現実の金融取引の中には、「オプション」と名づけられてはいないが、これと同様の機能を持つものがある。例えば、保険をオプションの一種と解釈できる。自動車の損害保険は「壊れた自動車を一定の価格で引き取らせることができるプット・オプション」と解釈できる。家屋の火災保険は「全焼した家屋を一定の価格で引き取らせることができるプット・オプション」と解釈できる。逆に言えば、オプションはリスクへの対処策として、「保険」の機能を果たしているのである。

そうですね。保険はオプションよりも一般的ですから、「保険って何?」という人は居ない。「オプションって株の保険みたいなものです。」と説明することが多い。「デリバティブとは何か?」と行った時、私や野口さんはその複製性について触れるだろうが、それでは天候デリバティブは、保険ということになる。事実、それは銀行や証券ではなく、保険会社が扱っているのだが、彼らの解釈では、損害に対する保障が保険の定義であり、損害が関係ない条件付の金融取引はデリバティブ、ということであるw

歴史上のオプション
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オプションと解釈できるような取引は、かなり古い歴史を持っている。旧約聖書創世記の第29章にあるヤコブの婚姻の話が、歴史上最初のオプションだと言われる。ヤコブは、ラバンの娘ラケルと結婚する権利を獲得するため、ラバンのために7年間労働することに同意した。これは結婚しなくても良い権利だったので、「7年間の労働というプレミアムを支払うオプション契約」というわけだ。アリストテレスの『政治学』によれば、哲学者ターレスは、翌年のオリーブの収穫を天体観測によって予測する特別の能力を持っていた。そこでオリーブの搾り機を借りる権利を安く手に入れ、豊作となったときに、搾り機をまた貸しして、大きな利益を得たのだそうである。これも一種のオプションと言える。

う~ん、まぁ、なんとでも言える話ですよね。日本では大阪堂島米取引所の米先物が最古のデリバティブ取引って言うし、なんとでも解釈、こじつけることができます。

「難しい理論を、その後簡単に扱えるようになった」というのは、金融工学に特有の事情ではない。数学でも物理学でも、新しい理論が開発された当初の段階ではきわめて難解な内容であったものが、その後の発展で易しく解説できるようになったという事例が数多くある。重要内容のものほど、そうした経緯をたどる。きわめて難解な内容であったブラック=ショールズ式と同じ結論が、より簡単な方法で導けるようになったのは、ブラック=ショールズ式の内容が「本物」であったことの証左である。金融工学は「大衆化」したのだ。ところが日本ではこうした事情が必ずしも理解されていない。「金融工学は高等数学を駆使しないとフォローできないものだ」と考えている人がほとんどである
経済制度の変化に伴って、金融取引の形態も変化してきた。まず、変動為替レートへの移行や金融自由化によって、リスクが為替や利子率の変動という形で明確に捉えられるようになった。またデリバティブ取引のウエイトが飛躍的に増加した。前者の変化は金融工学の発展と独立に生じた面もあるが、デリバティブ取引の増大は明らかに金融工学の発展に促されたものである。このような変化の本質を、どのように捉えるべきだろうか? 多くの人は「リスクが増大した」と捉えている。しかし、最近になって経済が不安定化したとか、不確実性が増加したとは考えにくい。リスクが増大したというより、リスクが価格の変動という形で現れる場合が多くなったと考えるべきだろう。従来のリスクは主として量的な変化で現れた。例えば為替レートが固定的であった時代には、必要とされる調整を貿易量の変動が果たした。また、輸出が増えて経済が過熱すると、金融引締めが行われ、その結果は銀行貸し出しの現象という形で現れた。現在の経済では国際経済のリスクは、為替レートの変動という形で現れる。また、金融情勢の変化は金利に現れる。どちらも、価格の変動であり、したがって先物でヘッジできる。つまり量的変動に比べると価格リスクの方が扱いやすい場合が多いのである。こうした観点から言えば「リスクを金融的な手段で扱える範囲が広がった」ということができるだろう。
中国はなぜ追い抜かれたか
中国の歴史を見ると「民間収益事業によるリスク挑戦」の仕組みが欠如していることの意味は明らかだ。14、15世紀頃までの中国は、当時のヨーロッパをはるかに凌ぐ水準の自然科学と技術を保有していた。その例として、喜望峰発見の約80年前、明の鄭和が7次にわたって西アジアとアフリカへの遠征航海を敢行していたことが上げられる。これは最大8000トン級の船62隻に将兵・水夫が30000人近く乗り込むという大船団であった(多少の誇張はあるのだろうが、出土した巨大した舵によって、事実であることが証明されている)。マゼランの船団が、せいぜい100トン級の五隻、乗組員265名で出発した(帰国したのは1隻で18名)のと比較するとまさに雲泥の差だ。当時の中国とヨーロッパの差は、この数字に象徴されるようなものだったのだろう。大きさばかりではない。鄭和の船団は羅針盤を用いていた。12世紀に中国で発明されたこの技術によって、ヨーロッパ人の大航海が可能となったのである。しかし、それにもかかわらず、16世紀以降の中国は、ヨーロッパに大きな後れをとることとなった。そうなった基本的原因は、中国が官僚国家であったため「民間経済活動」が未発達であったこと、したがって「民間収益事業によるリスク挑戦」はありえなかったことに見出されよう。実際、鄭和の壮大な船団は、明帝国の官製船団であり、昔から知られていた航路をわたったに過ぎなかった。それはほとんどリスクがない航海だった。コロンブスやマゼランが、未知の大海に乗り出したのとは、基本的に性格が違うのだ。官僚国家が派遣する遠征船団は、リスクに挑戦できない宿命を負っているのである。

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