カテゴリー: 人生設計

ジャブジャブ金融緩和政策の終焉はアメリカ主導の中央銀行の民営化

昨今、中央銀行はどこまでバランスを膨らませるつもりだろうか?世界的な債券市場の金利低迷は信用リスクを測る役割を果たしているのか? この状況に対する問題意識は、少なくともFRBと中国人民銀行とECBは共通して持っているだろう。これに対する解決案と未来予想をしてみようか。

1971年「金の兌換止めます」と宣言したアメリカが、今度は「中央銀行制度に競争原理を導入する」と突如言い出す。通貨発行権を持つNew FRBを50個ほど誕生させる。え?何それ?今持っているUSDを、ニューヨークドルにすればいいの?カリフォルニアドルにすればいいの?JPMドルにすればいいの?

マルキール先生に学べ。インデックス投資、通貨バスケットだ。米国における納税は新米ドル通貨バスケットで認める。新米ドル通貨バスケットIndexは時価総額加重でも浮動株比率でもなく、単純平均。ダウジョーンズに学べ。発行済株式数をどうするか?浮動株比率など資本政策は各社の判断に任されているにもかかわらず実に安定的に推移している。

クリプト市場を見よ。ビットコインのように発行上限を最初から規定しているものもあれば、追加発行できるものもある。さらにCirculate Supply、株の世界で言うところの浮動株だが、発行体の持ち分だけでなく、忘れられた秘密鍵によって永遠に日の目を見ないビットコインが果たしていくらあるのかを推測してバリュエーションするのは市場原理に則る。これがCMEのビットコイン先物の態度を見ればわかる。フォークイベントに対する記述がない。フォークの影響や実効性を事前に予想することはできないから、それは参加者一人一人が判断してくれと言ってるではないか。

だから現FRBの役割は、金利政策、緩和政策ではなく、ダウジョーンズ社のようになる。単純平均に対して不当にNew USD価格を吊り上げたら通貨バスケットから外すだけだ。金利政策、緩和政策はFRBが考えることではなく各New USDの発行体が創意工夫し、その価値が市場原理で決まる。最適な金融政策など誰もわからない。にもかかわらず、FRB議長がそれを決める、ソビエトの計画経済と同じだ。アメリカの通貨発行権とFRBだけが唯一残された計画経済で、それを市場原理に切り替えてくるだろう。

一方、中国もほとんど同時に3つほどの新人民銀行が発足し、トランザクションの性質ごとにメリットデメリットがあるようなマルチ中央集権的な設計が中国らしい決定だと思わないか?ECBも遅ればせながら参入し、それら二つをブロックする新中央銀行態勢を打ち立てるだろう。ECBは何をブロックしているか?米中による通貨発行権の侵害をだ!その準備や発想が全くない日本は通貨発行権を失い、日本国債を発行するたびにアメリカに手数料を取られる時代が来るであろう。

兌換紙幣から不換紙幣へ。その次の貨幣制度は、インデックス運用と指数採用通貨の選択権に移行していくだろう。アフター金本位制でもゴールドが価値を失わないのと同様、中央銀行に競争原理が導入された後でも、ビットコインはその価値を失わないかもしれないが、ビットコインが主たる決済や納税手段になる日は遠いだろう。Facebook  LIBRAはなぜ否定されたのか?それがその未来を暗示している。


日本人とタイで会い、アジア一国一愛人構想の威力を改めて認識

先週、日本から来た友人、そして現在、母がバンコクに遊びに来ているが、彼等とともに行動をすると、行きたがる場所はガイドブックに載っている典型的な場所で日本人だらけ、食べたがるものは偽物タイ料理(チャーハン、カレー、中華とのフュージョン)のようなものばかりだ

タイではタイ人と遊ぶに限る。このシンプルな行動原理は、中国では中国人、インドネシアではインドネシア人、フィリピンではフィリピン人、九州では九州人と拡張可能だが、改めてその威力をタイのバージョンで書き出してみよう。

1.タイ語が話せる。
2.タイの地理が頭に入っている。
3.タイの文化・歴史に精通している。
4.車を持っている。
5.友人がたくさんいる。

タイ人だったら誰でもできる当然のことだ。全然目新しくもない。だが、日本から遊びに来た観光客はどうだろうか?

1.タイ語が話せない。
2.タイの地理が頭に入っていない。どこへ行くにも行き方もわからない。
3.観光しようにもガイドブックに頼らざるを得ない。
4.モノの値段もわかってないので、ぼったくりにあいやすい。
5.俺の助けが唯一の手段。

現地人と比べ、使えねー。「何も知らないし、何もできないし、何の役にも立たない」。まあ、
日本から来た日本人、これは当然のことだ。残念だが、俺にも完全に当てはまる。いつもタイ人と遊んでいると、どうしても比較してしまい、思わず日本人に対して「なんだ、この人たちは、何にも知らないな」と思ってしまう。

逆にタイでタイ人を見ると、タイ人全員が「何でも知ってて、何でもできる」理想の女、メーテルに見える。全員メーテル。すげーだろw 30代前半くらいまで「頭が良くて、なんでもできる」理想の女性はなかなか居ないものだと嘆いていたが、今では「メーテルが居ないなら、メーテルは作ってしまえばいい」。それを実行してるから周りはみんなメーテルだ。

何にもできない鉄郎と俺も同じだが、俺の場合、5だけ違って、

5.現地人の助けが唯一の手段。

この一文を変えるだけで、現地人の能力を利用でき、全く違う観光(生活)になる。これを実行するためには、特別な才能を持つタイ人は必要ないし、俺自身がタイをよく勉強し、理解しているわけでもない。

アジア一国一愛人構想(通称ACALエイカル)という名称は、マハティールの東アジア経済圏構想(EAEG)をもじったものだが、私が言及し始めたのが2011~2012年あたりだろうか

今やアジア一国一愛人構想が完成してしまった状態と言えよう。どこへ行っても現地人あるいは現地人並みに詳しい人たち、非常に頼りがいのある人たちとコネクションがあり、私自身は非常に快適な時間を過ごすことができている。東京でも同じで、大手町勤務20年の高給取りたちが、私を銀座のバランスの良い値段による質の高い店に案内してくれる。いつも、みんなありがとう。


自己決定しない生き方が意外な最適化に。ディズニーをもってしても「過去の価格決定は間違う」

友人が書いているサイトの記事にて、

幸せを決めるのは、所得や学歴よりも「自己決定度」
https://shisankeisei.jp/20181129-happiness-depends-more-on-self-decision-than-on-income-academic-record/

神戸大学社会システムイノベーションセンターの調査において、

「自己決定度」は以下のように定義されていましたが、

「中学から高校への進学」、「高校から大学への進学」、「初めての就職」について、自分の意思で進学する大学や就職する企業を決めたか否か

お金の使い方、時間の使い方なども、自己決定できるかどうか、自由裁量かどうか、というのは満足度、幸福度を決める上で重要なのではないかと思います。

この定義わからないねぇ…。20代ならわかるけど、30過ぎて、高校・大学・会社なんて影響あるかね? 被験者が終身雇用制度が多く、公務員試験の成績によって出世街道が最初から用意されていて、とかそういう話? それこそ自己決定してねーじゃんwと思うんだけど。だから、「お金や時間の使い方の自己決定」と彼が補足している。

進学や就職も受けたら受かっただけで、自分の意思とは言い難いが、自由気ままに見える今の生活であっても相変わらず優柔不断なのは変わってない。

俺は固定費がゼロだから、すべての消費がいちいち自己決定に基づいているから効用が高い。

と発言したのだが、この発言も少し疑問だ。パリでワインを飲み、ウィーンでオーケストラを聞き、ロンドンで美術館に行き、シンガポールでプールを泳ぎ、ジャカルタでタバコを楽しみ、香港で焼酎を飲み、深圳で肉まんを食べる。

確かに自分で選択してるがな、しかしその理由は意思というより異様に安いからだ。異様な安さは、俺が決めてるんじゃない。グローバリズムの中で生まれてしまった規制・税制の歪みをついてるだけだ

この消費スタイルを私はディズニーランド型と呼ぶことにしよう。昔のディズニーランドはビックサンダーマウンテン600円だったが、今は入場料と時間を買う権利のみになった。ディズニーをもってしても「過去の価格決定は間違う」ので、価格決定を放棄、民に決めさせればよい、という非自己決定型の価格設定である。非常にアメリカらしくて私は感心している。

自分の思い通りになった過去や自身の決断は、往々にして間違ってる。だから、ディズニーの如く、決定を放棄すれば、後は市場メカニズムが勝手に決めるんだ。

自分の意思で、進学や就職って、本質的にはこっちが望んで、相手が決めることだ。上場株の小さな売買は意思100%の行為だと思う。敵対的買収もあるけど、買収となれば相手方とも平和に話した方が良いし。しかし、「過去の意思」が今の俺にいかに影響ないか、間違っていたか、書いてみよう。

自分の学力に応じて、試験を受かったところから選ぶしかない。俺の場合、進学も就職も親の言うことを聞いてしまったがな。

大学は理系ブランド当時としてはトップの京都大学理学部を志望していたが、母から「新幹線だホテルだの費用の無駄。東大で良いだろ。まず一つでも大学受かってから言え。」 私立大学の合格発表の前に願書出すから、俺に発言権なし。両方の大学を比較できる立場にないが、どっちでも良いんじゃないの? そんなこと言うと怒られちゃう?

就職はITバブル、大学の先輩が「富士通は凄い」って言うから履歴書出してみた。もう一個銀行のシステム子会社みたいなところも受かって、面白そうだからそこにしようと思ったら、父が「銀行の子会社? 社長は親会社の銀行から来る。絶対社長になれない。社会を知らないお前は騙されてるんだ。お父さんの言うこと聞いて富士通にしなさい。日本の製造業の根幹を担う良い会社、絶対につぶれることはない!」

色々ツッコミどころ満載だが、父がそういうから富士通にしてみましたw 日立が実家の近所にあったので「家から通える良い会社」という父のススメで日立受けたんですけど、落ちました。

京大と銀行の子会社を選んだ理由が、何も知らないバカの決断だもん。その通りになったとして幸せを決定づけるとは思えんのだ。

「相対性理論を学ぶために大学に行く」って言ってたのに、数学科を卒業してるんだぜ。
「せっかく大学出してもらっても貧乏な学者になるかもしれない」って言ってたのに、即就職したし。
俺だけが優柔不断でバカなんじゃないよ。就職人気ランキング見れば、学生の「意思」とやらが、いかに愚かか明らかではないか。だから、「思ってたのと違う」とか「俺のやりたいことと違う」みたいなことで辞めるわけでしょう。俺にとっても、サラリーマンのお仕事も思っていたのと違った。

サラリーマンは面白い、SEのお仕事
https://ichizoku.net/my-ideology/20150203/what-is-se/#more-1813

『サラリーマンになったら上司の言うこと聞くのが仕事ってもんだ』って言ってたけど実際は違う。俺の仕事を会社が、人、もの、カネの全面バックアップしてくれる。

このことは賢い人なら面接の時に気づくべきだ。質問の本質は「あなた、うちの会社で何をしてみたいですか?」だ。「はいはい、言うこと聞く人要らない」、って最初から言われてるよ。


なんか安心するロンドン アジアに今も残るイギリス支配

パリ・ウィーンで1か月ずつ過ごし、観光ビザでEU圏に滞在できる3か月間の最後はイギリス・ロンドン。街中に入った瞬間に安堵感。英語が聞こえてくる。表示も英語。フランスやオーストリアはアジア以上に英語が存在しないという近親憎悪状態。Sortie フランス語で出口、Eingang ドイツ語の入り口、思わず覚えてしまったよ。日本だってExitと書いてあるのに、書いてねぇんだぜ? 覚えているのはこの2つしかないが、俺が認識できないフランス語・ドイツ語だらけで、英語表記が非常に少ない。

そして、車が左側通行。私が過ごしているアジア諸国、日本・香港・シンガポール・タイ・インドネシア(マレーシア)は左側通行。中国とフィリピンだけが右側だ。

赤が右側、青が左側。

フランス・オーストリアからイギリスに入ると、私の過ごすアジア諸国が、軍事的とは限らないもののイギリス支配の影響を強く受けていることを感じる。

イギリスを含む私が過ごすアジア諸国のすべての国で、電車は入口と出口の両方で切符を出すものだが、パリは入口のみ、ウィーンは出す必要がない。電車の通行方向も、対面側のプラットフォームの場合、電車は右側から入ってくる。パリ・メトロは逆だ。慣れない駅の場合、逆方向のプラットフォームに向かってしまう。しかし国際鉄道の場合、イギリスともつながっているのでイギリスと同様の左側通行もあるが、普段の生活では圧倒的にメトロを使う。

5£と10£札はプラスチック紙幣、シンガポールと同じ。1£コインはシンガポールと同じ多角形型と、なんとなく、なじみやすい。

ロンドンでコンビニは見かけないという意味では、アジアとヨーロッパの文化の相違だが、24時間オープンのスーパーマーケットがホテルの側にあるのも安心感。ウィーンでは日曜休業に備えて、土曜日に必要な物資を買い集めたり、平日でもスーパーの空いている時間を意識しなければならなかった。アジア住みでコンビニ・24時間スーパー社会に慣れている私は、少し不便を感じたが、ロンドンではそれも一発解決。

スーパーの品揃えもロンドンは特徴がない。というよりアジア比で違和感がない(ただし、米がないなどの違いはある)。パリやオーストリアだと、ハム・ソーセージ・ベーコン・サラミなどの加工肉、乳製品、ワインのラインナップが異様にあるように感じる。フランス・オーストリアのワインのような異様な割安商品もない。香港のWelcome→デイリーファーム→ジャーディン・マセソンとイギリス系ということもあり、スーパーに陳列されている商品や価格分布まで、イギリス支配を今も色濃く残している。

ロンドンは2007年以来、約10年ぶりだが、出張や遊びで数回1週間ずつくらい滞在したことがある。当時は1£=200~250円くらいで、出張中でスーパーにも行かなかったため、日本人にありがちな感想、「ロンドン高い」程度であった。

2007/12/05 ロンドン 狂気の物価、以外のことを書こう 
2008/05/29 ドイツの気になること

自分で読み返すのも恥ずかしい。浅く稚拙な感想で視野が狭い。あれから10年、アジア一国一愛人構想を実践してきた私のロンドン初日の感想だけでも当時とは「経験と感覚」が違いすぎることがお分かりいただけよう。


パリも生活圏に加えた理由

東京、ある友人との会食にて、私が「宗教改革に始まり、フランス革命、産業革命、マルクスの資本論、ロマノフ王朝の終わり、この辺りのヨーロッパにおける近代資本主義、民主主義の流れは好きですねぇ。」 続いてルソーの社会契約論だウェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神だと、まくしたてていたら、友人がふと…、

「エキゾさん…、なんでアジア住んでいるんですか?歴史とか思想とか好きならヨーロッパはお薦めですよ。街そのものが歴史ですから。シンガポールなんて何もないじゃないですか。エキゾさんがもし住むなら、私には見えないものが見えるかもしれませんよ。」

この指摘に返す言葉を失ってしまい、「はい、じゃあ、ヨーロッパ進出決定」ということになりました。

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さあて、どこに住もうかなー。ドイツとイギリスは行ったことあるし、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神に逆らい、あえてのカトリックカントリーが良いなー。バチカンとローマは1時間くらいなので、ローマにしようか、ベタにヨーロッパの頂点パリにしようか…

横浜の自宅にて、母が「ローマとパリで迷ってる? パリ一択で間違いない。私はお前が生まれる前、1ドル360円固定相場制、※持ち出し規制ありの時代からパリで遊んでいるが…、”今現在をもってまだ飽きてない”。ローマ、所詮は二流の都市、南欧のだらしなさが街に現れている。パリは都市として洗練されているし、格が違う。」

※固定相場制時代の持ち出し規制とは、相場が固定されているため、輸出入(円売りドル買い=ドル売り円買い)のアンバランスが生じた場合にレートで調整できないことから、為替の交換に総量規制があった。だから海外に持ち出せる通貨量が制限されており、クレジットカードやインターネットもない時代、日本人が外国に行くと有無を言わさず貧乏旅行を強いられた時代の話である。

固定相場制の時代からヨーロッパで遊んでいる母(ちなみに現在も年に何回かはヨーロッパのどこかで遊んでいる)に強烈にリコメンドされ、またも反論できず。

「友人きっかけでも良いが、たまには親の言うこと聞けよ。ずーーーっと言ってんじゃん。『ヨーロッパは良い』と。ヨーロッパは、まずはパリ。ローマはパリの後で良い。全ての道はローマに通ず…、古いな…。すべての鉄道はパリに通ず!

と言って母がおもむろに取り出したのがヨーロッパの鉄道路線図で、確かに「すべての鉄道はパリに通ず」のごとく、パリを中心にヨーロッパ全土に放射線状に鉄道網が通じているかのように見える。イギリスやロシアまでも視野に入り、地理的な位置づけも確かにヨーロッパの中心にパリはある。

ビザは…、EU圏内は3か月滞在OK。過去6か月のうち、3か月OK。とにかく3か月観光で行けてしまう。香港並みー、マカオ並みーに緩い! アメリカと全然違う!

物価は…、日本に比べると高いが、香港やシンガポールを中心に考えれば、ホテル代や行った人の話を聞く限りでは、ほとんど変わらない。

フランス語か…、メルシーとボンジュールくらいしか知らねーし、今後も覚える気もないが、英語が全く話せない中国人と「孔子の論語」を議論できるスマホ時代。言語の問題は無視する。しかし、例えば有名なシャンゼリゼ通りは、アルファベット表記だと、Avenue des Champs-Élyséesとなり、チャンプスエリーゼーではなく、この文字列でシャンゼリゼと発音するらしい。英語読みしたら確実に通じねーな、こりゃw


有意義な研修、トップの資質

社内講演会に一流アスリートや有名な評論家を招く企業は非常に多いのですが、トップパフォーマーの育成のためには
・20代で一定規模の組織を率いる若い起業家
・30代でグローバル企業の日本支社で一部門を率いるアジア人プロフェッショナル
・40代でアジア部門統轄を務める外資系企業の日本人ダイレクター
など、他業界の若手トップパフォーマーを公演に呼ぶほうが(たとえ彼らがメディア的には無名であっても)大きなインパクトを与えられます。自分と同じ世代で圧倒的に高いレベルの人を目にすれば、「若くしてここまで大きな仕事をしている人がいる」「自分と同世代なのに、これだけのリーダーシップを発揮している人がいる」と目を開かされます
伊賀泰代.生産性

そうだねー。俺がすぐ思いつく最も簡単に実行できる研修は「CourseraのAndrew Ng氏のMachine Learning」のオープンキャンパス。忙しいトップパフォーマーを呼ぶ必要もなく、休日や仕事終わりに自宅でできてしまうという。機械学習の勉強にもなるのだが、リーダーシップ研修として使えると思う。こういう人が米国企業のAI開発トップやってんだってのを見れば、日本で取り組んでるAIエイエイオーでは意味がないってのはすぐわかる

ビジネス上チーフなりトップとしての働き方、この意味でトップパフォーマーは見ることを薦めたのだが、それ以外にもAIのトップレベルの技術者であり、また大学のあり方も問う。チーフ・トップとしての働き方だけに興味がある者は、コース内のプログラミング実習は飛ばせ。例えば、講義に必要な線形代数の基礎知識について、わずか40分で説明する辺りは、線形代数を理解している者はビジネス上のシンプルな説明の仕方として有用だ。「線形代数って何?」って人は、まぁ気にすんな。それでも理解できるように説明してくれてるから。

Andrew Ng氏の講義の概説 行列とベクトルの掛け算

行列とベクトルの掛け算だが、x(i,1)*v1+x(i,2)*v2+…..+x(i,n)*vnがi=1~nまでn個あるんですが、X・vと書けます。数学的な理解が追い付いていない人、心配しなくていい。x(i,1)*v1+x(i,2)*v2+…..+x(i,n)*vnがX・vと表記できるってだけです。

行列とベクトルの掛け算は、表記の問題らしいです。さらに…

Andrew Ng氏の講義の概説 逆行列の計算

逆行列の計算だが、Xの逆行列はpinv(X)です。inv(X)でも良いのですが、たまに計算できないのでpinv(X)がお勧めだね。

えっ? 逆行列の計算の説明20秒くらいで終わっちゃったw たまに計算できないってのがお洒落でしょ、行列式がどうのとか言わないからw ”Don’t worry”をかなり繰り返してるんだよねぇ、「マシンラーニングは数学」ってのが一般常識らしく、数学に対する苦手意識が多い人が世の中に多いことから、かなりアンドリュー氏が気を付けて話しているのがわかる。

対する俺の説明は、営業部門からデリバティブ・トレーディングに研修に来た先輩に対して、「微分方程式は、高校でやりましたよね?」と突き放したという…。あんまり教える気がないし、知ってて当然って態度だね。ほら、数行前の俺の文章見返してみな。『「線形代数って何?」って人は、まぁ気にすんな。』って書いてるでしょ。ちょっとオツムの弱い人と話してると「中央銀行の役割は小学校の教科書に載っている」とか言っちゃうもんな。これがリーダーとしてのアンドリュー氏と俺の「資質の違い」だ。

さて、生産性の本に戻って、

5章人材をあきらめない組織へ、

というタイトルで、選抜に漏れた中高年グループの育成問題について書かれているのだが、5章まるごと、ブックマークなし。俺はその問題に対して興味がないということだ。じゃ、次。

企業の研修とは仕事の生産性を上げるための投資です。研修を受けたことで参加者の生産性がどれほど上がるか、上がったか、ということは、研修自体の生産性として常に意識される必要があります。ところが中には、「勉強にはなったけれど、仕事の生産性にはあまり影響がない」という毒にも薬にもならないレベルの研修がたくさんあります。
伊賀泰代.生産性

確かに。でも1社目の会社は、かなり専門的な研修があった。必須研修は無いのだが、自由な選択式で、何個かは受けなければならない制度で、ちょっと興味があったネットワーク構築(LANとWAN)みたいのを受講したら、1か月後くらいに
課長「ネットワーク設計しといて」
俺「えっ?、研修受けたばかりでなんの経験もないですよ」
課長「でも研修受けたんでしょ?じゃ、早速業務に活かして。それに経験がないからできませんと言って、いつまでも同じ業務では困ります。」

感覚として研修は「お勉強」と思い込んでいたんだが、この会社では研修=業務直結ってのが驚いた瞬間だったな。


出世街道 2/2 ~役員候補生以外にもある優遇枠

私は役員候補生になったことがないので役員コースについて具体的に書けないが、優遇されていたほうだと思うのでそれについて書こう。前回述べたように優遇のポイントは3つ。

新人・もしくは2年目程度で、仕事の実績がない・もしくはほとんどない にもかかわらず、私に与えられた特権は

1.言えば何でも買ってもらえる。
2.部門横断的な仕事が多い。
3.頭越し外交、2階級上からの指示で働いている。

の3点にすぎない。給料が高いとか、役職が早く上がるなどは無かった。

これについて具体的に解説していこう。

1.買ってもらえるのは、当然仕事に使うもの。自分専用のパソコン(普通は1台だとしたら僕は2台など)・専用サーバー・自分だけが使っているソフトウェアなど。一番わがままで買ってもらったのは、「香港への片道切符」

「香港に勤めるかどうか会社と交渉してる」と当時の奥さんに話したら、「株で儲けすぎて税金払いたくないから香港行きたいなんて個人的なわがままを、あんなデカい会社が認めるわけない!英語も話せないくせに!」と言われてしまった。なぜ彼女がそう発言したかというと、私が読んでいた本が、「租税条約、タックスヘイブン、オフショア」などの言葉が並ぶ本ばかりだったからだ。もちろん、会社が許可してくれた理由は、当時アジア勃興の時代だったので、私のわがままとアジアシフトという会社の方向性が一致しているということである。

2.社内外の専門家と会わせてもらえた。同じ部門の同期や先輩方は、席について仕事をしているのが普通だが、私だけ席を長時間、外している状況が公然と認められていた。そのため席が複数あり、1社目は3つ、2社目は2つあった。聞くところによると、上司に箸の上げ下げまで指示され、監視されながら働いているような人も居たようだが、私はその逆で、目が届かない他の部門に行くことは当たり前だった。

3.入社したてのヒラなので、課長-主任-ヒラ(新人)のようになり、主任の小さなチームの一員として働くのが一般的で、主任(先輩社員)の指導を仰ぐ。しかし私が勤めた2社とも、なぜか最初から「課長特命要員」。若いけど仕事ができるからそうなったのではない。最初からだ。特に一社目は組織が大きく、課の規模も大きかったのだが、不思議なことに課長から直接指示が来た。今思えば、後ろで部長が動いていたな。

2015-02-02 サラリーマンは面白い、サラリーマンはもっと自信を持て

数か月の新人研修が終わり、配属された事務所に行くと名刺ができていたので、喜んで部長に「名刺ができました。部長に顔を覚えてもらおうと思って」と渡そうとしたところ、
「この名刺は1枚4円かかっている。うちの会社の半導体部門は1個何十銭の利益を産むために頑張っている人たちもいる。お客さんに配るのは問題ないが、社内で顔を覚えてもらうために配るモノでは無い。自分の部門の部下の名前くらいきちんと覚えていますよ、エキゾ君。」
と優しく諭されてしまった。どの会社も日本企業なら同じような構造だと思うが、部長、課長、主任、ヒラとなっているので3階級も違い、部長となれば部下は何百人もいるのに、たかが一人の新人の名前をよく覚えていたな、と感心した。でも次の会社の部長も、顔と名前だけでなく学歴、しかも最終学歴だけでなく、高校まで覚えていたので、そういう記憶力に優れた人でないと部長になれないのかもしれないw

部長は俺がどこに住んでいるかも、多分、覚えていたのだろう。当時、横浜の実家在住だったのだが、研修先幕張、事務所大井町、配属先桜木町と、どんどん実家に近づいてきて、通勤時間30分くらいだったんじゃないかな。それはおそらく部長が俺の住所を知ったうえで、近くて通いやすいところに配属してくれたのだろうと思っている。

でもね、会議の風景とか変なのよ。(課長会議)おじさんの中で、俺一人で若い
1社目課長「新しいネットワークの設計と構成について、詳細はエキゾから」
2社目課長「この商品のセカンダリーの値動きについて、詳細はエキゾから」
みたいな感じで、相手は全員おじさん(課長)。

課長特命だから、課を飛び越える仕事になるので、2の部門横断は必須になる。仕事の期間も長期的で日々具体的に何をするというのはない。実績ゼロの新人からそういう仕事ってのが、「俺、優遇されてる?」とは思ってました。ちなみに東大特権は関係ありません。他にも東大はいっぱいいるんで。銀行の行内運動会にて、東大だけ集められて、会議室から運動場を見下ろしながら「見たまえ、あれが諸君らの将来の部下たちだ」なんて訓示があったとかなかったとかジョークがあるが、さすがにそれは経験したことがないぞw

2015-02-03サラリーマンは面白い、SEのお仕事

役員候補生が特別待遇を受けていたのを思い出したのだが、俺も役員候補ほどではないものの、優遇されてるほうだったと思いかえし、上の「サラリーマンは面白い」って言い方はちょっと嘘かもなw 今後気を付けよう。

一言で言うと「新人時代から自由に仕事させてもらった」。私は日本で勤めた2社、両社ともに感謝している。役員候補生ではなかったことは辞めた理由ではない。むしろ最も優秀な奴がきっちり役員候補生に選ばれていたので、その点に関しては健全だとポジティブに評価している。俺みたいな狂犬が大会社の役員ってちょっとおかしいだろ。俺は金さえ、もらえれば、役職は要らない。ただ金が欲しいというより、俺だけ特別な給料だと確かに金は満たせるんだが、

多くは日常的に「自分よりできない人」とばかり働いています。

という状態になり、それが気に入らない。相関1とは言わないが高い相関で高給取りは、優秀な人多いから、職場として働きやすいし楽しい。会話が通じないことがない。こっちの言うことはすぐに理解してくれるし、理解できるように合理的に端的に説明してくれる。グーグルのマネジメントボードレベルは、さすがに身分不相応だけど、イノベーションエイエイオーでフィンテックとか言ってる連中は相手にしたくないなw

ちなみに、高額所得者が多い職場が、環境として良いというのと同じ理由で、今、香港やシンガポールを中心に生活している。生活コストのことだけを考えるなら、もっと物価の安い国はある。ただ、生活費の安い国に住んでいる外国人(日本人も含む)の質が悪い。例えば、香港やシンガポールで働くビジネスマン相手なら、会話の中で「デリバティブ」という言葉を説明なく使用できるが、フィリピンやタイでは非常に難しいだろう。


シェアリングエコノミー、インターネットで支払います

深圳の自転車シェアリングを見てきたので、早速、中国の密偵に質問だ! しかし我ながら情けねぇなー。時代遅れすぎて泣けてくるわ。

エキゾ: 質問、今日深圳に行ってきたんだけど、自転車のシェアリングが普通に行われている。
エキゾ: 湖南省でもありますか?自転車じゃなくて、自動車のシェアリングは聞いたことありますか?

エキゾ: 以上2つ。
中国のマネキ猫: 湖南省で、自転車シェアニングあります、自動車シェアニングがありません
エキゾ: なるほど。
エキゾ: 中国のマネキ猫ちゃんは自転車シェアを使ったことがあるかな?
中国のマネキ猫: そうです
エキゾ: どうやってやるかわかる?QRコード?
中国のマネキ猫: ありません、私は普通バスを使います
中国のマネキ猫: スマホでシェアニングします
エキゾ: そうか…QRコードがあったんだよなー。スマホのアプリかなーと勝手に思ってるんだけど。
エキゾ: やっぱりそうか。
エキゾ: その自転車シェアリングやっている会社ごとに、アプリがあるのかな?
中国のマネキ猫: aqqをタンロードします
エキゾ: やっぱりそうか。
エキゾ: しかし、金はどうやって払う?
エキゾ: アリペイ?
中国のマネキ猫: インターネットで支払います
エキゾ: インターネットで支払うとは?
エキゾ: クレジットカード?
エキゾ: 支付宝(アリペイ)?
エキゾ: デビットカード「銀聯」?

