喜劇 マンドラーゴラ
フランスにカリーマコという名の男が住んでいた。相当な年齢の金持ニチアの若い妻、ルクレツィアの美しさと身持ちの良さを耳にして、まだ見ぬこの女に恋してしまう。しかもどうしてもモノにしたいと思うようになる。それでまず、男が女に容易に近づける場所である温泉に、この夫婦を連れ出そうとするが、これは失敗する。作戦変更を迫られたリグーリオは、今度は別の手を考えつく。外国在住の長いかリーマコがフィレンツェでは顔を知られていないのを良いことに、彼をフランスでは有名な医者に仕立てあげようと考えたのだ。石女に妊娠させることのできるエキスパート、という振れこみである。まず夫の説得から始まる。「マンドラーゴラ」というこの薬を飲んだ後で妻と床をともにすると妻は必ず妊娠する、と言ってだ。ただこの媚薬は、飲んだ者をまもなく殺すとも言う。そこでリグーリオは、心配することはないと言う。どこかの馬の骨を連れてきて、ただしこの父親になるのだから身体だけは健全無欠な若者を連れてきて、それに代行させれば問題は無い、と言う。しかし問題は身持ちの堅いことでも知られるルクレツィアをどうやってこの作戦に参加させるか、ということである。これまたリグーリオの発案でルクレツィアの告解僧であるティモテオに、説得してもらうことになった。僧ティモテオは、夫のためにやるのだから罪ではない、と言って説得する。天国の席も心配ないと僧侶まで言うのだから、ルクレツィアは安心する。いや、ルクレツィアには他の男と床をともにする大義名分が与えられたわけだ。カリーマコはそれまでの医者の扮装を捨て、どこかの馬の骨に一変する。そして、無事、お床入りを完了する。ところがこの後が愉快なのである。何も知らないとみなが思っていたルクレツィアが何もかも感づいていたのだ。愛し合った後でいまだ夢うつつのカリーマコ扮する馬の骨に向って、彼女もうっとりと接吻しながら言う。
「あなたの悪知恵と私の夫の馬鹿さかげんと、母の単純さと、告解僧の欲深さが、私に到底私一人では考えられそうもないことをさせたのだから、これはもう、神様のお思召しと思うしかありません。私の夫が今夕望んだこのことを私は夫にこれからも何度も得させてやりたいのです。つまり、あなたと夫は、これからは家族ぐるみの交際の仲になるわけよ。だから明朝、教会にも来ていただきたいわ。そしてその後、この家の食卓にも。こういう状態になればわたしたち、誰の目も気にしないで好きな時に会えますわ。お互いのためにも、最も良いやり方だと思うのよ。」
全員が満足しメデタシ・メデタシとなって劇は終了する。私には、この最後のルクレツィアの台詞を聴くためだけにも、全日本の女性に『マンドラーゴラ』を観ることをすすめたい。
「今のようにシラミの間に棲息しているばかりだと、役に立っていた時代も忘れ、自分はもう何者でも無いのだと思うようになる。こんな状態をこれ以上続けるのは不可能だ。なぜなら、無為に消耗していくこんな状態を神が望むとすれば、私はいつかこの家を出て行かざるを得なくなるだろう。どこかの代官とか隊長とかの、家庭教師か秘書官にでもなって。もしもそれも恵まれなければ、僻地にでも行って、子供たちに読み書きでも教えるさ。家族は置いていく。私なぞ死んだと思ってくれと言い残して。なに、彼らも私なしのほうがよいのだ。なぜと言って、金を使うのは私だからだ。使うのに慣れてしまって、使わないではいられない。」
この当時に限らないのだが、身なりや従僕を従えての外観を整えることなどには生涯無関心であったマキアヴェッリにとって、出費と呼んでよいものと言えば、賭事に使う金であったようである。天才的ギャンブラーでなかったらしい彼は、結局は負けるほうが多かったらしい。
> えーーー、ギャンブルで負けちゃうの? わからんなー、天才のすることはw 「マキアヴェッリさん、ギャンブルなんかやってないで、株、自然に儲かりますよ」 えっ自慢ですか? まましょうがないよねぇ・・・
宗教を敵に回してはならない。また神と関係すること全ては敵に回さないように心がけるべきである。なぜならこの対象たるや馬鹿者どもの頭にあまりにも強力な影響力をもっているからである。権力と名誉は誰もが求めるものである。なぜなら、普通は華やかな面のみが眼につくからで、権力や名誉がもたらす苦労や不快な面は隠れているからだ。しかし、もしも両面とも陽の下明らかになるとすれば、権力や名誉を求める理由は、一つを残せば失われてしまうであろう。そのひとつというのは、敬意を払われれば払われるだけ、人は神に近い存在となったように思えることである。男に生まれて、誰が神に似ることを望まない者がいようか-
