アルカイダめ・・・このワシの考案であるアジア一国一愛人構想(ACAL エイカルと読んでください)をパクリやがったな。着想と実行が私よりも10年ほど早いようであるが・・・
アルカイダは、アジア一国一愛人構想を軍事利用しテロ活動を行ったが、
投資一族は、アジア一国一愛人構想を民生利用し投資活動を行う。
中国とインドネシアの崩壊と分裂という政変を、投資機会として心待ちにしている立場なので、我々もあえてアジア一国一愛人構想の平和利用とは言わない。
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フィリピン人女性との結びつきで見事にフィリピン社会に溶け込んでいったばかりでなく、ハリファは驚くべき手腕でビジネスマンとしても成功している。ハリファは慈善団体を足がかりに、合法的なビジネスを展開していった。旅行代理店、人材派遣会社、貿易商社などを次々にオープンさせたのである。これらの3社はアルカイダにとって特別な意味を持つ企業であった。まず旅行代理店があればフィリピン国内のテロリストを海外派遣する際に、航空券を自由に発券することができる。また人材派遣会社は、パキスタンやアフガニスタンなどの紛争現場へ長期間、テロ工作の研修に派遣する場合、偽造証明書を簡単に交付できる。さらに貿易商社を持てば、小型兵器、爆弾の材料、麻薬なども、都合のよい通関証明書を偽造し、合法的なチャネルで通関させることが可能となる。とりわけフィリピンは賄賂社会として知られ、多額のチップを払えば通関業務は比較的容易と見られていた。
大規模なテロ計画が成功するか否かの鍵は優秀な工作員たちの腕にかかっている。有能な工作員を発掘すると、その工作員に次から次へとチャンスを与え、テロ計画を高度化させて一流のテロリストに育て上げていく。十分な軍資金を用意し、海外出張はビジネスクラス以上の席を予約させ、高度なテロ計画を実施させる場合には工作員を長期滞在者用のホテルに宿泊させた。工作員は現地で妻や愛人を確保して、愛人名義の銀行口座を開設。さらに「スリーパー」として日常生活に溶け込んで、テロ決行の日を迎える。こうしてビンラディンやアルカイダの目に留まったのが、ラムジー・ユーセフと名乗る細面のパキスタン系クウェート人であった。米国ニューヨークの世界貿易センター・ビルを標的にした爆弾テロ事件(1993年)、ブットー・パキスタン人民党党首暗殺未遂事件、ローマ法王暗殺計画、クリントン米国大統領暗殺計画、ラモス比大統領暗殺計画、フィリピン航空機内での小型爆弾爆発事件、米国系航空会社を狙った太平洋上空での同時爆破計画-これらはすべて、ラムジー・ユーセフが首謀者としてかかわった事件である。
アルカイダにとって、東南アジアのテロ組織の2つの点で価値がある。第一に、アルカイダが反米グローバル闘争を立案し、テロ計画を実施するうえで協力者として利用できることである。つまり、アルカイダの手足となってくれるということだ。東南アジアのテロ組織と提携することで、アルカイダの国際テロネットワークを高度化することが可能となった。第二に、東南アジアにイスラム国家を建設するという点において、東南アジアのテロ組織が有力なパートナーとなることである。アルカイダは東南アジアのテロ組織を支援する応援団やサポーターとしての役割も積極的に演じるようになった。とはいえアラブ人やパキスタン人が主役のアルカイダは常に上位にあり、東南アジアのテロ組織は下位に甘んじなければならず、同志と言っても歴然とした上下関係は存在する。では逆に東南アジアのテロ組織にとって、アルカイダはどのような存在なのか。一言で表現すれば、アルカイダはドナー(提供者)である。テロ資金の提供者としても、破壊活動のノウハウの技術移転元としても、アルカイダは東南アジアのテロ組織が成長するうえで不可欠な存在であった。小型兵器の取り扱いや小型爆弾の製造方法はすべてパキスタンやアフガニスタンのアルカイダ・キャンプで学習したものだ。もともと東南アジアの組織は村単位で組織を構成し、破壊活動も小規模なものであった。しかしアルカイダとさまざまなレベルで提携関係を結んで以来、アルカイダを手本に組織を整備し、資金調達力も高め、質的に大きな変化を遂げていった。