エキゾ: 俺は全然分かってない変な質問してるのかな?
中国のマネキ猫: 支付宝(アリペイ)です
エキゾ: Good
エキゾ: アリペイのアカウント、中国のマネキ猫ちゃんは持っているのかな?
中国のマネキ猫: 先生が中国へ行ったら、やってみようか
中国のマネキ猫: あります
エキゾ: いいねぇ、俺アリペイないから、現金で中国のマネキ猫ちゃんに渡して、アリペイで自転車シェア。行動範囲がぐっと広がる。

クレジットカードや銀通(デビット)は、インターネット支払い以前から存在した概念で、それをインターネットを使って決済してるだけにすぎねぇんだよ! インターネットで支払うっつったら、普通アリペイだろうが、このボケがぁ!

と自分で自分にツッコミ悲しくなっています。


サラリーマンは面白い、SEのお仕事

SEは大きく分けて業務アプリケーションを開発する業務と環境に分かれる。業務はどちらかというとソフトウェア開発系に強く関わり、環境はまさに開発のための環境を整える。環境系SEの主な仕事は、サーバーの構築・設計。お客様の業務要件を聞き、それに必要なスペック(基本はCPU、メモリ、HDD)とソフトウェアを選定する。プログラミングはソフトウェアハウスに委託してしまうのでほとんどやらない。経験の長い先輩方はC言語やユニックス・シェルくらいは皆書けたが、私は全くできず。唯一業務上で書いたプログラムは
main(){}
8バイトプログラミング? なんで書いたかというと、サーバーに正しくCのコンパイラがインストールされているか、という確認作業のためだ。先輩に教えてもらったのだが、「これで良いんですか?」と聞いたら、「コンパイラがインストールできているかどうか確認するために一万行のソースコード書く人いる?」と笑われてしまった。Hello Worldすら書かない、忙しい人のためのC言語だw サーバーとソフトウェアの選定とソフトウェアのインストールまでがSEの仕事。そこから先、長い開発時間をかけて業務システムができあがるのだが、そのプログラミングはSEはやらない。ある先輩が
SEの仕事は、段ボールからサーバーを出す、置く、段ボール片づける。この3つ。」
と自嘲気味に言っていたが、客先常駐SEの世界ではあながち嘘では無いw これはソフトウェアハウスに委託できない重要な作業である。またソフトウェアのインストール、OSから始まって(HDDのパーティションとかユーザー定義と権限設定とか)、開発ソフトウェアのインストールと起動確認。SEはUNIXの世界では常にroot権限だw 面倒だったのが、ライセンスの購入もSE。Cコンパイラのライセンス、開発者50人分。開発者増えたら追加で50人分とか、各ソフトウェア会社毎に割当とか。めんどくせーw


サラリーマンは面白い、サラリーマンはもっと自信を持て

ネット上に蔓延るサラリーマンを揶揄する、社畜、ブラック企業、あるいは、空虚な羨望である外資系、投資銀行、正規雇用という単語群に私は嫌悪感を覚える。私も今でこそ無職なのだが、日本の会社に勤める日本のサラリーマンは、自らの仕事に誇りを持ち、きちんとした反論をすべきである。
私が新人だった頃、部長さんに「サラリーマンになったと思わないで欲しいんだよね。諸君らはビジネスマンです。」と言われたこともあるので、サラリーマン=会社の寄生虫、ビジネスマン=会社の収益に貢献する人、という言葉に昔からなっていたのかな。サラリーマンとビジネスマン、言葉の問題はさておき、ホリエモンやちきりんなどは「今時、大企業に入ろうとする大学生、感覚大丈夫?」的なことを言っているが、私の意見は大企業も悪くないと、今でも思っている。
私の前提は「会社の外に出た時、あなたに何が残りますか?」と問われて、明確に答えを持っているならばだ。何も無い人は会社の人、答えがあるならば、あなたは「その答えのプロ(職業人)」となる。大企業は資本力が大きいので、仕事も大きい。よってその道のプロと言っても個人の資本でそのキャリアを活かすのは難しい場合が多いだろう。その場合、プロとして、同業・類似の他社への転職が選択肢となる。
私は3社の大企業に勤めたことがあるが、最初に勤めた日本の総合電機メーカーでシステムエンジニアをしていた時代の話をしてみよう。従業員としてみればとても良い会社で仕事の楽しさを教えてくれたという意味で感謝している。
数か月の新人研修が終わり、配属された事務所に行くと名刺ができていたので、喜んで部長に「名刺ができました。部長に顔を覚えてもらおうと思って」と渡そうとしたところ、
「この名刺は1枚4円かかっている。うちの会社の半導体部門は1個何十銭の利益を産むために頑張っている人たちもいる。お客さんに配るのは問題ないが、社内で顔を覚えてもらうために配るモノでは無い。自分の部門の部下の名前くらいきちんと覚えていますよ、エキゾ君。」
と優しく諭されてしまった。どの会社も日本企業なら同じような構造だと思うが、部長、課長、主任、ヒラとなっているので3階級も違い、部長となれば部下は何百人もいるのに、たかが一人の新人の名前をよく覚えていたな、と感心した。でも次の会社の部長も、顔と名前だけでなく学歴、しかも最終学歴だけでなく、高校まで覚えていたので、そういう記憶力に優れた人でないと部長になれないのかもしれないw


ジャカルタ潜伏 12~男尊女卑社会でも地位の低い男性

重鎮級ネーさんが現地人男性を相手にしない理由
1:3ハーレムライフと言いつつも実際の行動は2:3です。ドライバーさんがインドネシア人の男性だからです。しかし、ジャカ1をはじめとする東南アジアの重鎮級ネーさんが現地人男性(インドネシアに限らずアジア中どこでも)を「バカ、金無い、いいかげん」と斬って捨て、まったく相手にしていない理由を垣間見たような気がしました。ジャカ1「飯食う? ドライバー呼んでやる?」と聞いてきたので、食が細い私と女3人よりは、たくさん食べそうなドライバーさんがいた方が種類が多くなって良いと思い、呼んでもらうことにしました。ジャカ1が「ドライバーが『恥ずかしい』と言っているな」と言う(多分正確な日本語では遠慮している)ので、「来れば良い、みんなで食べよう」とプッシュしたほどです。
中国は男女平等で、カネさえあれば女が男を買ってしまうような世界である
2008.02.05 ダンスホールに見る中国の恐ろしき男女平等
と書きましたが、中国だけでなく、男尊女卑が激しい東南アジアのタイ、イスラーム圏であるインドネシアであっても、カネは力なりw 私たちにカネで雇われているドライバーさんの地位は低く、経済的階級制度が存在しています。メイドさんは、家族と同伴で食事に出かけても席を同じくせず、という具合で、何も言っていないのに、ドライバーさんは私たちの隣の机の座りました。ジャカ1「おい、こっちでかまわんぞ」と言われて、初めてこちらのテーブルに来ました。そして各自ライスが乗っている皿を持ち、みんなでシェアしながらお食事をしているのですが、ドライバーさんは自分で食べ物を取りません。ジャカ1が「これ残ってるから、お前が食え」とジャカ1によって取り分けられたものだけを食べています。
カネで雇われたドライバーの基本的人権は尊重されない
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この様子を見ていて、なんか一族家の風景を思い出してしまいました。女系家族・一族家では、外様の私の父は、基本的人権は尊重されていたものの、一族家における参政権と議決権がありませんでした。一族家の法事に父方の親戚が参加しようとしたら、母が「生前面識があったならまだしも、会ったことも無いだろ? 関係ねーヤツは帰れよ」と追い返してしまったほどです。議決権=一族家の経済的決定権、車程度のものまでは別して、不動産や投資関係の大きな金額が動く決断は、父には断りもなく決定されるものでした。生活費という”はした金”を運んでくるだけの役割だった私の父の地位はドライバーさんの如く低いものだったのです。幸いにも私の父の基本的人権は尊重されていて、父は好きなように飯を食う権利はありましたがねw ただ、家畜同様とも思える酷い扱いは、一族家の血を引かない父は、一族家の集会においてメインテーブルに座る権利はありません。まるで当たり前のように私たちの隣のテーブルに座ったドライバーさんのようですね。
一度も行使されなかった議決権の無い優先株式の配当受給権


第二次フィリピン遠征 1/10~幸せの国

アジア一国一愛人構想、現在のところ、最新参入国であるフィリピンは、去年から潜伏活動を始めている。シンガポールに住みながら、日本、中国(香港含む)、タイ、インドネシア、フィリピンの5カ国をフォローしているが、各国1ヶ月使うと、これだけで5/12はシンガポールに居ないことになり、かつ各国1年1回のペースであるため、これ以上増やすと、せっかく構築したネットワークの維持が難しくなる。
日本人がフィリピン人に学ぶべきことは、「底抜けた明るさ」である。国の豊かさを示す幸福度指数なる指標があるが、アジアで最も高いのではないかと思えるほどに(正確にはベトナムの方が高い)、彼らは幸せそうである。去年に引き続き登場するマニラ香里奈などは、所持金=全金融資産で、300円しか持っていないようなヤツだが、止めようが無いほどに幸せそうなのである。わずかな収入の差を気にしたり、贅沢な悩みを持っている日本人は、一度、フィリピン人と対峙すれば、日本人が抱きがちな”悩み”のあまりのくだらなさに気づくであろう。失うことが怖くて、小さな一歩すら踏み出せない人にもお勧めだ。私が「金を失うことが怖くない」と言ってもあまり信憑性を持たないようだが、典型的なフィリピン人の振る舞いを見れば、誰もが納得するであろう。
幸福度指数 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E5%BA%A6%E6%8C%87%E6%95%B0
1位はコスタリカ76.1と上位は南米系の国々が多いが、東アジア・東南アジアでは
5位 ベトナム 66.5
14位 フィリピン 59.0
16位 インドネシア 58.9
19位 ラオス 57.3
20位 中国 57.1
33位 マレーシア 54.0
39位 ビルマ 51.2
41位 タイ 50.9
49位 シンガポール 48.2
68位 韓国 44.4
75位 日本 43.3
80位 カンボジア 42.3
84位 香港 41.6

最下位 143位 ジンバブエ 16.6
幸福度指数の定義や計算方法は知らないが、感覚的には合っているような気もする。いわば非グローバル化指数、非アメリカ化指数?、うーん、ちょっと違いますかね…、フィリピンは英語が公用語だし、超アメリカ植民地なんですよ。資本主義が浸透するとこの値が下がるような気もしないでもない…。緯度の絶対値、小さいほど幸福度が高いという相関はありそうだけどね。


アジアの動乱の収益化と高度経済成長時代へのタイムスリップ

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大川周明は、東西文明対抗と大アジア主義を唱え、大川塾塾生をアジア各国に派遣し、「(現地で)一人で良いから、信用できる人を作れ。」と言ったという。このブログはデリバティブブログを排し、東南アジア放浪記なのか? というご批判はよくわかるが、そう思っているチープな発想しか持たない諸君に是非読んでもらいたい。アジア一国一愛人構想は足掛け5年、構想設立当初から基本的な理念と名前は変わらないものの、状況に応じたその意義の変容をまとめてみた


未来の働き方を考えよう 4/4~変えるより選べ

新卒で日本的な終身雇用慣行が残っている企業に就職し、何十年もそこで働いている人にとっては、会社を辞めるということがものすごく怖いこととなります。このため、保守的な業界の安定企業に勤める、年収が高く貯金のある人ほど、解雇や失業、転職を怖がっているように見えます。彼らが組織を離れることが怖いのは、経済力が無いからではなく、周りにそういう人が少ないからでしょう。さらに、そういう組織で最後まで勤め上げた親や転職経験の無い上司が、「組織を離れたらものすごく大変な目に遭うぞ」と脅します。彼ら自身は一度も外に出たことが無いのに、「外は怖い、すごい怖い」と煽るのです。寧ろ怖いのは、何があっても辞められないという不安感を人質にとられ、止めどなく伸びる定年年齢まで働いているうちに、人生が終わってしまうことでしょう。

{ちきりんに賛成}
よく民から「収入を上げるにはどうしたらよいか?」と聞かれます。給料を査定している人に実績が認められ、昇進・昇給を一般には望みますが、それはかなわぬ夢だから俺に聞いているんだよな?w 
収入を上げるよりも、収入を選ぶ方が簡単だ


未来の働き方を考えよう 2/4~不安の原因

偏狭な先進国住民の平等感
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アジア一国一愛人構想と外務省

自然人も、経済合理性を追求すると行動が法人化してくる。シンガポールに住む理由として、法人ならば、法人税、法人維持コスト、地理的条件(東南アジア各国へのアクセス)を考えているだろう。誰一人として、暖かいから(気候)、飯がうまいから、女の子が可愛いからなどという形容詞表現の感情論では動かない。アジア一国一愛人構想を東南アジアに大きく舵を切るものとした、約1年ほど前の宣言を再度見直すと同時に、今日は、収益を最大化する経済集団である企業活動になぞらえて、アジア一国一愛人構想の新展開を説明していこうと思う。
トヨタのような大企業であれば、その巨大な資本力のみでアジア展開・戦略を実現できよう。資本が大きすぎて、その影響は工場を作るだけにとどまらず、電力・水道インフラ、道路・港などの整備を含めて、“産業・経済そのものを創生する”という一大事業なのである。具体的な例としてインドネシアにおける自動車産業の存在感を挙げて今まで説明してきた。一方で、もう少し小さな組織の場合、自分自身の資本力で産業を創生し、経済を押し上げていくようなことはできない。地元経済にインパクトを与える大資本に対して、過小資本は地元文化に溶け込みながら、より局所的な範囲で、ゲリラ戦を展開していくこととなろう。その際に有効な手段なのが、私が提唱するアジア一国一愛人構想なのである。


わが闘争 下 国家社会主義運動 7/7~ドイツの宿敵

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今日フランスでは、以前にまして金融およびそれを支配しているユダヤ人の意図とショーヴィニズムの立場に立って国家主義的政策の願望との間に本質的な一致が見られている。しかしこの同一性の中には、ドイツにとってはかり知ることのできぬ危険が横たわっている。まさにこの理由からして、フランスは常に極めて恐るべき敵なのである。この自己の中でますますネグロ化しつつある民族は、ユダヤ人の世界支配の目標と結びつくことによって、ヨーロッパの白色人種の存続にとっては身に迫る危険を意味するものである。なにしろ、ヨーロッパの心臓部であるライン地方のネグロの血によるペスト化は、このショーヴィニズムにとりつかれたわが民族の永遠の敵国がもつサディスト的、倒錯的な報復情熱に対応するものであると同様、このようにヨーロッパ大陸の中央部の雑種化をはじめ、低劣な人種からの伝染によって白色人種のもつ独裁的存在の基礎を奪おうとするユダヤ人の氷のように冷たい熟慮にも応ずるものである。フランスが、自国の報復情熱に拍車をかけられ、またユダヤ人に計画的に導かれ、今日ヨーロッパでやっていることは、白色人種の存続に反する罪であり、そして将来いつか人種侮辱を人類の現在と認識している一種族の復讐心が全てこの民族に向かって突進するだろう。
すげーな、よどみないフランス嫌悪www


わが闘争 下 国家社会主義運動 6/7~ヨーロッパ外交政策

今日のヨーロッパの勢力関係を冷静に吟味してみると、次のような帰結に達する。つまり、300年この方わが大陸の歴史は、ヨーロッパ各国の勢力関係を均衡させ、相互に牽制させるといった方法によって、自己の巨大な世界政策的目標にとって必要な後方守備を安全にしようとするイギリスの企てにより決定的に支配されていた。イギリスが以降の伝統的傾向は、エリザベス女王の努力の後は、計画的に、あるヨーロッパの強国が一般的な力の秩序の枠を超えて躍進することをあらゆる手段でもって阻止し、必要となれば軍事干渉によって粉砕することであった。そうした場合にイギリスがいつも使った暴力手段は、存在していた事情だとか課せられた問題に応じ様々であった。しかし暴力手段を使おうという決心と意志力はいつも同じであった。昔の北アメリカ植民地が政治的に分離したことは、その後、絶対的なヨーロッパ背後防衛を保持することにいよいよ最大の努力を払わせるに至った。したがってイギリス国家の勢力が-偉大な海軍国であったスペインとオランダの殲滅の後-上昇しようとする努力しているフランスに継続的に集中された結果、ついにナポレオン一世の没落により、このイギリスにとって最も危険だった陸軍国がヘゲモニーをとる危害は取り除かれた、と見なされうるようになった。
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わが闘争 下 国家社会主義運動 5/7~ドイツ国内の潜在的課題

軍需会社と反プロイセンの気分
普通の小人物にとって、元来ベルリンに本社を持っている軍需会社は、ベルリンと同一であり、ベルリン自体がプロイセンと同じであることを意味したからである。この軍需会社と称する強奪財団を組織しているものはベルリン人でもプロイセン人でもなく、しかもドイツ人でさえなかったが、このことが当人各自にはほとんどわかっていなかった。ユダヤ人は既にその頃、自分が軍需会社という仮面のもとに、ドイツ民族に対して組織した恥ずべき略奪行為が抵抗を招くだろう、むしろ招くに違いない、ということがわからないほどバカではなかった。バイエルンはプロイセンに対して、プロイセンはバイエルンに対して争っておればよい。やればやるだけよいのだ! 両者のこの上もなく激しい闘争がユダヤ人のためには最も安全な平和を意味した。一般の注意はそれによって完全に国際的な民族なウジを忘れてしまったように思えた -そしてその上思慮ある分子、こういう分子がバイエルンにもたくさん居たのだが-が、見通しや内省や自制をするよう注意し、それによって強烈な闘争を和らげるように迫る危険が現れるように思えると、ベルリンのユダヤ人は新たに挑発を押し出し、その結果を待っていさえすればよかった。ユダヤ人が当時個々のドイツ種族をたえず没頭させ、注意をそらさせて、その間にますます徹底的に巻き上げるためにしたことは巧妙な狡猾な演技であった。
>ポルシェは気に入られていたはずだから、この叩かれているのはヘンシェル社かな?
国際的ユダヤ人クルト・アイスナーが、バイエルンをプロイセンと争わせる先手となり始めた。よりによって、インチキ新聞記者として絶えずドイツ中をあちこちと走り回っていたこの近東人が、バイエルンの利益を守るために最も不適任であることや、だがまさしくこの男にはバイエルンが、どうでもよいところだったぐらいのことは、わかりきっていたのである。


わが闘争 下 国家社会主義運動 4/7~ナチスの展開

オーストリアとプロイセン
我々は歴史に中に次のようなことを見る。すなわち、かつてドイツ問題の解決のために取ることができた二つの道-そしてその主な代表者であり主張者であったものは、オーストリアとプロイセン、ハープスブルグ家とホーエンツォレルン家であったが-は多くの人の考えによればもともとひとまとめにされねばならなかった。彼らの考えによれば、両方の道を一つに結合した力に託すべきだったのだ。けれどもオーストリアの意図は決してドイツ帝国を建設することにはなかったはずである。そしてこの上も無く強力なドイツ統一の帝国は、まさしく幾百万のドイツ人が断腸の思いで、我が兄弟牆にあいせめぐ最後の、この上なく恐ろしい徴表を感じたことから成立したのである。すなわちドイツ皇帝の冠は、本当はケーニヒグレッツの戦場(普墺戦争)から得られたものであって、後世考えるようなパリ全面の戦い(普仏戦争)において得られたものではないのだ。
 そのようにドイツ帝国の建設それ自体は何かある共通の意図が共通の道を進んだ結果ではなく、むしろ意識的な、しばしばまたヘゲモニーを求める無意識的な格闘の結果であり、その格闘から最後にプロイセンが勝者として登場したのだった。200年前には後日新ドイツ帝国の胚細胞となり、建設者、教師となるものはホーエンツォレルン家のプロイセンであり、ハープスルブルクではないだろうということを、ドイツ連邦のうちで誰かがはっきり本気に信じていただろうか!
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前線の兵士に対する恐怖
1918年11月7日以後に突然、革命の製造者として我々の前に現れたあの大きな犯罪者的組織を作る手助けをした。前線自体は、本来それとまったく無関係であった。もちろん前線にいるものたちはみんな平和への憧れだけは感じていた。だがこの事実こそ、革命にとっても非常な危険があったのだ。というのは、休戦後ドイツ軍が故国に近づき始めたとき、当時の革命家たちにとって心配な問題が常に唯一つあった。すなわち前線部隊は何をするだろう!野戦に居た兵士はこれを許すだろうか。ドイツの革命は、若干のドイツ混成軍団によって突然電光石火のように打ちのめされるという危険を犯したくなかったとき、この数週間に少なくとも外見的にはやわらげられたように思えたのだった。というのは、当時、ただ一人の軍団長が、自分に忠誠を尽くしている軍団でもって赤のボロぎれを引きずりおろし、「評議会」を窮地におとしいれ、万一抵抗した時には迫撃砲や手榴弾で打ち破る決心をしたならば、この混成軍団は4週間足らずに60個軍団の軍隊にふくれあがったであろうからだ。ユダヤの張本人は、他の何者にもましてそれを恐れたのだ。そしてこれを阻止するためにこそ、革命にある手心を加えねばならなかった。革命はボルシェヴィズムに堕してはならず、事態に即応して「安寧秩序」を見せかけねばならなかった。共和国を旧官吏の手から奪い、革命というハゲタカの鉤爪にあえて引き渡したのだ。そうしてのみ人々は、旧将軍や旧官吏をペテンにかけ、彼らから起こるかもしれない反抗を新しい状態の見せかけの無害さと平穏さによって、はじめから敵対心をくじくことを望みえたのだった。
1918年の11月革命の革命政府を、前線の軍部にいたヒトラーはかなり歯がゆい思いで見ていたようだ。この恨み節は、わが闘争の中で数回出てくる。革命後新政府、軍の最高司令官の変更、旧政府軍と革命新政府軍への微妙な移管時期。主戦力が前線で戦う中で、わずかな武装勢力が中央政府を打ち倒して新政府を樹立し、旧政府軍を反乱軍扱いしたとしたら、その恨み骨髄だろう


わが闘争 下 国家社会主義運動 3/7~演説と扇動

演説は書物より影響が大きい
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書物はどのような手に落ちるかわからないのでに、一定の表現を保持しなければならない。この表現がその読者たるものの精神的水準や本質的性質にぴったり応ずれば応ずるほど、一般にその効果はますます大きいのである。だから大衆を目的として書物ははじめから文体と程度において、より高度の知識層を目的とした著作物とは異なった効果があるようにせねばならない。演説家は書物と同じテーマをかまわずに取り扱うことができる。けれども彼が偉大な天才的な民衆の演説家であるならば、同じ主題や同じ題材を二度と同じ形式で繰り返さないであろう。


わが闘争 下 国家社会主義運動 2/7~国民の精神

人種の純粋な辺境植民地
そこに達するための道はまず第一に国家が獲得した新しい土地の植民を放任しておかず、特別の基準にゆだねることになる。このために専門に作られた人種委員会が、個々人に移民証明書を発行すべきである。しかしこれはある人種上の純粋さを確定したものでなければならない。そのようにだんだんと最も人種的に純粋で、したがって人種的に最も有能な担い手ばかりの住民がいる辺境植民地の基礎が作られているのである。それとともに彼らは全民族の尊い国民的財宝となり、彼らの成長は民族同胞の一人一人を誇りと喜ばしい期待でみたすに違いない。とにかく彼らの中にわが民族のむしろ人類の将来の最後の大発展の萌芽が保護されて存在しているのだ。民族主義的世界観は、民族主義国家において人間がこれ以上犬や馬や猫を飼育向上させることに熱中せず、人間自身を向上させるようなより尊ぶべき時代、すなわちあるものは自覚して黙って断念し、他のものは喜んで身をささげて子供を作る、という時代に到達するに違いない。幾十万の人々が教会の戒律に縛られ、それを義務と考えて、自発的に独身に耐えているような世界でも、こういうことが可能であることは否定できないのである。そういう戒律の代わりに、絶え間なく行われる人種を毒する遺伝的罪悪を阻止すべし、そして全能の造物主のために、神が人間を創りたもうたように人間を生むべし、という警告を発するならば、子供を作ることを断念することは不可能となるに違いないだろう?
日本にはここ最近、草食系男子や童貞をこじらせているという民族が居るらしいが、日本民族の向上のために自発的に生殖を断念しているのだろうか? 生殖の制限など非現実的だと嘲笑すると、ヒトラーは次のように反論してくる w
ドイツ青年への呼びかけ もちろん、このことは今日の憐れむべき大勢の俗物どもには決して理解できないだろう。彼らはこれを嘲笑するか、斜めに肩をすぼめ、長い逃口上でうめき声を出すだろう。「それはそれ自体まことに結構だ。だが実際にできないだろう!」と。なるほどお前は唯一つだけ心配がある。つまりお前たち個人の生活だ。そしてお前たちには唯一つの神がある。つまりお前たちの金だ!だが我々はお前たちに用は無い。自分たちの個人的生活をこの世の最高の幸福と考えるためにはあまりに貧しすぎる多くの人々、自分たちの生存を支配しているものを金とは考えずに、他の神を信じている大勢の人々に向かうのだ。我々は何よりもまず、力強い大勢のわがドイツ青年に呼びかける。彼らは偉大な転換期の中で成長しており、彼らの父たちの怠惰と無関心が犯した罪に彼ら自身で挑戦するのだ。ドイツ青年はいつか新しい民主主義国家の建設主になるか、最後の目撃者として、ブルジョア社会の完全な崩壊、終末を体験するかであろう。
自信の暗示力
根本から臆病に生まれついた人間は教育によって勇気あるものになしがたいのは確かである。だが臆病な人間が、彼の受けた教育の欠陥によって、身体的な力と強靭さにおいて、もともと他のものに劣っている場合、彼の特性を伸ばしてやることができないのもまた確かである。体が丈夫だという確信があると、どんなに自己の勇気が助長され、そのうえ攻撃精神がわいてくるかは、軍隊を見れば一番よくわかる。軍隊にはももともと英雄ばかりいたわけではなく、普通の平均の人間が居たのだ。今日、崩壊して他国の人々の蹂躙にゆだねられ、横たえているわがドイツ民族こそ、自信の中にあるあの暗示力を必要とするのだ。だがこの自身は既に子供の時から若い同胞に引き入れられねばならない。すべての若い同胞の教育や訓練は全体に、自分たちが他のものより絶対に勝っているのだという確信を与えるようにはからねばならない。若い同胞は自分の身体的な力や強靭さにおいて、民族全体が無敵であるという信念を再び獲得せねばならない。というのはドイツ軍をかつて勝負に導いたものは、各々の個人は自分自身に対し、全体として彼らの指導部に対して持っていた信頼の総和であったからだ。ドイツ民族を再び高めたものは、自由を再び獲得しうるという確信である。だが、この確信は幾百万のものが一人ひとり同じように感じた結論としてのみありうるのである。
歴史教育の原則
特に従来の歴史教育の教授法の改革が企図されねばならない。ドイツ民族ほど歴史をたくさん学ぶ民族は無いかもしれない。だがわれわれほど歴史をうまく利用していない民族も無いだろう。もし政治が生成中の歴史であるならば、さらに我々の歴史教育は我々の政治活動のやり方で方向が決まるのである。最も重要なことは大きな発展の流れを認識することにある。人々は単に過去にあったことを知るために、歴史を学ぶのではなく、歴史の中に将来のため、自分の民族の存続のために指針を得るために歴史を学ぶのだからである。根本的な歴史研究は個々の日付を全て覚えることが必要でそれによってこそ大きな流れをはっきりとつかみうるからだ、といってはいけない。これを確定することは専門科学の課題である。だが普通の平凡な人間は歴史学の教授ではない。彼らにとっては歴史というものは、まず第一に自分の民族の政治事件に対して自分の態度を決定するのに必要な歴史的洞察の尺度を与えるためにあるのだ。さらに人種問題が主要な問題として取り扱われるような世界史が最後に書かれるよう配慮することは、民族主義国家の課題なのである。
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歴史教育は、自国民の自虐的歴史観の創生のためではなく、民族としての誇りと自信、国民意識の覚醒のためになされるべきである。サッチャーの教育改革もしかり、現代日本の教育がこのように改革されることによって害をこうむる国家が、その教育改革に神経を尖らせて干渉してくるのも理解できなくはない。
最良の憲法と国家形式は、民族共同体の最良の頭脳を持った人物を、最も自然に確実に、指導的重要性と指導的影響力をもった地位につけるものである。だが経済生活において有能な人間は、上から決めるべきものではなく、自ら闘って地歩を占めるべきものであるように、ここでも最小の商業から最大の企業に至るまで不断の修練を与え、さらに生活がその時々の試験を引き受けるように、もちろん政治的頭脳の持ち主もまた突然に発見されるものではない。ずば抜けた天才の場合は普通の人間と話が違う。国家はその組織において、地方自治体という最小の細胞から始まって、全ドイツ国の最高の指導部に至るまで、人格原理に根拠を持たねばならない。多数決は無く、ただ責任ある人物だけがある。そして「ラート」(助言、協議、相談)という言葉は、再びその本来の意味に戻される。もちろん全ての人々には、相談相手というものはある。だが決定は一人の人間だけが下すのである。かつてプロイセン軍をドイツ民族の最も驚嘆すべき武器たらしめた原則が意味を転用して将来我々の国家間全体を建設する根本原則であらねばならない。すなわち全指導者の権威は下へ、そして責任は上へ、である。さらにまた人々は今日議会と呼んでいるこの団体を無しで済ますこともできないだろう。だが議会の助言は実際に助言するだけになって、責任は常にただ一人の担い手だけが負うことができるし、また負わせてよい。民主主義国家は、地方自治体から始まってドイツ国指導部に至るまで、多数決によって決めるような代議制はなく、ただその時々の選ばれた指導者に助言し、指導者から仕事を分担させられるような協議会だけがあるのだ。それはその必要に応じて何か特定の領域においては、ちょうど大きな領域の場合その時々の団体自体の指導者や長が持っていると同じような絶対的責任を引き受けるためにあるのである。
世界観は不寛容たるべし キリスト教も自分の祭壇を作るだけでは満足できず、必然的に異教徒の祭壇を破壊するまでに進展せざるをえなかった。こういう狂信的な不寛容さからのみ疑いを入れぬ信仰を形成することができたのであり、しかもこの不寛容さがキリスト教のための絶対的前提なのである。世界史に見られるこういった種類の現象の場合は、大抵こうした独特のユダヤ的な考えに関係しており、実際にこの種の不寛容さや狂信はまさしくユダヤ的本質を具体化している、と異論を挟む人ももちろんたくさん居る。これは十分正しいでもあろう。これは実に悲しむべき事実である。そして人類史のこういう現象はあまりにも不愉快すぎるので、いままで注意されていなかったのである。非常に自由な古代社会において、キリスト教の出現と共に、最初の精神的テロが現れたことを知って、今日、心を痛めるかもしれない。しかしそれ以来、世界がこの圧制に侵害され、支配されており、圧制はただ圧制によってのみ、そしてテロはただテロによってのみ破ることができるという事実は、異論を唱えることができないのである。
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わが闘争 下 国家社会主義運動 1/7~民主主義

