p6 リカード、希少性の原理。マルクス、無限蓄財の原理。
リカードの場合は地主、マルクスなら工業資本家ーが算出と所得のますます大きな割合を懐に入れると信じていた。
人口と産出が安定成長に入ると、土地は他の財に比べてますます希少になる。地価は継続的に上がり、地主たちはますます国民所得の受け取り比率が増え、社会均衡が揺らいでしまう。
この陰気な予測は結局間違っていた。地代は確かに長期にわたって高止まりしたけれど、最終的には国民所得に占める農業比率が下がるにつれて、農地の価値は他の携帯に比べて着実に下がっていった。1810年代のリカードにはその後生じる技術進歩や工業発展の重要性など思いもよらなかった。人類が食料調達の必要性から完全に解放されるなどとは、想像だにしなかったのだ。
しかし、希少性の原理を無視するのは間違いだ。リカードのモデルにおける農地価格を、世界大首都の都市不動産価格と置き換えたり、原油価格と置き換えたありすれば良い。

p11 マルクスの暗い予言は、リカードのものと同じく実現はしなかった。19世紀最後の1/3で、賃金がやっと上がり始めた。労働者の購買力改善が至る所に広がった。そしてこれは状況を激変させてしまった。とはいえ、極端な格差は縮まらなかったし、ある意味では第一次世界大戦まで拡大を続けた面もあったのだが。

p15 クズネッツ曲線-冷戦さなかの良い報せ
実を言うと、1913年から1948年にかけての米国の所得が大幅に圧縮されたのは、ほとんど偶然の産物だというのをクズネッツ自身も良く知っていた。これは大恐慌と第二次世界大戦が引き起こした複数のショックにより生じたものがほとんどであり、自然または自動的なプロセスによるものはほとんどなかったのだ。

p34 経済学という学問分野は、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究や他の社会科学との共同作業が犠牲になっている。経済学者たちはあまりにしばしば、自分たちの内輪でしか興味を持たれないようなどうでも良い数学問題ばかり没頭している。この数学への偏執狂ぶりは、化学っぽく見せるにはお手軽な方法だが、それをいいことに、私たちの住む世界が投げかけるはるかに複雑な問題には答えずに済ませているのだ。
経済学者なんて、どんなことについてもほとんど何も知らないというのが事実なのだ。

p46. 国民所得=国内純生産(GDP-資本の減価償却)+外国からの純収入
国内純生産はGDPの約9割、国民所得は国内生産と1-2%しか乖離していない。フランスはすべてカリフォルニアの年金基金や中国銀行に買われてしまっているしつこい妄想があるが、そんなことはないのだ。
国民所得=資本所得+労働所得

p60. 国民所得と資本を計測しようと思う初の試みは1700年ころ、イギリスとフランスで、イングランドではウィリアム・ベティ(1664年)とグレゴリー・キング(1669年)、フランスではピエール・ル・パサン・ボワギルベール卿(1695年)、セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1707年)の研究だ。当時の農業社会で圧倒的に重要な富の源だった土地の総価値を計算し、土地の価値を農業産出と土地代の水準と関連付けることだった。

p138 公的債務で得をするのは誰か? マルクスをはじめとする19世紀の社会主義者たちが公的債務をとても警戒していた理由が分かる。かれらは-かなりの洞察力で-公的債務が民間資本の手駒だと見ていたのだ。
1815-1914年にかけてインフレは事実上ゼロで、国債の利率は概ね4-5%だった。これは経済成長率よりはるかに高かった。裕福な人にとって、公債への投資は実に良い商売になる。

p144 ルノーの工場は、事業主ルイ・ルノーが1944年9月に利敵協力の疑いで逮捕された後、懲罰的に接収された。1945年1月、臨時政府によって工場は国有化された。

p152 ドイツの資本/国民所得がイギリス・フランスの500,600%にくらべ,400%の理由
ドイツ対フランス・イギリスの違いの大部分は、住宅ストックの価値の差ではなく、企業資本の価値の差せいだ。民間財産の総額を計るのに時価総額ではなく簿価(企業の投資累積額から企業の負債を差し引いたもの)を使うとドイツのパラドックスは無くなる。ドイツの民間財産はたちまちフランスやイギリスの水準に上昇する。このややこしさはただの会計上の問題に見えるかもしれないが実はむしろきわめて政治的な問題なのだ。ここではドイツ企業の市場価格の低さは「ライン型資本主義」、あるいは「利害関係者モデル」と呼ばれる特徴の反映らしいと述べるにとどめよう。

p154 資本/所得比率の落ち込みは二度の世界大戦による物理的な破壊だけではごく一部しか説明できない。イギリスでは物理的破壊の規模はそれほど甚大ではなかった。第一次世界大戦の被害はわずかで、第二次世界大戦でもドイツの爆撃による物理的破壊は国民所得の10%にも満たない。それでも国民資本は国民所得4年分(物理的破壊による損失の40倍)、つまり、フランスとドイツと同じくらい減少している。2回の戦争が財政と政治に与えた打撃の方が実際の戦闘より大きな破壊的影響を資本にもたらした。ひとつは外国ポートフォリオの崩壊と、当時の特徴でもあった貯蓄率の低さで、もう一つは企業の混合所有と規制という新たな戦後の政治的背景の中で生じた資産価格の低さだ。
外国資産の損失、イギリスにおいては第一次世界大戦直前に国民所得2年分だった準外国資本が1950年にはマイナス水準まで落ち込んだ。

