前回、動画と同時にはアップできないだったので、今回改めて”大衆用プロパガンダポスター”を載せてみた。
選挙ポスター
珍しく笑っているヒトラー
ロシアのもついでに
資本の国家的意義は、資本自体は国家の大きさ、自由および力にいいかえれば国民に完全に依拠しているものであり、この依存こそ、自己保存もしくはより以上の増大という単純な衝動から、この資本の側によって国家と国民の助長に導かれるに違いない、と。このような独立の自由な国家への資本の依存状態は、このように国家の側では、国民の自由、力、強さ等のために、資本に一役かわせざるをえないことになる。国家は、資本を国家の召使にしておき、国民の支配者であると思わせないように配慮することだけだった。私は以前には、その存在と本質がもっぱら投機にもとづいている資本と、創造的労働の終局的成果としての純粋の資本との区別をねがわしくはっきりとは認識することができなかった。
国際金融資本との戦い
私が始めてゴットフリート・フェーダーの「利子奴隷の打破」についての講演を聞いた時、私はすぐ、ここでは理論的な心理が問題となっており、ドイツ民族の将来に対して計り知れぬ意義のあるものになるに違いない、と思った。国民経済から株式資本を鋭く分離することによって、資本一般に対する戦いと同時に、独立した民族的自己保存の基礎を脅かされることなく、ドイツ経済の国際化に反抗する可能性を示したのだ。
新聞の読者はその際、一般に3つのグループに分類されうる。第一は読んだものを全部信じる人々、第二はもはやまったく信じない人々、第三は読んだものを批判的に吟味し、その後で判定する頭脳を持つ人々である。第一のグループは数字の上からは、けたはずれの最大グループである。彼らは大衆からなっており、したがって国民の中では精神的に最も単純な部分を表している。自分で考えるだけの素質もなければ、またそのような教育も受けてない人々は美奈子のグループに入る。第二グループは数ではまったく決定的に少なくなる。彼らの一部は、最初は第一のグループに入っていたが、長い間苦い幻滅を経験した後いまや反対側に移って、ただ印刷されて目に映るものならばなんでも、もはやぜんぜん信じなくなってしまった分子から構成されている。彼らは新聞を憎み、おそらく読まない。なにしろ真実に対しても常に疑ってかかるだろうから、これらの人々は極めて取り扱いが難しい。彼らはそれゆえ、あらゆる積極的な仕事に対してはだめな人間である。最後に第三のグループは桁はずれて最小のグループである。彼らは生まれつきの素質と教育によって自分で考えることを教えられ、あらゆることについて彼自身の判断を形成することに努力し、また読んだものはすべてきわめて根本的にもう一度自己の吟味にかけてその先の結論を引き出すような、精神的に実に洗練された頭脳を持った人々から成り立つ。
子育ての際に、自立が原則と思っていたが、経済的な自立よりは、思想・思考の自立となると常人では達成できないほどに難しいのかもしれない。メディアや周囲に流されることなく、価値判断できるインベスターの擁立、投資一族のハードルは高いということをヒトラーは言っている・・・
今日、国家建築と私有建築の関係は、実になんとひどいものになったことであろうか。ローマの運命がベルリンを襲ったと仮定してみよう。そうすれば、子供たちは将来いつの日にか我々の時代の最も巨大な工事として、2,3のユダヤ人が持つ百貨店や、いくつかの会社が経営するホテルを挙げ、我々の時代の文化を特徴的に表すものとして、驚嘆することだろう。ベルリンのような都市にさえみられる、国家の建築物と、金融や商業のための建築物の間に支配している極端な不つりあいを比較するがよい。国家の建築に支出された金がからしてすでに多くの場合、実に笑うべきものであり、不十分なものである。工場は永遠のために行われるのではなく、目先の必要のためにのみ行われているすぎない。ベルリンの宮城はそれが建造された時代には、現代の形にはまったく新しい図書館なんかとは、違った意味を持った工事であった。一隻だけの戦艦でも、約6000万マルクの金額に達するのに永遠を目指すべきである、国家で第一に立派な建築物、国会議事堂には、ほとんどそれの半分も議会で同意されなかったのだ。現代のわが国の都市には、住民の共同社会のきわだった象徴が欠けており、したがって、住民共同社会がそれぞれの都市に自分自身の象徴を見出せない場合にも驚くことはないのだ。
確かにドイツの建造物として、彼の作ったアウトバーンは50年以上経った今現在でもドイツの象徴的公共建造物と言えるだろう。非商業施設、非宗教施設で、東京にはいっぱいあるな、東京都庁もしかり安田講堂もしぶい。元は国営の公共事業的な開発で今でこそ民営化してしまったが、東京駅なども建造物として趣もさることながら、今でも日本の中心としてしっかりと機能している点は評価したい。日本の建造物と比べるといささか軽い印象ではあるが、シンガポールもMBSのカジノばかりに注目しないで、PIE、CTEなどの高速道路やMRTの公共都市開発も見てあげてほしい。そして、MRTの周囲に立つ公共住宅がこの国の文化的程度を象徴していることがわかるだろう。
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わが闘争 上 民族主義的世界観 6/7 ~国際金融資本
春のタイ 前編 ソンクラン前 2/9 ~タニヤのチイママ
連日タニヤなんだが、前回のハーレムナイトinバンコクの女主人、チイママの店にご挨拶するも先日はチイママはお客さんと食事に出かけていて留守だったので、本日リトライ。チイママと前回付いてくれた子と3人で飲みながら、ゆっくりと別の女子を物色。30人にも及ぶ嬢の目線が一斉に注ぐ、Selection Hourは一番嫌いな瞬間なので、チイママさえ付いていれば、それを避けながら客席から嬢たちを選べるのがこの店のいいところだ。30分くらいゆっくり鑑賞し、厳選したセクシーレディを呼んでもらう。おっ?服の上からだが、タイ人の割にはぱいおつのボリュームがありそうだ。腕、腹回りの肉付きは甘く、セクシーポットベリーとは言い難いが。3人付けで2時間。ちょっと豪勢にやりすぎたかな・・・。
4日目、3日目にちょっと飛ばしすぎて睡眠不足。休肝日としましょう。ホテルで篭る。今日から同じホテルですが、スタンダードルームからデラックスルームにグレードアップ。広さ2倍、ベッドの大きさ、タオルの数、アメニティの数、なんでも2倍、値段は10-20%程度高い。
さて、チイママの店に金曜日に行ったのだが、嬢の数がすごい。70-80人で「いらっしゃいまーせー!」。私は予約して指名する人も決まっているので関係ないが、ソンクラン前の金曜日とあらば嬢たちもかきいれ時のようで、気合もすごい。お客様が来るたび、選択スペースにわんさか嬢たちが70人勢揃いし、「にほんごー!」「おもしろーい」「さびすいいー」などの歓声(もはや怒号か?)が飛び交う。お客さんが「3P、OK?」と聞いたら、「OK!」と全員がまるでMichael JacksonのSmooth Criminalのような勢いで返す。一人だと、この選ぶ瞬間ほどお寒いものは無いのだが、複数人であれば「お前どうする? どの子がいいかね?」などと隣に聞きながら時間稼ぎできる楽しい間となるだろう。
今回、この70人の嬢たちが競う激戦区の中、私からの安心ご予約を取ったのは、実に半年前にこの店で、「どの子が一番かわいいか?」と聞かれたので、番号を伝えたら、「ホテルだけもOKです」と叫んだ彼女。前回ハーレムナイトinバンコクで、3次会となるディスコの後、さすがに酔っ払ってて眠かったので「帰る」と言ったら、「えっ?お持ち帰りは・・・?」と不満そうな顔をしていた彼女である。客でも愛人でもなんでもないのだが、お互いに覚えているのだ。彼女とは数日前タニヤですれ違い、「あっ!次お願いします!」と言ってきたので、「まだSuper Queenだな?」と聞き、次の日行ったのに、またこの子はタイミングが悪く居なかった。それゆえ前回私のドリンクはぱいおつボリュームちゃんに流れてしまった。しかし、1.チイママ、2.ご指名、3.御付、の3人で飲んでいるのだが、一番おいしいのは、この御付で付いている名前が出てこない女の子である。これは去年のソンクランにチイママがホステスだった頃、一緒に飲んで、ハーレムナイトに同伴しただけの、お持ち帰り無しの女の子であるが、私の席でドリンクを飲みながらも、お客さんが着たらホステスご指名お立ち台に移動して、お持ち帰りのチャンスを得るオプションを持っているからである。私は彼女には興味が無いが、金曜日の70人の熾烈な競争を勝ち抜き、彼女は途中で指名を得ることができ、私の席から離れることができた。
バンコクで私が毎晩タニヤに通い、マッサージ・パーラーやゴーゴーに一切行かないのは、このような歴史と流れを楽しんでいるのである。一回限りの観光ではなく、アジア一国一愛人構想に基づく長期的な視点で考えているのである。実はワンショットに思えがちなゴーゴーにも歴史はあるのだが、私がゴーゴーに行く時は大体LB系で、LBの”強い男の嫉妬心”と意外にウブなテクニックに辟易としているので、ゴーゴーから足が遠のいてしまったのである。
バンコク最終日、パッポン近傍スリウォン通りのメガネ屋で作ったメガネを受け取りに行く。18時から11時に作成時間を早めてもらっていたので、本当にできているのかどうかかなり疑わしかったが、12時に取りに行ったらちゃんとできていた! おおっ、ちょっとサプライズなので宣伝してやろう。スリウォン通り沿い、パッポンからかつ真へ向かう方向、左側歩いて1分以内だ。営業時間は10:00~20:00。無休っぽいが念のため電話で確認するといいだろう。
私が作ったのはフレーム290THB、近視用レンズ819THB、カラー300THB、全込み合計1409THBで仕上がる。今のメガネと同じ度で作ってもらったのだが、若干違う気がするのは、乱視は入ってないのかもしれない。シンガポールの40-50%OFFでメガネを手に入れることができた。
バンコクからパタヤへの移動。
バンコクからパタヤへの3時間(故障したのか途中でバスターミナルを経由し、そこで乗り換えさせられた)の道程、気づくと周りに見える工場は日系企業ばかりである。デンソー、東洋インキ、極洋、ナカノフドー、NOK、Nifco、イノアック、花王、工場といえるかどうかわからないが日野、Volvo(これは日系ではないが・・・)があった。タイのローカルっぽい工場は一個くらいだったかな。極洋の工場は大きかった。そしてトヨタと日産の完成車を積んだトラックも見たので、工場があるのだろう。
帰り道にも見たのでそれをパタヤに近い順から書いていくとKOYO Joint(ジェイテクト)、早川電機(古いなぁ・・・でもそう書いてある)、SHARP、TOA、中央工機、Sumitt Group(どこ資本なのだろうか?)、ワコール、イトキン、コマツ、ヤマハ、日産(デカイ)、CPF(シンガポールの年金制度ではなく、Charoen Pokphand Foodsタイのローカル食品企業)、Catapiler,SANY(中国系)、Scania(スウェーデン)、などなど。100%日本ではないが日系企業がかなり目立つということがお分かりいただけよう。
BTSでサラデーン、サイアム、エカマイと移動し35THB、
エカマイバスターミナルからパタヤまでのバスは124THB、
パタヤのバスターミナルは、かなり北部、
そこからWSまでソンテウで30THB、
WSからソンテウ乗りついで10THB、
そこから歩き。安いだろう??
散々迷って30分くらい歩いてしまったが、無事にたどり着いた。ちょっと奥地の3rd Street, Chaloem Phrakiatだ。海からの距離は1kmくらいあるところだが、去年のソンクランの時に泊まったLKルネサンスまで歩いて10分ほどの距離だ。ホテルは立地は悪いが、新しくて広くまずまずといったところ。
いいなー、このパタヤの感じ。まさに外国って感じがする。加えて「次の日朝から仕事なんですよ」なんて台詞をはく人はここには存在しないのだろうという雰囲気バリバリだ。タイ人と白人のための世界。ピザ・バーガー・ケバブ、貧乏ウェスタン料理3傑。パタヤで食べようとバンコクではずっと我慢していた。ピザは大体200THB、バーガーは80-100THB、ケバブは60THBである。今回はバーガーだが、80THBもするので正直、マクドナルドのハンバーガーより高いのである。でも、肉厚なバンズに、オニオン、レタス、トマト、チーズがついていて、さらにトッピングソースも、ケチャップ、マヨネーズ、マスタード、チリソース、BBQソース、塩など自分でアレンジできる。インフレ感のあったバンコクと比べると安い気がする。噂に聞いていた100THBマッサも見つけた。(バンコクでは250-300THB) 本当に100THBなのか明日試してみるか。パタヤ1号によると、価格の違いは医師のお墨付きのようである。マッサージにうるさいタイ人らしく、あんまり安い店に行くと、かえって悪くなるぞと言っていた。
バンコクのインフレ感を思い出して書き出してみよう。
マッサージ 200 -> 275
タニヤお持ち帰りLong 3000 -> 3500
タニヤお持ち帰りShort 2000 -> 2500
冷静に考えるとこの3つくらいしか思い浮かばないな。タニヤのベース料金600THB、屋台の焼き鳥10THB、コンビニのビールChang 350ml 29THB、500ml 40THB、電車(BTS,MRT)は、変わってないように思える。そういえば、一回もタクシーに乗っていない。タクシー・ゼロのタイ生活ができるかな。
【女性の肉体美・ダイエット不要論】
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孫文 2/5 ~今も変わらぬ中国の弱点
チャイナタウン、すなわち中華街を土地の日本人はなぜか「南京町」と称した。そしてその地にすむ中国人たちは「唐人街」と呼び習わしていた。横浜の開港は1859年であり、中国諸港の南京条約による開港は1842年であるから、上海や広州は17年先輩である。上海語と広東語は通じないが、筆談で解決することができた。西洋人は日本人と中国人の違いもその程度と考えたようだ。実際その頃の日本人の漢文能力はきわめて高かったので、筆談で何とか用を弁じることができた。後年、孫文が日本の支持者と意思を通じ合ったのも主に筆談に頼っている。それでも思い通りにならない時は英語を使うこともあった。
何言ってんのよ? 現代日本人の漢文能力でも筆談は有効だ!
この時代を生きた学者で優れたジャーナリストでもあった梁啓超が、
「日清戦争は日本と李鴻章の戦争であった」
と述べたがまさにその通りである。李鴻章は清国のトップであるが、それは彼が育てた淮軍と北洋艦隊が彼を守っていたからである。彼は武器弾薬を自分たちの工場で作り工場で作り、軍糧は自給自足し、招商局で運輸業や貿易を経営し、給料も中央に頼らずにすむ。彼には当然ライバルが多い。両江総督の張之洞をはじめとして、その数は決して少なくない。だが、彼にはどうしても歯が立たないのである。彼に戦争させる。- これしかない。もし清国が戦うとなれば、戦える軍隊は李鴻章の淮軍しかない。大軍団を要しながら李鴻章が軟弱外交に終始したのは戦えば自分の軍隊が傷つくからである。10年前のベトナムでも黒旗軍が勇戦してフランス軍を破ったのに、フランスにベトナムの保護権を認めている。
「小国の日本に負けるはずはない。」
と一般清国民は思っている。しかし
あっ、清国民? 臣民だろ?
