SEは大きく分けて業務アプリケーションを開発する業務と環境に分かれる。業務はどちらかというとソフトウェア開発系に強く関わり、環境はまさに開発のための環境を整える。環境系SEの主な仕事は、サーバーの構築・設計。お客様の業務要件を聞き、それに必要なスペック(基本はCPU、メモリ、HDD)とソフトウェアを選定する。プログラミングはソフトウェアハウスに委託してしまうのでほとんどやらない。経験の長い先輩方はC言語やユニックス・シェルくらいは皆書けたが、私は全くできず。唯一業務上で書いたプログラムは
main(){}
8バイトプログラミング? なんで書いたかというと、サーバーに正しくCのコンパイラがインストールされているか、という確認作業のためだ。先輩に教えてもらったのだが、「これで良いんですか?」と聞いたら、「コンパイラがインストールできているかどうか確認するために一万行のソースコード書く人いる?」と笑われてしまった。Hello Worldすら書かない、忙しい人のためのC言語だw サーバーとソフトウェアの選定とソフトウェアのインストールまでがSEの仕事。そこから先、長い開発時間をかけて業務システムができあがるのだが、そのプログラミングはSEはやらない。ある先輩が
SEの仕事は、段ボールからサーバーを出す、置く、段ボール片づける。この3つ。」
と自嘲気味に言っていたが、客先常駐SEの世界ではあながち嘘では無いw これはソフトウェアハウスに委託できない重要な作業である。またソフトウェアのインストール、OSから始まって(HDDのパーティションとかユーザー定義と権限設定とか)、開発ソフトウェアのインストールと起動確認。SEはUNIXの世界では常にroot権限だw 面倒だったのが、ライセンスの購入もSE。Cコンパイラのライセンス、開発者50人分。開発者増えたら追加で50人分とか、各ソフトウェア会社毎に割当とか。めんどくせーw


私が担当していたのは、ウェブサーバーとファイアーウォールサーバーと客先に置く(正確には客の客先)クライアント機。お客様のお客様が、お客様のウェブサーバーにアクセスし、何か設定するというシステム。この3つが、単体、連結、総合、本番という4面。開発環境だけで3つもある潤沢な予算がある大プロジェクトだった。ウェブサーバーだけでも連結移行の環境は、2機あって互いに監視し合っていて、片方が落ちたら自動的に片方に割り振ったり、負荷分散したりという環境設定をするのはSE。単体は1体しかないが他は全部2機あるので合計7機、UNIXのインストールもその他ソフトウェアのインストールもは7回やる、ということだ。
checkpoint-firewall-1-management-console-1994.png
ファイアーウォールサーバーに入れるソフトは、CheckPoint(イスラエル企業)のFirewall1(業界ナンバーワンソフト)。SEなら知ってると思うけど。俺はCheckpointの元株主でITバブルで一番儲かった企業なので、まさか業務上出会うことになるとはw Firewall1は当時としては比較的新しいソフトで詳しい先輩が居なかったので、ファイアーウォールサーバーは私がメインで設定した。もっと大きくいえばUNIXも30年前にアメリカの大学で誕生したというレベルなので、商用ベースで使われるようになった歴史は浅く、40歳以上のおじさんたちはあまり詳しくないから若い人が全部やる。この文化が若い人・新人にはとても働きやすいと個人的には思う。
「テクノロジーは常に進歩しているから、経験がない若い人にも仕事が平等に存在する」という面もあろうが、次の証券会社でも、デリバティブは、まさにテクノロジーと同じ。歴史が浅いから先輩が居ない。若いうちからかなり色々やれる。おそらくどんな業界でもこういう仕事あるんじゃないかな。ずっと同じことやってる会社とか生き残れないので、必ずその新業務・新企画がある。
