月: 2015年6月

武富士対山口組 2/3~ファミリー企業群

武富士の暗部を最もよく知る男が元同社渉外部長の藤川忠政である。藤川は昭和50年3月、国士舘大学経済学部を卒業した。当時の武富士は東京都、千葉県、神奈川県内に10支店を持つ小規模な金融会社で、社員数も100人前後だった。武井は大学を卒業したばかりの若者を相手に「武富士を日本一の金融会社にしてみたい」と熱い思いを語った。
顧客情報漏洩事件の黒幕は、東京・新宿区内にある金融会社「オーエムエフ」の経営者である岡村誠と武富士では見ていた。彼は埼玉大学を卒業後、二つの会社を経て武富士に入社。主に営業、財務畑を歩き常務、専務を務め退社。昭和63年に現在の会社を設立した。岡村の経営するオーエムエフ社は、中小のサラ金、消費者金融会社に資金を融資する、いわゆる「卸」の業者なのである。商売上、信用できる小規模貸金業者が増えれば増えるほど、それも息のかかった業者であればあるほど、安全な資金の貸出先が膨らむわけだから、岡村には願ってもない状況といえる。中小業者の経営にとっての難題は客集めである。そこで彼らは大手金融業者が抱える顧客リストを、ノドから手の出るほど欲しがる。名簿があればDM商法で顧客獲得が容易になるからである。岡村が顧客リストとワンセットにして武富士から大量の社員を引き抜き、系列の金融会社を20社近く作らせていると語る金融関係者は多い。逮捕者を出した前出のアーバンライフなどは、その一部である。
武井保雄の指示を受けた藤川忠政は顧問の福田勝一をともなって、顧客情報の窃取をそそのかしたという、いわゆる横領教唆の罪で岡村誠を警視庁に告訴した。貸し金の卸をしている岡村に資金提供していたのは、東京ドームの子会社である後楽園ファイナンスである。野球や遊園地を通じて子供たちに夢を売る東京ドームが、子会社を通じて、消費者金融会社にせっせと資金を貸し付けている事実はあまり知られていない。後楽園ファイナスの貸付額は、大手信用調査会社によると、ピーク時には約3200億円にもなっている。2003年現在は約2600億円程度と見られている。その代表的な貸付先は、アイフル、千代田トラスト(旧・本田ちよ)、アエル、三和ファイナンス、ナイスなどだる。岡村誠が経営するオーエムエフは後楽園ファイナンスから約400億円の融資を受けていると業界では言われている。オーエムエフの本社は新宿区四谷4丁目に立つ3階建ての豪華なビル内にある。岡村社長の息のかかった消費者金融会社もいくつか入居している。かつて、このビルの所有者は、金融会社「アイチ」だった。”マムシ”と暴力団からも恐れられた森下安道が一代で築き上げた街金最大手の居城である。あくどい商法で一世を風靡したアイチもバブルの崩壊が命取りとなって、平成8年には特別生産に追い込まれ、負債総額1820億円を残して事実上倒産した。


日本全土落下傘計画2015年 東北編 3/3~現代のブロック経済の形成

初夏の雄勝半島、雄勝半島は女川から北に位置します。女川までは電車が来ていますが、さすがに雄勝半島には線を引けないようです。去年来た時は、冬だったので、翡翠社長が「ただでさえ寂しい風景が余計寂しい」「思わず口数が減るだろう?wしかし、寒くて、木も枯れていて、人もいなくて、人がいても暗いだと、石巻の印象悪すぎだろ。今度は夏に来い。そうするとここら一体一面緑になる。良い所なんだよ。」と去年言っていたので、初夏にもう一度来てみましたw 確かに緑一色となり、晴天にも恵まれ、5月中旬の暖かい気候でした。荒浜海水浴場、荒浜も今、港の補強工事をしています。
その後、石巻に戻って、逆側(西側・仙台寄り)に、航空自衛隊松島基地があります。港町なのでてっきり海軍基地かと思ったら、空軍基地です。ブルーインパルスが自慢のようです。地図で見るとすぐわかるのですが、本当の海沿いなので、ここも津波に襲われ、戦闘機が海水に浸かってしまったこともあったようです。1機駄目にすると100億円くらいっすかね。戦闘機がぁ~買えるくらいの~ハシタ金なら~いらな~い~♪(知ってるかな?)面積は363haと仙台空港(239ha)よりも大きいです。見学には事前に申し込みが必要ですが、我々は外から見ただけです。
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ヤマニシ造船、これも地図で見るとわかるのですが、人工的に埋め立てた湾のようになっていて、船のドッグです。津波によって多くの船が流されたのですが、ヤマニシ造船のドッグの被害は比較的軽かったようです。海・港・川を中心に発展している石巻の産業地域は海沿いなのです。


虚構のアベノミクス

実質賃金の低下こそが、「アベノミクス」の本質だ。円安の負の側面のうち、とりわけ問題なのは電気料金の引き上げだ。

問題? 民は生かさず殺さず、民に無駄に金を渡しても何もならない。民は測度変換できないので円安は歓迎だし、名目しか見ない。良い政策だと思うよ。

国際収支で長期的に見れば、経常収支と資本収支の黒字の和はゼロになる。したがって、経常収支が赤字になれば、資本収支は黒字になる。つまり、海外からネットの資本流入になる。このことから、「経常収支が赤字になっている状態では、国内の資金が足りなくなっているので、国債の国内消化が困難になっているに違いない」と結論されるのだろう。しかし、それは、国債の国内消化が困難になっていることを意味するものではない。
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日本銀行は2013年4月に公表した「金融システムレポート」で、金利が一律に1%上昇すると、国際統一基準行の損失率は3.2兆円であるとした。なお、同レポートは、貸付などで得られる資金利益の変化も算出し、長期金利のみが上がる場合は、金利上昇幅に依らず、評価損を上回って資金利益が改善するとした。また金利が一律に上がる場合は、評価損が資金利益の改善幅よりも大きくなり、銀行の自己資本比率が低下するが「自己資本基盤が大きく損なわれることはない」とした。
日銀は一方において将来の金利が下がるというメッセージを送り、他方において金利が上昇するというメッセージを送っていることになる。

