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「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973))
「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973)) 多谷 千香子

岩波書店 2005-10
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starこの内戦を象徴する言葉である「民族浄化(ethnic cleansing)」の使い方に疑問はあるが�
starユーゴスラビアの「分解」はどうすすんだのか?
star「民族浄化」の歴史

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かつてのヒットラーは、ナチ誕生の地ニュルンベルグで、第一次世界大戦中のトルコ軍による150万人
にも上るアルメニア人の虐殺にふれて、「今、これを、いったい誰が問題にしているのだろうか」と自問自答
して、「法の支配」を打ち立てられない国際社会の無能ぶりを嘲り、それが彼をしてユダヤ人大量虐殺
に踏み切らせる一因になったという。
第一次世界大戦後の世界が、「法の支配」を打ち立てるのに失敗し、ヒットラーの嘲笑を買うことに
なったのは、国際的な刑事裁判所が構想倒れに終わったためである。ICTYは、その構想を現実の
ものにした。

ICTY=International Criminal Tribunal for the Former Yugoslavia
当サイトの言葉で言い換えると、彼は、国家主権のGlobal Arbitrageに着目し、それを実行した。
現在ではICTY設立により、Risk Freeとは言いがたい状況に変わった。

「法の支配」を打ち立てるためには、「民族浄化」をしかけた大物の起訴が不可欠である。だが
ミロシェビッチも、ディトン合意までは、外交交渉の立役者として評価され、捜査・起訴されることは無かった。
ボスニア紛争を指揮したセルビア人、カラジッチ(精神科の医者から政治家)・ムラジッチ(軍人)は現在逃走中である。
クロアチア大統領、トゥジマンは、起訴されずに1999年に病死。
ボスニア大統領、イゼトベゴヴィッチは捜査は開始されたが、捜査終結を見ることなく、2003年に病死。

んーー? 結局、大将は裁かれてねぇな。と思うのは俺だけ?
民族浄化の背景 経済の停滞

(ユーゴ)共和国間の経済格差が広がる中で、二度にわたる石油ショックは経済を揺るがせた。
石油ショックで自らも痛手を受けた西側諸国は、ユーゴの輸出品を従来のようには買わなくなった
ばかりでなく、東西の緊張が緩んで(ベルリンの壁崩壊は1989年)戦略的な重要性を失いつつある
ユーゴに対して、寛大では無くなった。無償の資金供与は、利子つきローンに切り替えられていった。
貿易赤字が大きく膨らみ、国内経済は極度のインフレになって、1989年には1ヶ月のインフレ率が
2500%に達した。
ユーゴ連邦は有効な対策を打ち出すことが出来なかった。(しなかった??)
社会主義経済と経済自由化をどのように調和させるかという問題に、うまい線引きが出来なかった。
各共和国が、経済自主権が損なわれるのを嫌って、自己の直接的な利益にばかり固執した点が大きい。
チトー後をにらんで制定された1974年連邦憲法は、連邦制を集権型から分権型に改め、共和国と
自治区の地位を平等にした。
経済の舵取りに失敗した最大の要因は、政府首脳部にそのような意思が無かったことだろう。
彼らは石油ショックを千載一遇のチャンスと捉えて、それから巨額の利益を上げることに血道をあげて
いたという。

↑はまさに、ケチい発想。陰口を言ってしまいましょう。
偉大なる大統領閣下、あなたの欲は中途半端です。言うなれば
小さな既得権益にしがみつくばかりに、市場全体の規模を拡大できずにいる
の典型です。国家元首たるやもっと貪欲であるべきだと思いませんか?