態度を急変させたマルサ
私が支店で小西さんの担当になったとき、最初に驚いたのは、小西さんの預金利息でした。普通、預金利息には税金が課せられ、それを差し引いた分が預金者の実入りになりますが、小西さんの利息には税金がかかっていないのです。こんなことが、あり得るのか、と驚きました。当時流行していたマル優などの話ではありません。定期預金が年利5%の時代でした。利息には本来15%の分離課税をかけなければならない。ですが、小西さんの口座は、課税されないような特別な事務処理がなされていたのです。利子コードを付け替えることによって非課税と同じ扱いにする。前任の課長によると、これは税務署も黙認しているというのです。しかし、こんな処理を続けていたらお縄になる。それで怖くなった覚えがあります。」


近頃は暴力団関係者や反社会勢力に関する銀行取引の取締りが厳しくなった。が、この頃はまだまだ甘かったといえる。B勘定と呼ばれる裏工作経理処理、さらに架空名義のB勘定の定期預金などが、横行していた時代だ。銀行の店頭に三文判と現金を持ってきて適当な名前や住所を書けば、簡単に定期預金口座を開設できる。それらをマル優扱いにし、税制の優遇を受けることもできた。マル優は本来、社会的弱者のために設けられた一定額以下の貯蓄利息を非課税扱いにする制度だ。正式名称は「障害者等の小額預金の利子所得等の非課税制度」。たとえば遺族基礎年金や寡婦年金の受給者、これらに準ずる人など、低所得者や身体障害者に対し、税を優遇する。「マル優」「郵貯非課税制度」「特別マル優」の3種類があった。1人350万円までの預金利息が非課税になる。マル優口座を2重3重につくることにより、多額の預金利息を非課税とする非合法行為もまかり通っていたが、小西の場合、そんな手間をかけずに最初から非課税なのだ。
小西さんはとにかく国税局に強かった。国税当局と部落解放同盟の間には、長年「七項目の確認事項」という暗黙の取り決めがあった。1968年1月大阪国税局長だった高木文雄が、部落解放同盟傘下の大阪府企業連合会と取り交わした密約だ。「同和対策控除の必要性を認め、租税特別措置法の法制化に努める。その間の処置として、局長権限による内部通達によってそれにあてる」、「企業連が指導し、企業連を窓口として提出される白、青色を問わず自主深刻について全面的にこれを認める。ただしない要調査の必要ある場合には企業連を通じ企業連と協力して調査に当たる」、「同和事業については課税対象としない」といった項目が並ぶ。この取り決めについては、自民党の野中広務が93年当時、蔵相だった藤井裕久に質し話題になったが、それまでは陰で語られてきただけだ。解放同盟とこれを結んだ高木は、その事実を公にしないまま、のちに大蔵事務次官にまで上りつめる。
ここまで公にされているにもかかわらずこの国税局長の高木文雄が大蔵事務次官になっているということは、この密約は大蔵省にとって失態ではなかったということになる。私は、国税局が解放同盟とこの密約をすることで、天下の大蔵が何を得たのか理解できてない
毎年2月、確定申告の時期になると、飛鳥支部のある解放会館では、恒例の光景が見られた。決まって企業経営者たちが、そのレンガ造りの立派な建物へ押し寄せ、長い行列ができる。彼らはは部落解放大阪府企業連合会、通称「大企連」の加入業者たちだ。彼らの目的は言うまでもなく、税金対策である。「この時期になると、解放会館には大阪国税局から職員がチームでやって来る。大企連のメンバーたちの税金相談に乗るためです」 時々、市役所や区役所でも、似たような光景が見られるが、中身は全く違うのだという。「大企連のメンバーたちは、格段に税金が少なく済む。無税のメンバーも少なくない。そんな形ばかりの申告書類を作成するため、ここへ来るのです。大企業のメンバーたちは自分で書類を書くわけでもない。にもかかわらず、数時間で申告してさっさと帰れる。これらを取り仕切っているのが、小西さんでした。」 むろん、脅しや圧力だけでは親密な関係は長続きしない。小西がここまで税務当局に影響力を行使できた裏には、その関係を大切にしてきた側面もある。財団法人「飛鳥会」(大阪市東淀川区)をめぐる業務上横領容疑で大阪府警に逮捕され、暴力団関係者との強いつながりが指摘されている財団理事長の小西邦彦容疑者(72)と昨年8月、当時国家公安委員長だった自民党の村田吉隆衆議院(岡山5区)が大阪市内の事務所で面会していたことが、関係者の話で分かった。(2006年5月9日付『朝日新聞』大阪夕刊)
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事件の渦中、小西邦彦との関係が報じられたのが、自民党の村田吉隆(元国家公安委員長)である。大蔵官僚上がりの村田は、当選挙制度調査会長として、麻生太郎政権を支えた。村田吉隆は、小西と最も親しかった国税幹部の一人と言って良い。事件当時、国家公安委員長が暴力団と不可分な人物と会っていたと非難されたうえ、小西の経営していた老人ホーム「飛鳥ともしび苑」のオープニングセレモニーで挨拶をしていたことまで発覚する。「暴力団とつながりのある人とは知らなかった。選挙で応援してくれたから付き合った。」村田は一連の報道に対し、こう弁明するのみだった。だが村田と小西とはそんな浅い付き合いではない。
大和銀行と岸組
バブル最盛期の90年前後のこと、事件通なら岸組と聞いてピンと来るかもしれない。80年代の後半、東京地検が旧平和相互銀行の特別背任事件を摘発した時、特捜部が事件の突破口にした建設業者だ。元東京地検特捜部検事の伊坂重昭ら平相銀の経営陣「四人組」が神戸の山林開発に絡んで岸組に融資を申し込まれた。会社に行くと、そこには日本刀を持った社員が何人も居て、恐ろしくて断れない。その時の融資が、後に特別背任容疑に問われ、1986年7月、「四人組」が東京地検特捜部に逮捕される。そこから世に名高い平相銀事件の幕が開くのである。
小西さんによれば、岸社長は当時の安部川澄夫頭取へ直に電話するほど、大和銀行とのホットラインを築き上げていたそうです。大和はそれで、たいそう苦労していたらしい。現に小西さんは、何度かそんな場面を目撃したそうです。例えばある日曜日に岸さんのところに小西さんが行ってみると、たまたま岸社長が阿部川頭取に電話している。「頭取、えらい目にあいましたで」と嫌味を言う。何でもその前日に、東京で大和関係のクレジットカードの大口決済ができなかったらしい。そんな程度の理由で、岸社長はわざわざ休みの日に頭取に嫌がらせ電話をしていたんだそうです。」 岸組は大和銀行をメインバンクに急成長を遂げてきた。同和団体の実力者と金融機関という意味では、小西と三和の関係と似てなくもない。ただし、異なる点がある。大和には岡野のような汚れ役がいなかった。そのため、頭取自らその任を背負っていたわけである。
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