いやいや、物価上昇目標を掲げ、本来それに伴って上がるべき金利は、同時に国債を買って作為的に下げますと言っているのだよ。


ハイエク マルクス主義を殺した哲人 1/3~全体主義とナチス

これ、日本人読んだほうがいいかも。
『隷属への道』の読み方 19世紀の後半からのおよそ100年間、世界で最も社会的影響力が大きかった本はマルクスの『資本論』であり、20世紀の中ごろから後半にかけて最大の影響力を及ぼしたのはハイエクの「隷属への道」だったのではないかと思います。別の言葉で言えば、世界に対して100年間に及ぶ大マインド・コントロールをかけたのがマルクスであり、そのマインド・コントロールを解くのに最も大きな貢献をしたのがハイエクである、といえるのではないでしょうか。
今日において社会主義とは、もっぱら課税という手段を通じて広範囲な所得の再配分を行うこと
「隷属への道」を執筆した時期、つまり戦争中においては、社会主義は生産手段の国有化と中央集権的経済計画化を意味していた。しかし、1976年の時点では生産手段、つまり産業の国有化の非効率はすでに広く認められるようになって、その方向へ進む危険はなくなったが、今度は課税という手段によって広範な所得の再配分を行うことを意味し、また福祉国家の制度を意味するようになってきている、とハイエクは言います。そして、社会主義的な政策の原理を改めないかぎり、その政策が良かれとやっている人が望みもしなかったような不愉快な現実がやってくるだろうと警告を発しています。
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イギリスが15年、20年の時差をおいて、ドイツの社会主義化のあとを追っている。第一次大戦に先立つ約30年の間のドイツの思想と実践が、そのころのイギリスの思想や政策に深い影響を与えたと、ハイエクは指摘します。ドイツにおける社会主義政策は非常に早く、19世紀後半のビスマルクの時代から始まっています。それが第一次大戦の敗戦後、いっそう強くなりました。そのドイツを考えればイギリスの未来がわかる。これは、学問・思想の面でドイツがイギリスやアメリカのアングロ・サクソン文化圏より圧倒的に進んでいたということです。19世紀の終わりごろから20世紀の第一次大戦ごろまでの間、ほとんどあらゆる分野においてドイツの学問が傑出していたと言ってもいいでしょう。英語学にしてもまともな英語学の8割くらいはドイツで研究されていました。極端なことをいえばシェークスピア研究までドイツが先んじていました。ドイツ人は昔「ウンザー・シェークスピア(われらがシェークスピア)」といっていたくらいです。
全体主義体制を樹立させた思想上の傾向は全体主義に屈したドイツのような国だけにあるのではなく、イギリスも着実にそちらのほうに向かっており、戦争に連合軍が勝ったときには、この基本的な問題に直面しなければならなくなる、とハイエクは予言しました。そしてこの予言は的中し、まさにハイエクがここで指摘したことが戦後のイギリスで起こりました。すなわち、労働党が勝って政権を握り、私有財産廃止のほうにば驀進したのです。「マクミラン報告」とは1931年に出たもので「人々の生活に対する管理を政府の第一の任務とみなすようになっている」「議会はコミュニティの日常的な事柄に対する統制を、その意図的な目的としてますます立法するようになってきており、以前には議会の検眼が及ぶ範囲内には、全く属していないと考えられていた様々な事柄にも介入するようになってきている」といった内容が記されています。この報告が出た1931年後半から39年にかけての8年間に、イギリス経済体制は全く異なったものへと変化したと、ハイエクはいいます。このイギリスに起きた変化を徹底的に追及すれば、ヒトラーやムッソリーニやスターリンになるわけですが、イギリスで1931年の段階でその変化が起こっていることに、我々は注目すべきでしょう。
ナチスの指導者が「国家社会主義は反ルネサンスだ」といったのは的確で、ナチスはルネサンス時代以来、西欧が営々として築いてきた個人主義文明というべき西ヨーロッパの文明を崩壊へ導く決定的な一歩だったとハイエクはいいます。個人主義は西欧近代文明の基盤だというのがハイエクの立場です。個人主義がエゴイズムだとかエゴセントリズムと混同されることで間違ったイメージが付加され、「皆でやりましょう」という集産主義-コレクティビズム-のほうがいいという方向に流れているところに、ハイエクは最も危険を感じました。
また、自由主義社会を発展させる重要な課題として、「貨幣制度」と「独占」をハイエクはあげています。これは依然として最大の問題であり続けていると思います。私が直接お話を伺ったとき、どの国でもどんなお金を使ってもいいという条約を作ったらどうかと、ハイエクは言っていました。そうするとどうなるか。戦後、ヨーロッパでは社会主義的な政策が強く、どこの国もインフレに悩んでいました。そういう無茶な政策をやっている国の通貨は暴落しますから、誰もそれを持ちたがらない。どこの国でも自国の通貨を持って欲しいから通貨の価値が下がらないように慎重な配慮をしなければならなくなる。通貨の価値が下がらないようにするにはどうするかというと、インフレ政策をとらない、そういう国が勝つわけです。つまり、社会主義的政策をしない国が勝つと言うことです。どこの国でも自由にどこの国の通貨を使ってもいいという話が、今、ヨーロッパでは現実にそうなりつつあります。
> ユーロの出現の予言というより、良貨とは何であるかを先んじて考えていたのだな。
2015.03.16 仮想通貨革命 ビットコインは始まりにすぎない 7/7~貨幣の非国有化
で野口悠紀雄さんの抜粋を読むかぎりでは、ハイエクの言っていることがおかしいように思えたのだが、予想通り、この本で読むかぎり、ハイエクの言っていることはうなずけることばかりだ。
【民族主義・闘争】
2014.06.19 実録ラスプーチン 2/8~怪物が登場した時代背景
2013.10.24 残虐の民族史 2/3 ~ジンギス汗
2013.03.11 藤原氏の正体 2/4 ~中臣鎌足とは? その出自
2012.12.07|殺戮と絶望の大地
2013.04.03 わが闘争 上 民族主義的世界観 2/7 ~ドイツ民族とユダヤ
2012.10.05|宋と中央ユーラシア 4/4 ~ウイグル問題
2011.08.17: 実録アヘン戦争 1/4 ~時代的背景
2011.05.10: 日本改造計画2/5 ~権力の分散と集中
2011.03.25: ガンダム1年戦争 ~戦後処理 4/4
2009.08.21: インド独立史 ~ナショナリズムの確立
2009.05.04: 民族浄化を裁く 旧ユーゴ戦犯法廷の現場から
2009.01.05: ユーゴスラヴィア現代史
2008.12.08: アラブとイスラエル―パレスチナ問題の構図
2009.08.14: インド独立史 ~東インド会社時代





武富士対山口組 1/3~警察との癒着

武井保雄会長は広域暴力団山口組系後藤組の後藤忠政組長との交流と、彼に金銭を贈っていた事実を認める発言をしている。後藤忠政組長は、暴力装置と経済力を兼ね備えた山口組内でも実力派の組長である。彼は平成14年7月、山口組若頭補佐に昇進した。この役職は文字通り同組ナンバー2を補佐する最高幹部の一人で、山口組を運営する執行部の中でも組織の中枢に位置する。さらに平成4年5月、「ミンボーの女」の伊丹十三監督を襲撃したのは後藤組である。
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京都戦争の火種 昭和61年2月、武井会長と崇仁協議会藤井委員長との会談をきっかけに、武井の親族が100%出資するファミリー企業の徳式(中森修社長)とサンセイハウス、崇仁協議会の3者の間で不動産売買立ち退き(地上げ)に関する契約が締結された。当時、武富士の事業開発部長の職にあった藤川忠政は、京都府警に録取された供述調書の中で次のように説明している。「昭和62年12月22日付で地上げに関する契約の一部追加変更書を締結し、地上げ資金も280億5000万円に増額し、崇仁地区、約3300坪の地上げを進めました。」崇仁協議会の役員には会津小鉄会の元組員が名を連ねていることでもわかるように、非常に同会の色合いが強い団体だったが、山口組系中野会(当時)の勢力拡大に伴って同会にも急接近して行ったそうである。こうした崇仁協議会側の対応が、数年後、中野会の中野太郎会長襲撃事件を頂点とする、いわゆる”京都戦争”と呼ばれる中野会と会津小鉄会の流血抗争に発展していった。


日本全土落下傘計画2015年 東北編 2/3~女川原発

仙台から石巻まで、仙石線は5月末から開通するそうですが、5月中旬の段階では、途中の松島海岸から矢本の間は代行バスとなっており、電車一本ではいけない状態です。ただ、仙石線ではない別の線、東北本線と石巻線を使って直通電車を一日4本走らせています。震災から4年以上たってもいまだに電車が元通りになっていない。それから電車のことを、線っていうのがよくわかります。線と線をつないでいくのです。その線が途中で切れていれば、目的地にたどり着くことはできないのです。しかも5月13日の早朝の地震の日は、この臨時運行列車は終日運転見合わせ。翌日の5月14日でしたから、当日朝、行ってみないと運行しているかどうかもわからない状態でした。
ご参考経路
http://onagawafm.jp/archives/6789
仙台駅は広く、yahooの経路案内がクソでバス会社が不明なので、バス停がわかりません。運良く4本しかない電車の始発が今日は回復し運行するようなので、電車で石巻まで移動します。2両編成、途中停車駅はありません。1時間ほどで着きます。
石巻駅到着。うん、1年ぶり2回目とはいえ、なんか愛着わいてるなぁ、俺w 今回日本で回ったところでは、石巻が一番田舎なのだけど、ど田舎でもない。仙台との臨時運行直行電車が一日4本というのは田舎なのですが、バスもあるし、それほど陸の孤島感はありません。駅前は道路も信号もビルもある。ただし高層ビルはない。駅前・駅近に都銀も野村證券もないwただし七十七銀行はある。見てないけど郵便局もあるだろう。仙台や博多だと東京駅近傍と比べると地銀の存在感はあるけども都銀や証券会社も見ることができるので、立派な地方都市で、十分に都会です。
駅近を歩いて観測できる金融機関でわかる都会・田舎度
1.首都、東京:グローバルネーム、いわゆる欧米系金融機関、外資系金融機関(中国銀行や中国交通銀行)まである。
2.地方都市、福岡、仙台:地銀(福岡シティ、西日本、肥後、仙台、七十七)が一番存在感があるが、都銀や証券会社がある。外資系金融機関はない。
3.田舎:都銀と証券会社がなく、地銀と郵便局しかない。←石巻はここ
4.ど田舎:銀行がない、あるのは郵便局、JA、JF(女川)。下手すると鉄道や駅もないので駅近という概念もない。←女川はここ
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まだ朝7:30でホテルにチェックインはできませんが、荷物だけ置いて、ホテルのロビーにて、翡翠社長と待ち合わせです。翡翠社長は、中国のシンジケート網にアクセスができ、私のお気に入りのアクセサリー、超いかちー数珠ブレスレットをデザインしてくれた人です。翡翠社長自身も数珠ブレスレットを2つもジャラジャラとつけていますが、その筋の怖い人ではありません


