そういう行為は誰がやったのか質問しても、全員が「父は子のために隠し、子は父のために隠し」で、「知りません」「存じません」「記憶にありません」で絶対に本人が出て来ないのが普通だからである。子が、すなわち下部組織内の人間が事実を口にすれば、それは「真実・正義」のなきもの、いわば不徳義の嘘つきとして、追放され処罰されるに決まっており、例を挙げろといえば、いくらでもある。

オリンパス事件かーw

中国思想について私は何も知らないが、専門家によると、この日本的儒教思想と中国思想は根本的に違うという。その差はどこにあるか。孔子はたしかに相手に対して誠実であった。諸侯の一人に仕えた以上、彼はそれに対して、忠誠であったがしかしこの関係はあくまでも相対的な「君君たらずんば、臣臣たらず」といった関係で、いわば両者の関係は信義誠実を基にすべきことであるといった契約的な意味の誠実さで、これがおそらく「忠」という概念であろう。彼にとっての「忠」という概念と、血縁といういかんともしがたい非契約的な秩序の基本である「孝」とはあくまで別概念であったろう。別概念だからこそ、別々の言葉で表現され、この2つを同一視すれば、とんでもない社会を招来してしまうと考えたはずである。従って前述のように父子ではない会社や組合といった組織にまで父子の倫理を拡大してこれを儒教と呼べば、彼自身が激怒して反対したかも知れぬ。以上の規定は一応、変形された「日本的儒教」と呼ぶべきものと考えよう。
言うまでもなく、30年前までの日本は「忠孝一致」で「孝」を組織へと拡大化したを「忠」と呼び、「君、君たらずとも臣は臣たれ」を当然とした社会であった。これは徳川時代には封建諸侯への臣従を絶対化するイデオロギーであったが、明治以降はこれが極限まで拡大され、その極限に置かれたのが天皇だった。
「何かの力」と、紳士は言ったが、その抽象的表現が、かえって私の心を傷つけた。左様。たしかに、1つのデータ、現象、事件に、日本ではすぐ「何かの力」が作用する。マスコミが飛びつく。そして大きな渦となり誇大に宣伝され、世論となる。そのデータや事件とは、全く無関係なところまで広がってしまう。これも日本人の過熱性だろうか。しかし「過熱性」とだけで、片付けられる問題ではなさそうだ。
多くの人は、明治において過去のシンボルを捨てた。そして、捨てないものを旧弊とか頑迷固陋とかいって罵倒した。しかしそれは罵倒した人がその状態を脱却して、新しいシンボルへの臨在感的把握をしなかったということではなく、その逆、すなわち直ちに新しいシンボルを臨在感的に把握し、そのシンボルとの間に「文明開化」という「空気」を醸成したというだけである。もちろん言葉もスローガンとしてシンボルになりうる。従ってそれが「尊皇攘夷」である「文明開化」であれその言葉が分析すべき意味内容を持つ命題でなくシンボルである限りはその転換はこれらの「標語」の意味内容とは関係なく、それへの感情移入が成り立てば、すぐに転換し「空気」を醸成し得て当然である。
この態度は宗教的な回心(コンバージョン)と非常によく似ている。そして宗教的回心なら、心の転回により臨在感的把握の対象は、消えるか否定の対象として”悪魔化”され、その結果、自己を拘束していた過去の”空気”が一瞬に消え、その呪縛から開放されたと感じても不思議ではない。
新旧いずれの対象であれ、その対象が絶対者乃至は絶対的対照であらねば回心は起こり得ない。分析的対象は回心を起こさす信仰の対象ではありえない。ということは、明治の回心においても戦後の回心においても、その回心を起こさせた対象は何らかの絶対者であらねばならなくなる。明治の転回点とそれに続く戦前の対象は天皇だった。だが回心した者は、たとえ彼が主観的には「新しい、生まれ変わった別人」であろうと、その一瞬前のそのものと別人であることはできない。前述したように、黒板の「大和魂」を消して「民主主義」と書いたところで、その教師自身に変化が生じえたわけではない。同様に昭和19年の日本人が、20年の8月15日で一変することはありえない。
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結局いずれの場合であれ、その絶対者に対して、他のすべての者は平等となる。これは宗教的回心の当然の帰着であり、絶対者が回心者を”差別”する存在ではありえず、キリスト教的に言えば「主にある兄弟姉妹」でなければならない。この関係は明治も戦後も同じであり、違いと言えば、戦後の絶対者は民主主義であり憲法であったと言うだけである。従って民主主義と憲法の日本における定義は、たえずそれを改訂し、改訂しうることを民主主義の原則とする西欧の伝統的定義と同じではあり得ない。まして「民主主義とは、統治の一形態であって、それ自体の中に克服すべき様々の欠陥を含む」ものとして相対化することは到底日本では認められず「民主」といえばこれは絶対で、しかも日本のそれは世界最高の別格であらねばならなくなる。憲法も同じであり、あらゆる法は常に欠陥を持つから、その運営において絶えず改正を必要とする存在であってはならず、戦前の天皇制が、他国の立憲君主制とは全く違う金甌無欠の体制であったと言う主張と同様、完全無欠であらねばならないのである。

憲法改正アレルギー、9条の解釈の問題の根源は、「そうか、日本において憲法は時代の変化と共に改訂すべき法ではなく、絶対者なのである。」ポンッ
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