グローバリゼーションの中での古い街の維持

資本の論理とテクノロジーを追求すると、アメリカと中国に対抗するのは、どの国も難しい状況のように思える。一時代遡って、工業化とモータリゼーションの時代にあっては、日本は量産自動車(完成車だけでなく部品も含む)の会社が今現在でも時価総額的に中心となっている。一方、ドイツを除くヨーロッパ(フランスもだが)、今となっては、第二次産業も株式市場の時価総額で見れば存在感が全くない。

2008/10/15 製造業至上主義的産業構造分析 

で触れているが、時価総額でソートすると「資源・金融・インフラ(電力・通信)」以外の産業が皆無の国がほとんどだ。GoogleやアマゾンやFacebookに対抗・比較できる企業を中国は持っているが、それ以外の国は無い。ドイツ以外のヨーロッパだともっと悲惨で、一世代前の工業化世代でも、GE,Ford,GM,トヨタなどに対抗・比較できる企業は無い。どのくらい経済が停滞しているか見るには、ドル建てで取引されているEuro Stoxx 50のETFとSPDRを比較すれば顕著に視覚化できる。

この15年でかなりひどい差がついているのがわかる。にもかかわらず、イギリスとフランスはドイツに次ぐGDPを維持している。現在のIT系企業群だけでなく、工業化世代の企業も育っていないようないイギリスとフランスが、なぜGDP的(数値)に先進国の地位を維持し、観光客数世界一のパリを有しているのだろうか?

近代資本主義とシュンペーター型競争原理において、完全に後塵を拝しているフランスが、400年前の大航海時代の植民地利権に今でも依存し続け、「おフランス至上主義」による無駄なブランド価値を世界に認めさせることができるのは、なぜだろうか? その一点に対する興味が、私がフランスに訪れた理由である。

グローバリゼーションと大資本の波に、影響はされつつも飲み込まれてはいないで存在できているのは、東京や上海。だが、シンガポールや香港は経済的には豊かだが、そのショッピングモールを見れば、その他、バンコク、ジャカルタ、マニラと代わり映えしない、グローバルチェーン、ファストファッション、ファーストフード、欧米ブランドショップに染まっている。各国の地方都市に至っては、イオン、ウォールマート、カルフール、テスコ、セブンイレブンなどの超大手小売り、あるいはマクドナルド・スターバックス、ファストファッションが、最も栄えた所のメインストリートを完全に牛耳っている。

以上を踏まえた上でパリを歩いてみることにしよう。

パリの軍事博物館から迷ってシャンゼリゼ通りまで行ってしまい、さらにそこからセーヌ川沿いをコンコルド広場あたりから、Saint-Chapelleまで3時間ほど散歩した時、マクドナルド、スターバックス、0軒、Franprix・Monoprixなどのスーパー3軒という状態であった。ローカル小売り、香港ならWelcomeとParkn Shop、シンガポールならFair Priceと昇松、パリだとカルフールシティ、Franprix、Monoprixがあるが、タイのバンコクだとセブンイレブン、MaxValue、タイの田舎だとTescoと、もはや自国の小売りが存在しない状態である。

EUはヨーロッパ地域におけるブロック経済で、関税障壁やブロック経済は長期で見れば必ずマイナスに影響すると思い込んでいたのだが、中国がグーグルやFBなどの米系インターネットメディアを排除した政策は今となっては(もともとは単なる言論統制だったが結果論的に)、テンセントやアリババを生み出した経済合理性のある判断であった。

中国のグーグル排除の遥か以前に、フランスはマクドナルドを排除していた。日本なら京都、上海なら華麗なる一族の撮影地、パリなら8、9、1、2区あたりは、いわゆる「景観を損ねる」建物は建ててはならない、という制限を設けることで、古さと伝統を維持してきた。パリの8,9,1,2区というのは結構広い範囲で景観の維持に努めているのが分かる。シャンゼリゼ通りにマクドナルドがあるのだが、いわゆる赤と黄色の看板ではなく、景観を損ねないように、黒いマクドナルドなのである。

派手さと予算では、ハリウッドに対抗はできないが、カンヌは権威ですよ。クォーターパウンダーなる呼び名は認めない、メートル法とVATで世界を制したフランスでは、クォーターパウンダーはロイヤルと呼びなさい。アメリカに経済的には勝てないのは認めますが、ノーベル賞もミシュランも世界遺産もバーゼルもハーグ国際司法裁判所もヨーロッパで決めます!

という一方で、日本の自虐的歴史観と欧米コンプレックスは、国益にそぐわない。寿司屋にミシュランの星だとか、日本文学にノーベル文学賞を、異様にありがたがる傾向にあるが、自ら価値を認定する気はあまりないようだ。ダイヤモンドの工業用と宝飾用は量で言えば9:1だが市場規模は1:9だ。宝飾用ダイヤの価値は、ダイヤが本来持つ特性・機能の価値の100倍の値段がついているということだ。価格に合理性・市場性がないから、金の先物はあってもダイヤモンドの先物は無い理由だ。カローラとフェラーリの違いも同様だ。

機能や性能では説明できない意味不明の価値はどのように作られたのだろうか? 人類史上、最も成功した広告、デビアスのDiamond is Forever(ダイヤモンドは永遠に)、これによって婚姻記念にダイヤモンドを贈るということで、需要を創生しただけでなく、「記念の指輪を売るなんて…」という気持ちを抱かせることにより、供給=セカンダリー市場をも封じ、独占的に供給をコントロールしたのである。イギリス王室まで巻き込んで、結婚式でダイヤモンドをプレゼントする様子を世界中に垂れ流し、世界中のバカ女に「いいなー」と思わせることに成功している。

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