満州国政府最高首脳に
政党人はときに軍部の懐柔に乗せられ、軍部の脅迫に怯え、みずからの腐敗と日和見に自壊し、結局は軍部の勢力を増殖させていったのである。憲政史上最大のクーデター事件、すなわり2.26事件は、こうした時代文脈に咲いた徒花であった。岸は2.26事件後わずか8ヶ月にして満州に渡るが、その岸を待ち構えていたのはもちろん関東軍である。岸は参謀長板垣征四郎に向って次の2点を主張した。「第一に日満一体論、満州の産業経済発展が満州国統治のみならず日本国民にとっても重要であること、第二に関東軍の任務は統治の基本を握ることであって、産業経済については自分に全てを任せて欲しいこと」 岸がまず最初に手掛けた仕事は、満州国産業開発5ヵ年計画の実行であった。対ソ戦略基地たる満州の産業開発は、仮想敵ソ連の計画経済をモデルにした