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皇太子アレクセイの出血はなぜ止まったか?
ラスプーチンは1907年にも何度か宮殿を非公式に訪問し、皇帝を「お父さん」(パチューシュカ)、アレクサンドラを「お母さん」(マトーシュカ)と呼んだ。そして皇帝夫妻を抱きしめ、ロシア風に三回のキスをした。宮廷内には、「夫妻をだまそうとする貴族や名士たちがうようよいた」ので、ニコライもアレクサンドラもこういう「真のロシア人」にすっかり感激し、子供達にまで彼を自慢げに紹介したのはうなずける。その年の秋、ラスプーチンの訪問が、たまたま皇太子の出血発作に重なったことがあった。彼が少年のベッドのそばに行くと、間もなく回復の兆しが見えた。「分かっているのは、グリゴーリーが子供の様子を注意深く見て祈った後、出血が止まったことだけだ」と皇室担当課長スピリドーヴィチは報告している。皇太子が出血がひどくて床についているとき、彼が枕元に呼ばれた。皇太子は血管が丈夫じゃなくてね、遺伝的な病気なんだ。ラスプーチンがそばに行くと、子供は急に笑い出した。すると、ラスプーチンも笑った。彼が患者の足に手を触れると、出血はぴたりと止まった
皇太子の侍医たちはこの出来事と、その後のアレクセイの回復の理由を説明することができなかった。だが、失血と疲労で自然に血圧が下がると、出血が止まることがあるのを知っている専門医もいた。これは危機が最高潮に達した時に自然に起こるもので、直ちに回復の兆候が見られるという。当時の医学では、こうした場合のことが知られていなかったが、血友病患者がたびたび出血を繰り返しながらも、生き延びて成人する可能性はあったのである。ラスプーチンの到着が、そうした自然な自己回復のはじまりと偶然に一致していたかもしれない。ストレスが出血を加速することも、一役買っていた可能性はある。ラスプーチンはストレスに苦しんでいる人たちに親身になれる天性の持ち主だった。彼の自信はすぐに感じ取ってもらえた。彼には洞察力や、病気を治したり、予言する能力を神から賜物として賦与されていると人々に思わせるようなカリスマ性があり、彼がそばにいてくれるだけで人々の心を和らげた。ヒステリー衝や吐き気を伴う偏頭痛その他の聖人の思い頭痛を治したという記述もいくつか残っている。


ラスプーチンが教養ある若い女性たちをものにすることができた裏には、衝撃的に行動する女性の物語で読者をひきつける流行作家たちがいたことも大きく寄与していると、スピリドーヴィチは見ている。1907年にセンセーションを巻き起こした小説の1つ、リンダ・ジョノヴェーワ-アンニバルの『33の忌まわしい行為』は、女主人公のレスビアンの愛人が「私の目、唇、乳房に接吻し、私の身体を愛撫する」描写から始まっている。男性の同性愛も流行っていた。もう一つの小説『翼』では、老人と青年の肉体関係の詳細が、きわどい言葉で綴られている。近親相姦もテーマにされた。『そり』という小説の大半は、主人公が妹を誘惑しようとする話である。窓ガラス越しに自分の裸体を淫らな目つきで凝視する兄を見て、彼女は「悪魔に身を任せたいものだわ!」と叫ぶ。著者は明らかに性的快楽を目的そのものと思い込んでいる。なぜなら、「肉欲にふけるとか、純血を守るとかの概念は、青々した草を覆う枯葉のようなものにすぎない」と書いているからだ。文学における宿命論と快楽追求は「くだらぬこと」の上流階級の気質にも影響を与えている。
ラスプーチンは妻が好きで、彼女のほうも夫の浮気を知りながら、彼を愛していて、夫の放縦を許していた。シマノヴィチによれば、彼女は夫の情事はあまり気にせず、「あの人は好きにやれるのよ。それだけ力があるんだから、というのが口癖だった。彼は頑固で短気、軽蔑のまなざしには敏感ですぐ喧嘩腰になるが、妻には非常に優しかった。2人の仲はむつまじく、言い争いなどしたことがなかった。」彼は忠実な家庭人だった。
ラスプーチンは、夫の自殺が自分のせいだという思いからまだ抜きけれないでいるヒノニヤ・ベルランドスカヤに再び連絡を取り、その冬、ポクロフスコエに帰省する彼に同道しないかと勧めた。チュメーニ行きのシベリア横断鉄道列車がモスクワ駅を離れるやいなや、ラスプーチンは寝台車の彼女客室にやってきて、性行為に及んだ。「彼は一人の男として私を愛しているのだから、あなたも一人の女として、心づもりをするようにといい、やがて夫にしか許されない行為をしはじめました。彼は力ずくで私をねじ伏せ、私を撫で回し、接吻し、一緒に横になりました。それから、思いのままに振る舞い、そして果てました」 彼は、こんなにうぶな女性ばかりを相手にしていたわけではない。女優、上流階級相手の高級娼婦、暇をもてあましている貴族、要人の情婦らのなかにはラスプーチンと同じように世を拗ね、情欲や好奇心から彼に身を任せる女たちもいた。ラスプーチンの行為は、「おい、おっかさん、いいだろう」式のたいてい5分とかからない無造作なもので、こうしたお手軽セックスが首都の放蕩者の間に浸透した。ラスプーチンの妻プラスコーヴィヤは夫の愛人達がポクロフスコエにくると、冷たくあしらった。ベルランドスカヤには怒鳴り散らし、食事も少ししか与えず、客間に泊めることを拒否さえした。ラスプーチンは仕方なく、床の上にマットレスを強いて彼女と寝た。ラスプーチンは一晩中そんなところに寝るのは心地悪かったが、自分が催してくるとすばやく彼女をファックした。「ああ、なんて重い石だ」とラスプーチンは彼女から取り除こうとしている「原罪」を例えて言った。「こんな重いのははじめてだ」そこへもう一人の信奉者がやってくると、彼は裏庭にある風呂小屋に行って彼女に自分の身体を洗わせた。ベルランドスカヤによれば、「彼は真っ裸だった。そして、みんなが見ている前で、彼の身体の普通なら隠している部分まで彼女に洗えと命じた」という。
皇帝は、新聞にラスプーチン名前を載せることを禁じる布告を出した。この勅令は、1905年の「十月詔書」の約定をやぶるものであり、しかも政治家の口はふさげなかった。ココフツォフ首相は、ニコライが長老(スターレッツ)に会うのは危険を冒すことになると警告した。ラスプーチンの娘マリーヤはこのときの首相の謁見を、彼女の遊び友達だった皇女マリーヤが小耳に挟んでいたと書いている。それに寄れば、皇帝はラスプーチンが自分のような立場の者に「たいへん役立っている」と語った。首相は皇太子の奇跡的な回復のことは聞いているが、ラスプーチンはそれを神のおかげであって彼自身のせいでは無いと言っていると答えた。すると皇帝は、「確かにそうだ。だが神はなぜ彼を通してみわざをなされたのか?」と言ったという。首相はこう回想している。「乱痴気騒ぎや破廉恥な行為」の噂の氾濫は、普通のゴシップの範疇を越えたものになっていると進言せざるを得なかった。ココフツォフはできるだけおだやかに、新聞が世論を形成することに思いを馳せてもらおうとした。皇帝は、「国民がこの国を動かしているのではない。国家は国民の利益になるように運営されているのだ。彼らにとって最上のことを決めるのはこの私だ」と反駁した。

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