「海上での交戦に我勝算無し。」
開戦直後、李鴻章は皇帝への上奏文のなかで、そう述べている。1888年以後、清国海軍は一隻も軍艦を購入していないこと、そのため旧式で最高時速が18ノットなのに対して、日本は最近購入のものが多く時速23ノットのものがあることを挙げている。はじめから彼は負けることを覚悟している。彼のライバルたちは、主戦論者である。主戦論者は軍隊をもっていない。大軍をもっている李鴻章はなるべく戦いたくない。どうしても戦いが避けられない時は、なるべく早いうちに停戦に持ち込もうとする。今度の日本との戦争もそうであった。下関の講和条約を李鴻章は急いでいた。北洋閥の力をできるだけ温存して、事態を収拾したいのである。実は日本側も外国の干渉をおそれて、一刻も早く調印にもって行きたかったのだ。現にロシア軍3万が清国の北部に移動中という情報があった。干渉には武力を背景にするのが常識と言われた時代である。
広大な中国、大きな軍事力を持つ中国は、現代においてもこの時代と変わらない弱点をもっている。
清露密約の調印は6月3日にお粉荒れた。密約の有効期間は15年で、期限切れの1910年、清国の調印者李経邁が、ロンドンの『デイリー・テレグラフ』に、全文を暴露している。
1.日本がロシア、清国、朝鮮を侵略した時は、本条約を適用し、一切の兵力をもって相互に指示する。
2.単独不講和。
3.作戦中は清国の港をロシア軍艦に開放すること。
4.ロシア陸軍の応援を確保するため、黒竜江、吉林両省を横断してウラジヴォストークに至る鉄道の建設に同意する。建設、経営を露清銀行に許与する。
5.戦時、平時のロシア軍の鉄道使用を認める。
6.有効期間は15年とする。
となっていてあきらかに軍事同盟の条約である。それなのに有効期間内に起こった日露戦争では清国はこの条約を守らずに中立の立場をとった。海防派の李鴻章にとって海から来る敵、すなわち日本からの侵略に備えての密約であった。だが、敵は海から来るとは限らないことがわかった。数年後、義和団事件で清国が混乱した時、陸から来た侵略者ロシアが東北(満州)を占領した。
孫文〈上〉武装蜂起 (中公文庫) 陳 舜臣 中央公論新社 2006-03 |
【アジア・中国文化・思想圏】
2012.09.27 宋と中央ユーラシア 2/4 ~宋の繁栄
2012.06.25|中国人の大学生 レイちゃんと話しました
2012.03.02|東莞(ドンガン)ナイト 中国の大和撫子
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2011.08.11: 金賢姫全告白 いま、女として6/6 ~中国とマカオの思い出
2011.01.21: 項羽と劉邦 ~軍神の伝説
2010.02.19: マラッカ(マレーシア)旅行 ~KL、マラッカ観光編
2009.07.22: タイ旅行 農業と宗教vs金融と資本主義
2009.07.21: タイ旅行 究極の製造業である農業
2009.07.08: 世界一レベルの低いDerivatives Investorが生まれた理由
2009.07.07: 世界一レベルの低いDerivatives Investor
2008.05.13: 語録 ~中国のお友達
孫文 1/5 ~武装蜂起
条約によって、台湾は日本に割譲されることになった。清国は日本に銀2億両(テール)を賠償金として支払うことになっていた。戦争直前の光緒17年(1891年)、清国の歳入は8968万両で歳出7935万両であった。この戦いでは清国兵は一歩も日本の領土を踏んでいない。それなのに国家歳入の2倍以上の賠償金を支払わされる。 「これから50年以上は貧乏暮らしだな。」 そんな声が台湾でも聞かれた。抵抗派は「清」という国号を使わないことにした。そして「台湾民主国」をつくり、国旗まで制定した。黄虎旗である。清の国旗は黄龍であったのだ。台湾民主国の国民として、日本に抵抗する段には、清国政府に塁を及ぼすことは無いはずである。アジアで最初の共和国であって、その成立は陽暦にして5月25日で巡撫の唐景崧が総統に推された。
すべての結社が禁止されているのだから、天地会だけではなく宗教的な集会も、それを組織する団体は厳密にいえば違法であった。だが普段は宗教関係は大目に見られていたようである。宗教を隠れ蓑にして結社をつくることが多かった。清末には「水夫説教の禁」がしばしば出されている。水夫はいつも他郷に出ているので、大きな組織の成員になておれば、どこへ行っても心強い。だから船乗りはたいてい宗教団体のメンバーになっていた。一説にはこれが秘密結社「青幇」の起源であるという。
華甲とは還暦のことである。「華」という字を分解すれば6個の10と1個の1の時からなっている。還暦はかぞえ年で61なのだ。
ううっ書かないとわからない・・・
++
-
+++
+
か・・
孫文は香港を愛していた。複雑な愛し方である。ここでは満州人に対してどんなに悪口を言ってもかまわない。清国皇帝を罵っても警察は笑っているだけである。権威に反抗する性格の孫文はこんなところが好きであった。だがここは英領の植民地であり、清朝の権威は無視しても良いが、イギリスの権威は絶えず意識しなければならない。植民地のあるじは、さまざまな差別を設けて、おのれの権威を主張する。孫文はそれが大きらいであった。香港には「宵禁令」という法律があった。1842年10月に出され、「午後11時以後は外出することを禁じる」とあり告示の相手は、訳文には「凡そ汝華人居民」とあるからイギリスには適用されない。翌年から10時に繰り上がり、さらに船から上陸する場合は9時となっていた。「宵禁令」が廃止されたのは1897年6月のことで、夜間外出禁止という不自由な状態は、実に55年も続いたのである。
やはり中国は第一に農業だよ。 孫文はいつもそう言っていた。そのころ中国の近代化を主張する人たちは近代化による「富国強兵」、それも「強兵」に重点を置いていた。洋務派(李鵬章らは近代化をはかる人たち)は、「兵」(軍備)が大切だといい、鄭観応は兵よりも「商工」だといい、孫文はそれよりも「農」だという。それで広州の連絡所に「農学会」の看板をかけていたのだ。
清国は密偵を置くことはできても香港では警察権を行使することはできない。韋宝珊は広州の緝捕委員の李家婥に電報した。彼は逮捕権を持つ、清の警察の要人だったのである。主犯は孫文だと名指ししていた。
清国本土での反政府活動が困難であるから当分の間、中国人の多く住む「外地」を活動の舞台とせざるを得ない。もちろん香港が最大の基地だが、孫文たちは5年間の在留禁止の処分を受けている。イギリス当局も清国と正式の国交があるので香港における反清運動を野放しにするわけにはいかない。孫文はそこで反清運動の基地として日本を選んだのである。ただ日本にすむ中国人の数がそれほど多くないのが気がかりであった。日清戦争で、もともと少なかった中国人の人口が激減したがこれはすぐに回復した。それでも横浜、神戸、大坂、長崎をあわせて3000に満たないのである。これに比べると香港は9割以上が中国人である。安南(ベトナム)、シンガポール、マライ、シャム(タイ)、フィリピン、インドネシア、さらにビルマには何千万の中国人が居住している。3000という数はこれに比べるといかにも少なすぎる。
辮髪は清国人のシンボルといってよい。これは満州族の風習を漢族に強制したのである。辮髪にするためには後頭部以外の頭髪を剃らねばならない。1644年、新は北京を落とした翌日には「薙髪令」を出した。男はすべて髪を剃って後頭部のみを残せという命令である。「神を剃らない者は首を切る」というから有無を言わせない強制だった。この簡単な弁別法は清の威令g届く地域だけに有効であった。だから英領となった香港では辮髪する必要はない。だが香港在留の人はまだ本土の往来が頻繁なので辮髪のままの人が大部分である。ただし、本土へ帰ることをあきらめた人は辮髪を切ってしまっても良いわけだ。ハワイの唐人も故郷とは往来が疎遠になってもいつかは帰れると思ってやはり辮髪を残している。
出た-っ!陳舜臣のこだわりっ! 中国人じゃなくて、唐人だって。そうだよね、中国建国以前に中国人って概念は無いわw
【紳士な恫喝術】
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わが闘争 上 民族主義的世界観 5/7 ~大衆のコントロール
宣伝はただ大衆に対してのみ
宣伝は誰に向けるべきか?学識あるインテリゲンツィアに対してか、あるいは教養の低い大衆に対してか? 宣伝は永久にただ大衆にのみ向けるべきである! インテリゲンツィアや今日遺憾ながら往々にしてインテリと称するものに対しては、宣伝は不要で学術的教化というものがある。しかし、宣伝はその内容上学問ではない。それはポスターがその表現自体およそ芸術でないのと同じである。ポスターの技術は、形や色によって大衆の注意をひきつける企画者の技にある。
大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、その代わり忘却力が大きい。この事実からすべての効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用し、その言葉によって、目的としたものが最後の一人にまで思い浮かべることができるように継続的に行わなければならない。人々がこの原則を犠牲にして、あれもこれもとりいれようとするとすぐさま効果は散漫になる。大衆は提供された素材を消化することも、記憶しておくこともできないからである。
ここでヒトラーの演説を出すと偏りがあるように思われるかもしれないかもしれないので、あえてキング牧師の演説を出そう。同時に私は、毛沢東、スターリン、チェ・ゲバラ、スティーブ・ジョブズなどのスピーチも聞いたのだが、ヒトラーのプレゼンテーションは圧倒的である。
キング牧師
ヒトラー
「大衆はなかなか理解せず、忘れやすい、それゆえ同じことを繰り返す。」と言っているヒトラーの主張は、あらゆる演説で活用されている。客観性を出すためにキング牧師を例として出しているわけではあるが、その中で、”I have a dream”と”With this faith”, “Let freedom ring from the”というフレーズが何度繰り返されていることだろうか。子供を持つ諸君は、子供が言語を習得する過程を思い出して欲しい。親は何度も同じことを繰り返し言い、そして親は同じことを何度も要求され行動する。その結果として一つの言語を母国語として習得し、子供はその国家の国民として始動する。赤ちゃんだから、子供だからといってなめるんじゃない!実はいい年の民と何も変わらない! なかなか理解せず、忘れやすい、それゆえ同じことを繰り返す必要があるのだ!
ドイツ人の客観性ぐるい
大衆は外交官から成り立っているのではなく、また国法学者のみから成り立っているのでもなく、まったく純粋に理性的判断からでもなく、動揺して疑惑や不安に傾きがちな人類の子供から成り立っている。大衆は相手の不正がどこで終わり、自分の不正がどこからはじまっているか、その時判断する立場にはいない。そういう場合に彼らは不安になり、邪推したりする。特に相手が必ずしも同じように無意味なことはせず、何もかも責任をこちら側に負わせてくる場合に、団結して一元的に行われる敵の宣伝を、ついに我が民族が、しかも自国の宣伝より以上に信ずることははっきりしないだろうか? ドイツ人のようにもともと非常な客観性ぐるいになっている民族の場合にはなおさらだ! というのはドイツ人の場合は、自分の民族や国家のこの上なき重荷や、そのうえ破滅の危険をおかしてまでも、敵に対してとにかく不正なことをしないように、すべてのものが努力するからである。民衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮よりもむしろ感情的な感じで考え方や行動を決めるという女性的素質を持ち、女性的な態度をとる。しかしこの感情は複雑ではなく、非常に単純で閉鎖的である。繊細さは存在せず、肯定か否定か、愛か憎か、正か不正か、真か偽かであり、決して半分はそうで半分は違うとか、あるいは一部分がそうだがなどということは無い。
ヒトラーの女性蔑視が現れているが、大衆は女性的素質を持つと書いている。女性首相がドイツで生まれた現代に生きる私はあえて、「大衆は核家族内の妻的素質を持つ」と表現しよう。大衆の半分は男であり、その男たちも「上司が悪い、会社が悪い、政治が悪い」と不平不満を言い、自らに原因を求めることなく、すべてを責任転嫁しようとする姿勢がまさに妻的な行動といえよう。 大衆が持つ民族としての客観性については、優秀さ(お人よし)ゆえの害悪が日本も同じ状況である。
【愚民の欲】
2013.04.02 タイ全土落下傘計画 15/17 ~農家の男
2012.11.30 北京・ハルビンに行ってきました 13/13 ~必要以上に美人なタクシードライバー
2012.08.09 マキアヴェッリと君主論4/4 ~君主と臣民
2012.04.18|真面目系クズについて 1/2
2012.01.06: 競争と公平感 市場経済の本当のメリット 2/3 ~素質
2011.11.30: 利休にたずねよ3/4 ~茶の湯の極意
2011.10.13: 日本中枢の崩壊 2/2 霞が関
2011.07.22: 死刑囚 最後の一時間 2/2 ~死刑囚
2011.03.01: アジア発展の構図 ~出遅れた国々 4/4
2011.01.20: 項羽と劉邦 ~広大なる中国大陸
2010.11.25: 初等ヤクザの犯罪学教室 ~割に合わない犯罪
2009.12.29: 何のために生きるのか?ふと考えるときがある
2009.05.07: 幸福感と欲の関係
春のタイ 前編 ソンクラン前 1/9 ~タニヤのるみちゃん
60THB 40分で確実に着くスワンナプームからバンコク中心地への移動方法
チャンギからスワンナプーム、今回はTiger Air 全込み価格105SGD(片道)。スワンナプームのイミグレは時として大混雑らしいのですが、また私は「神が味方してくれているので」2分で通過。一人だけ前にいて、自分の審査で1分かかって通過です。そして初挑戦の空港からの電車。Airport Railですが、Express(停車駅はMakkasanのみの急行)とCity Link(Phaya Thaiまで各駅停車)の2種類ありますが、早く来たのが各駅だったので、そちらを選択。Makkasan(35THB、25-30分)で降りました。MakkasanではAirport RailからMRTまで400-500mは歩きますが、民の流れに付いて行けば初めてでも迷うことは無いでしょう。MRTでシーロムまで(25THB、10分)。冷静に考えたら、Phaya Thaiまで行って、BTSのSiam乗り換えでSala Daengのほうが歩く距離が短いです。私は今回はタニヤの近傍、シーロム通りのホテルなので、最寄り駅はBTSサラデーンかMRTシーロム。シーロムのほうが100-150m遠い。いずれにしてもわずか60THB、1時間弱の移動時間で、スクンビットの毎度の渋滞に悩まされること無くホテルまで。これ安くて早いのでお勧めです。30kgの荷物があって400m歩くのは・・・という人はタクシーがいいと思いますが、渋滞無く確実なのはかなり良いと思いました。
バンコクの電車 BTS,MRTについては当サイトの常連読者ならもう必要ないね。初心者諸君のために親切に載せておこう。
シーロムのボロ・ホテルに20時前に到着。Soi8のNantra Silom、一泊1000THB以下の貧乏ホテルでバックパッカーばかりです。窓も無く、風呂(当然バスタブなしのシャワーのみ)・トイレは超狭い。夜遊びにはまだ早いので、まずは買い物。Sim Card50THB、100THB通話分のチャージカード、歯磨き粉35THB、髭剃りGilletの高級品なので50THB(これは安物は剃刀負けしやすいので私はいつも今やP&G傘下の旧バフェット銘柄・ジレットの3枚刃を愛用している)、マウス200THB(新しいパソコンなのにタッチパッドが動作しなかったため緊急購入、もっとも入手に苦労したが、コンビニを4件はしごして見つかった。)
そして夜ご飯のChang Beer 500ml 40THBと焼き鳥3本+コウニャオ35THBを仕上げに買い、歩きながら飲んで食べてホテルに帰る。部屋に着いたら、さっそく落下傘部隊に新しい電話番号を連絡する。ネット上でアクセスの無い※タニヤのるみちゃんにはSMSでダイレクトに連絡だ! 即効返事が来る。さすがは、るみちゃんw 店行くよ、と打つと電話がかかってきて「店変わりましたので、新しい店で待っています。」 店の名前を聞くだけで、「あー、あそこね・・・看板見たことあるわ」と思える俺もタニヤ歴1年の割には努力しているほうだと思う。一通り、落下傘部隊に連絡が終わったところで、タニヤに出陣! 今回はタニヤまで徒歩5分圏内だ!
※タニヤのるみちゃん タニヤの伝説
で既に記述済みだが、タニヤ歴10年のタニヤ・ナンバーワン・ホステス、小柳るみ子似のるみちゃんである。
立ち食い寿司でウニでも食べるかと思っていたら、今日は残念ながら休みのようだ。隣で軽く鮭おにぎり(60THB)でもつまもう。よく考えると60THB=180円なので割高であるw アジア在住なので許しておくれ。日本より高いが、シンガポールよりは安い。タニヤの焼肉屋「花まち」の案内を受けるが、場所が場所、お店も綺麗なので、玄風館の1.6倍ほどのお値段である。カルビ・ハラミ1人前8切れ程度が320THB、玄風館だと200THBである。うーん、女の子の数が増えている気がするなー、気のせいかな。相変わらずすごい町並みだ。
るみちゃんの店に行く前に、ハーレムナイトinバンコクの女主人、チイママの店に軽く顔だけ出しに行ったが、チイママはお客さんとお食事中で席外しだったため、るみちゃんの店に向かう。エレベーター降りたところで、るみちゃん、お待ちかね。指名スペースもするりと通過しながら、お席へ。良いですね。常連(この店は初めてだが)となると扱いが違うw
るみちゃんの前の店は、スナック風の広さで落ち着いていて好きだったのだが、新しい店は普通のタニヤのキャバであり無駄に広い。この店の場合は、全裸で踊ったら問題になりそうだ。10人で座るようなスペースに俺とるみちゃんの二人で間抜けな絵なのだが、この私以外にも一人客が3人もいる。日曜の夜だからかな。いつもは十分すぎるほどにビールを飲んでいくのだが、今日は500mlしか飲んでないので最初の一杯だけビールで行こう。11月以来、それほど久しぶりでもないのだが、るみちゃん熱烈キス口撃が盛んだ。2杯目以降のウイスキーのロックは、「ほどほどにしておけよ・・・」と、(飲み放題なのでどっちでも良いのだが)るみちゃんに飲まれながら飲む。るみちゃん、ペイバー意識してるのがわかる。飲み過ぎて不能になることを避けようとしているのだ。るみちゃんのお友達(前の店の同士)もジョインして3人で飲み、そこそこ酔ってきたのでカラオケに以降し、3人でバンバンにタイソング歌ってやったわ。日本語の歌を歌える子も多いが、やっぱりタイ語の歌は歌えたほうが良い。周りのキャバ嬢たちが、「いいなー」って顔してたからな。
本当は今回のソンクランのご予定は? とるみちゃんに聞こうと思っていたが、すっかりるみちゃんペースで、「お前、この前チャンライで遊んでただろ? 何度か電話したけど出なかったなぁ・・・」 「ええよええよ、愛人何人いても私は寛容だから許してやる・・・」などと怒られていた。歌って踊ってだと酔いが回るのが早く23時くらいで撤退。
東南アジアのエロい女
この前、友人と議論になった問題であるが、彼が「どエロい女がたまにいるが、ラオス、タイ、ベトナムの子がエロかった記憶がある」と発言した。それは同意しかねる意見だったので「同一アジア圏内でも南に行けば行くほどマグロ化し、より原始的になる傾向があると思うが・・・」と反論した。AVの影響か、日本の女性も色々やってくれると思うし、さらに北方の白人女性のねっとりとした感じも捨てがたく、東南アジア女性はどちらかといえば消極的でシャイな傾向があり、エロいというのは解せない。
「それは技術と奉仕の精神の問題であって、エロいかどうかという話じゃないでしょ? 私が言っているのは、自分から腰を振ったり、浮かせたり、押し付けてきたりするような動きのことです。」と反論された。つまり、相手を喜ばせる事に重点を置いているのは単なるプロフェッショナリズムであり、エロい女とは、”何よりも自分の快楽が最優先”で、快楽の為ならリスクは二の次ということである。
さすが、アジア風俗マスターの異名をとる彼の発言だけあって、「確かに思い当たる・・・」と私も納得した。
【この世の良い女】
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離婚とお金、慰謝料ってどのくらい?
