キロンはもうすっかり安心したので立ち上り、壁にかかっているランプを一つ取った。ところがその際、頭巾が頭から外れて、光がキロンの顔に真正面からあたると、グラウクスは腰掛から飛び上がって速やかに近寄り、その前に立ち止まって訊いた。『私を覚えてないか、ケファス。』その声には何か非常に恐ろしいものが籠っていたので、居合わせた人々はみんなぞっとした。キロンは、ランプを持ちあげたが、その瞬間にこれに地面に落とし、やがて身を二つに折って溜息をついた。「私ではない…私ではない…御免なさい」しかしグラウクスは長老たちの方を向いて云った。『これが私と家族を売って破滅させた男です…』この男の話はあらゆるクリスト教徒にもヴィニキウスにも知れていた。ただヴィニキウスは包帯をされた時痛みのために絶えず失神していてグラウクスという名前を聞かなかったので、そのグラウクスが誰だか推測できずにいた。しかしウルススにとっては、グラウクスの言葉と結びついて、その瞬間暗闇の中で電光のように速やかであった。それがキロンだとわかると、一っ飛びにその前に出て腕を捕まえ、後ろに廻し、こう叫んだ。「これが私にグラウクスを殺せとそそのかした男です」「ごめんなさい」キロンは歎いた。「お返しします」と叫んで、顔をヴィニキウスのほうに向け「助けてください。ご信頼申し上げておりました。私を守ってください。…お手紙は…持ってまいります。どうぞ、どうぞ…」