「空気」の研究 2/4~日本が自由でない理由

西南戦争は、近代日本が行った最初の近代的であり、また官軍・賊軍と言う明確な概念がはじめて現実に出てきた戦争である。「世論」の動向が重要な問題だった最初の戦争であり、従ってこれに乗じてマスコミが本格的に活動し出し、政府のマスコミ利用も始まった戦争である。元来日本の農民は、戦争は武士のやることで自分たちは無関係の態度(日清戦争時にすらこれがあった)だったのだが、農民徴募の兵士を使う官軍側は、この無関心層を、戦争に「心理的参加」させる必要があった。従って、戦意高揚記事が必要とされ、そのため官軍=正義・仁愛軍、賊軍=不義・残虐人間集団の図式化を行い、また後の「皇軍大奮闘」的記事のはしりも、官軍は博愛者により敵味方を問わず負傷者を救う正義の軍の宣伝も始まった。いわば日中国交回復に至るまでの戦争記事の原型すなわち「空気醸成法」の基本は全てこの時に揃っているのである。

現在では反省しすぎて、とにかく政府批判すれば錦の旗状態である。

教育勅語のように言語もしくは名称が写真と共に偶像となり、礼拝の対象となって、この偶像への絶対帰依の感情が移入されれば、その対象は自分たちを絶対的に支配する「神の像」となり、従って天皇が現人神となって不思議でないわけである。天皇は人間宣言を出した。だが面白いことに明治以降のいかなる記録を調べても、天皇家が「自分は現人神であるぞよ「といった宣言を出した証拠はない。天皇制とは何かを短く定義すれば「偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入よって生ずる空気的支配体制」となろう。
「空気」はその研究が終わるまでは漠然とした存在だったが、「水」という概念はもっと漠然としている。ある一言が「水を差す」と、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊するわけだが、その場合の「水」は通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人々を現実に引き戻すことを意味している。
日本の仏教を研究するにあたって、大変重要な点を見落としていた。天皇家は仏教徒なりや否や、という問題である。これは過去においても現在においても歴史家が触れない問題である。天皇がどこかの寺の檀那で、仏壇に頭を下げてチーンとかねを叩いたとあっては「現人神」でなくなってしまうから、皇国史観は成り立たない。と同時に皇国史観否定の上に立つ戦後史観にとっても否定の対象の変質は少々困る、したがてここは触れない。
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簡単に言えば明治4年(1871年)まで官中の黒戸の間に仏壇があり、歴代天皇の位牌があった。法事はもちろん仏式であったが、維新と言う”革命”の波は天皇家にも遠慮なく押し寄せ、一千年続いた仏式の行事はすべて停止されることになった。天皇家の菩提寺は京都の泉涌寺だったが、明治6年、官中の仏像その他一切この寺に移され、天皇家とは縁切りということになった。いわば天皇自らが思想信仰の自由を剥奪され、明治体制一色に強制的に塗り替えられたわけである。一千年の伝統を自らの手で(という形式で、もちろん実際は天皇家の意思ではあるまい)断ち切り、自らの意思で自己変革をしたと言う形で革命に即応して存続したわけである。従ってこの行き方は、戦後の「人間宣言」的行き方にはじまるのではない。仏教断絶の時から人間宣言までがわずか約70年、以後約30年であるから一千年とは比較にならぬこの程度の短期間の”伝統”などは、いとも簡単に”自己改廃”できるであろう。このことは単に「天皇家」の問題ではなく、いわば全日本人ががそのような形で外形的な自己変革を行うことによって、「自分は変わった、今日から民主主義者だ」と自己を暗示にかけてそう信じ込む、そしてそう信じ込むことによって変革を避けるという、伝統的な行き方の象徴的な現われにすぎない。”共産化”もその形になるだろう。従ってまたそういう時期が来れば、天皇家は全日本人の”象徴”として、代々、社会主義者であったと言う新説ができ、自己変革という名の無改革がなされ、それに矛盾する事実は、”仏壇”の如くに消されても不思議ではない。

現代の日本の企業活動における、グローバル対応、国際化である。日本版国際会計基準とか意味わかんねーしw 成果主義の導入とかも笑うしかないわなw はい、もう一度「自己変革という名の無改革」。

メートル法のように、軌範を非人間的な基準においてこれを絶対動かさない場合は、その軌範で平等に各人を律すれば良い。この場合の不正は、人間がこの軌範を曲げることである。だがこれが徹底化し、行為のみが規制の対象となれば状況倫理という考え方は一切なくなる。簡単に言えば餓死寸前に一片のパンを盗もうと、飽食の余興に一片のパンを盗もうと「盗み」は「盗み」として同じように処罰される。西欧の伝統は一貫して峻厳な固定倫理であり、そのゆえに19世紀以降、これへの痛烈な批判が起こって不思議はない。
だがこの日本的状況倫理は、実は、そのままでは軌範にはなりえない。いかなる軌範と言えども、その支点に固定倫理がなければ軌範とはならないから状況倫理の一種の極限概念が固定倫理のような形で支点となる。ではその支点であるべき極限としての固定倫理をどこに求むべきかとなれば、状況倫理を集約した形の中心点に、状況を超越した一人間もしくは一集団乃至はその象徴に求める以外なくなってしまう。西欧が固定倫理の修正を状況倫理に求めたのとちょうど逆の方向をとり、状況倫理の集約を支点的に固定倫理の基準として求め、それを権威としそれに従うことを一つの軌範とせざるを得ない。
状況倫理は状況を設定しうる一定の基盤がないと成り立たない。一君万民の原則、一つの固定集団が一定の状況を創造しなければ成立し得ないわけである。この点、状況倫理とは集団倫理であって個人倫理ではなく、この考え方は、基本的には自由主義とも個別主義とも相容れない。そしてそういう意味では一種の「滅私的平等」の倫理であり、そのことは「オール3」という評価法にそのまま表われている。この発想の基本は戦前も戦後も変化なく、変わったのは「表現の方法」だけ、いわば「評価するものの絶対性とその者による状況の恣意的創出」を前提としなければならぬこと、簡単に言えば、一君を神と認め、「現人神」の存在を前提としない限りこの方式は成り立たないことをさまざまな表現で隠蔽しているのにすぎない。
個人主義的倫理という点から見れば2600年前に聖書が否定した「罪九族に及ぶ」を、さらにさらに拡大解釈し、一会社を一家族と見てそれを実施している、原始未開の人間と言うことになってしまう。また何か事件があるとその親が写真までそえられて新聞に登場する。そしてその親に向って「国民に土下座しろ」などという投書が新聞に載ったり、親が首をくくったりする。我々の社会は一蓮托生”罪九族に及ぶ”がさらに拡大された連帯責任の社会、いわば集団倫理の社会、これが日本的状況倫理の基盤になっており、共産党はその最先端を行っているのだから、この基盤がある限り変革はありえない。

う~む、イスラム国誘拐事件も然り・・・。
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