経営の指針もしくは参考に兵書や戦記物を読み、さらに『作戦要務令』まで研究する、また「海軍式経営法」などという雑誌記事も掲載される、といった一時期があった。当時、こういった風潮についてある編集者から意見を求められたので、私は次のように答えた。
「それは少々見当違いだなああ、というのは、軍隊を存在理由または軍事行動の目的は敵の戦力を粉砕することにある。しかし、企業はそうではない。企業は何かを粉砕するために存在するのでなく、あくまで生産をして利潤を上げつつ存続するのが目的だから、存在理由と機能の目的が軍隊とは全く違うはずだ。いわば両者は基本が全く違うのだから、軍事はそのまま経営の指針もしくは参考にはならないはずだ」
この答えに対して、相手は一応納得したものの何か割り切れぬを感じたらしく、「でも企業に激烈な競争、いわば生存競争がありますでしょう」といった。それに対して、私は次のように答えた。
「確かにそれはある。しかし、企業の競争はいわばマラソンのような競争であり、一方軍事行動はボクシングのような闘争で、この2つの競技は同じ競技といっても基本が違うように思う。ボクシングは、相手の戦力を破砕してノック・ダウンさせればよい。だが、企業の競争はエンドレス長距離競争のようなもので、長期の競争に耐えうるように自らを鍛え、最も合理的な走り方をするようにあらゆる合理性を追求する。そして負けた者は脱落していくという競争だから、やはり基本が違うと考えねばならない」


だが、相手はまだ何か釈然としないようで、「では、兵書を読むとか、戦訓を研究するとか言ったことは全く無意味ですか」といった。私は次のように答えた。
「もちろん無意味ではない。ただ、以上の違いをはっきり意識して参考にすれば、確かに多くの示唆を受ける。というのは、戦争はボクシング、企業の競争をマラソンにたとえたけれども、これはあくまでも『たとえ』であって、企業の競争も戦争もマラソンやボクシングほど単純ではない。企業の競争も、ある局面では戦争に似た様相を呈する。たとえばベータ方式対VHS方式の争いだが、技術その他の面における優劣は私には判定がつかない。だが、この争いを見ていると、私はウルムの戦いの後で、ナポレオンが送った報告を思い出す。その報告で、ナポレオンは『余は戦闘をなさず、ただ群を動かしたのみにて勝利を得たり』と記している。彼は敵を巧みに包囲していってウルムに閉じ込め、一切の交通路を遮断してこれを降伏させてしまった。ベータ方式対VHS方式の争いがどうなるか、まだ、私には予測がつかないが、今までの経過を見ると、ちょっとウルムの包囲戦を連想することは事実だと言える。さらに、企業の買収、端的に言えば乗っ取りという問題がある。何しろ日本でも、宣戦布告から戦闘開始という状態によく似た、公然たる公開買付方式が行われるようになった。この攻防戦は、マラソンよりボクシングに近いであろう。これから、国際化はますます進むだろう。そうなると、巨大な資本力を持つ外国の企業が最も優秀な日本の企業を狙ってくるというケースは、少しも珍しいことではなくなるし、同じことを日本の企業を狙ってくるというケースは、少しも珍しいことではなくなるし、同じことを日本の企業が外国企業に対して行う場合もあるだろう。もっとも、以上のことは国家間の競争にも言える。この競争も、端的に言えばあらゆる意味での国力充実競争であり、その意味では諸国間のマラソンといえる。しかし、その間に生ずるコンフリクトが、過去においてしばしば戦争というj期待を惹起させた。その意味では、企業間の生存競争によって派生する闘争と国家間の生存競争によって派生する戦争とは共通性がないとは言えない。と同時に、戦争とは輸送競争だと私は前に記したことがある。これは一種のマラソンだから、戦争自体にもこの一面がないわけではない」
「ではやはり兵書を読むのは意味があるわけですか」相手は、さらに執拗に問いかけてきた。
「問題はそこだなあ。これは少々複雑な問題で、簡単には答えられないよ」そういって私はこの質疑応答を一応打ち切った。というのはそのときある本の記述を思い浮かべていたのだが、その説明が少々ややこしいものにならざるを得なかったのである。
うん、いくら言っても通じていなかったみたいですねぇ…。この本の帯には「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」-これがビジネスの鉄則だ
って書いてあるw 山本七平先生があまりに気の毒なので、冒頭のこの「前提部分」を書いておいてあげよう。

「孫子」の読み方 (日経ビジネス人文庫) 「孫子」の読み方 (日経ビジネス人文庫)
山本 七平

日本経済新聞社 2005-08
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