オプション取引約2周年記念、トランザクション分析

S&P500のListed Optionの取引を始めて、約2年が経った。取引戦略については既に何度か言及しているので、そちらを参考にしていただいて、
2015.01.22 一族アセットマネジメント採用試験ヒント1/3~手法のまとめ
今回は、あんまり派手さはない分析をしてみよう。ちょっと面白くないかも。
まず、基本となる数値は
Net Liquidating Value=現金+オプション時価
を基準としよう。口座に1,000,000入れて、250ドルのプットを1枚売ると、1,000,000+250×100=1,025,000の現金となり、オプション時価に変動がなければ1,025,000+(250×100×-1)=1,000,000と、売買するだけではNet Liquidating Valueは変動しない。正確には手数料を考慮しなければならないので、手数料分だけわずかに減る。
現金=全キャッシュフロー(CF)=売りCF-買いCF-手数料
ネットしてしまうと小さいが、グロスのターンオーバーは200%超えてるのね・・・。わずかに売り越しと。手数料は・・・、まぁ、小さいですね。
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取引の回数も計算してみました。一部出来で一つの注文が値段変わらずタイミングだけ分かれた場合は1とカウント、一部出来で値段を変えて約定した場合は、別のオーダーとしてカウント。だいたい年間100回、1ヶ月8回くらいのペースで取引しているようです。でも実際は売りと買いを組み合わせたコンビネーションで取引することが多いので、半分の週に1回くらい取引しているイメージです。


ハイデガー 存在の謎について考える

シリーズ・哲学のエッセンス という副題を見るべきでした。著者の方はハイデガーを理解しているのかもしれませんが、あまりにも平易に大衆迎合した書き方をしているので、逆に全然わからないという。
哲学と人生論はどう結びつくか
「存在そのもの」は、長く哲学研究の対象でした。実体、つまり、真に存在するものは何か。ただ偶然に存在するものと、必然的に存在するものとはどのように区別されるだろうか。絶対的な存在とはなんだろうか。神のような絶対的な存在と、存在するもの全体との関係とはどのようであろうか、といった問題が様々な形で考えられ、様々な可能性が議論されてきました。そこでアリストテレス「形而上学」を端緒として、これまでの存在論的な哲学理論を研究することで存在論を論じることが可能です。「存在」についてどのように考えられてきたか比較考察することで、「存在そのもの」がについてどのような解明が行われてきたか見ることができます。哲学とは別にもうひとつ、「存在そのもの」が非常に具体的で切実な問題となる場面があります。たとえば、自分が深刻な病にかかった場合や、身近に死を体験した場合などです。このように哲学理論と人生論という二つの側面があります。存在論とはそのどちらでもある、そのどちらでもなければならない、つまり、哲学と人生論という二つの側面を必然的に結びつけたところに、存在論の意味があるのです。


溶ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 4/4~お金の作り方

ウィンホテルのロレックスショップでド派手な時計(1個300万円もした)を10個一気に購入した。お代は締めて3000万円也。ロレックス10個を質屋にもっていけば3000万円弱の現金になるかと思いきやなんと引取りの歩合は商品価格の45%だという。つまり1350万円だ。おそらくジャンケットがいくらか中抜きしているに違いないと思いつつ、バクチに狂っていた私は「最終的に全部取り返せばいいのだ」と深く追求はしなかった。
ブラックカードでこしらえた1350万円の種銭をもとに、私はバカラの大勝負に出た。借金3000万円をすべて取り返した上に、大幅な黒字に持っていくことができたのだ。そこで困ったのが質屋に持っていった時価3000万円のロレックスだ。こちらは勝負に勝って気をよくしているし、ギラギラのド派手なロレックスなど何の興味もない。ジャンケットのK氏には質流れにしてもらってかまわないと伝えた。買値が3000万円なのに私は1350万円しか受け取っていないわけだ。いくら何でも差額の1650万円がもったいなさすぎるということで、K氏から質流れに猛反対された。質屋からロレックスを10個回収してきてくれたK氏は、その中のピンクゴールドの時計に興味を惹かれたようだ。もともと質流れにしようとしていた時計の代金をいちいち徴収するのもせせこましい。彼にピンクゴールドのロレックスをポンとプレゼントした。残ったロレックスの時計はどうしたかと言うと、仕方が無いので日本に持ち帰ってきた。当然のことながらこれは税関で引っかかる。だが意外なことに2000万以上もの時計にかかった関税は10万円程度だった。このロレックスはマカオと日本を行ったり来たりしながら最終的に質屋へと還流していった。
無用の長物となったアメックスのチタンカード ブラックカードと言うとVIPや大金持ちの象徴としてあこがれの対象とされる。世の中にはブラックカードを超えるさらにVIPなカードがある。あるとき私はアメックスからチタンでできたクレジットカードを支給された。チタンでできているだけに金づちで叩いたくらいではこのカードはびくともしない。必要なくなったとしても、ハサミを入れることもできない。カードの後ろには磁気テープがついているのだが、なにしろチタンだけにATMで使うことすらできないのだ。「これは何のためにあるカードですか。キャッシングや買い物の枠が増えるとか、グレードアップされるのでしょうか?」と尋ねてみたところブラックカードと機能は変わりないという。カード会社の担当者が少々困った口調で、「お客様の中にはウォレットをズボンのお尻のポケットに入れているときにカードが折れてしまうという方もいるものですから…」と答えたのには笑ってしまった。本当はステイタスとしてこういうものをありがたがる者がいるため、カネ持ちの権威付けとして存在するのだと思う。
11年9月7日、大王製紙の連結子会社7社から資金を借り続けていた事実が社内メールの告発によって発覚してしまったのだ。就任からわずか数ヵ月後の9月16日、私は大王製紙会長を引責辞任した。大王製紙の連結子会社は海外に2社、国内には全部で37社ある。これら連結子会社のうち、7社から資金借り入れを行った(大王製紙本体からは資金は借り入れていない)。これらの7社ではいずれも私が代表取締役を務めていた。国内の連結子会社37社のうち、31社までは井川家、ならびに井川家の個人会社が過半数の株を所有している。その中でも特に私や井川家の持ち株比率が高い会社を選び、以下の1~7から借り入れを進めていった。合計106億8000万円。巨額の資金は「LVSインターナショナルジャパン」というカジノ会社に直接送金した8億5000万円を除き、すべて私個人名義の預金口座に振り込まれ続けた。