マルクシズムと民主主義の原理
マルクシズムは国民的精神界を絶滅してやろうと決めているのだが、自己の犯罪目的のためにたとい間接的にせよ支持を受けうる限り、民主主義と一緒に進むだろう。しかし、我々の議会主義的民主主義の魔法の釜から突然多数者を沸き立たせ - そしてそれがただ正当な多数決の立法にのみによるとしても - 本気でマルクシズムを弾圧しようとしているという確信に、今日到達するならば、議会のまやかしはただちに終わりをつげるであろう。赤色インターナショナルの旗手たちは、さらに民主主義の良心に訴える代わりにプロレタリア大衆に燃えるような檄を発する。そして議会における民衆の使途の知的な要領のよさではできなかったことが、扇動されたプロレタリア大衆の鉄槌やハンマーで、ちょうど1918年秋と同様に電光石火のように達せられるだろう。すなわち、西欧民主主義のやり方でユダヤ人の世界制覇に対抗できるなどとうぬぼれることが、いかに狂気じみているかを、ブルジョア社会の人々に痛切にわからせてくれるだろう。
 規則などはいつか高飛車な態度に出る時や、あるいは自分の利益になるときにだけ存在していて、自分の得にならないとなるや否や投げ捨ててしまうような博徒を相手にして、規則に縛り付けられているなどということは、前に言ったようにまったくお人よしに他ならないのである。ブルジョア政党には、偉大な優れた視点からの信服させるにたる印象と、その印象を無条件に信頼させるにたる説得力を持って大衆をいつも従え、この印象を固守していこうとする狂言的な闘争意欲とを結合させるような偉大な磁石のような魅力が欠けているのである。
「民族主義的」という概念
「民族主義的」という概念は、「宗教的」という言葉とほぼ同じように、明確に限定されておらず、色々と違った意味に解釈できるし、また、実際に色々勝手な意味に使われているように思える。「宗教的」という言葉にしても、この言葉の働き方が一定の明瞭な形をとった時に、初めて観念の上で把握しうるのである。ある人をその性質が「内面的に非常に宗教的」であるという場合、それは結構だがおおむねまたつまらない説明である。確かに少数の人は、そうしたまったく一般的なレッテルをつけられて自分自身満足感を覚えるであろう。しかし、大部分のものは、哲学者でも聖者でもないから、こんなまったく一般的な宗教的理念では、たいてい一人一人にそれぞれ違った考えや行いを自由に与えることを意味するだけであり、なんといっても内心の宗教的渇望が、純粋の形而上的な無限の志向の世界の中から、明確な特定の信仰が形成された時に生ずるような、あの効験にいたることもないのである。この信仰なるものは確かにそれ自身目的ではなく、目的のための手段に過ぎない。だがそれは目的一般に到達しうるために不可欠の手段である。しかしこの目的は単に観念的なものではなく、究極においては優れて実践的な目的なのである。人々は一般にもっとも崇高な美の尊さが、結局ただ倫理的な合目的性の中にだけ存するとまったく同様に、最高の理想は常にもっとも深刻な生活の必要に即しているということを知らねばならない。
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ヴィトゲンシュタインの「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」調な意見だが、論理哲学論考はヒトラー読んでいたのかな? 二人は同窓だった時代もあったらしい・・・。
国家についての3つの有力の考え方 ごく大雑把にいって、3つの国家観念を区別することができる。
1)国家を単純にある政府の権力のもとに、多かれ少なかれ自発的に集った人々の総和と見るグループ。
2)第二のグループは、国家の存在の少なくとも2,3の条件をつける人々がそれに数えられなければならないだけ数からいっても少ない。彼らは同一の行政だけでなく、できるならばまた同一の言語-たとい一般行政技術上の見地からだけであっても-であることを要求する。国家権威はもはや国家の唯一の独占的な目的ではなく、臣民の福祉の増進がこれに加えられる。「自由」の思想が-しかもたいていは間違っている自由の思想が、これらの人々の国家観にこっそりはいってくる。統治形式はそれが存在しているという事実だけでは不可侵のものとは考えられず、それが目的にあっているかということが吟味される。国家が古いという尊厳だけでは、現代の批判を免れない。ともかく、これは国家からまず第一に個人の経済生活に有利な状態を期待し、それゆえに実際的観点から一般の経済上の損得の観点から判断する見方である。この観点の主要な代表者は普通のわがドイツ・ブルジョアジーの人々、特に自由主義的民主主義者である。
3)第三のグループは数字上、最も少ない。かれらは国家を、言語的に特色を持ち、統一された国家を形成している民族の、たいていは非常に不明瞭に考えられている権力政治的傾向を実現する手段と見る。統一的な国語にしようとするこの意思は、その場合、ただこの国家がそれによって対外的権力を増大させるための力ある基礎を作ろうとする希望だけでなく、それにおとらず-そのうえに根本的に間違っているが-国語統一によって、一定居の方向への国家化を実現しうるという考え方を表しているのである。
がしかし、言語や民族の分類が主観的にならざるを得ない以上、ここでヒトラーが定義している国家観念の分類もまた揺らいでしまうものに過ぎない。
民主主義国家と人種衛生
民主主義国家は人種を一般的生活の中心点に置かねばならない。民族主義国家は人種の純粋保持のために配慮しなければならない。民族主義国家は子供が民族の最も貴重な財宝であることを明らかにせねばならない。ただ健全であるものだけが子供を生むべきで、自分が病身であり欠陥があるにもかかわらず子供をつくることはただ恥辱であり、むしろ子供を生むことを断念することが最高の名誉である、ということに留意しなければならない。しかし反対に国民の健全な子供を生まないことは非難されねばならない。国家は何か明らかに病気を持つものや、悪質の遺伝のあるものや、さらに負担となるものは、生殖不能と宣言し、そしてこれを実際に実施すべきである。これに対して逆に国家は、国家の財政的にだらしない経済管理のために、子沢山が両親にとってのろいとなり、健全なる女子の受胎が制限されることの無いように心がけねばならない。
肉体的にも精神的にも不健康で無価値なものはその苦悩を自分の子供の体に伝えてはならない。民族主義国家はこの点で巨大な教育活動をなすべきである。国家はこの教育によって病身であったり、虚弱であったりすることは、恥ではなくただ気の毒な不幸にすぎず、しかし、この不幸を自分のエゴイズムから何の罪も無い子供に負わすことによって汚名をかぶせるのは犯罪であり、したがって同時に恥辱であり、これに対して罪の無い病人が自分の子供を持つことを断念し、自分の民族の健全さのために、他日、力強い社会の一員になることを約束されている民族の見知らぬ貧しい幼い子孫に愛と情を注ぐのは、最高の志操や賞賛すべき人間性の尊さを証明するものであることを一人一人に教えるべきである。そして国家はこの教育活動によって、国家の実際的活動を純粋に精神的に補うようにしなければならない。国家はこの意味で、理解や無理解、賛成や不賛成を顧慮せずに行動しなければならない。
私が昔書いた妄想小説「我が競争」にも、出生制限と”生殖の分配と局在化”について書いている。当時私はヒトラーの「わが闘争」を読んでいなかったのだが、あたかも読んだことがあるかのようなパロディー小説を書いていたあたりが、天才的予言能力と言えよう。

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アドルフ・ヒトラー 平野 一郎

角川書店 1973-10
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【民族意識系】
2013.04.03 わが闘争 上 民族主義的世界観 2/7 ~ドイツ民族とユダヤ
2013.03.11 藤原氏の正体 2/4 ~中臣鎌足とは? その出自
2013.01.21|民族世界地図 1/2
2012.11.12 もっと知りたいインドネシア 2/3 ~地理と民族
2012.10.05|宋と中央ユーラシア 4/4 ~ウイグル問題
2012.04.25|美しい国へ 2/3 ~平和な国家(国歌)
2011.08.17: 実録アヘン戦争 1/4 ~時代的背景
2011.05.09: 日本改造計画1/5 ~民の振る舞い
2011.03.25: ガンダム1年戦争 ~戦後処理 4/4
2010.09.09: ローマ人の物語 ローマは一日して成らず
2010.08.02: 日本帰国 最終幕 どうでも良い細かい気付き
2009.08.20: インド旅行 招かれざる観光客
2009.08.14: インド独立史 ~東インド会社時代
2009.05.04: 民族浄化を裁く 旧ユーゴ戦犯法廷の現場から
2009.02.04: 新たなる発見@日本



わが闘争 上 民族主義的世界観 7/7 ~賛同しかねる民族規定

程度がまったく同じではない2つの生物を交配すれば、すべて結果は両方の親の程度の中間となって現れる。子供は両親の人種的に低いほうよりは、より高いかも知れぬが、しかしより高いほうの親ほど高くはならない。その結果として、彼はこのより高い方との闘争の中でやがてはまけるだろう。より強いものは支配すべきであり、より弱いものと結合して、そのために自分の優れた点を犠牲にしてはならない。種族の純血への衝動の結果は、ただ単に個々の種族を外部から鋭く区画するだけでなく、自分自身の内部でのその種族の一様な本質性を保つことでもある。自然はより弱い個々の生物が、より強いものと結合するのさえ望まなかったが、同じようにより高等な人種がより劣等な人種と混血してしまうのは、それ以上に望まないのである。
 歴史的経験はこのことについて無数の例を示している。アーリア人種がより劣等な民族と混血した場合、その結果として必ず文化の担い手であることを止めてしまったということを示している。その住民の大部分が、劣等な有色民族とはほとんど混血したことのないゲルマン的要素から成り立っている北アメリカは、主にロマン民族の移住民が幾度となく広い範囲にわたって原住民と混血した中央アメリカや南アメリカと比べて、別種の人間性と文化を持っている。この一つの例でさえも、人種混血の影響を極めて明白に認識させるのだ。アメリカ大陸の、人種的に純粋で、混血されることなくすんだゲルマン人は、その大陸の支配者にまでなった。彼らは、自分もまた血の冒涜の犠牲となって倒れない限り、支配者であり続けるだろう。
民族や人種の規定、しかもその優劣を・・・となるとかなり難しいこととは思うが、優劣がはっきりしているなら優と交配したほうがいいよな。
数十年も経ぬ中に、東部アジアの全部の国が、その基礎は結局、我々の場合と同様なヘレニズム精神とゲルマンの技術であるような文化を自分たちの国に固有のものだと呼ぶようになるだろう。ただ、外面的形式だけがアジア的存在様式の特徴を実につけるだろう。日本は多くの人々が思っているように、自分の文化にヨーロッパの技術を付け加えたのではなく、ヨーロッパの科学と技術が日本の特性によって装飾されたのだ。実際生活の基礎は、日本文化が生活の色彩を限定しているにしても、もはや特に日本的な文化ではないのであって、それはヨーロッパやアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学・技術的労作なのである。
 今日以後、かりにヨーロッパとアメリカが滅亡したとして、すべてアーリア人の影響がそれ以上日本に及ばなくなったとしよう。その場合、短期間はなお今日の日本の科学と技術の上昇は続くことができるに違いない。しかしわずかな年月で、はやくも泉は水がかれてしまい、日本的特性は強まっていくだろうが、現在の文化は硬直し、70年前にアーリア文化の大波によって破られた眠りに再び落ちていくだろう。文化領域の最初の発展に動因と素材を与えた、外からの影響が後になって欠けてしまう場合にのみ、一民族に現れうる。ある民族が文化を他人種から本質的な基礎材料として、うけとり、同化し、加工しても、それから先、外からの影響が絶えてしまうと、またしても降下するということが確実であるとすれば、このような人種は、おそらく「文化支持的」と呼ばれうるが、けっして「文化創造的」と呼ばれることはできない。この観点から個々の民族を検討するならば、存在するのはほとんど例外なしに、本来の文化創造的民族ではなく、ほとんど常に文化支持的な民族ばかりであるという事実が明らかになる。
ヒトラーにとって被差別対象の我々がこの文章を読むと、嫌悪感を抱くであろうが、アーリア人を日本人と置き換えたら、日本の民はどんな印象を受けるのだろうか? 彼の言うところのユダヤ人を自国民に置き換えるとマハティールの「マレー・ジレンマ」と同じ理由で発禁本になるだろう。
共同体の生存のために自分の生命をささげることはあらゆる犠牲的精神の中でも最高のものである。ただこれだけが、人間の手が築いたものを再び人間の手で破壊させたり、あるいは自然によって全滅したりすることを阻止する。まさしくわがドイツ語は、この意味での行為をみごとに表す言葉、義務の遂行、つまり自己自身を満足させるのではなく公衆に奉仕する行為、を所有している。そのような行為が出てくるところの根本的な志操を、我々はエゴイズムや私利と区別して、理想主義と名づける。我々はその言葉によって、ただ個人が全体社会に対する、彼の同胞に対する犠牲能力を理解するのである。
ヒトラーの差別的民族主義やユダヤ人に対する異様な嫌悪は、日本人の我々には理解が難しい。ヒトラーが繰り返し主張している、「祖国への誇り、国民的情熱、種の自己保存欲求、血の冒涜の犠牲」 というこれらの言葉が何を意味しているのか、日本人の感性に訴える絵を私は発見したので載せておこう。
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臭気漂う南蛮人が、いたいけな我が大和撫子の純血を汚しておるぞ。ゴリラのような異邦人に一般女性が犯されるようなことが頻発しない日本は平和かもしれないが、もし全土広域・歴史的にも継続的にこういうことが起こっていたらどうだ? 嫌悪感がこみ上げてくるだろう?
ユダヤ人が闘争において、彼らの隣人から強奪する場合において、団結しているという事実から彼らにある種の典型的な犠牲心が存在するのだと推論しようとするのは、根本的な誤りである。この場合でもユダヤ人を導くものは、個人のあからさまなエゴイズム以外の何者でもないのだ。したがって、ユダヤ人の国家も領域的に限られていない。なにしろ国家組織を一定の空間でもって理解するのは、つねに国家的人種という理想主義的な志操、特に労働という概念の正しい把握を前提にしなければならぬからである。この態度の欠如する程度に応じて、空間的に限られている国家を形成しようとする試みばかりか、保持しようとする試みさえもだめになる。だがそれとともに文化を成立させうる唯一の基礎もなくなってしまう。
したがってユダヤ民族はあらゆる外見上での知性的特性を持っているにもかかわらず、なお真の文化、特に自身の文化を持っていない。なぜならば、ユダヤ人が今日見せかけの文化において持っているものは、他の民族のものであったが彼らの手によってほとんどもうだめにされてしまった文化財なのである。人類文化の問題に対するその態度についてユダヤ主義の批判をする際に、注意を怠ってならないことは、けっしてユダヤ人の芸術など存在しなかったということ、だから今日でも存在していないこと、とりわけ、あらゆる芸術の中でも女王の位を占める二分野である建築と音楽はユダヤ人全体に何の独創も負うことはできないということである。
ユダヤ人は遊牧民ではない、ユダヤ人は寄生虫。
多分、アーリア人種も最初は遊牧民であり、時代の流れとともに定住するようになっただろう。だからこそ、かれらは決してユダヤ人などではなかったのだ!否、ユダヤ人は遊牧民ではない。なにしろ遊牧民でも「労働」という概念に対して一定の態度を持っていたのであり、この態度は後の発展のための基礎として、発展に対する必然的で精神的な前提条件が存在している限りで役立ちえた。遊牧民は彼らの存在様式の全体にわたってアーリア民族とはおそらく無関係であるように見えるとしても、だが性のあわぬものではないだろう。これに反して、ユダヤ人にはおよそそうした態度は存在していないのであり、それゆえかれらは遊牧民でもなく、つねに他民族の体内に住む寄生虫にすぎない。しかも彼らがしばしば今まで住んでいた生活圏を放棄してきたことは、彼らの意図によるものではなく、追い出された結果であり、彼らは時々悪用した母体民族によって追い出しを受けた。ユダヤ人はあらゆる時代を通じて他民族の国家の中に生活して、そこで自分自身の国家を形成していたが、この国家はもちろん外面的な事情がその本質をすっかり暴いて見せなかった間は「宗教共同体」の名称の元に仮装して行動するのが常であった。だが一度自分を守る覆いがなくても済ませるほどに十分に強くなったと信じたならば、いよいよそのヴェールを落として、急に非常に多数の人々が以前には信じもまた見ようとも欲しなかったもの、つまりユダヤ人になったのである。
民衆の心を獲得することは、自分の目標に対して積極的な闘争を指導してゆくことと並んで、この目標の敵対者を絶滅させる場合にのみ成功できる。民衆はどんな時代でも敵に対する容赦のない攻撃を加えることの中に自分の正義の証明を見出し、逆に他者の絶滅を断念することは、たとえそれを自分が正しくないことの証拠と感じはしないにしても、自分の正義についての不確実さを感じ取る。大衆は本能のかたまりに過ぎず、彼らの感情は敵同士であることを望んでいると主張している人々の間のお互いの握手を理解しはしない。彼らが望んでいることは、より強力なものの勝利とより弱いものの絶滅あるいは弱いものの無条件の隷属である。わが国の大衆の国民化は、わが民族の魂をとらえるためにあらゆる積極的な闘争を行うことによって、国際主義的な大衆の毒殺者を根絶することができてはじめて成功するだろう。
ユダヤ人の新聞で非難されず、したがって中傷や誹謗を受けないものは尊敬すべきドイツ人ではなく、ほんものの国家社会主義者でもない。我々の主義の価値、我々の信念の公明さ、我々の意欲の力を測る最上の測定器は、わが民族の不倶戴天の敵の側から我々に示される敵意である。朝、ユダヤ人の新聞を読んで、その中で自己が中傷されている記事を見出さないものは、前の日を有効に利用しなかったのである
【差別被差別構造】
2013.03.18 藤原氏の正体 4/4 ~藤原とお公家
2013.01.22|民族世界地図 2/2
2012.03.12 同和中毒都市
2012.01.27: 話題の大阪の地域別所得は
2011.07.15: 松本復興相、宮城県の村井知事を叱責
2011.04.22: 美智子さまと皇族たち1/4 ~天皇制と皇室
2011.02.28: アジア発展の構図 ~ASEANの発展 3/4
2010.09.27: 世界四大宗教の経済学 ~ユダヤ批判
2010.08.10: 母と差別
2010.04.02: 野中広務 差別と権力 ~被差別の成立
2009.07.15: 無差別な世界に思える国際都市
2008.01.09: どうでも良い芸能ネタも外人相手だと






わが闘争 上 民族主義的世界観 6/7 ~国際金融資本

前回、動画と同時にはアップできないだったので、今回改めて”大衆用プロパガンダポスター”を載せてみた。
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選挙ポスター
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珍しく笑っているヒトラー
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ロシアのもついでに
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資本の国家的意義は、資本自体は国家の大きさ、自由および力にいいかえれば国民に完全に依拠しているものであり、この依存こそ、自己保存もしくはより以上の増大という単純な衝動から、この資本の側によって国家と国民の助長に導かれるに違いない、と。このような独立の自由な国家への資本の依存状態は、このように国家の側では、国民の自由、力、強さ等のために、資本に一役かわせざるをえないことになる。国家は、資本を国家の召使にしておき、国民の支配者であると思わせないように配慮することだけだった。私は以前には、その存在と本質がもっぱら投機にもとづいている資本と、創造的労働の終局的成果としての純粋の資本との区別をねがわしくはっきりとは認識することができなかった。
国際金融資本との戦い
私が始めてゴットフリート・フェーダーの「利子奴隷の打破」についての講演を聞いた時、私はすぐ、ここでは理論的な心理が問題となっており、ドイツ民族の将来に対して計り知れぬ意義のあるものになるに違いない、と思った。国民経済から株式資本を鋭く分離することによって、資本一般に対する戦いと同時に、独立した民族的自己保存の基礎を脅かされることなく、ドイツ経済の国際化に反抗する可能性を示したのだ。
新聞の読者はその際、一般に3つのグループに分類されうる。第一は読んだものを全部信じる人々、第二はもはやまったく信じない人々、第三は読んだものを批判的に吟味し、その後で判定する頭脳を持つ人々である。第一のグループは数字の上からは、けたはずれの最大グループである。彼らは大衆からなっており、したがって国民の中では精神的に最も単純な部分を表している。自分で考えるだけの素質もなければ、またそのような教育も受けてない人々は美奈子のグループに入る。第二グループは数ではまったく決定的に少なくなる。彼らの一部は、最初は第一のグループに入っていたが、長い間苦い幻滅を経験した後いまや反対側に移って、ただ印刷されて目に映るものならばなんでも、もはやぜんぜん信じなくなってしまった分子から構成されている。彼らは新聞を憎み、おそらく読まない。なにしろ真実に対しても常に疑ってかかるだろうから、これらの人々は極めて取り扱いが難しい。彼らはそれゆえ、あらゆる積極的な仕事に対してはだめな人間である。最後に第三のグループは桁はずれて最小のグループである。彼らは生まれつきの素質と教育によって自分で考えることを教えられ、あらゆることについて彼自身の判断を形成することに努力し、また読んだものはすべてきわめて根本的にもう一度自己の吟味にかけてその先の結論を引き出すような、精神的に実に洗練された頭脳を持った人々から成り立つ。
子育ての際に、自立が原則と思っていたが、経済的な自立よりは、思想・思考の自立となると常人では達成できないほどに難しいのかもしれない。メディアや周囲に流されることなく、価値判断できるインベスターの擁立、投資一族のハードルは高いということをヒトラーは言っている・・・
今日、国家建築と私有建築の関係は、実になんとひどいものになったことであろうか。ローマの運命がベルリンを襲ったと仮定してみよう。そうすれば、子供たちは将来いつの日にか我々の時代の最も巨大な工事として、2,3のユダヤ人が持つ百貨店や、いくつかの会社が経営するホテルを挙げ、我々の時代の文化を特徴的に表すものとして、驚嘆することだろう。ベルリンのような都市にさえみられる、国家の建築物と、金融や商業のための建築物の間に支配している極端な不つりあいを比較するがよい。国家の建築に支出された金がからしてすでに多くの場合、実に笑うべきものであり、不十分なものである。工場は永遠のために行われるのではなく、目先の必要のためにのみ行われているすぎない。ベルリンの宮城はそれが建造された時代には、現代の形にはまったく新しい図書館なんかとは、違った意味を持った工事であった。一隻だけの戦艦でも、約6000万マルクの金額に達するのに永遠を目指すべきである、国家で第一に立派な建築物、国会議事堂には、ほとんどそれの半分も議会で同意されなかったのだ。現代のわが国の都市には、住民の共同社会のきわだった象徴が欠けており、したがって、住民共同社会がそれぞれの都市に自分自身の象徴を見出せない場合にも驚くことはないのだ。
確かにドイツの建造物として、彼の作ったアウトバーンは50年以上経った今現在でもドイツの象徴的公共建造物と言えるだろう。非商業施設、非宗教施設で、東京にはいっぱいあるな、東京都庁もしかり安田講堂もしぶい。元は国営の公共事業的な開発で今でこそ民営化してしまったが、東京駅なども建造物として趣もさることながら、今でも日本の中心としてしっかりと機能している点は評価したい。日本の建造物と比べるといささか軽い印象ではあるが、シンガポールもMBSのカジノばかりに注目しないで、PIE、CTEなどの高速道路やMRTの公共都市開発も見てあげてほしい。そして、MRTの周囲に立つ公共住宅がこの国の文化的程度を象徴していることがわかるだろう。
【ニュースにいちやもん】
2013.01.10 安倍氏カムバック賞、今年のアジアの受賞者一覧-ペセック
2012.08.28 「長く付き合った恋人」に、こだわってしまう理由
2012.02.23|SGP 4Q GDP -2.5%がなぜかメシウマ
2011.12.14: 今年最も読まれたニュース 2/2 海外編
2011.08.01: 九州新幹線全線開業のCM
2011.06.02: AIG株87億ドル相当を売却、1株29ドルで-米財務省
2010.12.10: {わかりやすさ}の勉強法
2010.02.26: 日本の新興企業 アジア市場が上場誘致
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2009.03.26: 中国人民元先物?
2008.01.02: いきなり暗い 元旦の日経トップ記事








わが闘争 上 民族主義的世界観 5/7 ~大衆のコントロール

宣伝はただ大衆に対してのみ
宣伝は誰に向けるべきか?学識あるインテリゲンツィアに対してか、あるいは教養の低い大衆に対してか? 宣伝は永久にただ大衆にのみ向けるべきである! インテリゲンツィアや今日遺憾ながら往々にしてインテリと称するものに対しては、宣伝は不要で学術的教化というものがある。しかし、宣伝はその内容上学問ではない。それはポスターがその表現自体およそ芸術でないのと同じである。ポスターの技術は、形や色によって大衆の注意をひきつける企画者の技にある。
大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、その代わり忘却力が大きい。この事実からすべての効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用し、その言葉によって、目的としたものが最後の一人にまで思い浮かべることができるように継続的に行わなければならない。人々がこの原則を犠牲にして、あれもこれもとりいれようとするとすぐさま効果は散漫になる。大衆は提供された素材を消化することも、記憶しておくこともできないからである。
ここでヒトラーの演説を出すと偏りがあるように思われるかもしれないかもしれないので、あえてキング牧師の演説を出そう。同時に私は、毛沢東、スターリン、チェ・ゲバラ、スティーブ・ジョブズなどのスピーチも聞いたのだが、ヒトラーのプレゼンテーションは圧倒的である。
キング牧師

ヒトラー

「大衆はなかなか理解せず、忘れやすい、それゆえ同じことを繰り返す。」と言っているヒトラーの主張は、あらゆる演説で活用されている。客観性を出すためにキング牧師を例として出しているわけではあるが、その中で、”I have a dream”と”With this faith”, “Let freedom ring from the”というフレーズが何度繰り返されていることだろうか。子供を持つ諸君は、子供が言語を習得する過程を思い出して欲しい。親は何度も同じことを繰り返し言い、そして親は同じことを何度も要求され行動する。その結果として一つの言語を母国語として習得し、子供はその国家の国民として始動する。赤ちゃんだから、子供だからといってなめるんじゃない!実はいい年の民と何も変わらない! なかなか理解せず、忘れやすい、それゆえ同じことを繰り返す必要があるのだ!
ドイツ人の客観性ぐるい
大衆は外交官から成り立っているのではなく、また国法学者のみから成り立っているのでもなく、まったく純粋に理性的判断からでもなく、動揺して疑惑や不安に傾きがちな人類の子供から成り立っている。大衆は相手の不正がどこで終わり、自分の不正がどこからはじまっているか、その時判断する立場にはいない。そういう場合に彼らは不安になり、邪推したりする。特に相手が必ずしも同じように無意味なことはせず、何もかも責任をこちら側に負わせてくる場合に、団結して一元的に行われる敵の宣伝を、ついに我が民族が、しかも自国の宣伝より以上に信ずることははっきりしないだろうか? ドイツ人のようにもともと非常な客観性ぐるいになっている民族の場合にはなおさらだ! というのはドイツ人の場合は、自分の民族や国家のこの上なき重荷や、そのうえ破滅の危険をおかしてまでも、敵に対してとにかく不正なことをしないように、すべてのものが努力するからである。民衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮よりもむしろ感情的な感じで考え方や行動を決めるという女性的素質を持ち、女性的な態度をとる。しかしこの感情は複雑ではなく、非常に単純で閉鎖的である。繊細さは存在せず、肯定か否定か、愛か憎か、正か不正か、真か偽かであり、決して半分はそうで半分は違うとか、あるいは一部分がそうだがなどということは無い。
ヒトラーの女性蔑視が現れているが、大衆は女性的素質を持つと書いている。女性首相がドイツで生まれた現代に生きる私はあえて、「大衆は核家族内の妻的素質を持つ」と表現しよう。大衆の半分は男であり、その男たちも「上司が悪い、会社が悪い、政治が悪い」と不平不満を言い、自らに原因を求めることなく、すべてを責任転嫁しようとする姿勢がまさに妻的な行動といえよう。 大衆が持つ民族としての客観性については、優秀さ(お人よし)ゆえの害悪が日本も同じ状況である。
【愚民の欲】
2013.04.02 タイ全土落下傘計画 15/17 ~農家の男
2012.11.30 北京・ハルビンに行ってきました 13/13 ~必要以上に美人なタクシードライバー
2012.08.09 マキアヴェッリと君主論4/4 ~君主と臣民
2012.04.18|真面目系クズについて 1/2
2012.01.06: 競争と公平感 市場経済の本当のメリット 2/3 ~素質
2011.11.30: 利休にたずねよ3/4 ~茶の湯の極意
2011.10.13: 日本中枢の崩壊 2/2 霞が関
2011.07.22: 死刑囚 最後の一時間 2/2 ~死刑囚
2011.03.01: アジア発展の構図 ~出遅れた国々 4/4
2011.01.20: 項羽と劉邦 ~広大なる中国大陸
2010.11.25: 初等ヤクザの犯罪学教室 ~割に合わない犯罪
2009.12.29: 何のために生きるのか?ふと考えるときがある
2009.05.07: 幸福感と欲の関係





離婚とお金、慰謝料ってどのくらい?

