2006年10月に開かれた初公判、捜査当局は駐車場経営に対し、市民運動家という肩書きを利用した利権漁りだとみた。もっとも小西本人の意識はそうでなかったようだ。「昭和47年ごろ、その駐車場ができるとこは空き地で、テキ屋の屋台が終結してた。ゴミ捨て場にもなっとった。周辺の住民が地元の市会議員に陳情したわけ。議員から聞いた市役所の担当者が『小西さんはテキ屋をよく知っていると聞いてます。なんとかいうてほしい』と頼みに来た。それがきっかけや。」 本人よれば、もともと駐車場にかかわったのは、大阪市の担当者に頼まれたからだという。小西はテキ屋の元締めに1000万円を渡して立ち退かせた。空き地をどう使うかについて市から相談を持ち込まれた小西が、駐車場の計画を提案したらしい。インタビューでは、この先再びテキ屋が店を出さないようにするためにどうすればいいか、小西が市の担当者から相談を持ちかけられたとして、こう話している。「よしわかったと。そっから駐車場の話になった。ワシの案や。ワシの名前で土地を貸せと言うた。掃除(屋台の撤去)したのはワシや。ゼニもかかっているし、テキ屋に義理も噛んでる。そしたら市は、小西個人に土地は貸せないんやと。そしたら公益法人がある。それでいきまひょとなった。結局、それが命取りになった。駐車場経営は、いわばテキ屋を排除し、行政と同和団体幹部が歩調を合わせてやってきた事業というのである。
同和地域住民の生活改善を目的に制定された同和対策事業特別措置法(同特法)は、長らく就職差別に苦しんできた住民が生業を持てるように施行された。職の創造をうたい文句に法律の後押しを受け、建設省や運輸省だけでなく、地方自治体による住宅や道路の建設工事が次々に計画された。同特法の施行を境に、70年代には、公共工事が急増し、業者の数が激増した。わけても大阪では、その工事を請け負うべく、同和関係者が次々と建設会社を設立する。部落解放同盟傘下の「大阪府同和建設協会」や「部落解放大阪府企業連合会」といった業界団体が組織される。事実上、同健協の推薦がなければ、建設業者は同和事業を受注できなかった。
「入札に参加するには解放会館で行われる同健協の講習を受けなあかんので、同和事業であっても公共事業には違いないわけですから、公開入札に参加できそうなものですけど、現実にはそうは行かない。事実上、同和対策事業はそうして進められていきました。」 施行された69年当初、この法律は10年間の時限立法だったが、その後、法改正とともに公共事業も地域改善対策特定事業などと改称されて続けられる。2002年に法の効力がなくなるまで、巨大な事業費がつぎ込まれた。その総事業費は実に15兆円にのぼる。ゼネコンにとっても莫大な利権だ。同和団体の実力者に取り入ろうと懸命になるのは無理もない。そのターゲットの一人が、小西邦彦なのである。
同特法廃止時期・・・やはり小泉内閣だ・・・
小西邦彦ならびにその周辺と三和銀行の取引。岡野が担当した小西との最初の大きな取引は、バブルに突入する少し前の1983年だったという。小西が岡野に求めたのは、難波の繁華街における地上げ資金の融資だった。三和銀行南支店のある道頓堀からさらに南に下ったあたり。かつての新歌舞伎座の正面に広がる大阪の一等地である。もともと小西に対する三和銀行の融資枠は5億円しかない。しかし本来審査の通らない案件を強引に押し通した結果、これを機に、その2倍の10億円に広げられた。「小西さんは事実上、睨みを利かすだけですが、うまく地上げできた。土地は2年後の1985年、当時のイトマンに40億円で売れました。ワンマンで鳴らした川村良彦社長による鶴の一声でイトマンが買った。元本の10億円の返済を受け残った30億円近い売却益は、小西さんたちが地上げ仲間の3人で分けたようです。一人当たり儲けはざっと10億、それもノータックスですからぼろ儲けだったと思います。取引の翌日、小西さんから、ヤクザと思われる複数の個人口座に1億円単位の振込みの指示がありました。合計5億円がそちらへ流れたと思います。」
岡野が扱った融資案件はほとんど焦げ付かせていないという。それは融資の際、必ず担保を取っていたからだ。「小西さんは自分自身ではなく、他人の資金繰りを助けるために融資を頼まれることが少なくなかったんです。このときの20億も、許永中の会社の資金繰りに使われたんやと思います。振込先の名義を見ると、彼のグループ企業でしたから。『岡野、担保はちゃんとしよるからな』 そう言い、実際に翌日改めて担保を差し入れてくれはりました。」 場所はJR大阪駅に近い駅前第3ビル、10Fに小西さんと親しい元暴力団関係者の事務所があった。小西さんはそこに『30億円分の株券が運び込まれるから、取りに行け』という。株の銘柄はタクマ株でした。その大量の株を許永中の関係者がヘリコプターで運んでくるというのです。現に夜8時、ビルの屋上にヘリが到着し株を受け取りました。担保になったタクマ株は、山口組慶元組長の仕手筋、池田保次が買い占めていたことで注目された銘柄だ。その池田は許永中と親しく、ビジネス上の付き合いも長い。
貸金庫から見つかったピストル
14日午前9:40頃、大阪市西成区玉出西二丁目、三和銀行玉出支店(黒川昌洋支店長)と同市北区梅田一丁目の同銀行大阪駅前支店の貸金庫に短銃12丁が隠されているのを大阪府警捜査4課員が見つけた。宝石などを預ける個人用の貸金庫が武力団の武装化に利用されていたことに銀行側も捜査当局も衝撃を受けている。問題の貸金庫の名義人が、山口組現役組長だった生島久次である。幅26.5cm、高さ23cm、奥行き41cmという小さな2つの貸金庫だった。それらに大量のピストルと実弾が隠し置かれていたのだから、大騒ぎになったのは無理もない。22口径と38口径の回転式および自動式の短銃が、合わせて12丁。実弾が75発もある。暴力団のピストル事件は、三和銀行全体を大きく揺さぶった。「当時、預金口座なら本人の身元確認などを大してしなくても口座を開設できた。だから、ヤクザでも預金している人は居ました。しかし、融資の取引口座や貸金庫の開設となると別です。特に貸金庫はどのような目的使用されるかわからないので、当時から身元確認が厳しかった。現役のヤクザが金庫を借りられるわけがありません。にもかかわらず現役組長の生島氏が、なぜ貸金庫を借りられたのか。理由は大阪に居る三和の行員ならたいていわかっていました。小西さんの紹介があったからです。」
同和と銀行 -三菱東京UFJ“汚れ役”の黒い回顧録 (講談社プラスアルファ文庫) 森 功 講談社 2010-09-21 |
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