日本全土落下傘計画2015年 東北編 1/3~国分町キャバクラ通り

初仙台。
東京から仙台まで
八重洲発ニュースター号、JRバスの嫌がらせを受けているのかバス停がどこにあるか結局発見できず、チケットもオンラインじゃないと買えないなど難有りで結局JRで6000円、7時間もかけてようやく到着だ。悪いのはバス会社ではなく、Yahooの路線案内だ。高速バスと書かれていることが多く、運営会社、チケット売り場、バス停の位置がいい加減なのだ。帰りの仙台でも、東北急行、ニュースター、JRバスと3つもあるのにYahooの路線案内では高速バスしか書いていないのだ!仙台駅の西口から東口にわたる広大な範囲で、3つもバスのチケット売り場を回って、30分近くウロウロしてしまった。
九州の西鉄天神バスターミナルと熊本交通センターは位置が明確でわかりやすいのですが、東京や仙台はバスターミナルが分散していて、チケット売り場も多種多様なので注意が必要です。
聞いて聞いてー、俺の愚痴。
1.JRバスが東京駅を牛耳ってて、東北急行の情報なんか存在しなかったこと。
2.急遽JRで電車移動したのだが、5940円もするわりに7時間かかるという。
東京 上野東京ライン
浦和 湘南新宿ライン快速
宇都宮 東北本線
黒磯 東北本線
郡山 東北本線
福島 東北本線
仙台
乗り換え回数6回、待ち時間、1時間16分、移動時間 5時間38分、総移動時間 6時間54分
すげー、香港までいけちゃうだろこれw なので忙しいブルジョワ諸君は新幹線で行けば、わずか2時間、10370円でOKです。やべー、4000円ケチっちゃったww 東北新幹線を通した意義も身をもって感じましたw しかしだよ、湘南新宿ラインになんで快速があるのかとか、東北本線は床暖房設備があるので、ドアのところに一段ある。わかる? 多分、防寒対策で、車両に後付で床暖房を付けたんだ。慣れないと乗る時も降りる時もつまづいちゃうぞ。
仙台…、目指すは国分町だ! くぅー、仙台駅から意外に遠い、荷物持って20分近く歩いてしまったよ。しかし、仙台は博多の中洲と違って真面目な街よのぅ。ここから数百メートルに歓楽街があるとは全く想像ができないぞ。(メッカの国分町通りに垂直に交わるメインストリート広瀬通りを昼間歩いているだけでは、夜遊び街の存在に気付かないほどに真面目な感じである)
ホテルにて、湯沸しポットがあるのに、冷蔵庫に水が入ってないぞぉ~こら~と思ったら、ここは日本、水道水を入れればよいのですね。
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仙台の夜遊びメッカは国分町。仙台は、路上喫煙OK。素晴らしいですね。この300mレクタングルに全てがあるw どの地方都市に行っても行動範囲が狭いなぁ~。夜の街の雰囲気は、九州に比較すると東京に近く、普通です。九州(福岡中洲、熊本下通り共に)では、お店の女の子の写真がお店の前にバーッと貼ってあったり、とにかくなんじゃこりゃ?という感じでしたが、仙台はお上品。駅から青葉通りや広瀬通りから国分町のホテルに向かったが、夜遊び街は一切感じられない。仙台駅に近い順に南北にアーケード通り、国分町通り、晩翠通りが走るが、アーケード通りは一般の方の利用する普通のショッピングゲート(熊本にたとえると下通り)です。一本脇にそれた国分町通りとその脇道がバリバリ・夜遊び通り


エンロン内部告発者 6/6~最後

エンロンが様々な会社への株式投資をヘッジするために作ったラプター(ファストウによる出資による)は、エンロンから数億ドルも借り入れていた。ラプターはコンティンジェントなエンロン株(特定の事実が発生したときに効力を持つ株)で出資されていた。7月には株価は40ドル台後半と前年には考えられない水準まで下げていた。ラプター株も連れて下げると、エンロンはラプターを支えるためにどんどん株を注ぎ込まなければならない。このためすでに数億ドルを投入していた。ファストウがそんなにリスクの大きいハイテク株のヘッジを、自分のファンドで提供したことが意外だった。しかし今や事態が理解できた。ファストウはたった3%しかリスク・マネーを投じていないのだ。残りのリスクはエンロンの責任なのである。
アーサー・アンダーセンの会計士たちは、大きな会計上のミスに気づいていた。2001年の第1四半期にラプターを再編成したときに誤りを含む決算を承認していた。エンロンはラプターに12億の預り証と引き換えに12億ドルコンティンジェント普通株を投入していた。アンダーセンはこの額を誤って費用ではなく受取手形(資産)に計上してしまった。この誤りは2回の四半期の間見過ごされていたが、第3四半期になってこの12億ドルを減資しなければならなくなった。すでにスキリングの退任で会社に疑念の目が集まっている。どうすればうまくやれるだろう?まして株価が36ドルから30ドル近辺まで下げているというのに。レイのたゆまぬ売込み努力によって株価が持ち直すかと思われた矢先の9月11日の朝、オサマ・ビン・ラディンの手先にハイジャックされた二機の民間航空機が世界貿易センタービルに突っ込んだ。ニューヨーク証券取引所は翌週まであかなかった。再開した市場では全銘柄がまっさかさまに落ち、エンロン株も25ドルになった。
2001年11月8日、エンロンは8KレポートをSECに提出した。「この裁縫国は2001年9月までの9ヶ月間の開示済み決算報告には影響しません」文書はそう述べていた。しかし、ビジネスマスコミは鵜呑みにしなかった。ザ・ストリート・ドット・コムは「エンロンの再報告は不十分」と見出しを立てて、修正報告にはLJM1のみが反映され、LJM2について、特に厄介なラプターのビークル類については反映されてない、と暴いた。その日、エンロン株は8.41ドルまで下げた。
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エンロンは今や投資不適格と格付けされる危機に直面していた。もしそうなれば様々な簿外ビークルの負債即時返還条項が働くことは経営陣の誰もが知っていた。ワーレイ、マクマホンはオマハに飛んで、バフェットがもう一つの救済劇に興味があるかと打診した。返事は連れなかった。エンロンがどうやって金を儲けているのか、バフェットにはついぞ理解できなかったし、ヒューストンの投資家フェイズ・サロフィム同様、彼は自分が理解できるビジネスにだけ投資するのだった。


ハイデガーの思想 4/4~現存在の時間化

存在了解にせよ世界内存在にせよ、現存在において現在・過去・未来といった時間の場(ホリツオント)が開かれることによってはじめて可能になる。つまり、現存在において存在という視点の設定が行われるのも生物学的環境を超越して世界が構成され、現存在がそれに開かれるのも、現存在がおのれを時間として展開すること、おのれを時間化することによってはじめて可能になるのである。というよりも、もともと現存在が現存在として存在するということ、つまり人間が人間になるということは、そこに現在・過去・未来という時間の場が開かれるということなのである。ハイデガーが「現存在の存在は時間性である」というのは、この意味に他ならない。「存在了解は時間性を場にして行われる」というのも同じ意味である。存在了解こそが現存在を現存在たらしめるものであるし、その存在了解、つまり存在という視点の設定は現存在が己を時間化することによって可能になる。
「存在と時間」の第一部、ことにその第一、二篇は準備作業だといったが、そもそもそれは何をどのように準備するものだったのであろうか。まず一方で、現存在が存在了解の場だということ、つまり存在という視点の設定が行われる場だということを論証し、他方で、現存在の存在が「時間性」だということ、つまり現時のうちに差異化が起こり、未来と過去という次元が開かれてくる時間化の働きこそが現存在の存在を成り立たせていることを明らかにする。その上で、存在了解と時間性のあいだに密接な連関のあること、つまり存在了解が時間性を場(ホリツオント)にして行われることを示す-これが第一部第一、第二篇の仕事である。時間化の働き(ツアイテイグング)という概念は動詞にすると「おのれを時間化する(ジッヒ・ツアイテイゲン)」であり、いわば「おのれを時間として展開する」あるいは「時間として生起する」といったほどの意味である。ところで先にも述べたように、ハイデガーは現存在がこのようにおのれを時間化し、時間として展開する仕方は決して一通りではなく、そこに本来性・非本来性が区別されると考えている。この本来性・非本来性は何か道徳的ないし宗教的基準で計られるわけではなく、あくまで構造的な違いなのである。つまり、現存在がおのれを時間化するに際して、おのれに与えられた構造をどの程度満たしているか、ことにおのれの可能性とどのように関わり合い、どのくらいの射程で未来の次元を開くかによって、それは計られる。ハイデガーによれば、本来的時間性においては、その時間化はまず未来への先駆として生起し、そこから過去が反復され、そして現在は瞬間として生きられる。ここでは未来が優越し、3つの時間契機が緊密に結びついている。


溶ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 3/4~カジノの仕組み

最近の麻雀はデータの統計もしっかり取られていて、一発ツモの確率まで計算されている。一発ツモの確率とはある統計では約10%だそうだ。ところがツイている者は半荘の間にリーチを4回かけた際、4回中3回も一発ツモしてしまったりする。そのプレイヤーが一発ツモを仮に3回連続で引いたとすれば、0.1の3乗、つまり1/1000の確率を引いている計算になる

