インド史面白いですね。東インド会社時代は
支配と被支配、差別と被差別、民族意識と国家意識
という楽しそうなテーマが歴史の背景に目白押しです。

インド独立史 (中公新書 298)
インド独立史 (中公新書 298) 森本 達雄

中央公論新社 1972-09
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インドはいかにして征服されたか
東インド会社時代
1612年エリザベス女王の勅許状を得た東インド会社が西海岸スラートに最初の商館を開設した。
以来、1858年にセポイの反乱が鎮圧されて名実ともにムガル帝国が滅亡し、インドがイギリス国王の
直接統治下に置かれるまでの時代を指す。
17世紀の東インド会社は当面のライバルであるオランダやフランスと通商権の縄張り争いにしのぎをけずらなければならず
軍事的・商業的打算からしてもインド人とはできるだけ摩擦を避けようとつとめた。
17世紀中頃から各地で起こった農民の反乱やデカン高原西北部に住むヒンドゥー部族マラータ人の攻撃を受けて
すっかり屋台骨をゆさぶられたムガル帝国はアウランジープ帝(1618-1707)の死後、にわかに崩壊の一途をたどり始めた。
これまで強大な中央権力の前に鳴りをひそめていた他のヒンドゥー勢力が決起し、これと並んで、ヨーロッパ列強間の商業権
抗争もますます熾烈をきわめ、17世紀末までポルトガルについでオランダが脱落したため、いまや英仏間の衝突は避けられな
い情勢にあった。このように17世紀後半から18世紀前半のインドは、帝国継承をめぐる土着諸勢力と、貿易独占権をめぐる
英仏間の覇権争いで渦巻いていた。

ブラッシーの戦い 土着勢力のたどった傀儡化の典型。
イギリス東インド会社は、太守の許可なくカルカッタの要塞を強化しようとし、会社の横暴に立腹した太守がイギリス人を海上
に放逐してしまった。会社側は天才的将軍と謳われたクライヴの軍隊を派遣して報復に出た。
クライヴ率いるイギリス軍は、太守軍の1/20の兵力であったが、勝負師クライヴは、太守の参謀長ミールジャーファルを後任
太守に備えることを条件に謀反を使そう
しておいたのである。結果ミールジャーファルは新しい太守に就任したが、やがて彼は
自分がクライヴの傀儡であることを思い知らされた。
この戦いの勝利は歴史的・政治的にきわめて重要な意味を持っていた。すなわちイギリスは、フランス軍の進出を完全に封じ
ベンガル地方の事実上の支配者として君臨することになったのである。こうして念願のベンガル進出に成功した東インド会社
は、その目的を当初の貿易から植民地獲得へと大きく変貌させた。

民族意識の欠如
ブラッシーの戦いから1世紀間、植民地支配は進行していった。けれでもそれは強大な軍事力を導入し、土着勢力を席巻
したものではなく、権謀術数をめぐらしつつ、相対立する諸権力を互いに戦わせ疲弊させながら、自ら漁夫の利を得たもの
あった。イギリスの植民地拡大をインドの諸侯たちが手をこまねいて傍観していたわけではない。決戦を挑んだが、地方勢力
の散髪的な抵抗にすぎなかった。ムガル帝国の崩壊にともなうヒンドゥー諸勢力の台頭にいちはやく新しいナショナリズムの予
兆をみたネルーでさえも、「パンジャーブにおける小さな集団であったシク族は、彼ら自身の自己防衛にばかり熱中して、パン
ジャーブを超えてものを見ることはほとんどできなかった」と記している。18世紀から19世紀前半のインドには「インド」とか
「インド国民」という「一つの国家」「一つの民族」の意識は存在しなかった
のである。

人種的偏見
ブラッシーの戦い以前のベンガルの太守に対する東インド会社の態度は「もっとも卑しい召使いのよう」であった。商館長自ら
「いちばん小さな埃のかけら」とへりくだり「額を地になすりつけて」挨拶をしたイギリス人たちが、支配者の座に着いたとたん
インド人を「ブラックインディアン」「木石漢」「半ゴリラ・半ニグロ」などと公然と嘲弄しはじめたのである。
一般のイギリス人の態度から、ヒンドゥー教徒の迷信や回教徒の偏狭を非難する態度から征服された劣等民族への軽蔑の
態度、インドをたんに誤れる慣習と堕落した人民の国としてだけでなく、いつまでもたっても本質的によくなれない国とみなす
≪優越コンプレックス≫が形成されていったのである。
ことに「奥様」(メーンサーヒブ)と呼ばれる婦人層は、片言の英語をあやつりながら外人家庭を渡り歩くすれっからしのインド
人召使や料理人などをとおしてその国のすべてを判断し、インド人を蔑み毛嫌いした。今日でも多くの外国人(日本人を
含めて)外交官や商社員の奥様方(メーンサーヒブ)がこの伝統の継承者として偏狭なインド人観に陥っている姿
がしばし
ばみうけられる。
いるいる~♪シンガポールにも。
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