金融システムとの関係を考えるために、ハイエクの貨幣自由化論を見よう。フリードリッヒ・フォン・ハイエクは1976年に刊行されたDenationalisation of Money『貨幣の非国有化』)において、貨幣発行の自由化を主張した。歴史のかなり古い時点から、通貨発行権は国家が独占してきた。しかしハイエクによればそれには何の合理的な根拠も無い。むしろさまざまの問題をもたらす。その一つは、国債の貨幣化によって放漫財政が生じることだ。彼は言う「現代における政府活動拡大の大部分は、貨幣発行によって財政赤字を賄ったことでもたらされた。これによって雇用が創出されるという口実に基づいて」(p33)。「政府支出の増加は、政府がマネーをコントロールできるようになったために生じた」(p118)。銀行が独自の貨幣を発行するとすれば、各銀行が自ら貨幣の購買力を維持するために発行量を調整するので無秩序な増発はなくなる

各中央銀行が購買力を維持するために金融緩和や金利を調整してるんじゃないの? 野口さんの抜粋だけで本文全体を読んでいないためか私の理解が追いつかず、ハイエクとは意見が合わないなw 各銀行に任せた結果、アメリカのマネーサプライをコントロールするほどのモルガン家が誕生し、モルガンの死後その権利を奪うためにFRBが設立された。アメリカがわかりにくければ、利休が秀吉に斬られた原因の一説を挙げよう。戦国時代、信長などの努力によってか日本経済は著しく発展し、その経済成長が当時日本にあった貨幣を超えてしまったのだろう。当時は金銀両本位制で通貨発行に制限があったため、茶道具が登場し、茶器一つで一国(例えば土佐の国とか今の県)の徴税権=1年分の年貢に相当するような値段をつけた。茶器の取引は経済成長と金本位制からの脱却の産物。そして新・貨幣創造だったとも言えよう。その茶器の価値判定を利休がコントロールするということは、秀吉が通貨発行権を失うということになる
戦争するたびに国境線が変わっちゃうヨーロッパのロスチャイルドが
「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうと、そんなことはどうでも良い。」
と言っているが、これを当時の日本に当てはめると、利休の茶器のバリュエーションが、通貨発行権を秀吉から奪い、事実上、利休が全てを握ることになるから、それが怒らせた原因だと言う。さらに、これを現在の日本に当てはめると、全てを握るのは国で、誰が法律を作ろうがどうでもいいので、立法家たる国会議員も誰でもいいから選挙も意味無いし、資本主義じゃなくなるどころか民主主義でもなくなる。まぁ、もうその道を進んでいるのが現状だと思っているがね。