いや、ならないんですってw
4回リーチをかけて3回連続一発を出す確率は、仮に一発ツモが10%だとしたら、1/1000×2-1/10000だから約1/500だ。さらに参加者が4人居て、4人が同様に4回リーチをかけているとすれば、一発ツモを引く奴が現れる確率はさらに約4倍。一晩で5半荘やるとしたらまた約5倍。すると約1/25まで確率は高まる。これが数学的に計算される「必然の偶然性」である。井川さん、もしよろしれけば、私、特別講師として一度お伺いいたしますよ。

ザラ場で何百万円、何千万円をかけて大勝負する客はそう多くは無い。1香港ドルから遊べるスロットマシンもあるため、そこで粘れば数千円で何時間も遊ぶこともできる。そうした観光客を目当てにしていてはカジノの収益はさして上がらない。ではどこでカネ儲けをしているのか。それはVIPルームに乗客を呼び込み、高待遇をしながらドンドン金を投入させるのだ。VIPルームとは、ホテルの上階にあるスイートルームのような場所だとイメージしてもらえばいい。VIP客の場合、入り口も駐車場もほかの客とは別の場所に設置されている。専用エレベーターで人目につかないように部屋に直行できる。賭け金が小さいザラ場はいわばブティックにおけるショーウィンドウのようなものだ。芸能人や有名実業家であればなおのこと人目につかないところで勝負したがるものだ。

Wynnだけでなく、どこのカジノでも“カジノの売上”(=純カジノ収益=客の負け分の総和)は大半がハイローラーによるものであることは10K(米国の有価証券報告書)から読み取ることができる。数学的に必ずプラスになるように担保された”カジノの売上”と異なり、カジノの収益は、売上からいかに人件費などの運用コスト、ホテルの建設費用などの金利負担を減らせるかという厳しいもので、「カジノの収益=カジノ産業の純利益」は数学的にまったく担保されていない。クレジット(債券)に詳しい者は、米国カジノ産業は永遠のハイイールド債の供給者であることからもカジノビジネスが如何に厳しいか推測することができるだろう。


九州キャバクラナイト4/4~熊本グルメ

金曜・土曜は中洲の宿が取れなかったので、熊本に移動します。友人の情報では中洲のカプセルホテルで大浴場に浸かるのも手だそうです。それからもっとディープな九州ローカルは、小倉にあり! 来年は小倉にも足を延ばそうかと計画してみます。
西鉄天神バスセンター
まで、中洲から頑張って歩きます! 場所がはっきりと分かってなかったので一駅乗り過ごして、歩きで戻ることを考えると、たとえ100円バスに運良く乗れたとしてもリスクリターンが合いません。無駄遣いが大好きな民の感覚では、荷物を持っての移動ならば、バスに乗っても良い距離です。なんとビルの3Fにバスターミナルがあります
熊本交通センターまで2060円、バスは10分おきに出ています。熊本交通センターから熊本下通りレクタングルまで歩けるので、鉄道だと中洲から博多駅、熊本駅から花畑町への移動をショートカットできる分、費用・時間共に完全に割安な移動手段になります。西鉄天神バスセンター、超綺麗です。日本ではバスは貧民の乗るものではないようです。トイレも綺麗なのですが、バスセンター全体の清掃にどれだけ金かけているんだろう・・・と不思議に思うくらい綺麗。
熊本交通センターからホテル、ちょっと方向感覚を見失い、どう歩いたら良いか分からない時、この近辺では、熊本城を中心とした地図が頭に入っていれば、時間と太陽の位置よりも、熊本城が絶対的存在です。でもやっぱり分からないので、途中で道を聞きます。「そこを右に曲がって右側にあると思う」と教えてくれましたが、正しくは「そこを左に曲がって右側にある」です。九州にアジアを感じる瞬間、道案内が間違っているwの法則。東京の道案内は「知らない」か「超正確で丁寧」の二択ですが、九州はアジア的なので、間違った道案内をしてくれる人が居ます。この法則の真偽について、九州人からの反論をお待ちしています。
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エンロン内部告発者 5/6~電力自由化の下の悪意ある供給者《超重要、読め》

