外資を含め大半の企業内には共産党委員会が設置されている。国有企業では、経営側として、工場長-党書記-工会(労働組合)主席-副工場長-財務・技術等の責任者という流れと、もうひとつ党書記-工場長-工会主席-党事務局主任という2つの流れがある。いわば一企業二制度である。党書記と党委員会は人事権を掌握している。人事権を握るのが企業の最高権力者だという日本企業の常識からすれば、企業の最高経営責任者は党書記である。企業は経済単位ばかりでなく、共産党による支配の単位でもある。
市場経済では通常、中央銀行が必要なお札を発行し、商業銀行が金の流れを仲介して信用を供与することにより、貸し出しと預金の連鎖が生まれ、金が経済社会全体に回る仕組みになっている。中国の社会主義者は当初この商業銀行部門を省き、中央銀行である人民銀行がカネに関するすべてを取り仕切ることにした。預金・貸し出しと財政は統合され、カネは人民銀行から流れ出て経済社会に行き渡らせ、余剰分はすべて人民銀行の預金となって還流する仕組みになった。当時の中国人民銀行の金融政策は要するに貸出量に応じて人民元の発行量を調整する、そしてインフレを抑制するというシンプルなマネーサプライ・コントロール理論に基づいていた。
94年になって人民銀行は金融コントロールを銀行貸し出しに対する量的規制からマネーサプライ目標に切り替えたと宣言した。マネーサプライというのは、中央銀行から供給される通貨(ベースマネー)をもとに、預金-貸し出し-預金という市場経済の中で循環しながら拡大していく通貨の量を、現金と貯金の合計量で測った数値である。そのコントロールというのは、①中央銀行が国債など債券を売って資金を吸収したり、逆に債券を買って資金を金融機関に流す「公開市場操作」、②商業銀行に対して中央銀行に預け入れを義務づける準備預金の比率(準備率)の上げ下げ、③公定歩合など金利操作、で構成される。
中国人民銀行が発表した2004年1-2月の金融運行情況によると、農業ローン残高は802億元増加しているが、国家統計局が発布した固定資産投資情況ではその期間の農業投資は10億元にすぎず、約800億元がゆくえ不明だ」という衝撃的な内容である。人民日報はこの公金が農民に渡る前に不動産投資や鋼材投資に転用されたのではないかと推測している。
国有企業は、1997年に262,000社だったのが2001年に174,000者に減った半面で資産規模は12兆4975億元から16兆6709億元に増えた。改革のために、中央・地方政府が国有企業向け貸し出しを出資に切り替えて補助すると約束したが、財政には限りがある。国有銀行には債務の帳消し圧力がかかり、不良債権が膨らんでいく。そこで国有企業に株式を発行させて財務体質を改善させようとして、99年から国有企業の民営化が始まった。障害になるのは公有制を基礎とする社会主義の財産所有権である。改革解放後も10年間は基本的に私有企業は認められなかったが、党中央は年6月に「私有を社会主義の補完」として位置づけて、私有制企業(従業員7人以上を「私営企業」、未満を「個体戸企業」と呼ぶ)を認めた。
人民元固定 - 成功の方程式
かつてマックス・ウェーバーが「中国では、商業は古くから発達したが(近代)資本主義は育たなかった」と評したのは、儒教を考察した上での結論だった。個人の富利の追求を賎しいものとみなした孔子の儒教の伝統は、「文」と「商」を切り離す風潮を育んできた。貪欲な金儲けに走る商人、資本家から上前をはねる権力者腐敗した3000年来の体制が、国民政党権下でも続いた。民間人と官僚エリートが使命感をもって産業開発する近代資本主義の精神が欠如した中で、共産党が全土を統一した。
広東省や各市政府は、北京から派遣された税や商工関係の専門官との合同取締りチームを発足させて、拳銃を片手にした公安警察を先頭に現場に踏み込む。が、摘発の成果は小ものばかり。「密輸は国家の利益にならない」と住民へのPRにも努めたが、10月時点で「年間100件以上と推定される密輸のうち10以上のケースを摘発したが、捕まえたのは4,5人で黒幕は捕まっていない」と取り締まり責任者は打ち明けた。広東省は結局、「みなし」罰金を進出企業に課して、省全体で50億人民元を徴収し。その3割を中央政府に納入したと言われる。従業員一人当たり100元の頭割。進出企業にとってはとんだ出費だが、「変に抵抗してもたたかれると埃が出て、割り増しされて罰金がもっと膨らむ」(日系企業)と恐れた。税関が企業に対して自己申告のマニュアルまで用意し多くの企業が個別指導に応じた。
