ついに1USD=100JPYを割り、ぶち下がる株式市場を横目に、まだもうちょいこのトレンドが続くと思うので
お楽しみは後で取っておくこととして、現時点で触れるのは止めときましょう。
原点回帰の上海旅行を機に、投資の原点を振り返るという意味で、幼少の頃を思い出してみようと思う。
小学校一年生
月に一度のおこづかい制が始まった。一ヶ月200円。
母君が言った。
「この金をどう使おうが自由だ。毎月200円使うもよし。何ヶ月か貯めて高額のものを買うもよし。」
私には妹が居るが、同じ環境下で教育されたにもかかわらず、このこづかいの使い方は
小学生にして既に違っていた。
私は小さな買い物はしなかった。妹は、もらったその日に全てを使い、家に置いてあるような駄菓子を買っては食べていた。
これを見てまた母君が言った。
「ここに通帳がある。この数値を見ろ。ここに利子とある。使ってしまえば何も残らないが
金を銀行に預ければ、一年後には自動的に金が増える。」
続けて言った。
「正確には銀行より郵便局の方が利率が良い。だけどそのことは友達には言うな。
この街は銀行員が多い。そんなことを言うと友達も気分を害するかも知れん。
こづかいが1000円たまったら、私が郵便局にあずけてやろう。1年放っておけば金が増えるぞ。」
お年玉やこづかいを郵貯に突っ込んだねぇ。
増えていく残高と4月1日に記帳される利子を見て嬉しかったなぁ。
当時は普通預金で4-5%程度あった。
次に母が出してきたのが、民間銀行が「絶対マネできない」吠えた郵便局10年定額貯金。
(半年後から行使可能なAmerican Swaption付10年国債みたいなもの。)
確かに恐ろしい商品で、10年は利回りが固定で回る。
解約は6ヶ月間はできないものの6ヶ月以上経つと元本保証で解約できてしまうという。
これは桁をさらに上げ、1万円単位で突っ込んでいたものの
1990年代後半に満期を迎えた10年定期は、6%超で回り続けていた。
ピーク時は、8%超で、10年で2倍のリターンだった。
今の超倹約型のライフスタイルはこのようにして培われたのだと思う。
ケチと言われる事にたいして、母君を恨むことは無い。
なぜならば同じ環境で育った妹が私とは対照的な金使いをしているので、これは先天的な性格
がもたらした必然であると考えている。
マルサの女で、山崎勉が言った。
「水が一滴づつ、グラスにたまる。貧乏人はグラスにたまった水を飲んでしまうだろう?
俺は違う。グラスいっぱいになるまでじっと待って、あふれてくる水をなめるんだ。」
なかなかお気に入りの台詞です。