アフリカではティゲリヌスの要求によって、その地方の住民全体が参加しなければならない大掛かりな狩が行われた。アジアから象と虎、ナイル河から鰐や河馬、アトラス山脈から獅子、ピレネ山脈から狼と熊、ヒベルニア(今のアイルランド)から猛犬、エピルスからはモロッソイ犬、ゲルマニアからは水牛と巨大で獰猛な野牛が送られた。収監された人の数が多いので、今度の競技は大きさの面でも今まで見られた全ての競技を凌ぐ筈であった。皇帝は火災の思い出を血の中に浸しローマを血で充たそうと望んでいたのであるから、流血も今までこれ以上華々しいものは提供されたことはない。陽気になってきた民衆は、ヴィギリア(夜警)やプラエトリア兵の手筈をしてクリスト教徒を狩り出した。それが困難な仕事でなかったと言うのは、クリスト教徒の大群が尚庭園の中で他の民衆と一緒に宿営していて、公然と自分達の信仰を告白していたからである。包囲されると跪いて歌を歌いながら反抗せずに捕縛した。民衆にはクリスト教徒の落着きの源がわからないので、それを頑迷と考え罪悪を固執するものと見た。
そこで民衆はプラエトリア兵の手からクリスト教徒を奪って自分たちの手で八つ裂きにしそうな形勢になった。女の髪を捉まえて牢獄まで引き摺ったり、子供の頭の敷石に打ちつけたりした。夜になると、人々の雷のような唸声が聞かれ、それが全市に響き渡った。方々の牢獄は何千という人で満ち溢れたが、それでも毎日民衆とプラエトリア兵は新しい犠牲を引っ張ってきた。憐憫の念は消えてしまった。人間が言葉を忘れ、物凄い狂乱の中にただ「クリスト教徒を獅子に食わせろ」という一つの叫びしかおぼえていない有様であった。


フラヴィウス家の諸帝(ヴェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌス。紀元69~96年)がコロッセウムを建造する前は、ローマにおける円形競技場はいずれも主として木造だったので、ほとんどすべて火災の時の焼失した。しかしネロは民衆に約束した競技を催すために、幾つか建てることを命じ、その中の一つは巨大なもので、そのために火災鎮定後ただちにアトラスの斜面で伐採した木の幹を、海とティベリス河から運ばせ始めた。人間及び野獣には広大な宿舎が設けられた。それまでに名がある劇場が一つとして及ばない物見高い人々を容れることのできる円形競技場を建造したのである。
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ルドゥスマトゥティヌス(朝の競技)が始まるはずの日には、民衆の群が夜明けから門の開くのを待ち、獅子の吠える声や豹や犬の鳴声に聞き入って嬉がった。野獣には二日前から食べ物が与えられないばかりか、目の前には血の滴る肉の塊を見せびらかして、一層憤慨と飢餓をそそるようにした。
民衆は大声で話しあい、叫びあい、歌を歌い、時々何か気の聞いた洒落を聞くと笑い出してその洒落を列から列に伝え、また開会を急がせようとしてじれったそうに足踏みをした。到頭足踏みの音は雷鳴のようになって止まなかった。その時既に前から豪奢な供を従えたプラエフェクトゥスが布片で合図をするとそれに応じて円形競技場に何千と言う群から洩れる「あああ!・・・・」という声が鳴り渡った。
> 格闘士、カレンディオとラニオの対決
何千という眼が注がれている大きな門のところへカロンのなりをした男が近づいて満場の沈黙の中で、門の向こうに隠れている人々を恰も死に呼び出すように槌で三度敲いた。やがてゆっくりと扉が左右に開かれると真っ暗な口が見えて、そこから明るいアレナの上に格闘士が現われ始めた。25人ずつの組の分かれて別々に、トラキア人ミルミロ人サムニウム人ガリア人といずれも重い武具を着け、最後にレティアリウスが片手には三叉を持って進んだ。格闘士は右手を上に伸ばし、目と顔を皇帝の方に挙げて長々と引く声で叫ぶというよりも歌い始めた。「万歳(アヴエ)、カエサル インペラトル。モリトウリ・テ・サルタント(死のうとするのものが敬意を表します)。」
見物人の間には賭けが始まった。「ガリア人に500セステルティウス」「カレンディオに500セステルティウス」「ようし、1000だ」「2000だ」 そのうちそのガリア人は一旦アレナの中央まで行ってから剣を構えたまま再び後に退り始め、頭を伏せて、眼庇の隙間から注意深く相手を窺うと、腰帯の外は全く裸体の、美しい彫刻のような姿を持つ身軽なレティアリウスは、快適に網を振り、三叉を傾けたり揚げたりしながら重々しい相手の周りを速やかに廻っていつものレティアリウスの歌を歌った。しかしガリア人は逃げて行ったのではなくしばらくして止まるとその場に立ってほとんど目に付かない動き方で向きを変え絶えず相手を正面に置いた。その姿と気味悪い大きい頭には今やどこと無くすごいところがあった。見物人はこの銅で固めた重い体が突然動き出せば、勝負をつけてしまうかもしれない身構えだということをよく承知していた。それに応じてレティアリウスは飛び掛ったり飛び退いたりしながら、三叉を振り回す速さが、見物人の目にもほとんど追っていけない程であった。その刃が盾にあたる音が何度も響くのにガリア人は揺るぎもせず、自分の巨大な力を示そうとした。
ラニオが負けるほうに賭けている人々は、ラニオが休息するのを欲さず「掛かれ」と叫んだ。ガリア人はそれに従って掛かっていった。レティアリウスの腕は忽ち血に染まって、その網が垂れた。ラニオは身を縮めて最後の一撃を加えようと反らせてその一撃を避け、相手の膝の間に三叉を突っ込んで地面に投げ倒した。相手は立ちあがろうとしたが、瞬く間に宿命的な網の目に引っ掛かり、その中で動く毎に手も足もますます強く縺れた。その間に三叉の打撃が後から後からその身を地面に釘付けにした。カレンディオは三叉の刃で相手の頚を地に押し付け、その柄に両手をかけてから皇帝の座席の方を向いた。
民衆の希望は2つに分かれた。上段の座席では殺せと言うしるし(握った拳の親指を反らせて下に向ける)と赦せというしるし(親指を上に向ける)と半々であったが、レティアリウスは専ら皇帝とヴェスタの処女の座席の方を見てその決定を待っていた。ネロはラニオを好まなかった。火災の前の競技にラニオが負けると賭けてリキニウスに相当の額を取られた。そこでポディウムから手を伸ばして親指を地面に向けた。そこでカレンディオはガリア人の胸の上に膝を欠けて帯に挟んでいた短刀を抜き、相手の頚の周りの武具を外して、その喉頭に三角の刃を柄まで刺した。