飛鳥会 元理事長側、1億円弁済 2010年6月1日付 産経新聞。全国版ではない関西版のベタ記事だ。
財団法人「飛島会」(大阪市東淀川区)をめぐる横領事件に絡み、三菱東京UFJ銀行と関連会社「三菱UFJファクター」が小西元理事長が運営していた社会福祉法人「ともしび福祉会」に、未回収の融資金約80億円の返済を求めていた訴訟は5月31日、小西元理事長の預金約1億円を弁済することなどを条件に大阪地裁で和解した。


融資時期は1988~1993にかけた6年間、旧三和銀行時代の淡路支店が、小西邦彦に貸し付け、焦げ付いていた融資の残り80億円だ。06年5月、小西が大阪市営駐車場の収益横領で逮捕・起訴され、2ヵ月後の7月、本人逮捕を待っていたかのように、三菱東京UFJ銀行が貸金返還請求訴訟を起こした。その後、当の本人は鬼籍に入り、遺族や関係法人との争いになる。80億円あった融資残のうち、20億円についてはもはや返還請求の時効が成立していた。融資時期から数えて実に22年。小西逮捕から計算してもまる4年が経過している。そんな長い歳月を経て、双方が和解したことになる。まさに、同和のボスとメガバンクとの不透明な取引の生産である。銀行側は融資元金80億円のうち、79億円も損したことになる。だが、この件は、世間でもほとんど話題にされることがなかった。
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小西は、暴力団三代目山口組金田組構成員として活動していたものであるところ、1967年ころ、同和問題が大きな社会問題となっていたことから、暴力団構成員よりも金儲けがしやすく、絶大な権力が手に入るなどと考え、部落開放同盟飛鳥支部支部長に就任した。当時、飛鳥地区においては社団法人飛鳥会が浴場を運営していたが、被告人はこれを解散して財団法人にすると共に収益事業を営むことを提案した。大阪市東淀川区の一角が飛鳥地区と呼ばれるのは大正時代につけられた町名に由来する。1925(大正14)年の市町村改革により、淡路周辺が大阪市に編入され、東淀川区が誕生する。このとき、西中島村大字南方新家という村名が飛鳥町に改められた。もとは江戸時代の南方新家村に飛鳥という地域があり、それを町名に用いたという説が濃厚だ。江戸時代に荒地だったこの一帯を新田として開発した際、被差別部落が生まれたとされ、部落解放運動において、重要な地域だといえる。
 被差別部落問題の周辺では、それを逆手に取った示威行為や圧力団体の横暴などが、厳然として存在してきた。同和団体を騙るエセ同和問題などもときおり表面化し、世間を騒がせてきた。そうした不正の裏には、暴力団の影がちらつくことも珍しくない。その一方、非常にデリケートな人権問題だけに、同和団体に対しては、行政サイドもおよび腰になる。警察当局による非合法活動の摘発が遅れてきたのも事実だ。
小西逮捕の引き金は、市営駐車場の管理委託業務をめぐる横領だ。飛鳥会が1974年以降、同和対策事業の一環として、大阪市の外郭団体「大阪市開発公社」から「西中島駐車場」の運営を独占的に業務委託されてきた。駐車場はJR新大阪駅のすぐそばにあり、年間収入にして2億円もあった。にもかかわらず、飛鳥会は年収を7000万円と過少申告し、ごまかした分の差額を横領してきたという。一連の捜査の過程では健康保険証の不正取得まで発覚した。03年9月、小西は大阪市の職員と共謀し、健康保険証7枚を騙し取ったという。結果、詐欺容疑でも再逮捕される。判明した横領額は、合計6億円にのぼった。うち、起訴された金額は1億3120万円。それらを個人口座に移し替え、隠蔽してきたというのが事件のあらましだ。そして、この口座の移し替えなど含め、飛鳥会との取引から法人経理まで面倒を見てきたのが、三菱東京UFJ銀行の淡路支店である。事件では飛鳥会の小西と共に淡路支店の次長兼取引先課長が、業務上横領幇助の疑いで大阪府警に逮捕された。
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金田組の金田三俊組長は、三代目山口組組長から田岡一雄から、その戦闘能力を買われていた人物として知られる。金田組は飛鳥地区や日の出地区を縄張りとし、斯界でも恐れられていた組織だった。そんな金田組長との関係は小西が部落解放運動に身を投じてからも続いた。終戦後の大阪は、ヒロポンの常用が横行し、大阪市はむろん、地域住民も手を焼いていた。警察による取締りだけで治安の乱れを回復するのは難しいと見た行政サイドが暴力団組織を頼った例は数多い。小西という暴力団組員が市民運動に足を踏み入れたのも、そうした地域の特殊事情と無縁ではなかったに違いない。
部落解放同盟の源流は、1922年に結成された全国水平社である。被差別部落の解放と地域住民の生活改善のため、市民運動を続けてきた。しかし、戦後の55年体制下、解放同盟は日本共産党系の全国部落解放運動連合会とたもとを分かつ。以来、部落解放同盟は日本共産党系の日本社会党の後押しを受け、運動を続けていくことになる。過去には政治的な思惑に翻弄されてきた面も否めない。その部落解放同盟大阪府連の書記長・委員長として活躍したのが、東淀川区生まれの社会党議員、上田卓三だった。上田は共産党と熾烈な闘争を繰り広げ、1996年に部落解放同盟中央執行委員長に就任した大立て者だ。そもそも小西が飛鳥支部長になったのは、この上だの要請だったとも言われる。上田は飛鳥地区に近い日の出地区の出身だった。「小西さんの力を借りたのは、共産党対策のためもあったと思います。そのために上田さんは解放同盟行動隊を形成しはった。行動隊は戦闘服を着て、強持ての組織として活躍していました。その行動隊長として、西成支部長の岡田繁次さんを据え、小西さんが副隊長になったのです。西成の岡田さんは、大阪の老舗の博徒、酒梅組の元組員でした。上田さんは岡田さんのことを『兄ちゃん』と呼んで慕っていました。西成地区には日本最大規模の被差別部落があり、酒梅組がここを取り仕切っていたとされる。大阪では西成支部長の岡田と飛鳥支部長の小西が、解放同盟双璧の豪腕とされてきた。飛鳥支部が再結成された68年は、おりしも同和対策事業特別措置法が成立した前年にあたる。高度経済成長の真っ只中だったのに加え、大阪には開発事業の利権が転がっていた
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