1927年4月5日、モスクワでは国共合作を推進してきたスターリンが3000人の代議員を前に誇らしげに演説した。「蒋介石は規律に服している。右派が我々にとって役に立たなくなった時には、それを追い出そう。現在我々は右派を必要としている。彼らは帝国主義に対して軍隊を指導し、号令する役に立つ人たちである。そのうえ彼らは金持ちの商人とも連絡があるから彼らから金を作ることもできる。そこで彼らは最後まで利用されてそれからレモンのように絞られて投げ捨てられるべきである。」レモンのように投げ捨てられるのは誰か? その答えが明らかになる瞬間が近づいてきた。
4月12日、上海に突如現れた兵士達が共産党や労働者の組織に襲いかかった。蒋介石が武漢政府への服従のポーズをかなぐり捨て、反共クーデターに踏み切ったのである。不意をつかれた左派勢力は壊滅的な打撃を受けた。
4月18日、蒋介石は南京で国民政府の樹立を宣言した。中国に対するソビエトや共産党の影響力の拡大を懸念していた列強は、蒋介石の権力奪取を歓迎した。
7月14日慶齢はこう声明した。
「すべての革命は社会の基本的変革をもってその基礎としなければならない。そうでなければそれは革命ではなく単なる政権の交代に過ぎない。いま、制作は時代の要請に応じて改変すべきだという人がいる。この主張にはいくらかの理はあるが、その変化は逆方向であってはならない。革命政党が革命性を喪失し、革命の旗を掲げながら本来それを変革することを党の基礎としてきた社会制度を擁護する機関としまうような変化であってはならない。孫文博士の政策は明確である。もし党のある指導者達が一貫してそれを実行しないのであれば彼らはもはや孫文博士の真の後継者ではなく党派もはや革命のための党ではなく、軍閥の手に握られた単なる道具であり、圧迫のための代理人であり、現在の奴隷制度に取り付いた太った寄生虫にすぎない中国において革命は不可避である。私の胸のうちには革命に対する絶望は無い。私はただ、かつて革命を指導した人々のあるものが迷って道を誤ったことを嘆くだけである。」
それは蒋介石に対する絶縁状であった。そしてそれは同時に靄齢、孔祥熙、子文、美齢ら蒋介石の側に立つことを選んだ宗一族の人々に対する決別の辞でもあった。
美齢の結婚 蒋介石
二人の結婚をおしすすめたのは靄齢であった。靄齢は蒋介石にこう語った。「あなたはいまや重要人物になりつつある。だがその地位はもろい。上りつめるのも沈むのも同じようにあっけないものなのだ。共産党の陰謀があなたを狙っている。いずれあなたは権力を奪われてしまうだろう。だが私はあなたに協力したい。子文を通じて上海の銀行家たちから資金を引き出し、あなたに提供しよう。武器を買うための金も援助しよう。」
蒋介石が愛したもう一人の女性、陳潔如によれば、この会談ののち蒋介石は彼女にこういったという。「5年間だけ身をひいて私と宋美齢を結婚させてくれ。そうすれば北伐を継続する助力を得ることもできるし、武漢政府から脱して独立できるのだ。これは政略結婚に過ぎない」。潔如はこの懇願を受け入れアメリカに渡った。しかしその後、蒋介石からの音信はぷっつりと途絶えたのだった。
1929年、ソ連から中国革命に対する支援の可能性が絶たれ、モスクワにとどまる意味はなかった。5月ベルリンで声明を発表した。「私は帰国する。しかしその目的は孫博士の遺体を彼が埋葬することを望んでいた紫金山に移す式典に出席するためである。孫博士の基本原則に完全に一致するまで、私は党のいかなる仕事にも、直接的にも間接的にも参加することはできない」子良はこの声明が蒋介石の逆鱗に触れることを恐れ、慶齢に声明の発表を思い止まるよう懇願した。しかし、慶齢はこう答えたという。
「宋家は中国のためにあるのであって、中国が宋家のためにあるのではない。」
わーぉぅ! こういう発想のある女性がいるというのが生きる希望になるな。いつかこんな人と出会えるのではないかという幻想がまた始まる・・・
美齢は慶齢に国民党中央執行委員会への出席を求めた。蒋介石は孫文夫人宋慶齢を国民政府に引き入れることをなおも断念していなかったのである。しかし慶齢はこの申し出を拒否した。
「反革命的国民党指導者の性格が今日ほど恥知らずなものとして明らかになったことはない。国民革命を裏切ったことで、彼らは帝国主義者の道具に堕落した。しかし中国の民衆は抑圧を恐れることなく、偽りに満ちたプロパガンダに惑わされず、ひたすら革命の側に立って戦うだろう。テロリズムは血塗られた反動に打ち勝とうとする我々に決意をさらに確固たるものにするだけだろう。」
1988年 蒋経国が世を去った。国民政府総統には副総統の李登輝が昇格した。しかし蒋経国は国民党主席については後継の規定も設けず、副主席も置いていなかった。その真意は今も明らかでない。そして対立はこの国民党主席の座を巡って怒ったのである。李登輝は蒋介石らとともに台湾に移ってきた「外省人」ではなく、台湾出身の「本省人」だった。国民政府の台湾移転以来、実権を握ってきたのは大陸出身の外省人たちだった。約60万人の軍人を含め、200万人といわれる外省人を中心に国民党は大陸反攻、中国大陸統一と故郷帰還への思いを抱き続けてきたのである。後継問題は宋美齢か蒋経国かといった王朝内の争いではなかった。それは国民党の存在意義そのものにかかわる争いだった。美麗を中心とする外省人保守派は李登輝選出回避の働きかけをしたといわれている。しかし1988年1月27日、国民党中央常務委員会は台湾出身の李登輝を国民党主席代行に選出したのである。台湾ではこの政治的攻防を「宮廷クーデターの失敗」、「小さな無血革命」とも呼んだ。台湾政治はすでに新しい時代へと踏み出していた。台湾国内やアメリカからの民主化要求の強い圧力もあり、野党民主党の結成を容認したり、1987年には1949年以来続いた戒厳令を解除するなど民主化に先鞭をつけていた。
【戦争・内戦・紛争】
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