本書は私が書いたものであるから、私にとって都合のよいように書いて言うところも少なくない。本件がもし検察側から「リクルート事件・検察の真実」として書かれれば、別の内容の読みものになるであろうこともお断りしたい。
衆議院証人喚問
「ロッキード事件では『記憶にございません』と言って偽証罪で逮捕された人もいます。今回のケースの証取法違反は最高刑が1年、偽証罪が10年と、偽証の方が罪は重い。偽証は絶対にしないでください。しかし、クレイ社のスパコンの購入の件を、『NTTが買い、リクルートへ転売した、単なる”素通し”だった』と証言されると日米貿易摩擦が再燃するので、ご配慮いただきたいと、NTTの弁護士から申し入れがありました。」と弁護士から言われた。リクルートはクレイ社製のスーパーコンピューターを、日本クレイからでは直接ではなくNTT経由で購入していた。それは次のような事情からだった。
当時、都市銀行各行は第3次オンラインシステムの開発中で、コンピューターの大量需要があった。開発用の大型汎用機はシステム開発が完了すれば不要になる。この事業はそのようなニーズに応えるものだった。同時にニューヨークと東京の昼と夜の時差を利用しようと、未使用となっていたニュージャージーの穀物倉庫の跡を借りてインテリジェントビルに改装し、KDDの回線を利用し、日本企業と接続してサービスを提供した。その頃ニューヨークのスタッフから「ボーイング社が自社の計算センターを別会社として独立させ、そこではクレイ社のスパコンを飛行機や自動車の風洞実験用に他社に転貸している」というレポートが届き、「我々もメニューにスパコンを加えよう」ということになった。さっそく富士通、NEC、クレイ社に見積もりを取ったところ、先発のクレイ社のスパコンに比べるといずれもソフトの面では劣っていたが、価格帯性能の面では富士通のVPシリーズが優れていた。最終的にリクルートは富士通のスパコンVP400一号機の導入を決めた。ところがここでクレイ社のオーティス社長がNTTを通じて巻き返しを図ってきた。
その頃、日本の国立の研究機関や国立大学などでは十数台のスパコンを購入していたが、全て国産。世界で一番出荷台数が多く、ソフトウエアも充実しているクレイ社のスパコンは民間企業ではいくつもの導入実績があるのに、国立の大学や研究機関での導入実績はゼロだった。そのためアメリカのやいたー通商代表は「日本は保護貿易政策を取っている」と批難し、日本が国産優先の姿勢を取り続けるならGATTへの提訴も辞さない考えだと報道されていた。スパコン問題が日米貿易摩擦の目玉になっていたのである。その矢面の立たされたのがNTTで、NTTは米国製調達協定を結んでいるにもかかわらず、電電ファミリーと称される会社の通信機器を使っていたため、調達実績が目標に達していないことが非難の対象となっていた。
昭和60年ワシントンとサンタ・クララで開かれるセミナーに参加するために真藤恒社長が渡米されることになっていたが、その直前に営業部長の式場さんから出勤途中の私の自動車電話に連絡が入った。「真藤が明日アメリカに出発するが向こうで記者会見を開くことになったと先行して渡米していた北原安定副社長から連絡があった。真藤にカラのかばんで行かせるわけにいかない。NTT経由でクレイを買ってもらえないだろうか」との依頼だった。式場さんの電話を受け、私はクレイ社のスパコンXMP16もNTT経由で購入することを決めた。富士通製品だけでなく、クレイ社のスパコンも購入したのは、XMP16は十三億円と価格がさほど高くなかったこと、ビッグネームの会社の製品でデザインも優れているので、入社案内にクレイの写真を入れれば工学部の通信・制御系の学生の採用にプラスになると考えたこともあった。
証人喚問は昭和54年のダグラス・グラマン事件以来9年ぶり。ダグラス・グラマン事件の際、証人が署名する時手が震えて名前がなかなか書けない映像が繰り返し放送されたため、証人の人権への配慮が行われ、新議院証言法で静止画像に変わったと事前に報道されていた。大勢の国会議員の前での証言。静止画像とはいえ私の証言がテレビで2時間生放送される。つとめて冷静に、と心がけていたが、内心では緊張していた。
安倍晋太郎先生に初めてお会いしたのは、昭和49年、赤坂の料亭「大乃」。農林大臣として初入閣されたお祝いの会で、会の発起人だった私の親友新倉基成(新倉計量器株式会社社長)に「江副、お前も来いよ」と誘われてその席に出た。理屈っぽい私が「ブロイラーや鶏卵業は大規模養鶏で生産性を高めていますが、農地の売買を自由化して営農規模を拡大させるとか、牛も大規模畜産を認めて肉牛の大規模畜産業を育成しないと、コメや牛肉は外国産に取って代わられると思いますが・・・」と話すと、「農林大臣がそんなことを口にしたら身内から袋叩きにあう。君たちは、牛肉やオレンジなどの輸入を早く自由化すれば物価が安くなると思っているだろうけど、それをやると地方の自民党代議士は支持基盤をなくし、議席を失う。農家の田んぼは自民党の票田なんだよ。選挙で票の多いほうが議員になるのが議会制民主主義だからな。民主政治は会社経営のように合理的にはいかない。政治家が政策を実行するのに妥協はつきものなんだよ」と目を細めて話された。
それから1ヶ月ほどして、安倍先生の秘書の清水二三夫さんから「対象の夕食が相手の都合で突然キャンセルになって、江副さんと食事をしたいといってるんですが、ご都合はどうでしょう」との電話があり、私は喜んでお誘いを受けることにした。「政治家は毎晩同じような人と食事をしていてね。福田派の定例の会合、他の派閥の領袖や国対委員との非公式の会食、後援者との会食。大臣になってからは全農とか全中の幹部との会食、派閥の代議士の集まりの会食、派閥の新人代議士の資金集めの会のパーティのスピーチもある。仲間内の付き合い飯が多いんだよ。政治家にとって大切なのは政策だから。僕は経済の第一線で活躍している若い人の話を聞いて行きたいと思ってるんだよ」
「少人数で良い、若い人を連れてきてくれないか。君のような辛口の人の話を聞きたいんだよ」
「気のような辛口の人の話を聞きたい」と言われ、私は嬉しかった。私は最初に森ビルの森稔さんを誘った。夜9時からの会食で森さんは既に酔っていた。
「センセイ、自民党の公共投資は地方ばかり。公共投資を東京に回してくださいよ。東京の都市のインフラの整備が遅れています。地方からの高速道路が東京につながると首都高は渋滞します。東京の公共投資は見返りがある投資です。例えばマッカーサー道路(駐留軍によって新橋から虎ノ門まで市街地再開発のために計画決定された幅員40メートルの道路)計画ができて30年以上経つのにまだ完成していません。地方に比べて東京の道路整備は遅れているんですよ」
安倍先生は細い目をさらに細められ、笑顔で「東京の自民党の議席が増えれば、東京の公共投資も増えますよ。森さん、自民党の東京の議席を増やすよう、東京の自民党の代議士を応援してくださいよ」と言葉を返された。安倍先生に電話がかかってきて席を外された。その間に森さんは眠り始めた。先生は「寝かしておいたら、僕にいくら言われても、東京の道路は良くならんよ」と、笑っておられた。
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