アンケートを読みすすむうちに、田舎というのは山や川やタヌキやキツネが醸し出すものではなく、そこに住んでいる人間が作り出しているものだということがわかってきました。派手な結婚式、不気味な葬式、集まる親戚、乗り込んでくる近所のネーさん、他人の噂話。その他、札束が乱れ飛ぶ選挙とか、妙な食べ物、本屋が無いとか色々ありましたので章ごとにまとめてあります。
この本で最も同意できる部分でかつ、いきなり結論なんだが、私の考えでは、田舎というのは日本の民族性と同義である。田舎という概念に地域性はあまり関係が無い。この本のタイトルは「田舎はどこだ?」ということで、地域を特定したいのであるが、本に出てくる様々な事例を見ても、それは地域性の問題じゃなくて、日本人の民族性だろ? と思うことが多い。例えば、東京であっても、両親含めて代々東京に住んでいるなんて人が、そもそも稀である。田舎的な思考・言動の根源は「合理性のない慣習」と「画一的な価値観」の2つである。田舎特有の連帯意識や相互扶助も、地域・人口密度に依存する強弱はあるものの、この2つから導き出される。
(男女の)プレゼント交換、旅行後のお土産、お中元・お歳暮、こういった慣習を田舎臭いという人はほとんど居ないだろう。しかし、こういった、「やってやられて」の相互扶助的慣習が田舎特有の大げさな冠婚葬祭につながる。私のような変人から見ると、これらの物々交換は不合理そのもの、プレゼントでもお土産でも、もし仮に必要なものがあるのなら、私は既に手に入れている。手に入れていないもの=買いたくないもの=価値を認めていないものをもらって嬉しいか? 旅行の土産にしても、昔ならわかるが今の時代、日本で手に入らないような食べ物は、売り物にならないような変わった味であることは確定的だ。あるいは、どこでも手に入る土産として意味が感じられないものであるかのどちらかであろう。タダならもらうけど、お返し要求されるコミュニティには所属したくない。