インストール・各種ソフトウェアの設定作業が終わった後は、障害試験。ほぼ全てが二重構造になっていてバックアップや切り替えで一重障害なら業務に影響がない設計になっている”はず”なのでそれを実験する。ネットワーク障害、サーバー障害、HDD障害などを意図的に起こして、きちんとシステムとして動くかというような試験が延々続くので、まったくプログラミングはしないのだが、かなり忙しい。
お客様の社内ネットワークをダウンさせた事件
私の設定していた開発環境のサーバーで、xhostだっけかな。なんかコマンドは忘れたけど、サーバーが「我こそがゲートウェイだ」宣言をし、ネットワーク上の全てのコンピュータが、こっちを向いてしまい、WANでつながっていた東京本社のネットワークまでダウン。「開発環境の火花が他に影響するようなネットワーク設計じゃダメだよねぇ。こっちも勉強になったわ、タッハッハ」でお客様はそれほど怒っていなかったのだが、我が社は大変なことに。客のネットワークをダウンさせて、その犯人は新人。課長が超怒っていたのだが、俺には事実確認しただけで主任が犠牲になった。
この課長、UNIXとかTCP/IPとか何にも分かってないおじさんなので、主任には嫌われてました。分かってないからすぐ怒るってのもその理由でしたけど。主任クラスは原則、いくつかのサーバーを担当しているのだが、誰も担当が居ないもの、それはネットワークで、その責任は課長にあった。UNIXに強い先輩方は大勢居るのだが、ルーターやハブ、ネットワーク設計の経験がある先輩はおらず、私が担当することになった。私は大井町時代に小規模のWAN・LAN構築の実績があったので、その実績から課長の特命部隊になった。
日本の会社にありがちな飛び級。課長-主任-ヒラというツリー構造なのに、1階級飛ばしで課長が俺に命令するって奴ね。主任は「新人だって貴重な戦力。なんでウチのチームが課長にデッチを出さなければならないのか!」と憤慨してました。
「200人の開発者がお前の作るネットワークにぶら下がるんだ。一日遅れたら一日で20人月がぶっ飛ぶ。お前の年収以上が一日でぶっ飛ぶ重要な仕事だ。一日でも遅れそう、何か問題があったら、とにかく俺に言ってくれ。」
ネットワーク設計、ルーター、スイッチングハブ、ハブ、ケーブルなど、数と性能で機種選定。全部で460万円だった。課長が「ホンマにこれで行けんの?500万以上は事業部長(役員)印だが、500万以内は部長印で行けるから早い。明日にでも発注できる」と喜んでいた。WAN回線(当時128k専用線をNTTに依頼する)の申請。開発ルームの選定、これは横浜のみなとみらいエリアのオフィスビルの不動産探しです。課長「ワシ、この海が見える部屋がええのぅ」とけっこう楽しい仕事。100人部屋×2室だったかな、部屋を借りた後は、何もないガランとした部屋で一人でルーターを持っていてWAN接続の試験した。机と椅子の数を決めて、配置決めたら総務部にお願いして、床全部引っぺがしてLAN回線を這わせる、のを監督する仕事w。
ネットワークの設計・機種設定・設定、全部俺。課長はハンコ押すのと、他の部署に「いつまでにお願いします」「早くしてください」って言うだけw ちなみに引越し予定日から逆算して、機器調達や回線敷設の期限を切っているのも俺だw 入社2年目なのに事実上の課長権限を与えられたのと同じだった。
「オヤジ・・・言ってたこと全然違うじゃん。『サラリーマンになったら上司の言うこと聞くのが仕事ってもんだ』って言ってたけど実際は違う。俺の仕事を会社が、人、もの、カネの全面バックアップしてくれる。」
他部門含めて百人くらいのスタッフ使って、このネットワークと開発室は無事に期限内に完成した。サーバーの設定していた頃は、機械と先輩と睨めっこの閉じた世界だったが、この仕事はもっと範囲が広く、権限も大きかったので、私は仕事の楽しさを知ってしまったのだ。
「仕事が楽しすぎるので、もっと自分が大好きな株の仕事をしようと思い、会社辞めます。課長にはすごく良くしてもらったのに申し訳ありません。」
と言った時、私が仕事を楽しんでいることをよく知っていた課長は笑っていました。
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