イラン 世界の火薬庫 (光文社新書)
イラン  世界の火薬庫 (光文社新書) 宮田 律

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stars不思議で不安定な国、イランの今後
starsイランを通じて正しい世界理解を
starsアフマディネジャドのイラン

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イランの言語であるペルシャ語を用いる人々はサファディー朝が支配していたカフカス、中央アジア、バーレーン、
サウジアラビアなどの国や地域に存在する。
イスラムのスンニ派とシーア派でシーア派が多数を占める国家、イラン・イラク・バーレーン、
スンニ派のオスマン帝国と現在のイラクの覇権をめぐって争った。
1979年のイラン革命の指導者ホメイニは、イスラムの有用性と、宗教パワーを世界に示した。
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 「白色革命」と呼ばれた近代化政策で、宗教的寄進地までも対象とした土地改革などの世俗化政策
 アメリカからの大量の武器の購入、中央条約機構(CENTO)などへの加盟などアメリカへの従属傾向を批判し、
 宗教心に富む中下層階級の支持を得た。
イラン革命以降、「革命の輸出」政策を追求した。しかし、シーア派によるイスラム革命の波及を恐れたスンニ派
アラブ周辺諸国の反発を招き、ついてにはイラクとの8年間の戦争に発展する。
イラン・イラク戦争(1980~1988年)
1975年のアルジェ協定で、イラクにとって、不利に画定された国境線の引き直すことと
イラン革命が国内シーア派に輸出されることを食い止める目的があった。
イラン革命防衛隊
1979年に創立されたが、1982年、テヘランの大使館占拠事件を契機とするアメリカによるイランへの武器禁輸に
対抗するため、独自の軍需産業を立ち上げていった。主に、中国、北朝鮮、ソ連などの国から武器を購入し
さらにシリア、パキスタン、スーダンといったイスラム諸国との軍事協力を推進していった。
ラフサンジャニ大統領(穏健派)は、1988年、イラクとの戦争に勝ち目が無いと判断し、ホメイニに停戦を受け入
れるよう進言した。
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革命防衛隊は、ホメイニのイデオロギーに忠実で、それに背くと思われる聖職者や政治家たちと対立。
革命防衛隊によるラフサンジャニ大統領暗殺計画に関する噂がまことしやかに流れたこともある。
2005年に大統領に選出された革命防衛隊出身アフマディネジャドは、アメリカの圧力にもかかわらずウラン
濃縮活動をいっこうに停止する姿勢を見せない。
イランの周辺を見ても、インド・パキスタン・ロシア・ウクライナは核エネルギーの生産を行っているのに、イランの
核開発を問題にするのはアメリカの傲慢さから発生していると考えている。
アフマディネジャドの問題発言
「イスラエルは地図から抹消されるべき」(ホメイニが唱えたイデオロギーではある)
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アフマディネジャドの強硬路線
2005年の石油価格高騰を受け、軍事費を7億ドル追加し、かりに国連の経済制裁が発動されれば、イランが
石油の売却を控えるようになるかもしれないと述べている。