九州・東北に至る経緯の全ては香港で企画された。香港に住むバブリー先輩と九州で遊び、東北・宮城県・石巻に住む翡翠社長が
「被災・復興という名の下に巨額の金が動いている。その現場を見に来たらどうだ?」
というので、今回、初めての東北地方入りを決意した。石巻にて翡翠社長の話を聞いた上での意見が交錯しているため、時間の前後はあるが、私を中心に時間軸に沿って書いていこうと思う。
東京から仙台は東北新幹線でわずか1時間30分で到着する。ただし、仙台から石巻までの仙石線の一部の線路がまだ復旧しておらず、仙台から石巻まで電車で行くことはできないのでバスでの移動となる。震災から3年も経っているのに、「復興が遅い」と言っている被災者の声は、こういう状況が未だに続いていることが原因であろう。
翡翠社長「東京駅新幹線23番ホームが既に東北だ。忍耐強い顔した人が多くなり、服の色は茶色やグレーなどの地味な色でピンクの服などまずいない。そしてみんなこれから東北へ行くんだという東北人固有の不思議な連帯感が存在している。年寄りが多くてなんか、雰囲気暗いんだよね。」
九州帰りの私としても、確かに東北新幹線の東京駅から、東北と九州の雰囲気の違いを感じていました。九州のアジア的なノリ(アジア的とは、法や規則は存在していても誰もそれを気にせず、感情と感覚の共有で社会秩序が形成されている状態)は、よく言えば明るい・楽しい、悪く言うとバカっぽいと表現される。一方、東北は九州のアジア的なノリと対照的な、日本的なノリです。日本もアジアに含まれるので、日本全体がアジア的要素を強く持っているのですが、ここで言う日本的なノリとは、アジア一般から日本だけが固有に(あるいは強く)持つ要素を指します。簡単に言い表すと、静かで真面目といったことです。
翡翠社長「ワシはいつも思う。ここ(石巻)の人間はなぁ・・・、陰険で、人の目を必要以上に気にして、くだらない狭い世界のことで悩んでいる。その悩みを解決しようという気が無く、不平と不満を言い続けている。何かと言えば震災と行政に責任転嫁し、自らの努力を怠っている。」
地元の人間ゆえに手厳しいが、そんなに石巻を悪く言うなよ・・・。それは日本の国民性であり、石巻とか震災の問題ではない。
東京から新幹線で一気に仙台へ、途中の福島あたりから雪がちらつき始める。仙台駅を出た瞬間、まだ15:00、晴れ(雪は降っていない)なのに、冷たい空気と風を感じる。煙草を一服し、33番のバス乗り場に向う。仙台駅はとても大きい東北の中心・ターミナルなので、バスの乗り場は1~5レーンもある。33番は5レーンだ。石巻行きのバスは待つこと5分以内ですぐに来た。仙台駅から石巻駅前まで約90分で到着する。石巻市にバスが突入すると、また雪が降り始める。東北東海岸地域の特徴なのか、雪が地面を舞っている。東京では珍しい軽い粉雪であることから、降水量が少なく、乾燥していて、地面で雪が解けないほどに地温が低いことが推測される。ホテルまでは歩いて15分なので、大して重くない荷物だけであれば歩くはずだが、雪が激しいのでやむなくタクシー。初乗りは650円! 博多550円に比べて高い! 初乗り料金でホテルについてしまったため、値上がり幅がいくらかはわからないが、九州50円、東京70円から推測して、多分60円!