離婚したいのだけど、どのくらいお金がかかる(取れる)のだろう? と不安になる人々が多いようだ。何故か知らんが、たまに弁護士でも無い私のところに相談に来る人がいるw
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結論から先に言おう、「法律や裁判は関係ない。最終的には人間同士の闘いだ。」
特に男性諸君に申し上げよう。被害を少しでも減らしたいなどという守りの姿勢、失いたくないものがある状態で、何も失うモノが無い女に勝てると思うか? 妻という立場はヤクザと同じ、失うモノは何もない。そいつに全力で突進されて、そんな心意気で太刀打ちできると考えているのならば、甘すぎると言わざるを得ない。相手がヤクザな立場なら、迎え討つこっちも失うモノは何もない覚悟で臨まないと勝負にならないし、競った時の粘りに差が出てきてしまうものだ。例えて言うなればヘビー級のボクシングで、まともなパンチを一発でも喰らえば大ダメージで、その場で試合終了だ。
あまりに精神論を言っても伝わらないかもしれないのでそろそろ法的な話に移行しよう。
離婚時に発生する金銭問題三要素は、財産分与、養育費、慰謝料である
財産分与とは婚姻期間中に増えた資産の半分を受け取る権利を相手が持っている。三要素のうち、最も定量的に規定できる概念だ。
養育費とは、子供は夫婦のうち、恵まれた方の環境下で育てられる権利を持っている。これは不確定な将来のキャッシュフローも影響する。よくある勘違いなのでここで言及すると、子供を育てるのに必要な金額ではなく、アンタいくら稼げるの?ということが問われるもので、絶対的な金額ではなく、貴君の将来的な稼ぎによって決まる変動値である。
慰謝料とは、不貞行為や暴力などによる精神的苦痛とかなんとか建前上は言っているが、実戦においては「アンタいくら持ってるの? 持ってる分だけ全部よこせや。」が現実である。
ここで三要素を見ればわかるように、婚姻何年、子供が何人でという定量的要素はあまり関係なく、現在の総資産と将来の稼ぎが一番効いてくる従量制なのである。取られるモノがあったらその時点で非常に厳しい戦いになるということがお分かりいただけよう。
慰謝料というのは裁判・法廷上で争った時に立証するのは難しい要素ではあるのだが、取る側の視点に立てば、裁判沙汰にまで発展した時点でおいしいのは弁護士であり、裁判をせず協議離婚で相手を討ち取るのが最も効率よく金をむしり取る方法である。なぜならば、離婚裁判の勝訴によって得られるのは、カネをむしり取れる権利であり、カネそのものではないからだ。カネを取るにはもう一つ別の段階が必要で、資産差し押さえという難関が待っている。
実際にカネをむしり取るための資産差し押さえ三要素は、預金、給与、不動産である
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仮にも相手方とは夫婦関係にあるのだから、勤め先と住んでいるところくらいは確実にばれているだろう。つまり給与と不動産が最も差し押さえしやすい資産なのである。私が不動産嫌いな理由もお分かりいただけると思うが。預金は最もタチが悪く、金融機関名を指定し、裁判結果を示し、差し押さえる必要がある。どこの銀行に預金があるか、知らなければ差し押さえることが難しいのである。そして、裁判・法律というのは、あくまでその国で有効な概念に過ぎない。よって裁判した国家以外の国家にある預金に関しては、そのままでは強制執行することはできない。裁判をした国家と預金がある国家との間で、裁判結果のトランスファーが可能であれば、そのトランスファーを通じて強制執行できる可能性はあるが、裁判結果の翻訳や再裁判、そして差し押さえとなるとかなりな段階を踏まなければならず、取りたてるのは厳しい。金融資産のうちの預金は、こっちはボタン一発で世界中にトランスファーできてしまうのに対し、相手側のプロセスを考えると、この追いかけっこは取られる側に有利なのは言うまでもあるまい。
ここで全てのプロセスを振り返ってみよう。カネの流れだけに集中して考えれば、離婚問題の勃発->調停(第三者を介しての話し合い)の不調->裁判->強制差し押さえ という長い長いプロセスを経てようやく実現するという、取る側にとってはきわめて不利な状況なのである。この状況を不利にするモノは唯一つ、取られる側の事情により、一刻も早く離婚したい(愛人が離婚を心待ちにしている、というかその愛人の子供が数カ月後は誕生するなどの)状況を作ってしまった時点で、このパワーバランスが極端に悪くなるのである。
カネが法的な力で強制的に動くまでにはかなり時間がかかるはずである。したがって、時間は自分の味方か?それとも相手の見方か? 加えて法律=世間的な立場・世間体というモノに対して、どちらがセンシティブなのか? というのが持久戦において重要なファクターとなり、冒頭に申し上げた「法律や裁判は関係ない。最終的には人間同士の闘いだ。」が大きな要素を占めてくるのがお分かりいただけたであろう。
法律? 国家というある一定領域で有効な戯言に過ぎない。それがこの俺にどんな影響力を持っているのか見せてもらおうじゃねぇか? ぇえん?」 というヤクザな発言ができないならば、取られる側としては勝ち目はないってことです。駆け足で詳細を省きましたが、今日のレクチャーはこれまで! 貴君の健闘を祈る。
慰謝料と違いますが、ホラ、同じネタを書いている人がいましたよ。
売掛金回収!少額訴訟してみたよ
http://wp-d.org/2012/10/03/621/?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
「書類提出」→「口頭弁論」→「争う」→「判決」→「支払い命令」です。 はい。結構簡単ですね。 でも正直に言います。超メンドクサイ。
裁判の判決はどっちが悪いか決めるだけで強制力は無いんです。アホか日本!!!と思うでしょう。 ワタシも思います。 アホなんですたぶん。 弱者を守る気とかサラサラ無いです。
強制執行
これは「あいつら払わねぇからコレ差し押さえちゃって。」というお願いを裁判所にする事で、強制的に財産を奪取する方法です。しかし実はこれにも重要な…というかマヌケな穴があります。なぜなら「ナニを差し押さえるかは自分で調べてね」と言われるからです。 もうホントいやこの国。
最も差し押さえしやすい「銀行口座」に目を付けたワタシは、まず相手のサイトにアクセス。ここでのポイントは「銀行口座は口座番号とかはいらない」という点です。実は差し押さえの時は「銀行は支店名と口座名がわかればOK」
最初の書類は企業相手の少額訴訟と離婚訴訟とでは違いますが、裁判からは似たようなモノ。この人は企業相手で銀行口座を知っていたからいいようなものの、逆に言うと「銀行は支店名と口座名を知らないと無理」なのです。まぁ口座名は本人名義以外は取れないでしょうから、銀行と支店を特定しないとイケないんですねぇ。個人相手の場合、どうやって調べるの?
【金融ヤクザのお仕事】
2012.09.10 金融崩壊 昭和経済恐慌からのメッセージ 2/4~成金
2012.05.24|眞説 光クラブ事件 1/3 ~山崎晃嗣とは
2012.01.25: 野村證券スキャンダルの検証 1/2 ~損失補てん
2011.11.25: 米MFグローバル、破産法適用
2011.10.19: ザ・総会屋
2011.09.07: 投資詐欺 2/3 手法
2011.01.07: イトマン・住銀事件 ~イトマンをめぐる様々な疑惑
2010.10.05: マネー・ロンダリング入門 ~実際に起きた事件
2009.07.17: 秘史「乗っ取り屋」暗黒の経済戦争
2008.08.18: 8868 スワップ契約についての考察
2008.01.28: ソシエテ・ジェネラルの大損


わが闘争 上 民族主義的世界観 4/7 ~国家の道

ドイツ政策の4つの道 (国家が生き残るための条件)
1.フランスの手本に従って、出生の増加を人工的に制限し、それでもって人口過剰に対処することができた。
2.国土開発、土地の収益力は一定限度まで引き上げることができる。しかしただ一定の限度までであり、無限にということではない。一定の期間人々は、かくして我が国土の利用度を増すことによって、飢餓の危険なく、ドイツ民族の増加の困難を防ぐことができるであろう。しかし生活上の要求は一般に住民数よりも急速に増加するという事実が、これに対立する。衣食に関する人間の要求は、年々大きくなり、今日でもおよそ100年前の我々の祖先の要求とは比べようも無いほどの状態になっている。だから生産の増加が人口の増大のすべての前提を果たした、と考えるのは誤りである。他の人種がこの地上の大きな面積にしがみついているときに、もしある民族が国土開発にとどまっているならば、ある時期になると他の民族がたえず増加し続けるのに、自己制限することを余儀なくされるだろう。遺憾ながら、総じて最善の国民が、唯一の新の文化的人種、、あらゆる人種の進歩の担い手だけがその平和主義に幻惑されて、新しい土地獲得を断念し、「国土」開発で満足することを決意しているが、しかし劣等な諸国民が、この世界の巨大な生活圏を確保することを知っているからこれは次のような結果に導くであろう。
 文化的には劣っているが、生来より残忍な民族は、最も大きな生活圏を持っているためにその位置でなお無限に増加を続けることができるのに、文化的には優れているが英慮勝ちな人種がその制限された土地のためにいつかはその人口増加を制限せねばならないのである。そこでなお遠い将来のことではあるが、ただ2つの可能性だけが残る。世界は我が近代民主主義の観念にしたがって、すべての決定が数の上でより強い人種のために有利な結果に終わるか、あるいは世界は自然的な力の秩序の法則によって支配され、その場合、残虐な意思を持つ民族がかつことになり、自制する国民が敗れるかである、しかしこの世界がいつかこのうえも無く激しい人類の生存の闘争にされされるだろうことは、誰人も疑うことができない。最後には自己保存欲だけが、永遠に勝利を閉める。永遠の闘争において人類は大きくなった、永遠の平和において人類は破滅するのだ。
3.過剰な幾百万人を毎年移住させるために新しい土地を手に入れ、そして自給の原則でずっと国民を養っていく
4.外国の需要に応じて商工業を起こし、その売上高によって生活をまかなっていくか ← 日本、いまここ
今日ヨーロッパ諸国の多くは、ピラミッドを逆さにしたに等しい。そのヨーロッパの底面は、植民地、外国貿易等におけるほかの重荷に対して笑うべきほど小さい。ヨーロッパに尖端があり、全世界に基底があるといってもよい。規定をなお自己の大陸に持ち、そしてただ尖端のみが他の土地に触れているアメリカ合衆国とは違うのである。それゆえにこそ、この国は未曾有の国内的な力を持ち、ヨーロッパの植民地国家がたいてい脆弱なのである。イギリスもまた例外ではない。人々は大英帝国を見る場合、そもそもアングロサクソン系の世界そのものを見ることを簡単に忘れる。イギリスの地位は一人でアメリカ合衆国と言語上、文化上で共同しているためにそれでなくてさえ他のヨーロッパの国々とも比較されえないのである。それゆえドイツにとって健全な領土拡大政策を実施する唯一の可能性は、ヨーロッパ自体の中で新しい土地を獲得することだけにあった。
人々がヨーロッパで土地と領土を欲するならば、その際は大体においてロシアの犠牲でのみ行われえた。ヨーロッパには唯一つの同盟国があった。すなわちイギリスである。イギリスと結んでのみ、背面を保護されて、新しいゲルマンの行軍をはじめることができたのである。イギリスの好意を得るためには、だがどんな犠牲でも大きすぎることがあってはならなかった。植民地と海上勢力を断念し、そしてイギリス工業に対して競争をさしひかえるべきだった。この意味でイギリスがわかりがよかったならばその時期があったのだ。ドイツが時刻の人口増加のために何かある打開策を探さねばならず、そしてイギリスと結んでそれをヨーロッパに求めるか、あるいはイギリスと結ばずに世界に求めるかを、イギリス人は非常によく理解していたのだからである。
総督が、不毛の大地ヨーロッパを憂いておる。地中海に海岸線を持つ西ヨーロッパはともかくも東ヨーロッパは悲惨だな。ウクライナやカザフでは小麦が取れるらしいが、米や野菜が豊富に取れるとは思えないな。ロシアの犠牲とは、ヨーロッパをロシア東部やカザフまで含めて定義し、EU圏とロシア圏の勢力争い、つまりドイツより東にどこまで侵攻できるかということを言っている。
国際連合統計局の分類
東ヨーロッパ:ウクライナ、スロバキア、チェコ、ハンガリー、ブルガリア、ベラルーシ、ポーランド、モルドバ、ルーマニア、ロシア
アメリカ中央情報局(CIA)の分類
東ヨーロッパ(東欧):ウクライナ、エストニア、ベラルーシ、モルドバ、ラトビア、リトアニア、
南東ヨーロッパ(南東欧):アルバニア、クロアチア、コソボ、セルビア、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロ、ルーマニア、
あら・・・東欧言うたら、ポーランド、オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアだと思ってたけど、俺の勝手な勘違いだったようで。旧ロシア圏が東欧なのか・・・
国家と経済 (ここ日本人には重要部分)
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全民衆に「経済的制覇」というナンセンスなことを実際政治の方策として、その反面「世界平和」の維持を政治の目標として全民衆に提示し、おまけに理解させることについては、我々すべての政治思想が一般に不健全であったことにかなり深い原因があった。国家は特定の経済観や経済的発展とはまったく無関係である。国家は経済的課題を実行するために、ある一定の制限された生活圏に経済的な契約者をまとめたものではなく、種の発展維持をいっそう可能ならしめ、摂理によって規定された自己存在の目標を達成するための心理的、精神的に同一な生物の共同社会組織である。国家の目的と意義はこれであって他の何者でもない。そのさい経済はこの目標を達成するためにまさしく必要な補助手段の一つに過ぎない。経済は、国家の原因でもなければ目的でもない。国家それ自体は前提条件として領土的境界を持つことを決して必要としないということは、これによってのみ明らかにされる。これは自ら種族同胞の扶養を確保しようとし、自己の労働によって生存競争を戦い抜く覚悟がある民族によってのみ必要とされる。雄バチのように他の人類の中に忍び込むことができ、あらゆる口実をもうけて人類を自己のために働かせるような民族は、独自の一定の境界を持った生活圏なしでも国家を形成することができる。このことは第一に、その寄生性のためにとりわけ今日、正直な全人類が悩んでいる民族、すなわちユダヤ民族に当てはまるのである。
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ユダヤ国家は地域的に一度も境界にあったことが無く、地域の上では普遍的で際限無く、ただ人種の集合という点に制限があっただけである。それゆえこの民族はいつもまた国家の中に一つの国家を形成していた。この国家を「宗教」として航海させ、かくしてアーリア人種が宗教上の宗派と認める心構えの寛大さによって自己を安全なものにしてきたことは、まだ見たことの無い最も天才的なトリックに属する。というのは事実上モーゼの宗教は、ユダヤ人種保存の教説に他ならないからである。それゆえこの宗教は、一般にユダヤ人種保存のためにだけ問題になりうる社会学的、政治的な、同様に、経済的な知識分野をほとんどすべて包括しているのである。
 人間が共同社会を形成した最初の動機は、種の保存の衝動である。しかしながら、それと同時に国家は民族的な有機体であって、経済的組織ではない。種の保存と維持は、各人の献身に進んでおもむく覚悟を前提としているからである。種の保存を確保するために個人の存在の献身が必要だということになる。
国家を形成したりあるいはまた国家を維持するだけの力とは現実になんであるか、と問うならばそれを2,3の言葉に要約しうる。すなわち全体のために個人を犠牲にする能力と意思である、と。この徳が経済となんら関係ないことは、次の簡単な認識から推定できる。人間は商売のために死ぬものではなく、ただ理想のために死ぬものだということである。イギリス人が民衆の心を認識する上で心理的に優れていることは彼らが戦う場合に与える動機付けを知ること以上によく示してくれるものはない。我々がパンのために戦っているのに、イギリスは「自由」のために、それも自国民のためでなく、そうだ、小国の国民のために戦ったのだ。
【戦争論・兵法】
2013.02.13 巨いなる企て 4/4 ~伏見の政治と軍事
2012.08.01|マキアヴェッリと君主論2/4 ~性悪説的君主論
2012.05.16|攻撃計画 ブッシュのイラク戦争1/2~準備
2011.07.28: 後藤田正晴と12人の総理たち1/2 ~天安門事件
2011.02.03: 賭博と国家と男と女 ~人は利己的に協調する
2010.12.16: 自作 近未来小説 我が競争 ~第三次世界大戦の勝者と人類の進化
2009.12.16: 孫子・戦略・クラウゼヴィッツ―その活用の方程式
2009.10.23: 核拡散―軍縮の風は起こせるか
2009.05.04: 民族浄化を裁く 旧ユーゴ戦犯法廷の現場から
2009.02.24: 孫子の兵法
2009.01.06: ユーゴスラヴィア現代史 ~Titoという男





離婚届の書き方と注意点

離婚届など一生縁のない方もいらっしゃるでしょうが、縁が無いにしても一度くらいはその衝動にかられた読者は多いことだろう。裁判だ、慰謝料だ、養育費だということが頭よぎるだろうが、それらは派生に過ぎず、最低必要要件は実にシンプルで届けを役所に出すことで離婚は無事に成立する。
名前を間違える。名前が書ければ合格する学校などという表現もあるが、名前が変わる離婚届において、この名前を間違えることがありうるので、注意点を述べておこう。
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(1)に書く名前は、現在の名前である。喜び勇んで慌てて、ここに旧姓を書いてしまうと、残念ながら不受理となる。
続いて住所は、日本在住諸君はガイドライン通りであるが、海外在住諸君は、国名、そして住所を”日本語=カタカナ”で書くと良い。世帯主という概念は無いので空白でかまわない。
最も複雑なケースが
(4)結婚前の氏にもどる者の本籍 のところに書く 筆頭者の氏名 である
なので、戸籍の移動との関係も含めた入念な解説をしておこう。
ここに名前を書くのは、(2)に名前がある現在の戸籍の筆頭者の氏名とは、逆側の人物=非世帯主の配偶者に関与する氏名を記述することになる。
A)もとの戸籍にもどる にチェックを入れた場合
 A-A)非世帯主の配偶者が初婚の場合
  通常初婚では、戸籍は親の下に帰属していたはずで、元の戸籍は親・父親が戸籍筆頭者であることが多いので、一般には父親の名前を書く。
 A-B)非世帯主の配偶者が初婚でない場合
  A-B-A)前回の結婚で戸籍筆頭者の場合、戸籍筆頭者は離婚後も親の戸籍にもどることができないので、旧姓を書く。
  A-B-B)前回の結婚で戸籍筆頭者ではなかったが、離婚時に新しい戸籍を作った場合、戸籍筆頭者であるはずなので、旧姓を書く。
  A-B-C)前回の結婚で戸籍筆頭者ではなかったが、離婚時に親元の戸籍に戻った場合、初婚の場合と同じく親の名前を書く。
B)新しい戸籍をつくる にチェックを入れた場合
 B-A)元の姓にもどりたい場合は旧姓を書く。
 B-B)現在の姓を維持したい場合は、現姓を書く。
一番、重要なポイントは、A-B-A)の戸籍筆頭者の選択権が無いことである。これから結婚しようという諸君は、戸籍筆頭者になると離婚時に親の戸籍に戻るという選択肢は無くなる。そして子無しもしくは親権を取られた場合は、一人ぼっちの寂しい戸籍になる。またどうでも良い話としては、A-B-B)とB-A)は離婚後に出来上がる戸籍の仕上がりは同じになる。
(5)未成年の子の氏名、親権の設定であるが、これも現姓+子供名前で記述する。
そして最後の
(10)届出人署名押印も現姓で記す。
尚、離婚届には
◎必ず本人が署名してください
と書いてあるが、役所は本人署名を確認することもないので、本人の意思が確定している場合、本人署名の必要は無い。だが、それを良いことに勝手に配偶者の分も書いて提出すると、公文書偽造になるので、悪用しないように!
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わが闘争 上 民族主義的世界観 3/7 ~議会制民主主義批判

つまらぬ人物が、精神、能力ともに矮小になればなるほど、彼に巨人のような力や独創性を求めず、むしろ尊重のずるさに甘んずる体制、ペリクレス(紀元前495-429、古代ギリシアの政治化、アテナイ民主政治の完成者といわれ、アレオパゴス会議の実権を奪って評議会を民衆際場所に移し、役人選出に抽選を用い、役人に日当を支給するなど国政の民主化につとめた)の賢明さよりもこの種の賢明さが好ましく見える体制を彼は称揚するに違いない。その際、こういうアホウは自分の行為の責任で決して苦しむ必要は無い。彼はこのような心配からはとっくに根本的に開放されている。彼は彼の「政治的不細工」の結果がどうであろうと、彼の運命がすでにとっくに定まっていることを十分知っているからである。思うに個々人の水準が低下するにしたがって大政治家の数が増すのが、こうした没落の兆候なのである。彼はしかし議会主義的多数への依存が増すとともに、だんだんと小さくならねばならない。というのは偉大な人物はバカな無能者や饒舌家の小使になるのを拒否するし、逆に大多数の代表者たちは-それはかくのごとくバカであるが-すぐれた頭脳のものを心から憎むものだからである。だがこの民主主義の発明は、最近になって真の恥辱にまで発展した特性、すなわち我々のいわゆる「指導者たち」の大部分の卑怯な特性に、最もぴったり応ずるのだ。いくつかの重要なことをすべて実際に決定する場合に、いわゆる大多数というスカートの陰に隠れることができるのは、なんと幸福なことだろう!
こういう政治の追いはぎを一度見るがよい。彼らが自分のために必要な共犯者を確保し、それとともにいつでも責任を逃れうるようにするために、大多数の賛成を心配そうに請け求めていることか。しかし、この種の政治活動は、心から上品で、同時にしかし勇気もある男は嫌がり憎むけれども、すべてのあさましい性質のものたち-自分の行動に対して個人的に責任を取ろうとせず、防御物を求めるものは卑劣なルンペンである-をひきつける主な理由がこれである。すなわち多数は決して一人の人間の代理ができない、ということである。多数はいつも愚鈍の代表であるばかりでなく、卑怯の代表でもある。100人の馬鹿者からは実に一人の賢人も生まれないが、同様に100人の卑怯者からは、一つの豪胆の決断も出てこない
国家事務を管理する内閣が選ばれるとしてもそれにもかかわらずこれはただ見せかけに過ぎない。実際にいわゆる政府は、まず事前に一般会議の承認を得なければ何も行うことができない。しかし最後の決定は政府には無く、議会の多数者にあるのだから、政府は同時にまた何も責任を問われない。どんな場合にも政府は、ただその時々の多数の意志の執行者であるにすぎない。人々は政治的能力を多数者の意思に順応するか、それとも多数者を自己にひきつけるか、という技術によって判断しうるだけである。職業とかあるいはまったく個人の能力とかにしたがっている選出された500人の民衆代表者たちの内部構成は、分裂して多くはまた哀れな像を生じている。というのは、これら国民から選ばれたものが、同様に精神や知性の点でも選ばれたものであるとはどうしても信じられないからだ! 才知あるとはいえない全ての選挙人の投票用紙からは政治家が同時に100人も生ずるなどと希望的に考えないでほしい。一般に普通選挙から天才が生まれるだろうなどというナンセンスなことにはいくら鋭く対抗してもしすぎることは無い。第一に、ある国民の中にはすべてが聖化されるぐらいの長い間に一度だけ真の政治家が生ずるのであり、、同時に100人もまたそれ以上に一度に出ることは無い。そして第二に、大衆が全ての優れた天才に対して感ずる嫌悪というものはまさしく本能的なものなのだ。選挙によって偉大な人物が「発見」される前には、らくだも針の穴を通っているだろう。
Hitler001.jpg
最も重要な利害において、態度決定をするために必要な知識を持っているものが2,3人しかいないのになぜ500人も選挙するのか? しかり、まさにこれが事の真相なのだ。今日の民主主義的議会主義の目的は、おそらく賢人の会議を形成することでなく、むしろ精神的に従属しているゼロに等しい群を寄せ集めることにある。個々人の人格的偏狭さが大きければ大きいほど、一定の方向へ指導することがますます容易になる。ユダヤ的民主主義とは、正直で誠実で個人的責任をとる覚悟がある男はそれを憎まねばならないのに、このうえもない嘘つきで、同時に特に日光を恐れる潜行者だけに好まれ、価値があるものだ。一方、ゲルマン的民主主義とは、全ての責任を完全に引き受ける義務をおっている指導者を自由に選ぶ、真のゲルマン的民主主義である。そこには個々の問題に対する多数決は無く、ただ自己の決断に対して能力と生命をかけるただ一人の決定だけがある。
議会制民主主義の欠陥を痛烈に批判しておるな。この私も一票の価値はゼロであるという問題発言をしたことがあったが、偶然にもヒトラーが、「今日の民主主義的議会主義の目的は、おそらく賢人の会議を形成することでなく、むしろ精神的に従属しているゼロに等しい群を寄せ集めることにある。」と発言しているのには驚いた。500人もいる議会はその500人全てが立法機関のプロとして、成熟しているわけでもないのは明らかで、また対立する利害を調整するのは人数が多くなればなるほど難しく決定は遅くなり、革新や進化は起こりにくくなる。石破さんや小沢さんは一国会議員でありながらも(幹事長なのかもしれないが)立法家としての能力は他の国会議員の追従を許すレベルではないのは明らかであろう。そんな優れた立法家・政治家たちが国家・国民のために勇気ある政策決定を矢継ぎ早に断行するためには議会制民主主義は足枷以外の何者でもない。この民主主義に対する批判と挑戦とも思える主張は最もだし理解できなくも無い。それゆえドイツでは発禁本扱いにされているのだろうが、今の日本で読まれるべき本であると思えるので、ドイツ語に堪能な諸君はわが闘争をもう少しわかりやすく再翻訳して、日本で蔓延させることは愛国行為と言えるだろう。
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オーストリアにおける汎ドイツ主義運動は、一度次のように自ら問うてみるべきだった。すなわちオーストリアのドイツ主義の維持は、カトリック信仰の下では可能か、不可能か?と。もし可能ならばその場合政党は宗教上あるいはそのうえ宗派上のことにわずらわされてはならないし、もし不可能ならば、そのさいは宗教改革がなされねばならず、決して政党が介入してはならないのである。いつの時代にも非良心的な男が、宗教を自己の政治商売の道具にして平気でいるのだ。こういう議会の無能氏や怠け者には少なくとも後から、なお自己の政治的不正取引を合理化しうるような機会を提供されたときほど、好都合なことはありえないのである。というのは宗教やまたは宗派に彼の個人的な劣悪な言行に対する責任を負わせそのために攻撃するや否や、この嘘つき男は直ちに大声をあげて全世界に彼の今までの処置がいかに正しかったか、また宗教と協会の救済がいかに彼と彼の口先のお陰だけをこうむっているか、という証言を求めるからである。バカな忘れっぽい同時代の人々は、叫び声が大きいために、たいていはもう全闘争の真の主謀者を記憶していないか、忘れてしまっている。そこでこのルンペンは、いまや実際に本来の目的を達成するのである。
一人の敵への集中 汎ドイツ主義運動が、もし大衆の心理をもう少しよく理解していたならば、この運動はこんな失敗はしなかったであろう。人々が一般に成果を戦いとろうとするならば、純粋に心理的考慮からも決して大衆に2つまたはそれ以上の敵を示してはならない。そうでなければ、闘争力を完全に分裂に導くからだ。どんな時代でも本当に偉大な民衆の指導者の技術というものは、第一に民衆の注意を分裂させず、むしろいつもある唯一の敵に集中することにある。

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【国家権力による搾取】
2013.02.05 巨いなる企て 2/4 ~豊臣衰退の背景
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2011.08.05: 金賢姫全告白 いま、女として2/6 ~今、君が嘘をついた
2010.10.14: 道路の権力1
2010.08.24: 中国の家計に約117兆円の隠れ収入、GDPの3割
2010.07.05: 警視庁ウラ金担当
2010.05.20: 秘録 華人財閥 ~独占権、その大いなる可能性
2008.09.24: 俺の欲しいもの
2008.09.23: 被支配階級の特権
2008.07.18: Olympic記念通貨に見る投資可能性







投資・投機・ギャンブルの違いを述べよ

「投資・投機・ギャンブルの違いを述べよ。」と著者に問い詰めたくなる。正解はないが、どのように答えるかで、その人の考えやこだわりがわかる。私の考えでは、
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投資とは、リスク・プレミアムを受ける行為、ギャンブルとは、リスク・プレミアムを払う行為。
投資とは、資産価格で認識する取引態度、投機とは、損益だけで認識する取引態度。

