密輸による直接的な武器支援
クロアチアやボスニア(ムスリム側)が国連決議に反して、軍用ヘリや戦車、戦闘機などを密輸入してきたことは明らかになっている。名前がはっきり挙がっているウクライナ、ドイツ、イスラム諸国などのほか、クリントン政権が武器をトルコなどの同盟国を通じて供給していた可能性も非常に高い。クリントン大統領は94年6月9日、米海軍、税関、郵便機関に「ボスニア、クロアチア向けの武器密輸の監視をしなくて良い」と中止命令を出した。事実上の武器禁輸の解除である。さらに11月12日には、アドリア海の第六艦隊に、武器密輸監視行動を中止するように指令し、あわせてAWACSなどで入手した電子情報を監視を継続するとしていたNATO諸国に提供することも中止した。ただし、武器禁輸解除によって国連軍が撤退し、人道援助活動が中止されることを心配したボスニア政府自身が、即時禁輸解除を行わないよう、解禁もボスニア政府の同意のもとに実施することなどを申し入れた。一方、現場ではボスニアの国連保護軍は95年2月以降、米軍C130に酷似した所属不明の大型輸送機がトゥーズラ(2月)やビハチ(7月)などのムスリム人地域に武器らしい貨物を投下したとの報告を公表している。アメリカは関与を否定しているが、この直後にボスニア政府軍の戦闘能力は飛躍的に強化された。ムスリム人兵士がアメリカ製の軍服を着ている例も数多く目撃され始めた。
アメさん、もうちょっと隠せよw
NATOの軍事力発動のための「明石はずし」
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クリントン政権は95年夏、ボスニア問題への本格的介入を決断した。これに前後してNATOの空爆が自由にできるよう、空爆の決定権を明石康・国連事務総長特別代表から奪い、現場の国連保護軍ルパート・スミス司令官とNATO南欧軍ライトン・スミス司令官の「二人のスミス」だけで実行できるように工作した。明石代表は95年春当時、アメリカに対して空爆に積極的だが地上部隊を派遣しようとしないなど批判的意見をもっており、これを隠すこともしなかった。これに対し、オルブライト米国大使は「誰から給料をもらっているのか」と批判したことがある。アメリカはこのときは明石の辞任要求などを持ち出すことはせず、いったん明石批判の鉾をおさめたが、しばらくして、明石代表が空爆に消極的で「セルビア寄り」であるかのようなキャンペーンを張った。
国連とNATOの双方の合意によって空爆が実行される「デュアルキー」システムが機能していたら、なし崩し的な大規模空爆は不可能であったに違いない。「明石はずし」のきっかけになったのは7月にボスニアのスレブレニツァとジェパの二つの国連「安全地域」が陥落し、セルビア側の手に落ちた事件である。セルビア側が「安全地域」を陥落させた大きな理由は、5月に「西スラボニア」を奪われたことへの報復の意味合いをこめたものだった。「安全地域」には国連部隊が配備されていたが、シンボリック(名目的)な規模・装備に過ぎず、「安全地域」への全名攻撃は想定されていないに等しかった。セルビア側の「安全地域」攻撃は、いわば国際社会の想定を超えた「禁じ手」の行使だった。安全地域についての陥落の責任を問題にするならば、安全地域そのものの性格と、それを防衛すべき国連部隊の規模・装備を定めた安保理の責任、さらに、NATOの近接航空支援の性格が問われなければならないはずである。ところが、国連もNATOも安全地域陥落を阻止する手立てが取れなかったことから、その原因は国連とNATOのコーディネートが十分でなかったことにあると説明され、その責任は空爆に消極的と表されていた明石代表ひとりにかぶさられることになった。
ユーゴ紛争と国連 平和維持活動の効果と限界
これ、ギャグ、マジうけ。笑えるから読んでみて。21世紀、アジア(ちゅーか中国とネシア)で起こるであろう地域紛争における国連の関与も相当なお笑い種が期待できそうだぞ。ハハハ。
91年6月スロベニア、クロアチアの独立宣言をきっかけに、紛争が武力を伴う形で激化した。当時はペレス・デクエヤル国連事務総長の時代だが、デクエヤルは10月にバンス元米国務長官を特使に任命するまで動きを起こさず、直後に任期切れに伴い、92年1月にブトロス・ガリ新事務総長に交代した。当時のユーゴ紛争に対する国連の対応をひとことでいって、初動で遅れたといわざるを得ない。理由としていくつかの根本的制約があった。国連(United Nations)が国家単位で加盟し、構成されていることから、国家間の国際紛争には対応できるが、国内の揉め事には対応する仕組みが無いということである。紛争が始まった当初は旧ユーゴの共和国の独立は承認されていなかったし、国連から見れば加盟国の内部の問題にすぎなかった。国連憲章では加盟国の崩壊・分裂は想定されていない。国内問題を扱うのは「内政干渉」となる。近年では国内問題でも「人権問題」は国際問題として取り扱う傾向が強まっているが、そのやり方は当該国(国連加盟国)政府の人権侵害を非難し、その是正を求める(アパルトヘイト時代の南アなどのように著しい場合は経済制裁)のが通常だった。

ユーゴ紛争はなぜ長期化したか―悲劇を大きくさせた欧米諸国の責任 ユーゴ紛争はなぜ長期化したか―悲劇を大きくさせた欧米諸国の責任
千田 善

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