豊かさの見直し
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人類は、その400万年の歴史からみればごくわずかのうちに、狩猟社会から農耕・牧畜社会へ移行し、産業革命を経て工業化社会に向けてひたむきに走り続けてきた。この間、大量生産・大量消費に象徴される物質的豊かさのみを追求する社会のあり方は、1950~60年代の経済の高度成長期に世界各地で公害問題を引き起こし、これが社会問題化してこの時代以降、開発のあり方、豊かさとは何かが真剣に問われるようになった。人は経済成長と自然環境の双方から利益を受けている。人の物欲、特に生存に必要な限度を超えて他人よりも多く、より良いものを所有したいという欲望は、本能的なもので、そのために文明も進化してきたように信じられている。しかし、環境破壊が地球規模で進んでいる現在においては、大量消費文明・物質文明に対する疑問が呈せられる一方、西欧の尺度で見た豊かさの押しつけ(文化的帝国主義)に対する反省も生まれている。西欧文明の優位が疑われなかった時代には、どれだけそれに近づいたかが開発の尺度として機能した。しかし、自然環境の保護と言う人類の存亡をかけた問題が生じた現在では、西欧文明とは異なった尺度で、自然と共に生きるインディアンなどの文明・行き方に対する価値が見直されるようになった。フィジーなど南太平洋の住民は、伝統的な農業と土地の食習慣で栄養も足り、自然のリズムに従って生活していた。ところが、開発の名目でそこに輸出作物を育てる機械化農業、慌ただしい生活リズムを持ちこみ、その結果現地の食文化を破壊してスーパーマーケットに頼る生活を余儀なくし、成人病の少なかった島に糖尿病を増加させたなどは文化的帝国主義と言われても仕方無かろう。自然を人間と対峙する制服・改造の対象としてとらえ、競争してモノを獲得する思想は西欧の物質崇拝主義に見られるにすぎない。