日本人にとってセブ島と言えば、観光リゾートというイメージが強いだろう。しかし観光リゾート・ホテルが密集しているのは、マクタン島と呼ばれる小島だ。ここから橋を渡るとセブ島の中心都市セブ・シティにたどり着く。実はこの郊外に小型兵器の密造工場が、家内制手工業として多数営まれており、ピストルから自動小銃まで、小型兵器はほとんど揃うのである。アルゴジがフィリピンで調達した小型兵器の一部は、JIがインドネシアで創設した二つの軍事組織(ラスカル・ムジャヒディンとラスカル・ジュンドラ)に提供された。1999年からインドネシアの地方都市ポソやアンボンで発生した宗教紛争では、イスラム過激派がカトリック教徒を襲撃する際に大量の小型兵器を使用したが、これらはアルゴジがフィリピンで調達し、ミンダナオ島から船で輸送したものである。2001年にはミンダナオ島のサンボアンガ付近から、宗教紛争が激化するアンボンへ海上輸送中の米国製自動小銃M-16が剃髪されるなど、ミンダナオ島からの武器流出は現在でも続いている。
アルカイダ系テロ組織の資金ルート 東南アジア
万全のリスク管理 テロ組織の資金ルートは一般に想像する以上に複雑かつ多様である。一か所の資金源が断たれても平気なように、調達先を複数に分散するなど、万全のリスク管理が行われている。たとえばJIは少なくとも東南アジア5カ国-インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン、タイで自立性の高い小集団を多数編成しており、小集団ごとに自力で資金調達をすることが任務の一つになっている。もちろん本部から資金援助なくしてはスタートできないが、本部からの資金を元手に資金調達を工夫していくことが求められた。
相手が女性だからなー、この教育に失敗して、投資一族の拡大が阻まれている事実はあるな。
アルカイダはロンドン、マドリッド、ドバイの銀行を拠点に、マネーロンダリング(資金洗浄)と資金移動を繰り返していた。中東やアフリカのイスラム過激派が武器を購入する際、これらの銀行を経由して支払いも行われてきた。同様のことは東南アジアにも当てはまる。アルカイダの資金はマニラ、クアラルンプール、シンガポール、バンコク、香港の銀行に流入し、テロ組織の活動資金として提供され、その1部は9・11に関与したテロ実行犯の支度金として利用された。JIのハンバリは、潜伏先のアユタヤとバンコクの銀行に資金をプールして、活動資金と生活費に当てていた可能性が高い。もちろん、9・11以後は銀行への監視が厳しくなり、以前ほど自由にテロ資金を銀行にプールし、洗浄することはできなくなったが、テロ組織にとって銀行が、資金洗浄と送金の面で有力な手段であることに変わりはない。
マネーロンダリングを主たる業務にした銀行が、英国ロンドンにあったBCCI(バンク・オブ・クレジット・アンド・コマース・インターナショナル)である。ビンラディンやその右腕であるザワヒリなどは、資金を一時的にプールし、テロ資金として自由に引き出すためにここを使っていた。1972年にロンドン事務所が開設され、1980年にイングランド銀行から口座開設・外国為替取扱の免許を交付された。その直後からBCCIはマネーロンダリングに手を染めている。イングランド銀行は1991年、総額180億ポンドの負債を抱えたBCCIを閉鎖に追い込んだ。その後もBCCIの看板はしばらくの間、ロンドン市内で放置されたままで、汚れた銀行の清算に手間取っていたことがうかがわれる。
【Tax Arbitrage法人・組織】
2011.04.14: 米国債券投資戦略のすべて2/3 ~決済
2010.11.04: グーグルの税率2.4%はアイルランド仕込みのダッチ・サンドイッチ
2010.10.06: マネー・ロンダリング入門 ~海外送金 
2009.10.13: 金融監督って難しい
2009.09.09: 世界の金融センターの候補地を選ぶ際の指針
2008.11.07: Tax Havenと相性のよいもの
2008.11.06: Tax Haven諸国の国としての特徴
2008.10.23: Tax Haven的観点による香港とシンガポールの違い