離婚したいのだけど、どのくらいお金がかかる(取れる)のだろう? と不安になる人々が多いようだ。何故か知らんが、たまに弁護士でも無い私のところに相談に来る人がいるw
結論から先に言おう、「法律や裁判は関係ない。最終的には人間同士の闘いだ。」
特に男性諸君に申し上げよう。被害を少しでも減らしたいなどという守りの姿勢、失いたくないものがある状態で、何も失うモノが無い女に勝てると思うか? 妻という立場はヤクザと同じ、失うモノは何もない。そいつに全力で突進されて、そんな心意気で太刀打ちできると考えているのならば、甘すぎると言わざるを得ない。相手がヤクザな立場なら、迎え討つこっちも失うモノは何もない覚悟で臨まないと勝負にならないし、競った時の粘りに差が出てきてしまうものだ。例えて言うなればヘビー級のボクシングで、まともなパンチを一発でも喰らえば大ダメージで、その場で試合終了だ。
あまりに精神論を言っても伝わらないかもしれないのでそろそろ法的な話に移行しよう。
離婚時に発生する金銭問題三要素は、財産分与、養育費、慰謝料である。
財産分与とは婚姻期間中に増えた資産の半分を受け取る権利を相手が持っている。三要素のうち、最も定量的に規定できる概念だ。
養育費とは、子供は夫婦のうち、恵まれた方の環境下で育てられる権利を持っている。これは不確定な将来のキャッシュフローも影響する。よくある勘違いなのでここで言及すると、子供を育てるのに必要な金額ではなく、アンタいくら稼げるの?ということが問われるもので、絶対的な金額ではなく、貴君の将来的な稼ぎによって決まる変動値である。
慰謝料とは、不貞行為や暴力などによる精神的苦痛とかなんとか建前上は言っているが、実戦においては「アンタいくら持ってるの? 持ってる分だけ全部よこせや。」が現実である。
ここで三要素を見ればわかるように、婚姻何年、子供が何人でという定量的要素はあまり関係なく、現在の総資産と将来の稼ぎが一番効いてくる従量制なのである。取られるモノがあったらその時点で非常に厳しい戦いになるということがお分かりいただけよう。
慰謝料というのは裁判・法廷上で争った時に立証するのは難しい要素ではあるのだが、取る側の視点に立てば、裁判沙汰にまで発展した時点でおいしいのは弁護士であり、裁判をせず協議離婚で相手を討ち取るのが最も効率よく金をむしり取る方法である。なぜならば、離婚裁判の勝訴によって得られるのは、カネをむしり取れる権利であり、カネそのものではないからだ。カネを取るにはもう一つ別の段階が必要で、資産差し押さえという難関が待っている。
実際にカネをむしり取るための資産差し押さえ三要素は、預金、給与、不動産である。
仮にも相手方とは夫婦関係にあるのだから、勤め先と住んでいるところくらいは確実にばれているだろう。つまり給与と不動産が最も差し押さえしやすい資産なのである。私が不動産嫌いな理由もお分かりいただけると思うが。預金は最もタチが悪く、金融機関名を指定し、裁判結果を示し、差し押さえる必要がある。どこの銀行に預金があるか、知らなければ差し押さえることが難しいのである。そして、裁判・法律というのは、あくまでその国で有効な概念に過ぎない。よって裁判した国家以外の国家にある預金に関しては、そのままでは強制執行することはできない。裁判をした国家と預金がある国家との間で、裁判結果のトランスファーが可能であれば、そのトランスファーを通じて強制執行できる可能性はあるが、裁判結果の翻訳や再裁判、そして差し押さえとなるとかなりな段階を踏まなければならず、取りたてるのは厳しい。金融資産のうちの預金は、こっちはボタン一発で世界中にトランスファーできてしまうのに対し、相手側のプロセスを考えると、この追いかけっこは取られる側に有利なのは言うまでもあるまい。
ここで全てのプロセスを振り返ってみよう。カネの流れだけに集中して考えれば、離婚問題の勃発->調停(第三者を介しての話し合い)の不調->裁判->強制差し押さえ という長い長いプロセスを経てようやく実現するという、取る側にとってはきわめて不利な状況なのである。この状況を不利にするモノは唯一つ、取られる側の事情により、一刻も早く離婚したい(愛人が離婚を心待ちにしている、というかその愛人の子供が数カ月後は誕生するなどの)状況を作ってしまった時点で、このパワーバランスが極端に悪くなるのである。
カネが法的な力で強制的に動くまでにはかなり時間がかかるはずである。したがって、時間は自分の味方か?それとも相手の見方か? 加えて法律=世間的な立場・世間体というモノに対して、どちらがセンシティブなのか? というのが持久戦において重要なファクターとなり、冒頭に申し上げた「法律や裁判は関係ない。最終的には人間同士の闘いだ。」が大きな要素を占めてくるのがお分かりいただけたであろう。
「法律? 国家というある一定領域で有効な戯言に過ぎない。それがこの俺にどんな影響力を持っているのか見せてもらおうじゃねぇか? ぇえん?」 というヤクザな発言ができないならば、取られる側としては勝ち目はないってことです。駆け足で詳細を省きましたが、今日のレクチャーはこれまで! 貴君の健闘を祈る。
慰謝料と違いますが、ホラ、同じネタを書いている人がいましたよ。
売掛金回収!少額訴訟してみたよ
http://wp-d.org/2012/10/03/621/?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
「書類提出」→「口頭弁論」→「争う」→「判決」→「支払い命令」です。 はい。結構簡単ですね。 でも正直に言います。超メンドクサイ。
裁判の判決はどっちが悪いか決めるだけで強制力は無いんです。アホか日本!!!と思うでしょう。 ワタシも思います。 アホなんですたぶん。 弱者を守る気とかサラサラ無いです。
強制執行
これは「あいつら払わねぇからコレ差し押さえちゃって。」というお願いを裁判所にする事で、強制的に財産を奪取する方法です。しかし実はこれにも重要な…というかマヌケな穴があります。なぜなら「ナニを差し押さえるかは自分で調べてね」と言われるからです。 もうホントいやこの国。
最も差し押さえしやすい「銀行口座」に目を付けたワタシは、まず相手のサイトにアクセス。ここでのポイントは「銀行口座は口座番号とかはいらない」という点です。実は差し押さえの時は「銀行は支店名と口座名がわかればOK」
最初の書類は企業相手の少額訴訟と離婚訴訟とでは違いますが、裁判からは似たようなモノ。この人は企業相手で銀行口座を知っていたからいいようなものの、逆に言うと「銀行は支店名と口座名を知らないと無理」なのです。まぁ口座名は本人名義以外は取れないでしょうから、銀行と支店を特定しないとイケないんですねぇ。個人相手の場合、どうやって調べるの?
【金融ヤクザのお仕事】
2012.09.10 金融崩壊 昭和経済恐慌からのメッセージ 2/4~成金
2012.05.24|眞説 光クラブ事件 1/3 ~山崎晃嗣とは
2012.01.25: 野村證券スキャンダルの検証 1/2 ~損失補てん
2011.11.25: 米MFグローバル、破産法適用
2011.10.19: ザ・総会屋
2011.09.07: 投資詐欺 2/3 手法
2011.01.07: イトマン・住銀事件 ~イトマンをめぐる様々な疑惑
2010.10.05: マネー・ロンダリング入門 ~実際に起きた事件
2009.07.17: 秘史「乗っ取り屋」暗黒の経済戦争
2008.08.18: 8868 スワップ契約についての考察
2008.01.28: ソシエテ・ジェネラルの大損
王城の護衛者
容保は殿中でも無口でどういう時にも発言しなかった。このためほとんど無視され人々から注目されるようなことはなかった。ただ一度だけ容保の口から意見が出たことがある。桜田門外の変の直後、かねて水戸徳川家の京都偏向主義を憎悪していた幕閣が「これを機に尾張・紀伊の御両家の藩兵をもって水戸を討伐しよう」という案を持ったことがある。老中の久世大和守と安藤対馬守とがその急先鋒だった。容保は「水戸様を討伐するなどあってはならぬことです。」と言った。老中久世が気色ばみ、「しかし水戸中納言は御宗家をないがしろにして京都の朝廷から私に攘夷の内勅を受けられた。幕府からそれをお返し申すように命じたが、不逞の藩臣がそれを承知せぬ。承知せぬばかりか、長岡駅に屯集してえ気勢をあげております。これは公然と幕府に弓を引く態度ではありませんぬか」
「小さなことだ。ものには原則と言うものがある。水戸家は御親藩であり、これを他の御親藩をもって討たしめては御親辺相克のもととなり乱れが乱れを呼び、ついに幕府の根底が揺らぎましょう。売ってはなりませぬ。」
「御内勅を私蔵しているのはいかに」
「当然でしょう。水戸中納言家は御先祖光圀公以来、京の王室を尊崇し奉ることが御家風になっている。これも水戸家の原則であって家風である以上これを尊重せねばならぬ。幕府としてはそういう水戸家をどう包容していくかを考えるだけでよろしかろうと存ずる。」
この一言で水戸討伐の議はやんだが容保の運命は大きく変わったといっていい。
正親町三条大納言実愛は声をひそめ、天子の食事をご存じか、と言った。天使の御膳は何汁何菜ときまっている。しかし幕府から支給される賄料は銀740貫目でこれはざっと90年来かわらず、その間物価が数倍に上がっている。このため品目と数量だけはそろえ、内容は極端に粗悪になっていた。毎夕御膳にのぼる鯛は爛れたように異臭を放っている。鯛だけではない。ほとんどの食品が市井の者も食わぬ粗悪なもので食えば中毒死する恐れのあるものもあった。このため御膳方吟味役は「これはお召し上がりにならぬように」との紙の印をつけておく。帝はそれには箸をおつけにならない。
幕府が肝煎で江戸において浪士を徴募した。「攘夷先鋒」という国防的目的がその表向きの徴募理由であった。その徴集された浪士団が京の西郊壬生村に入ったがほどなく分裂し、大半は江戸に去り、十数名だけが自発的に京に残った。その首領が水戸人芹沢鴨という浪士である。芹沢は思案し「京にとどまるには衣食の道を講ぜねばならぬ。それには京都守護職の給与を受けるのが最も良い」と思いついた。
法的にいえば天皇はこの国の潜在元首である。しかし鎌倉以来、武家政権に国政のほとんどを委任しているのが日本の伝統的統治形式であり、さらに徳川家康の江戸幕府開創によって、天皇の国政上の位置は明文化され、単に公卿の統帥者にすぎない。わずかに官位を与える権限はあるが、それも極度に制限されたものである。主権者としての機能は皆無であった。それらのすべてを徳川将軍家に委任しきってしまっている。それが翕然とした法であった。この帝は性格上、無法者になることを好まれなかった。のちに維新政府の創設者の一人になる三条実美は、「お上は攘夷攘夷とおおせられておりますが、おおせられるだけでなく、それを将軍にお命じあそばさねばなりませぬ」とせまり、帝自ら大和の樫原神宮に行幸し、攘夷親征の宣言をされることであった。もはや将軍を無視し、天皇みずから日本の士民を率いて外国と開戦することを祖廟の宝前に誓うというのである。
勅使が河原町の長州藩邸へゆき、その兵を撤退せしめた。政変に敗北した長州人とその浪士団は、三条実美ら七卿を擁しつつ東山妙法院から京を落ち、長州に去った。容保はこの政変に勝った。がその勝利の実利を得ず、利は薩摩藩が得た。この夜から維新成立に至るまで京都朝廷は権謀の才にめぐまれた薩摩人たちの一手ににぎられた。容保は依然として一個の王城護衛官であり続けたにすぎなかった。ただ京都の市中におけるその警備能力はすさまじさを加えた。市中警備は新撰組が担当している。京に残留潜伏中の長州人や長州系浪士をみればこれを斬った。斬ることが彼らの法的正義であり、思想的正義であった。会津藩は朝廷と幕府から京都守護を命ぜられており、かつ、長州人は天皇の敵であったからである。
容保は晩年、無口で物静かな隠居にすぎなかったが、肌身に妙なものを身につけている。長さ20糎ばかりの細い竹筒であった。容保が死んだ時、その竹筒を開けてみた。意外にも手紙が入っていた。読むとただの手紙ではなかった。宸翰であった。一通は孝明帝が容保を信頼し、その忠誠をよろこび、無二の者に思うと意味の御私信であり、他の一通は長州とその係累の公卿を奸賊として罵倒された文章のものであった。長州閥の総帥山県有明は、その宸翰が存在する限り、維新史における長州藩の立場が後世どのように評価されるかわからない。人をやって松平子爵家に行かせ、それを買い取りたいと交渉させた。額は5万円であった。が、宸翰は手に入らなかった。松平家では婉曲に拒絶しその後銀行に預けた。竹筒1個、書類2通という品目でいまでも松平容保の怨念は東京銀行の金庫に眠っている。
日本に二つの政権ができた、といっていい。京都の天皇政権は抽象的な日本統治権とあいまいな外交権だけしかもっていないが、京都の二条城と大坂城に駐営する徳川慶喜の政権は強大な軍事力と400万石の直轄の支配権領と、300諸侯に対する伝統的な支配力をもち、しかも江戸城に次ぐ防禦力をもつ大坂城に軍事拠点を置き、旗本、会津・桑名などの旧式戦力の他に3万以上という日本最大の洋式歩兵軍を集結させていた。しかも慶喜は恭順の姿をとっている。岩倉は戦端をひらきたかった。武力によって徳川軍をつぶさぬ限り彼の構想する革命は成就しないであろう。が、慶喜が朝意に服している限りなんともできない。そこで挑発する必要があった。慶喜政権の財政基盤であるその400万石の直轄領を朝廷に返納させることであった。無理難題と言っていい。それを返納すれば旗本8万騎が飢えに死ぬ、他の大名が徳川体制のままで土地人民を支配しているのに、なぜひとり徳川家のみがそれを差し出さねばならぬのか。こういう情勢下で岩倉と大久保が立案した「小御所会議」が開かれた。御前会議である。親王・公卿の代表者の他に、諸藩主では尾張候、越前候、安芸候、土佐候、薩摩候の5人が出席した。その会議の席上、土佐候山内容堂が徳川慶喜擁護のために激論し始め、ついに「現下の情勢は2、3の公卿の陰謀である」と言い放った。
「村田先生はすでに士分の列にあられるのになぜいつも雑人のような半袴を用いておられるのです。」と聞いた。蔵六はおかしくもないといった顔つきで
「馬に乗れないからです」と答えた。「先生は剣は何流をお使いになさる」、「剣術は無修行です」、蔵六は正確に答えた。「たいへんな武士もあったものだ」と家中で物笑いにした。蔵六はその嘲笑に対して「私の兵学で士と言うのは諸藩で高禄を食む者のことではない。士の武器は刀槍ではなく重兵(兵卒)の隊であり、士の技能は何流の剣術ではなく、重兵を自在に指揮する能力である。武士、武士といって威張っている者に国家の安危は託せられない」といった。
楢崎は「前線では朝9時から午後4時まで小銃を撃ちつづけている現状だ」とまで極端な表現を使った。これが益次郎の性分には気に入らなかった。「君嘘を言っては行かぬ。小銃というものは3,4時間も連発すると手が触れられぬほど焼けてくる。水にでもつけねばそれ以上連発することはできない。それを君は9時から4時まで続け撃ちしたというが、それはうそだ。うそでないというなら、いまここで君が4,5時間連発してみるといい。それに聞けば兵一人あたりまだ弾丸が200発ずつあるというではないか。そんな隊に弾丸の支給は無論、増援もできぬ」 楢崎も、川田もひきさがらざるをえなかったが、議論に負けた怨恨だけは残った。
オランダ人らしく日本の役人の通弊についてはよく知っていて買い付け方の役人に賄賂を贈ってずいぶん高値で売るという評判も聞いていたし、それにもっと始末が悪いことには相手が無知な場合にはとんでもない旧式銃を売りつけることであった。被害は南部藩を除く東北諸藩で、多くは欧米のどの陸軍でもすでに廃銃になってしまっているゲベール銃を売りつけられた。ゲベール銃というのは発火装置が火縄のかわりに燧石になっているだけで、弾は先込めであり、銃腔内の滑腔である。その点種子島とかわりがなかった。「銃の見本を見せtもらいたい」と継之助は微笑もせずにいた。スネルはすぐ店員に命じて各種の銃を並べさせた。さすが、継之助に対してゲベール銃を見せるという愚をしなかった。まず薩長や幕府歩兵が持っているミニエー銃をみせ、「射程が長い」といった。「わかっている」と継之助はいった。スネルは米国製はシャープス銃をしきりとすすめた。銃身が短く、取り扱いが軽快でしかも精度の良い元込銃である、と。「これは安いはずだ」と継之助はいった。スネルは「いや高い、安価なものではない」というと、継之助は即座に矢立と懐紙を出し、アメリカ大陸の地図を書き、この図が何国であるか汝は知っているか、といった。「アメリカ」 スネルは継之助の気概に圧されている。「然り。我が年号で言えば文久2年からこの国で内乱(南北戦争)が起こっている。ほぼ終わりつつあるそうだ。せっかく製造した銃が過剰になっている。それが国外に流れた。世界中でだぶついてる。それでも高い。というのか。」スネルは黙った。「それに私はこのアメリカ銃を好まない。なぜなら短すぎる。かの国ではおそらく騎兵に持たせたものであろう。銃は白兵格闘の場合には槍の役目をなし、しかも槍術は古来我が国が世界一だと思っている。長い銃がいい。ミニエー銃にしよう。」
王城の護衛者 (講談社文庫 (し1-2)) 司馬 遼太郎 講談社 1971-10 |
【愛国者・民族主義者】
2013.03.08 藤原氏の正体 1/4 ~鎌足と蘇我氏
2012.12.07|殺戮と絶望の大地
2012.09.06 ジャカルタに行ってきました 2/9~言語はあるが文字がない
2012.06.13|第二次タイ攻略 3/15 ソンクラン@シーロム
2012.04.20: マクリッチー攻め第3弾 ~昭南神社探索
2011.12.27: 民主主義というのも民に自信を持たせるための方便
2011.10.25: インドネシア 多民族国家という宿命 1/3~歴代大統領
2011.08.31: マハティール アジアの世紀を作る男4/4 ~がんばれアジア
2011.07.12: 父親の条件2/4 ~フランス人の高慢ちきな態度はここから
2011.05.10: 日本改造計画2/5 ~権力の分散と集中
2011.02.17: 田中角栄 その巨善と巨悪 ~議員立法
2010.12.06: 田中角栄 人を動かすスピーチ術 ~カネの使い道
2010.07.13: 日本帰国 第一幕 靖国参拝
2010.05.25: 靖国で泣け
