09年に入り日本のメディアは、中国の2月危機説を一斉に書きたてた。旧正月の休みで帰省していた農村からの出稼ぎ労働者が再び都会に戻ってくる2月に、多くの企業が夜逃げ・相産することで大量の失業者を吐き出すことを、いわゆる二月危機説として書きたてたのだが、実際には大きな混乱が起きることはなかった。その理由は、実は、中国はその1年前にすでに危機を体験済みだったからだ。当時、日本の一部では、「シンセンなどでは毎年起きていることだから問題ではない」と夜逃げを軽視する声も上がった。混乱が何とか収まったのは、労働者の怒りが一過性だったために多少の妥協で折り合えたことや、多くは出稼ぎ労働者で農村には彼等の買える場所もあったこと、そして彼等の問題を吸収してくれる世界が背後に存在していたからにすぎないのです。これこそが本書のメインテーマである地下経済である。
世界金融危機に襲われる1年以上も前にすでに東莞市虎門鎮がこうした問題に直面していたことの背景には、すでに中国が、労働者をやすく使い捨てることができ、なおかつ汚染物質も垂れ流せるという、経営者にとって夢のような国ではなくなったことがある。地方政府と経営者が結託して、労働者の賃金が上がらないよう、数年後とに新しい労働者と入れ替えるシステムを作った。だから現場は常に経験の浅い労働者ばかりになった。そのため、広東省だけで毎年3万人ほどが職場の事故で腕や指を切り落としてしまうというほど、事故が頻発した。企業はそうした人間を使い捨てればよいのだが、国はそうはいかない。それが08年1月から施行された、労働者の権利を強めていくための労働契約法にもつながっていったのです。同時に中国は、持続可能な経済発展というスローガンの下、環境問題にも力を入れ始めた。
出稼ぎ労働者の問題では外資の夜逃げばかり強調されますが、中国国内の企業が海外に逃げ出す動きも激しくなっていました。余裕のある企業はベトナムやミャンマーを目指しましたし、そうでないものは広西チワン族自治区や江西省、湖南省などに工場を移転し始め、それさえできない企業は静かに工場を畳んだのです。工場は移転すれば生き残れるが、労働者はそうはいかない。特に最大の被害を受けたのが四川省、安徽省、河南省などから来ていた出稼ぎ労働者たちだった。その多くは何の前触れもなく自分たちが働いていた工場が消えてしまったり、酷い場合は数か月分の未払い給料を残してオーナーが消えてしまったケースもあるという。安価で手頃な労働力を利用することで潤ってきた地方が、逆にその労働者によって悩まされる時代を迎えたことを世界の工場が実感し始めたのがこの年だった。失業した労働者のエネルギーは、決して政府にだけ向けられたのではなかった。真っ先に悪化したのはこの一帯の治安だった。09年4月末、中国の人気週刊誌『中国新聞週刊』が子供の誘拐事件が増えていることを受け、東莞市で「子供を誘拐された親達による被害者同盟」が結成 街頭でデモンストレーションを敢行 「子供を1千万元(約1億3000万円)で買い戻したい と呼びかけ というショッキングなタイトルで報じている。
推測では、ここ数年だけでも東莞市で少なくとも1000人以上の子供が誘拐の被害に遭い失踪したと考えられる。連れ去られた子供の多くは、2歳から6歳の幼児で90%が男の子であり、被害に遭った子供の90%が出稼ぎ労働者の子供達だ、という犯罪の傾向も記している。誘拐の多くは売買目的で、子供を取り戻すために生まれた民間団体・宝貝回家志願者協会が09年3月に子供の奪還に成功した事例から分かったのは、子供を買っていたのは、山東省や福建省、そして広東省の潮州・汕頭地区などの経済的に恵まれた成功者達だったという。彼らの考え方は保守的で、子沢山こそが幸せと信じ、女の子よりも男の子を尊ぶといった古い考え方に基づいて男の子を集めていたことが分かったという。子供に付けられた値段の相場は、男の子が1人25000元、女の子はわずか1人700元だ。地下で需要と供給が結びつく。これも地下経済がもつ恐ろしい負の側面だ。