翡翠社長に予約をお願いしたホテルだが、クレジットカードが使えない。5800円で簡素な朝食とそこそこ広い部屋。駐車場料金が、20分200円の横浜に対して、石巻は60分200円、ということです。石巻の駅の周りはそこそこ店があったのですが、駅から歩いて15分のこのホテルの周りは・・・。ちょうど良いタイミングで翡翠社長から電話。「ちょっと周りに店無いんだけど、これどうすりゃいいの?」、ブーン。翡翠社長が車でホテルまで来てくれました。ちょっとこの辺を案内してやるということで・・・
翡翠社長「これ三越石巻店、このプレハブ! こんなボロイ三越見たことあるか? しかも日曜休み、石巻なめてんのか? これが震災復興協力ということで”作られた”三越なのだ。はい、続いてシャッター通り。ここは震災とかそういう問題じゃねぇんだ。震災の前からシャッター通り。石巻イオンの影響? それもゼロではないが、石巻イオンも最近は冴えないらしい。車と建物はあるけど、歩いている人はほとんどいないだろう? ここにある産業は水産加工と介護ヘルパー・病院だけだ。」
そして車は日本製紙の工場を横目に、被害が大きかった南浜町へ。しかし、少し時が遅く、周囲は暗くなっていた・・・。
翡翠社長「今は暗くて何も見えないかもしれないが、ここの右側、全部原っぱ。元々は全部住宅地だったが、すべて流された。あの橋(日和大橋)も一番高い部分以外は、ほとんどが海に沈んだ。魚市場、夜でも船は来る。夜に船が来るとなかなか良い風景になるのだが、今日は船が居ないようだ。ここ墓地、墓地の上にトラック乗ってたんだ。珍しい風景だろ? 墓地の上に車やトラックが乗ってて、墓石はすべて倒れていた。流されてきたのは、車やトラックだけではない。遺体もここにうちあげられ、大量の蝿と異臭が発生し、ここを通らなければならなかった人は、遺体を棒で押しのけて歩いたと聞いている・・・。ここはワシの父親の実家の近くだったから知っている人も多くが亡くなっている。今は綺麗になって原っぱになったが、大量の瓦礫を見た時、嗚咽が漏れるとは、まさにこの状況だと思った。」
壮絶な震災直後の被災地の様子。2人しかいない車内だが、シーンとなる・・・。
俺「日本は地震で被害にあっても、食糧の強奪や暴動が起こることなく、みんな静かに並んで配給を待っていたと聞いているが・・・」
翡翠社長「ハハハ。何も知らない奴の発言だ。この門脇小学校、ここまで津波が来たのだが、その後、火災が発生した。停電でまっくらな石巻の夜に、この小学校が赤く燃える姿だけが浮かび上がった。その後、この廃墟化した小学校は、よからぬことが多発していると噂されていた。津波に流された後の家に戻って家財を見ると、他の家財が泥まみれになっているにもかかわらず、金庫だけが綺麗になくなっているなんて話をよく聞く。あそこの酒屋あるだろう? 大量の酒が盗まれた、要は掠奪だ。また震災直後は煙草が信じられないような高値で売れたんだ・・・。震災直後は、真偽のほどはわからぬが、そういう治安悪化の噂が飛び交っていた。ワシの実家も被災して泥だらけだったから、泥かきを一人でやるんだ。余震が続き、停電は頻発、夜に明かりをつけると泥棒・強盗の標的になるのでろうそくをつけ泥かきだ。ろうそく消せば真っ暗な環境だぞ。火事場泥棒ならぬ地震強盗もいるという状況下で、物音一つしたら、そのたびにドキッとしたわ・・・。ここ、被災した飲み屋の経営者が復興のお題目で作った通りで、フィリピンバーとかあるんだが、あんまり良い噂を聞かない、近づかないほうが良い。」
確かに後日、パトロール中と書いてる警察車両とは思えないような車が、街中を走り回っているほどに治安が悪化しているようであった。
【日本の愛国者・民族主義者】
2013.04.18 王城の護衛者
2013.03.08 藤原氏の正体 1/4 ~鎌足と蘇我氏
2012.04.20: マクリッチー攻め第3弾 ~昭南神社探索
2011.12.27: 民主主義というのも民に自信を持たせるための方便
2011.05.10: 日本改造計画2/5 ~権力の分散と集中
2011.02.17: 田中角栄 その巨善と巨悪 ~議員立法
2010.12.06: 田中角栄 人を動かすスピーチ術 ~カネの使い道
2010.07.13: 日本帰国 第一幕 靖国参拝
2010.05.25: 靖国で泣け