インドネシアの独立記念日は8月17日。2日ほど前に日本では終戦記念日だったが、なんか近いな・・・、と思った諸君は東南アジア史を勉強なさいw 偶然近いのではなく2つはつながっている。いつの時代も大国の動乱は他国にも波及する。日本の敗戦の決定は2日でインドネシアに伝わったのだ。だから、アジア一国一愛人構想なのだ。わかるか?
8月18日は、MONAS(独立記念碑)の傍で記念祝典パレードが昼過ぎくらいから行われる、との情報が先輩から届いた。暑いし、一人だしなー、プラザインドネシアで日本飯でもついでにとも思うんだけど、朝飯食べちゃったし、昼飯いらないんだよなー。と気が乗らなかったので、日本市場の終わりはインドネシア時間では13:15であるから、そこで〆て14時前くらいに出発した。タクシーで行けば50,000IDRで到着するのだが、それが高い気がしてきたので、民バスに乗る。民バスとは、窓なし・ドアなし・冷房なし・バス停なしのボロボロのバスなので、バスが来たら手を挙げると速度を落としてくれるので、飛び乗る。料金は3,000IDRだ。これでまずBlok Mまで移動。
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ただ、バスに乗る前に、Blok M Square(Squareが汚い方で、綺麗な方がPlaza Blok M)で買い物だ。アジア・ファッションのインドネシア版ペチ(Peci)=インドネシアの偉い人がかぶっている帽子だ。そして、これを東京で着用するのが私の目的だ。タイやフィリピンではペチの宗教的意味も通じるので、ペチを被ってバーで酒を飲むという矛盾が格好悪く、またイスラームがマイノリティなので面白くない。宗教のことなど誰も知らない日本では、このファッションの宗教的意味合いが殺され、単なるアジアンテイストになるという高次元のお洒落の追求なのだ。
頭にペチ(インドネシア)、ネックレスはワットポーで買ったリクラインニングブッダ(タイ)、ブレスレットは天珠虎目(中国)に身を包んだアジア的ファッションwは、イスラーム・仏教・風水と宗教も滅茶苦茶で、ある意味冒涜的なファッションでもあるのだが、「信じるものは巣食われる、これマーケットの真理なり」という投資家らしい主張を貫きつつ、アジアが香る抜群のファッションセンスなのである。
インドネシア・ファッションの代表格はバティック(Batik)というシャツがあるのだが、日本語で言うとガラ・シャツのような感じで、これらをすべて組み合わせると東南アジアのヤクザ? みたいに東京では思われてしまいそうなので、バティックは敢えて外す。ペチはブレスレットやネックレスに比べると圧倒的に存在感あるので、バティックまで着用するとインドネシアに偏りすぎ、バランスが崩れてしまう理由もある。私ももう少し顔がよければ、バティック+ペチで東南アジアのエリート・ビジネスマンと言ってもらえる風貌になるのだが、整形でもしない限りその組み合わせは、電車で周りが空いてしまいそうで嫌だ。


Blok M Squareの地下1階で100,000IDRくらいで売ってると聞いていたので、探索したが、この前は時間が遅すぎて、ほとんどの店が閉まっており探すことができなかった。昼間の時間にせっかくBlok Mに来たので、ここで買っておこう。おぅっ、さっそく見つけたぞっ! 店員の対応が「日本人街・ジャカルタのリトルトーキョーであるBlok M」の店にもかかわらず、「外国人だー、なんか恥ずかしい」みたいなノリ わかりますか? 民族衣装の店だからか、Blok M Squareだからか、原因は不明。ペチの値段も千差万別だが、100,000IDRは一般にはちょっと高く、70,000IDR程度で買えるものだ。しかし私が購入したのはATLASというブランドらしく、ATLASなら100,000IDRで妥当ということらしい。
ペチは民が利用する時は、礼拝時、だからモスク周辺ではペチをかぶっている人が多い。宗教的な意味もあるが、一方で、政府要人の正装としても使われている(日本で言うところのネクタイくらいのイメージだろうか)。スカルノで画像検索すれば、ほぼペチをかぶっているし(カタカナで検索するとデヴィ夫人が多いがw)、スハルトで検索してもほぼかぶっている、ヨドヨノが安倍総理と握手している写真でもかぶっている。インドネシアの政治家の写真は基本、ペチ着用というくらい私の中ではインドネシア=ペチだ。だってインドネシアの民の写真とか日本で見ること無いでしょ? 見るとしたら大統領だけじゃないですか。インドネシア大統領は写真では常にペチをかぶっている。