カリフォルニア州の市民の生活はダボール発電所があるインド・マハラシュトラ州のそれに似始めていた。停電は頻発し、電力価格はうなぎ上りだった。カリフォルニア・エジソンは5億ドルの債務が履行できなかった。カリフォルニアは経済的、社会的混沌に陥っていた。しかしテキサスの電力トレーディング大手であるエンロン、エル・パソ、リライアント、ダイナジーなどは有卦に入っていた。各社の利益は前年比100~400%増で彼らはこれを努力の賜物と主張した。テキサス人は利己的で緩みきったカリフォルニアの市民の因果がめぐったとおもっていた。エンロンはワシントンに根回しをしていた。最も心強かったのは、エコノミストの上院議員夫妻フィル・グラムとウェンディだった。エンロンの取締役会に参加する前の1992年、ウェンディはエネルギー先物契約を政府監視の対象から外した。夫は今や、2000年12月のコモディティ先物現代化法案によってエネルギー・トレーディングを規制緩和すべく活動中だった。この法案には強い反対があった。その主勢力は大統領の経済市場諮問グループでそこには財務長官ローレンス・サマーズ、連邦準備局のアラン・グリーンスパン、SECの会長アーサー・レビットらが名を連ねていた。エンロンはこの法案のために200万ドル近いロビイング費用を払い、一方グラムはクリントン政権の末期に不利だった法案をいったん引っ込めあたためていた。ブッシュが政権につくとグラムは同法案を新たな名前で再提出し、首尾よく成立させた。エンロンはトレーディングについて大きな自由を得た。エンロンがどれだけの電力を持っており、どこからどこへ、なぜ、どのように電気を動かしているかは、もはや誰に知られる必要も無かったし、そうする手段も無くなった。2000年のハイテク株失速にもかかわらず、エンロンは90年代の最後の3年間に22ドルから72ドルへと挙げた。
> 電力自由化の先駆けだぞ。安易な電力自由化賛成論者はよく読んどけ。
> しかもその時、私はちょうどカリフォルニアに居た。オイル価格が高騰しているから電気代が上がったと聞いていたが、背後にはエンロンの悪さも要因の一つであったとは…。
90年代半ば、カリフォルニアは電力の規制緩和に踏み切った最初の州となった。きっかけは企業が群れをなして州から去っていき、壊滅的な不況をもたらしたことだった。法外な収税に加え、高いエネルギーコストも原因のひとつだった。規制緩和は、旧弊で甘やかされて、搾取的だった電力会社を懲らしめ、1998年には電力のユーザー単価を10%下げるはずだった。問題はどこにも無いように思われた。しかしこの解決法は、結局、事態をより悪化させた。カリフォルニアはエネルギーの卸売りを規制緩和し、小売面では価格キャップ性を維持した。同時に電力会社に長期固定価格(したがって割安)で電力を購入することを禁じ、不安定なスポット市場への依存度を高めさせた。失敗の舞台装置は揃っていた。電力会社は発電会社に大金を払いながら、その費用を利用者に転嫁できなかった。エンロンは電力をもっと効率よく供給するためによりクリーンで安い燃料を使う発電所を建設する、と約束した。この市場でエンロンが必ずしも善玉ではない証拠はいくつかあった。その一つは1999年五月、同社の会計部門が収益計上に苦しんでいた頃に起きた。それはのちにシルバー・ピーク事件と呼ばれる。
1999年5月24日の事件が起こった。ベルデンは莫大な電力を古い送電網を使って送ろうとした。15メガワットの送電線に、1900メガワットの電力を通そうとしたのである。そんなことをすれば送電網に負担がかかるのは当然だった。カリフォルニアは過負荷への自動反応システムを備えていた。州内の全サプライヤーに電気信号が発信された。この電線を使うつもりですか?それを中止して線をあけることはできますか?そうしてくれたらお金を払います。この日、カリフォルニア・インディペンデント・システム・オペレーターのある人物がたまたま電線を監視していた。彼女はなぜこんなに細い電線越しに大電力を送り込んでいるのかと訝しがった。「本当にこんな送電をしたいのですか?」彼女はこれは事故ではないのかと思い、確認の電話をした。ベルデンが意識的な行動だと認めたとき-「ええ、当社がやったことですよ」-彼女はいっそう不審に思った。「どうしてですか?」「ええと、まあ、そうしたかったからです。別に隠すわけじゃないけれど…」 オペレーターは「ずいぶんおかしな配電スケジュールですね」と言った。ベルデンは同意した。それだけに送電網の規制当局に報告しなければならないと思った。この送電は「無意味」に思えたからだ。
しかし、エンロンにとってこの送電は無意味ではなかった。ベルデンの行為によって送電網には負担がかかり、その日の午後には電力価格が70%も跳ね上がったからである。州の電力交換当局の調査委員会はこの事件を調べ、1年後、ベルデンに25000ドルの罰金を課した。無意味な罰金だった。その日エンロンは1000万ドルを精算し、州の電力ユーザーは約500万ドル余計に支払わされたからである。カリフォルニアの無人自動システムは、完全に電力供給会社の善意のもとに成り立っていた。しかし彼らは善意の人々ではなかった。ベルデンのようなシステムの悪用者は、これを新手のゲーム、つまり常に「当たり」になったままのスロットマシンにした。彼やその同類は、州の規制当局から不正を見つられた時はいそいそと罰金を支払った。
規制当局が気づいていなかったのは、ベルデンが単独犯ではなかったことだった。2000年6月、規制緩和によって安価で良質なサービスを得ているはずだったカリフォルニア州の市民は、そのどちらも得られなかった。州内の電力卸売価格は30%も跳ね上がり、これは電力を供給するテキサスのエネルギー会社-リライアント、エル・パソ、ダイナジーそしてエンロン-らを狂喜させた。エンロンやその競争相手は口では規制緩和について安い価格、選択の自由そのほかを約束していたが、金を儲けるためには安定供給ではなく安定不安が必要であることを知っていた。安定した市場では誰も電力供給を気にしない。電灯はいつもつくし、エアコンが働かないことも無いからだ。しかし電力供給に不安があると顧客は気をもみ始め、供給が細るにつれて家庭生活や事業運営に支障が無いよう、いくらでも喜んで払うようになる。一方顧客の怯えにつけ込んでより多くの、そしてより長期の電力購入契約を取る企業は、安定的な電力の供給者よりもずっと儲けられる。
2000年秋、カリフォルニアの主な電力会社は問題を抱えていた。電力不足なのに規制緩和のために依存を深めていたスポット市場は価格が高すぎて手が出なかった。電力会社は高コストを顧客に転化させてほしいと主張し始めた。立法府に拒まれるともはや残る手段は供給制限のみだった。カリフォルニアは、その後、連邦エネルギー規制委員会(FERC)に電力卸売価格にキャップをするよう請願した。FERCがこれを認めると売り惜しみをしていた州外の電力供給会社は姿を消した。2000年12月、状況は危機的だった。この月、同州は初めての第三段階「ローリング・ブラックアウト」を経験した。つまり予備電力がそこを尽きかけたのである。州の規制当局は慌て、州外の電力供給会社を呼び戻すために、FERCの価格キャップを外すよう要請した。供給会社は以前にも増して高い請求書を手に戻ってきた
しかしヒューストン本社の弁護士スティーブン・ホールは心配し始めていた。彼は10月に社の電力トレーディング事業を調べ始めた。カリフォルニア公益委員会の調査を受けたからである。調べれば調べるほど、不安は増した。エンロンは電力線にわざと過負荷をかけたり、価格キャップを逃れるために電力を州の内外に移したり、履行していないサービスの料金を請求していた。これらの手法はISO規約違反であるばかりか刑事犯罪であるという警告だった。
カリフォルニアの状況は価格キャップ制の廃止とエンロンの行動のために、改善しなかった。それどころか事態は悪化の一途をたどった。2001年1月中旬、カリフォルニア・エジソンは5億9600ドルの電力会社への支払いと債券の償還ができなくなり、ローリングブラックアウトは北カリフォルニアにも広がった。すなわちシリコンバレーとその周辺地域である。グレイ・デイビス州知事は緊急法案を起草して、州が電力を買い上げられるようにした。これによって恩恵を受けたのはテキサスの電力会社だけだった。今や彼らは、憐れな州職員を相手に高値で長期契約を交渉できた。電力料金は1月と3月に延べ40%値上げされた。4月にはパシフィック・ガス&エレクトリックが会社更生法適用を申請した。

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ハイデガーの思想 3/4~本質存在と事実存在

存在了解 存在とは何か。
ハイデガーは少なくともこの時点で、この問いへの-たとえ後に修正せざるを得ないものである-明確な答えを出していたはずである。ただそれを述べるはずだった下巻が書かれないでしまったので、その答えもついに表に出されずに終わってしまった。謎めいた、あるいは思わせぶりなヒントが散在するだけである。しかし、これが分からなければ彼の言うことはほとんど理解できないことになろうから、なんとかその散在するヒントから無理にでも引き出してくる必要がある。一つの手がかりは、「存在は存在者ではない」ということである。存在とは、いわば存在者を存在者たらしめるものであるから、それ自体は一個の存在者ではありえない
「現存在が存在を了解するときにのみ存在は『ある(エス・ギプト)』」
「存在は了解のうちに『ある(エス・ギプト)』」
「現存在が存在するかぎりでのみ、存在は『ある(エス・ギプト)』」
『ある(エス・ギプト)』とルビをふったのは、これが『存在する(ザイン)』という意味での『ある』ではないということを示そうとしてのことがある。もしこれが『存在する』という意味での『ある』だとすると『存在』がふたたび『存在するもの』『存在者』になってしまい、『存在は存在者ではない』という原則に抵触することになる。それを避けようとしてハイデガーは存在に関しては『ある(エス・ギプト)』を『与えられる』と読み替えてくださっても良い。これらの命題は『存在』は現存在の行う『存在了解』の働きのうちにあるのだ、ということを言おうとしているのである。
第二部の第一篇ではカントの「純粋理性批判」の図式機能論と時間論が次いで第二篇ではデカルトと中世スコラ哲学の「存在概念」がさらに第三篇ではアリストテレスの「時間論」が検討されるはずであった。しかしこの題材の選び方はどう見ても適当ではない。第二部全体の主題からすれば、ここではあくまで伝統的存在論の存在概念の検討が行われるべきなのであるから、カントの時間論やアリストテレスの時間論を話題にするのはおかしいのである。ハイデガーもそれには気づいていたのだろう。第一篇のカント解釈、つまりカントの「純粋理性批判」は存在と時間という問題設定の間際まで迫りながらそこに至りつけなかったと見るカント解釈は2年後にそれだけ切り離して「カントと形而上学の問題」(1929年)という独立の著作に仕立て上げられている。これは妥当な措置であった。西洋哲学氏の展開についてすでにかなり明確な見通しを持っていたはずのハイデガーがなぜこんなに不適切な題材の選び方をしたのか、これが私には長い間不思議だったが、最近少しそのわけが分かってきた。この時点ではいわばまだ無名だったハイデガーは、自分の持ち出そうとするあまりにも大胆不敵な考えにためらいを感じて、逃げをうったのではあるまいか。後年ある講義の中で彼は、下巻に当たる部分も当時すでに印刷されてはいたのだが、それをヤスパースに読ませたらさっぱり分かってもらえなかったので出版を断念したと言っている。ヤスパースが理解できなかったのも、おそらくためらいからひどく曖昧な書き方をしていたせいではないかと思う。私も、この時点でハイデガーが下巻にあたる部分、ことにアリストテレスの存在概念の分析を同時に発表していたら、果たして学会に受け入れられたかどうか疑問に思う。「存在と時間」上巻があれほどの成功を見た後とは話が違うのである。