山賽携帯電話のブーム再来 「山賽」とは本来、山賊の砦を意味する言葉だが、商品の前に付けて「山賽○○」と使われる時は、海賊版とかコピー商品という意味で使われるのが一般だ。安いモノでは正規品の1/10という製品まであり、正規品に手が出なかった貧困層や学生たちの間で爆発的に普及していった。ちょうど北京オリンピックと重なり動画やテレビ機能のついた山賽携帯に特需の風が吹いたのだったが、その勢いはコピー商品でありながらインドや東南アジア向けに堂々と輸出されているほどである。だが山賽携帯が急速に普及したといっても、その結果として正規品の市場が大きく侵食されたわけではない。もともと正規のメーカーが歯牙にもかけなかった購買層を相手に売上を伸ばしたに他ならない。中国の銀行が中小企業を橋から相手にしていないのと同じように、大きなメーカーは最初からそうした人々をターゲットとして想定しない。こう考えた時、日本人が中国の将来を有望視する時に語る”13億人の市場”という言葉が、いかに虚しいものかが分かるのだが、中国ではその両者はくっきり区別されている。
温家宝の宣戦布告
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心配されるのは、こうした姿勢で政府が地下経済と向き合うことだった。07年11月19日、その象徴的な事件が起きた。シンガポールを訪問中だった温家宝総理が、同行記者たちに向かい、突然、地下金融問題に言及したかと思うと、その弊害について激しい批判を始めたのだった。中国の金融界の心臓部であるシンセンではその頃、市中の商業銀行が現金(預金)引出制限に踏み切ったため、市民生活に大きな混乱をきたしていた。引き出し制限は、ある地下経済の動きに対して商業銀行が足並みを揃えて取った措置だったが、温総理は、「商業銀行のそんなやり方には賛成しかねる。問題があれば法律に従って適切に処理すべきだ」と強く非難した上で、すべての元凶である地下金融を徹底的に取り締まる意思を示したのだった。いまシンセン市には、全国の流通量のおよそ半分が集まっているが、この状況は異常という外ない。そこにはよほど不正常な要因があるはずだ。例えば地下金融だ。地下を通じた非合法な資金の流出と流入。もし政府がこれを放置すれば、いずれ香港だけでなく、内地(中国大陸)の金融システムも崩壊の危機を迎えるだろう。しかし、この勇ましい宣戦布告にもかかわらず、やがて政府は現実に壁に阻まれて大きな交代を余儀なくされたのだった。
広東省公安庁は、シンセン市にある杜氏貿易公司という貿易会社に対する内偵を正式に開始した。そして6月26日、探査チームは香港とのボーダーの街、シンセン市羅胡の宝安南路にある二箇所の外貨ショップを強制捜査、店の責任者6人とともに本丸である杜氏貿易公司の女社長・杜玲の逮捕にも成功したと発表した。ここに中国全土を揺るがすマネーロンダリング事件が幕を開けたのだった。貿易会社の陰で杜玲が動かしていたアングラマネーの量は、年間約43億元(約559億円)にも及んだ。これは杜氏公司の事業のほんの一部にすぎないと考えられた。というのも杜氏公司は広東省に広く支店網を持つだけでなく、香港にも多くの外貨ショップを置いていたからだ。ちなみに杜氏が香港においていた会社「中国人民幣筏換行」は、社長が逮捕された後もそれまでどおりに営業し続けていた。香港は特別行政区であるとはいえ、中国の公安が本気になれば司直の手が及ばないはずはなく、広東公安当局が捜査の手を広げなかったのは明らかだろう。
地下マネーの流通量の凄まじさを示す材料はさまざまあるが、最近ではCCTVの番組「経済半小時」がわずか1週間で、香港ーシンセン間を行き来したホットマネーが数千億間に達したと報じたことが話題となった。香港の金融アナリストは、「そこには明らかな政治的な意図があった」とこう断じる。IMFが中国で毎年少なくとも2000億元のマネーロンダリングが行われていることが噂の原因だと囁かれていた。「いま大陸の成金たちの多くは、資産の移転先として香港の不動産や株式に熱い視線を送っています。これは香港の不動産が高止まりをつづけている一つの背景ですが、中国政府がこの資金の流れに多くの不正蓄財が含まれていると見ています。しかも資金は必ず地下を通じて流れ出るのですから、政府がこれにターゲットを絞るのは、時間の問題だったかもしれません」 そして報道が始まってから11月16日までに、香港の株式市場が約1100ポイントも一気に下落しているのだ。「この大暴落こそ、実は中国政府が仕組んだものだ」というのが、地下金融に携わる者の間の通説となっている。