黒隊のジョヴァンニが、「おい、マキアヴェッリ、おまえは(ジョヴァンニの言葉遣いが悪いのは有名だった)なにやら戦略とか戦術とかについて一作ものしたそうだが、なんなら実践してみないか。俺の手勢を1000貸そう」
マキアヴェッリは歩兵2000を前にしてどのような心境だったかは知らないが、挑戦は受けたようである。号令をかけ、2000の男たちを動かそうとするのだが、それがなんともうまくゆかない。行進どころか整列さえままならぬ。マキアヴェッリは、汗みずくになり、声をからして号令するのだが状況は悪くなるばかりだった。おそらく、グイッチャルディーニ以下、軍の高官たちも見ていたのであろう。しばらくして、人は悪くないジョヴァンニは笑いながら言った。 「これくらいでいいとしよう。でないと、昼飯を食いそこねるから」 そして、前に進み出たジョヴァンニは、自分と同じ黒一色の兵士2000と向かい合う。まず太鼓手に太鼓を打たせ、その後で視線をわずかに動かし、なにか言った。それだけである。それだけで兵士たちは、ぴたりと陣型を組み終わったのだ。おかげで皆は昼食をとりに行くことができたのである。
ルネサンスの終焉
マキアヴェッリが自前の軍備をもつ必要を最初に提唱したのは1503年であった。終身大統領ソデリーニへの答申という形で国を守るには力と思慮の双方ともが不可欠であり、とくに自衛力を持たない国家は、破壊と隷属に終わる宿命を持つ、と断言している。24年前の話である。また『君主論』を書くことによって、時代が変われば統治の方式もそれに応じて変わる必要があると説いたのは、1513年であった。14年前のことになる。そして共和政体を維持したければ、時には共和政の精神に反することもあえてする勇気を持たねば、共和政そのものもつぶしてしまう結果になる、と説いたのは1516年に完成した『政略論』においてである。11年前の話なのだ。1521年に刊行された『戦略論』では、市民兵制度確立の必要性を徹底して論じている。6年前のことだった。このマキアヴェッリを当時の常識は、非現実的、理想主義者、時期尚早論、机上の空論、と断じ続けたのである。だが、20年余りもの間、非現実的であり続けるということはどういうことなのであろうか。58歳のマキアヴェッリは1527年春、自らの考えがただ一つとして聞き入れられなかった「事実」の行軍に、同行しているのであった。
1527年5月6日、「サッコ・ディ・ローマ」 Sacco di Roma と言うだけで通じてしまう、また、このイタリア語の名称のまま、英文でも仏文でも使われる6ヶ月に及ぶ「ローマ掠奪」のはじまりである。現代のローマにバロックの都という印象が強いのは、このときの掠奪でルネサンス時代の建物の8割が、焼かれたり破壊されたりしたからである。これほど徹底した破壊は、西暦5世紀の西ローマ帝国崩壊時まで、遡らねばならないといわれる。住民も身代金を取れそうな者は捕囚の身に、取れそうもなかったり、少しでも抵抗した者は殺された。そして夏、ペストが襲ってくる。この6ヶ月のうちに、ローマの人口は9万から3万に減った。殺された者、2万。逃亡できたもの2万、ペストで死んだ者2万、勝者のドイツ傭兵ですら、12000いたのが7000に減っていた。
【外国の愛国者・民族主義者】
2013.10.24 残虐の民族史 2/3 ~ジンギス汗
2013.06.03 わが闘争 下 国家社会主義運動 3/7~演説と扇動
2012.12.07|殺戮と絶望の大地
2012.09.06 ジャカルタに行ってきました 2/9~言語はあるが文字がない
2012.06.13|第二次タイ攻略 3/15 ソンクラン@シーロム
2011.10.25: インドネシア 多民族国家という宿命 1/3~歴代大統領
2011.08.31: マハティール アジアの世紀を作る男4/4 ~がんばれアジア
2011.07.12: 父親の条件2/4 ~フランス人の高慢ちきな態度はここから
2009.08.21: インド独立史 ~ナショナリズムの確立