イギリスでは馬に賭ける場合、10%の税金を賭け金にかけるか配当金にかけるかを選べる(賭けた馬が買った場合)。この場合、期待資産の観点から見れば、賭け金に課税した方が間違いなくいい。しかし、実際には、賭け金の規模が増すにつれ、配当金に課税する方を選択する傾向が強くなる。これはつまり、賭け金の規模が増すにつれ、ギャンブルの消費価値が高まるということだ。

パリ・ミュチュエル税ーパリ・ミュチュエル方式、手数料などを差し引いた全賭け金を勝者に分配する。

カジノの拡大が犯罪率の上昇を招いたと示した論文もある。しかし、この主張が正しいと言えるのは、カジノ所在地の人口のみをもとにして犯罪率を算出した時、すなわち、観光客の数を考慮しなかった時だけだ。観光客の数を考慮した実証研究では、カジノと犯罪のあいだの関連性は弱い、もしくはないという結果が出た(リース、2010年など)。

資産は盗まれても存在がなくなるわけではない。テレビはある家から別の家に移動しても、それまで同様のエンターテインメント源であり続ける。新たにサービスを受ける者が泥棒であれ、盗品ディーラーであれ、これは変わらない。(ランズバーグ、1993年、97-98)
とはいえ窃盗にまつわる社会的コストも2つ存在する。まず第一に犯罪被害者に”精神的コスト”をもたらす可能性がある。これは奪われた資産の汽船的価値とは無関係である。第二に、窃盗があると、不本意な資産の移動を防ぐための行動が生まれる。限られた資産を窃盗を防ぐために使い、錠や防犯ベルなどを購入する。物品税もわかりやすい例だ。こういった税金は資産の移動であり、その価値は費用対効果分析には属さない(ランズバーグ、1993年、96)。しかし、税金は社会的コストをもたらす。相互に利益のある自発的な取引の数を減らし、消費者と生産者の剰余金を減らす原因となる。資源が政府による税金徴収に回されることになる。会計士や弁護士を雇って税の負担を減らしたい避けたりするために資産を使うようになるのだ。窃盗や税金による不本意な資産の移動について理解すると、自発的な資産の移動は社会的コストにならないということがはっきりわかる。しかし、ギャンブル研究では通常、自発的な資産移動の金額も、ギャンブルによる社会的コストの一部とみなされる。病的ギャンブラーが社会にもたらす、いわゆる旧サイコス自摸その一例だ。富を生み出すことも破壊することもなく、再配分しているだけだというのに、である。

設問2「一日にギャンブルで使用した最大金額は?」 ギャンブルをしたことがない、1ドル未満、1~10ドル、10~100ドル、…、10,000ドル以上」

以上のようなギャンブルに関する金銭面のスクリーニング調査の方法にはいくつか問題がある。まず回答者がギャンブルで失った金額の計算方法を理解していたかどうかが不明確だ。ブラッチィンスキら(2006年 127)は「ギャンブルの支出額をどのように計算するかを明示しない限り、回答者はそれぞれの方法で計算する」と述べている。その弊害は「それぞれの方法で導かれた支出額は信頼性が低い。よってギャンブルをテーマとする論文に記されたギャンブル支出額には、深刻な偏りがあるのではないかという疑問が生じる。

うん、間違いない。情報源の質が悪すぎる。競馬でもパチンコでも「俺はトータルで若干勝っている」という奴ばかりだ。それは間違ってる、おそらく引き算ができないんだ。

カジノ産業の本質 社会経済的コストと可能性の分析

ひまわり堂書店 東京本店による

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