79年春、新潟遊園が遊園地の一部を宅地化する計画を打ち出したことから始まる。しかし、その年の秋、新潟市
は遊園地の緑を残すために土地を買収し、市立公園にすることに決めた。
新潟市役所は土地の代金約30億円を80年から81年にかけて支払った。新潟遊園に8億8千万円、
土地の所有者であった新潟交通に4億5千万円、残りは9人の個人に渡った。
問題は81年に新潟遊園に支払われた8億8千万で、新潟市役所の領収証は確かに新潟遊園になっている。
しかし、名前は同じだが中身は別会社になっていることにだれも気がつかなかった。
実は、新潟遊園は最初の土地代金を市役所から受け取る直前、東京ニューハウスに吸収合併され解散している。
新社の名前は当然、東京ニューハウスである。
旧新潟遊園は借金が一円も無い優良企業であるのに対して、東京ニューハウスは4億円を超える赤字と16億円の
借金を抱える「超不良企業」である。赤字会社が黒字会社を飲み込む「逆さ合併」だ。東京ニューハウスは。社名を
新潟遊園に変更したのである。当時新潟市長は各神経であり、市役所が相手の実体を田中系幽霊企業と知れば
ひと騒動あってもおかしくない。
税法上、企業が合併した時は吸収された側の会社の赤字は引き継げないことになっている。
赤字会社が黒字会社を合併しただけで税法上、直接触れる規定は無い。しかし、事業をやっていない休眠会社
が合併した場合、「問題あり」として通常、赤字会社の繰越欠損を否認している。
ケースは千差万別で「赤字会社でも含み資産がある」とか事業規模が大きいなどの場合、赤字会社を存続する
理由があり、合併後の課税(赤字否認)は難しくなる。
田中はそれを狙った。東京ニューハウスは当時、目白御殿の一部(2881㎡)と軽井沢の別荘(19509㎡)を
持っていた。当時の時価で約35億円である。相当な含み資産だ。
8億8千万円の土地代の利益は、旧新潟遊園時代の敷地の購入費、維持管理費を差し引いて利益は約4億
2千万円である。東京ニューハウスから引き継いだ赤字は4億円だ。これで利益の大部分は消えて税金は約800
万円ですませている。
信濃川河川敷は田中金脈の象徴といわれている場所である。
長岡市中心部にある長岡駅から車で5分ほどにある河川敷は川に沿って半月形に延びていて広さは71.6ヘクタール。
かつては雨が降ればたちまち荒地になる利用価値の低い土地だった。これを田中系企業が64年から65年にかけて
3.3㎡あたり200円から500円で買収した。北半分は室町産業、南半分は千秋が原工業が所有した。
その後、65年に新堤防が作られ、国道8号の長岡大橋が建設されたために荒地は一転して超一等地に変身した。
室町産業は河川敷の半分を79年長岡市に7億9900万円で売却しているが税金は0だった。この売却益は購入費
と維持管理費用を引いて約6億3千万円。室町産業は2億6千万円の累積赤字を持っている。あと3億7千万円の
赤字が必要となる。79年10月、室町産業は、東京ニューハウスから1株624円で買った理研ビニル株170万株を
358円で東京ニューハウスと長鉄工業に売却している。この「キャッチボール」で生まれた損失は、約4億5千万円に
のぼる。これで室町産業の利益は完全に消えて、税金は0になった。