仏教では人間の持つ根本的な煩悩を三毒(貪り、怒り、愚か)としています。貪りというのはもっと欲しい!と欲張る心です。いくら欲しがっても得られないものは多いですし、手に入れたら入れたでもっと欲しくなります。限度のない欲望です。怒りもまた抑えがたい煩悩です。しかし、怒りをぶつけても問題が解決するとは限りません。逆に怒りの応酬となって問題は大きくなるばかりです。愚かとは、「諸行無常」(すべては移り変わる)「諸法無我」(確かな私など存在しない)といった真理を知らないことです。これを無明と呼びます。
> なるほど・・・俺、悟り開いてる状態に近いな。
ブッダは一箇所に長くとどまることなく、一生、旅を続けました。決まった居場所をもうけてしまうと、その場所や人間関係にとらわれて、離れがたくなったりします。持ち物が増えれば、それを守りたくなったり、別のものが欲しくなったりしがちです。そうした欲が頭をもたげるのを防ぐため、信者から寄進されたお寺にも長居せず、布教の旅を続けたのです。すでに煩悩の姿を見極めたブッダでさえ、油断するとまた、からめとられてしまう。
> アジア全域生活圏構想パクられた?
かつて共産主義を生み出したカール・マルクスは、フランスで自身の思想がどう紹介されているのかを知って、こう皮肉ったそうです。「私にわかるのは『私はマルクス主義者ではない』ということだ。」
ブッダが今の仏教の姿を見たらどう思うでしょうか。思想というのは同時代の人にさえ、意図しない形で伝わってしまうものです。ブッダの時代から今に至る2500年の間には実に大きな変化がありました。時代によって、土地によって、変化したからこそ、仏教は世界宗教になることができたのです。ブッダは教えも文字で残さず、すべて対面で教えを説いていたと言われています。
ブッダの教えを求めてインドに渡った三蔵法師
仏教は、1世紀頃にはシルクロードを通じて中国に伝わっていたとされています。初期の中国仏教において、私たちに最も身近なのは、唐代初期の僧侶の玄奘三蔵、いわゆる三蔵法師でしょう。孫悟空が飛び回る西遊記はもちろんフィクションです。しかし、玄奘三蔵の旅を記録した「大唐西域記」をベースにしており、お経を求めて天竺、すなわちインドを目指すと言う大筋は史実をモチーフにしています。お経はそれまでも中国に伝わっており、いくつか漢訳も行われていました。しかし、玄奘は正しい教えを知るにはサンスクリット語の原典にあたることが欠かせないと考え、インドに向かったのです。
仏教が中国から朝鮮半島を経て日本に伝わったのは538年とされています。当時、日本と交流があったとされる百済にはすでに仏教が伝来しており、百済の聖明王が日本に使いを送り、仏像や経典などを伝え、当時の欽明天皇に仏教を勧めました。おそらくそれ以前にも、仏教は知られていたでしょうが、公式に伝わったと言う意味で538年が公伝といわれています。当時の日本の朝廷では、物部氏と蘇我氏が二大勢力として競っていました。この対立がそのまま仏教をめぐる対立となりました。結局、6世紀後半には仏教に反対した物部氏が滅び、蘇我氏が実権を握りました。蘇我馬子は一族の先祖を弔う氏寺として、日本最初の本格的寺院である法興寺を建立しました。現在の奈良県明日香村にある飛鳥寺です。本尊の飛鳥大仏は日本で最初に作られたブッダの像です。
インドで生まれた仏教が、より多くの人に救いをもたらす大乗仏教へと発展したのと前後して、仏教に刺激を受けたバラモン教がインド土着の信仰を吸収してヒンドゥー教へと姿を変えて勢力を伸ばしました。すると仏教の側も、庶民に人気の高いヒンドゥー教の儀式や信仰を取り入れるようになりました。その結果として発展したのが密教です。神秘主義的な儀式や呪術によって現世での利益を実現しようとする傾向があります。