夷館
日本における長崎のように清国も広州市だけを開港した。だが、日本のように中国とオランダ二国という制限は無く、諸外国
にひとしく利用させたのである。夷はエビス、野蛮人という意味で、外人を夷人、または外夷と呼んだ。夷人に対して、様々
な制約を加えたのも長崎と同じである。たとえば、夷人は夷館に居住し、みだりに外出することは禁じられる。月の8日、
18日、28日の3日間に限り、散歩することが許されるが、それも一回につき10人を超えてはならない。
・夷人は番婦(外国婦人)を広州に連れて来てはならない。
・夷人はかごに乗ってはならない。
・夷人は中国人を雇って使役してはいけない。
・夷人は広州で越冬してはならない。
夷館のなかにいる外国商人のことを夷商という。夷商相手の商売は特殊な商人しかできない規則になっていた。大蔵省に相当
する「戸部」の免許を受けた一握りの「行商」である。この行商たちが「公行」という一種のギルドを組織していた。夷館のあ
る地区を十三行街といった。最大の外人商社はジャーディン・マセソン商会で、おなじ英系のデント商社がこれにつぐ実力を
もっていた。夷館の夷商たちが最も不満であったのは、取引相手が限定されていることだった。約十社の特許商人「行商」以
外とは取引ができない
。行商たちは共同戦線を張って綿花の買い叩きや茶葉の相場のつりあげができる。夷商としてはやりに
くい。公行を組織していた清国特許商社はちょうど10社あった。清国の対外貿易は彼らが独占していたのである。独占企業
に巨利はつきものだ。
> 東電関係者 ドキッ!
行商は富み栄えその豪勢な生活ぶりは世人によく知られていた。これら公行のメンバーである「行商」にも泣き所があった。
賄賂と献金である。「戸部」は広州に「海関」を持っていた。こんな機関の役人が何かといえば公行から金品をまきあげよう
とした。
 10社をメンバーに持つ公行の代表の総商は、怡和行の伍紹栄であった。彼は公行の危機を知っていた。メンバーの行商た
ちがうわべはその富を誇っているようにみせかけているが、じつは台所が火の車であるという内情を見抜いていた。10社のう
ち、怡和行ほか2,3社だけが健全経営で、後はすでに財政的に破局を迎えていた。それは見栄を張って賄賂や献金をはずん
だせいだけではない。いったい独占貿易商が事業不振で赤字というのはおかしい
。広州は当時世界で最も金利の高い土地で
あった。いろんな理由があっただろうが、アヘン密輸という特殊な商売があったことが金利の高い最も大きな原因に違いない。
産業革命後の金融パワーはすでに世界を股にかけていた。金利の高い土地へ金は流れていくのである。広州へは内外の金融業
者がおしかけた。海外から来たのはおもにインドのパールシー族であった。現在でもボンベイのパールシー族はインドの経済を
握っている特殊階級である。彼らはヒンズー教でも回教徒でもなく、イランから追われた拝火教徒の子孫なのだ。父祖の地を
離れた彼らはインドで商業種族として生きねばならなかった。これは故地エルサレムを追われたユダヤ人が商業種族になった
のとおなじ事情である。
 金融業者の憲法は、「安全第一」、つまり相手の信用を見極めることに尽きる。うまい商売のあるところには金の借り手は
いくらでもいるが踏み倒されては何にもならない。しかも見知らぬ土地に来たばかりでは、一人一人の借り手の信用など、そ
う簡単にわかるものではない。そこで絶対安全と思われる超一流の店や人物を介して、その保証によって金貸しをすることを
考える。彼らが絶対安全と認定したのは貿易独占権を持つ行商たちに他ならなかった。行商は仲介者としてその金を右から左
へ渡すだけでコミッションが稼げた。そうなると欲が出てくる。自分が保証さえすれば、無制限に金を貸してくれる。動かす
金額が大きくなって判定が甘くなって貸すべからざるところへも貸してしまう。その結果取立て不能になっても行商は元利を
返済しなければならない。しなければ訴訟が起こり、免許を取り消されるだろう。行商の資格を剥奪されると貿易独占からも
外されてしまう。金融業者の狙いも実はここにあったわけだ。公行の総商として伍紹栄は少なからぬ会員がこの苦境に陥って
いるのを知っていた。なんとかして彼らを救わなければならない。たった一つ、一挙に挽回する方法があった。アヘンの合法
。すなわちアヘンの輸入を独占することである。
非合法商品であるアヘンは、いったいどのようなルートでどのようにして密輸されたのであろうか?
十三行街あたりに禁制のアヘンをストックしておくわけには行かない。夷人は天朝の特別の御慈悲で貿易をさせてもらってい
るのだからこの当時、夷館には治外法権などはなかった。一時、マカオにストックしていたがこれもうまくない。そこで考え
ついたのが洋上倉庫というアイディアである。航海用ではなく専らアヘンをストックするための倉庫代わりに建造された船で
ありおそろしく背が高い。夷商たちはこのアヘン母船ともいうべき怪船を珠江河口の沖に常時浮かべておいた。ちょうど香港
と虎門の中間辺りである。品物は海にあるが商談は広州十三行街で行われた。商談が成立すると夷人は等級、数量を明記した
「荷渡し指図書」にサインして、現銀とひきかえに、密売の中国人に渡すのである。この書類は「券」と称し、券は市上で現
物と同じように売買された。越冬の禁止が有名無実となっていたのも夷館ではこの仕事があったからだ。正式の貿易は10月
ごろになるとシーズンオフになるが、アヘンは年中取引されていた。券を入手したものはアヘン母船へ行き、券と引き換えに
アヘンを積んで帰る。巡視艇に見つかってもつかまらないようになるべく脚の速い船を用意しておかなければならない。この
ようにして陸揚げされたアヘンは中国各地にばらまかれた。禁制品であるから普通の商品よりもコスト高になる。運送に困難
があるので、荷揚げ地から遠くなればなるほど相場は高くなる道理だった。ストアシップ渡しの値段が一箱800スペイン・ド
ルのとき、少し北上して広東と福建の境界あたりになると1000ドルになった。
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