2009.08.21: インド独立史 ~ナショナリズムの確立
わが闘争 上 民族主義的世界観 4/7 ~国家の道
ドイツ政策の4つの道 (国家が生き残るための条件)
1.フランスの手本に従って、出生の増加を人工的に制限し、それでもって人口過剰に対処することができた。
2.国土開発、土地の収益力は一定限度まで引き上げることができる。しかしただ一定の限度までであり、無限にということではない。一定の期間人々は、かくして我が国土の利用度を増すことによって、飢餓の危険なく、ドイツ民族の増加の困難を防ぐことができるであろう。しかし生活上の要求は一般に住民数よりも急速に増加するという事実が、これに対立する。衣食に関する人間の要求は、年々大きくなり、今日でもおよそ100年前の我々の祖先の要求とは比べようも無いほどの状態になっている。だから生産の増加が人口の増大のすべての前提を果たした、と考えるのは誤りである。他の人種がこの地上の大きな面積にしがみついているときに、もしある民族が国土開発にとどまっているならば、ある時期になると他の民族がたえず増加し続けるのに、自己制限することを余儀なくされるだろう。遺憾ながら、総じて最善の国民が、唯一の新の文化的人種、、あらゆる人種の進歩の担い手だけがその平和主義に幻惑されて、新しい土地獲得を断念し、「国土」開発で満足することを決意しているが、しかし劣等な諸国民が、この世界の巨大な生活圏を確保することを知っているからこれは次のような結果に導くであろう。
文化的には劣っているが、生来より残忍な民族は、最も大きな生活圏を持っているためにその位置でなお無限に増加を続けることができるのに、文化的には優れているが英慮勝ちな人種がその制限された土地のためにいつかはその人口増加を制限せねばならないのである。そこでなお遠い将来のことではあるが、ただ2つの可能性だけが残る。世界は我が近代民主主義の観念にしたがって、すべての決定が数の上でより強い人種のために有利な結果に終わるか、あるいは世界は自然的な力の秩序の法則によって支配され、その場合、残虐な意思を持つ民族がかつことになり、自制する国民が敗れるかである、しかしこの世界がいつかこのうえも無く激しい人類の生存の闘争にされされるだろうことは、誰人も疑うことができない。最後には自己保存欲だけが、永遠に勝利を閉める。永遠の闘争において人類は大きくなった、永遠の平和において人類は破滅するのだ。
3.過剰な幾百万人を毎年移住させるために新しい土地を手に入れ、そして自給の原則でずっと国民を養っていく
4.外国の需要に応じて商工業を起こし、その売上高によって生活をまかなっていくか ← 日本、いまここ
今日ヨーロッパ諸国の多くは、ピラミッドを逆さにしたに等しい。そのヨーロッパの底面は、植民地、外国貿易等におけるほかの重荷に対して笑うべきほど小さい。ヨーロッパに尖端があり、全世界に基底があるといってもよい。規定をなお自己の大陸に持ち、そしてただ尖端のみが他の土地に触れているアメリカ合衆国とは違うのである。それゆえにこそ、この国は未曾有の国内的な力を持ち、ヨーロッパの植民地国家がたいてい脆弱なのである。イギリスもまた例外ではない。人々は大英帝国を見る場合、そもそもアングロサクソン系の世界そのものを見ることを簡単に忘れる。イギリスの地位は一人でアメリカ合衆国と言語上、文化上で共同しているためにそれでなくてさえ他のヨーロッパの国々とも比較されえないのである。それゆえドイツにとって健全な領土拡大政策を実施する唯一の可能性は、ヨーロッパ自体の中で新しい土地を獲得することだけにあった。
人々がヨーロッパで土地と領土を欲するならば、その際は大体においてロシアの犠牲でのみ行われえた。ヨーロッパには唯一つの同盟国があった。すなわちイギリスである。イギリスと結んでのみ、背面を保護されて、新しいゲルマンの行軍をはじめることができたのである。イギリスの好意を得るためには、だがどんな犠牲でも大きすぎることがあってはならなかった。植民地と海上勢力を断念し、そしてイギリス工業に対して競争をさしひかえるべきだった。この意味でイギリスがわかりがよかったならばその時期があったのだ。ドイツが時刻の人口増加のために何かある打開策を探さねばならず、そしてイギリスと結んでそれをヨーロッパに求めるか、あるいはイギリスと結ばずに世界に求めるかを、イギリス人は非常によく理解していたのだからである。
総督が、不毛の大地ヨーロッパを憂いておる。地中海に海岸線を持つ西ヨーロッパはともかくも東ヨーロッパは悲惨だな。ウクライナやカザフでは小麦が取れるらしいが、米や野菜が豊富に取れるとは思えないな。ロシアの犠牲とは、ヨーロッパをロシア東部やカザフまで含めて定義し、EU圏とロシア圏の勢力争い、つまりドイツより東にどこまで侵攻できるかということを言っている。
国際連合統計局の分類
東ヨーロッパ:ウクライナ、スロバキア、チェコ、ハンガリー、ブルガリア、ベラルーシ、ポーランド、モルドバ、ルーマニア、ロシア
アメリカ中央情報局(CIA)の分類
東ヨーロッパ(東欧):ウクライナ、エストニア、ベラルーシ、モルドバ、ラトビア、リトアニア、
南東ヨーロッパ(南東欧):アルバニア、クロアチア、コソボ、セルビア、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロ、ルーマニア、
あら・・・東欧言うたら、ポーランド、オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアだと思ってたけど、俺の勝手な勘違いだったようで。旧ロシア圏が東欧なのか・・・
国家と経済 (ここ日本人には重要部分)
全民衆に「経済的制覇」というナンセンスなことを実際政治の方策として、その反面「世界平和」の維持を政治の目標として全民衆に提示し、おまけに理解させることについては、我々すべての政治思想が一般に不健全であったことにかなり深い原因があった。国家は特定の経済観や経済的発展とはまったく無関係である。国家は経済的課題を実行するために、ある一定の制限された生活圏に経済的な契約者をまとめたものではなく、種の発展維持をいっそう可能ならしめ、摂理によって規定された自己存在の目標を達成するための心理的、精神的に同一な生物の共同社会組織である。国家の目的と意義はこれであって他の何者でもない。そのさい経済はこの目標を達成するためにまさしく必要な補助手段の一つに過ぎない。経済は、国家の原因でもなければ目的でもない。国家それ自体は前提条件として領土的境界を持つことを決して必要としないということは、これによってのみ明らかにされる。これは自ら種族同胞の扶養を確保しようとし、自己の労働によって生存競争を戦い抜く覚悟がある民族によってのみ必要とされる。雄バチのように他の人類の中に忍び込むことができ、あらゆる口実をもうけて人類を自己のために働かせるような民族は、独自の一定の境界を持った生活圏なしでも国家を形成することができる。このことは第一に、その寄生性のためにとりわけ今日、正直な全人類が悩んでいる民族、すなわちユダヤ民族に当てはまるのである。
ユダヤ国家は地域的に一度も境界にあったことが無く、地域の上では普遍的で際限無く、ただ人種の集合という点に制限があっただけである。それゆえこの民族はいつもまた国家の中に一つの国家を形成していた。この国家を「宗教」として航海させ、かくしてアーリア人種が宗教上の宗派と認める心構えの寛大さによって自己を安全なものにしてきたことは、まだ見たことの無い最も天才的なトリックに属する。というのは事実上モーゼの宗教は、ユダヤ人種保存の教説に他ならないからである。それゆえこの宗教は、一般にユダヤ人種保存のためにだけ問題になりうる社会学的、政治的な、同様に、経済的な知識分野をほとんどすべて包括しているのである。
人間が共同社会を形成した最初の動機は、種の保存の衝動である。しかしながら、それと同時に国家は民族的な有機体であって、経済的組織ではない。種の保存と維持は、各人の献身に進んでおもむく覚悟を前提としているからである。種の保存を確保するために個人の存在の献身が必要だということになる。
国家を形成したりあるいはまた国家を維持するだけの力とは現実になんであるか、と問うならばそれを2,3の言葉に要約しうる。すなわち全体のために個人を犠牲にする能力と意思である、と。この徳が経済となんら関係ないことは、次の簡単な認識から推定できる。人間は商売のために死ぬものではなく、ただ理想のために死ぬものだということである。イギリス人が民衆の心を認識する上で心理的に優れていることは彼らが戦う場合に与える動機付けを知ること以上によく示してくれるものはない。我々がパンのために戦っているのに、イギリスは「自由」のために、それも自国民のためでなく、そうだ、小国の国民のために戦ったのだ。
【戦争論・兵法】
2013.02.13 巨いなる企て 4/4 ~伏見の政治と軍事
2012.08.01|マキアヴェッリと君主論2/4 ~性悪説的君主論
2012.05.16|攻撃計画 ブッシュのイラク戦争1/2~準備
2011.07.28: 後藤田正晴と12人の総理たち1/2 ~天安門事件
2011.02.03: 賭博と国家と男と女 ~人は利己的に協調する
2010.12.16: 自作 近未来小説 我が競争 ~第三次世界大戦の勝者と人類の進化
2009.12.16: 孫子・戦略・クラウゼヴィッツ―その活用の方程式
2009.10.23: 核拡散―軍縮の風は起こせるか
2009.05.04: 民族浄化を裁く 旧ユーゴ戦犯法廷の現場から
2009.02.24: 孫子の兵法
2009.01.06: ユーゴスラヴィア現代史 ~Titoという男
オクシオーヌのドラゴン道中記 直線型・回廊型・平原型マップと龍軍団の兵法
1.直線型マップ 1章 第4戦 クリザローの町
モルドバ・ゴースト・スケルトンを仲間に。モルドバは今回も高速モルドバで。
龍軍団が遅く、敵軍大将モルドバが速いので、自軍は桟橋を超えることなく、全部自軍の島にユニットが居る状態で最後まで・・・。いつもなら大将モルドバが桟橋を越えて逃げてそれを全員で追い詰めるという展開になるのだが、モルドバが桟橋を渡りきったところで龍二頭が桟橋をふさぐ。
2.回廊型マップ 1章 第5戦 クァドリガ砦 ニバス君は前回同様、激弱スタートの高成長率。
ううっ、砦の一本道、迂回型マップは龍軍団に向かない。龍軍団がつまってしまって敵を捕らえることができない。
3.平原型マップ 1章 第6戦 ゴルホルザ平原
4頭の龍が美しい。今回大将のオクシオーヌは休憩。広大な平原型マップを龍軍団が縦横無尽に龍軍団が・・・と言いたいところだがやっぱりドラゴン重い。動く万里の長城。かっこいい。
ニバス君のスペシャルはサモンアスモデ。確かにお洒落ですが無制限に使えると興ざめなので、必要Braveを15-10で制限。屍術師としてアンデッドの安らぎサッドソングも良いかと思いました。
スペシャルの性質:スペシャルは取得レベルがあるので、レベルが上がるたびに制限レベルを参照する。デフォルトでは、サモンアスモデとなっているスペシャルをサッドソングに変更することも可能である。ただし、サッドソングの取得レベルは20なので、レベルが上がると一度スペシャルが消える。参照レベルが取得レベルに達したレベルアップ時に取得可能である。
サモンアスモデ使ってみました。ニバス君は例のごとく、INTとMENの初期値を低く抑えてあるので激弱。
タイ全土落下傘計画 17/17 ~最終日、まとめ
Phayaoに友人を送りに
チャンラーイ遠征隊の友人が同じくシンガポールのタイパブに勤めていたのだが、彼女のシンガポールの彼氏がバンコクに1週間ほど遊びにくるので、バンコクでお出迎えするらしい。それでバスで10時間かけてバンコクに行くので、バス停まで車で送る役割をチャンラーイ遠征隊が引き受けたのである。バス停というかバスターミナルまでも車で40分の距離である。インターネットのスピードは速くともこういうところは田舎である。そのシンガポール人の彼氏とやらもなかなかやるじゃないか、アジア一国一愛人構想を理解しているとはな。バンコクで遊んでいるあたりが、タイ全土落下傘計画まで発想が及んでいない稚拙さがうかがえるが。しかし、シンガポール人こそ危機感をもってアジア一国一愛人構想を積極的に実践すべき立場の国力である。豊かで産業がある日本人諸君等は、日本と言う素晴らしい土壌だけでも生きていけるだろうから、アジア一国一愛人構想は遊びにしか映らないかもしれない。
17:30にバスターミナルに着き、19:30発PhayaoからBangkok行きのバスのチケットを手に入れた。640THBとは10時間もかかる割に安くない。今日は日曜日の次の祝日なので、特に混んでいて、普段ならもっと待ち時間は短くチケットも多少安いらしいが、いずれにしても数倍払えば80分でバンコクまで移動できると思うと、日本人にとっては飛行機の方が利用価値が高かろう。
待ち時間が2時間もあるので、Phayaoの湖のほとりにお食事に出かける。コンビニでビールを買い、その場で適当に飯を買う。飯はソムタム、焼き魚、魚介サラダ、コウニャオ×2で260バーツで3人で食べてお腹いっぱいになる分量である。日没を見ながら、湖のほとりでお食事とは、ここでは当たり前かもしれないが、都会生活者にとっては何とも贅沢な環境である。日没後は、半袖だと少し涼しいくらいの気候の中、ロイクラトンの灯篭飛ばしが数個飛んでいて、星空が広がり始めるという。タイも広い、全土でとらえれば年中変わらない気候のバンコクだけでなく、色々な姿を見せてくれる。
最終日、朝、お姉さんが私のお気に入りのヌア料理ラー・ムゥーを作ってくれた。ここで思ったのはもち米(コウニャオと表記しているのは私だけで一般にはカオニャオと表記するようです。知らなかった。)だけでなく、普通の長粒種の白米であるカオチャーオもおいしいということがわかりました。さらさらと食べる感じなので、カオニャオ>日本米>カオチャーオ、の順で粘り気、重さが弱くなります。軽いのでパンチ力も軽く、量をカオニャオの2倍くらい食べる感じで、皆さん大量に召しあがっています。付け合わせの野菜はなんだかよくわかりませんが、根野菜の葉なのでしょうか、大根の葉のように少し辛みと苦味があります。
ご家族で送り迎えするのはタイの礼儀なのかな。またお父様とお姉さんとチャンラーイ遠征隊の3人で空港までお見送り。ありがとうございました。
3週間という長い潜伏期間であったが、実に健康的な生活をしていた。一番大きいのは食事で、3週間ファーストフード無し。シンガポールでは、マクドナルド、ケンタッキー、吉野家という御三家のヘビーユーザーであるが、フライドポテトもコカコーラも飲んでいない。朝の排せつ物が食べ物の健康を物語っている。実は最初の1週間は緩めだった。原因がわからなかったが、ほぼ毎日食べていたホテルのブレックファーストの生野菜であると推測している。原因を突き止めたにもかかわらず、生野菜はおいしいので、摂取を続行し、パタヤ以降は、ホテルの朝食をとるのを止めたので、健全な固さに変化していったのである。
ビールはほぼ毎日飲んでいたが、タイのチャン(Chang Beer Clasicc)が最安値でアルコール度数が6.75%もあるので、9割これを飲んでいた。後はウイスキー、タイのライスウイスキーも絡めながら、氷入りでガンガン・ロックで飲みましたが、お腹大丈夫です。生牡蠣も大丈夫ですw
注意すべきはホテルの朝食生野菜。屋台の方が不衛生な気がするのだが・・・、なぜか当たらない。
最後の一週間は、チャンラーイの農家で家庭料理と産地直送食材。産地直送というより、庭で取ったものが多く含まれており、無農薬でもある。お姉さんが作ってくれたヌア料理、美味しゅうございました。そして、山の綺麗な空気を吸い込み、夜は街にも繰り出さず皆さんに合わせて21時に就寝するという健全ぶりであった。
肉体的には健康的な生活を送り、精神的にも健康なはずだった。穏やかに、ピリピリせず過ごせたと思う。しかし、ディズニーランドに行くと気分が悪くなる私にとって、穏やかな生活が多少ストレスになったかもしれない。もちろん、期間限定だということがわかっているので、「早くシンガポールに帰りたい」と思うほどの強いストレスではないのだが、のんびりとしたヌルさに、刺激を求めたくなる気持ちがあったのは否めない。刺激と言うのは、商売・市場性の緊張感、夜の街のスリル、こういったものではない。
3週間も人の悪口を言っていない。
やっぱり俺には悪口が必要だ。よどみなく、無限に湧き出るがごとく。時に嘲笑し、時に怒り調子で。これがないと冴えない男、スパイスの効いてなタイ料理のごとく。精神的に穏やかな「悪口無し」の生活が少し息苦しい。
【エコノミーなお食事】
2012.12.25 タイ全土落下傘計画 2/17 ~パタヤへの格安アクセス
2012.11.14 第二次ジャカルタ攻略 5/11 ~Blok Mの1次会の探求
2012.09.05|北京・ハルビンに行ってきました 3/13 ~北京ダック・全聚徳
2012.08.21|第二次タイ攻略 11/15 世界一安いフカひれ
2011.12.07|東京出張に行ってきました
2011.07.01: お料理シリーズ 餃子ライスと好き嫌い
2011.01.14: 外食の経済合理性
2010.05.27: カフェオレでキレる男
徴税権力 国税庁の研究 2/2 ~大企業
マルサが一度も踏み込んだことが無い「領域」がある。それは大企業である。国税庁の分類では資本金1億円以上の法人を「調査部所轄法人」と呼び、各国税局の調査部が担当している。このうち資本金40億円以上の大企業は東京国税局調査第一部の精鋭、特別国税調査官の担当だ。
国税庁はかつて、大企業に対する査察の可能性を極秘に検討していた。国税内部でも大企業に査察が無いことを気にしていたのである。きっかけは82年12月の衆議院予算委員会。共産党の金子満広議員が大蔵大臣の竹下登を相手に
「国税調査課が担当している大法人、資本金1億円以上ですが、約19000社のうち、1/5の4200社を実地調査した。それだけで税金が新しく取り立てたのが1345億円ふえていますね。つまり1/5のところだけ調べてもこれだけの金額、全部やれば6000億から7000億になる計算に私はなると思うのですね。大企業に甘くしないという点は大蔵大臣、いいですね。大企業に対しては今言ったように青色申告取り消しゼロという中で中小企業、商店はあれだけの件数がどんどんやられます。」