ところが態度が悪いヤツが一人居る! ジョコウィ日本語でいうとジョコ・ウィドド新大統領は「ジョコ・ウィドド」で検索すると、まったくペチを被っていない! これはインドネシア人も不審に思っており、ジョコウィは何故ペチをかぶらないのか? モスリムなのだろう? と思われているが、8月17日、MONASにおける大統領スピーチではペチをかぶって登場したらしい。Youtubeで動画検索したが出てこない。ブラボウォがスハルトの娘婿なら、ジョコウィのバックにはメガワティ(スカルノの娘)がついており、インドネシアの政治は今でも、スカルノとスハルトの対決が続いている。
ペチは私にとってはインドネシアの象徴ではあるが、バスの中、ジャカルタの中央道路沿い(Blok M~KOTAまでの幹線道路、Jalan Jend. SudirmanとJalan MH Thamrinあたり)はジャカルタの中でも最も綺麗で発展した部分ではあると思うが、ペチを着用している人はほとんど居ない。白い布のようなペチは、メッカにお参りしたことがあるという意味があるらしい。
買い物などをしていたので、MONASに15時半くらいに到着。もう終わっているかと思ったら、パレードがちょうど始まるようだ。マジで運が良い。私はスマホを持っていないので、去年のパレード動画を見つけたので参照して欲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=gQiJSRp_VNo
上記の動画のようにインドネシアの各州が、州の名前の札を持って、州によっては威信をかけて、美男美女を多人数集めて、服飾・装飾にもおカネをかけて行進する。なんだかんだ言っても一番おカネをかけていそうなのはJawa、中央政権という当たり前の結果だったが。東南アジア常識クイズ~。
ジャワ、スマトラ、バリくらいなら日本人でも知っているかな? 地図上の位置もわかるかな? カリマンタン、ティムール、パプアと言うと? 分離独立した国があるからなんとなく地図上の位置も分かるよね? ヌサトゥンガラやイリアンジャヤといわずにティモール・パプアと呼んでいる。アチェ、スラウェシとなると知っている人がほとんどいなくなり、マルク(Maluku)、ランプン(Lampung)は私も知らなかったが、マルクはスラウェシとパプアの間にある地域、ランプンはスマトラ島南部を指している。私はインドネシアの政治家は大統領の名前しかわからないくらいだし、地名もこの漠とした地域名くらいしか知らないのだが、それをスラスラ言えるだけでも、インドネシア人には「よくインドネシアのことご存知ですね」と言われるくらいの知識なのだ。
この地域は、もともとは違う国、民族も違うのに、インドネシアとして無理矢理統一したから面白いのだ。日本の地方は、中央政府からの地方交付金がなければ財政は立ち行かないし、端っこの北海道に戦車部隊を集結させていたり沖縄の空軍部隊の充実は、中央政府の混乱に乗じて、中国やロシアの攻撃に備えている軍事的な目的であり、内部に潜む政治的独立要素は皆無に等しいと言ってよいだろう。一方、かねてから中国合省国と私は表現しているが、無理矢理統一した中国は、アメリカの州同様に各省が強い独立性を持っており、インドネシアもまた同様である。例えば、シンガポールにあるブギスという地域だが、ここはインドネシア誕生前、すなわちシンガポールのイギリス統治下時代の分割統治政策でブギス人が住む地域だった。当時はインドネシアという国が存在せず、ブギス人=今で言うところのスラウェシ人、群島列島インドネシアのスラウェシは海賊民族。その一部がシンガポールにも流れ着いていて、その呼び名がブギス人だったのである。また地図を見ればスラウェシは、場所によってはジャワよりもフィリピンに近い、カリマンタン島はマレーシアと二分し、パプアやティモールもいわずもがな、独立国家と一つの島を二分している。地図的には平和なバリですら、十分な観光収入が確保できているバリ州長は、スラウェシが独立した際、ジャワ政府につくかどうか迷うであろう。
2012.11.12 もっと知りたいインドネシア 2/3 ~地理と民族
に書いたが、

(1)ネグリート マレー半島のマラッカのセマング族やフィリピンのアエタ族などとこれらの混血種がこの分類に入る。ネグリートとはスペイン語で背丈の低い黒人の意味であって、暗色か暗褐色の皮膚を持つ小人(ピグモイド)である。毛髪は縮毛か羊状毛を頭型は短頭か中頭であり、広鼻である。この種族は東方小スンダ諸島に見られる。
(2)ヴェドイド ネグリートよりは長身であるが背丈は低く、成人男子の平均は155センチである。皮膚の色はネグリートより明るい暗褐色、毛髪は波状毛であり、長頭で中鼻か広鼻である。

