いわゆる朝鮮出兵の慶長の役で捕虜となった韓国人姜范が。『看羊録』という本を著している。これは秀吉の晩年から関ケ原直前までの日本について記している実に興味深い本だが、その中に次のような記述がある。
「そのいわゆる将倭なる者は、一人として文字(漢字)を解するものがありません。わが国の吏読(りとう、万葉仮名に似た一種のかな、消滅した)に酷似しております。その字の本義を問うたところ、漠然としていて、知っておりません・・武経七書は、人それぞれ捺印所蔵しておりますが、やはり半行でさえ通読できる者がいません。彼らは分散して勝手に戦い、それで一時の勝利を快しとして満足することはあっても、兵家の機変については聞いてみることはありません。以上のことは、捕虜になった人々に直接見聞したもので、どうにも愚かな農民や敗兵の惑いを十分打ち破るよすがともなりましょう」
これは、大変に面白い記述である。「武経七書」とは『孫子』『呉子』『六韜』『三略』『司馬法』『尉繚子』『李衛公問対』の七書で、宋の時代に兵学の典拠として選定されたものである。韓国の両班には文班と武班があり、それぞれ、中国と同じように科挙という官吏登用試験を受け、これに合格したもので政府は構成されている。これからみれば武将は「武経七書」ぐらいは暗記しているはずなのだが、日本の武将は最初の半行も読めないと彼は言う。これは、おそらく事実であろう。勉強家と言われた家康でさえ、藤原惺窩についてはじめて『貞観政要』を読んだわけで、独力で読んだわけではない。家康でも、科挙の試験を受ければ落第であろう。ということは、日本の武将は机上の兵学では皆落第生、韓国の武将は優等生ということになる。ところが、この優等生が、戦国の生存競争を生き抜いてきた日本の武将の前には手も足も出なかった。なぜであろうか。全体的に見れば姜范の問題意識はむしろこの点にあった。というのは彼は日本の三度目の侵攻を五分五分ぐらいに見ており、そのためにどう準備しておくべきかも提言しているからである。
では日本の武将は「武経七書」の内容を全く知らなかったのであろうか。そうでもないことを姜范も知っていたらしい。日本の武将はあらゆる技能者を自分の周囲を集め、その中に「軍法に通暁している者」がいると彼が記しているからである。そして彼は倭僧は文字(漢字・漢文)が読めるとしている。戦国武将の周囲には「読み役・解説役」ともいうべき僧侶や元僧侶がいた。多くの武将は、そのようにして「武経七書」を利用していたと思われ、その一例は北条早雲に出てくる。
以上のことを記した理由は、外でもない。一体、『孫子』をはじめとする兵書を読むことが、経営に果たして役に立つだろうかという前に提起した問題を考える一つのヒントとなるからである。まず言えることは姜范は文官で刑部員外郎だが、もちろん「武経七書」は全部読んでいたであろうし、武班だったら、こういった原論の暗記だけでは、科挙に合格することはもとより不可能であったろう。だが、その秀才ぞろいの韓国軍の指揮官に指揮された部隊が、将倭の前にいかにあっけなく敗れてしまったか、その理由はどこにあったのか、姜范はそれについても記しているが、一言でいえば実戦の経験が皆無であったことと「兵書読みの兵書知らず」であったこと、これに対して日本側は、将帥より一兵卒に至るまで、戦国以来、実践の中で鍛えぬかれつつ、その生存競争に生き残ってきたものだったということである。
フランスは防衛予算と対外文化活動予算が同額であり、「フランス語を修得した人間は反仏にならない」と考えているという。この点で、日本の対外文化活動はあまりに貧弱だというべきであろう。
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