三菱商事副社長加藤竹松は「110億円は米国三菱が売買を依頼された取引先の利益である」と説明した。ところがその「取引先」がタックスヘイブンのバハマにある「パイコール社」という謎の企業であることが判明、国税当局の調べで、同社設立に三菱商事が深く関与しており、米国密微小時の事実上のペーパーカンパニーであることがわかった。税逃れの意図ははっきりしているが、国税当局は重加算税を含めた修正申告で決着させた。
大企業査察摘発第1号は遠くない時期にあるだろうと私は注視していた。しかしそれから20年以上経った今日まで、大企業に査察が入った例は皆無である。ただし、ニアミスがあった。それがまた三菱商事なのである。
ルノワール疑惑
東京国税局調査第一部は90年秋、三菱商事の税務調査に着手した。その年、三菱商事の税務申告には目を引く項目があった。ルノワールの名画「浴後の女」「読書をする女性」の購入である。
三菱商事はこの2点をスイス在住のフランス人二人から36億円で購入したと申告していた。三菱商事のような総合商社が個人相手に取引するのは珍しい。担当部署が開発・建設部門のデベロッパー調査部だったことも不自然ではあった。国税局としては当初、購入の事実と価格を確認できればよしという程度の構えだった。ところが調査は意外な展開を見せる。絵画は実は、創価学会から依頼されて三菱商事が代理購入したものであるが判明し、しかも購入先のフランス人2人は実在せず、実際には東京青山の画商から21億2500万円で購入したことが明らかになったのである。三菱商事は実際に36億円を支払っており、差額の14億7500万円が行方不明となっていた。21億円分は画商の手にわたっていたためにすぐに判明したが、残りの約15億円は受取人が不明の上に、現金化された際の裏書に架空名義が使われていたために追い切れなかった。関係者を追及したものの、十分な協力は得られなかった。強制調査権を持たない調査部の限界だった。
しかし東京国税局は「使途不明金として課税されてもやむをえません」という三菱商事の意向を受け入れ、課税処分だけで決着をつけようとしたのだ。91年11月になってようやく査察部が重い腰を上げたが、その矛先はなぜか三菱商事ではなかった。三菱商事に協力して謝礼を受け取った陶磁器販売会社の女性役員と、絵を売った画商がマルサの対象となったのだ。査察の調べで不明だった15億円のうち12億円の謝礼が女性役員らに支払われたことは判明したが、残りの3億円の行方は最後まで謎として残った。
決定的には事を構えず、適当な所で妥協するという微温的な関係が長年続いてきた国税と大企業だが、2004年半ば頃から異変が起き始めた。特に06年になって、国税当局は大企業の海外取引に目をつけ遠慮のないつ聴講生をかけるようになった。課税処分を受けた企業と追徴税額を例示すると、次のようになる。
ホンダ 117億円(04年6月)、京セラ 127億円(05年3月)、船井電機 165億円(05年6月)、武田薬品 570億円(06年6月)、ソニー 324億円(05年、06年6月)、マツダ 76億円(06年6月)、三菱商事 22億円(06年6月)、三井物産 25億円(06年6月)
追徴課税を受けた企業はこの8社にとどまらない。世界的に名が通ったビッグカンパニーがほとんどを占めており、税額も極めて大きい。国税庁は「所得を海外に逃す国際的な租税回避行為を封じ込め、我が国の税収を確保する」という大義名分の下で、国際取引にまつわる課税に力を入れるようになった。20年前にはわずか9人だった国際課税部門の専従スタッフは現在120人を数える。国税当局が頼る有力な武器が「移転価格税制」である。日本の親会社が海外の子会社に商品を売った際、第三者間の取引価格(独立企業間価格という)より低い価格で取引すると親会社の収入が減るため本国では税収減になる。国税当局から見ると親会社の所得が海外子会社に移り、相手国の税収となると捉える事ができる。「移転価格税制」はこれを防ぐための制度で、いわば国家間の「税金分捕りシステム」といってよい。米国をはじめ多くの国で採用している。
85年、米国内国歳入省からトヨタ、日産、ホンダが「移転価格税制」を適用されて巨額の追徴課税を受けたことがあった。輸出産業のトップランナーへの思わぬ課税は国会でも大きな問題になり、「黙っていると外国に税金をもっていかれっぱなしになる」(国税庁)として翌86年に日本でも導入された経緯がある。導入当初は日本コカ・コーラなど外資系企業を集中的に調査していたが、やがて国税当局の矛先は日本企業に向けられ始めた。国税庁がまとめた移転価格税制によると課税所得額の推移は興味深い。
01年度 381億円、02年度 725億円、03年度 758億円、04年度 2168億円、05年度 2836億円
02年度から課税強化に転じたことがわかる。
http://www.mof.go.jp/international_policy/reference/balance_of_payments/bpnet.htm
これ財務省の国際収支統計だが、経常収支の詳細で、1985年からの25年間で、貿易収支と所得収支が綺麗に入れ替わっている。日本企業が国内生産を止め、海外に生産拠点を移した結果と言えよう。そして04年にさらに遅れること5年、09年から海外子会社からの配当益金不算入が導入され、ますますのこの傾向を助長することになっただろう。足したら変わらないので、国税と企業は困らない。困るのは労働市場を奪われた国内日本人なのである。
官庁には法人税の納税義務が無い。営利事業を営んでいないからだ。しかし官公庁が所轄する公益法人や許可法人などの外郭団体は収益事業について課税対象になる。国税当局がこうした外郭団体の税務調査に力を入れるようになったのは95年ごろからだ。公益法人は民間企業よりも法人税率が低くなっており、税制面で相当に優遇されている。官庁系の外郭団体は、長引く不況で苦しんでいた民間企業に比べて所轄庁からの委託業務で安定した収益をあげられる仕組みになっている。にもかかわらず経理処理や金の使い方が乱脈だと各方面から指摘されていた。95年に建設省の「リバーフロント整備センター」(東京都千代田区)が東京国税局から約7000万円の申告漏れを指摘された。
以降、「ダム水源地環境整備センター」「ダム技術センター」「日本気象協会」「日本情報処理開発協会」「林野弘済会」などで立て続けに申告漏れが見つかっている。「ダム水源地環境整備センター」「ダム技術センター」の場合、建設省の官僚らの接待につかった飲食代やタクシー代金を経費として計上していたが、国税は経費と認めず課税対象の「交際費」と認定している。官僚への公費接待をあぶり出す結果となったわけだ。
国税当局の矛先は警察が所轄する交通安全協会にも向けられた。98年春、千葉県交通安全公会連合会が東京国税局の調査を受け、約1億円の申告漏れを指摘された。運転免許証の更新者用テキストなどお関連団体から購入した際、代金の一部を払い戻してもらっていた。これを課税対象にならない「非収益事業」として会計処理しえいたが国税局は「ノー」を突き付けた。これをきっかけに国税庁は各国税局に指示して集中調査を行い、26府県の交通安全協会で申告漏れが見つかった。そして2002年にはついに本丸の警察庁所管「全日本交通安全協会」が所得隠しを摘発された。協会は専門家に監修料を支払ったように見せかけて7年間で4億7千万の経費を水増しし、裏金としてプールしていた。
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徴税権力 国税庁の研究 1/2 ~甘い時
金丸信摘発の舞台裏
割引債のサイズは紙幣より少し大きい程度しかない。仮に1億円の額面の割引債に整理すれば、30億円分の札束も30枚の紙切れに収まる便利さがあった。84年に行われた福島交通グループに対する税務調査で、小針暦二が
2億2400万円の日債銀割引債を購入していたことを把握していた国税庁は、その後の継続調査で小針が金丸にも割引債の購入を勧め、共同購入したという情報を得ていたようだ。
金丸のタヌキ爺が収賄しようが脱税しようがかまわん。金丸の罪は、割引金融債を「メディアに公開されたマネロン手法」に貶めたことにある。おそらく金丸以上に購入していた富裕層は、私以上に怒ったに違いない。完全に昔話になり果ててしまったが、「一族家における投資教育~税金と名義」という話もある。
検察や警察は、公判に向けての世論作りをするために、捜査情報を記者にリークすることがある。新聞や雑誌の記事はそんなリークによるものである。国税がそれをしないのは、税務調査が基本的に相手の協力を前提に進められるものだからである。通常の税務調査は相手先から任意で帳簿や書類を提出してもらい、聞き取りにも協力してもらいながらすすめるのが前提だ。かつて最高幹部を務めた国税OBの一人は「国税は世直し機関ではない」が口癖だった。
竹下登申告漏れ、調査のポイントは世田谷区代沢の自宅新築資金5300万円の出所にあった。竹下は資金の出所について次のように説明した。
(1)協和銀行(現・りそな)からの借り入れ2000万円、(2)所有する青木建設株の売却代金、(3)定期貯金、(4)その他
東京・杉並区にある協和銀行荻窪支店で、裏付け調査にあたっていた東京国税局資料調査課の調査官は二口の不審な口座に目を留めた。名義人は「吉田志郎」と「吉田一枝」で預金額は2つ合わせて1300万円。いずれも架空名義だった。架空名義預金は脱税に直結する。調査官はこの口座の主を銀行側に質したが、支店幹部は緊張した面持ちで、「言えない」と繰り返したという。
この口座は架空名義口座だった。竹下は協和銀行から新築資金として借り入れた2000万円のうち1300万円を密かにプールし、「吉田」名義口座に隠していたのである。建築代金に充てられていたのは700万円だけだった。足りない分はどうしたのか。実は政治資金を利用したのである。建築代金5300万円のうち2000万円が竹下の政治団体から「一時借入金」の形で払われていた。政治資金を自宅新築資金に流用すれば「私的流用」として課税される。そこで「銀行借入」の体裁を整えたわけである。調査対象となった73年から75年までの3年間に竹下の個人資産の純増額は5000万円にものぼった。東京国税局はこの5000万円を政治資金からの流用と認定し課税対象とした。調査の深度は文句のないものだったが課税処分は甘かった。竹下は自宅新築資金を「銀行からの借入金」と偽っており、明らかに税逃れの意図があった。にもかかわらず国税局は、悪質事案に適用される重加算税の追徴を見送っている。
グループ企業間の株式持ち合い状況が一目でわかるように整理したんですが、個人名義に偽装している株式をコクドのものとすると、コクドが保有する西武鉄道株が79.6%に達していたのでびっくりしました。西武建設の約7%を加えてると軽く80%を越えていたと思います。東京証券取引所の上場廃止基準は当時も「少数特定株主が80%を越えた場合」となっていた。国税当局者の誰かが通報すればたちまち上場廃止になるばかりか、証券取引法違反に問われる事態になっていたのだが国税は沈黙を守った。
西武鉄道株の偽装を知ってはいても肝心の徴税はなかなか思うようにまかせなかった。グループ企業の中でとりわけ国税が関心をもったのがコクドだったが、毎年のように赤字申告が続いていたからだ。
86年3月期 ▲4億3800万円、87年3月期 ▲11億7300万円、88年3月期 ▲5億9300万円
不動産や有価証券など多額の資産を保有しながら、なぜこんな申告になるのか。
「何度も調査したが、銀行から多額の借入金があり、その支配利息が営業利益を上回っている。だから赤字になる。儲けが無いのに法人税を課すことはできません。これは税務上は何の問題もない。」
コクドの申告によると88年3月期の土地保有高は208億円。同じ時期の森ビルは1597億円だから意外なほど少ない。これは購入した際の簿価が基準になっているためで、コクドの土地取得時期がいかに早く、その分価格がいかに安かったかを物語っている。この莫大な含み益が信用力となって、銀行はコクドにドンドン融資した。「新規事業にどんどん投資していますから利益が出ないわけです。新規事業は利益を減らすためではなく、将来に備えての先行投資なんです。法人税を払わないと言われるけど、法人税は利益が出た時に納めるということなのであって・・・。日本の税制はよくできてますよね。やる気のあるものをちゃんと助けるシステムになっている。」 こんなナメた発言をされても国税は手をこまねくしかなかった。
徴税権力―国税庁の研究 落合 博実 文藝春秋 2006-12 |
【株にまつわる事件】
2012.01.26 野村證券スキャンダルの検証 2/2 ~相場操縦
2011.10.14: ゴールドマン元トレーダーをETFインサイダー取引
2011.09.06: 投資詐欺 1/3 合法
2011.04.19: 史上最大のボロ儲け ~ポールソンの追い討ち 6/6
2011.01.11: イトマン・住銀事件 ~脇役 経済事件史顔ぶれいつも同じ
2010.10.07: マネー・ロンダリング入門 ~バチカンの役割
2010.09.14: 三井住友FG、証券業務? やんの?
2010.08.20: 株メール Q3.コーポレートアクション
2010.06.28: 政商 昭和闇の支配者 ~企業買収
2010.05.18: 秘録 華人財閥 ~李嘉誠と包玉剛 「英資財閥への挑戦」
2009.11.13: 7736企業乗っ取り 300億円強奪を示す財務諸表
2009.10.15: BNP作為的相場形成の疑義についての見解
2008.02.02: 信用取引 証券会社の儲けと投資家(顧客)のうまみ
離婚届の書き方と注意点
離婚届など一生縁のない方もいらっしゃるでしょうが、縁が無いにしても一度くらいはその衝動にかられた読者は多いことだろう。裁判だ、慰謝料だ、養育費だということが頭よぎるだろうが、それらは派生に過ぎず、最低必要要件は実にシンプルで届けを役所に出すことで離婚は無事に成立する。
名前を間違える。名前が書ければ合格する学校などという表現もあるが、名前が変わる離婚届において、この名前を間違えることがありうるので、注意点を述べておこう。
(1)に書く名前は、現在の名前である。喜び勇んで慌てて、ここに旧姓を書いてしまうと、残念ながら不受理となる。
続いて住所は、日本在住諸君はガイドライン通りであるが、海外在住諸君は、国名、そして住所を”日本語=カタカナ”で書くと良い。世帯主という概念は無いので空白でかまわない。
最も複雑なケースが
(4)結婚前の氏にもどる者の本籍 のところに書く 筆頭者の氏名 である。
なので、戸籍の移動との関係も含めた入念な解説をしておこう。
ここに名前を書くのは、(2)に名前がある現在の戸籍の筆頭者の氏名とは、逆側の人物=非世帯主の配偶者に関与する氏名を記述することになる。
A)もとの戸籍にもどる にチェックを入れた場合
A-A)非世帯主の配偶者が初婚の場合
通常初婚では、戸籍は親の下に帰属していたはずで、元の戸籍は親・父親が戸籍筆頭者であることが多いので、一般には父親の名前を書く。
A-B)非世帯主の配偶者が初婚でない場合
A-B-A)前回の結婚で戸籍筆頭者の場合、戸籍筆頭者は離婚後も親の戸籍にもどることができないので、旧姓を書く。
A-B-B)前回の結婚で戸籍筆頭者ではなかったが、離婚時に新しい戸籍を作った場合、戸籍筆頭者であるはずなので、旧姓を書く。
A-B-C)前回の結婚で戸籍筆頭者ではなかったが、離婚時に親元の戸籍に戻った場合、初婚の場合と同じく親の名前を書く。
B)新しい戸籍をつくる にチェックを入れた場合
B-A)元の姓にもどりたい場合は旧姓を書く。
B-B)現在の姓を維持したい場合は、現姓を書く。
一番、重要なポイントは、A-B-A)の戸籍筆頭者の選択権が無いことである。これから結婚しようという諸君は、戸籍筆頭者になると離婚時に親の戸籍に戻るという選択肢は無くなる。そして子無しもしくは親権を取られた場合は、一人ぼっちの寂しい戸籍になる。またどうでも良い話としては、A-B-B)とB-A)は離婚後に出来上がる戸籍の仕上がりは同じになる。
(5)未成年の子の氏名、親権の設定であるが、これも現姓+子供名前で記述する。
そして最後の
(10)届出人署名押印も現姓で記す。
尚、離婚届には
◎必ず本人が署名してください
と書いてあるが、役所は本人署名を確認することもないので、本人の意思が確定している場合、本人署名の必要は無い。だが、それを良いことに勝手に配偶者の分も書いて提出すると、公文書偽造になるので、悪用しないように!
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わが闘争 上 民族主義的世界観 3/7 ~議会制民主主義批判
つまらぬ人物が、精神、能力ともに矮小になればなるほど、彼に巨人のような力や独創性を求めず、むしろ尊重のずるさに甘んずる体制、ペリクレス(紀元前495-429、古代ギリシアの政治化、アテナイ民主政治の完成者といわれ、アレオパゴス会議の実権を奪って評議会を民衆際場所に移し、役人選出に抽選を用い、役人に日当を支給するなど国政の民主化につとめた)の賢明さよりもこの種の賢明さが好ましく見える体制を彼は称揚するに違いない。その際、こういうアホウは自分の行為の責任で決して苦しむ必要は無い。彼はこのような心配からはとっくに根本的に開放されている。彼は彼の「政治的不細工」の結果がどうであろうと、彼の運命がすでにとっくに定まっていることを十分知っているからである。思うに個々人の水準が低下するにしたがって大政治家の数が増すのが、こうした没落の兆候なのである。彼はしかし議会主義的多数への依存が増すとともに、だんだんと小さくならねばならない。というのは偉大な人物はバカな無能者や饒舌家の小使になるのを拒否するし、逆に大多数の代表者たちは-それはかくのごとくバカであるが-すぐれた頭脳のものを心から憎むものだからである。だがこの民主主義の発明は、最近になって真の恥辱にまで発展した特性、すなわち我々のいわゆる「指導者たち」の大部分の卑怯な特性に、最もぴったり応ずるのだ。いくつかの重要なことをすべて実際に決定する場合に、いわゆる大多数というスカートの陰に隠れることができるのは、なんと幸福なことだろう!
