メートル法だからクォーターパウンダーはロイヤル、という細かな拘りの積み重ねも重要であろう。ロマネコンティは知っていても、それと同等の価値を持つ日本酒の銘柄は?と聞いても答えられる人は限定的だ。新米、初ガツオ、ネーミングが安直。というよりネーミングをしていない。わざわざ新ワインではなく、ボジョレーと呼んでみたり、ブルゴーニュだボルドーだシャンパンだと地域による限定品と思わせることで価値があるように名をつけてみたり。世界中に発信をし続ける、努力が背景にある。

フランス料理なんて、オリジナルなものでも何でもないが、コース料理にしたり、オープンキッチンにしたり、ソースだ、ワインとマリアージュとかなんとか言って、ただの肉を焼いた料理を格上げしている。寿司のまかせは、コースにもなっているし、オープンキッチン(お客さんに調理場見せられる清潔な状態に保つのはコストがかかる)だし、かつ、板さんとの非言語コミュニケーション、例えば、おっさんであんまり食えそうもないから、刺身中心、酒中心、シャリ軽めとかまでのアレンジは、もっと評価されるべき。いや、黙っていてはダメだ、その価値をもっとアピールすべきなのだ。現在は、店の名前とミシュランの星だけに頼っているが、「まかせ」というスタイルそのものに価値があるのだ、と発信すべきなのだ

石巻にて

友人の漁師さんが「エキゾみでぇな人が、なんでこんな何にもない石巻に毎年来るんだ?」と聞いてきた。もう何年もの付き合いになるが、港で初めて会った時、漁師さんは船から降りてきて、「エキゾさん来るって聞いてたから、さっきまで生きてた蟹、茹でておいたので食べてください。蟹はここで卸すより北海道に持って行った方が高く売れる。背中押してペコペコする蟹はもたず、輸送に耐えられないので売り物にならないんです。でも味は一緒ですからどうぞ、遠慮なく食べてください」と言った。あまりにもおいしくて3杯も食べてしまい、その後行った鮨屋で何にも食べられなくなってしまったのだが。漁師「船の上で、海水でジャブジャブ洗って、焼いても煮てもブツにして食べても美味しいですよ。」、あなたと同じことを、高級な寿司屋で「うちは東シナ海の魚、そして東シナ海の塩を使って、醤油などを作ってます」と自慢していたんだぞ。

今年彼は「エキゾさん、白子食いたいって言ってたな。昨日、タラが取れたんで今夜あたりは店に出てると思いますよ。」と言った。二日前に行った居酒屋では白子が切れていたのだ。東京では、いつ獲れたかわかる魚出す店はかなり高級店です。石巻の普通の居酒屋で、タラが取れなければない、取れれば出てくるということは、漁と消費が一体化している。漁、水揚げ、加工、流通、消費の過程がT+1で実現している石巻ならではのことだ。店から漁港は車で10分! 漁師と猟師の違いがあるが、これは地産地消のジビエじゃないか!

もちろん日本の中には同様の漁港があるだろう。だが、シンガポールの寿司屋に行けば、今朝築地で落としたウニを空輸で持ってきたと自慢するほどだぞ。300~400ドルほどするがw インドネシアや中国で、安定した電力や道路が整備されている漁港、冷凍船だ、加工工場だ、作ろうと思ったら莫大な金がかかる。そんな簡単に真似できるものではない! ほとんど人が住んでいない女川地域に復興予算で立派な道路が作られている、と批判していたが、その道路がなければ、輸送網が封じられ、女川は水揚げ港としての価値を失うんだ! この環境は当たり前ではないんだ、なぜその価値に気づかないのか!

と吠えまくっていたら、漁師さんが「わしら田舎の漁師ですからこれが当たり前だと思っているんですよ。価値に気づけだ、ブランディング戦略だってことは世界を飛び回っているエキゾさんみてぇな人にやってもらいてぇな」と言われてしまった。

松山にて

「関サバ関アジ、瀬戸内海でとれたサバ・アジをこっち(愛媛側の漁港)に持ってきちゃうと価値が1/3になっちゃうんで、あっち(大分側)に持ってかないといけない。同じ魚なのにな。」 石巻で聞いた毛蟹と同じ話を聞いた。

海はつながっているのに、水揚げ港による魚のブランディングは仲買人による作為的相場形成で、漁や消費を中心に考えればなんの合理性もない。東京には日本中からうまいものが、おカネをかけて輸送されてくるが、地方都市の場合は、地産地消。水揚げしたものを食べる。輸送と保存の過程が遥かに短いから安くておいしいものが食べられる。

まかせの価値を上記の如く、まくしたてていたら、松山の寿司屋の大将が…、「俺が思ってること全部言ってくれた…」と笑っていた。漁師も寿司屋も俺より遥かに魚に詳しいのだが、はっきりと言葉にするのが苦手なようだ。でも、それを世界に向けて発信することが彼らには必要だ。