「存在と時間」でハイデガーが何を言おうとしていたのか、未だ理解できずw まぁ予想通りだが、何冊か買ったので、何度か読んで理解を深めていこう。
噛み合わない論争
ハイデガーの著作や講義を丹念に読んでいる人たちは、一様にその思想によって震撼され、その崇拝者ないしは信者になり、ハイデガーの言うことを一言一句ありがたがって、それを口まねすることしかしない。こうした人たちにとっては、ハイデガーのナチス加担もそれなりに考えのあってのことか、少なくとも時局のしからしめる不本意な出来事で、その思想の本質には関わりない、免責されてしかるべきだ、ということになる。一方、ハイデガーの批判者は、ほとんどその著作を読んでいない。多少は読んだというかもしれないが、おそらくそれは、読まないで済ます理由を探すために読むといった読み方であろう。当然この人たちにとっては、ハイデガーのナチス加担は、その著作がいかに読むに値しないかを示す絶好の材料でしかない。ほら、やっぱり、というわけで、事実の摘発だけに奔走することになる。どちらもどちらなのである。信奉者たちのようにあからさまな事実に目を閉ざすのも問題だが、その思想を無視して事実の暴露だけに専念する批判も、それでは有名人のスキャンダルの暴露と変わりはない。
> ハイデガーの批判者ではないが、俺の読み方はまさに「読まないで済ます理由を探すために読むといった読み方」だw


ウィトゲンシュタイン
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ハイデガーの主著「存在と時間」(1927年)が公刊された2年後、おそらく出版されたばかりのハイデガーの講演「形而上学とは何か」(1929年)を読んだ後のことであろう、そのウィトゲンシュタインがある「談話」のなかでこう語ったという。「私はハイデガーが存在と不安について考えていることを、十分に考えることができる。人間には言語の限界へ向かって突進しようと言う衝動がある。たとえば、何かが存在すると言う驚きを考えてみるがいい。この驚きは問いの形で表現することはできないし、また答えなど存在しない。われわれがたとえ何かを言ったとしても、それはすべてアプリオリに無意味でしかない。それにもかかわらず、われわれは言語の限界に向かって突進するのだ。」一般にハイデガーの著作などすべて無意味な言葉の積み重ねにすぎないと言って嘲笑する英米系の哲学の始祖と見られている人の発言であるだけにハイデガーへのこの共感は注目に値する。
ウィトゲンシュタインは、ハイデガーの「存在と時間」に少し先立って発表した「論理哲学論考」(1922年)のなかで、「私の言語の限界が世界の限界を意味する」と述べている。逆に言えば、言語によって「語られうるもの」はすべて世界の限界内に、つまり世界の内部に存在する、ということである。われわれは日常、この世界の内部でこの「語られうるもの」、つまりは「存在者」とだけ関わりあって暮らしており、それら存在者を在らしめている「存在」とか、その場をなしている「世界」とかを意識することはない。
当時古本で出回っていた「存在と時間」の翻訳を手に入れて読もうとしたがこれがまるで歯が立たない。昭和14年に寺島実仁という人の訳した今から見れば誤訳だらけの翻訳であったが、そんなことより、もともと何の予備知識もない子供の読んで分かるような本ではなかったのである。その後も「存在と時間」を幾度読み返したことか。それも、カントやヘーゲルや、ハイデガーの先生のフッサール、兄弟子のマックス・シェーラーと、まわりを固めてから読んでみたり、ハイデガーの影響を受けたサルトルやメルロ=ポンティといったフランス実存主義者の方から逆に光を当て返して読んでみたり、むろんその後で次々に出されたハイデガーの著書や講義と組み合わせてみたりと、それこそ手を尽くして「存在と時間」という城を攻め続けた感じである。
> えーっ、そんな読めないっすよ。本田先生、そこをなんとか「読まずに」理解できるよう、よろしくです~。
1916年に、当時ハイデガーが非常勤講師として講義もしていたフライブルク大学神学部でカトリック哲学担当の教授人事があり、「ドゥンス・スコートゥス」論の著者であるハイデガーも候補に挙げられ、彼自身その就任を強く希望していた。しかし、結果は不首尾に終わる。当時モダニズム問題をめぐってカトリック陣営が真っ二つに分裂し、その抗争はフライブルクにも及んでいたが、ハイデガーがはっきりモダニズムの側に与していたことが不首尾の原因だったらしい。ということは、ハイデガーが地元のフライブルク大学神学部に就職する望みは完全に絶たれたことを意味する。この頃からハイデガーは、フライブルクの神学者やカトリック関係者と個人的な交渉を断ち、アリストテレス研究のかたわら、パウロ、アウグスティヌス、ルターに強い関心を示し始めるのである。悪く勘ぐればフライブルク大学に見切りをつけたハイデガーがプロテスタント圏の大学への就職を狙って、意図的にルターやキルケゴールに関心を向けたと取れなくもない。スイスの神学者カール・バルトの「ロマ書」(1919年)注解の影響を見るべきだと思う。バルトのこの本は、ハイデガーの言語表現やテキストを遂行解釈するという講義のスタイルやなによりもそのキルケゴール理解に決定的な影響を及ぼしたと言われる。