こういう政治の追いはぎを一度見るがよい。彼らが自分のために必要な共犯者を確保し、それとともにいつでも責任を逃れうるようにするために、大多数の賛成を心配そうに請け求めていることか。しかし、この種の政治活動は、心から上品で、同時にしかし勇気もある男は嫌がり憎むけれども、すべてのあさましい性質のものたち-自分の行動に対して個人的に責任を取ろうとせず、防御物を求めるものは卑劣なルンペンである-をひきつける主な理由がこれである。すなわち多数は決して一人の人間の代理ができない、ということである。多数はいつも愚鈍の代表であるばかりでなく、卑怯の代表でもある。100人の馬鹿者からは実に一人の賢人も生まれないが、同様に100人の卑怯者からは、一つの豪胆の決断も出てこない。
国家事務を管理する内閣が選ばれるとしてもそれにもかかわらずこれはただ見せかけに過ぎない。実際にいわゆる政府は、まず事前に一般会議の承認を得なければ何も行うことができない。しかし最後の決定は政府には無く、議会の多数者にあるのだから、政府は同時にまた何も責任を問われない。どんな場合にも政府は、ただその時々の多数の意志の執行者であるにすぎない。人々は政治的能力を多数者の意思に順応するか、それとも多数者を自己にひきつけるか、という技術によって判断しうるだけである。職業とかあるいはまったく個人の能力とかにしたがっている選出された500人の民衆代表者たちの内部構成は、分裂して多くはまた哀れな像を生じている。というのは、これら国民から選ばれたものが、同様に精神や知性の点でも選ばれたものであるとはどうしても信じられないからだ! 才知あるとはいえない全ての選挙人の投票用紙からは政治家が同時に100人も生ずるなどと希望的に考えないでほしい。一般に普通選挙から天才が生まれるだろうなどというナンセンスなことにはいくら鋭く対抗してもしすぎることは無い。第一に、ある国民の中にはすべてが聖化されるぐらいの長い間に一度だけ真の政治家が生ずるのであり、、同時に100人もまたそれ以上に一度に出ることは無い。そして第二に、大衆が全ての優れた天才に対して感ずる嫌悪というものはまさしく本能的なものなのだ。選挙によって偉大な人物が「発見」される前には、らくだも針の穴を通っているだろう。
最も重要な利害において、態度決定をするために必要な知識を持っているものが2,3人しかいないのになぜ500人も選挙するのか? しかり、まさにこれが事の真相なのだ。今日の民主主義的議会主義の目的は、おそらく賢人の会議を形成することでなく、むしろ精神的に従属しているゼロに等しい群を寄せ集めることにある。個々人の人格的偏狭さが大きければ大きいほど、一定の方向へ指導することがますます容易になる。ユダヤ的民主主義とは、正直で誠実で個人的責任をとる覚悟がある男はそれを憎まねばならないのに、このうえもない嘘つきで、同時に特に日光を恐れる潜行者だけに好まれ、価値があるものだ。一方、ゲルマン的民主主義とは、全ての責任を完全に引き受ける義務をおっている指導者を自由に選ぶ、真のゲルマン的民主主義である。そこには個々の問題に対する多数決は無く、ただ自己の決断に対して能力と生命をかけるただ一人の決定だけがある。
議会制民主主義の欠陥を痛烈に批判しておるな。この私も一票の価値はゼロであるという問題発言をしたことがあったが、偶然にもヒトラーが、「今日の民主主義的議会主義の目的は、おそらく賢人の会議を形成することでなく、むしろ精神的に従属しているゼロに等しい群を寄せ集めることにある。」と発言しているのには驚いた。500人もいる議会はその500人全てが立法機関のプロとして、成熟しているわけでもないのは明らかで、また対立する利害を調整するのは人数が多くなればなるほど難しく決定は遅くなり、革新や進化は起こりにくくなる。石破さんや小沢さんは一国会議員でありながらも(幹事長なのかもしれないが)立法家としての能力は他の国会議員の追従を許すレベルではないのは明らかであろう。そんな優れた立法家・政治家たちが国家・国民のために勇気ある政策決定を矢継ぎ早に断行するためには議会制民主主義は足枷以外の何者でもない。この民主主義に対する批判と挑戦とも思える主張は最もだし理解できなくも無い。それゆえドイツでは発禁本扱いにされているのだろうが、今の日本で読まれるべき本であると思えるので、ドイツ語に堪能な諸君はわが闘争をもう少しわかりやすく再翻訳して、日本で蔓延させることは愛国行為と言えるだろう。
オーストリアにおける汎ドイツ主義運動は、一度次のように自ら問うてみるべきだった。すなわちオーストリアのドイツ主義の維持は、カトリック信仰の下では可能か、不可能か?と。もし可能ならばその場合政党は宗教上あるいはそのうえ宗派上のことにわずらわされてはならないし、もし不可能ならば、そのさいは宗教改革がなされねばならず、決して政党が介入してはならないのである。いつの時代にも非良心的な男が、宗教を自己の政治商売の道具にして平気でいるのだ。こういう議会の無能氏や怠け者には少なくとも後から、なお自己の政治的不正取引を合理化しうるような機会を提供されたときほど、好都合なことはありえないのである。というのは宗教やまたは宗派に彼の個人的な劣悪な言行に対する責任を負わせそのために攻撃するや否や、この嘘つき男は直ちに大声をあげて全世界に彼の今までの処置がいかに正しかったか、また宗教と協会の救済がいかに彼と彼の口先のお陰だけをこうむっているか、という証言を求めるからである。バカな忘れっぽい同時代の人々は、叫び声が大きいために、たいていはもう全闘争の真の主謀者を記憶していないか、忘れてしまっている。そこでこのルンペンは、いまや実際に本来の目的を達成するのである。
一人の敵への集中 汎ドイツ主義運動が、もし大衆の心理をもう少しよく理解していたならば、この運動はこんな失敗はしなかったであろう。人々が一般に成果を戦いとろうとするならば、純粋に心理的考慮からも決して大衆に2つまたはそれ以上の敵を示してはならない。そうでなければ、闘争力を完全に分裂に導くからだ。どんな時代でも本当に偉大な民衆の指導者の技術というものは、第一に民衆の注意を分裂させず、むしろいつもある唯一の敵に集中することにある。
わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫) | |
アドルフ・ヒトラー 平野 一郎
角川書店 1973-10 |
【国家権力による搾取】
2013.02.05 巨いなる企て 2/4 ~豊臣衰退の背景
2012.11.09|もっと知りたいインドネシア 1/3 ~歴史となり立ち
2012.08.23|ジャカルタに行ってきました 1/9~空港から中心部へ
2012.05.28|眞説 光クラブ事件 3/3 ~国家権力との闘争
2012.03.19: 下山事件 最後の証言 1/2 ~国鉄合理化
2012.01.10: 競争と公平感 市場経済の本当のメリット 3/3 ~規制と経済効果
2011.10.12: 日本中枢の崩壊 1/2 東電
2011.08.05: 金賢姫全告白 いま、女として2/6 ~今、君が嘘をついた
2010.10.14: 道路の権力1
2010.08.24: 中国の家計に約117兆円の隠れ収入、GDPの3割
2010.07.05: 警視庁ウラ金担当
2010.05.20: 秘録 華人財閥 ~独占権、その大いなる可能性
2008.09.24: 俺の欲しいもの
2008.09.23: 被支配階級の特権
2008.07.18: Olympic記念通貨に見る投資可能性
タイ全土落下傘計画 16/17 ~農家の休日
チャンラーイの朝、ベッドから見える外の光景が霧がかっているように見える。今日は初めての曇りでとても寒い。ここは正確にはチャンラーイではなくファーヤオなのだが、ネットで調べても標高が出てこない。山岳部の標高は1500-1600mあるのだが、ここはファヤオの山岳部ではない。私の推測では1000m弱だが。チャンラーイ空港が400mとあるので、推測は誤りで、ここもおそらく同程度、意外に寒い。気温/標高=0.6として、パタヤと2.4度差では説明できないくらい寒い。ネットでは本日の気温は24度から27度となっているが、もっと寒い気がする。お世話になっている家の息子さんのジャンパーを借りているほどなので、18度くらいなのでは?と思っていたらMSNによると17-30度だそうだ。うん、感覚に合う数値だ。
午後はご家族でお出かけ。私という血縁でもなければ国籍も違う異物が入り込んでいますが。お寺詣りと滝を見に行くようです。子供たちが水着の用意をしているようだったので、私も水着とゴーグルを用意し、子供たちとトラックの荷台に自ら率先して乗りました。「えっ? 暑いのに・・・中に乗れる。」と言われましたが、「日本ではトラックの荷台に乗る行為は禁止されている」という事情が理解できないのでしょう。シンガポールではインド人労働者がやっているので、違法ではないようですが、シンガポールで、ビルとコンクリートを見つめて排気ガスを吸いながらの、オープンカーはいささかいただけないので、のどかな田園、山と自然を見ながら、フレッシュエアーを楽しむこととしましょう。トラックの荷台で風に吹かれたことのある人、少ないでしょう? 日焼けが怖いので日焼け止めクリームを塗ります。海の日差しに比べれば弱い気がしますが、何しろ1年中昼間は、パソコン画面を見つめ、暗い部屋の中に籠っている腐った体なので、急激な日差しは危険です。
お寺に着きました。家族7人が皆、座ってお祈りをしますが、お父様だけはしません。お父様は脚が悪く座れないからです。曜日占いと干支占いがありまして、またコインを入れるとお経が鳴ります。曜日占いは、「にゃーんにゃんにゃんにゃんー」(南無妙法蓮華経のような調子)で聞き慣れた音ですが、ほとんど人が寄り付いていない干支占いは、東アジア圏の私にはなじみ深いので、東アジア圏のよしみで1THBほどODAしてあげると、「のんのんのーんのん」と低く平坦な調子のお経が流れ始めました。同じお寺ですが、宗派が違うのかもしれません。お目当ての宗教グッズ、ブッダネックレスは販売しておりませんでした。次回に繰り越しです。
合計90分くらいの道のりだったでしょうか。信号は、一つもありません。当然渋滞もありません。滝に着きました。滝は温泉になっていて温度は35度とぬるめです。源泉まで30分程度の軽いトレッキングコースが用意されていたので、それに挑みます。最初の階段だけ多少きつめの傾斜ですが、ゆっくり登っても2分弱程度の短いもので、後は平坦です。Green Forever ForestとSwamp Forestの2種類があると書いてあるのですが、素人目にはその区別はつきませんでした。源泉は深さ5mほどのようですが、35度の水温で東南アジアで生きられる生物はいないのか、なんだかあまり生命感のないよどんだ源泉でした。麓に戻って滝に。
せっかく水着を持ってきたのに、川は水深がかなり浅く泳ぐ雰囲気ではありませんでした。また川で遊んでいるのがかなり小さな子どもたちばかりだったので、長男17歳と私は気後れしてしまい、川で遊びませんでした。川沿いにござを敷いて、飯でも頂きましょう。アイスクリーム、チキンウイング、コーム・ヤーン、Minced Pork(名前をいつも忘れる)、コウニャオなどをいただきました。お父様だけがござに座れないので、トラックに腰かけ一人離れてタバコを吸っていました。
良い息子。お父様にとっては孫ですが、長男17歳がコウニャオとチキンウイングを持って立ち上がり、お父様に献上していました。結局お父様は召しあがらなかったようですが、この長男、実に良い息子です。年功序列のタイ、祖母、母、姪という3人のネーさんに顎で使われても嫌な顔一つせず、忠実にこなし、下の子供たちの面倒も良く見ていて、お父様や客人である私にも気を使っています。お父様も先は長くない。貴君が真面目な嫁さんでも、もらって、3人のネーさんまでも面倒見ていくことになるのだろうか。
この家に、チャンラーイ遠征隊の席は無い。
3人のネーさんと書いたが、ここには3人分の席は無い。現在は家の祖母の役割は、お母様、父の役割がそのままお父様、母の役割はお姉さん、そして子供たちで構成されている。農家の基本構造の3役である。おじいちゃんやセカンドワイフという席は無い。私も数日ここで過ごしているが、チャンラーイ遠征隊の娘は子供なので、席があり存在を許されているが、当の本人は完全なゴクツブシ扱い。特に役割もなく、プラプラとしている。だから海外やバンコクで働いているのか、働いているから席が無いのかは鶏と卵だと思うが、とにかく、娘が住んでいる家に居場所が無いのは確実だ。タイの農家の家庭においての主婦は、農家3役で祖母が担うものだ。家の掃除や庭のメンテ、家畜の面倒などが主たる仕事である。父と母は二人で協力して農作業だ。主婦は一人だが、二人の女がいるということで、日本の核家族にありがちな主婦の独裁による暴走を防ぐガバナンス体制ができあがっている。主婦の地位は、現在はお母様、次がお姉さん、その次は長男の嫁とこの先50年ほど先まで埋まっており、都会仕事で鈍った体のチャンラーイ遠征隊の席は無いのである。夜の店で働く嬢たちは、真の独身者・子持ちの両方含めて、これにかなり近い立場に立たされているに違いない。
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父の威厳 数学者の意地
国家の品格の藤原正彦の本なのだが、最近読んだ本の中で最もくだらない本であった。途中で読むのをやめようかと思うほどに。国家の品格は読んだことが無いが、今後読むことはないであろう。抜き出した文章もほとんどが著者のセリフではないのが残念だ。
今度6年生の長男が2泊の修学旅行へ行くことになって、出発2週間前に細菌検査ということで検便をさせられる。5日前からは朝夕に体温、脈拍を測ったうえ、食事量や睡眠時間、便通などについて記録させられる。そして出発前日には医師による健康診断まで行われるのである。最近とみに学校活動において、本来は本人または親の責任帰すべき健康に、学校が神経を尖らすようになった。家族旅行の際に検便をする人も、水泳の度に体温を測る人も、白衣に白キャップで料理する主婦もまずいない。まさかの事故が起きた時の訴訟対策と思われる。学校がこれほど訴訟を恐れるのは、不可抗力や本人の過失で起きた事故であるにもかかわらず、管理不行き届きとの理由で訴えられる、ということが重なったからである。
なんでもかんでもお国まかせという日本人の気質の反映だよ。それは一人で文句を言っても、一朝一夕には、変わらない。「東南アジアはなぜ年中暑いんだ!」と気候に文句を言っているのと同じ。
訴訟先進国のアメリカでは、誰かが雪道を滑って転ぶと、管理不十分ということで前の家が訴えられるらしい。法律や契約に違反した場合の訴訟は当然だが、本質的に自己責任あるいは確率論的不運にすぎぬものを他人に責任を転嫁し金銭をせびりとる、という風潮がアメリカを蝕んでいる。アメリカが訴訟社会となった主因は、多民族国家としての組成にあろう。風俗、習慣、言語、宗教、価値観などを異にする人々をまとめ、統一国家を運営するには、全ての民族に共通の何かが必要である。それが論理だった。だから余りかでは教育のあらゆる段階で、論理的思考が最も強調されている。論理は確かに有用だが人間をすべてそれで律しようとすると、人と人との間隙が冷却し、必然的に訴訟が多発する。そのうえたいていの考えや行為は、論理的というだけでよいなら正当化しうるから、なお始末が悪い。
タイ語でなぜ?はタンマイ?と言うらしいがニュアンスとして苦情、「なんでなんだっ!(怒)」があるようである。日本語の「なぜ?」も若干怒りの要素を含み、私は穏やかに「なんで?」と聞くことがあるが、確かにそれは若干の脅しの意味を含むことが多い。一方、英語のWhy?は言い方次第ではあるが、Whyそのものに怒りのニュアンスはないであろう。このようにアジア文化圏は、論理的思考や理由を追求することを拒絶している文化圏なのである。であるから経済合理性の追求や資本の論理も忌み嫌われ、「50%以上の株を握ればこの会社は俺のもの」という発言に反発してしまう”お国柄”なのである。
母が窮地に陥った時の常套句 「38度線を越えて、3人の子供達を無事に連れ帰ったのは誰ですか?」 水戸黄門の印籠よろしく、父はこの切り札を聞くや書斎へ退散したような気がする。一緒に南下する機会があり、母も父に取りすがってそれを請うたが、満州気象台に部下を残したまま家族と脱出することを父は拒否した。公を私に優先したのだ。そのおかげで母子四名は文字通り死線をさまようことになった。満州へ渡ったのももぱら父の止む得ぬ事情だった。
玄関で父が「今日は銀座へ行く」と母に言う。うれしさをひかえようとしてか、仏頂面で言う。これで飲むので帰宅が遅くなるという宣言であり、軍資金の請求でもある。母が「まったくあんな所のどこがいいんでしょ」と皮肉をこめて言いながら、一万円札を何枚か手渡す。父が帰宅するや否や「臭いですね」「不潔ですからすぐに汗を洗い流してください」「今日も大金を貢いできましたか」などと嫌味を連発した。「一晩で五万円も払えば誰でももてます。私は5円安い豆腐を買いに1キロ先まで行ってます。」と言って、父をすごい目でにらんだ。
ブラックジャックに絞るのは、ルーレット等のゲームが、長時間し続ける限り、確率論的に負けるようにできているのに反し、これだけは戦略次第で勝つチャンスがあるからである。黒の礼服を着た目つきの鋭いディーラーとさしで勝負する感じもなかなかスリリングである。
この人数学者として本当に大丈夫かな? サシ勝負で勝つ戦略、何を言うのか聞いてみたいわ。ハハハ。
女房はおかんむりだった小さなテレビをどこかにこっそりおけば良いものを無断で大型を購入し居間に置いたのは私の美的感覚の欠如であり、田舎者ぶりを表していると言った。確かに私の田舎ではテレビは食堂か居間に置くもので、それを中心に団欒することになっていた。女房はどの家庭でも居間の中心にテレビを据えるから知的会話と言うものが日本で育たないのだという。
私の母も同じことを言っていた。「田舎の家はテレビが立派だ。他の娯楽と教養が無いからだ。」と嘲笑していた。ちなみに一族家では私が中学生になるまでテレビが無く、それ以降も食卓から見えるところに置かれることはなかった。
欧州統合による弊害としてあげたのは、雲助タクシーや犯罪の増加だった。特に自動車泥棒が急増したという。東欧からの出稼ぎ泥棒が路上から、あるいはガレージの鍵をこじ開け車を盗み、国境検問所が無いことを良いことに、はるばる自国まで運転し売りさばく。欧州統合およびそれによる国際化をルシアンは是認している。様々な障害はあっても、欧州の平和に役立つし、経済的にアメリカや日本に対抗する唯一の道とも言う。
父の威厳 数学者の意地 (新潮文庫) 藤原 正彦 新潮社 1997-06 |
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投資・投機・ギャンブルの違いを述べよ
「投資・投機・ギャンブルの違いを述べよ。」と著者に問い詰めたくなる。正解はないが、どのように答えるかで、その人の考えやこだわりがわかる。私の考えでは、
投資とは、リスク・プレミアムを受ける行為、ギャンブルとは、リスク・プレミアムを払う行為。
投資とは、資産価格で認識する取引態度、投機とは、損益だけで認識する取引態度。
リスク(Volatility)が高いほど、高い期待値を求められる証券市場・金融市場のインストルメンツは投資となり、リスクが高いほど期待値が下がる富くじ、競馬、パチンコなどはギャンブルと規定される。一方で、投資・ギャンブルの区別はインストルメンツに帰属する判別かというとそうでもないので、あえてぼかして行為と書いているのだが、金融市場のインストルメンツでプレイしていたとしても、高いレバレッジをかけて、高い金利を払いながら株・先物・FXに挑む行為はギャンブルに近い行為と言えよう。
時価総額、NAVを認識するファンドは投資だが、損益で認識するトレーディングは投機。一物多価の解消であるアービトラージも、その差額にのみ注目しているので投機的行為。差金決済の先物や、Max(S-X,0)という差が取引対象というオプションは投機的インストルメンツなのである。
世界的なインフレの過程の中で発生した「石油ショック」の圧力を軽減する努力に、日本の民間企業はそれこそ総力を挙げて取り組んだのであり、それがまた、日本商品の国際競争力を一段と強め、そこから今日の世界最強の競争力が生まれたという事実をもたらしたのである。「石油ショック」の当時を振り返っても日本の企業経営者は、まず第一に「販売価格=生産コスト+適正利潤」という米国型の企業経営者に共通した認識そのものが、日本国内市場では通用しないという原点から出発せざるを得なかった。戦後の日本経済の特徴は、国内市場でのきわめて熾烈な競争である。競争相手よりも安いコストでよりよい製品を生産する体制を築き上げなければならない。生産コストとは無関係に市場での競争で決まる販売価格に、いかにして生産コストを合わせるかという課題の解決のために日本の経営者は従業員の勤労意欲を刺激する一方、徹底した技術革新の導入に、全力を挙げなければならなかった。