リスク(Volatility)が高いほど、高い期待値を求められる証券市場・金融市場のインストルメンツは投資となり、リスクが高いほど期待値が下がる富くじ、競馬、パチンコなどはギャンブルと規定される。一方で、投資・ギャンブルの区別はインストルメンツに帰属する判別かというとそうでもないので、あえてぼかして行為と書いているのだが、金融市場のインストルメンツでプレイしていたとしても、高いレバレッジをかけて、高い金利を払いながら株・先物・FXに挑む行為はギャンブルに近い行為と言えよう。
時価総額、NAVを認識するファンドは投資だが、損益で認識するトレーディングは投機。一物多価の解消であるアービトラージも、その差額にのみ注目しているので投機的行為。差金決済の先物や、Max(S-X,0)という差が取引対象というオプションは投機的インストルメンツなのである
世界的なインフレの過程の中で発生した「石油ショック」の圧力を軽減する努力に、日本の民間企業はそれこそ総力を挙げて取り組んだのであり、それがまた、日本商品の国際競争力を一段と強め、そこから今日の世界最強の競争力が生まれたという事実をもたらしたのである。「石油ショック」の当時を振り返っても日本の企業経営者は、まず第一に「販売価格=生産コスト+適正利潤」という米国型の企業経営者に共通した認識そのものが、日本国内市場では通用しないという原点から出発せざるを得なかった。戦後の日本経済の特徴は、国内市場でのきわめて熾烈な競争である。競争相手よりも安いコストでよりよい製品を生産する体制を築き上げなければならない。生産コストとは無関係に市場での競争で決まる販売価格に、いかにして生産コストを合わせるかという課題の解決のために日本の経営者は従業員の勤労意欲を刺激する一方、徹底した技術革新の導入に、全力を挙げなければならなかった。
競争の激しさは単に価格面だけではなく、品質、性能、信頼性に加え、納期、アフターサービスなど非価格面にも及んでおり、この厳しい競争に勝ち抜くだけの実力を備えている外国の民間企業はきわめて少数で、日本国内市場に関する限り、日本企業の優位は動かない。だが、こうした変化そのもの、すなわち価値の高まる「日本円」を、是が非でも入手しようと激しい競合が展開することで、日本の国内市場の競争は、「円高」とともに急激に激しさを加え、それがまた日本の企業経営者にとってはなによりも強い不安感を抱かざるを得ない背景なのである。しかもこうした国内市場での競争の激化を一段と強める「自由化政策」が進行する中で、その大きな柱の一つ「国有企業の民営化」が、これまた伝統的に国有企業との人的な結びつきによる既得権の崩壊を作り出している。たとえば、62年4月民営化された国鉄をとっても、これまで輸送業務だけを担当してきた国鉄が、たとえば積雪地帯であれば駅前にスキー場を開設、貸しスキーを始めることで地元の観光業者と激しく競合をはじめた。地元の観光業者にして見れば、これまで国鉄はお客さんを運んでくるお得意様だった。それが一転して、スキー場あるいは貸しスキーで直接競合する状態に追い込まれたとき、お客を連れてくる国鉄が、こうした能力を持たない地元のスキー場経営者、貸しスキー店の経営者に甚大な打撃を与えることは避けられず、彼らは今になって、国鉄民営化が彼らの既得権そのものを根底から覆す新しい「経営環境」を生み出したことにいやでも気づかされている。同様のことが、あらゆる国有企業の民営化に当てはまる。
郵貯の民営化は金融機関には大きな衝撃を与えることになるだろうな。
1986年に発生し、かつ定着した「デフレ」が日本一国の問題ではなく世界経済にわたっての共通した流れであることは疑いない。
ブブー
スペキュレーション時代とは
「スペキュレーション」は人類が経済活動を始めて以来、市場の成立とともに発生した商行為である。
鉄鉱石、石炭が商品取引所に上場されていなくても、これまでの経験から同じパターンの価格変動を示す上場商品を見出して、鉄鉱石、石炭の購入契約と同時にこうしたほかの上場商品に「カラ売り」を思い切って仕掛けておく投機を経営戦略に織り込まない限り、デフレが続く間は鉄鋼会社は相対的に高い原料を仕入れて、完成鋼材を安く売る逆ザヤ現象から身を避ける手段を持ち合わせることができない。
え? 何この素人発言? 著者の長谷川慶太郎、あー、経歴見たら日本の経済評論家。だって。評論家とは、理論的な整合性が求められる法則や法律などを、一切作ることはできないが、「あるあるー」と民の共感を得ることだけが求められる「格言やコトワザ」というレベルの発言が得意な職業。と個人的に思っているので、この素人発言っぷりは、納得なのだが、このノリが本一冊分続くのは多少苦痛ではあった。
今や世界全体にわたって、あらゆる業種を問わずすべての民間企業は少しでも低い利率で多くの資金を調達し、その資金を「投機」に投入して、利ザヤを稼ぐ以外に収益を確保する見通しを持たない。「財テク」は、企業経営の中心的な役割を担う時代が来た。
これねぇ・・・、このままだと間違いなんだけど、ちょっと言葉を変えれば正しくなる。なんだろね、言葉づかいも、素人臭さを感じるな。財テクという言葉使いは時代を考慮すれば否定しない。
民間企業では最も効率がよいと期待される方法で資金調達し、その資金を「投資」し、M&Aという形で企業買収、分離などをしないと、従業員がいくら努力しても、企業成長は難しい。この投資活動こそが企業”経営”の中心的な役割を担うであろう。
だったら日本の経営者にお灸をすえる良い言葉になったと思うんだがね。
個人生活の投機化
デフレ時代の定着は個人生活の基本設計に重大な変化をもたらす。第一に長年インフレ時代とともに定着してきた土地神話が消滅し、これまで個人生活の基本であった長期ローンを組んで持ち家に住もうとする生活設計は、その有効性を急速に失いつつある。またデフレとともに金利の低下現象が著しく、かつて個人の金融資産を形成する上に、もっとも大きな役割を果たしてきた預貯金による資産形成は、これまた急速に終止符を打たれようとしている。その上、「マル優」の廃止が税制改革の柱として定着した中で、一段と「金融の自由化」が進行し、これに伴って金融市場、証券市場の「投機化」が一層個人の金融資産形成に「投機」の要素を持ち込んでくる。
「マル優」廃止の意味
昭和62年度税制改革の基本路線が決定した中で、最も重要な、かつ長期にわたって影響を与えると判断されるのは、「マル優」の廃止である。明治初年に当時の政府が日本国民に「勤倹貯蓄」の精神を植え付け、近代的な金融制度を導入する基盤としての郵便貯金制度を開始してから今日まで100年以上を経過したが、この間利子所得に対する免税という便宜を与えて、個人の金融資産の蓄積を奨励する政策を続けてきた。「マル優」の適用を受ける貯蓄残高は「マル特」と呼ばれる一人300万円までの国債保有を含めて、昭和61年9月末には、約300兆円に達したと推測される。この300兆円という金額は1ドル150円で換算して、2兆ドルに相当し、米国政府の発行した長期国債の残高2兆ドルとほぼ同水準。世界経済を撹乱する危険をはらむメキシコ、ブラジルなど発展途上国の累積債務の総額とされる約1兆ドルの2倍である。「マル優」という制度は利子所得に対する免税という鎖で、これだけ巨額の資金を日本国内金融市場に縛り付けておく制度であった。これが廃止されることで「金融の自由化」は急速に進展する。
マル優廃止しても、金融自由化、特に預金に関しては何も変わらなかったよね。その後は円高政策で、外貨に対する恐怖心を植え付け、金利0でも円で置いておけば安全という、円神話は存在しているのではないだろうか。
これからの世界はどう変化するか
すでに挙げたように、現在の世界は急速に戦争の脅威から遠ざかっている。米ソ両国をとってもそれぞれ軍備の拡張を維持することはおろか、現行の軍備それ自体を維持することももはや不可能な状態になりつつある。「米軍は弾薬を持たず、ソ連軍には兵隊がいない。」 現実に、年間3000億ドルもの軍事費を投入している米軍は、意外に弾薬の不足に苦しんでいるし、ソ連では1982年以来、在学中の大学生を現役兵に徴集している。もはや軍備を縮小する以外に、ソ連は経済を再建する機会はない。また、同時に米国にとっても軍事費の削減、それは財政赤字の縮小、したがって減税を通じての経済の再活性化を意味している。世界は今や「戦争と革命」の時代の終末を迎えつつある。また同時にそれが世界的な物価の低落、デフレ現象を推進していく最大の原動力なのである。
この本1987年の発行なのだが、アフガニスタン内戦、その後1990年にはユーゴスラビア・NATO空爆と、どうみても戦争と思えるイベント目白押しで、この人は何を見ていたのかね?

「投機(スペキュレーション)」の時代 「投機(スペキュレーション)」の時代
長谷川 慶太郎

中央公論社 1987-04
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わが闘争 上 民族主義的世界観 2/7 ~ドイツ民族とユダヤ

ある時私が市の中心部を歩き回っていると、突然長いカフタンを着た、黒い縮れ毛の人間に出くわした。これもまたユダヤ人だろうか? というのが私の最初に考えたことだった。彼はリンツではもちろんそのような外見をしていなかった。私はひそかに注意深くその人物を観察した。だがこの見知らぬ顔を見つめれば見つめるほど、そしてその特色をさぐるように調べれば調べるほど、ますます私の頭の中で最初の疑問が他の表現に変わった。 これもまたドイツ人だろうか? 私はいつものように、この疑問を本から引き出してみようとし始めた。当時私は数ヘラーほど支払って私の生涯ではじめての反ユダヤ主義のパンフレットを買った。遺憾ながらこれらのパンフレットは、すべて原則として、読者がすでにユダヤ人問題を少なくともかなりの程度まで知っているか、きわめてよく理解しているという立場から出発していた。けっきょくその論調は大部分、その主張に対する非常に浅薄で極度に非科学的な論証であったため、私はまたしても疑いを生ぜしめるようなものであった。私がこの問題に没頭し始めて、ユダヤ人に注意するようになって以来、ヴィーンについて以前と違った印象を受けたからである。いつも私が行くところで実際にユダヤ人を見た。そして私が見れば見るほど、彼らが他の人間と違っているのが、ますますはっきりと見えてきたのである。特に市の中央部とドーナウ運河の北部の区域は、外見的にもドイツ民族と似通っていない民族が密集していた
ヴィーンではかなり広範囲に彼らの間で大きな運動が行われていたが、これこそユダヤ人の民族性をこの上も無くはっきりと証明するものであった。すなわちシオン主義がそれである。この民族の道徳上の、あるいはそのほかの清潔さと言うもの自体が問題点であった。水好きでないことが問題であることは、人々がその外見を見ただけで、遺憾ながら往々にして目を閉じていてもわかる。その後私は幾度もカフタンをまとっているものの臭気で気持ちが悪くなった。その上なお、汚い衣服をつけているし、外貌も雄雄しくない。すでにこうしたものだけでも、はなはだ人をひきつけるところが無い。肉体的な不潔以上にはからずも、この選ばれた民族の道徳的汚点を発見したときは、嫌悪の情を抱かずにはおれなかった
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ヒトラーが言うところの当時のドイツにいた”ユダヤ人”とは何者だったのだろうか? 現代でも「ユダヤ人とは何者か?」という誰も答えられない難問ではあるのだが、カフタンで黒髪でトルコ系移民のことを指していたのだろうか。ここでは少なくとも見かけで判断しているので、アシュケナージかスファラディかくらいでは語れそうではあるが、アンネの日記の写真で見る限りでは、少なくともパレスチナ人をユダヤとは言っていそうも無い。
社会民主党の指導者としてのユダヤ人 彼らは同じ問題について時には数日で、往々にして数時間で、色々の立場をとるのだ。人間と言うものは一人でしゃべっておればいつも理性的な考え方を持っているのに、それが大衆の勢力圏に入ってしまうと、どうして突然失われるのか私はわからなかった。しばしば絶望的になった。私が何時間もかかって説得し、こんどこそ端緒を開いてやった。あるいは不合理を啓蒙してやったと確信して、成功を心から喜んでいると、次の日にはがっかりしてもう一度初めからやり直さなければならなかった。すべては無駄だった。永遠の振り子のように、彼らの常軌を逸しているような考え方がいつも新たにはねかえすように思えた。彼らが自分たちの宿命に不満であり、彼らをしばしばそんなにも過酷にうちのめした運命をのろい、かれらがこの運命の無情な執行人と考えている企業家を憎み、彼らの目から見れば自らの遭遇に対して無情な当局を罵倒し、食品価格に対してデモを行い、彼らの要求のために街を練り歩いたこと、これらすべてをそのとき私は理解することができた。しかし理解できなかったものは、彼らが事故の民族性を憎悪し、その偉大さを侮蔑し、そして偉大な人々をドブに引きずりこんだ果てしない憎悪の念であった。
ユダヤ的詭弁 社会民主党の新聞が圧倒的にユダヤ人によって指導されていることに私は次第に通暁した。しかし私はこの状態に、特別の意味を負わせなかった。他の新聞の状態も同じようであった。おそらくは一つだけ異様なことがあった。私の受けた教育と理解力が及ぶ限りでは真に国家主義的と称される新聞でユダヤ人が関係しているものが一つもなかった、ということである。そこで私は我慢してこの種のマルクシズムの新聞記事を読もうとしたが、それに応じて毛の間が無限に大きくなってくるので、今度はこの総括的な悪事製造者をもっと詳しく知ろうとした。発行人をはじめとして、みんなユダヤ人だった。議会の代議士を問題にしても、労働組合の初期を問題にしても、また組織の議長、街頭の先導者を問題にしてみても、そのほとんど大部分が同様に「選ばれた民族」に属しているものたちであった。アウステルリッツ、ダーヴィット、アドラー、エレンボーゲン等の名は永遠に忘れないだろう。
排他的だなー・・・。ユダヤのメディア・労働組合・政党を批判している。
オーストリアのドイツ人 オーストリアといわれる他民族組織はついに没落したが、これは決して古くからオストマルクにいるドイツ人の政治的手腕のせいとは言えず、時機を得たときにまったくしっかりした前提を与えられなければ、1千万の人間でもって種種の民族からなる5千万人の国家を永続的に維持することができない、という避けえない結果であった。ドイツ系オーストリア人は大志を抱いていた。彼らは常に大ドイツ帝国の枠内で生活することに慣れており、ドイツに関連している課題に対する感覚を決して失っていなかった。彼らはこの国家において、狭いオーストリア帝国直轄地の境界を越えて、なおドイツの領域を見ていた唯一の人間であった。そのうえ運命が彼らをついに共通の祖国から分離したとき、彼らはこの巨大な課題を解決し、祖父たちが絶え間ない闘争でかつて東部からもぎ取ったドイツ主義をいつもなお維持しようとしたのだった。最も優れたものの心と追憶は、決して共通の母国を感ずることをやめたのではなく、ただその残余だけが故郷にとどまっていたからである。
 ドイツ系オーストリア人の一般的視野は比較的広かった。技術屋や官吏という指導的人員は大部分、ドイツ系オーストリア人によって占められていた。だがかれらはまた、ユダヤ人がその固有の分野に手を伸ばさない限り、外国貿易の担い手でもあった。政治的にもドイツ系オーストリア人だけがなお国家をまとめていた。ドイツ系オーストリア人の新兵は、その連帯自体はヴィーンやガリシアはもちろんのこと、ヘルツェゴーヴィナにもおかれていた。将校団は常にドイツ人であったし、上級官吏階級も優勢だった。最後に芸術や科学もドイツ人が優勢だった。異色人種でも間違いなく無造作に作り出せるような近代芸術表現のキワ物をのぞけば、真の芸術精神の所有者や普及者は、ただドイツ人のみであった。音楽、建築、彫刻、絵画でも、ヴィーンは決して実に見えるほど枯渇しておらず、汲めども尽きぬ豊富さで、この二重王国全般をささえている源泉であった。最後にドイツ人は少数のハンガリー人をのぞけば、すべての外交の担い手であった。かれでもなお、この帝国を維持しようとするすべての試みは無駄であった。そこには本質的に前提が欠けているからである。
オーストリアと言う多民族国家のために、個々の国民の遠心力を克服する可能性はタダ一つだけであった。この国が中央集権で統治され、それでもって内政的にも組織されるか、あるいは国家が一般に考えられぬかであった。帝国をもっと連邦国家的に形成するという考えはすべて、すぐれた権力ある強力な国家的胚細胞を欠いているため必ず失敗に終わらねばならなかった。そのうえ、ビスマルクのつかんでいるドイツ帝国と反対に、オーストリア国家には別の本質的な国内的前提条件が加わっていた。ドイツでは常に文化的に共通の基盤があったから政治的伝統を克服することだけが問題であった。何よりもまずドイツ帝国は、少数の異民族の破片をのぞけば、一民族に属するものだけを包括していた。オーストリアでは状態が逆であった
 今やいろいろの地方で他民族主義の時代に入って、民族主義的勢力が発展し、その克服は王国の辺境に民族国家が形成され始めるにしたがって困難にならざるをえなくなった。その諸民族は人種的にオーストリアに散在する個々の民族と同類化類似していて、彼らの側では、逆にドイツ系オーストリア人がなしうる以上の引力を、それ以来及ぼすことができたのである。古いオーストリアは、他国以上に指導力が大きくなければならなかった。そのうえにここには-指揮そのものも非常に無能だったが-民族主義的な基礎の上にたえずその維持力をもっている国民国家の基礎が欠けていた。
オーストリアに対する懸念。そしてそこから議会主義批判へと発展していく。
議会主義 はっきりとオーストリア王国の腐食を示しうる制度の中で、その先端にあって、最も多くその力を自己のものとして持っている制度が-議会、あるいはオーストリアでいうライヒスラート(帝国評議会)である。この団体の手本は明らかに、イギリス、すなわち古典的「民主主義」の国にあった。そこからこの恵まれた機構を完全に転用し、それをできる限り変えずにヴィーンに置いたのである。衆議院と貴族院という形でイギリスの両院組織がその再生を祝った。
Palace-of-Westminster.jpg
 ただ「建物」」自体がいくらか違っていた。バリィ(サー・チャールズ・バリィ、1795-1860年、イギリスの建築家でロンドンの国会議事堂をつくったが、イギリス・ゴシック式を採用し、イギリスの建築彫刻の一大飛躍をなしたといわれる。)がかつてテムズの洋々たる流れから議事堂を作り上げたとき彼は世界に冠たる大英帝国の歴史の中に手を入れ、その中から彼の壮麗な建築物の1200の壁がん、腕木、柱の飾りを選び出した。そのようにして彫刻と絵画で、上院と下院は国民の名誉の殿堂になった。ヴィーンにとってはここに最初の困難があった。というのはデンマーク人ハンセンが、新しい民衆代表の大理石建築に最後の破風をつけ終わったとき、彼は装飾を古代芸術から借りてくる以外に方法が無かった。ローマやギリシアの政治家や哲学者が今ではこの「西欧的民主主義」の劇場の建物に美をそえ、そして象徴的な皮肉とも言えるものは、両院の上に四頭立ての馬車が東西南北の四方の天空に向かって引っぱりあい、これによって当時国内で行われていたことを、外部に最もよく表現していることである。「諸民族たち」はこの建物の中で、オーストリアの歴史が賛美されているのを侮辱であり挑発であるとして拒否した。
さすが建設と歴史には造詣が深い。国会議事堂の建造物から否定してきたかw
【民族意識系】
2013.03.11 藤原氏の正体 2/4 ~中臣鎌足とは? その出自
2013.01.21|民族世界地図 1/2
2012.11.12 もっと知りたいインドネシア 2/3 ~地理と民族
2012.10.05|宋と中央ユーラシア 4/4 ~ウイグル問題
2012.04.25|美しい国へ 2/3 ~平和な国家(国歌)
2011.08.17: 実録アヘン戦争 1/4 ~時代的背景
2011.05.09: 日本改造計画1/5 ~民の振る舞い
2011.03.25: ガンダム1年戦争 ~戦後処理 4/4
2010.09.09: ローマ人の物語 ローマは一日して成らず
2010.08.02: 日本帰国 最終幕 どうでも良い細かい気付き
2009.08.20: インド旅行 招かれざる観光客
2009.08.14: インド独立史 ~東インド会社時代
2009.05.04: 民族浄化を裁く 旧ユーゴ戦犯法廷の現場から
2009.02.04: 新たなる発見@日本


わが闘争 上 民族主義的世界観 1/7 ~ヒトラーが生きた時代のドイツ

人を説得しうるのは書かれた言葉によるよりも、話された言葉によるものであり、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な演説かにその進展のお陰をこうむっている、ということを私は知っている。けれども教説を規則的、統一的に代弁するためには、その原則的なものが永久に書きとどめられねばならない。それゆえ、この両巻を私が共通の事業に加える礎石たらしめんとするのである。
戦争の感激 私はいろいろな軍事問題の書物を手にしたが、その中に1870年ー71年の普仏戦争の普及版があった。これが私の愛読書になった。まもなくこの偉大な英雄的戦争が、私にとって最大の内面的な体験になった。以後私は、戦争とかあるいはとにかく軍制とかに関係するあらゆることに、ますます熱中した。はじめて まだ非常に漠然たる観念ではあったが この戦闘をするドイツ人と、他のドイツ人との間に相違があるのだろうか?それはどんな相違なのだろうか?という疑問がしつように迫ってきた。なぜオーストリアはこの戦争にいっしょに戦わなかったのだろうか?父もまた他のドイツ人たちみんなもなぜ戦わなかったのだろうか?我々もまたすべてのすべてのドイツ人と同じではないだろうか? 我々は、みんなともに一つの全体をなしているのではないのか? すべてのドイツ人がビスマルクの国家に属する幸福に浴していないのだ、という答えを聞かされて、私は内心で嫉妬を感じた。
わが闘争は、多分、ヒトラー自身のオリジナルの発言と文章が、かなりクレイジーで、その日本語訳だから、この本は常にこんな感じの”難解”な文章で書かれているが、なんとなく骨子は理解できるという次元なので、決してご推薦図書にはできない。ともあれ、数年前から読もうと思っていたドイツ発禁本扱いの「わが闘争」をじっくり時間をかけて読んでいこうと思う。
歴史教育 いわゆる中等学校での世界史の教育は、もちろん現在でもなお非常にひどいものである。歴史教育の目的が、決して歴史上の日付や事件の暗記や棒読みすることではなく、いつあれやこれやの戦争があったとか、将軍が生まれたとか、ある君主が先祖代々の王冠を頭に頂いたとかいうことを子供が正確に知っていてもいなくてもどうでもよい、ということを知っている教師はまことに少ない。
歴史を「学ぶ」ということは、歴史的な事件として我々の目に見えるものを、実際に引き起こした原因としての力を発見し、見出すことである。
ハープスブルグ王家がやったことについての歴史的認識は、日々の見聞によっていっそう固められた。北部においても南部でも異民族の肉体を蝕み、ヴィーンすらもますます非ドイツ的都市に見えてきた。「オーストリア大公の家」はいつもできるかぎりチェコ化した。そしてオーストリア・ドイツ主義の最も憎むべき敵、皇太子フランツ・フェルディナント大公を弾丸で倒したものはとりもなおさず、永遠の正義と仮借なき報復を下す神の鉄拳だった。その弾丸は大公自らが鋳造を助けたものである。だがかれこそ天下り式にオーストリアをスラブ化しようとしたパトロンだったのだ!
この本を読む前に、ドイツの歴史も復習しておこう。
1871年~1918年ドイツ帝国、1918年に第一次世界大戦の敗戦と革命で帝政は崩壊し共和制へ移行することで消滅。
1862年シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争、1866年普墺戦争、1870年普仏戦争でナポレオン3世をうちやぶることでドイツ帝国が生まれた。
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1815年~1866年ドイツ連邦
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1807年~1815年ライン同盟
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~1806年の神聖ローマ帝国の崩壊
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国民的誇りの欠如 わがブルジョアジーが、みじめな浮浪者の口から、ドイツ人であろうが無かろうが同じことであり、ただ必要な収入さえあればどこでも同じように満足だ、ということを聞いて、何度道徳的憤慨を感じたことだろう。文化的、芸術的生活のすべての領域における祖国や国民の偉大さを個々無数に思い出すことが、総合的な結果として恵まれた民族の一員であるという当然の誇りを彼らに持たせているのだが、それをどれだけ多くのものが理解しているだろうか。祖国への誇りが、これらすべての領域での祖国の偉大さを知ることにかかっている、と少しでも感じているものが、どれほどいるだろうか
「他の国でもやはり事情は同じだ」しかしそこの労働者はやはり自分の国民性に立脚しているのだ、と人々は言い逃れることはできない。よしんばそうだとしても、そういうことが自分の怠慢の口実にはなりえない。だが事実はそうではない。というのは、たとえば我々がいつもフランス民族の「偏狭な愛国主義」教育と称しているものが、やはり文化の、フランス人の言葉と言えば「文明」の全分野におけるフランスの偉大さを、極度に引き立てている以外の何物でもないからだ。若いフランス人は、彼の祖国の政治的あるいは文化的偉大さの意義を問題とする限り、決して客観性を持つようには教育されず、かえって人々が考えうる限りの主観的観点に立つよう、教育されるのである
ヒトラーのおフランスに対する嫉妬心。客観性の無い偏狭な愛国主義教育だって。今でもそうだな「おフランス至上主義」。
愛すべき当代の市民たちは、この若い公民に国民的情熱が欠けていることをにまったくあきれる。彼らは演劇や映画や、また三文文学やエロ新聞で、毎日毎日、おけから水を流すように民衆の中に毒が注ぎ込まれるのを見るのだ。そしてそれについて、この民衆の大群の道徳的内容の少ないことや国民的無関心さに驚いている。あたかもインチキ映画やエロ新聞やその類似物が祖国の偉大さを認識させる基礎を与えているかのようにである。個々の人間がそれ以前に受けた教育についてはまったく度外視している。
 国民化の予備条件 ある民族を「国民化」する問題は、まず第一に各人に教育を与えうる基礎として健全な社会状態を作るということである。というのは教育と学校によって祖国の文化的、経済的な、なかんずく政治的な偉大さを十分知るものでなければ、かかる民族の一員であり、またありうるという内心の誇りを獲得することができないし、また獲得しないであろうからだ。そして私は私が愛するもののためだけ戦う。私は尊敬するものだけ愛し、少なくとも知っているものだけを尊敬するのである。
総統閣下が憂いておられる。労働者階級家庭で育てられた少年の未来を憂いておられる。金銭や経済的なことばかりに注意が行き、国民としての意識、民族を愛することを忘れている
新聞のフランス崇拝 私の神経に障ったのは、そのころすでに大新聞が書いていた実際いやらしいフランス崇拝だった。人々はこの「偉大な文化国民」に対する甘ったるい頌歌を目の当たりにして、まったくドイツ人たることを恥じねばならなかった。このあわれむべきフランスかぶれが、一度ならずしばしば、私にこの「世界的新聞」を投げ捨てさせた。私はそこでいつも繰り返し「ドイッチェ・フォルクスブラット」を読んだ。
【ヨーロッパの戦争・内戦・紛争】
2013.02.20 聖戦ヴァンデ 2/3 ~募兵と蜂起
2012.11.27 ユーゴ紛争はなぜ長期化したか 2/3 ~NATO、国連
2012.07.31|マキアヴェッリと君主論1/4 ~1500年当時のイタリア
2012.04.06: 金融史がわかれば世界がわかる 4/6~ポンドからドルへ
2010.07.16: ドイツの傑作兵器・駄作兵器
2009.06.05: 現代ドイツ史入門
2009.05.05: 民族浄化を裁く ~ボスニア




祖母の歌

遥か昔の話、25年くらい前だと思うが、祖母が生きていた時代、祖母の家に行った時のことだ。その時、祖母と、そして私の妹と百人一首を興じたことがある。当然ながら祖母は百人一首の勝負に興味は無い。祖母が絵札を読み、読み終えてから、祖母は探し始め、かつ我々二人に花を持たせるため、祖母はかなり控えめに札をとる。時折、札が遠い時は、杖を使って、トンと取る。
百人一首の歌は今となっては、ほとんど覚えてないが、一つだけ覚えている
久方の 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむ
下の句は、御覧の通り、「しづこころなく」から始まる。祖母の名はしずこという。私と妹は、祖母が子供の頃の武勇伝をよく聞いていた。
「百人一首のこの句で、『はい!』と一番に取った。そして『さすが、しずちゃん、下の句は”しづ”だからなぁ』と言われた。」
つまり、この紀友則の句は、祖母の句であった。それにも関わらず、妹は「花の散るらむ」と同時に「はい!」と発声して字札をとった。寒い・・・、どこまでもサムイ妹だと思わんかね? 親の財布から金を盗むわ、俺の部屋を荒らすわ・・・。頭が悪いのかな? 百人一首の一句も覚えられない気の毒な妹なのかもしれん。血を分けた妹とは言え、これから将来の投資一族の一員として、数えようと思うかね?
女系一族家の筆頭である祖母は、一族の頂点に君臨しており、偉大なる我が母も絶対に逆らうことができなかった。祖母は特に私の体調管理にはうるさかった。
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祖母は息子(私から見ると伯父さん)、邦男さんを亡くしていた。15歳の時だったそうだ。当時の結核といえば不治の病で、感染のリスクが高いため隔離病棟に移されて死を待つばかりという重病だった。祖母は果敢にも決死の覚悟で邦男さんを何年にも及んで看病し、その間、私の母は曾祖父の家で母親以外に育てられた。だが、邦男さんは、残念ながら亡くなってしまった。祖父は戦争から帰ってきたら、息子が結核に犯されていると聞かされた。祖母はよく邦男さんの話を私にした。女系一族家で私が一族家の血を継ぐ唯一の男であったこと、理科の趣向を持っていたことが、邦男さんを彷彿とさせたようだ。「邦ちゃんも算数が好きだった。知恵の輪も得意だった。力ではなく、頭で外すんだ・・・無理なくすーっと外せるはずだ・・・」と知恵の輪でよく遊んだことを覚えている。「我々はみんな文科の家系だが、嘉一さん(私の曾祖父)と邦ちゃんは理科だった。将来は理科に進むのかね?」と祖母によく聞かれた。
祖母にはよくしてもらっていたが、祖母に言えないことがあった。風邪をひいた、怪我をした、近視であること、このような身体に関するマイナスのことは、母からの厳命で、祖母に言うことを禁止されていたからだ。このようなことが祖母にバレると母は「子供の体調をしっかりみてやるのがお前の役目・・・」から始まる厳しい叱責を受けることになる。怒鳴られたりすることは無いが、祖母の言葉は非常に重い。母にしてみれば、祖母は邦男さんにかかりきりで自分は放っておかれたという感があるのか、叱責を受けた後は「死んだ子は可愛い。頭の中で理想化されるからな。男の子が死に易いなんてのは現代の考え方ではない。」と吐き捨てるように言っていた。
邦男さんを亡くしたことが祖母にとってどのくらい大きかったのか、私はそれをリアルタイムで見ていたわけではないが、それがわかる時があった。祖母と祖父はよく口喧嘩をしていた。祖父は怒ることを忘れた一族家の婿であるから、通常は祖父の無駄遣いを祖母が指摘し、祖父は黙っているという光景である。勢い余って一度だけ祖父が「お前が邦男をXXXに連れていくから・・・」、XXXが地名だったのか施設の名前なのかは忘れてしまったが、邦男さんの結核の原因を追及しているような会話だったような記憶がある。祖父の言葉少ない指摘であったが、あの穏やかな祖父が喧嘩の勢い余って、思わず言ったというより、静かな怒りが感じられる目をしていた。その時だけは祖母が黙っており、とてもつらそうな顔をしていた。邦男さんが亡くなってから50-60年経っているはずだが、かなり深い溝があるのがわかった。
私にも、そして私の母にもわからない感覚だが、不幸にも子供を亡くしてしまった親が背負う罪悪感は、おそらくかなり重い。殺人をして、うまく逃げたりすると、一生罪悪感に悩まされるとよく言われているが、それと同じくらいの感覚であろう。不慮の事故や病気ゆえ、罪ではないので、裁判も刑期もないから余計にふっ切れない罪悪感が残るのかもしれない。
さて、そんなことを意識しながら・・・、映画「ぽっぽや 鉄道員」(1999年)、高倉健 見てみましょう。
1回目の鑑賞では「ゆっこか・・・」 で涙腺崩壊
2回目の鑑賞では「今度1年生になるの」 で来るぜ・・・。
【一族家のお家騒動】
2012.01.16 自分が父親になるのが楽しみな理由
2011.11.14: ギリシャ神話と親子対決
2011.10.06: 一族家の食卓
2011.02.10: 母がシンガポールに遊びに来ました
2010.05.24: 親父に対する息子の愛
2009.09.17: 名前をカタカナや漢字で書いてはならない 
2009.05.08: 私はカネ目当てじゃない ~怒りの代償 
2009.04.09: 金(カネ)の重み 
2009.02.13: 女系家族の掟 
2008.07.09: 妹が見た悪夢 
2008.03.17: 一族家における投資教育 ~貯金と金利




