85年プラザ合意でアメリカがドル安政策を取ると、ドル安が止まらない。このときベーカー財務長官は87年2月、パリのルーブル宮殿で開かれた先進7カ国蔵相会議(イタリアはボイコット)でドルと円、マルク、フラン、ポンドなど主要国通貨と会合時のレートを基準にした「参考相場圏」を設定し、各国がドル買い介入のほかに財政金融政策で強調する合意をいったんは取り付けたが、効果は一時的で、10月にはブラックマンデーが起きた。それでも、基軸通貨ドルへの世界の信頼は衰えなかったのである。アメリカ人ばかりではない。世界の生産者、消費者と投資家がドルを選ぶからである。


決め手は日欧との「マクロ経済政策国際協調」ではなく、「武」である。基軸通貨とは世界の主要商品がドル建てで取引されるという意味である。主要商品と言えば石油である。ニクソン・ショックの後、中東では石油危機が発生した。イスラエル・パレスチナをめぐる中東戦争が引き金だが、目減りするドル収入には産油国すべてがいらだっていた。石油価格は高騰し、以来ワシントンは中東問題に深く関わるようになっていった。ルーブル合意後、ベーカー長官は、金、石油、穀物など国際商品を組み合わせた指標を作り、各国の通貨の対ドルレートを連動させようとする商品バスケット案を切り出したが、これはドルの本質を踏まえた保守派の提案によるものだった。
イラク戦争とドル
サダム・フセインは2度誤りを犯した。1度目は1990年のクウェート侵略、2度目はその10年後に起きた。原油取引がドル決済される限り、原油を輸入するためにアメリカ以外の国はドルを稼がなければならない。ドルを獲得手段はドル建ての輸出と直接投資である。世界経済のこうした構造から「ドルの帝国循環」が生じる。つまり、アメリカへのドル建て輸出で溜め込んだドル建て貯蓄が、アメリカ国債などのドル資産購入を通じてアメリカに還流する。この「ドルの帝国循環」がアメリカ経済を支えている。中東産油国が石油代金をドル建てではなく、ユーロ、あるいは円建てにする、と言い出したらどうなるだろうか。日量1000万バレル、世界最大の石油輸入国アメリカは膨大な額のユーロ、または円を買ったり借りなければ石油を確保できなくなる。石油がドル離れを起こすと、他の国際商品にも波及しよう。ドル相場を下落させるような金融緩和も財政赤字も慎まなければならなくなる。お札を自由に刷れなくなる。貢ぐアリのいないキリギリスは倹約しなければならなくなる。そのてきドル帝国アメリカが揺らぐ。
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サダム・フセインはまさしくこのアメリカの逆鱗に触れた。彼は2000年11月に国連の管理下に置かれていた石油輸出代金収入による人道物資基金をユーロ建てに置き換えた。イラク石油輸出を担っていたのはフランスとロシアの石油会社である。両国ともイラク攻撃に反対したし、フランスはドイツと並ぶユーロの担い手である。フセインにユーロ建てを認めたのは国連アナン事務総長である。ブッシュ政権は国連を信用できない。単独でも懲罰のためにフセインを退治し、サウジアラビア、イラン、ベネズエラなど他の産油国を牽制する必要があった。イラクを占拠した後ブッシュ政権はイラク石油輸出を早速ドル建てに戻すよう決めた。英国がノルウェーがユーロに加盟することがあれば、北海原油もユーロ建てになるが、アメリカにとって幸いなことに同盟国英国はユーロ加盟に慎重だし、ノルウェーは欧州連合(EU)にも未加盟なので、ユーロ建てになる可能性はまず無い。
国際債券市場では、2003年末にはユーロ建て債券発行額がドル建てを上回った。半面でドルは世界の外貨準備の65%を占め、15%弱のユーロを圧倒している。ただ外貨準備のドル比率が高いのは、日本、中国そしてそのほかの東アジア通貨当局のドル買い介入によるものである。アメリカは中国など東アジアがドル離れしてユーロ化するのは避けなければならない。その点圧倒的なドル建ての外貨準備を持つ同盟国日本のドルへの忠誠は、アメリカにとって何よりも重要である。日本はペルシャ湾岸での石油資源確保をアメリカの武力に頼っていることからも自衛隊のイラク派遣に踏み切ったが、アメリカは日本をドル帝国防衛のために必要としているのである。
ドル離れは世界を安定させる
円の国際化とは実質的には「ドル離れ」を意味するのだが、円の国際化議論でいつもこの点が欠落する。ドルとの折り合いをどうつけるかについても当局者はほとんど発言しない。橋本発言のように「アメリカ国債を売る」と言おうものなら政治家生命に響くとまで政界では信じられている。日本ではドル安・円高は依然としてネガティブにとらえられている。そしてドルを買い、アメリカ国債を買うことがまるでアメリカへの忠誠の代価のようになってしまった。2004年初め、筆者がインターネットの日米議論フォーラムでこの点を提起したら、アメリカの識者・専門家たち10数人が一斉に「ドル買いは円高を止めて日本の景気を良くするため」と反論してきた。日本がドルの下落を止め、アメリカ国際を大量に保有することは短期的には限界に来ているし、長期的には世界経済の不安要因を膨らませることになる。むしろ円高・ドル安のほうが日本の利益になるという見方すらある。
> 日本の要人発言では、日銀の速水総裁が「円高を悪者扱いするのはいかがなものか」と発言している。
まず、円高の利益だが、今や日本にとって最大の輸出市場となったアジア向け輸出は増え、円安になると減るようになっている。円高で日本企業のアジア向け投資が加速し、現地の生産力が高まる。それに伴って日本の部品、設備需要が活発になって日本からの輸出が増える。東南アジアや台湾、韓国など新興工業群(NIES)、中国も円高のために自国の輸出競争力が高まるので対米輸出などが伸びるが、必要な資本財は自国にないので日本から輸入する。逆に円安になれば、各国・地域の競争力が低下し、輸出が鈍化し、景気が悪化して日本からの輸入も減る、というわけである。
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