第9章 マジャパイト王国の没落とヒンドゥー政権の消滅(15~16世紀初)
アヤム・ウルク王の死去をもってマジャパイト王国の歴史の転換期とするのは、いささか独断にすぎる。1389年以後しばらくの間はそれ以前と全く変わりなく、新王国の登位は外見上何ら変化ももたらしていない。しかし、ヴィクラマヴァルダナ王の治下において強大な王国の没落を示唆する最初の明確な徴候がうかがわれるのは事実であり、1429年のこの国王の死去の当時を40年前と比較すると国力の衰退は明瞭である。こうした極めて急速な仮定の原因の十分な解明は困難である。最も重要な原因の1つはイスラム教の進出であり、これが宗教上の転換期においてジャワ社会を分裂させ、当時の政治上の対立を激化させている。ジャワの北海岸地帯がイスラム化されるとともに、現地の支配者達の間に漸次積極化しつつあった中央政権にたいする自主独立的態度が強化され、これが宗教上の対立によって促進されることになる。経済上の要因もまた影響している。マラッカ海峡の商港としてのシュリーヴィジャヤがジャワによって意識的に放棄されたように思われること、またマラユが一度パレンバンおよびマラッカ海峡を隔てた対岸に進出することによって、ある程度ジャワの失地を埋めた。