マズローの欲求段階説の承認欲求以上を持つ女

ツイッターに、「彼氏がいたらこんなことをしてみたい! してほしい!」ということをあれこれ想像してつぶやく「#彼氏いません」というハッシュタグが登場し、女性陣の豊かな想像力の秀逸さは様々な反響を呼んでいる。
このハッシュタグ(ツイッター上の“お題”)「#彼氏いません」は、2月の初めにツイッター上に登場したもの。例えば、
「家で格ゲーしてたら隣でごろごろしてた彼が私のふとももにアゴのせてきて『ひまー』だって、可愛いw」
「漫画のキャラ名をツイッターで『○○君カッコいいい』って叫んだら、彼氏が妬いて『○○って誰だよ…』ってメールしてきて…」
といった具合に“萌えるシチュエーション”をツイートし、最後に「#彼氏いません」というハッシュタグをくっつけることで、すべてが妄想だったことを明かす流儀になっており、あまりの盛り上がりぶりと内容の“キモさ”が話題となって、「NAVERまとめ」や「Togetter」などで、ツイート内容が次々とまとめられている。
そして、この盛り上がりに嫉妬(?)した男性陣から、ほどなく「#彼女いません」というハッシュタグが登場し、さらに「#弟いません」「#妹いません」といった改変バージョンまで登場。むなしくも楽しいこの“恋愛想像ごっこ”に対し、ツイッターユーザーからは「#彼女いませんと、 #彼氏いませんの人同士でなんかこう、なんとかならんのか」という声もあがっている。
(R25編集部)

「彼女がいたら」が、縁遠すぎて、想像できなくなっている。「してみたいこと、してほしいこと」、もう少し深く掘り下げて、「俺のためにしてほしいこと」は無い。自分自身のために、何かやって欲しいね。いつも言っている「自らの道を、自らの足で歩む」だ。その結果として、Cash Flow Positive、消費以外のお金の使い道を理解し、実践している と同義だが、これだと前進がないので、
今日はマズローの欲求段階説を当てはめてみることにしよう
マズローは、人間の基本的欲求を低次から
1.生理的欲求(physiological need)
2.安全の欲求(safety need)
3.所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
4.承認の欲求(esteem)
5.自己実現の欲求(self actualization)
の5段階に分類した。
ここで質問だ。マズローの欲求段階説の5段階で3番目より上の段階の欲求を持っている女性は、ほとんどいないという学説の真偽のほどをいかに考えるか?
物欲は2の範疇、3の所属と愛を求めている女性は、大勢いるので議論の余地はないだろうが、
承認の欲求とは、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求 
上記のツイッターの2例にしても所詮は3番目の所属欲求にすぎない。
Abe-sada-3rd.jpg
「自分が夫から価値ある存在」、「自分が特定の男から価値ある存在」というのは集団ではないので3の男への所属欲求。
「夫が集団から価値のある存在」、「子供が集団から価値のある存在」というのは自分自身ではないので、3の欲求であろう。
どんな女が良いか? と問われて、「自らの道を、自らの足で歩む」だと抽象的すぎてボヤけてしまう。
「Cash Flow Positive、消費以外のお金の使い道を理解し、実践している」は主眼がカネにあり、いやらしい感じが否めない。
「良い女とは、マズローの欲求段階説の4番目の承認欲求、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求を持っている女のこと。」
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2011.05.26: おいしいカレーの作り方
2011.04.20: 飲み会で横にいて欲しい女、そして現実
2011.02.07: 賭博と国家と男と女 ~一夫多妻のすすめ
2011.01.13: ドケチ感覚は強制的に研ぎ澄まされるのか
2010.10.19: Around 40 ~注文の多い女たち
2010.06.22: 女が言えば、家事手伝いとお嫁さん、男が言うとニートとヒモ
2009.12.09: 可愛いペット
2008.06.27: 感謝の言葉を忘れない男
2008.06.26: 意外にもFeminism?




男の世界の言い訳 「妻が・・・」

投資一族のブログ読者の妻の皆さま、こんにちは。今日は奥様に、ちょっと耳よりなお話です。男の世界、つまり会社などで、飲みのお誘い、ゴルフのお誘いなど色々あると思いますが、参加できない時、一番使われる口実は、
「ちょっと妻が・・・」

です。
seitaigou-tsumaga.jpg
妻がなんなのか も明らかにされないので、状況はわからないのですが、問題は述語がないことではなく、”妻が”の”が”です。妻じゃなくても良いんですよ。「子供が」、「彼女が・・・」、そんな口実をしたことある男性読者諸君、貴君は民だよ。男らしく言うならば、
「ちょっと妻と・・・」
だ。
「妻と」に隠されているのは、私が妻と約束があるということで、誠意を持って相手に先約があることを伝え、自分の意思を示す男らしい発言です。一方、「妻が」の場合は、「私は行きたいのですが、妻が・・・」と奥さんのせいにしているのです。本当に奥さんがうるさい人であっても、自分の意思を示さないのは、誘った相手に失礼ですし、尻に敷かれている、鬼妻に勝手にされてます。
奥さん、そんな男で、良いんですか? 「妻が、妻が・・・」と奥さんの知らないところで責任を奥さんに押しつけているような男ってことですけども、どう思いますか?
もう一個上げましょうか? 仕事や居住地に関するフレキシビリティについて、私は非常に高いものを持っています。例えば、居住国を選ぶ際の基準は「ビジネス、税制、物価」であり、他の要素は一切ない。だから、香港・シンガポール間の移動であればそれはSGDの為替レートは非常に大きな基準となりえるため、「為替レート次第で居住国を変える。これが測度変換の投資実践の一例だよ。」などというと、また
「妻が居るし・・・」
妻が、子供が、家が・・・と、責任転嫁し始める男が多いです。為替変動リスクだけでなく、転職などに伴う事業リスクを取る際に、奥さんの存在を言い訳のごとく使い、勝負から逃げている。「僕が今の会社で、低賃金なのは、能力が低いからではなく、家族を守るために我慢しているからだ。」とでも言いたいのでしょうか?
一聞すると、家族を守る立派なお父さんに思えますが、一族の長の顔をするのであれば、自らの進む道を自分の意思で即決できないことに問題はないのでしょうか? そんなお父さんを子供が見て育つと、子供もまた民になりますよ。 ま、持たざる民こそが最も自由で幸せな立場だと思うので、それはそれで良いのかもしれませんが。
自分が勝負から降りるのを、奥さんと子供のせいにするな (かっこいいって言われちゃったから調子に乗って載せてみました)
無謀な勝負を煽動しているわけでありません。降りる時は、自分の判断で降り、カッコ悪いと思われたりするという弊害や責任も自分で取るということです。自らの決断で判断し、責任を取るということを示すのが親の責任であり、民の欲望で作り上げられたどうでもいい生活費を工面してあげることは責任でも何でもありません。そんなことは顔も感情もない国家でもできる。何のために高い法人税を納める会社に勤めているのか? というのをわかりやすく、
離婚さえすれば、母子家庭は特権階級なのだから、セーフティーネットで最低限の生活はできる。(同じことなのに サイテー とよく言われるけど載せてみました)
それを知っていれば、自分が妻と子供の面倒を見てあげているなどという勘違いをすることは、まずありません。これと同様に同じ意味だけど受け取られ方が全く違う文章。
× お前など居なくても、俺の人生に1ミリも影響はない。
○ 俺は自分の行動と決断の責任をお前に押しつけたりはしない。 (いつも文句ばっかり言ってる妻にはこれも嫌味か?)
おっと、ここまで来ると、奥様向けの内容から逸脱してしまいましたね。
私も愛妻家だから、ついついくだらない私利私欲とわがままな主張を聞いてあげてしまうことがあるのですが、愛妻家として、さらに厳しく締め上げた方が彼女のためだと反省している毎日です。
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2008.06.25: あなた自身を所有するのに高すぎる値段などない





どうか子供たちに関わらないで欲しい

「私たちの生活を脅かさないで欲しい、どうか子供たちに関わらないで欲しい!」 女は平伏して懇願した。
Robespierre-Greeting.jpg
「自分の名前を漢字で書いてはならないだと? お前何年何組だ? その先生の名前は? そうか・・・。では俺は・・・お前の親として一回、先生に挨拶させてもらわないといかんなぁ・・・」 男がそう発言した直後のことだった。
男はゴッドファーザーであり、実の父だが、どうやら相当に嫌われているらしい。学校に来て欲しくないらしい。この女は何をそんなに嫌がっているのだろうか? もしかしたらこんな想像をしているのかなぁ? ちょうど良いサンプルが見つかりましたよ。 
モンスターペアレント4 哀川翔
http://www.dailymotion.com/video/xqi1qq_monster-parent-04_fun
開始1分でいきなり笑える。日本に居ないから授業参観に行けないのだが、知らぬが仏。もし気軽に授業参観に行ける立場だったとしたら、私も他人ごとではないな。 そこの教育熱心なお父さん! あなたは大丈夫ですか?
哀川「先生は教師になられて何年目ですか? あなたは担任として息子の能力最大限に伸していく授業を行う義務と責任がある。」
うーん、やっぱり詳細部分で私とは考え方が異なるようだ。
たかが、”一地方公務員”に能力を伸ばす教育など期待しておりません。ただし、子供の知的好奇心を阻害するような言動を私は許さない
哀川「それと、寺田先生、数という字。あれ書き順が違いますよ。」
平岡「あ・・・書き順くらいは・・・」
哀川「子供たちが間違って覚えたらどうするんですか?」
香港テイストな意見を述べよう。
漢字の書き順が大事な理由。それは字としての造形美を追求するだけではない。現代において、Pin-Yinで書けない場合は、携帯電話の漢字部品ボタンを組み合わせて漢字を書くことになるが、正しい書き順で書かないと検索候補にあがって来ない
哀川「図工なんて科目は英二郎には必要ないんです。医学部の受験科目に図工なんかありませんよ。」
シンガポールテイストな意見。アジア圏に住んでいると考え変わるわなぁ・・・
図工は確かに受験科目には存在しない。しかし、義務教育に図工が存在しない国家の民を見たことがあるかね? 缶の絵すら満足に書けない立体感覚で、医者として人の体を看ることができるとお思いですか?
米倉「そもそも参観日でもないのに、親が授業にいていいわけ?」
平岡「最近は開かれた学校をモットーですから、親が授業を見せてと言ったら学校は拒否できないのです。」
こういうこと聞くと、授業参観したくなるよなぁ。
もう一個の問題。親が二人いることから逃れられない問題。二人の人間の価値観の相異、教育方針の相異から生まれる衝突。壮絶に異なる価値観の間で揺れ動く子供たちの姿は、恐怖そのものかもしれない。
23分の奇跡 賀来千香子
http://www.tudou.com/listplay/UkK5Eeyf_q0/waD7ihtSCKo.html
どんな話をするの?
平等と自由と平和のお話し!
でも・・・平等ってどういうこと? どうして大事なんだろう? 意味がわからないで難しい言葉を使うのは良くないと思うな。
もしみんながこの服を気に入ってくれたら、この制服を着て良いのよ。そしたら今日は何を着て学校に行こうかなんて考えなくてすむわよね。みんな同じで・・・、それがこの平等ということじゃない?
お祈りしたから出て来たんじゃないんだ。先生が袋から出して配ったんだ!
そう・・・、誰にお祈りしたって本当は何も出てこないってこと。もし何かしてくれるひとがいるとすれば、それは神様なんかじゃなくて、先生とか誰か他の人の力なの!
今から新しい教科書と制服を配ります。みんなのはどうする? 教科書は2つも要らないよねぇ。競争、全部破くの。破き終わった人からこれを取りに前に来てください。
【一族家の教育方針】
2012.11.16 北京・ハルビンに行ってきました 11/13 ~中国の赤ちゃん
2012.04.19|真面目系クズについて 2/2
2012.02.13: タイ旅行 3/11~地図クイズ
2011.09.16: 最近の若い衆は
2011.06.24: カラオケと義務教育
2010.11.17: 知られざる技術大国イスラエルの頭脳
2010.08.06: 学業は良い子の遊びじゃねぇんだよ
2009.09.17: 名前をカタカナや漢字で書いてはならない
2009.07.29: 学成り難し
2009.04.08: 試験の評価がスペシャリストを殺す



ACAL(アジア一国一愛人構想)進捗状況

ACAL(アジア一国一愛人構想、「エイカル」と発音してください)は、日本、中国、香港、タイと着実に南下し拡大していたが、ここ最近停滞気味である。その理由を明確な言葉で説明していたのがマハティールである。いわゆる東南アジア圏と中国文化圏の違いに私も悩まされている。

昔から温暖で豊な土地で暮らしてきたマレー人は、あまり働かなくても生きていけた。そのため経済観念などほとんどなかったといってよい。一方中国人たちは中国南部の貧しい土地から裸一貫でやってきた人たちである。誰もが一旗あげようと死に物狂いで働いた。この両者を同じスタートラインに立たせて競わせれば結果は火を見よりも明らかである。

この記事は一年以上前に書いたのだが、あまりに”くだらない妄想”のため、ボツにしようと思っていたが、今月は偶然にもアジア最重要二カ国である中国とインドネシアに潜伏中でACALを実践中であり、記事を書く時間が取れないので1年の禁を破って公開することにした。常連読者には申し訳ないくらいの”妄想系”なので今日は読み飛ばしてくれてかまわない。
契約、約束、時間の概念が希薄な彼らとの関係は極めて難しく、怒涛の南進も一時停軍するほどの苦戦である。さらに男尊女卑も強くあり、自立した女性、自らの意思を主張する女性、自らの意見をはっきり言う女性を求めるのはほとんど絶望的で、私の言うことに対して、”No”というのも憚られるくらいの勢いがある。「できること、同意することならYes、できないこと、同意しないならNoと言ってくれ」から始めなければならず、「良い女というのは自分より劣った何もできない女ではない。俺のルールはシンプル。私よりも優れ、何でもできるのが良い女。わかりやすいでしょ?」などという私の主張は通じる気配もない。(まぁ、これは日本でも「理屈はわかるけど、そんな女居ないよ」みたいなレスが多い)
人口に比例して国家の重要度は高まる傾向にあるので、アジアの二大巨頭である中国とインドネシアは重点的に拡大させたいところであったが、インドネシアは相当に苦戦しているのが現状である。貧困層の厚みは十分なので「お手当てさえもらえればずっと待っています」という愛人候補生には、事欠かないのは事実で、かつ、維持費もかなり安いのだが、砂漠にジョウロで水まいてる感覚に陥るのが、今ひとつ決断を鈍らせる。愛人であるからには関係は長期に渡る。だからこその維持費なのだ。一発勝負なら現地調達すれば良いだけの話だ。となると資金を拠出するならば、パートナーとしての資質が問題になってくる。
indonesian-lady.jpg
長期的愛人に求めるパートナーとしての資質はねぇ、うーん、そうだなー。国内テロ組織のリーダーもしくはリーダー格で、組織の資金・物資調達部分を専門とされていて、3つのパスポートを持ち、7つの言語を自在に操り、antiマネロンに非協力的な国々の銀行を飛び回りながら、麻薬組織、旧ソ連製の武器取引を行い、武器・戦闘機・戦車の操作、爆薬や麻薬の製造、武道にも精通しているという。そして、彼らの武装・闘争地域が分離独立した際には、彼女には莫大なる石油利権が転がり込むと囁かれている。
んなのいねーよ! というつっこみが聞こえてきそうなので、もう少しありそうな感じで。うーん、そうだなー。とある事業会社の個人筆頭株主兼代表取締役。農村部出身、学歴は小卒という叩き上げで、前社長死亡とともに現在の地位に就任し、以後爆発的な勢いで会社を成長させてきたという。しかし、その成長の裏側には政府との不透明な取引(公共事業の受注の際の贈収賄や受注価格の正当性)、不可解なM&A(特に目立ったのは旧国営企業の払い下げ価格が、保有不動産価格だけで評価しても不自然なまでに割安だった)などの疑いが外国報道で一時的にニュースになったことがある。
とかね。まー、なんでこんな人が俺の愛人になるんだ? というツッコミに対してはこう答えよう。ACAL(アジア一国一愛人構想)はアジア各国に愛人がいる。なのであって、俺の愛人とは言ってない。俺が愛人だ! こういう人に関しては。俺のJapan Passportと禁欲的な姿勢が彼女に貢献できるなら、協力は惜しまないと言っているんだ!
例にしても二人の女性がクロすぎるのはなぜか。俺の信条として、儲けというのはあんまり全うにやってても生まれないと思ってるからね。斬新なアイディア、素晴らしいビジネスモデル、大いに結構なんだがねぇ。儲ける、勝負に勝つっていうのはそんな甘いもんじゃないと思うんだわ。
ん? 待てよ。この発想で行くと愛人の資質を満たす女は、日本含む東アジア領域でも、見たことないってことを思い出した。おーし、わかった。もっと参入障壁を下げよう。うーんと妥協して、キャッシュフローポジティブ≧0。0含むがポイント。
ん? キャッシュフローポジティブって、俺に金くれる愛人か。随分ご都合主義だなー。ACALの根本から建て直しかな・・・続く・・・
【海外労働関連記事】
2012.06.11|ヒトラーのシグナル スパイ物語
2012.03.23: KTVデビューしました 2/5 ~タイキャバとOTC契約
2011.06.30: お料理シリーズ 朝食バリエーション
2011.02.24: アジア発展の構図 ~NIESの発展 2/4
2010.10.27: 破壊工作 大韓航空機「爆破」事件
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2010.06.18: 深夜特急2 マレー半島・シンガポール
2010.04.16: おら日本さいくだ from 特別行政区
2010.01.22: 駐在員・特派員・工作員・外国人労働者の違いを説明せよ
2009.05.15: 納税通知書が来た
2009.05.13: 所得控除
2009.03.11: 海外駐在員を応援する
2009.01.28: Globalに通ずる現地化度Check試験設問2
2009.01.27: Globalに通ずる現地化度Check試験設問


中国人の大学生 レイちゃんと話しました

スカイプをやっていたら、日本の大学で経済を勉強している中国の留学生がいるんだが、話してみないかと言われたので会議してみました。
「中国の国費留学生ですか? だとしたら中国のエリートですね。」と問いただすと、
「エリートではないんです。名古屋のあまり有名でない大学に留学してます」と謙虚に答えるので、
「では、お父様は警察か軍の関係者ですか?」と執拗に迫ったら、そういうことらしいです。中国の軍隊、やはり噂に違わぬ権力を奮っているようだ。
話す中で私の気を引いたのは、「中国にはブランドがない。日本にはブランドがたくさんある。トヨタ、シャープ、パナソニック・・・。私は中国にブランドと産業を作りたい。」 その気持ちでトヨタの電気自動車の開発と販売について考えているというではないか!
日を改めて、レイちゃんに声をかけてみました。日本の男といえば「レイちゃーん、今度水族館一緒に行こうよー」などとナンパしてくる男ばかりと中国の女性に思われてはなりません。90分の議論の際のチャットが残っていますので、その記録と共に会話を再現してみましょう。まずは並んでる文字列を見ていただきましょう。
[23:08:14] エキゾ: 戻りました
[23:09:10] レイち: お帰りなさい~~
[23:09:30] *** Call from レイち ***
[23:12:20] エキゾ: 江沢民 *1
[23:13:29] エキゾ: 孔子、孫子
[23:14:13] エキゾ: 温
[23:14:18] エキゾ: 家宝 
[23:15:57] レイち: 国務院 *2
[23:17:02] エキゾ: 内閣
[23:17:14] エキゾ: 行政
[23:17:25] エキゾ: 内閣=行政
[23:17:32] エキゾ: 国会=立法
[23:19:03] レイち: 代表大会
[23:19:05] エキゾ: 議会(ぎかい)は、一般的には審議・議決を経て法律を制定する(立法)集会・会議。
[23:20:56] エキゾ: 国務院=行政機関=内閣
[23:21:06] エキゾ: 人民代表大会=立法=国会
[23:21:32] レイち: 民生 
[23:25:38] レイち: http://www.shtong.gov.cn/node2/node2245/node64804/node64811/node64865/node64873/userobject1ai59136.html
[23:26:05] エキゾ: 宋慶齢 
[23:26:29] レイち: 吴仪
[23:26:58] レイち: http://news.xinhuanet.com/ziliao/2002-01/16/content_240618.htm
[23:30:30] エキゾ: 劉備元徳 *3
[23:30:44] エキゾ: 諸葛領公明
[23:30:55] レイち: 亮
[23:31:02] レイち: 孔明
[23:32:12] レイち: 玄德
[23:34:06] エキゾ: 清
[23:34:12] エキゾ: 明
[23:34:18] エキゾ: 宋
[23:34:22] エキゾ: 元
[23:34:30] エキゾ: 唐
[23:34:37] エキゾ: 隋
[23:36:52] エキゾ: 独裁者
[23:40:49] レイち: 90
[23:42:32] エキゾ: 信頼
[23:42:39] エキゾ: 尊さ
[23:48:21] エキゾ: 金融 *4
[23:48:26] エキゾ: 基金
[23:48:28] エキゾ: Fund
[23:48:53] エキゾ: 中国石油
[23:49:48] エキゾ: 省
[23:50:05] エキゾ: 中国工商銀行
[23:50:11] エキゾ: 合衆国
[23:51:52] エキゾ: 商業銀行
[23:51:56] エキゾ: 投資銀行
[23:52:39] エキゾ: 企業合併
[23:56:46] エキゾ: LV
[23:58:18] エキゾ: 天安門事件 *5
[0:03:33] レイち: 信用
[0:03:39] レイち: 会計
[0:04:45] エキゾ: 会計基準
[0:06:53] エキゾ: GDP
[0:07:02] エキゾ: 三面等価
[0:07:50] エキゾ: 支出=生産額=分配
[0:08:25] エキゾ: 国家会計
[0:08:35] エキゾ: 企業会計
[0:09:30] エキゾ: EUR
[0:09:33] エキゾ: CNY
*1
この前、言い忘れたことがありまして、ぜひ覚えて欲しい日本語があるんですよ。助数詞より優先して欲しい日本語は「中国人の名前」です。モウタクトウはご存知ですか? そう、中国の読みと違うんです。モウタクトウを知らない日本人はいません。ところが毛沢東と中国読みできる日本人はほとんどいないのです。英語で中国のことを話す時に困っている日本人が多いはずです。私がそうでした。中国のこと、当然知ってます。でも話すのが難しいのです。
レイちゃんが答えて曰く「毛沢東を知らない人もいると思います。」
いえ、いたとしてもちょっと変わった人ですね。日本人なら毛沢東は常識的にみんな知っています。
レイちゃんが答えて曰く「でも若い人は政治にあまり関心がないし・・・。そう、この前大学で、中国の教授が来て、中国の政治について話したのですが、日本語通訳がかなりおかしくて、みんな理解できませんでした。私はとても恥ずかしかったです。」
*2
レイちゃん「国務院と言ってなんだかわかりますか?
ムムッ・・・なんとなくわかるのですが、確かに正確な意味がわかりません。今、調べたところによると日本語で言う内閣。国務院とは行政機関ですね? 対して立法機関のことを日本では国会と言っています
レイちゃん「おそらくそれは代表大会、議会とは何ですか?」
議会とは立法の会議を示すので国会会議を意味し、3月にやる人民代表大会と同じと思ってもらってかまいません。
レイちゃん「こういうことを話す時、中国では民生問題と言いますが、わかりますか?」
いいえ、民生という言葉は日本ではあまり一般的ではないですね、政治の問題と言いますし、私は民生と聞くと真っ先に頭に浮かぶのは共産党です。
レイちゃん「中国を変えるには、政治家にならないと・・・」
レイちゃんのような優秀な女性が、中国には多いと思っていますが、中国の人民代表大会に女性はどのくらいいますか?
レイちゃん 「ちょっとわからないですが、調べます。上海のが見つかりました。これです。」
ふむ、約20%ですね。思ったより少ない。30-40%を期待しましたが・・・人民代表大会は3000人だから約600人の狭き門か。やはりいきなり政治家になるのは難しいのではないでしょうか? まずは地方政治、その前に企業、その前にもっと小さな中小企業から始めて、皆さんにハッピーになってもらって、その範囲を拡大していくものだと思います。おっと・・・、ちょっと古いんですけどねぇ、人民代表大会の1975-78年の委員長をつとめられた、宋慶齢はご存知ですか? 私が考えている中国の優秀な女性のうちの一人ですね。
レイちゃん「宋慶齢は知っています。今有名なのは、吴仪です。とても有名ですが、知っていますか?」
ぐっ・・・勉強不足で申し訳ありません。存じ上げません。ほら・・・、中国語なので詳しいことわかりませんが、彼女も石油の事業で大成功を収めて政治の世界で有名になっているわけですよね。
*3
レイちゃん「中国人は嫌われているような気がします。なぜですか?」
そんなことはないのですけどね。そういう人もいます。なぜかというと日本に来ている悪い中国人がいて、その人たちのことだけがニュースになり、優秀な中国人が注目されてないからです。私の周りには悪い中国人はいなくて、逆にエリート中国人しか知りませんから、私の中国の印象はとても良いのです。それに中国が嫌いという面もあるのですが、中国が好きという人も多くいます。私は清王朝から中国への変換期が一番好きですが、日本で一番人気があるのは三国志です。私はあまり詳しくないので知らないのですが、劉備とか曹操だけでなく、細かい武将まで知っている人もいますよ。」
レイちゃん「私も三国劇は見たことありますが、それほど詳しくありません。確かに日本では、三国無双ですね・・・、よく見ます。私は中国の歴史の中で、清末の時代が一番嫌いです。一番貧しく、多くの民が苦しみ、世界中から中国がいじめられていた時代。あのようなことを繰り返さないようにしようという教育的価値は認めますが、歴史としては最低の時代だったと思っています。」
そう、中国の長い歴史、王朝の名前も英語で言う時は苦戦しますね。清は我々はシンと発音していますが、英語だとチンですね。おそらく中国音に近いのではないですか? それが通じなかった時、英語で中国の歴史を語るのがとても難しくなるのです。明王朝が西暦何年から何年までの王朝か覚えていれば、それで会話になるかもしれませんが、それを覚えていなければ? 皇帝の名前も日本語読みでは通じないのです。もっと最近でも良いですよ。毛沢東が通じないとしましょう。ほら、文化大革命の毛沢東。独裁者の毛沢東、中国人民共和国を作った男。と説明するわけですが、独裁者なんて英語でパッというの難しい単語でしょう?
レイちゃん「1990年以降に生まれた若者はだらしがなくて恥をかいている。例えば、みんなで遊ぶ時に遅刻してくるのはそいつらで、私はとても恥ずかしい思いをしています。」
確かに、礼節をわきまえなかったり、騙そうとしたりする中国人も多くいるのは知っています。しかし、キチンと教育を受けた人、中国のエリートは信頼の尊さを理解しているというのが、私が中国の人と接した印象です。
*4
レイちゃん「中国にはたくさんの中小企業があり、中小企業がよくならないと中国はよくならない。中国の中小企業の弱点は何だと思いますか?」
ぐぐっ・・・私は金融、ファンドで運用する仕事で、中国の株も見ていますが、私は仕事の都合上、どうしても大きい会社だけしかしらないのです。一番大きい会社はペトロチャイナ、中国語で言うと・・・、うーんパッと出てこないな。でもオイルは業界が違うのでどちらかというと金融機関の弱点なら説明できると思います。中国で一番大きい銀行は中国工商銀行、まず1番目の弱点としては、省が違えば国が違う。こういう感覚を持っていると思うのです。
レイちゃん「アメリカみたいな?」
そうです、おっしゃるとおりです! アメリカ合衆国というのですが、私には中国合衆国というのがふさわしいのではないかと思っています。レイちゃんの住んでいた黒龍江省と一方で南の広東省。顔をも違えば、言葉まで違いますよね? 中国はあまりにも大きすぎて、省が違うだけでも、国をまたぐ感覚なので、一つの銀行で預金を下ろすだけでも、省が違うと手数料がかかってしまうという点から考えても、もはや別の国のブランチとみなされていると思うのです。一つの国、そして一つの巨大な企業のように見えても、実態は寄せ集めで、統一感はないのではないか? という点です。そして2点目は、中国の銀行は商業銀行であって、投資銀行はありません。投資銀行とは、M&A、要するに合併のお手伝いをしたり、株や債券を新たに発行するという”投資”の性格を持つ銀行です。その国際業務が弱いと思うのです。例えば、日本で中国工商銀行と言って通じますか? 誰も知らないですよね? それが中国の銀行の弱点です。 レイちゃんが問題提起していたブランドに帰着しましたね。そしてこれはおそらく銀行だけの問題ではない。ブランドとして認知されていない。銀行を例にとって話しましたが、その2点が中国の大企業の弱点だと思っています。
レイちゃん「やっぱり中国はブランドがないなぁ。どうしてできないんだろう? アメリカや日本はすごいなぁ。」
たしかにそうですね。でもそれ中国だけの問題じゃないですよ。実は。アジアの国を見てください。ヨーロッパの国を見てください。そこにブランドはあるのですか? 一般の人が知っているのはどうせお洋服と車くらいでしょう? それは株の世界ではそれほど大きくないのです。LVMHは少し存在感がありますけどね。アメリカのアップル、マクドナルド、コカコーラ、マイクロソフト、IBM、世界中で知られているブランド、すなわち超一流企業ですが、そんなものはほとんどの国が実はもっていませんよ。
*5
レイちゃん「中国は30年前の日本と言われていますが、どう思いますか?」
うーん、私はねぇ、国家というものを一くくりにすると問題があると思っています。シンガポールという国は人口400万人の小さな国です。その国と人口1億かかえる日本とは根本的に違うので、比較対象として適切でない思うのですよ。中国と日本もそのくらい規模が違うので、今となっては中国はアメリカと比較するしかない。例えば、天安門事件一つとっても、日本でも同時期に学生運動が盛んでした。日本では警察、でも中国では警察じゃすまないでしょう? 軍隊が出てそれを押さえる。日本という国は、日本がバラバラになってしまうことはあまり考えられてないリスクですが、中国の偉い人は、そのことを一番恐れているのではないですか? 例えていうならば、寿命が違う犬と人間を比べて、この犬はこの人間の10年前と似ていると言っている様に聞こえるのです。
レイちゃん「もう一度、中小企業の問題に戻ります。私が聞いている限りだと、信用と会計に問題がある。もっとキチンとしないといけないのではないかと思っています。政府としてどう取り組むのか? 対応方法がわからないですね。」
うーん、それは実は大企業や政府にも問題があって、中小企業だけの問題ではありません。会計基準というのは法律なので、その国ごとに定めるものですが、中国の会計基準はあまり世の中のスタンダードではないと思われています。例で言えば、サブプライム問題とリーマンショックというのがありましたが中国銀行はサブプライム証券を持っているという噂が流れたのですが、最後まで大きな損失は出さずに決算を終えています。これホントなのですか? どういう評価をしているのですか? とみんなが疑問に思っています。それから致命的なのはGDPという数値があります。これは政府が公表する経済指標ですが、これは通常三面等価が満たされていて、3つの方法で正しく計算すれば合致するはずなのに、中国には3つのGDPが存在するとか・・・。これではなかなか信用してもらえないではないですか。
レイちゃん「ギリシャも嘘をついている。」
そうですね、でもギリシャは根本的に問題が違います。あの国は自分で自分の国通貨を刷れるわけではないので人民元とはまったく別の構造です。・・・続く、
そういえば、中国の唯一の女性の知人、この人の話もしたな。「すごい女性ですね」ってレイちゃんもびびってたよ。
http://www.ichizoku.net/2008/05/post-68.html
いやー、私は、たまたますごい中国人しか知らないんでね、中国の印象が良いんです。
レイちゃん「いやー、エキゾさんもすごい人だと思っています。いろいろな人と話すと勉強になるなぁと思います。」
レイちゃんも「中国に将来ブランドを作る」という大義をもって今勉強しているその姿勢は素晴らしいと思っています。かつ、日本語を話して、日本で勉強してくれているのなら、なおさら私は応援したいという気持ちなのです。これからも勉強頑張ってください。
【アジア・中国文化・思想圏】
2012.03.02|東莞(ドンガン)ナイト 中国の大和撫子
2011.12.22: 宋姉妹 中国を支配した華麗なる一族1/2 ~宋家創世記
2011.08.11: 金賢姫全告白 いま、女として6/6 ~中国とマカオの思い出
2011.01.21: 項羽と劉邦 ~軍神の伝説
2010.02.19: マラッカ(マレーシア)旅行 ~KL、マラッカ観光編
2009.07.22: タイ旅行 農業と宗教vs金融と資本主義
2009.07.21: タイ旅行 究極の製造業である農業
2009.07.08: 世界一レベルの低いDerivatives Investorが生まれた理由
2009.07.07: 世界一レベルの低いDerivatives Investor
2008.05.13: 語録 ~中国のお友達






