オランダによる植民地支配の後、15~16世紀以降の歴史書は数多いが、それ以前の歴史というのはほとんど触れられることがない。700ページにも及ぶ、その日本語訳文献という貴重な資料を手に入れたので読んでみた。
第1章 最古のヒンドゥー諸王国(1~6世紀)
インドネシア群島の歴史はヒンドゥー人の渡来をもって開幕する。ヒンドゥー・ジャワ期はほぼ15世紀まで、この間に高度の文化の達成、国家の組織化と商業の発展が見られ、この群島がヨーロッパ人の視野に入り始める当時の姿を形成するに至る。ヒンドゥー文化の影響をよく認識しようとするならば、この文化が浸透したと見られる地域とそうではなかったと想像される地域、すなわち、ジャワ、スマトラおよびバリとこれら以外の諸島を比較してみることである。この群島において既に有史以前に観取しうる現象、即ち文化の流れは一定の方向に向かったのであって、この群島世界の全体に流通したのではなかったことは、ヒンドゥー文化の場合一層明瞭である。
新石器文化を携えたインドネシア人が西紀前2000年頃、インドシナ半島の東海岸から内部に及ぶ地域より、インドネシア群島に渡来し始め、西紀前2世紀か3世紀頃にはこの地域に青銅器文化が栄え、そしてヒンドゥー人来航の始まりは1世紀から2世紀にかけての次期と推定されている。ヒンドゥー人がアジア大陸の半島部からインドネシア群島に及ぶ地域に渡来した頃、インドネシア人を含めたこの地域の住民は、かなり進歩した文化の段階にあった。高度の文化が半ば未開または全く未開の地に移入されたのではなく、現地住民の側からもある程度独自の文化を対置することができたのである。こうした事情からインドネシア群島においてはヒンドゥー要素とインドネシア要素の結びつきによる融合によって全く新しい独特の文化、さらに社会が発展するにいたっている。
インドネシア群島自体の資料では、現在保存されている最古の碑銘により4世紀末にいたって我々は初めて確かな基盤に立つ。しかし、外部の資料はそれよりもずっと古い。ところが、こうした資料を特にヒンドゥー人自体、つまりインドに求めようとすれば失望させられる。インドの資料はこの最も古い時期に関して、中国やギリシャの資料よりも著しく価値が低い。これらの資料を年代順に検討することにしよう。
中国資料 中国は西暦紀元前から南東方面の国々と島々に関心をいだいており、これは歴代王朝の外国一般に対する関心の多少によって現れ方が相違するものの、永代にわたり持続されている。中国人をインドネシア群島に惹きつけたのは、最初は何よりもまず商業上の関心であった。その後の時代においては仏教の巡礼層がインドとの往来に海路を取り、この群島に立ち寄ることになると共に宗教上の関心もまた伴うことになった。
漢書に見るインドネシア この群島に関する最古の記録と推測されるのは、フランスの歴史学者によって明らかにされた前漢(西紀前202~後8年)の王朝史「漢書」に掲げられている一節である。その記事によればこの時期、南中国から都元(Tu-Yuan)、巴慮没(Yi-lu-mo)、(言甚)離(Chan-li)、夫甘都慮(Fu-Kan-tu-lu)および黄支(Huang-tche)などの諸国に向けて航海が行われた。これらの諸国は人口が豊かで武帝の治世(西紀前141-87年)以降貢納を続けており、特に真珠および宝石がもたらされていたが、これらの物品はこの地の住民が他の地方から入試田茂のであった。彼らの慣習は海南島の住民のそれに似ているが、こうした取引のほか海賊も業としていた。
アレキサンドリアの名高い地理学者クラウディウス・プトレマエウスをもって、ギリシャ科学は当時の世界地理に最初の全面的な確実性をもたらした。この地理学者は当時知られていた全世界の地理上の構成に関する大著作「地理学」(Geographike Huphegesis)を西紀165年またはそれ以前に世に出し、極東における地点もまた経緯度をもって位置づけた。一連の記述において(後インドの)「銀の国」、アルギュレー・コーラおよび「金の国」、クリュセー・コーラについて言及し、ついで「金の半島」クリュセー・ケルソネーソスの諸都市をかかげている。通説はこれらの地を全てマレー半島を意味するものとしている。続いて、アンダマンおよびニコバル諸島(インド洋ベンガル湾南、どちらかというとミャンマー沖に近い位置する諸島)と考えられる島々をあげている。この後、その地名ゆえにインドネシア群島にあったとすべき地域を取り上げ、「住民が人食い人種と伝えられる5つのバロウサイの島」、さらに同じくまた「人食い人種の住む3つのサバデイバイの島」を掲げている。そして最後に「イアバディウの島」がある。これは大麦の島を意味する。この島は土地が極めて肥えており、また極めて多量の黄金を算出し、アルギュレー(銀の市)と称される首都がその西端にある、と言われていると記している。
インドネシア古代史 N.J.クロム 有吉厳 天理教道友社 1985-01 |
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