当時『アジア・ウイーク』に掲載された10月の貯蓄率統計にあります。実はこの月、中国の家庭貯蓄と企業貯蓄がともに大きく下落していたのです。これが意味するのは大きな資金が流出する兆候です。つまり大量の資金が地下金融を通じて香港に向おうとしていたと考えられるのです。これに対抗するために当局は、杜氏事件という手垢の付いた事件を引っ張り出してきた、というのが我々の世界の認識なのです。中国がこうした不自然な宣伝工作に出る時は、いずれにせよ要注意。香港株が大暴落したのは、当局が地下金融を狙っていることを敏感に察知した投資家が反応した結果なのでしょうね。香港から別の国へと資金を移転させる自由が制限されることに加え、今後は地下ルートでの資金の移動にも影響が出るかもしれないという心配が芽生え、それを嫌った人々が株を売ったのだと・・・」 同じ時期、シンセン市の商業銀行は、前日のように足並みをそろえて預金の引出制限を行うことで地下金融が大量の現金引き出しに動いたことに対抗しようとした。
「シンセン」という罪深き街
だが結論から言えば、当局のコントロールが地下金融に及ぶことはなかった。それどころか地下金融を対峙するという掛け声は、逆に、それ以後急速にトーンダウンして消えてしまったのである。共産党のような巨大な権力が取り締まりの姿勢を明らかにしたにもかかわらず、どうしてこんなことが起きるのか。「理由は市民からの苦情が殺到したことです」と語るのが、広東省党委員会機関紙記者だ。「地価金融退治を初めて間もなく、当局はまず『表』の銀行が悲鳴を上げるの目の当たりにしました。さらに多くの企業が決済や送金などといった日常業務に支障が出るといった問題もそれに続いて起きたのです。当局は改めて人々の日々の生活が以下に地下金融と密接につながり、かつ依存しているのかを知ることになったのです。
内蒙古の小さな町を訪れた時、空港みすぼらしい施設とは対照的に、その駐車場に外車販売のショールームかと思うほど見事な最新モデルのハマーがずらりと並んでいるのを見て驚きました。あの土地では道が悪いため高級車と言えばハマーなのですが、所有しているのはたいてい炭鉱で一発当てた成金たちです。そうした人々の中には自分のために橋をかけたり、中には自宅までの道路を自分の資金で舗装してしまったツワモノまでいるそうです。地下金融界のドン・梁自身、自分のビジネスのために資材を投じて鉄道まで敷いてしまった張本人だ。「動機はそこに需要があったからだ。放っておく手はないだろう。国が鉄道を強いてくれるまで待っていたらビジネスチャンスは逃げていく。いやむしろ国の手が届きにくいところだからこそ我々にもチャンすがったと考えるべきだ。今回は、うち蒙古で我々が投資した炭鉱から出た石炭を隣の陝西省まで輸送する鉄路が必要になったんだ。隣まで運べば需要は拡大することは明らかなんだ。距離は96.4km。俺は18億元を投じて鉄道を完成させる。石炭輸送の需要はすごいから、資金はあっという間に回収できるはずだ」
だが、地下経済の根幹である地下金融は日本になかったわけではない。かつて地域の助け合いとしていて機能していた地下金融は、経済発展の過程で急速に消えていったのである。その代表が、相互銀行へと転化した頼母子講である。では中国の地下金融もいずれ、中国当局の思惑通りに表の銀行へと姿を変え、地下経済そのものも消えていく運命なのだろうか。私はその考え方に否定的だ。なぜなら、常に危機を想定して生きている中国人は、国に頼って生きるという発想は無いからだ。そしてどんな場合でも自力で困難を突破するとの前提に立てば地下のネットワークはどんな人にも不可欠なツールであるからだ。
【アジア国際関係・国際都市】
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