真面目系クズについて 2/2

真面目系クズと教育
俺が受けてきた教育ではなく、投資一族の教育方針と反対すぎてこれも笑える。

真面目系クズは幼年期の親の教育が屈折が屈折しすぎてるのが原因だと思う。マナーや規律に関して子供に「なぜ、そうしなければいけないのか」という理由を明確に説明しないまま強要し、子供に強要したのにもかかわらず「できて当然」と言わんばかりに褒めたりしない。他人と比べるのが大好きで、とくにマナーや規律や常識を逸脱する人間を徹底的に見下す。子供に強要した規律を逸脱する人間がいた場合 「他の人が迷惑だからああいう事はしてはいけない」といった感じで具体的に指摘するのではなく、「ああいう人間にはなっちゃいけません」というふうに「規律を守れない=自分より格下の人間」なんだと思い込ませようとする

例え理解できない年齢であっても、真摯に理由を説明する。マナーや規律も盲目的にそれを守ることではなく、なぜその規律が必要なのかを理解することが一番大切。規律が乱れた国家の社会効率の悪さを体感すれば、自分はどのように行動すべきかわかるはず。他人と比べるのは良いことだと思うが、まず比較に値するものを自分の中に確立せよ。

ちょっと子供がある分野で他の子よりできる事を確信すると「才能」という言葉だけで伸ばそうとする。褒める時は「すごい!」「えらい!」とかわかりやすく子供ががんばった事を称えるのではなく「やればできる!」とか「才能がある!」とか努力のしがいを全く感じられない褒め方をする。そのくせ子供が「好きだ」という事に並程度しか能力を感じられなかったり自分が知らない分野だったりしたら「やってみれば?」と興味関心のないそぶりをして無視をするか頭ごなしに「やっても無駄」と決めつけて子供の主張や個性を伸ばそうとはしない

「他の子より・・・」か。同居していれば他の子を知っているかもしれないが、別居していると知らない。一歩でも前進・進歩していることが褒める基準。「お前なら理解できると思うが・・・」を枕詞に話し始める癖は、圧力になるのでよくないのはわかっているが、期待と褒める意味で、たまにやってしまう。

勉強に関しては大事な所だけ放任主義
子供が率先して目標を達成した時、どんなに小さな事でも褒めてやれば次への足がかりになるのに目標を達成させる事を強要する割には目立った目標でなければ「できて当然」という姿勢を崩さない

滅多に会わないからか、成長していると微笑ましい。できて当然という理屈で言うと、天才でもない限り、永遠に褒めることはない。
真面目系クズとエゴグラム
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120326/p1
冒頭のリンク先には、この真面目系クズに該当するであろう当事者がエゴグラムをやってみた結果が張り出してある。その結果が興味深いものだったので紹介する。
 ・被験者1:bbbaa
 ・被験者2:cbbaa
 ・被験者3:cbcca
 ・被験者4:cccaa
 ・被験者5:cbbba
この五人のエゴグラムの形は全員違っているが、一点で共通している。五つのアルファベットの末尾が全員aになっているのだ。
真面目系クズは (AC)依存性 が高い。

エゴグラムとは、心理テストのようなものであるが、一種占いのようなもので下記のような結果が出てくる。
サイトの診断
心理尺度 素点 段階
CP 厳格的な父親 51点 高い
NP 養成的な母親 34点 普通
A 大人の合理主義 52点 高い
FC 自由な子供度 47点 高い
AC 従順な子供度 22点 かなり低い
被験者1~5までの結果を、加えて私が分析すると、真面目系クズは、CPが低い。Aもやや低い。NPが心持ち低い。FCだけがa-cに分布しており、傾向がないと言えそうだ。a=1,b=0,c=-1とし、真面目系クズ判定指数:=-3×CP-NP-2×A+5×ACくらいで規定し、指数が高いほどクズ適応度が高いということになりそうだ。
私の結果を真面目系クズ判定指数と並べて、他の被験者たちと並べて書くと
 ・エキゾ1:abaac -10 (分家サイトの結果)
 ・エキゾ2:acabc -7 (本家サイトの結果、http://www.egogram-f.jp/seikaku/sin-d.htm)
 ・被験者1:bbbaa 5
 ・被験者2:cbbaa 8
 ・被験者3:cbcca 10
 ・被験者4:cccaa 11 (ちなみにこの人クズ判定指数満点です)
 ・被験者5:cbbba 8
やっぱり5個も変数があるデータよりも一つの数値の方が見やすいと思うのは私だけだろうか。
本家サイトの診断
性格
固定観念の強い人です。何か強い目的意識を常に抱いているタイプで、目的を達成する為には、かなり冷たくマイペースな方法を用いるタイプです。どんな問題を解決するにも情に動かされることは絶対に無い人です。手段を用いるに当って、他人の思惑など殆ど気にしません。
恋愛・結婚
かなり古い昔の結婚観念を持ったタイプです。好きになると、強引な方法で迫ります。ものに成ったからと云って飽きたら棄てて仕舞うという様な事は殆どしません。責任だけはきっちりと取るのです。但し、釣り上げて仕舞うと後は自分のペースに従わせて、やたらに餌を与える事はしないタイプです。
職業適性
仕事第一、規則第一に考えるタイプです。クールさとマイペースの二人三脚で強引に周囲の人を巻きこんで行こうとします。職務上の信頼は高くても、冷たく強引な言動の為に、職場内で浮き上がってしまう可能性があります。検事や科学者等、規則や真理の追求にマイペースで取組める職に就けば、良い結果が得られるでしょう。
対人関係
貴方は周囲の人に何時も一目置かれる存在なのです。それが職務上では一種の尊敬に似た感情なのですが、社交上では、敬遠される存在に早変りするのです。クールさとマイペースさを少し矯正して行かないと、これからの人生を非常に孤独なものにして行くでしょう。
【一族家の教育方針】
2012.02.13: タイ旅行 3/11~地図クイズ
2011.09.16: 最近の若い衆は
2011.06.24: カラオケと義務教育
2010.11.17: 知られざる技術大国イスラエルの頭脳
2010.08.06: 学業は良い子の遊びじゃねぇんだよ
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2009.07.29: 学成り難し
2009.04.08: 試験の評価がスペシャリストを殺す




シェリル・サンドバーグ:何故女性のリーダーは少ないのか

シェリル・サンドバーグ:何故女性のリーダーは少ないのか
http://www.ted.com/talks/lang/ja/sheryl_sandberg_why_we_have_too_few_women_leaders.html
FBのCOOサンドバーグさんの演説を聞いて。サンドバーグさんが優秀な女性であるというのはわかりましたが、少し反論しましょうか。
私は本来、性別によって能力は変わらないという立場ですが、能力の問題ではない原因で多くの(全員ではないと強調します)女性はリーダーになりたがらない性格を持っているという判断をしています。
サンドバーグさんの演説を少し抜粋します。
女性トップは少ない。190人の首脳のうち9人、民間も役員は15~16%。NPOでも20%。
女性は自分の能力を低く見積もってしまう。 
初任給の交渉をする人、男55%、女7%
男性は、出世を自ら勝ち得たものだと思い、女性は外部に要因を求める。
ものすごく要約すると、「女性は、無意識的に、謙虚、消極的で、交渉しない、そのことを認知することから始めるのだ」と言っています。正しいと思います。なぜそうなるのか、改善するのはとても難しいことだということには彼女は触れていません。もちろん、彼女は女性を喚起するために演説しているわけですから、当然でしょうが、私の立場は自由なので、これは根深い問題だと指摘しましょう。
男女の非対称性を出産や育児、家事負担に帰着させる論理は非常によくあるし、彼女も一例として使っています。しかし、その非対称性は出産の前、いわゆるボーイフレンド・ガールフレンドの関係から既に存在してもおかしくありません。知り合い、もしくはお友達の関係から、男と女の関係に発展する過程における、男女の交渉、言い換えれば口説きですが、積極的に口説いて、モノにしたと女性が言える率と男が言える率はどうなるでしょう? もちろん、互いに気が合ってしまい、ほとんど口説きなど必要なく、そうなることもありましょう。同じようなことを言い回しを変えたり、意味の無い会話を挟みつつ、なんとかこぎつけるという口説きをして、男を獲得した女性の比率というのは、組織のトップの比率15%と比べてどうなんでしょう?
そして、男女の関係を経て、婚姻関係になることもあれば、他人やお友達に戻ることもあります。この時、「やられた、やり逃げされた、捨てられた」という台詞を男の口から聞いたことがあるという率はどのくらいでしょうか? すべてが受動態で記述され、対等な関係なら単に「関係が終わった、別れた」と言えばいいのではないでしょうか? これらの台詞の裏には、被害者意識と相手への責任転嫁があり、「私は悪くない、アイツが悪いんだ」という発想は典型的な民の台詞でリーダーには向きません
カップル、たった2人で構成される最小の社会集合体における優劣の構造はどうでしょうか? 主観を排除するために、数値で言うと、年齢や収入、これが高ければ優だと言っているわけではありませんが、客観的に見るためには数値が重要です。男女のカップルだとどちらが高い傾向にあるのでしょうか? 優劣があるとすれば、劣は優を見上げるポジションが好きで、優は劣をカバーするポジションが好きということになりますが、組織のトップというのは、誰を見上げるのでしょう?
幼少の頃から、大人になってからも何十年と続き、繰り返される、男女の交渉、ペア、崩壊という過程で、性別によって、上記の”立ち位置”に偏りがあるすれば、トップ・リーダーに向かない性別が生まれそうな気がします。
私は、全ての女性は口説かれ、責任転嫁し、劣後するポジションを好むと言っているわけではありません。私は男ですが、突進系の女性と出会ったり、私自身が「原因はアイツだろ?」と思っていたり、年齢も収入も上の女性とそうなることもあるわけですから、人それぞれ長い人生の中で、様々な立ち位置を経験していると思っています。私とうまくいった女性は、組織のトップや社長だったわけではありませんが、往々に、トップに向いている気質や行動を取る傾向があったとは思っています。〆は少し馬鹿っぽく、わかりやすくいうと、めんどくさくない良い女ということです。
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中田宏(元横浜市長)とちきりんの対談

中田宏(元横浜市長)とちきりんの対談を読んでいました。聡明なお二人のお話はとても面白く、全部読んでしまいました。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1112/27/news004.html
私は恥ずかしながら、自分の住んでいた市の市長など、意識したこともなく、誰が市長なのか言えませんでした。それは誰がやっても市政が変わるわけではなく、生活に何の影響もなかったからです。その意味では国政も同じなのですが、報道はさかんにされるところが地方政治との違いです。
私が中田市長を知るきっかけになった事件、つまり、市民の一般生活にまで影響を及ぼした地方行政とは何だったのか? 
日本に帰って友人に
「おい、赤線行くぞ」
「もう、ねぇよ・・・」
「なに?」
「つぶされたんだよ・・・」
「つぶされただと? この俺がちょっと外に出ている隙に・・・姑息な。誰がやったんだッ!」(ワナワナ)
「ナカダってヤツ」
「どこのもんだッ!」(プルプル)
「市長だよ」
「え?・・・」
「今じゃ、あの辺り一帯、24時間パトカーとオマワリ配備してるよ」
ぐぐぐ・・・なんということを・・・。許せん! と思いつつも、誰も手が出せない治外法権地区。町の風紀が乱れるなどという戯言を言う人以外には、需要だけでなく供給もあり、、誰にも迷惑かけない素晴らしい産業で、それをつぶすというのは良い度胸。当時の赤線地区を知っている人はわかると思いますが、立ちんぼストリート、ちょんの間、風俗店とあらゆる形態のタイプが存在し、風俗店しかない歌舞伎町などとは一味違う発展をみせており、それに立ち向かうというのは大変なことだったと思います。私はそんなきっかけ、「横浜の赤線地区をつぶした中田市長」に興味がわいたのです。
このサイト かなり詳しいです。ハイ。
http://tokyodeep.info/2008/08/27/201405.html
さて、話はうってかわって恐縮ですが、ちきりんとの対談の中で、気になるポイントを一つだけ見つけました。(ちきりんの発言ですが)
○○ちゃんが持っているから、私もほしい
ちきりん:でもしっかりした家なら「○○ちゃんが持っているから、私もほしい」などと言うと、親に怒られますよ。「○○ちゃんの家は○○ちゃんの家。ウチの家はウチの家だ」と、私もよく親に言われました(笑)。
私が子供の頃、私も「ウチの家はウチの家」とよく親に言われましたが、子供心に「じゃウチは変なの?」と思うだけで説明になってないと思うのです。道理が通らないことで子供に接しているのに「しっかりした家」ですか?
投資一族の方針では、このように親は答えるのが理想的です。
「○○ちゃんが持っているから、は理由にならない。お前がなぜ欲しいと思っているのか? 俺は、それを聞きたいのだよ。」
一般に、「あれ欲しい」というおねだりは子供なら誰しも安易にしてくるものだが、そういう時は・・・
「なんで? 今、持っているおもちゃじゃ駄目で、それは、どれだけ楽しいのか? 俺にわかるように説明して欲しいな。」
欲しいと思う商品の素晴らしさを、子供なりにプレゼンテーションさせること。もう一つここにある重要なポイントは、反省です。今持っているおもちゃは親が自発的に買ったものではなく、過去のおねだりの累積です。なぜ、今のおもちゃに不満なのですか? 買えというから買ったのに、もう飽きてしまったのですか? 過去のおねだりに問題はなかったのですか? その点を十分に反省し、今回のおねだりに反映されてますか?
このように徹底して追及して、オヤジが買ってくれなかったのではなく、おもちゃを買わなかったのは、自分の要求が不適切だったからと、子供自身に納得させることです。プレゼンテーションだけなら成功率が高いが、過去のおねだりをつかれて、綺麗に逃げられる子供が居たとしたら、それは才覚ありますw。ちなみに一族家では、子供のおねだりを父が承認し、おもちゃを買い与えたことはありません。そこまでのプレゼンテーションと反省が見受けられないからです。しかし、もう一方の親が、安易に買ってしまうので、この素晴らしい教育方針も効果半減なのですがね・・・。
【治外法権領域】
2011.08.18: 実録アヘン戦争 2/4 ~貿易
2011.07.11: 父親の条件1/4 ~父の冷徹さと過剰期待
2011.04.15: 山口組6代目組長が5年ぶり出所へ
2010.11.11: 宗教から読む国際政治 ~アメリカ・ユダヤ人社会
2010.09.29: 世界四大宗教の経済学 ~イスラム教と仏教
2010.07.29: 闇権力の執行人 ~対検察
2010.02.22: マラッカ(マレーシア)旅行 ~マレー鉄道編
2010.02.15: 通信隊 それは陸のOff-Shore 
2010.01.28: 無法地帯は違法地帯。合法的な無法地帯とは? 
2010.01.14: 転がる香港に苔は生えない 
2009.08.17: インド旅行 前哨戦 Visaの取得 
2008.09.19: 大使館のあり方 
2008.04.15: 国境 ~統治権の狭間 
2008.01.12: Macau for Family ~香港に住む男のための同伴者と行くマカオツアー




購買力平価で計れば日本は決して豊かではない?

イヤイヤ、やっぱり物価も高いし、購買力平価で計れば日本は決して豊かではないんだという反論もあるでしょう。
また引用しましょう。大前研一 ロウアーミドルの衝撃より

ロウアーミドルの時代に企業が打つべき手を検討してきたが、最低限求められるのはセンスの良い商品を低価格で提供することである。しかし、日本企業のほとんどはそれに耐えられるだけのコスト構造を築けてはいない。その主な原因は行政による規制、そして日本独自の流通システムにあると考えられる。日本では製造原価の安い海外で生産しても、日本に持ってくる時、商社が入り、国内にもってきてからも流通業者が入り、場合によっては卸が間に入る。これでは消費者が良い製品を安く買うことなどできない。じつはユニクロが急成長した理由もここにある。ユニクロは中国で生産価格1050円のフリースを日本に持ってきて1900円で売り350円儲かる直販の仕組みを構築している。同じものを作っても大手スーパーなら3900円とか4000円で売らなければ利益が出ないだろう。

いやー、良い例ですね。ユニクロですか。私も同意見ですね。商社にお勤めの方、あるいは商社株をお持ちの方、存在意義を教えて欲しいです。
この流通改革だけでなく、本を通して、ボーダレス化・サイバー化で、規制撤廃・道州制と小さな政府をというよくありがちな主張をしています。
国が無駄遣い、生活保護はけしからんとよく言われていますが、本当の競争社会、無駄のない効率的な社会が実現したら、国民の8割は年収80万円以下の貧困層になります。中産階級で踏みとどまれる人はわずかに2500万人です。確かに大前研一さんの言うとおり、年収400万円でも立派なブルジョアジーで、がんばれば車が買えちゃうという、神様のような生活ができます。ボーダレス化とグローバリゼーションにより効率的になり、世界標準に近づいていくとしたら、この日本人には信じらないような貧困層と中産階級の格差は、実は世界で標準的な格差(分布)ですから、今現在はそれよりも格差は遥かに弱いということが先日お伝えしたかったことです。
しかし、忘れてはならないのは、民は、国家や企業の無駄遣い(規制や非効率性)によって、中産階級にとどまることができているということです。ベーシックインカムの導入を議論している人も居るようですが、もう導入済みです。(笑
給料が上がらない、政治が悪いなどと不平を言っている民は改めて、雇用主や国家の所得再配分に感謝したほうが良いのです。その再配分を少し変えるだけで、文句を言っている民の80%が、インドや中国、そして世界標準と同じ「貧困層」になることを忘れてはいけません。私は日本の非効率な分配制度を支持します。世界で稀少な所得分布を、ずっと見続けたいからです。その制度が維持できるのか? それで成長ができるのか? そんなことはわからないし、それを机上で予想し論じることには、興味もありません。その特異な分配制度の根源にある日本人の共和・協調精神は素晴らしいし、独自性があります。その非効率性が独自な競争力になりうるし、ボーダーレス時代の最良の選択肢ということも否定できないと考えているのです。

日本人の偏見はさまざまな分野に浸透している。例えば東京の住宅価格はなぜか東京の東側よりも西側の方が圧倒的に高い。大手町からの所要時間で比較すると西へ15分いくと青山や六本木あたり、もう少し離れても代官山あたりでいずれも超のつく高級地である。ところが東へ15分ならば東陽町とか木場で、地価も家賃も西側の半分どころか1/4になってしまう。首都圏の路線価格表は偏見マップのようなものだ。中央線沿線も高級住宅地と言われているが、あの通勤地獄を見れば「高級」とはお世辞にも言えない。

私も同意見だったのですが、震災後の今となっては液状化がどうのというのは東側が深刻だったのではないかと推測します。また通勤地獄が土地の価値に与える影響は思うより少ない気がします。なぜならば家を買いたがるのは女、つまり奥さんだからです。「だって私はほとんど家にいるんだよ、私の言うことも聞いて」という会話が少なからずあると聞いています。東西の不自然なまでの価格差は、通勤地獄なんて関係ない主婦によって需給が作られている影響が小さくないことの証明でしょう。

日本の消費者は無意味なことにこだわって自分の首を絞めている。たとえば、苺の粒が揃っていなければ買わないなど、味とはまったく別の次元で商品を選択し、結果的に商品の価格を高くしてしまっている。サクランボやメロンを桐の箱に入れて売っているのも日本だけだ。せんべいなども多重包装されている。ゴミ箱に捨てるものにも金を払うという神経も日本ならでは特異現象だ。最近は無農薬野菜がもてはやされているが、出回っている無農薬野菜の多くは、農薬指定されていない他の薬品を使って栽培しているに過ぎない。本当に無農薬で栽培するとスーパーでうられているようなまっすぐなキュウリやトマトは作ることができないからだ。

これ、俺が言ってるんじゃないぞ。大前研一の本の写しだ。コピペして世論にしておいてくれ。

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大前 研一

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【紳士な恫喝術】
2011.11.28: 利休にたずねよ1/4 ~秀吉のいちやもん
2011.09.08: 投資詐欺 3/3 本職
2011.02.18: 最強ヘッジファンド LTCMの興亡 ~最高の投資機会
2011.01.04: ※注:アジア系の怖い人は来ません!
2010.09.17: 私、写真写り悪いんです
2010.07.06: 夫婦で読むデリオタブログ ~主婦の存在意義と無言の圧力の源泉
2009.11.17: 巨額暗黒資金 全日空M資金スキャンダル2
2009.06.19: プーチンのロシア
2009.02.17: 結婚後、優位な立場を確保する方法2
2009.02.16: 結婚後、優位な立場を確保する方法
2008.07.09: 妹が見た悪夢



世界の話はしていない!国内格差が問題なんだ!と抵抗する方へ

世界の平均で言うなよ、相対貧困率やジニ係数って言葉もあり、国内所得格差の話をしてるんだよ! という反論があるでしょう。
相対貧困率は日本には無用な言葉で、わかりやすく目線を合わせて例を挙げてみましょう。”年収”という言葉が好きなようなので、こうしましょう。ある3人組がこんな会話をしていました。
ゴーン君「俺年収10億」、渡辺君「すげーなー、俺1億円だ。」、清水君「俺3000万円”しか”もらってなくてさ、それなのに国民が俺のこといぢめるんだよ。しかも、もらいすぎとか言われちゃってよぉ。俺辞めたいよぉ。」
この3人の平均は4億円ですが、清水君はこの平均からかなり離れて低い水準の”年収”です。では清水君の「3000万しかもらってない」発言をどう見ますか? いくら平均が高いからと言って、この絶対的水準で低いというのはないでしょう! と怒りがわいてきますよね。彼らは同じ日本に住んでいますが、民とは違う ”責任ある島” の住民と考えましょう。見たこともない社員が、何か問題を起こしたり、天災によって事故が起きたりすれば、無責任な民どもが、「おまえのせいだ!おまえのせいだ!俺は悪くない。全部お前が悪いんだ!」と騒ぐので、それを「そうだね、うまくいってる時はお前のおかげ。うまくいかない時は俺のせいだわ。」と聞いて謝ってあげる、そんな島に住んでいる住民なので、通貨は同じですが、違う国と考えるのが自然です。
例の3人は別世界の住民であるにもかかわらず、多くの日本国民が、「ざけんな!おらー、何が”3000万しか”だ、殺すぞテメー」と思うでしょう? というか思うだけじゃなくて、実際そう発言してますしねぇ。私はそのままその銃口を民に向けようという試みをしているのです。
「俺年収300万円しかもらってねぇ超貧乏」は日本語で書く分には世間の反感は買いませんが、英語で書いたら、もっと言うならヒンズー語で書いたら、今度は貴君らが同じことを言われるということを再認識すべきです。
日本人は賢いから平均という概念を理解して平均と比べてしまう傾向があります。しかし賢いならもう少し勉強して収入や資産額のように非負の対数正規分布の場合には異常な上方分布(日本では柳井さんと孫さんとパチンコ軍団の影響で) 平均は中央値よりも高くなるということも知っておくべきです。それが日本人の体感貧困度の原因です。「日本人よ、平均を見るな、中央値を見よ。」
日本国内にいるので、目に見える隣の日本人や所得平均というデータで貧困を認識しているのなら、90%の人々が37,221ドルを中心として分布しているのです。これは国民平均を見るよりはより中央値に近いと意識改革すれば幾分か楽になります。それでも日本は所得格差がほとんどないので、全体平均と下位90%平均がかなり近い水準ですが・・・
海外における日本人の「おぼっちゃまマーケティング」の例を示すために引用しましょう。大前研一 ロウアーミドルの衝撃より

低所得者層の中でもやや上に位置するロウアーミドルクラス(年収300万~600万)は価格面ではロウアークラス同様の安さを求めるが、「安かろう悪かろう」では納得せずセンスはアッパーミドル向け商品並みのレベルを求める。高品質でセンスの良い商品やサービスに対してはプレミアムを支払うことを厭わない。企業にとって流通をはじめとするコストダウンの仕組みづくりや、あるいはニューラグジュアリーな商品開発力が問われる非常に厳しい市場だといえる。しかし、市場としてもっとも可能性があるのも、このロウアーミドルクラスだ。今、日本ではロウアーミドルクラスが41.5%(2004年)を占める最大のセグメントになっており、今後最も成長が見込まれる魅力的な市場を形成している。

正しい。日本の状態を正しく記述していると思われる。しかし、その厳しい日本市場で、素晴らしい商品開発をした挙句、自信をもって世界にうってでると何が起こるか? 今、日本のメーカーが直面している海外メーカーとの競争。これは、ガラパゴス携帯、サムスン電子との競合などに代表されるように苦戦が続くのは当然だ。なぜか? もう一度言う。日本はほぼ全てが中産階級に属する富裕国家。一般には中産階級はわずかに2割。残りの8割が貧困層であることを忘れてはいけない。ちょっと良いものにプレミアムを払えるブルジョアジーの層は日本人が考えるよりずっと少ない
各層の消費と収入の関係 by 大前研一
LowerMiddileMarket-Original1.png
各層の消費と収入の関係 by 一族エキゾ
LowerMiddileMarket.png
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世界の8割が貧困層