溶ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 2/4~経営者として

経営者として心がけたことの一面を抜粋すると、きわめて真っ当なことをおっしゃっており、非論理性=感情が支配する日本のビジネスの現場で苦労なさっているのが分かるw
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「大王製紙は過重労働がひどすぎる」 業界の中にはそう揶揄する人もいるが、確かに大王製紙従業員の物理的な労働時間はそれなりに長かった。そのためか新卒採用者のうち、3年のうちに辞めてしまう者がずいぶんいた。だが、花王だろうがユニ・チャームだろうが、優良な企業は適当に働いて利益を出しているわけではない。現在で言えば、好調といわれるユニクロにしてもDeNAにしても、社員はみな必死になって働いていることだろう。労働時間が長かったり、仕事内容がハードだからといって、単純に「ブラック企業」と言う一部の論調には違和感を覚える。ラクをして利益を出せるほど、ビジネスは甘くない。
長時間会社にいたからといって、労働時間に見合った成果を挙げているとは限らない。現に就業時間内に仕事をピシッと終わらせた上で、人よりも高い成果を上げている社員はいる。ビジネスは根性論で語っていても仕方ない。数字を冷静に分析し、正しい戦略と方法論を実行できれば収益を上げられるのだ。
大王製紙の経営者として、私は空虚な言葉だけの議論を徹底的に排除することにこだわった。会議の席上、こんなことを言う人間がたまにいる。
「コストを徹底的に削減し、営業部員との意思疎通、コミュニケーションを密にします」
こういう抽象的な言葉が飛び出したときには、私はすかさず具体性を問うようにしていた。「『コストを徹底的に削減』ってどこのコストをいつまでにいくら削減するの? 『営業部員との意思疎通、コミュニケーションを密にする』ってメールを毎日1通は必ず送ると言う意味?それとも週に1回は必ず直接あって話をする?」 美麗な言葉を口にしてその場をごまかそうとする人間は、このような指摘をされると、とたんに言葉が詰まってしまう。「コミュニケーションを密にする」など、何も言ってないに等しい。「テレビ会議でもかまわないから、週に2回は必ず開発部と営業部の会議を開く」といったように具体論を述べなければ仕事は先へは進まないのだ。日本人が使いがちな「徹底的に」「とことん」といった情緒的な言葉も要注意だった。

井川さんの言ってることはまともなんだけど、日本人は感情の生き物だから「コイツ嫌い」とか思うと言うこと聞かなくなっちゃうんだよねw 俺も「えっ仕事でしょ?嫌いって何?」と思うんだけど、その民族性は変えられないね。都構想がどうのじゃないの。橋下なんか嫌だで民は反応するものなのだ。


九州キャバクラナイト3/4~熊本攻略法

まず結論、熊本の魅力だが、夜の熊本の下通り(しもとおりと読みます)は、「ここ日本? アジア?」というのが第一印象であった。なぜか? 東京にも夜のお店はたくさんあるが、店の人(キャバ嬢)とすぐ分かる格好で、電車に乗る人、歩いている人、ほとんど居ないでしょう? しかし熊本下通りでは、売春婦ではないのだが、キャバの客引きとして立っている女性たち(国籍は日本)の雰囲気が・・・、ちょっと日本とは思えない光景なのである。これは口では説明できないので、実際に行って見てみる価値があるだろう。まず黒髪率が低い。かなりの人数で立っているのでちょっと怖い。このあたりがなんだかアジア的なのである。アジア的とは、法や規則は存在していても誰もそれを気にせず、感情と感覚の共有で社会秩序が形成されている状態。つまり欧米的な法の精神や論理は、日本を含むアジアでは通じないと言っているのだ。ユッケ規制後w東京では珍しくなったユッケなど九州では置いてない店はないというほどに規制の影響は軽い。また店内喫煙などにも寛容だ。道を聞いても日本らしからぬ答え、すなわち、間違った道案内を聞くことができる。ただし、九州人は日本人なので、車が居ない通りにもかかわらず、無駄に信号待ちをする民族である。私は早朝7時前に大手町まで出勤していたが、車が走っていないので、一人で信号無視をしていた非国民である。
九州と言えば男尊女卑、男を立てる、男に尽くす女性を思い浮かべることであろう。これについては否定しないが、私の印象では九州女性は、けなげでかよわいというより、したたかで強い。九州女性は強いので、男尊女卑を肯定しているのである。「威張りたければ威張らしてやるよ」という態度なのである。男尊女卑だからといって女性に不利と怒りまくるのは弱い女性、男尊女卑も狡猾に利用すれば、女に有利なこともあると、九州女性は考えているのだ。この態度がアジア女性に共通しているのが私の見解だ。アジアもまた男尊女卑が存在するのだが、アジア女性達もまた、弱いわけではなく、自分に自信があるのである。特に、中国における中国人、フィリピンにおけるフィリピン人、タイにおけるタイ人、インドネシアにおけるインドネシア人女性達の、私に対する態度は、「あなたはこの国ではなんにもできないし、わからないんだから、私が助けてあげる」と相当に強烈だ。また私が九州人ではないので、アジア女性と同様、「九州のこと知らないと思うから、何でも教えてやるよ」と言わんばかりの態度なのだ。だが、決してアジア人女性達も九州女性達も、私に対して露骨に偉そうにしているわけではなく、優しく親切にしてくれるのだが、その背景には、「ここは私の場であり、あなたの場では無い」という意識が働いている。
下通りから徒歩圏にソープ街があるが、熊本のソープ嬢だけでなく、アジアで体を売っている女性達の多くが、カネで体を売らなければならない可哀相な人達ではない(もちろん、中には可哀相な人もいるだろう)。効率良くカネを稼げるなら、売れるものを売れば良いと考えているにすぎない。これがアジア住民として、九州にシンパシーを感じる理由である。アジア住民、アジアを見てから九州を見ると、日本ではあるものの日本とは思えないほどの個性がある。私が「九州人」という言葉を使うほどに強烈だ。


エンロン内部告発者 4/6~電力トレーディング

1998年第一四半期、トレーダーらは試行錯誤の果てに、トレーディングの規模を拡大すればもっと金が稼げるという感触を得ていた。スキリングは同意し、トレーダーらのポジション制限を引き上げ、より大きなリスク投資ができるようにした。トレーダーたちは契約によって十分な電力を手当てし、送電網の要衝も支配して大きな儲けのチャンスを待ち続けた。それが訪れたのは1998年6月だった。中西部の発電所のいくつかが、7,8月の需要期を控えて、改修のために操業を停止した。しかしこの年はちょっと勝手が違った。猛烈な熱波が例年より早く襲来したのである。同時にバックアップ電力を供給するはずだった発電所の操業が台風で停止した。電力供給は瞬く間に逼迫し、価格は急騰した。小規模な電力会社は資産ショートに陥った。つまり相場が上昇する中で電力が購入できず、供給契約を履行できなくなったのである。通常なら長期契約の下でメガワット・アワー当たり20ドルから40ドルほどで販売される電力がいきなり500ドルにもなった。中小電力会社が供給義務履行不能に陥ると、本物のパニックが起きた。ブラックアウト(大停電)の恐怖の下で、電力価格はものの数分間で7500ドルにも急騰した。かつてならこうした地域的な供給不安が発生すると電力会社同士は常識的な価格で電力売買して融通した。しかし98年の夏には、紳士協定もマナーも遠い昔に姿を消していた。
しかしエンロンにとってはこれは7月のクリスマスだった。安価な電力を持つべき場所で持っていたのだから。あるトレーダーは、一日で6000万ドルを売り上げた。中西部の電力危機はわずか数日で終わったが、エンロンはそれからも長い間、利ザヤを取れた。小さな電力会社は破産した。ケンタッキー州最大の電力会社LG&Eはこの一週間の電力危機のために2億2500万ドルの損失を計上し、電力トレーディング事業から手を引いた。オスカー・ワイアットの会社コースタル・コーポレーションは1460万ドルの損失を出した。ダイナジーそのほかの会社は規制当局に価格統制を懇願した。市場操作の噂も報道された。しかしエンロンはそんな泣き言は言わなかった。中途半端な規制緩和がこの価格高騰の原因のひとつだと主張し、この電力危機を更なる規制緩和を求める材料に使ったのである。
エンロンは米国で4つの発電所を運営していたが、これらは規制電力事業ではなく、様々な州法や連邦法によって運営を任されていた。例えばテキサスの発電所は「認定施設」扱いだった。これは別の規制電力会社の事業地域で、地元の規制当局から特別許可を受けて発電所を運営するという立場である。しかしエンロンが電力会社になってしまうと-ポートランド・ジェネラルを買収すればそうなる運命だった-こうした発電所は認定施設の扱いを取り消されてしまう。そうなれば負債契約条項違反になり、それぞれの発電所に残る膨大な負債-数百万ドル規模だった-は、すぐに返さなければならなくなる。したがってファストウの使命は、エンロンをこれら発電所の所有者ではなくす道を見つけることだった。


