マルクスは予言者であった。彼の偉業の本性を理解するためには、マルクスの生きた時代の背景の中にそれを浮かび上がらせてみなければならない。当時は、ブルジョア意識の最頂期であり、ブルジョア文明の最低期であった。それはまた機械的唯物主義の時代であり、新しい芸術や新しい生活様式が胎内に宿っているとの兆候がまだその影を見せず、そのうえ胸の悪くなるような陳腐さのなかに時間が浪費されていたような文化的環境の時代であった。真の意味での信仰は、社会のあらゆる階級から急速に失われ、それとともにただ一条の光明すら労働者の視界から消え去っており、その一方知識人はミルの「論理学」や「救貧法」に対して満足の意を公言していた時代であった。

このとき、社会主義の現世の楽園を約束するマルクスの託宣は、幾百万の人々の心にとって、新しい一条の光明と新しい人生の意義とをもたらした。これら幾百万の人々のほとんど全部が、その託宣を真の意味において理解しかつ評価しえなかったのは大したことではない。それはあらゆる託宣の運命である。重要なのはその託宣が当時の人々の実証的な精神に受け入れられやすいような形で形成され伝達されたことであるーその実証的な精神は疑いもなく本質的にブルジョア的であった。したがってマルクス主義は本質的にブルジョア精神の所産であるということには何らの逆説も存在しない。一方においては、不運な大衆の自慰的態度たる、邪険にされ・不当に取り扱われたとの感情を比類なき力で定型化することにより、他方においてはまた、かような罪悪からの社会主義的救済が合理的検証に耐えうる確実性を有するものであることを宣言することにより、なされたのである。

完全競争とは、あらゆる産業への自由な参加を意味する。それが資源の最適配分の、したがってまた生産量増大の条件であるというのは、その一般理論の内部では全く正当である。

社会主義は作用しうるか、もちろん作用しうる。我々はもっぱら次の2つの型の社会のみを考察の対象として取り上げるのであるから、その他のものについては単に付随的に言及するにとどめる。その2つの型の社会を我々は「商業」社会と「社会主義」社会と呼ぶ。商業社会とは、その制度的類型を規定するのに次の2つの要素を上げれば足りるような社会を言う。すなわち、生産手段の私的所有と生産過程の私的契約による規制とがこれである。しかしかのような社会は、原則として純粋にブルジョア的な社会ではない。というのは、産業ブルジョアジーや商業ブルジョアジーは一般に非ブルジョアジー階層との共棲なしには生きていけないからである。さらにまた、商業社会は資本主義社会とも同一ではない。商業社会の一つの特殊な場合たる資本主義社会は、以上の他になお信用創造ー、それは現代経済生活の極めて多くの顕著な特徴を説明するものであって、現実には銀行信用、すなわち、その目的のために作り出された貨幣(手形や当座預金)によって企業者に融資することーという新しい現象が付加された場合にのみ十分に規定されうるものである。けれども、本来は社会主義に対応するはずの商業社会も、実際にはむしろ資本主義の一特殊形態として現れるのが常であるから、読者が資本主義と社会主義という伝統的な退避に執着したとしても、大して違いは生じないであろう。我々の言う社会主義社会とは、生産手段に対する支配、または生産自体に対する支配が中央当局に委ねられているーあるいは、社会の経済的な事柄が原理上私的領域にではなく公共的領域に属しているーような制度的類型に他ならない。社会主義とは万人のためのパンを意味するというようなおめでたいものは別としても、最もだと思われうる多くの仕方があるーのだから、必ずしも我々の定義が最上のものであるというわけではない。

国家という概念は封建社会の論議にも社会主義社会の論議にも立ち入ることを許さるべきではない。なぜならば、国家の意義の大部分は私的領域と公共的領域との間の分割線をひくことから生ずるのであるが、かような分割線は封建社会にも社会主義社会にも見られず、またみられるはずもないからである。このゆえに私は、自分の社会主義の定義に国家の概念を用いなかったのである。もちろん、社会主義は国家の行為によってもたらせうるものではあろう。けれどもそのことは、この行為を通じて国家がーマルクスによって指摘され、レーニンによって繰り返された如くー死滅すると言い切ることを、いささかも妨げるものではない。

日経BPクラシックス 資本主義、社会主義、民主主義 1
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