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※インドネシアに詳しくない日本在住諸君のために解説するが、群島列島インドネシアの島の数は約18,000島程度と政府も正確な数をおさえてはいない。一方、そういった群島に住む住民にとって、インドネシア中央政権の影響は「インドネシアって何?というほどに無い」という風刺画なのである。
などが、非マレー・非華人系のインドネシア土着の現住民族であり、それが最もよく現われているのがパプア軍団のパレードである。パプアのパレードを普通に見たら「パプアってアフリカ?」と思うような民族衣装と化粧である。でも確かにアフリカはサバンナの民なのに対し、パプアはジャングルの民。水木しげるの言うところの土人。マンドリルのような化粧だったり、パプアで画像検索したらもはや、これアジア? アフリカに見えるほど。こんなところをインドネシアが無理矢理に軍事的統一するのが無理で、東側が独立国家を保っている理由が分かるよ。
重要:パレードにおいて最も見るべきはこのパプア軍団である。インドネシアが如何に広く、現状の統治・国土を維持するだけでも難しいというのがわかる象徴的な民族である。
そして、ジャワ人、あるいはジャカルタに住んでいるインドネシア人にとっても、パプア軍団は好奇の目にさらされており、「あっパプア来たぜ、写真撮ろう」という半ば差別的な感情を持って、iPhoneやらiPadで写真を撮っているジャカルタ市民が多い。インドネシア国民全員がスマホを持っているわけではないが、ジャカルタ市民はすでに中産階級化しており、スマホはほぼ全員持っている。いや、違うか、この中央道路、Jalan MH Thamrinの近傍でオフィスワークをしているようなジャカルタ市民は、中産階級化・非モスリム化しているのが分かる。月曜の昼間だが、ヒジャブなんてほとんど居ないし、スカート着用もまったく珍しくない。
ジャカルタもこの最も綺麗な地域、Plaza Indonesia周辺やJalan MH Thamarin沿いを少し離れれば、やはり貧しそうな人が多くなる。それでも不思議とフィリピン・マニラに比べると怖さが少ない。おそらくインドネシア人とフィリピン人の国民性の違いで、インドネシア人は大人しいが悪く言うと暗い。フィリピン人は陽気だが悪く言うとヤンキー気質。フィリピンは国民総ヤンキーというと言い過ぎだが、その傾向は確実にある。夜、インドネシアで一人で歩いていて、コンビニなどで複数のインドネシア人がたむろしていたりすることがよくあるが、不思議なくらい怖さは無い。注意:ジャカルタの中でも最も安全なエリア・中央道路の近傍で私が行動していることは前提である!
また、パレードを見ていると、パレードの道路には、警察と軍が出動しており、兵士は例によって機関銃を持っている。私は中国で、警察が機関銃を持っているのを初めて見た時は、引いたが、今となっては慣れたものだ。警察の装備が拳銃じゃなくて機関銃だよ。悪いヤツを撃つという前提は無い。暴れる民衆を撃つということが前提になっている警察装備を見た時は、なんという・・・、と思ったが、中国・タイ・インドネシアでもそれは常識だ。フィリピンでビルのガードマンが銃を装備、警察ではない民間武装も、かなり印象悪かったが。パレードを見ている途中でジャカ1から「何してるの?」と聞かれたので、パレードを見ていると答えたら「大丈夫?気をつけてね」と言われたが、警察や軍が10メートルおきに立っているこの状況で、スリくらいはあるだろうが、強盗はありえない。私以外に外国人観光客的な人もおり、国家行事のパレードの道中で強盗なんて、警察の威信をかけて許されない。一般人である私を守る意思はインドネシア警察には無いだろうがねw
長いパレードでしたね、2時間半くらい見てましたが、終わる様子もなく、私が行きたい南側向きの車線を通行止めして使っているので、バスも通れないので、歩き一択で移動開始。退散です!
【アジアン・カルチャー】
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2013.11.13 インドネシア古代史 3/9~石碑から読み解く古代史
2013.02.06 タイ全土落下傘計画 7/17 ~シラチャという街
2012.11.19 もっと知りたいインドネシア 3/3 ~文化
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2012.04.04|KTVデビューしました 3/5 ~タイ人と食べるタイ料理
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