p162 米国の資本は20世紀の始まりからほとんど横ばいを実現したようだ。あまりに安定しているので米国の教科書、ポール・サミュエルソン「経済学」などでは、資本/所得比率、資本/産出比率の安定が不変法則のように扱われる場合もあるほどだ。

p173 資本主義の第二基本法則 β=s/g
資本/所得比率β、貯蓄率s、成長率g

p199 2010年代前半、日本の純外国資産は、合計で国民所得の約70%、ドイツは約50%に達している。これらの総額はたしかに第一次世界大戦直前のイギリスとフランスの純外国資産、イギリスが国民所得およそ2年分、フランスは1年分超には遠く及ばない。

p255 労働所得分布の上位10%が通常は全労働所得の25-30%を稼いでいるのに対し、資本所得分布の上位10%は、常にすべての富の50%以上(社会によっては90%)を所有している。

p308 米国における格差拡大が金融不安の一因となったのはほぼ間違いない。理由は簡単。米国での格差拡大がもたらした結果の一つとして、下層、中流階級の実質購買力は低迷し、おかげでどうしても質素な世帯が借金する場合が増えたからだ。特に規制緩和され、金持ちがシステムに注入した預金で高収益を上げようとする恥知らずな銀行や金融仲介業者が、ますます甘い条件で融資するのだからなおさらだ。

p330 トップ1%が総所得に占めるシェア
1910-1940年 18%前後。戦後1970-80年代の7%をボトムに現在9%
アメリカは18%
p332 トップ0.1%が総所得に占めるシェア
日本は2.5%アメリカ7-8%

p342 トップ百分位が国民所得に占めるシェアは、納税申告書によると20%以上になる。でもこれらの国の家計調査で申告されているトップ所得は概ね平均所得の4,5倍でしかない。つまり本当の金持ちなどいないことになる。だから家計調査を信じるならトップ百分位のシェア5%以下と言うことだ。この事実を見るとどうも調査データはあまり信用できない。多くの国際機関、特に世界銀行、や政府が格差の評価を利用する唯一の情報源は家計調査だが、これは明らかに富の分配に対して偏った誤解を招きかねないもので、間違った安心感を与えてしまう。

p351 どんな時代のどんな社会でも、人口の貧しい下半分は、実質的に何も所有していない。大体、国府の5%程度。これに対し、富の階層トップ十分位は所有可能なものの大半を所有している。大体国富の60%以上。人口の残りの人々、今の仕分けで言うと中間の40%が国富の35%を所有する。

p438 民主主義の敵、不労所得生活者
21世紀には最終的に相続資本分布が19世紀と同じくらい不平等にならないという保証はどこにもない。ベル・エポック期と同じくらい極端の富の集中に回帰するのを妨げるような、不可避の力など存在しない。特に成長が遅くなり資本収益率が増大した場合はなおさらだ。たとえばそれは、国家間の税率引き下げ競争が激化すれば起こりえることだ。もしこれが起これば、大きな政治的混乱を招くはずだ。私たちの民主主義社会は能力主義的な世界観、少なくても能力主義的希望に基づいている。それは格差が血縁関係やレントではなく能力や努力に基づいた社会を信じているという意味だ。

p462 フランスで2006年にアルセロールがラクシュミ・ミッタルに買収されたとき、フランスのマスコミは、このインドの億万長者の行為は言語道断と報じた。2012年の秋にミッタルがフロランジュの製鉄所に十分な投資をしなかったと非難されたとき、フランスのマスコミは改めて怒ってみせた。インドでは、ミッタルに向けられた敵意の少なくとも一部はかれの肌の色のせいと考えられている。それが一因ではなかったと誰が断言できるだろう?たしかにミッタルのやり方は乱暴だし、その贅沢な暮らしぶりは不届きとみなされている。フランスのマスコミは、ロンドンにミッタルが所有する豪華な邸宅に腹を立て、「フロランジュへの投資の3倍の価値」とこぞって報じた。だがパリ郊外の高級住宅地、ヌイイ=シュル=セーヌの邸宅だとか、地元出身の、アルノー・ラガルデール、特に実績、人徳、社会的効用などで高名とはとても言えない若き相続人。フランス政府はほぼ同時期に、世界の航空業界を率いるEADS株のらがるでーるの持ち分と引き換えに10億ユーロの供与を決定、のこととなるとなぜか憤りは控えめになる。

p589 ユーロ圏の債務のあるべき姿を決めるのが予算議会なら、明らかにこの議会体に対して責任を負うヨーロッパ財務大臣が居なければならず、その大臣はユーロ圏予算と年次財政赤字を提案するのが仕事になる。既存の国家元首や財務大臣たちによる欧州評議会にはこの予算体の仕事はできない。彼らの会合は秘密だし、公開の一般討論は無いし、当の参加者たちですら必ずしも何が決まったのか確信できていなさそうなのに、勝ち誇った深夜のコミュニケで、ヨーロッパが救われたと宣言して会合を終えるのが常なのだから。キプロスの税金に関する決定はこの典型だ。全員一致で承認されたくせに、誰も公開の場でその責任を引き受けようとはしなかった。この種の議事は1815年のウィーン会議にはふさわしいが、21世紀のヨーロッパではお呼びでない。