競争の激しさは単に価格面だけではなく、品質、性能、信頼性に加え、納期、アフターサービスなど非価格面にも及んでおり、この厳しい競争に勝ち抜くだけの実力を備えている外国の民間企業はきわめて少数で、日本国内市場に関する限り、日本企業の優位は動かない。だが、こうした変化そのもの、すなわち価値の高まる「日本円」を、是が非でも入手しようと激しい競合が展開することで、日本の国内市場の競争は、「円高」とともに急激に激しさを加え、それがまた日本の企業経営者にとってはなによりも強い不安感を抱かざるを得ない背景なのである。しかもこうした国内市場での競争の激化を一段と強める「自由化政策」が進行する中で、その大きな柱の一つ「国有企業の民営化」が、これまた伝統的に国有企業との人的な結びつきによる既得権の崩壊を作り出している。たとえば、62年4月民営化された国鉄をとっても、これまで輸送業務だけを担当してきた国鉄が、たとえば積雪地帯であれば駅前にスキー場を開設、貸しスキーを始めることで地元の観光業者と激しく競合をはじめた。地元の観光業者にして見れば、これまで国鉄はお客さんを運んでくるお得意様だった。それが一転して、スキー場あるいは貸しスキーで直接競合する状態に追い込まれたとき、お客を連れてくる国鉄が、こうした能力を持たない地元のスキー場経営者、貸しスキー店の経営者に甚大な打撃を与えることは避けられず、彼らは今になって、国鉄民営化が彼らの既得権そのものを根底から覆す新しい「経営環境」を生み出したことにいやでも気づかされている。同様のことが、あらゆる国有企業の民営化に当てはまる。
郵貯の民営化は金融機関には大きな衝撃を与えることになるだろうな。
1986年に発生し、かつ定着した「デフレ」が日本一国の問題ではなく世界経済にわたっての共通した流れであることは疑いない。
ブブー
スペキュレーション時代とは
「スペキュレーション」は人類が経済活動を始めて以来、市場の成立とともに発生した商行為である。
鉄鉱石、石炭が商品取引所に上場されていなくても、これまでの経験から同じパターンの価格変動を示す上場商品を見出して、鉄鉱石、石炭の購入契約と同時にこうしたほかの上場商品に「カラ売り」を思い切って仕掛けておく投機を経営戦略に織り込まない限り、デフレが続く間は鉄鋼会社は相対的に高い原料を仕入れて、完成鋼材を安く売る逆ザヤ現象から身を避ける手段を持ち合わせることができない。
え? 何この素人発言? 著者の長谷川慶太郎、あー、経歴見たら日本の経済評論家。だって。評論家とは、理論的な整合性が求められる法則や法律などを、一切作ることはできないが、「あるあるー」と民の共感を得ることだけが求められる「格言やコトワザ」というレベルの発言が得意な職業。と個人的に思っているので、この素人発言っぷりは、納得なのだが、このノリが本一冊分続くのは多少苦痛ではあった。
今や世界全体にわたって、あらゆる業種を問わずすべての民間企業は少しでも低い利率で多くの資金を調達し、その資金を「投機」に投入して、利ザヤを稼ぐ以外に収益を確保する見通しを持たない。「財テク」は、企業経営の中心的な役割を担う時代が来た。
これねぇ・・・、このままだと間違いなんだけど、ちょっと言葉を変えれば正しくなる。なんだろね、言葉づかいも、素人臭さを感じるな。財テクという言葉使いは時代を考慮すれば否定しない。
民間企業では最も効率がよいと期待される方法で資金調達し、その資金を「投資」し、M&Aという形で企業買収、分離などをしないと、従業員がいくら努力しても、企業成長は難しい。この投資活動こそが企業”経営”の中心的な役割を担うであろう。
だったら日本の経営者にお灸をすえる良い言葉になったと思うんだがね。
個人生活の投機化
デフレ時代の定着は個人生活の基本設計に重大な変化をもたらす。第一に長年インフレ時代とともに定着してきた土地神話が消滅し、これまで個人生活の基本であった長期ローンを組んで持ち家に住もうとする生活設計は、その有効性を急速に失いつつある。またデフレとともに金利の低下現象が著しく、かつて個人の金融資産を形成する上に、もっとも大きな役割を果たしてきた預貯金による資産形成は、これまた急速に終止符を打たれようとしている。その上、「マル優」の廃止が税制改革の柱として定着した中で、一段と「金融の自由化」が進行し、これに伴って金融市場、証券市場の「投機化」が一層個人の金融資産形成に「投機」の要素を持ち込んでくる。
「マル優」廃止の意味
昭和62年度税制改革の基本路線が決定した中で、最も重要な、かつ長期にわたって影響を与えると判断されるのは、「マル優」の廃止である。明治初年に当時の政府が日本国民に「勤倹貯蓄」の精神を植え付け、近代的な金融制度を導入する基盤としての郵便貯金制度を開始してから今日まで100年以上を経過したが、この間利子所得に対する免税という便宜を与えて、個人の金融資産の蓄積を奨励する政策を続けてきた。「マル優」の適用を受ける貯蓄残高は「マル特」と呼ばれる一人300万円までの国債保有を含めて、昭和61年9月末には、約300兆円に達したと推測される。この300兆円という金額は1ドル150円で換算して、2兆ドルに相当し、米国政府の発行した長期国債の残高2兆ドルとほぼ同水準。世界経済を撹乱する危険をはらむメキシコ、ブラジルなど発展途上国の累積債務の総額とされる約1兆ドルの2倍である。「マル優」という制度は利子所得に対する免税という鎖で、これだけ巨額の資金を日本国内金融市場に縛り付けておく制度であった。これが廃止されることで「金融の自由化」は急速に進展する。
マル優廃止しても、金融自由化、特に預金に関しては何も変わらなかったよね。その後は円高政策で、外貨に対する恐怖心を植え付け、金利0でも円で置いておけば安全という、円神話は存在しているのではないだろうか。
これからの世界はどう変化するか
すでに挙げたように、現在の世界は急速に戦争の脅威から遠ざかっている。米ソ両国をとってもそれぞれ軍備の拡張を維持することはおろか、現行の軍備それ自体を維持することももはや不可能な状態になりつつある。「米軍は弾薬を持たず、ソ連軍には兵隊がいない。」 現実に、年間3000億ドルもの軍事費を投入している米軍は、意外に弾薬の不足に苦しんでいるし、ソ連では1982年以来、在学中の大学生を現役兵に徴集している。もはや軍備を縮小する以外に、ソ連は経済を再建する機会はない。また、同時に米国にとっても軍事費の削減、それは財政赤字の縮小、したがって減税を通じての経済の再活性化を意味している。世界は今や「戦争と革命」の時代の終末を迎えつつある。また同時にそれが世界的な物価の低落、デフレ現象を推進していく最大の原動力なのである。
この本1987年の発行なのだが、アフガニスタン内戦、その後1990年にはユーゴスラビア・NATO空爆と、どうみても戦争と思えるイベント目白押しで、この人は何を見ていたのかね?
「投機(スペキュレーション)」の時代 長谷川 慶太郎 中央公論社 1987-04 |
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わが闘争 上 民族主義的世界観 2/7 ~ドイツ民族とユダヤ
ある時私が市の中心部を歩き回っていると、突然長いカフタンを着た、黒い縮れ毛の人間に出くわした。これもまたユダヤ人だろうか? というのが私の最初に考えたことだった。彼はリンツではもちろんそのような外見をしていなかった。私はひそかに注意深くその人物を観察した。だがこの見知らぬ顔を見つめれば見つめるほど、そしてその特色をさぐるように調べれば調べるほど、ますます私の頭の中で最初の疑問が他の表現に変わった。 これもまたドイツ人だろうか? 私はいつものように、この疑問を本から引き出してみようとし始めた。当時私は数ヘラーほど支払って私の生涯ではじめての反ユダヤ主義のパンフレットを買った。遺憾ながらこれらのパンフレットは、すべて原則として、読者がすでにユダヤ人問題を少なくともかなりの程度まで知っているか、きわめてよく理解しているという立場から出発していた。けっきょくその論調は大部分、その主張に対する非常に浅薄で極度に非科学的な論証であったため、私はまたしても疑いを生ぜしめるようなものであった。私がこの問題に没頭し始めて、ユダヤ人に注意するようになって以来、ヴィーンについて以前と違った印象を受けたからである。いつも私が行くところで実際にユダヤ人を見た。そして私が見れば見るほど、彼らが他の人間と違っているのが、ますますはっきりと見えてきたのである。特に市の中央部とドーナウ運河の北部の区域は、外見的にもドイツ民族と似通っていない民族が密集していた。
ヴィーンではかなり広範囲に彼らの間で大きな運動が行われていたが、これこそユダヤ人の民族性をこの上も無くはっきりと証明するものであった。すなわちシオン主義がそれである。この民族の道徳上の、あるいはそのほかの清潔さと言うもの自体が問題点であった。水好きでないことが問題であることは、人々がその外見を見ただけで、遺憾ながら往々にして目を閉じていてもわかる。その後私は幾度もカフタンをまとっているものの臭気で気持ちが悪くなった。その上なお、汚い衣服をつけているし、外貌も雄雄しくない。すでにこうしたものだけでも、はなはだ人をひきつけるところが無い。肉体的な不潔以上にはからずも、この選ばれた民族の道徳的汚点を発見したときは、嫌悪の情を抱かずにはおれなかった。
ヒトラーが言うところの当時のドイツにいた”ユダヤ人”とは何者だったのだろうか? 現代でも「ユダヤ人とは何者か?」という誰も答えられない難問ではあるのだが、カフタンで黒髪でトルコ系移民のことを指していたのだろうか。ここでは少なくとも見かけで判断しているので、アシュケナージかスファラディかくらいでは語れそうではあるが、アンネの日記の写真で見る限りでは、少なくともパレスチナ人をユダヤとは言っていそうも無い。
社会民主党の指導者としてのユダヤ人 彼らは同じ問題について時には数日で、往々にして数時間で、色々の立場をとるのだ。人間と言うものは一人でしゃべっておればいつも理性的な考え方を持っているのに、それが大衆の勢力圏に入ってしまうと、どうして突然失われるのか私はわからなかった。しばしば絶望的になった。私が何時間もかかって説得し、こんどこそ端緒を開いてやった。あるいは不合理を啓蒙してやったと確信して、成功を心から喜んでいると、次の日にはがっかりしてもう一度初めからやり直さなければならなかった。すべては無駄だった。永遠の振り子のように、彼らの常軌を逸しているような考え方がいつも新たにはねかえすように思えた。彼らが自分たちの宿命に不満であり、彼らをしばしばそんなにも過酷にうちのめした運命をのろい、かれらがこの運命の無情な執行人と考えている企業家を憎み、彼らの目から見れば自らの遭遇に対して無情な当局を罵倒し、食品価格に対してデモを行い、彼らの要求のために街を練り歩いたこと、これらすべてをそのとき私は理解することができた。しかし理解できなかったものは、彼らが事故の民族性を憎悪し、その偉大さを侮蔑し、そして偉大な人々をドブに引きずりこんだ果てしない憎悪の念であった。
ユダヤ的詭弁 社会民主党の新聞が圧倒的にユダヤ人によって指導されていることに私は次第に通暁した。しかし私はこの状態に、特別の意味を負わせなかった。他の新聞の状態も同じようであった。おそらくは一つだけ異様なことがあった。私の受けた教育と理解力が及ぶ限りでは真に国家主義的と称される新聞でユダヤ人が関係しているものが一つもなかった、ということである。そこで私は我慢してこの種のマルクシズムの新聞記事を読もうとしたが、それに応じて毛の間が無限に大きくなってくるので、今度はこの総括的な悪事製造者をもっと詳しく知ろうとした。発行人をはじめとして、みんなユダヤ人だった。議会の代議士を問題にしても、労働組合の初期を問題にしても、また組織の議長、街頭の先導者を問題にしてみても、そのほとんど大部分が同様に「選ばれた民族」に属しているものたちであった。アウステルリッツ、ダーヴィット、アドラー、エレンボーゲン等の名は永遠に忘れないだろう。
排他的だなー・・・。ユダヤのメディア・労働組合・政党を批判している。
オーストリアのドイツ人 オーストリアといわれる他民族組織はついに没落したが、これは決して古くからオストマルクにいるドイツ人の政治的手腕のせいとは言えず、時機を得たときにまったくしっかりした前提を与えられなければ、1千万の人間でもって種種の民族からなる5千万人の国家を永続的に維持することができない、という避けえない結果であった。ドイツ系オーストリア人は大志を抱いていた。彼らは常に大ドイツ帝国の枠内で生活することに慣れており、ドイツに関連している課題に対する感覚を決して失っていなかった。彼らはこの国家において、狭いオーストリア帝国直轄地の境界を越えて、なおドイツの領域を見ていた唯一の人間であった。そのうえ運命が彼らをついに共通の祖国から分離したとき、彼らはこの巨大な課題を解決し、祖父たちが絶え間ない闘争でかつて東部からもぎ取ったドイツ主義をいつもなお維持しようとしたのだった。最も優れたものの心と追憶は、決して共通の母国を感ずることをやめたのではなく、ただその残余だけが故郷にとどまっていたからである。
ドイツ系オーストリア人の一般的視野は比較的広かった。技術屋や官吏という指導的人員は大部分、ドイツ系オーストリア人によって占められていた。だがかれらはまた、ユダヤ人がその固有の分野に手を伸ばさない限り、外国貿易の担い手でもあった。政治的にもドイツ系オーストリア人だけがなお国家をまとめていた。ドイツ系オーストリア人の新兵は、その連帯自体はヴィーンやガリシアはもちろんのこと、ヘルツェゴーヴィナにもおかれていた。将校団は常にドイツ人であったし、上級官吏階級も優勢だった。最後に芸術や科学もドイツ人が優勢だった。異色人種でも間違いなく無造作に作り出せるような近代芸術表現のキワ物をのぞけば、真の芸術精神の所有者や普及者は、ただドイツ人のみであった。音楽、建築、彫刻、絵画でも、ヴィーンは決して実に見えるほど枯渇しておらず、汲めども尽きぬ豊富さで、この二重王国全般をささえている源泉であった。最後にドイツ人は少数のハンガリー人をのぞけば、すべての外交の担い手であった。かれでもなお、この帝国を維持しようとするすべての試みは無駄であった。そこには本質的に前提が欠けているからである。
オーストリアと言う多民族国家のために、個々の国民の遠心力を克服する可能性はタダ一つだけであった。この国が中央集権で統治され、それでもって内政的にも組織されるか、あるいは国家が一般に考えられぬかであった。帝国をもっと連邦国家的に形成するという考えはすべて、すぐれた権力ある強力な国家的胚細胞を欠いているため必ず失敗に終わらねばならなかった。そのうえ、ビスマルクのつかんでいるドイツ帝国と反対に、オーストリア国家には別の本質的な国内的前提条件が加わっていた。ドイツでは常に文化的に共通の基盤があったから政治的伝統を克服することだけが問題であった。何よりもまずドイツ帝国は、少数の異民族の破片をのぞけば、一民族に属するものだけを包括していた。オーストリアでは状態が逆であった。
今やいろいろの地方で他民族主義の時代に入って、民族主義的勢力が発展し、その克服は王国の辺境に民族国家が形成され始めるにしたがって困難にならざるをえなくなった。その諸民族は人種的にオーストリアに散在する個々の民族と同類化類似していて、彼らの側では、逆にドイツ系オーストリア人がなしうる以上の引力を、それ以来及ぼすことができたのである。古いオーストリアは、他国以上に指導力が大きくなければならなかった。そのうえにここには-指揮そのものも非常に無能だったが-民族主義的な基礎の上にたえずその維持力をもっている国民国家の基礎が欠けていた。
オーストリアに対する懸念。そしてそこから議会主義批判へと発展していく。
議会主義 はっきりとオーストリア王国の腐食を示しうる制度の中で、その先端にあって、最も多くその力を自己のものとして持っている制度が-議会、あるいはオーストリアでいうライヒスラート(帝国評議会)である。この団体の手本は明らかに、イギリス、すなわち古典的「民主主義」の国にあった。そこからこの恵まれた機構を完全に転用し、それをできる限り変えずにヴィーンに置いたのである。衆議院と貴族院という形でイギリスの両院組織がその再生を祝った。
ただ「建物」」自体がいくらか違っていた。バリィ(サー・チャールズ・バリィ、1795-1860年、イギリスの建築家でロンドンの国会議事堂をつくったが、イギリス・ゴシック式を採用し、イギリスの建築彫刻の一大飛躍をなしたといわれる。)がかつてテムズの洋々たる流れから議事堂を作り上げたとき彼は世界に冠たる大英帝国の歴史の中に手を入れ、その中から彼の壮麗な建築物の1200の壁がん、腕木、柱の飾りを選び出した。そのようにして彫刻と絵画で、上院と下院は国民の名誉の殿堂になった。ヴィーンにとってはここに最初の困難があった。というのはデンマーク人ハンセンが、新しい民衆代表の大理石建築に最後の破風をつけ終わったとき、彼は装飾を古代芸術から借りてくる以外に方法が無かった。ローマやギリシアの政治家や哲学者が今ではこの「西欧的民主主義」の劇場の建物に美をそえ、そして象徴的な皮肉とも言えるものは、両院の上に四頭立ての馬車が東西南北の四方の天空に向かって引っぱりあい、これによって当時国内で行われていたことを、外部に最もよく表現していることである。「諸民族たち」はこの建物の中で、オーストリアの歴史が賛美されているのを侮辱であり挑発であるとして拒否した。
さすが建設と歴史には造詣が深い。国会議事堂の建造物から否定してきたかw
【民族意識系】
2013.03.11 藤原氏の正体 2/4 ~中臣鎌足とは? その出自
2013.01.21|民族世界地図 1/2
2012.11.12 もっと知りたいインドネシア 2/3 ~地理と民族
2012.10.05|宋と中央ユーラシア 4/4 ~ウイグル問題
2012.04.25|美しい国へ 2/3 ~平和な国家(国歌)
2011.08.17: 実録アヘン戦争 1/4 ~時代的背景
2011.05.09: 日本改造計画1/5 ~民の振る舞い
2011.03.25: ガンダム1年戦争 ~戦後処理 4/4
2010.09.09: ローマ人の物語 ローマは一日して成らず
2010.08.02: 日本帰国 最終幕 どうでも良い細かい気付き
2009.08.20: インド旅行 招かれざる観光客
2009.08.14: インド独立史 ~東インド会社時代
2009.05.04: 民族浄化を裁く 旧ユーゴ戦犯法廷の現場から
2009.02.04: 新たなる発見@日本
タイ全土落下傘計画 15/17 ~農家の男
宗教上の信条に近い所ではあるが、私は医者と薬を避ける傾向が強い。ちょっとした筋肉痛と体調不良でドラッグ(医者に提供される薬)に手を出すとは、感覚的に信じがたい。「なぜこんなモノに手を出すんだ? 効果が疑わしく、安くもない。」 薬くらいで麻薬と同じくらいの嫌悪を抱く私も不自然かもしれないが、英語で言ったら両方ドラッグだ。私が農業に縁遠い生活をしていて農業を神聖視しすぎる傾向は否めないが、農業を営む家の人間としてあるまじき行為に思えてしょうがない。「マクドナルドに行ったことがあるか? どんな味だ? 普段食べているこのご飯と比べて、お前一体どう思うのだ?」と厳しい表情で問い詰めたら、「ハンバーガーあんまり好きじゃない」というトンチンカンな答えが返ってきた。俺はマクドナルドのヘビーユーザーだが、それはしょうがない。安く100%無農薬天然素材にアクセスできる立場にありながら、高い人口ジャンクフードを食うか? ジャンクは実際安いからまだ許そう、高い風邪薬に手を出すかねぇ? お父様が鶏を殺して食うって言っていたではないか! お母さまが取ってくれたココナツ、3メートルくらい上あるココナツの実に誰か農薬をかけたか? 庭に居る豚は豚のクソを食いながら生きるほど詰め込まれた環境には育っていないだろう? 家族が残した残飯を豚にあげている清潔な豚を食える環境なんだろう? 生きる物を食うという自然の摂理を冷蔵庫もない環境で実践しているんだろう? 医学が専門ではないが、誰がどう考えても健康的な環境にあり、自然の飯を食い寝れば治るような軽度の体調不良で、風邪薬などという非常に高いものをわざわざ買うお前の心理がわからないというのだ!
