かつてユダヤ人たちは姓を持つことを禁じられていた。しかしある時代、ドイツの「話のわかる」領主が、ユダヤ人に姓を「売る」こともあった。だが、それでも、すぐにユダヤ人だとわかるようにと、植物、金属名しか使わせなかったのだ。リリエンタール(百合の谷)、ゴールドスタイン(金の石)とは、そうした名前だったのである。その昔、中国には名前を呼ばれると禍いがふりかかると信じた人たちがいた。またプン(みつばち)、クン(エビ)のように、愛称で呼び合い、友達の本名を知らないタイの子供達もいる。
民族名がすぐにわかる姓
多民族国家アメリカの姓を例にとって、民族的出自をそのままあらわす姓を集めてみよう。例えばフレドリクセン(Fredricksen)はその語尾から多分北欧系、ゴルドバーク(Goldberg)はドイツ系ユダヤ人だろうという具合である。ずば抜けて多いのはスコット(Scott)、由来はスコットランド、5世紀から6世紀にかけて北アイルランドからスコットランドに移り住んだケルト系ゲール人の一派スコット(遊牧民)が、スコットランドの致命の語源となった。「ウェールズの」を意味するウォルシュWalsh,Welshなどいくつもあって、全てをあわせればスコットをしのぐという。アイルランドから移住してきたカトリック教徒を二級市民として差別したイングランド人いわゆるWASP(White Anglro-Saxon Protestant)には、イングランドEnglandという姓もある。イングランドとは「アングル人の土地」という意味だ。大陸から移動してきたゲルマン民族の一派であるアングル人とともにイングランドを制圧したサクソン人は、故郷のドイツにザクセンという地名とともにザックス(Sachs)という姓を残している。フランス人はFrench,France,Francis、ノルマンディー地方はNorman、ブルターニュ地方はBritton、パリ出身者はParisと名乗ったりした。ベルギーのフランドルはFleming、ギリシャのグレコGreco、バスク地方のVazquezといった珍しい姓もアメリカには見られる。
アメリカ合衆国初代大統領のGeorge Washingtonは17世紀半ばにイギリスからヴァージニアに入植した一家をその祖とする。語尾のtonからもわかるようにもとはイギリスの地名だ。地図で探すと、イングランド北部の都市ニューカッスルの近くにその名がある。意味は「ワサ族の囲い地」だる。イギリスには民族の名にing+tonやing+hamがついた地名がある。とくにサクソン人の一族が開墾地の周りにトン(柵)を設け、ハム(村)を作って住んでいた地域に由来する名前が多いという。
マッカーサーはアーサーの息子
父親の名前に由来する姓とは、「誰の息子」「誰の娘」をあらわす呼称がついた姓である。たとえばMcDonaldやMacArthurのようにMc、Macのついた姓であれば、スコットランド系でマックとはスコットランドの高地ゲール語で「~の息子」を意味する。ドナルドの息子とアーサーの息子ということだ。息子は英語ではサンSon。アングロ・サクソン人はこれを個人名の後につけて姓とした。Johnson、Petersonである。またWilliams(ウィリアムの息子)のように所有を意味する-sだけでつけられることもあったので、必ずしも父親の名に由来する姓とは限らない。イギリスの男性名として最も愛されたRobertはRobertsonやRoberts、Rob、Robin、Hob、Dob、Nobなど多くの愛称が生まれたため、さらに様々な姓が派生している。Robins、Robinsn、Hobbs、Hopkins、Dobey、Nobbsなどはみなロバートという1つの名前から生まれた姓なのだ。
カラヤンの先祖はアルメニア出身
Herbert von Karajanは、オーストリア生まれだが、マケドニア系の家系として知られている。事実、4代前の先祖はギリシア領マケドニアの生まれでカラヤンニスというギリシア人的な語尾の姓をもっていた。だが、もともとKaraはトルコ語で「黒い」を意味し、Janの-anや-ianはアルメニアの姓に特有の接尾辞だ。
宗教改革が名前を変えた
キリスト教の聖人や聖書の登場人物に起源をたどっていくと、ヘブライ語だけでなく、ギリシア語やラテン語に由来する名前が多いことが分かってくる。アンドリュー(イエスの最初の弟子聖アンデレ)、マーク(ローマの軍神マルス)、クリストファー(キリストに捧げられし者を意味するギリシア語Christophoros)はたしかに聖人伝説によって有名になったものだが、名前自体はギリシア語に起源を持っている。ゲルマン民族もスラヴ民族の言葉もギリシア語やラテン語を取り入れることによって豊かになっていたのだから英語やロシア語の人名にギリシア、ローマ起源の名前があるからといって別に驚くことは無いのかもしれない。
しかし聖人伝説や聖書という後ろ盾を持たないギリシア、ローマ起源の名前は、異教的なものとして中世キリスト教社会では、長い間退けられてきたのである。ところが、そうした名前にすら、異を唱えた人々が居た。16世紀の宗教改革で生まれたプロテスタントである。プロテスタントの諸教会は、一般的には聖人崇拝を認めない。そのため彼らは宗教的な意味を持たない名前を嫌って、聖書に出てくる名前だけを選ぶ傾向があった。なかでもピューリタン(清教徒)の態度は徹底していた。マリアの英語形メアリー、ヨハネの母の名エリザベス、創世記に登場するサラという3つの名前だけで全体の4割、四大殉教聖女に由来するアグネス、バーバラ、キャサリン、マーガレットなどは過去数百年ものあいだ、イギリスの女の子に命名されていた名前だが、ピューリタン達はどれも聖書と関係がないとして、退けたのだった。ピューリタンの世界では道徳的で抽象的な意味の言葉を人名として用いるという活気的な試みもなされた。ただ、フェイス(信仰)、マーシー(慈悲)など、人名として定着した名前はほんの少数で、Joy Again(歓喜再び)、サンクフルといった造語名のほとんどは、結局、忘れ去られていった。
人名の世界地図 (文春新書) 21世紀研究会 文藝春秋 2001-02 |
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