生まれた悲劇的な名前だったのである。しかし、花や宝石にちなんだ「良い姓」を獲得するにはそれなりに賄賂が必要であった。富を貯えたユダヤ人たちは、Kluger(賢い)、Edelstein(宝石)といった姓をもつことができたが、大半のユダヤ人たちは背が高ければLang(長い)やGross(大)、低ければKlein(小)、髪が黒ければSchwarz(黒)、白ければWeiss(白)、生まれた曜日や季節によってSonntag(日曜日)、Sommer(夏)といった単純で分類しやすい姓を与えられていった。さらに貧しいユダヤ人達は、クラーゲンシュトリヒ(絞首台のロープ)、Eselkopf(ロバの頭)、タシェングレガー(スリ)、Schmalz(油)、Borgenicht(借りない)といった姓しか与えられなかった。
姓が先か氏が先か?
現代の中国では、氏と姓はほとんど区別されない。「姓」は家族をあらわし、「氏」は姓、と説明されている。ちなみに日本ではフルネームのことを氏名というが、中国では姓名という。姓と氏は発生時期が異なり、古代中国は姓と氏は区別されていた。先に誕生したのは姓である。後漢に編纂された古学書『説文解字』によれば、「姓は上において統べる者なり。氏は、下において別けるものなり」とある。古姓には女偏のものが多いが、古代中国が母系制社会であったことを示しているという。言われてみれば、姓という字も女偏である。のちに母系制社会から父系制社会へと変わってゆく過程で、同姓のグループの中の有力者がその族柄を示すために称したのが氏である。
「スー・チー女史」はなぜ間違いか
アウン・サン・スー・チー女史のことを、日本の新聞は「スーチー」女史と書いているが、これは実はミャンマー人に対しては失礼な書き方である。というのも、ミャンマーには姓はなく、名前しかないのだ。つまり、アウン・サー・スーチーは全部合わせて1つの名前なので、その1部分だけを取り出すことはできないのだ。姓はないが複数の名前を持つことは、ミャンマーの人口の7割を占めるビルマ人の伝統である。アウンは勝利・成功、サンは珍しい・驚くべきということである。また、スーは父親アウン・サン将軍の母であるドー・スーからとったものであり、チーは住んでいるという意味だ。
ユダヤ教は旧約聖書をキリスト教は旧約聖書とイエス・キリストの言行などからなる新約聖書を聖典としているように、イスラーム教は旧約聖書の天地創造からアブラハムまでを認め、アブラハムとエジプト人の女奴隷ハガルとの間に生まれた子イシュマエルをムハンマドの祖先としている。アブラハムはイブラーヒーム、イシュマエルはイスマイール、そのほか、モーセはムーサ、イエスはイーサーの名でいずれも神の言葉を受けた預言者としてイスラーム教徒の名前ともなっているのだ。このほかにもヨセフはユーセフ、洗礼者ヨハネはヤフヤー、ヤコブはヤアクーブ、ダヴィデはダウッドとして『コーラン』に登場し、人名にも用いられている。なかでもソロモン王は、エルサレムに神のための神殿を建てた人物であることから、ムハンマドの原形として尊敬を集め、イスラームの世界ではスレイマーン、イランではソレイマーンという名前で知られている。16世紀には、オスマン・トルコ帝国最盛期のスルタン、スレイマン一世と言うような英雄も現れている。
【差別被差別構造】
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