ハイデガーの思想 2/4~書かれなかった下巻

アメリカの文学批評家ジョージ・スタイナーは1918年から1927年までの10年間にドイツ語圏出された一群のほんの織りなす星座のうちに「存在と時間」を据え、それらの本に共通する性格を捕らえることによってこの時代の独特の気分を見事に浮かび上がらせている。その一群の本とは、エルンスト・ブロッホの「ユートピアの精神」(1918年)、オズワルト・シュペングラーの「西洋の没落」第一巻(1918年)、カール・バルトの「ロマ書」注解所版(1919年)、フランツ・ローゼンツヴァイク「救済の星」三巻(1921年)、アドルフ・ヒットラーの「わが闘争」2巻(1925,1927年)、それに「存在と時間」上巻(1927年)である。ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」(1922年)、ジェルジ・ルカーチの「歴史と階級意識」(1923年)を付け加えても良いと思っている。
シュペングラー
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スタイナーはこれらの本に共通するいくつかの特徴を挙げる。これらの本が利用可能なあらゆる洞察を総動員して、世界史の全体について何か統一的な見方を提示しようとしていると言うことを意味する。次にこれらの本はすべて何らかの意味で予言的・ユートピア的著作だと言うこと、そしてそこから帰結するのはこれらの本がいずれもある意味で黙示録的だということである。ユダヤ教やキリスト教において「黙示録(アポカリプス)」と呼ばれるのは、現世の終末と来るべき世界についての神の秘密の教えを告知する文書のことである。第一次大戦の敗戦は、ドイツ人にとって単にドイツ帝国の崩壊を意味するだけではなく、2000年来の西洋文明の終焉、つまりまさしくシュペングラーの言うような「西洋の没落」として受け取られた。スタイナーはこれらの本には一様にそうした終末論的・黙示録的雰囲気がみなぎっている、と見るのである。ところでこうした性質は暴力的性格と結びつく傾向がある。それは徹底した否定を目指す暴力であり、弁証法的に肯定を生み出すようなヘーゲル的否定ではない。「神は世界に永遠の拒否を告げる」というバルトの暴力的な宣言、人間の心や社会のうちに現存する一切の秩序の転覆を図るブロッホの「ユートピアの精神」、シュペングラーの「西洋の没落」にひそむバロック的暴力、「わが闘争」に見られる絶滅することによる悪魔祓いの戦略、ハイデガーの思索に核心に潜む「無化(ニヒデン)」の働き、これらは人類の歴史と希望に向けられた徹底した否定の多様な現れである。「論理哲学論考」こそ-「語りうるもの」を明確に語るための理想言語の提唱だけではなく、「語りえぬもの」については沈黙すべきだと言うその厳しい禁令を含めて考えるなら-もっとも過激な言語革命の企てであるし、「歴史と階級意識」は、ルカーチ自身が後年その「黙示録的」な性格を指摘し、そのゆえの失敗を認めているからである。


溶ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 1/4~疑惑の数学的センス

マリーナ・ベイ・サンズは単なるリゾートホテルではない。このホテルの中にあるカジノでは、ギャンブラーたちが大金を手にするべく、日夜しのぎを削っていた。なぜ私がこのゴージャスなホテルで20億円分ものチップを積んで勝負に挑まなければならなかったのか、それには理由がある。10年5月以来、私は大王製紙社長としてグループ企業から巨額の資金を借り入れる裏技を常態化させていた。その大半は、すでにマカオのカジノ「ギャラクシー」や「ウィン・マカオ」で失ってしまっている。11年5月の時点で、グループ企業から借り入れたカネの総額は実に50億円を超えていた
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バカラで5時間かけて勝負した結果、500万円が1000万円に膨らんだ。ならば10時間かければ1000万円を2000万円にまで増やせるはずだ。運とツキさえ回ってくれば、500万円を5億円に増やすことだってできる。現に150万円を4時間半で22億円にしたことだってあるじゃないか。目の前にある20億円を30億円、40億円にまで増やし、今までの借金をすべて取り返すことだってできるはずだ-」
運と偶然性のみが支配するバカラの勝負に、私は全生命をかけて挑んだ。目の前に積まれた20億円によって、カジノ史上誰も成功させたことがない奇跡を呼び起こすのだ。そして私は伝説を作る。目の前で開きかけた地獄の釜を、わが強運によって轟音高らかに閉じてみせる。だがひとたび開いてしまった地獄の釜の蓋は、二度と閉じることはなかった。48時間の死闘が終わったとき、私は煮えたぎる溶鉱炉のごとき奈落で溶解していた。

確かに伝説の男にはなりましたけどね…。カジノ史上誰も成功させたことがない奇跡は来ないんですwだってご自身で書いている通り、20億円の勝ちを手に入れるまで100億円かかったでしょ?


九州キャバクラナイト2/4~中洲グルメ

去年と重複無しで通いつめた中洲グルメオンパレードで紹介しよう。
ホテルは部屋は15:00~、現在11:00。むぅ・・・早すぎたか・・・。去年の記憶をたどりながら中洲川端駅近傍を散歩する。休みの店が多い。中洲はもともと夜の街なので、夜から開店し深夜まで営業している飲食店が多いが、それに加えて、今日は日曜日。去年行った店も「日曜休業」の看板が出ていた。ここでネットカフェに駆け込み調査開始。中洲川端 ランチでぐぐって、日曜営業の店を探してみた。中洲川端から歩いて10分ちょっと、隣の天神駅駅前、天神コアB1にある
福岡天神 味の正福
http://www.masafuku.com/
に行ってみました。上記のウェブサイトで見ると、メニューは普通の定食屋ですが、ネットメニューは標準サービスとして店にもあるのですが、手書きの地のモノメニューもあります。こういうところがネットでは伝わらない九州の魅力でしょうか。お目当てのゴマサバもメニューにちゃんとありましたが、せっかくなので・・・
アオナの煮付け定食 1680円
アオナとは、ハタ・アラの一種でアオハタ、キハタなどと呼ばれており、福岡ではアオナと呼びます。適当に入った食堂風のお店でも、このように「ちょっと変わったメニュー」があるのが、博多の良いところだと思います。もちろん、クエやフグなどになれば東京でもありますし、探して食べにいってもよい価格帯ですが、このような「ちょっと変わった」程度のモノが当たり前に転がっているのが博多の魅力です。
本格焼肉 清香園 中洲店
中洲2-7-16
18:00~5:00(L.O.4:00)
博多2号と待ち合わせ、適当にブラブラ歩きながら、「ここ行ってみたい、ちょっと高いかも」というので、値段をチェックしましたが、普通だったのでOK。結果、二人で11,000円程度の可愛い価格でした。アジアな九州では、法律や規制は軽んじられる傾向にある、よって、まずはユッケ! ハラミ、内臓系ホルモン盛り合わせ、と頼みました。ハラミもおいしいのですが、やはり相対的(東京比)にホルモンがおいしい。焼酎は500~800円くらい。しれっと書いているので再確認して欲しいのが、閉店時間ね。眠らない町、中洲は、事実上、時間無制限で飲むことができますw
真(マコト)
天神1丁目15-3 うまいもん横丁
[月~土] 11:00~13:45LO 17:00~22:30LO
ランチは、焼きサバ専門店。メニュー無し、900円。ご飯はおかわり可能。鯖(大根おろし付)、ピカピカご飯、味噌汁、お新香、う~ん、シンプルだけど鯖にほんのりと甘みがあって、うまいっす。
夜は、博多1号と同伴。
鮨 ゆき正 (スシ ユキマサ)
冷泉町7-7
[月~金] 11:30~14:30(L.O.14:00) 17:00~22:00(L.O.21:00) [土] 17:00~22:00(L.O.21:00)
高玉で修行していた職人さんが独立してできた新しいお店のようです。カウンター、「基本的にいか、たこ、えびよりは魚が好き、できれば地の魚を。」とだけ伝えてまかせでよろしくコース。お酒は焼酎を。ロックグラスに量は多目で出てきました。いやー、やっぱり魚は旨いですね、鮨っていうくらいだからなw