国民の豊かさを示す指標として、よく使うのは、平均所得と一人当たりGNIですが、データがとりやすいという理由だけで、一人当たりGDPを使っても、桁は変わらんだろうということで、それで計算してみましょう。
世界で見た場合、一人当たりGDPは9,000USDです
で先日、年収80万円=10,000USD以下の人を貧困層として定義してみようということでした。既に50%を越える人が貧困層だということは確定です。
GDP-per-head.png
一人当たりGDPが10,000USD以下の国の人口を数えて近似してもいいのですが、分布も若干は考慮したいので、上位10%の所得占有率を使って、上位10%と下位90%の一人当たりGDPを計算してみました。中国も上位10%は14,505USDあるので、貧困層ではない、下位90%は3,257USDなので、中国の90%、12億人が貧困層と、かなりいい加減な近似をしています。
ちなみにこの計算ですと、インドは全員貧困層になるわけですが、確かにあの町を歩くと、ほぼ全員貧困層に見えるので、感覚的にはしっくり来ます。アメリカには貧困層が居ないことになってしまい、この辺りが、ちょっといい加減すぎる推定なのですが・・・
要は・・・80%が貧困層に相当しそうだということが推測できます。
ですから、例の所得による分類というのは、常識的には以下のようになります。
global-dist.png
日本の一人当たりGDPは・・・42,783ドルもある!! 日本の下位90%は37,221ドルです。平均とほとんど差がありません。ちなみに下位90%が日本より高い国はカナダ38,586ドルだけです。オーストラリアやルクセンなどもおそらく高いのですが、人口が少ないので、今回は無視しています。
絶対的な数値のレベルから見ると、日本には貧困層はいない。路上生活者の方がいらっしゃるので、収入は10,000ドルに満たないと定義上は貧困層ですからゼロというのは間違いです。ただ、いない推定としているこのモデルは、直感的に納得できます。麻薬や武器を売っている子供や、寒空の下裸足で物乞いをする幼児、舗装されていない土埃舞う道路に赤ちゃんが置いてあったりする風景を日本で見ることは難しいです。本当の貧困で犠牲になるのは力のない子供です。
ではもう少し身近な例で、こういうことがありました。フィリピン・パブにて・・・
ピーナが私の手を取って言いました。
ピーナ「見てよ、苦労の無い手。彼は働いたことがない!」
わたし「いや、毎日働いてるよ。ではお前の手を見せてみろ。」
ピーナ「私の手は・・・」
と言って恥ずかしそうに手を隠しました。おそらくフィリピンの奥地の農村で小さい頃から農作業を手伝わなければならない環境に育ったのでしょう。現代の日本で、手に苦労が表れている若い女性・・・発見するのはとても難しいと思います。
【世界ランキング・比較 経済】
2011.10.21: 中国の長者番付:資産7200億円
2010.10.12: 世界のトップ企業50 その産業構造から日本の将来を考える
2009.09.02: 2009年World’s BillionairesのPeformance 
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2008.06.30: World Currency Performance 
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2008.01.25: 年初来の株式指数パフォーマンス比較
2008.01.17: 世界の貿易収支






日本はほぼ中産階級だけで構成される類稀な国家

ロウアーミドルの衝撃を読んで・・・一言で最初から斬っていきましょう。
本を読む前に、表紙は見るわな。こう書いてあります。今や日本人の8割が「中流の下」(ロウアーミドル)以下。
そして裏表紙には以下のような円グラフが載っています。
lower-middle.jpeg
私の眼から見れば、この分類はすべて中産階級内の細かい分類に過ぎず、貧困層、中産階級、上流階級で分けたら日本はほぼ100%が中産階級にはいる類稀な国家なのです。
これ言っちゃうと売れるものも売れなくなる。大前研一はそこをわかっていながら、あえてどうでもいい誤差を取り出して煽っている商売人なんだわ。
大前さんの1000万以上でアッパークラスって間違ってるから。(笑、というか爆笑) 下記はWikipediaからの抜粋ですが、一般的なUpper Class=上流階級の解釈としては妥当なところです。
上流階級(じょうりゅうかいきゅう、Upper class)は、社会的に上層に位置する階層から成る階級。社会学などでは大きな富、そして政府などの権力と近い地位を持った、貴族や大地主、大企業オーナーなどからなる社会階級として定義される
年収1000万以上じゃなくて、資産総額1000億円以上の間違いですw
ちなみに中産階級はブルジョワジーと言われています。日本という国は、年収300万円ももらってるブルジョアジーが、「俺って超貧乏」って言ってるゆとり国家ですから。どこの国に、太ってインターネットやってる貧困層が居るんですか?
ロウアークラスと書いてありますがLower Classは酷い言葉で、訳するならば下層階級です。労働者階級を含む意味もあるらしいですが、下層階級という言葉は日本では、所得や富で区切る意味だけではないような気がします。
なのでここではより経済的な概念としてのロウアークラスとして、貧困層を定義づけたいと思います。貧困には絶対的な貧困と相対的な貧困があり、絶対的な貧困の定義はかなり低くなっていて、世銀の所得基準による貧困は年間400ドル以下です。ちょっと低すぎて日本人の想像を超えてしまいます。
人気の記事 発展途上国の定義から引用しますが、
http://www.ichizoku.net/2008/11/post-130.html
(1)低所得国(LIC)は1人当たり年GNIが745ドル以下の国および地域。
(2)低位中所得国(LMIC)は746ドル以上2975ドル以下の国および地域。
(3)上位中所得国(UMIC)は2976ドル以上9205ドル以下の国および地域。
(4)高所得国(HIC)は9206ドル以上の国および地域。
ということであり、日本の外務省は、9,000ドル以下だとODAが必要な貧困に苦しんでいる国という認識です。
外務省に習うならば、年収と一人あたりGNIは違うのですが、似たようなレベルと近似し、年間9,000USD以下だと貧困層とすると大分感覚が追いついてきたのではないでしょうか?
しかし、それでも10,000USD=80万円ですから、日本人にとって80万円というのは労働の対価である年収ではなく、アルバイト収入とみなすのが一般的かと思います。
では年間10,000USD以下という所得を貧困の定義としたら、世界でどのくらいの人が貧困に値するか、想像できますか?
その答えはまた後日にしましょう。
【世界ランキング・比較 暮らし】
2011.11.15: 米ハーバード大が2位に転落、カルテックが首位
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2009.10.19: 世界の大学ランキング 
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自分が父親になるのが楽しみな理由

最近、友人に子供が生まれたことを祝して、約2年間非公開だったこの記事をアップしよう。
いやいや、ご出産、おめでとうございます。
彼は娘さんらしいです。
うらやましがる人続出の「自分が父親になるのが楽しみな理由」と題された写真
http://labaq.com/archives/51646605.html
あえて上記のWebで紹介されている写真を載せはしないが、文字で書けば父と娘の微笑ましい写真である。
そして、昨今、近隣の男友達が、娘びいきな発言が目立つ。
「娘が欲しい」「娘は可愛い」「娘が将来嫁に行くことは考えたくない」等々。
女系家族に育ったせいか、いわゆる女性=娘プレミアムが無いのかもしれないが、私の考えでは子供に性別は関係ない
対抗して載せるならば、これだ。題して「親子対決
単にオセロをして遊んでいる写真だ。しかし、これには背景がある。
息子が父に言った 「僕は家族でも、学校でもオセロで負けたことがない。だからお父さんと勝負しようと思って、今日はオセ
ロを持ってきた。子供相手だからといってわざと負けるのは無し。本気で勝負してくれないと僕はやりたくない。」
男性読者諸君に改めて問いたいが、こういうのを親父冥利に尽きるというのではないだろうか?
泣きながら転がっていただけの赤子が成長して、この私に挑戦している。まー、父である私が家族に入っていないのは何故かと
いう根本的な疑問はさておき、不敗伝説のラスボスとして、私を置いてくれているのも父として誇りに思えないか?
父は言った「わかった。貴様の挑戦、この俺が全身全霊をもって迎え討とうぞ。」


oyako.jpg
この勝負、残念ながら父の勝利であった。負けた息子は「やっぱ、父ちゃん頭良いな」と言ったものの、初めての敗北にかなり
の衝撃を受けていたという。
父親になるのが楽しみな理由、親になる意義を改めて考える。結論から言えば
>この勝負、残念ながら父の勝利であった。
に凝縮されている。良い年のとり方をできるのではないかと思えてくる。まだそれを認識している年齢ではないが、人は必ず
老い衰える。自らの老いと衰え、そして時代が変わったという、自らの”負け”を、子供の成長という喜びで帳消しにしながら
認めることができる
。それがなければ、自分よりも後輩の若者に対し、
「俺は、お前が産まれる前から株をやってるんだ。この俺に対して、意見する気か? えぇん?」
という頭の固い頑固親父いっちょあがりだ。経験がないゆえに、斬新な疑問や意見、そして経験があるゆえに偏狭な視点しか
持てなくなるというのはよくあること。ケツの青い若造なりの主張は、時に革新的なポテンシャルを秘めていて、それを自分の
負けを認めたくないがばかりに拒絶するのではなく、貪欲に我が物にしようする姿勢の方が得るものが大きい。私の経験により
私の価値観でしかない世界は成長に限界があり、若い無垢な斬新な意見がそこに市場拡大をもたらすと考えられるようになる
ことが、子供を持つことで自分に得られるリターンなのではないかと思う。もちろん、真の賢人は子供など居なくとも、自らの
弱さを知り、負けを認めながらも貪欲にその領域を拡大していくのだろうが。
子供の才能や優劣は問題にならない。どんな子供でも、そしてどんなに才能に恵まれた親でも、例外なく子供の成長力以上に
親が成長することはない。わずか2年で、地を這う泣き虫が、立ち上がり、言葉を発するようになる。この成長に勝てる親は居
ない。成長だけではない、記憶、身長、腕力、思考能力においても子供に抜かれる日が来る。そして、そんな日が来て欲しいと
願うのが親心。いつまでも自分を超えられない子供を期待する親は居ないだろう。全ての子供は、負けと時代の変革を認めると
いうことを親に教えてくれているということだ。
そう遠くない将来、息子に負ける時が来る。いや、すでに息子に負けている能力もある。自信過剰な男であっても負けること
を喜べる。そして、この私がもっと負け、息子が自分を踏み越えていくことを期待する。これこそが父親になるのが楽しみな理
由なのではないかと思う。
【一族家のお家騒動】
2011.11.14: ギリシャ神話と親子対決
2011.10.06: 一族家の食卓
2011.02.10: 母がシンガポールに遊びに来ました
2010.05.24: 親父に対する息子の愛
2009.09.17: 名前をカタカナや漢字で書いてはならない 
2009.05.08: 私はカネ目当てじゃない ~怒りの代償 
2009.04.09: 金(カネ)の重み 
2009.02.13: 女系家族の掟 
2008.07.09: 妹が見た悪夢 
2008.03.17: 一族家における投資教育 ~貯金と金利


民主主義というのも民に自信を持たせるための方便

読者とコメントを通じたディスカッションで大盛り上がりしてしまい、良い議論だと思ったので、本記事採用してみました。
> 政府が言っていることも鵜呑みにできませんが、マスコミ報道も「世論」とは思えません。
おっと、天才・中卒・総理大臣の田中角栄がこんなことを言ってますよ。
http://www.youtube.com/watch?v=gGpeQB3glIg
この動画の5:30見てください。
世論と言うものは新聞じゃないんだよ。うーん。テレビじゃねーんだよ。
世論と言うものは選挙だ。選挙の結果が世論だ
。そんなことわからんでどうすんだ?そうでしょ?
ロッキード事件で逮捕後も必ず当選し、議員として活動してることに対して、
「世論に反して当選して議員として居座り続けることに問題は感じないのか?」
という質問に対する答えだったかと思います。
>私が知っているのは「世論というのはマスコミじゃないんだ。選挙なんだよ選挙」と畑の真ん中で言っているシーンですので、多分何度も繰り返された持論だったのだと思います。
>世論が「選挙民の意思」であるということに異論はないのですが、(国)全体の意思であるべきところと(選挙区という)局地の意思であるという部分の調整をどうするかというのが政治家個人の資質に任されている現制度に問題がないのかという点については常々疑問を持ち続ける都市生活者の私です。
>最終的には一票の格差をどう是正するか=どういう物差しを使って平準化するかという問題に帰結するのでしょうが、これも被選挙民の集合体の資質に任されているという缶切りは缶の中状態で達磨さんです。
・私の問題発言
天才角栄に逆らうようですが、選挙の方法など、どうでも良いことです。民主主義というのも民に自信を持たせるための方便にすぎず、あえて極端に言えば、一票の重みなど全部一緒で0です。朝鮮民主主義人民共和国なんて言いますが、朝鮮だけでなく民主主義とか名前に入っている国に限って全く非民主的です。日本はその点、国の名前もわざとらしくこびる必要がなく、ほぼ全国民が中産階級という意味で、最も民主的な国だと思いますが、それは選挙の賜物ではなく、天皇家の存在と同じところに帰すると考えています。
・正義感溢れる読者が疑問を呈しています。
>民主主義というのも民に自信を持たせるための方便にすぎず
これは自分にとってチョッと目新しい視点ですね。しかし、その方便の向こうにある目的、自信を持って何をするのかさせるのかというのが いま一つピンときません。
また、
>、一票の重みなど全部一緒で0です
こういう物差しがあるということかと思いますが、この物差しについても想像が付きません。結局は神輿に乗せる飾り物を選んでいるだけで担いでいるのは別の勢力(氏子中)ということかな? それとも、更に細かく担ぎ手と長老達を別にして考えているのかな?
ここからが新記事。お答えします。
>民主主義というのも民に自信を持たせるための方便
民は活かさず殺さず、とはよく言ったものです。民は私利私欲を追及し消費し、その消費のために労働する。これが民に求められている行動、消費こそが民の最大の国家貢献であり、理想的な民の姿です。インドの路上生活者のような絶望の中では、消費も労働も生まれません。「がんばれば家が買える、車が買える」という自信が消費の動機付けとして必要です。「どんなに、がんばったてよ・・・領主が税金で全部召し上げちまうからよ・・・」と民に思わせてはなりません。企業でも、「お前なんか要らん」というより「お前はわが社にとって非常に重要な人材だと考えている」という方が従業員士気が上がるように、民主主義という言葉は国家が国民に「あなたがこの国の主人公です」と言って士気を上げようとしているのです。それは民主主義の平和利用なので特に問題はないのですが、ある国では、「民主化と自由」という言葉は戦争の言い訳としてよく多用され、この言葉を度々用いては、よその国の国家主権を脅かしています。
民が主役で自信をもって消費活動にいそしむのは国家財政にとってプラスですが、一方で、私利私欲を追求するのが民の役割ですから、そういう人間が国家を運営しても全体最適を考えることはできず、自己最適を考えてしまい、成長戦略を練ることはできないという矛盾があります。企業を司る役員は、役員賞与やストックオプションなどの報酬体系と、最劣後の株主によって選ばれることで、全体最適を目指すという仕組みになっていて、それが企業統治の後ろ盾になっているはずです。
>一票の重みなど全部一緒で0です
センセーショナルな発言ですが、大きく分けて2つの解釈ができます。
国民によって選ばれた国会で何が決まるのか? 代議士は、選挙に落ちれば、タダの人
というような人に長期的なビジョンでの国家運営は難しいので官僚組織があり、国会議員の顔を見ればわかるように、頭脳集団の官僚組織より理知的だとは思えません。三権分立で牽制が働いていると習いましたが、あそこには入っていない官僚組織は顔も見えず、選挙もないので長期戦でも困ることはなく政治家が太刀打ちできる環境にないと思います。また責任の所在も明らかでないというのが日本の特殊構造ですから、官僚とひと口に言っても、誰を叩けばいいのかもわからないのではないでしょうか。事例で言えば、小沢さんが総理にならない理由だと思います。
小選挙区制はゲリマンダーというご批判もあろうかと思いますが、一票の格差がないにしても、組織票の問題、そして選挙資金。なんで金かかるの? という問題もあると思います。無関心な民に認知してもらわないと票が集まらないからで、政策や能力を評価するどころか、知ってるか知らないのか認知の争いでもあるわけです。選挙カーやポスターや寄付などにかける金があるものだけが選ばれる方として認知され、その金はどこから調達されているのか? 国民が選ぶのかもしれませんが、選ばれる人は普通ではない金の出所がないと厳しいはずです。アメリカの大統領選とか最も顕著な例だと思います。
【愛国者・民族主義者】
2011.10.25: インドネシア 多民族国家という宿命 1/3~歴代大統領
2011.08.31: マハティール アジアの世紀を作る男4/4 ~がんばれアジア
2011.07.12: 父親の条件2/4 ~フランス人の高慢ちきな態度はここから
2011.05.10: 日本改造計画2/5 ~権力の分散と集中
2011.02.17: 田中角栄 その巨善と巨悪 ~議員立法
2010.12.06: 田中角栄 人を動かすスピーチ術 ~カネの使い道
2010.07.13: 日本帰国 第一幕 靖国参拝
2010.05.25: 靖国で泣け
2009.08.21: インド独立史 ~ナショナリズムの確立
2009.01.06: ユーゴスラヴィア現代史 ~Titoという男




ギリシャ神話と親子対決

は尋ねた。「最近、どんな本を読んでいるのか?」
息子が答える。「怪談レストラン」
怪談レストランとは、私が元株主だった4816東映アニメが後ろについている児童文学で小学校の図書室や図書館の子供コーナーに本があるばかりかテレビアニメ化もされている。昔で言うところの水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」の”本”のような位置づけであろう。
「怪談レストランを読んでみたが、こういうお化けの話が好きならば、ギリシャ神話を読んでみたらどうかね? ファイナルファンタジー3やドラクエのようなゲームに出てくるモンスターも沢山、出てくる。例えば、さっきオーエンの塔で倒したメデューサ。ホラ、ちゃんと載っている。ギリシャ神話はとても古いお話でね、ファイナルファンタジーだけではなく、色々なところに引用されている。それから将来、海外に出て、外国人と話す時も、怪談レストランは通じないかもしれないが、ギリシャ神話だったら通じるかもしれない。」
「イーリアス」も「オデュッセイア」も読んだこともない父が、ギリシャ神話の本を片手に微笑んだ
息子はその場で、ペルセウスとメデューサの件だけ読んで言った。
「カタカナが多くて、読みにくい。」
「確かにそうかもしれんな。難しかったら無理に読む必要はない。8歳のお前には少し早過ぎる本だからな。だがファイナルファンタジーのモンスターも武器も、ほとんどがカタカナだが、わかりにくいか? ただの名前だよ。カタカナだからといって難しいことはないはずだ。」
数ヵ月後・・・息子は開口一番に言った。
「ギリシャ神話の本を読んだよ。ゼウスは最初から神々の王であったわけではない。ゼウスはクロノスとレアーの末っ子でね、クロノスに恐れられていたゼウスは、大地の奥に幽閉されていたんだけども、神々の戦いに勝って王になったんだよ・・・。今は北欧神話を読んでいる。オーディンとロキが旅をするお話。」
そして、オリュンポス十二神とゼウスの家系譜を流暢に語り始めた。
「かなり、細かいところまで読んでいるようだねぇ・・・。どんな本を読んでいるか見せてよ。ほぅ、その表紙に書いてある馬は知ってるかな? ペガサスという。」
ペルセウスがメデューサと戦って勝った後、メデューサの首から血が大地に流れてそこから産まれたのがペガサス。」
コイツ・・・かなりできる・・・
父は息子についていけないことをはっきりと認識しながら、「ゼウスを恐れたクロノスか・・・」と頭の中でつぶやいた。
「ギリシャ神話のクロノスはエウレカ(ファイナルファンタジー3)で出てきた。ロキは子供が居たんだけど、全部、人間の子供じゃなかったんだって。足が8本あるスレイニプルとか、蛇のヨルムンガンド。これもエウレカに出てきた。スレイニプルは強かったなぁ。こんな姿をしているんだね。でも一番苦戦したのはオーディンの斬鉄剣。」
「オーディンが持っていたのはグンニグルという槍だ。これもFF3意外のシリーズで出てくると思うがね。」
グンニグルはオーディンから取れる。かなり苦労したよ。」 ゲームについての記憶力も父を凌いでいた。
「その他にもアポロン、アルテミス、ラグナロク。これらは全てギリシャ神話か北欧神話からの引用だ。イージスの盾ってあっただろう? このイージスは、日本の周りの海を守る船、軍艦の名前にも使われている。ただ気をつけないとな。カタカナの名前は本によってちょっと違うことがある。イージスだったりアイギスだったり色々な表現方法があるからね」 とウィキを見ながら場当たり的な対応をしている。 
「そうだね。ゼウスには二つ名前があった。ゼウスとユーピテル。ジュピターということもあるんだって。」
「お・・・おぅ、こんな例もあるぞ。太陽系の惑星は知ってるな? 水金地火木・・・、日本語で言うとな。この星の名前とギリシャ神話が対応している。英語で言うと、木星はジュピターだ。水星がマーキュリーで、金星がヴィーナスだ。」
ヘルメスとアフロディテか!」
父は今、父の威信にかけて、ギリシャ神話を読み始めている。深いな、ギリシャ神話。口承伝播、つまり文字の開発以前からの存在で、文字化されたのが紀元前6世紀ごろ。ヘシオドスの神統記からホメロスのイーリアスとオデュッセイア。文字と言語、歴史、宗教と複合的にとらえる”大人の読書”の結果をもって、もう一度話そう。
【一族家のお家騒動】
2011.10.06: 一族家の食卓
2011.02.10: 母がシンガポールに遊びに来ました
2010.05.24: 親父に対する息子の愛
2009.09.17: 名前をカタカナや漢字で書いてはならない 
2009.05.08: 私はカネ目当てじゃない ~怒りの代償 
2009.04.09: 金(カネ)の重み 
2009.02.13: 女系家族の掟 
2008.07.09: 妹が見た悪夢 
2008.03.17: 一族家における投資教育 ~貯金と金利




同族企業の巨人カーギル、執着薄の新世代登場で10年内に株式公開か

Jul 28 2011 同族企業の巨人カーギル、執着薄の新世代登場で10年内に株式公開か
【記者:John Lippert】
7月28日(ブルームバーグ):米国の農産物供給最大手カーギルのグレッグ・ページ最高経営責任者(CEO)は2010年末、世界的な食料価格高騰の責任を誰に問うべきかについて妙案を思い付いた。各国政府に負わせようと-。
  ページCEO(59)は今年3月にカリフォルニア州サンディエゴで開かれた全米穀物飼料協会の大会で、行動を起こすよう参加者に呼び掛けた。ブルームバーグ・マーケッツ誌9月号が報じている。同氏は、政府による買い占めが価格高騰の最大の要因だと指摘した。食料価格は昨年10月から1月にかけて15%上昇。世界銀行によると、価格上昇で約4400万人が貧困に陥った。

ここ1年で見ると大豆30%、コーン60%、小麦10%、砂糖50%、コーヒー40%くらい上がってるねぇ。でもドルがユーロに対して10%減価してるからなぁ。

  「時機を逸し、計画性がなく、近隣諸国を窮乏させる戦略にほかならない」。干ばつや洪水の影響で穀物在庫が数十年ぶりの低水準に落ち込んだのを受けて輸出を次々に禁止したロシアなどの動きをページCEOはこう非難した。さらに供給に支障が出れば、価格はますます高騰し、各国政府は穀物だけでなくエネルギーや金融市場取引の規制を強化して介入してくる可能性があると、ページ氏は警鐘を鳴らした。このような動きは農産物投資を妨げ貧困層に打撃を与える恐れがある。ページCEOは「議会関係者らもわれわれと同じ考えを持っていることを確かめなければならない」とし、企業幹部らに対し、政府が農産物市場に介入しないよう議会へのロビー活動を強化するよう呼び掛けた。
            食料供給網
  カーギルが重視することは、民間セクターの立場と干渉されないことの2つだ。スコットランド人の船長の息子だったウィリアム・カーギル氏が1865年に創業した農産物供給の巨大企業カーギルは、7世代続く同族所有企業である。これほど長期にわたる同族会社は主要企業では米国史上、例がない。ミネソタ州ウェイザタ郊外を拠点とするカーギルでは、ウィリアム・カーギル氏の子孫約100人が経営管理に携わっている。カーギルのバランスシートを見ると、資産から負債を差し引いた株主資本が昨年11月までの4年半の間にほぼ倍増し、295億ドル(約2兆3000億円)に達した。肥料生産を手掛ける傘下のモザイクも含めたカーギルの売上高は、今年2月までの9カ月間に15%増加し918億ドルに達した。ページCEOが政府介入に反対するロビー活動の強化を呼び掛けたのはこの翌月だ。この間の利益は前年同期比で約2倍の35億ドルとなった。
431通りのカット法
  世界各地で食料供給への不安が高まる中、カーギルは世間の目が自社に向けられるのをうまく切り抜けてきた。スーパーにはカーギルブランドの製品はなく、経営幹部らも報道関係者の取材に応じることはめったにない。ただ、世界への食料供給におけるカーギルの影響力は絶大だ。社員13万1000人を擁し、トウモロコシからバイオ燃料や食料、飼料への転換事業を手掛ける米国の主要企業の一角を占める。塩の販売のほか、ココアと砂糖の売買で米国首位。牛肉生産では2位で、431通りのカット方法を駆使した肉を提供できるため、ウォルマート・ストアーズは各店舗で食肉処理担当者を雇う必要はない。
  アグリソースのダン・バス社長は「カーギルは種苗や化学製品を農家に売り、農家から穀物を買う。その穀物をカーギルの家畜飼育場に運び、牛を処理し牛肉を売る。カーギルは食品供給網の一部ではない。供給網全体だ」と指摘する。
  バージニア州の弁護士ダニエル・クレメンテ氏によると、元CEOのホイットニー・マクミラン氏(81)は非上場企業にとどまることを最も声高に主張していた人物の1人だ。同氏は2005年まで11年間にわたって一族に経営についてアドバイスし、現在でも創業者のひ孫であるジェームズ・カーギル2世氏の相談に乗っている。
女家長の死
  マクミラン氏とウィリアム・カーギル氏の娘、エドナ氏の結婚により、1895年に2つの家族が合体し、共同経営が始まった。筆頭株主で一族の女家長だったマーガレット・カーギル氏が2006年に85歳で死去すると、カーギル家とマクミラン家は同族経営のジレンマに直面した。事情に詳しい関係者によると、マーガレット氏は慈善事業に寄与するため、保有する17.5%の株式を売却することを望んだが、マクミラン氏ら長老が反対。これら株式がいったん市場に出回れば、一族の若手がカーギルの新規株式公開(IPO)を支持することを懸念したからだという。
  その代わり、カーギルは64%を保有していた北米2位の肥料メーカー、モザイクの持ち株を減らした。このスプリットオフ(株式交換による分配)は双方に利益をもたらすことになった。モザイクの時価総額はマーガレット氏が死去した時点の61億ドルから今年5月には305億ドルに増加し、マーガレット氏の信託は同氏保有のカーギル株と引き換えにモザイク株を受け取った。これは同族株主の現金も増やすこととなり、IPOを支持する潜在的な動きも収まった。
スプリットオフ
  一族のメンバーとマーガレット氏の信託は5月25日、モザイクの株式計117億ドル相当の分配を受けた。カーギルの資産も73億ドル増加した。経営幹部と社員の持ち株制度も計4億ドルを得て、スプリットオフの価値は計194億ドルに上った。クレディ・アグリコル・セキュリティーズUSA(ニューヨーク)のアナリスト、マーク・コネリー氏は「所有権が変更されることなく190億ドル相当を放出できる企業は他に思い浮かばない」と指摘。「モザイクの株式の3分の2を保有していなかったら、カーギルは直ちにIPOに踏み切っていただろう」と語る。

モザイク Mosaic(ティッカーMOS)なんだが現在の値段で時価総額31bilなので3兆円。ま、大体2兆円=20bil=200億ドルだから計算あってるかな。

  カーギルが永遠にIPOを避け続けることはできないかもしれない。クレメンテ氏は、マクミラン氏がいずれこの世を去れば、娘のエリザベス・シュミット氏らの世代が強い影響力を持つようになるとみている。
執着薄
  クレメンテ氏は「私が話した若者たちはホイットニー氏のような長老に対して敬意を抱いていた。カーギルを非上場企業にしておくことにそれほど強い思い入れがあるわけではなかった」と語る。ページ氏やマクミラン氏、シュミット氏ら一族のメンバーはコメントを控えた。7世代を経て創業者のウィリアム・カーギル氏との結び付きは薄れている。一族のメンバーで経営中枢にいる者はおらず、マクミラン氏ほど積極的に企業構築に取り組み、非上場を貫くことに固執している者もいない。クレメンテ氏は、食料価格の高騰が止まれば、カーギルは10年以内か、場合によってはそれより前にIPOに踏み切ると予想している。IPOが実施されれば、146年間にわたって非上場を貫いてきたカーギルは世界中を網羅する食料供給事業の手の内をもう少し明かすことになるかもしれない。
原題:Cargill Defines Food Chain While Assailing Government Hoarding

上場・公開化、相続の後のモメモメも、少し楽しみですね。
Gregory R. Page (1952年生まれ、59歳)、David W. MacLennan (52歳)
ん? 二人とも若いじゃないか。後20年経たないと死にそうにないぞ。そりゃ30歳の若造に一族経営の意義などわかるはずもなかろう。彼らに残された時間は後20年もある。その間に、その教育が完了するだろう。何のための子だくさん一族なのか。0歳から大人になるまで、分け隔てなく育てるのを母の役割と呼ぶならば、大人になってから死ぬまでの間、最も才能のある子供に一子相伝で一族の魂を教え込む義務を持っているのは”父の役割”だ。マクラミン家の父としての教育はこれから彼が死ぬまでの間に集大成をなし、引き継いでいくことになるだろう。
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