香港は中国の改革開放路線のスタート後は西側の対中投資の玄関であり、カネの流れで言えば、香港から本土への一方通行だった。その流れが双方向へ変わるきっかけになったのは香港返還より1年以上前である。1995年10月4日、中国共産党統一戦線工作部は香港進出の中国国有企業30社の代表を召集した。中国政府の香港駐在機関である新華社香港支社の代表や中国銀行香港公司、華潤公司などで、党はこれら政府機関、企業代表に対して香港での戦略的な不動産買い、株買いを命じた。当時、香港は返還前の熱気が去り、香港株式や不動産市場は外国系企業に不透明感が漂って不安な状態だった。中国共産党中央としては香港返還の成功を内外に誇示しなければならない。そのためには返還前夜の香港の繁栄、とくに香港の真髄でもある株式・不動産市場の活況が欠かせない。それこそが返還を円滑に運ぶための統一戦略であると。
香港は「不動産資本主義」である。ちょうど全土の面積が東京都の約半分で、人口も約半分で、おまけに中心部の香港島は山が海岸線に迫っている。このためにオフィスビルも住居も高層で不動産価値は高く、不動産価格が上昇すれば株価も上昇を続け、香港政府の歳入も潤う。株式市場は、香港市場上場企業の7割が不動産関連企業で占められる。銀行の不動産関連貸し出しは地元向けローンの40%を占め、世界最高水準である。住宅ローン貸し倒れ率は1%に満たず、銀行もまた不動産関連で高収益を上げる。資産取引税率が低いので香港人も外国人も資産を香港に預けて運用する。不動産・株式市場が上昇すればカネは自ずから香港に集まる。党統一戦線工作部の指令はもちろん、この香港の特色を見抜いた上だった。これにはもちろん、香港の不動産王である李嘉誠を筆頭に香港財閥も呼応した。北京から特別許可を得て、中国銀行など中国系金融機関は国有企業にふんだんに資金供給し、国有企業の香港法人が買いに出動した。不動産価格がじわじわと回復し、97年に入ると94年の最高値を更新した。株価も連動し、史上最高値で返還を迎えた。
「充分利用」戦略ももちろん始動していた。ニワカブームが到来した香港市場に、中国の全土から国有企業が香港市場での新規上場を目指して殺到した。いわゆる中国香港企業株(レッドチップ)である。香港市場では中国関連株レッドチップとH株の2つに分かれるが、レッドチップは香港に本社を置く中国系企業株を指し、H株は中国に本社をおく国有企業が主流である。レッドチップの場合、まるで錬金術である。香港子会社が中国内の国有優良資産の譲渡を受け、広州駅の見通しを市場に示す「資産注入」で株価を吊り上げる。このレッドチップには他の中国系企業が額面価格で株を購入し、莫大なキャピタルゲインを確保する。
97年5月29日に香港証券取引所に上場した北京控股公司は、北京市が資金調達のために設立した持ち株会社で、北京市内のハンバーガーチェーン店のマクドナルドやビール工場、百貨店、旅行会社、有料道路などに投資している。これらの優良資産から来る収益状況から投資家の人気を集めて約18億香港ドルを市場から調達した。ところが応募総額は約2400億香港ドルに上り、香港ドルの銀行預金総額の17%、当座性預金の2倍以上にも相当した。このカネが数日間、そっくり金融市場から姿を消した。抽選による当選者が決まるまでの間、指定銀行が金庫に保管して凍結するからだ。短期市場金利は高騰し、香港ドルを借りては貸す邦銀などは一時的にコスト高に苦しむ羽目になった。
> 大型IPOで市中からカネが消えるって、どれだけ経済規模が小さいか、そしてどれだけ投資中心かというのがわかりますねw 97年当時だけではなく、この現象は今も起こっています。面白いでしょう?
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