たかが薬を買おうとしたくらいで、ここまでド詰めにされてチャンラーイ遠征隊は不思議顔。私は決して声を荒げてないし、静かに質問しただけだ。「この環境に育っていながら、なぜ薬を買うんだ? 俺は怒っているのではない。薬を買いたければ買うのも良い。だが、理解ができないのだ。どうしてその薬を買おうと思ったか説明してもらえるかね?」 俺は頭がおかしいか? 熱があるが、明日は重要な会議があるので、解熱剤を用いてその会議に挑む、そのために薬を使いましたというのならまだ理由がわかる。しかしこののんびりとした田舎で、なんで? 理由を聞いただけだよ。
それから当然、薬を”俺の金で買おうとしていた”から厳しく理由を追求してるんだけどねw ”I’m not angry”と言いながら鬼のような顔をしていたに違いない…
朝ごはんについてきた、料理不明の手作りデザート、コウニャオ(もち米)、ココナツミルク、芋、バナナなどをバナナリーフ(?)で包んで焼いたもの。この葉っぱはバナナリーフ?と聞いたら、「あれ」って庭の木を指差していた。なかなか苦しゅうないですね。食料自給率の高い家だw
お父様のお仕事(男と男のコミュニケーション)
私の友人に、寡黙な男がいるが、友人の彼女の父、つまり友人にとってのお義父様と友人がご対面した時に、ほとんど会話が無かったとその彼女が怒っていた。コミュニケーションってのは言葉だけじゃないんだ!と声を大にして彼を応援したいところだ。男同士、男と女、対子供では言葉を発しないコミュニケーションがよく発生する。いつもうわべの嘘ばかり言葉を並べ立てる女同士と比較してくれよ! 言葉が持つ意味なんてのはさほど重くない。
私の場合は「彼女じゃなくて単なる友人のお父様」なので、お義父様ではないこと。タイ語しか通じないので話したくても話せないこと。言語が通じる状態だったら、私はお父様でもお義父様でも関係なくよく話すタイプであること。というのはあるのだが、今回はマジで言葉を交わさない男同士であった。
「父があなたを連れていきたいところがあると言ってるから車に乗って。私は家に居ます。」 念のため、タイ語の本をパッとつかんで車に飛び乗った。どこだろう・・・? 寺にでも連れて行こうとしているのかな? と思いきやいきなり小道、さらに脇道、農道というかもはや、くさむら? みたいなところに入って行く。ぬかるんでいる個所もあり、下手に車で踏み入れれば立ち往生間違い無し。降りろとゼスチャー。車を降りて荷台が目に入った瞬間、意図を理解した。先日見ていた染料の樹木の接ぎ木作業である。私が腑に落ちない顔をしていたので、実際にやるところを見せてくれようとしたのだ。
いきなりそこに生えていた竹をなたで切りだした。
物干しざおでも作るのか?と思ったら竹槍を作り始めた。染料の樹木は2本で一組である。作り方は藁で2本の樹木を包んで縛る。真ん中に切れ目を入れて、ヌンチャクのような形にする。このヌンチャクの形は木にぶら下げるためだと聞いていた。竹槍の先にヌンチャクの鎖部分にあたるを付ける。そして、高々と竹槍を持ち上げて、木の枝にぶら下げていくのだ。字で書くと簡単だが、見ていたのでわかる職人芸。竹がしなるのでヌンチャクがフラフラしてしまう。しなりを抑えたい時は竹槍を木に接し、木の枝で支点を作る。時にはしなりを利用して、ひょいと高く上げた瞬間にヌンチャクの間に枝が入り、後は竹槍を引くだけのような技もある。御歳73歳で動きは鈍いが、ナタの使い方と竹槍使いは職人芸だ。私も竹槍の先にヌンチャクを装着するお手伝いをさせていただいた。深く刺しすぎて、ヌンチャクが竹槍の先ではなく、中間まで落ちてきてしまった。ヌンチャクの鎖部分も緩くなっていて再起不能である。捨てるのかと思いきや、お父様竹槍の先端部分になたを入れ、二又の槍に仕上げた。二又の間に鎖を挟み込む形なので、これなら鎖を突き刺すのと違いひっかけるだけとなる。さすがよのぅ、経験60年以上の山の男、状況に応じて臨機応変に対応するが、無駄な動きはほとんどない。
最後にまた竹を切った。竹の節が森の時を刻む。というような感じで節を指差した。斬った竹がどの程度伸びているかで、雨・温度、日照時間などによって左右される森の時を測るのであろう。後でお姉さんに聞いた。1kgで2000バーツになる。しかし今日は10個ほど接ぎ木したが、全てが成功するとは思えないのだが・・・。全然足りないからもっと染料樹木をたくさん買って増やしていくようだ。大体4-6カ月後に接ぎ木が成功したかどうかがわかり、さらに数カ月たったら収穫するようだ。しかし、あの竹槍でないと届かないような高さの枝をどのように斬るのだ? と聞くと、それは専門の業者が居て斬り落とす部分だけやるそうだ。
接ぎ木を終え、車に乗ったところでお父様が初めて口を開く。「ハチ見たか?」というような意味の思われる。「ハチ」らしき言葉をタイ語で言って、花に飛ぶハチを指差した。少し車を走らせて指差す先には、人工物の箱蜜? 蜂の巣が大量に入ってると思われる箱が20個くらい置いてあった。
次に車で向かった先に小屋が見える。林道の脇に小屋が・・・。あっ、お父様の好きな酒でも作っているところでお仲間と一杯やるつもりか? と思っていたら、入り口には15歳くらいの少女が0歳の赤ん坊を抱えて座っている。ここはタマリンドの畑+小屋である。タマリンドの成長具合をお父様がチェックしている。「うーん、まだだなぁ・・・」というような顔をしている。この畑と小屋には、少女と赤ん坊しかいない。
「ぼくは今とても恐ろしい想像をしている!」
まっ、まさかお父様、この子愛人と隠し子?? これは私の推測であるが、今家に居るお母様と呼ばれている女性は、チャンラーイ遠征隊とそのお姉さまの血縁上の母ではない。お姉さまが43歳、お母さまは5X歳と言っており、農家に10代で嫁ぎ、40年農作業で苦労してきた顔をしてないし、農作業全然手伝わないし、空港に迎えに来た時も、お父様とお姉さまとチャンラーイ遠征隊の3人だったからである。これも根拠として薄いのだが、お姉さまとチャンラーイ遠征隊も母親違いの気がしている。というのも居間に飾ってある写真が、全部お姉さまの写真でチャンラーイ遠征隊の写真が無いのだ。このアンバランスさ、お姉さまとの年の差も12歳もあるし。となるとお父様、離婚2回×子供2人。ただ写真が無いことから、チャンラーイ遠征隊は愛人の子だったのかもしれない。それを引き取って今一緒に暮らしている。15歳の子がもし愛人で隠し子としたら、バカ指数(:=離婚の数×子供の数)は最大で6になっちゃいます。
15歳の少女が、あまり綺麗な格好をしていなくて、なんだかすごく野性味のある顔をしているのです。あの壁の無い小屋に一人で住んでいると言っても不自然ではないような格好なのです。赤ちゃんは当然、下半身裸のおむつ無し育児法。そこにまた一人で訪れるお父様。そしてお父様の家から車で数分の距離の小屋です。不思議の国タイ、私、何が起きているのか分からないし、どういうことなのか聞けません・・・。2時間くらいお父様と一緒でしたが、交わした言葉は二言三言。パタヤ1号と俺はもっと長い間一緒に居ても、交わす言葉は二言三言なんだがな。
【愚民の欲】
2012.11.30 北京・ハルビンに行ってきました 13/13 ~必要以上に美人なタクシードライバー
2012.08.09 マキアヴェッリと君主論4/4 ~君主と臣民
2012.04.18|真面目系クズについて 1/2
2012.01.06: 競争と公平感 市場経済の本当のメリット 2/3 ~素質
2011.11.30: 利休にたずねよ3/4 ~茶の湯の極意
2011.10.13: 日本中枢の崩壊 2/2 霞が関
2011.07.22: 死刑囚 最後の一時間 2/2 ~死刑囚
2011.03.01: アジア発展の構図 ~出遅れた国々 4/4
2011.01.20: 項羽と劉邦 ~広大なる中国大陸
2010.11.25: 初等ヤクザの犯罪学教室 ~割に合わない犯罪
2009.12.29: 何のために生きるのか?ふと考えるときがある
2009.05.07: 幸福感と欲の関係
国際テロネットワーク 狙われた東南アジア 3/3 ~資金ルート
アルカイダめ・・・このワシの考案であるアジア一国一愛人構想(ACAL エイカルと読んでください)をパクリやがったな。着想と実行が私よりも10年ほど早いようであるが・・・
アルカイダは、アジア一国一愛人構想を軍事利用しテロ活動を行ったが、
投資一族は、アジア一国一愛人構想を民生利用し投資活動を行う。
中国とインドネシアの崩壊と分裂という政変を、投資機会として心待ちにしている立場なので、我々もあえてアジア一国一愛人構想の平和利用とは言わない。
フィリピン人女性との結びつきで見事にフィリピン社会に溶け込んでいったばかりでなく、ハリファは驚くべき手腕でビジネスマンとしても成功している。ハリファは慈善団体を足がかりに、合法的なビジネスを展開していった。旅行代理店、人材派遣会社、貿易商社などを次々にオープンさせたのである。これらの3社はアルカイダにとって特別な意味を持つ企業であった。まず旅行代理店があればフィリピン国内のテロリストを海外派遣する際に、航空券を自由に発券することができる。また人材派遣会社は、パキスタンやアフガニスタンなどの紛争現場へ長期間、テロ工作の研修に派遣する場合、偽造証明書を簡単に交付できる。さらに貿易商社を持てば、小型兵器、爆弾の材料、麻薬なども、都合のよい通関証明書を偽造し、合法的なチャネルで通関させることが可能となる。とりわけフィリピンは賄賂社会として知られ、多額のチップを払えば通関業務は比較的容易と見られていた。
大規模なテロ計画が成功するか否かの鍵は優秀な工作員たちの腕にかかっている。有能な工作員を発掘すると、その工作員に次から次へとチャンスを与え、テロ計画を高度化させて一流のテロリストに育て上げていく。十分な軍資金を用意し、海外出張はビジネスクラス以上の席を予約させ、高度なテロ計画を実施させる場合には工作員を長期滞在者用のホテルに宿泊させた。工作員は現地で妻や愛人を確保して、愛人名義の銀行口座を開設。さらに「スリーパー」として日常生活に溶け込んで、テロ決行の日を迎える。こうしてビンラディンやアルカイダの目に留まったのが、ラムジー・ユーセフと名乗る細面のパキスタン系クウェート人であった。米国ニューヨークの世界貿易センター・ビルを標的にした爆弾テロ事件(1993年)、ブットー・パキスタン人民党党首暗殺未遂事件、ローマ法王暗殺計画、クリントン米国大統領暗殺計画、ラモス比大統領暗殺計画、フィリピン航空機内での小型爆弾爆発事件、米国系航空会社を狙った太平洋上空での同時爆破計画-これらはすべて、ラムジー・ユーセフが首謀者としてかかわった事件である。
アルカイダにとって、東南アジアのテロ組織の2つの点で価値がある。第一に、アルカイダが反米グローバル闘争を立案し、テロ計画を実施するうえで協力者として利用できることである。つまり、アルカイダの手足となってくれるということだ。東南アジアのテロ組織と提携することで、アルカイダの国際テロネットワークを高度化することが可能となった。第二に、東南アジアにイスラム国家を建設するという点において、東南アジアのテロ組織が有力なパートナーとなることである。アルカイダは東南アジアのテロ組織を支援する応援団やサポーターとしての役割も積極的に演じるようになった。とはいえアラブ人やパキスタン人が主役のアルカイダは常に上位にあり、東南アジアのテロ組織は下位に甘んじなければならず、同志と言っても歴然とした上下関係は存在する。では逆に東南アジアのテロ組織にとって、アルカイダはどのような存在なのか。一言で表現すれば、アルカイダはドナー(提供者)である。テロ資金の提供者としても、破壊活動のノウハウの技術移転元としても、アルカイダは東南アジアのテロ組織が成長するうえで不可欠な存在であった。小型兵器の取り扱いや小型爆弾の製造方法はすべてパキスタンやアフガニスタンのアルカイダ・キャンプで学習したものだ。もともと東南アジアの組織は村単位で組織を構成し、破壊活動も小規模なものであった。しかしアルカイダとさまざまなレベルで提携関係を結んで以来、アルカイダを手本に組織を整備し、資金調達力も高め、質的に大きな変化を遂げていった。
日本人にとってセブ島と言えば、観光リゾートというイメージが強いだろう。しかし観光リゾート・ホテルが密集しているのは、マクタン島と呼ばれる小島だ。ここから橋を渡るとセブ島の中心都市セブ・シティにたどり着く。実はこの郊外に小型兵器の密造工場が、家内制手工業として多数営まれており、ピストルから自動小銃まで、小型兵器はほとんど揃うのである。アルゴジがフィリピンで調達した小型兵器の一部は、JIがインドネシアで創設した二つの軍事組織(ラスカル・ムジャヒディンとラスカル・ジュンドラ)に提供された。1999年からインドネシアの地方都市ポソやアンボンで発生した宗教紛争では、イスラム過激派がカトリック教徒を襲撃する際に大量の小型兵器を使用したが、これらはアルゴジがフィリピンで調達し、ミンダナオ島から船で輸送したものである。2001年にはミンダナオ島のサンボアンガ付近から、宗教紛争が激化するアンボンへ海上輸送中の米国製自動小銃M-16が剃髪されるなど、ミンダナオ島からの武器流出は現在でも続いている。
アルカイダ系テロ組織の資金ルート 東南アジア
万全のリスク管理 テロ組織の資金ルートは一般に想像する以上に複雑かつ多様である。一か所の資金源が断たれても平気なように、調達先を複数に分散するなど、万全のリスク管理が行われている。たとえばJIは少なくとも東南アジア5カ国-インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン、タイで自立性の高い小集団を多数編成しており、小集団ごとに自力で資金調達をすることが任務の一つになっている。もちろん本部から資金援助なくしてはスタートできないが、本部からの資金を元手に資金調達を工夫していくことが求められた。
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アルカイダはロンドン、マドリッド、ドバイの銀行を拠点に、マネーロンダリング(資金洗浄)と資金移動を繰り返していた。中東やアフリカのイスラム過激派が武器を購入する際、これらの銀行を経由して支払いも行われてきた。同様のことは東南アジアにも当てはまる。アルカイダの資金はマニラ、クアラルンプール、シンガポール、バンコク、香港の銀行に流入し、テロ組織の活動資金として提供され、その1部は9・11に関与したテロ実行犯の支度金として利用された。JIのハンバリは、潜伏先のアユタヤとバンコクの銀行に資金をプールして、活動資金と生活費に当てていた可能性が高い。もちろん、9・11以後は銀行への監視が厳しくなり、以前ほど自由にテロ資金を銀行にプールし、洗浄することはできなくなったが、テロ組織にとって銀行が、資金洗浄と送金の面で有力な手段であることに変わりはない。
マネーロンダリングを主たる業務にした銀行が、英国ロンドンにあったBCCI(バンク・オブ・クレジット・アンド・コマース・インターナショナル)である。ビンラディンやその右腕であるザワヒリなどは、資金を一時的にプールし、テロ資金として自由に引き出すためにここを使っていた。1972年にロンドン事務所が開設され、1980年にイングランド銀行から口座開設・外国為替取扱の免許を交付された。その直後からBCCIはマネーロンダリングに手を染めている。イングランド銀行は1991年、総額180億ポンドの負債を抱えたBCCIを閉鎖に追い込んだ。その後もBCCIの看板はしばらくの間、ロンドン市内で放置されたままで、汚れた銀行の清算に手間取っていたことがうかがわれる。
【Tax Arbitrage法人・組織】
2011.04.14: 米国債券投資戦略のすべて2/3 ~決済
2010.11.04: グーグルの税率2.4%はアイルランド仕込みのダッチ・サンドイッチ
2010.10.06: マネー・ロンダリング入門 ~海外送金
2009.10.13: 金融監督って難しい
2009.09.09: 世界の金融センターの候補地を選ぶ際の指針
2008.11.07: Tax Havenと相性のよいもの
2008.11.06: Tax Haven諸国の国としての特徴
2008.10.23: Tax Haven的観点による香港とシンガポールの違い
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